飯山・栄村旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2022年10月中旬の週末に、長野県北部の飯山市、野沢温泉村、木島平村へ一泊二日の一人旅に行って来ました。<br /><br />長野県を代表する温泉地の一つ、野沢温泉は行きたい場所でしたが、スキー場のそばに温泉街があるため、週末予約の取りにくい積雪期の冬を避けて訪問する時期を検討していまして、今回訪問することに決めました。<br /><br />旅の1日目は飯山市街を訪れ、『雪国の小京都』と謳われる飯山の風情ある街を散策しました。<br /><br />その日は野沢温泉の民宿に泊まって、情緒豊かな温泉街の共同浴場の湯めぐりをしました。<br /><br />2日目は飯山市・野沢温泉村に隣接する木島平村に移動して、電動アシスト付き自転車をレンタルし、秋の訪れを感じる自然豊かな村内をサイクリングしました。<br /><br />そして旅の最後は眺望自慢の露天風呂がある馬曲(まぐせ)温泉を訪問し、立ち寄り湯で締めくくりました。<br /><br />本編は1日目の飯山市の旅行記です。

2022年10月秋の週末一泊一人旅~長野県飯山・野沢温泉・木島平①:『雪国の小京都』飯山~

37いいね!

2022/10/15 - 2022/10/15

29位(同エリア201件中)

チャムンパス

チャムンパスさん

この旅行記のスケジュール

2022/10/15

この旅行記スケジュールを元に

2022年10月中旬の週末に、長野県北部の飯山市、野沢温泉村、木島平村へ一泊二日の一人旅に行って来ました。

長野県を代表する温泉地の一つ、野沢温泉は行きたい場所でしたが、スキー場のそばに温泉街があるため、週末予約の取りにくい積雪期の冬を避けて訪問する時期を検討していまして、今回訪問することに決めました。

旅の1日目は飯山市街を訪れ、『雪国の小京都』と謳われる飯山の風情ある街を散策しました。

その日は野沢温泉の民宿に泊まって、情緒豊かな温泉街の共同浴場の湯めぐりをしました。

2日目は飯山市・野沢温泉村に隣接する木島平村に移動して、電動アシスト付き自転車をレンタルし、秋の訪れを感じる自然豊かな村内をサイクリングしました。

そして旅の最後は眺望自慢の露天風呂がある馬曲(まぐせ)温泉を訪問し、立ち寄り湯で締めくくりました。

本編は1日目の飯山市の旅行記です。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
新幹線 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 旅の1日目の10月15日(土)は、東京駅7時52分発の金沢行き北陸新幹線『はくたか553号』に乗車し、定刻通り9時43分に目的地の飯山駅に到着しました。<br /><br />当日の現地の天気は晴れていて、旅日和でした。<br /><br />今回の旅は飯山市郊外の野沢温泉で一泊する予定でしたが、宿泊先に行くまでの間『雪国の小京都』と謳われる飯山の街を『寺巡り』で散策することにしました。<br /><br />『雪国の小京都』の名付け親は長野県に縁の深い文豪島崎藤村で、冬季は多い時には2メートルの雪が積もる、寺院が軒を連ねる閑静な旧城下町です。

    旅の1日目の10月15日(土)は、東京駅7時52分発の金沢行き北陸新幹線『はくたか553号』に乗車し、定刻通り9時43分に目的地の飯山駅に到着しました。

    当日の現地の天気は晴れていて、旅日和でした。

    今回の旅は飯山市郊外の野沢温泉で一泊する予定でしたが、宿泊先に行くまでの間『雪国の小京都』と謳われる飯山の街を『寺巡り』で散策することにしました。

    『雪国の小京都』の名付け親は長野県に縁の深い文豪島崎藤村で、冬季は多い時には2メートルの雪が積もる、寺院が軒を連ねる閑静な旧城下町です。

    飯山駅

  • 飯山駅から歩いて4分ほどの場所に『七福の鐘』を吊るした鐘楼と、善光寺の旧仁王像を収めた仁王門があります。<br /><br />七福の鐘は北陸新幹線が開通する前の旧飯山駅にあったもので、旧国鉄時代の『一駅一名物運動』で誕生したものです。<br /><br />一度訪れ一度撞けば一つ願いが叶い、七度訪れ七度撞けば七つの願いが叶うそうです。

    飯山駅から歩いて4分ほどの場所に『七福の鐘』を吊るした鐘楼と、善光寺の旧仁王像を収めた仁王門があります。

    七福の鐘は北陸新幹線が開通する前の旧飯山駅にあったもので、旧国鉄時代の『一駅一名物運動』で誕生したものです。

    一度訪れ一度撞けば一つ願いが叶い、七度訪れ七度撞けば七つの願いが叶うそうです。

  • 仁王門の中にある善光寺旧仁王像は、1912(明治45)年の善光寺ご開帳の当時に火災で焼失したままの仁王像を応急で設置するために突貫で造られたものです。<br /><br />ご開帳が終わると不要になり解体・放置されていましたが、1936(昭和11)年に長野市の寺の住職が引き取ってお寺に安置しました。<br /><br />その後、飯山市に寄贈されて現在の場所に展示されています。

    仁王門の中にある善光寺旧仁王像は、1912(明治45)年の善光寺ご開帳の当時に火災で焼失したままの仁王像を応急で設置するために突貫で造られたものです。

    ご開帳が終わると不要になり解体・放置されていましたが、1936(昭和11)年に長野市の寺の住職が引き取ってお寺に安置しました。

    その後、飯山市に寄贈されて現在の場所に展示されています。

  • JR飯山線の踏切を渡って、寺巡り最初の訪問先の『西敬寺(さいきょうじ)』にやってきました。<br /><br />真宗大谷派のお寺です。

    JR飯山線の踏切を渡って、寺巡り最初の訪問先の『西敬寺(さいきょうじ)』にやってきました。

    真宗大谷派のお寺です。

  • 西敬寺の入口にある寺巡りの案内図です。<br /><br />飯山市内には寺院の数が46ヶ寺ありますが、その大部分が飯山線西側の丘陵地の麓に建っていて、かつての城下町飯山の寺町を形成しています。<br /><br />今回の旅で全軒の寺巡りをすることはできませんが、時間の許す限り訪問することにしました。

    西敬寺の入口にある寺巡りの案内図です。

    飯山市内には寺院の数が46ヶ寺ありますが、その大部分が飯山線西側の丘陵地の麓に建っていて、かつての城下町飯山の寺町を形成しています。

    今回の旅で全軒の寺巡りをすることはできませんが、時間の許す限り訪問することにしました。

  • 西敬寺は鎌倉期の1255(建長7)年に浄土真宗の開祖親鸞の弟子が創建したそうですが、江戸中期の1672(寛文12)年に現在の場所に移転しました。<br /><br />本堂に安置されている聖徳太子像は、寺を創建した親鸞の弟子に縁があるもので、長野県の重要文化財『県宝』に指定されています。

    西敬寺は鎌倉期の1255(建長7)年に浄土真宗の開祖親鸞の弟子が創建したそうですが、江戸中期の1672(寛文12)年に現在の場所に移転しました。

    本堂に安置されている聖徳太子像は、寺を創建した親鸞の弟子に縁があるもので、長野県の重要文化財『県宝』に指定されています。

  • 西敬寺を出て、次の目的地の『正受庵(しょうじゅあん)』に向かいました。<br /><br />丘陵地の坂を上っていきます。

    西敬寺を出て、次の目的地の『正受庵(しょうじゅあん)』に向かいました。

    丘陵地の坂を上っていきます。

  • 正受庵は茅葺き屋根が特徴の臨済宗のお寺です。<br /><br />創建は江戸中期の1666(寛文6)年で、元は禅僧となった松代藩主真田信之(幸村の兄)の息子が晩年を過ごした草庵です。<br /><br />現在の建物は1847(弘化4)年の善光寺地震で倒壊した後、同年に再建されたもので、長野県史跡に指定されています。

    イチオシ

    正受庵は茅葺き屋根が特徴の臨済宗のお寺です。

    創建は江戸中期の1666(寛文6)年で、元は禅僧となった松代藩主真田信之(幸村の兄)の息子が晩年を過ごした草庵です。

    現在の建物は1847(弘化4)年の善光寺地震で倒壊した後、同年に再建されたもので、長野県史跡に指定されています。

  • 正受庵は住職のいない無住寺です。<br /><br />地域の檀家さんが、共同で管理されているそうです。<br /><br />訪問当日庵室の引き戸は開放され、お参りが出来る様にされていましたが、日々の地元の方の対応に頭が下がります。

    正受庵は住職のいない無住寺です。

    地域の檀家さんが、共同で管理されているそうです。

    訪問当日庵室の引き戸は開放され、お参りが出来る様にされていましたが、日々の地元の方の対応に頭が下がります。

  • 寺巡りコースの案内標識に従って、次の目的地『明昌寺(みょうしょうじ)』に行きました。<br /><br />1609(慶長14)年に現在の場所に移転した、曹洞宗の禅寺です。

    寺巡りコースの案内標識に従って、次の目的地『明昌寺(みょうしょうじ)』に行きました。

    1609(慶長14)年に現在の場所に移転した、曹洞宗の禅寺です。

  • 参道の両脇に並ぶ、飯山市の俳句コンクールで大賞を受賞した作品の碑です。

    参道の両脇に並ぶ、飯山市の俳句コンクールで大賞を受賞した作品の碑です。

  • 現在の本堂は1911(明治44)年の火災で焼失した後、翌年1912(大正元)年に再建されたものです。<br /><br />また、明昌寺は飯山七福神巡り『寿老人』の札所です。

    現在の本堂は1911(明治44)年の火災で焼失した後、翌年1912(大正元)年に再建されたものです。

    また、明昌寺は飯山七福神巡り『寿老人』の札所です。

  • 明昌寺を出て、次に訪れたのは『忠恩寺』です。<br /><br />江戸初期の1601(慶長6)年に当時の飯山藩主の関氏の国替えに合わせて菩提寺を移転して建てられた、浄土宗の寺院です。<br /><br />飯山はその後大名の転封で何度か領主が代わっていますが、浄土宗を宗旨とする松平氏や本多氏は引き継ぎこの寺を菩提寺としていました。

    明昌寺を出て、次に訪れたのは『忠恩寺』です。

    江戸初期の1601(慶長6)年に当時の飯山藩主の関氏の国替えに合わせて菩提寺を移転して建てられた、浄土宗の寺院です。

    飯山はその後大名の転封で何度か領主が代わっていますが、浄土宗を宗旨とする松平氏や本多氏は引き継ぎこの寺を菩提寺としていました。

  • 忠恩寺は飯山七福神巡り『布袋尊』の札所です。<br /><br />こちらには戦国期から安土桃山期にかけての徳川家の武将の本多広孝が主君徳川家康から拝領した『黒本尊』が祀られていますが、毎年8月15日だけご開帳される秘仏です。

    忠恩寺は飯山七福神巡り『布袋尊』の札所です。

    こちらには戦国期から安土桃山期にかけての徳川家の武将の本多広孝が主君徳川家康から拝領した『黒本尊』が祀られていますが、毎年8月15日だけご開帳される秘仏です。

  • 忠恩寺のお隣は『称念寺』です。<br /><br />江戸前期の1620(元和6)年にこの場所に移転した、真宗大谷派の寺院です。<br /><br />飯山の寺町に建つ寺の多くは、元々別の場所に建っていたものを様々な事情で移転したものです。

    イチオシ

    忠恩寺のお隣は『称念寺』です。

    江戸前期の1620(元和6)年にこの場所に移転した、真宗大谷派の寺院です。

    飯山の寺町に建つ寺の多くは、元々別の場所に建っていたものを様々な事情で移転したものです。

  • 本堂は1920(大正9)年に火災で焼失した後、1968(昭和43)年に奈良東大寺正倉院をモデルに再建されたものです。<br /><br />火災の難を逃れたご本尊の阿弥陀如来像は室町期の作だとか。<br /><br />本堂前の苔生した庭園に風情を感じます。

    本堂は1920(大正9)年に火災で焼失した後、1968(昭和43)年に奈良東大寺正倉院をモデルに再建されたものです。

    火災の難を逃れたご本尊の阿弥陀如来像は室町期の作だとか。

    本堂前の苔生した庭園に風情を感じます。

  • 寺巡りではコースの案内標識に示された近道の他に、飯山線と寺町の間を南北に通る『愛宕町雁木通り』も通りました。

    寺巡りではコースの案内標識に示された近道の他に、飯山線と寺町の間を南北に通る『愛宕町雁木通り』も通りました。

  • 冬は雪深い飯山らしく、歩道の上に雪除けの雁木が設置されています。<br /><br />通りの両脇に仏壇・仏具を販売するお店が軒を連ねていることから、別名『仏壇通り』とも呼ばれています。<br /><br />飯山市は飯山仏壇の産地で、市内には仏壇製作に携わる職人さんが多数住まわれているそうです。

    冬は雪深い飯山らしく、歩道の上に雪除けの雁木が設置されています。

    通りの両脇に仏壇・仏具を販売するお店が軒を連ねていることから、別名『仏壇通り』とも呼ばれています。

    飯山市は飯山仏壇の産地で、市内には仏壇製作に携わる職人さんが多数住まわれているそうです。

  • 『妙専寺』にやって来ました。<br /><br />最初は室町末期に創建された真言宗の寺院でしたが、しばらくして浄土真宗に改宗し、現在は浄土真宗本願寺派のお寺です。

    『妙専寺』にやって来ました。

    最初は室町末期に創建された真言宗の寺院でしたが、しばらくして浄土真宗に改宗し、現在は浄土真宗本願寺派のお寺です。

  • 妙専寺の第17世住職で、1912(明治45)年にオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐から一本杖スキーのテクニックを教わった『市川達譲』の銅像です。<br /><br />彼が最初に滑ったのが寺の境内であったことから、長野県のスキーの発祥の地と言われているそうです。<br /><br />一本杖スキーは、その後日本に定着しなかったですけどね。

    妙専寺の第17世住職で、1912(明治45)年にオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐から一本杖スキーのテクニックを教わった『市川達譲』の銅像です。

    彼が最初に滑ったのが寺の境内であったことから、長野県のスキーの発祥の地と言われているそうです。

    一本杖スキーは、その後日本に定着しなかったですけどね。

  • トイレ休憩を兼ねて、光蓮寺(浄土真宗本願寺派)の隣に建つ展示試作館『奥信濃』に立ち寄りました。

    トイレ休憩を兼ねて、光蓮寺(浄土真宗本願寺派)の隣に建つ展示試作館『奥信濃』に立ち寄りました。

    展示試作館「奥信濃」 美術館・博物館

  • ここのトイレは壁や天井に金箔を貼り付けた『黄金のトイレ』で有名です。<br /><br />『仏壇の街』飯山のPRを兼ねて造られたそうですが、私個人の感想としては少し趣味が悪いかな、と思いました。<br /><br />館内には試作品の金仏壇(浄土真宗の標準仏壇)が展示されていました。<br /><br />寺巡りの途中で気づいていましたが、飯山市には浄土真宗(『お東』大谷派、『お西』本願寺派)の寺院が最も多く、檀家も『門徒』さんが一番多いそうです。

    ここのトイレは壁や天井に金箔を貼り付けた『黄金のトイレ』で有名です。

    『仏壇の街』飯山のPRを兼ねて造られたそうですが、私個人の感想としては少し趣味が悪いかな、と思いました。

    館内には試作品の金仏壇(浄土真宗の標準仏壇)が展示されていました。

    寺巡りの途中で気づいていましたが、飯山市には浄土真宗(『お東』大谷派、『お西』本願寺派)の寺院が最も多く、檀家も『門徒』さんが一番多いそうです。

    展示試作館「奥信濃」 美術館・博物館

  • 展示試作館『奥信濃』を出てから、坂を上って『愛宕神社』を訪れました。

    展示試作館『奥信濃』を出てから、坂を上って『愛宕神社』を訪れました。

  • 愛宕神社の祭神は『カグツチノミコト(軻遇突智命)』です。<br /><br />かつては『元愛宕山大権現』と呼ばれ、別の場所に壮麗な社殿が建っていたそうですが、火災で焼失してしまいました。<br /><br />1870(明治3)年に現在の場所に神社を移転しました。

    愛宕神社の祭神は『カグツチノミコト(軻遇突智命)』です。

    かつては『元愛宕山大権現』と呼ばれ、別の場所に壮麗な社殿が建っていたそうですが、火災で焼失してしまいました。

    1870(明治3)年に現在の場所に神社を移転しました。

  • 愛宕神社を出て坂を下り、次に訪れたのは『常福寺』です。<br /><br />江戸初期の飯山藩主の佐久間氏の国替えの時に、現在の場所に移転した曹洞宗の禅寺です。

    愛宕神社を出て坂を下り、次に訪れたのは『常福寺』です。

    江戸初期の飯山藩主の佐久間氏の国替えの時に、現在の場所に移転した曹洞宗の禅寺です。

  • 常福寺は飯山七福神巡り『大黒天』の札所です。

    常福寺は飯山七福神巡り『大黒天』の札所です。

  • 常福寺のお隣に建つ『西念寺』です。<br /><br />江戸前期の1639(寛永16)年に領主松平氏の国替えにより遠州(遠江国、現在の静岡県西部)掛川から移転、宗旨は真宗大谷派です。

    常福寺のお隣に建つ『西念寺』です。

    江戸前期の1639(寛永16)年に領主松平氏の国替えにより遠州(遠江国、現在の静岡県西部)掛川から移転、宗旨は真宗大谷派です。

  • 現在の西念寺の本堂は火災で焼失した後に、檀家さんの協力で今から32年前の1990年に再建したものです。<br /><br />本堂の前に立つと中からご住職の奥様らしき方が出てこられて、本堂内でお参りを勧められました。<br /><br />お言葉に甘えて堂内に入り、ご本尊の立ち姿の阿弥陀如来像を拝観させていただきました。

    現在の西念寺の本堂は火災で焼失した後に、檀家さんの協力で今から32年前の1990年に再建したものです。

    本堂の前に立つと中からご住職の奥様らしき方が出てこられて、本堂内でお参りを勧められました。

    お言葉に甘えて堂内に入り、ご本尊の立ち姿の阿弥陀如来像を拝観させていただきました。

  • 西念寺を出てから、次にお隣の『伊勢神社』にやって来ました。<br /><br />祭神は伊勢神宮内宮と同じ天照大神です。

    西念寺を出てから、次にお隣の『伊勢神社』にやって来ました。

    祭神は伊勢神宮内宮と同じ天照大神です。

  • 伊勢神社と同じ境内に天満宮もあります。<br /><br />祭神はもちろん菅原道真。

    伊勢神社と同じ境内に天満宮もあります。

    祭神はもちろん菅原道真。

  • 天満宮の右隣の『本光寺』の山門です。<br /><br />山門前の題目塔が示す通り、日蓮宗の寺院です。<br /><br />安土桃山期の1582(天正10)年に建立された『七面大明神』を祀ったお堂に由来するそうです。

    天満宮の右隣の『本光寺』の山門です。

    山門前の題目塔が示す通り、日蓮宗の寺院です。

    安土桃山期の1582(天正10)年に建立された『七面大明神』を祀ったお堂に由来するそうです。

  • 本光寺は飯山七福神巡り『弁財天』の札所です。<br /><br />弁財天像は本堂内ではなく、本堂そばの小さなお堂にお祀りされています。<br /><br />本堂の障子は閉められていましたが、中からご住職らしき方が唱えるお題目が聞こえてきました。<br /><br />当日は法事でもあったのかな。

    本光寺は飯山七福神巡り『弁財天』の札所です。

    弁財天像は本堂内ではなく、本堂そばの小さなお堂にお祀りされています。

    本堂の障子は閉められていましたが、中からご住職らしき方が唱えるお題目が聞こえてきました。

    当日は法事でもあったのかな。

  • 境内の墓地の中にある『野田喜左衛門』の墓です。<br /><br />野田喜左衛門は江戸前期から中期にかけて実在した人物で、出身は播州(播磨国、現在の兵庫県南西部)姫路です。<br /><br />28歳の時に大坂城の警備に来ていた当時の飯山藩主に、土木技術者としての力量を認められて藩士に取り立てられました。<br /><br />その後は飯山藩領内の用水路の開削や新田開発等の灌漑事業に尽力し、飯山藩の米の増産に貢献しました。<br /><br />生前は熱心な法華経信者で、同時に法華経の守護神の七面大明神を崇拝していたため、ここに埋葬されたそうです。

    境内の墓地の中にある『野田喜左衛門』の墓です。

    野田喜左衛門は江戸前期から中期にかけて実在した人物で、出身は播州(播磨国、現在の兵庫県南西部)姫路です。

    28歳の時に大坂城の警備に来ていた当時の飯山藩主に、土木技術者としての力量を認められて藩士に取り立てられました。

    その後は飯山藩領内の用水路の開削や新田開発等の灌漑事業に尽力し、飯山藩の米の増産に貢献しました。

    生前は熱心な法華経信者で、同時に法華経の守護神の七面大明神を崇拝していたため、ここに埋葬されたそうです。

  • 本光寺のお隣の『妙専寺』です。<br /><br />先ほど同じ名前の寺院を紹介しましたが、愛宕町のお寺の子院だそうです。

    本光寺のお隣の『妙専寺』です。

    先ほど同じ名前の寺院を紹介しましたが、愛宕町のお寺の子院だそうです。

  • 寺巡りコースをひたすら歩いて、JR北飯山駅近くの『大聖寺(だいしょうじ)』に到着しました。<br /><br />室町末期の1570(元亀元)年に、木曾義仲の家臣の子孫が建立した曹洞宗の寺院です。<br /><br />飯山市内では浄土真宗の次に曹洞宗の寺院が多いそうです。

    寺巡りコースをひたすら歩いて、JR北飯山駅近くの『大聖寺(だいしょうじ)』に到着しました。

    室町末期の1570(元亀元)年に、木曾義仲の家臣の子孫が建立した曹洞宗の寺院です。

    飯山市内では浄土真宗の次に曹洞宗の寺院が多いそうです。

  • 参道の途中に建つ六地蔵です。

    参道の途中に建つ六地蔵です。

  • 大聖寺はかつて飯山藩主の堀氏、佐久間氏の菩提寺でもあったため、忠恩寺と同様に境内は比較的広いです。<br /><br />またここは、飯山七福神巡り『毘沙門天』の札所です

    大聖寺はかつて飯山藩主の堀氏、佐久間氏の菩提寺でもあったため、忠恩寺と同様に境内は比較的広いです。

    またここは、飯山七福神巡り『毘沙門天』の札所です

  • 寺巡りはほどほどに切り上げて、昼食を摂ることにしました。<br /><br />飯山線の線路を渡り、飯山の街のメインストリートにあたる『仲町通り・本町通り』を飯山駅方面に向かって南下しました。<br /><br />長野県に来たら一度は信州そばを食べておかないとの思いから、『本町ぶらり広場』に隣接するそば処『幸輪』さんに来店しました。

    寺巡りはほどほどに切り上げて、昼食を摂ることにしました。

    飯山線の線路を渡り、飯山の街のメインストリートにあたる『仲町通り・本町通り』を飯山駅方面に向かって南下しました。

    長野県に来たら一度は信州そばを食べておかないとの思いから、『本町ぶらり広場』に隣接するそば処『幸輪』さんに来店しました。

    そば処 幸輪 グルメ・レストラン

  • 『鯖缶そば』ざる大盛、税込1,530円を頂きました。<br /><br />鯖缶のサバが入ったつけ汁にそばを付けて食べるのですが、今回初めての食体験です。<br /><br />こちらのご主人が考案されたメニューで、お店一押しの一品だそうです。<br /><br />飯山市は鯖缶の消費量が日本一だそうですが、鯖缶そばのそれは臭みの少ない特注のものを使われているそうです。

    『鯖缶そば』ざる大盛、税込1,530円を頂きました。

    鯖缶のサバが入ったつけ汁にそばを付けて食べるのですが、今回初めての食体験です。

    こちらのご主人が考案されたメニューで、お店一押しの一品だそうです。

    飯山市は鯖缶の消費量が日本一だそうですが、鯖缶そばのそれは臭みの少ない特注のものを使われているそうです。

    そば処 幸輪 グルメ・レストラン

  • 幸輪さんで昼食を頂いてから、経路を戻る形で飯山城址公園にやって来ました。

    幸輪さんで昼食を頂いてから、経路を戻る形で飯山城址公園にやって来ました。

    飯山城址 名所・史跡

  • 飯山城の築城年は不明ですが、鎌倉後期の14世紀初頭には既にあったと伝えられています。<br /><br />戦国期は越後(現在の新潟県)の上杉謙信が、甲斐(現在の山梨県)の武田信玄に対する信州北部の防衛の拠点として使われていました。<br /><br />江戸期は飯山藩の政庁としての役割を担っていました。<br /><br />城の形状は平山城ですが当時の城郭建築物は存在せず、『南中門』跡に別の場所に建っていた城門が移築されています。

    飯山城の築城年は不明ですが、鎌倉後期の14世紀初頭には既にあったと伝えられています。

    戦国期は越後(現在の新潟県)の上杉謙信が、甲斐(現在の山梨県)の武田信玄に対する信州北部の防衛の拠点として使われていました。

    江戸期は飯山藩の政庁としての役割を担っていました。

    城の形状は平山城ですが当時の城郭建築物は存在せず、『南中門』跡に別の場所に建っていた城門が移築されています。

    飯山城址 名所・史跡

  • 城門を通って右手にある『桜井戸』です。

    城門を通って右手にある『桜井戸』です。

    飯山城址 名所・史跡

  • 城門から三の丸跡に向かう途中にある『三年坂』です。

    城門から三の丸跡に向かう途中にある『三年坂』です。

    飯山城址 名所・史跡

  • 三年坂を上ると三の丸跡広場に出ます。<br /><br />ここに飯山藩の政庁の建物が建っていました。

    三年坂を上ると三の丸跡広場に出ます。

    ここに飯山藩の政庁の建物が建っていました。

    飯山城址 名所・史跡

  • 三の丸跡から二の丸跡に行く途中で見た千曲川です。<br /><br />飯山市は新潟県との県境に近く、もう少し下流に行くと信濃川に名前が変わります。

    三の丸跡から二の丸跡に行く途中で見た千曲川です。

    飯山市は新潟県との県境に近く、もう少し下流に行くと信濃川に名前が変わります。

    飯山城址 名所・史跡

  • 二の丸御殿跡です。<br /><br />芝生の広場の向こうに、本丸跡の石垣が見えます。<br /><br />かつてここに藩主が暮らした御殿が建っていました。

    二の丸御殿跡です。

    芝生の広場の向こうに、本丸跡の石垣が見えます。

    かつてここに藩主が暮らした御殿が建っていました。

    飯山城址 名所・史跡

  • 本丸跡の石垣です。<br /><br />本丸には当初から天守閣がなく、二重櫓が事実上の天守だったそうです。

    本丸跡の石垣です。

    本丸には当初から天守閣がなく、二重櫓が事実上の天守だったそうです。

    飯山城址 名所・史跡

  • 本丸跡に建つ『葵神社』です。<br /><br />幕末に飯山を治めた本多氏の歴代藩主をお祀りする神社です。

    本丸跡に建つ『葵神社』です。

    幕末に飯山を治めた本多氏の歴代藩主をお祀りする神社です。

    飯山城址 名所・史跡

  • 飯山城址公園の南側にある『飯山復活教会』です。<br /><br />長野県北東部におけるキリスト教(聖公会)布教の拠点として、1932(昭和7)年に創建されました。<br /><br />国の登録有形文化財に指定されていますが、小京都にして『寺の町』飯山におけるキリスト教伝道の象徴ともいうべき建物です。

    飯山城址公園の南側にある『飯山復活教会』です。

    長野県北東部におけるキリスト教(聖公会)布教の拠点として、1932(昭和7)年に創建されました。

    国の登録有形文化財に指定されていますが、小京都にして『寺の町』飯山におけるキリスト教伝道の象徴ともいうべき建物です。

  • 飯山散策の締めくくりとして、愛宕町雁木通り沿いにある『高橋まゆみ人形館』を訪問しました。<br /><br />長野県出身の人形作家、高橋まゆみさんの作品を展示しています。<br /><br />午前中に寺巡りをしていた途中で見つけたのですが、ここは最後に訪れようと決めていました。

    飯山散策の締めくくりとして、愛宕町雁木通り沿いにある『高橋まゆみ人形館』を訪問しました。

    長野県出身の人形作家、高橋まゆみさんの作品を展示しています。

    午前中に寺巡りをしていた途中で見つけたのですが、ここは最後に訪れようと決めていました。

    高橋まゆみ人形館 美術館・博物館

  • 愛宕町雁木通り側の入口の反対側の飯山線側から見た敷地内の様子です。

    イチオシ

    愛宕町雁木通り側の入口の反対側の飯山線側から見た敷地内の様子です。

    高橋まゆみ人形館 美術館・博物館

  • 高橋まゆみ人形館の入館料は大人620円ですが、館内のカフェで喫茶休憩をしたくておやつ券付きで1,020円を支払いました。

    高橋まゆみ人形館の入館料は大人620円ですが、館内のカフェで喫茶休憩をしたくておやつ券付きで1,020円を支払いました。

    高橋まゆみ人形館 美術館・博物館

  • 小さな美術館で、館内は3部屋のギャラリーと映像コーナー、ショップとカフェだけのこじんまりとした造りです。<br /><br />来館当時は、企画展『これまでの足あと』が開催されていました。<br /><br />展示作品は撮影禁止のため、私個人の感想だけとなります。<br /><br />高齢者に焦点に当てて、一昔前の田舎の日常の一コマを切り取って人形にした作品は、どれも懐かしさと温もりを感じる、親しみ深いものばかりでした。<br /><br />今でもこんなシーンが日本のどこかの田舎で日常としてあるのかな…<br /><br />いや、きっとあるはず。

    小さな美術館で、館内は3部屋のギャラリーと映像コーナー、ショップとカフェだけのこじんまりとした造りです。

    来館当時は、企画展『これまでの足あと』が開催されていました。

    展示作品は撮影禁止のため、私個人の感想だけとなります。

    高齢者に焦点に当てて、一昔前の田舎の日常の一コマを切り取って人形にした作品は、どれも懐かしさと温もりを感じる、親しみ深いものばかりでした。

    今でもこんなシーンが日本のどこかの田舎で日常としてあるのかな…

    いや、きっとあるはず。

    高橋まゆみ人形館 美術館・博物館

  • 作品の観覧を終えて、併設のCafe『花あかり』でアイスコーヒーとミニソフトを頂きました。

    作品の観覧を終えて、併設のCafe『花あかり』でアイスコーヒーとミニソフトを頂きました。

    高橋まゆみ人形館 美術館・博物館

  • 高橋まゆみ人形館から歩いて飯山駅まで戻り、15時15分発ののざわ温泉交通バス『野沢温泉ライナー』に乗車しました。<br /><br />1日目は飯山の街をよく歩きましたが、これから宿泊先に向かいます。<br /><br />本編旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。<br /><br />この続きは『2022年10月秋の週末一泊一人旅~長野県飯山・野沢温泉・木島平②:野沢温泉で湯めぐり・前編~』となります。<br />https://4travel.jp/travelogue/11786282

    高橋まゆみ人形館から歩いて飯山駅まで戻り、15時15分発ののざわ温泉交通バス『野沢温泉ライナー』に乗車しました。

    1日目は飯山の街をよく歩きましたが、これから宿泊先に向かいます。

    本編旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。

    この続きは『2022年10月秋の週末一泊一人旅~長野県飯山・野沢温泉・木島平②:野沢温泉で湯めぐり・前編~』となります。
    https://4travel.jp/travelogue/11786282

    飯山駅

37いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP