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名寄から札幌へ向かった。名寄からは宗谷本線で、その後函館本線に乗り換えて移動したが、運行している列車の本数が極端に少ないのには驚いた。1時間に1本の割で、しかも特急列車ばかりで、不便であることが痛感した。<br /><br />札幌では知人の案内で、主として、教会や公共の古い建物を見て回った。今回は歴史的建造物を見るのが主たる目的であった。結構、古い建物が多くあり、そんなに多くは見て回ることは出来なかったが、大いに満足したことは言うまでもない。<br /><br />今回はグルメとかショッピングということには関心がなかったので、あまり旅行記らしいとは言えないかもしれない。<br />

北海道縦断の旅を満喫(其3) ー 名寄から札幌へ

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2022/08/18 - 2022/08/20

1158位(同エリア8721件中)

旅行記グループ 北海道縦断の旅

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Weiwojing

Weiwojingさん

名寄から札幌へ向かった。名寄からは宗谷本線で、その後函館本線に乗り換えて移動したが、運行している列車の本数が極端に少ないのには驚いた。1時間に1本の割で、しかも特急列車ばかりで、不便であることが痛感した。

札幌では知人の案内で、主として、教会や公共の古い建物を見て回った。今回は歴史的建造物を見るのが主たる目的であった。結構、古い建物が多くあり、そんなに多くは見て回ることは出来なかったが、大いに満足したことは言うまでもない。

今回はグルメとかショッピングということには関心がなかったので、あまり旅行記らしいとは言えないかもしれない。

旅行の満足度
4.5

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  • 名寄から旭川へ行き、ここで札幌行きの特急列車に乗り換えた。車内では途中購入した駅弁を食べた。<br /><br />「こぼれいくら!ほたてちらし」という駅弁をチョイスしたが、ホタテの艶のある色合いとイクラの美しい輝きが食指を誘った。ご飯は酢飯で、夏バテ気味の体にはピッタリであった。

    名寄から旭川へ行き、ここで札幌行きの特急列車に乗り換えた。車内では途中購入した駅弁を食べた。

    「こぼれいくら!ほたてちらし」という駅弁をチョイスしたが、ホタテの艶のある色合いとイクラの美しい輝きが食指を誘った。ご飯は酢飯で、夏バテ気味の体にはピッタリであった。

  • 札幌での宿泊は ”Lamp Light Books Hotel Sapporo” というホテルで、これまでこの種のホテルはあまり聞いたことがなかった。まるでブックカフェみたいであるが、ここはホテルの中で、左奥にレセプションがある。

    札幌での宿泊は ”Lamp Light Books Hotel Sapporo” というホテルで、これまでこの種のホテルはあまり聞いたことがなかった。まるでブックカフェみたいであるが、ここはホテルの中で、左奥にレセプションがある。

  • ソファも置かれ、ホテル滞在者は周囲にある本棚から自由に本や雑誌を選び、ここでコーヒーを飲みながら読むことが出来る。2冊まで借りて部屋までもっていくことも出来る。

    ソファも置かれ、ホテル滞在者は周囲にある本棚から自由に本や雑誌を選び、ここでコーヒーを飲みながら読むことが出来る。2冊まで借りて部屋までもっていくことも出来る。

  • 部屋の様子。広い部屋ではないが、コンパクトにまとめられていて、使いやすかったと思う。

    部屋の様子。広い部屋ではないが、コンパクトにまとめられていて、使いやすかったと思う。

  • 朝食はこんな具合である。朝食は宿泊料に含まれていたが、パン、スープ、サラダ、飲み物、ゆで卵が出された。簡素なメニューで、小生にはこの程度でちょうど良かった。

    朝食はこんな具合である。朝食は宿泊料に含まれていたが、パン、スープ、サラダ、飲み物、ゆで卵が出された。簡素なメニューで、小生にはこの程度でちょうど良かった。

  • 次の日の朝食も同じような具合であるが、中身が少しずつ異なる。パンは10種類の中から好きなものを選ぶことが出来る。

    次の日の朝食も同じような具合であるが、中身が少しずつ異なる。パンは10種類の中から好きなものを選ぶことが出来る。

  • 「北海道立三岸好太郎美術館」を訪ねた。これまで彼のことはあまり知らなかったが、今回彼の作品を多く見ることが出来、大いに関心を持っことが出来た。<br /><br />三岸好太郎(1903~1934) は札幌に生まれ、18歳で上京して、日本の近代洋画史に彗星ののようなきらめきを放ったが、彼が画家として駆け抜けた1920~1930年は、激動と変転の時代でもあった。<br /><br /><br />  

    「北海道立三岸好太郎美術館」を訪ねた。これまで彼のことはあまり知らなかったが、今回彼の作品を多く見ることが出来、大いに関心を持っことが出来た。

    三岸好太郎(1903~1934) は札幌に生まれ、18歳で上京して、日本の近代洋画史に彗星ののようなきらめきを放ったが、彼が画家として駆け抜けた1920~1930年は、激動と変転の時代でもあった。


      

  • 森の木立の中に建っ美術館はひっそりと存在しているかのようで、訪れる人もあまりいないような気がした。

    森の木立の中に建っ美術館はひっそりと存在しているかのようで、訪れる人もあまりいないような気がした。

  • 今回の展覧会は「特別展 1920’s-1930’s 三岸好太郎が生きた時代」というもので、彼の作品をはじめて同時代の画家の作品を見ることが出来た。<br /><br />同時代の画家として何人かを以下に紹介したい。

    今回の展覧会は「特別展 1920’s-1930’s 三岸好太郎が生きた時代」というもので、彼の作品をはじめて同時代の画家の作品を見ることが出来た。

    同時代の画家として何人かを以下に紹介したい。

  • ハイム・スーチン作「祈る男」(1921年/大正10)<br /><br />

    ハイム・スーチン作「祈る男」(1921年/大正10)

  • 国吉 康雄作「横たわる裸婦」(1929年/昭和4)<br />

    国吉 康雄作「横たわる裸婦」(1929年/昭和4)

  • 山村 耕華作「踊り・上海ニューカルトン所見」(1924年/大正13)<br />

    山村 耕華作「踊り・上海ニューカルトン所見」(1924年/大正13)

  • 三岸 好太郎作「コンポジション」(1933年/昭和8)<br />

    三岸 好太郎作「コンポジション」(1933年/昭和8)

  • 美術館と同じ敷地内にある「北海道知事公館」も訪ねた。広い芝生の奥の方に白い外観に赤い輪郭の入った邸宅風の建物がどんと構えていた。

    美術館と同じ敷地内にある「北海道知事公館」も訪ねた。広い芝生の奥の方に白い外観に赤い輪郭の入った邸宅風の建物がどんと構えていた。

  • 入り口はまるでイギリスのハーフテンバー様式のような造りになっている。

    入り口はまるでイギリスのハーフテンバー様式のような造りになっている。

  • 建物の赤白のコントラストが美しい。

    建物の赤白のコントラストが美しい。

  • ここは2階応接室で、訪問客はここでもてなされたのであろう。

    ここは2階応接室で、訪問客はここでもてなされたのであろう。

  • ドアノッブの意匠が目に引いた。

    ドアノッブの意匠が目に引いた。

  • 壁の隅の方に「内舎人」、「女官」と書かれた押し釦があるのに気がっいた。主人が使用人を呼ぶときに使ったのかもしれない。今時このような名前で呼ばれる使用人はもはやいないと思われるが(皇室以外は)、この建物が知事公館以前の三井別邸時代に使われていた時は、存在していたのであろう。

    壁の隅の方に「内舎人」、「女官」と書かれた押し釦があるのに気がっいた。主人が使用人を呼ぶときに使ったのかもしれない。今時このような名前で呼ばれる使用人はもはやいないと思われるが(皇室以外は)、この建物が知事公館以前の三井別邸時代に使われていた時は、存在していたのであろう。

  • 各部屋に設けられている暖炉はどれも形が異なり、意匠が尽くされているようである。

    各部屋に設けられている暖炉はどれも形が異なり、意匠が尽くされているようである。

  • 内部の見学を終えて外に出てみた。歩き回っていると、大きな切り株にキノコのようなものが生えていた。

    内部の見学を終えて外に出てみた。歩き回っていると、大きな切り株にキノコのようなものが生えていた。

  • 知事公館入り口近くに「村橋久成胸像」が建っていた。凛とした眼差しを遠くに向け、何かを語りかけるような姿をしている。しかし、この人物については全く知らない。どんな人物なのか。

    知事公館入り口近くに「村橋久成胸像」が建っていた。凛とした眼差しを遠くに向け、何かを語りかけるような姿をしている。しかし、この人物については全く知らない。どんな人物なのか。

  • 村橋久成(1842~1892)についての説明版があり、これによると彼は北海道産業の礎となった麦酒醸造所(札幌ビールの前身)をはじめ、

    村橋久成(1842~1892)についての説明版があり、これによると彼は北海道産業の礎となった麦酒醸造所(札幌ビールの前身)をはじめ、

  • 次に移動したのは、「北海道大学農学部植物園」へ行った。正門を入ると、近くに『植物園門衛所」がある。1911年(明治44)竣工され、設計者は新山平四郎であるが、現在重要文化財に指定されている。

    次に移動したのは、「北海道大学農学部植物園」へ行った。正門を入ると、近くに『植物園門衛所」がある。1911年(明治44)竣工され、設計者は新山平四郎であるが、現在重要文化財に指定されている。

  • 「博物館本館」は北海道最古の博物館で、自然史、開拓史資料等が展示・収蔵されている。建物と内部のガラスケースは重要文化財に指定されている。<br /><br />博物館の周辺にはいくつかの歴史的建造物群があり、いずれも重要文化財に指定されていて、興味深く見学した。

    「博物館本館」は北海道最古の博物館で、自然史、開拓史資料等が展示・収蔵されている。建物と内部のガラスケースは重要文化財に指定されている。

    博物館の周辺にはいくつかの歴史的建造物群があり、いずれも重要文化財に指定されていて、興味深く見学した。

  • 博物館の内部。

    博物館の内部。

  • 「博物館倉庫」

    「博物館倉庫」

  • 「バチェラー記念館」

    「バチェラー記念館」

  • 「博物館事務所」

    「博物館事務所」

  • 園内は鬱蒼とした森におおわれて、ここが札幌の中心部に位置しているとはとても思えなかった。札幌駅から歩いて10分程のビルが立ち並ぶ街の中心部に「緑のオアシス」がある。

    園内は鬱蒼とした森におおわれて、ここが札幌の中心部に位置しているとはとても思えなかった。札幌駅から歩いて10分程のビルが立ち並ぶ街の中心部に「緑のオアシス」がある。

  • 小さな植物園があり、美しい花々が咲いている。ただどれも目にしたことがないような花ばかりで、名前は分からない。若干、名前の付いたプレートがあったので、確認できたものもあった。<br /><br />これは「ヤマゴボウ」と記されていた。

    小さな植物園があり、美しい花々が咲いている。ただどれも目にしたことがないような花ばかりで、名前は分からない。若干、名前の付いたプレートがあったので、確認できたものもあった。

    これは「ヤマゴボウ」と記されていた。

  • 「クサキョウチクトウ」

    「クサキョウチクトウ」

  • 「エゾトリカブト」

    「エゾトリカブト」

  • 「ハチジョウナ」

    「ハチジョウナ」

  • 「ヤナギタンポポ」

    「ヤナギタンポポ」

  • 「オオヒナノウスツボ」

    「オオヒナノウスツボ」

  • 札幌の観光スポットである時計台を訪れてみた。しかし、ここにはたくさんの見学者がいて、落ち着いて見ることも出来そうもないので、外観だけ写真を撮り、移動した。

    札幌の観光スポットである時計台を訪れてみた。しかし、ここにはたくさんの見学者がいて、落ち着いて見ることも出来そうもないので、外観だけ写真を撮り、移動した。

  • 青空に映える時計台は札幌の開拓時代を彷彿させる建物であるが、今では周囲が全て高層ビルに囲まれ、感興を注がれる思いがする。

    青空に映える時計台は札幌の開拓時代を彷彿させる建物であるが、今では周囲が全て高層ビルに囲まれ、感興を注がれる思いがする。

  • 裏側に回ってみた。人の姿もなく静けさを保っている。時計台は正式名称は「旧札幌農学校演武場」で、1878年(明治11)に建設された。

    裏側に回ってみた。人の姿もなく静けさを保っている。時計台は正式名称は「旧札幌農学校演武場」で、1878年(明治11)に建設された。

  • 歩道を歩いていて足元を見ると、時計台とサケをデザインしたマンホールがあつた。

    歩道を歩いていて足元を見ると、時計台とサケをデザインしたマンホールがあつた。

  • 歩いて偶然目にした建物であるが、かなり古そうで、大変興味を覚えた。入り口にパネル板が張られていて、この建物の由来が書かれていた。<br /><br />この建物は1926年(大正15)に北海道庁立図書館として建設されたが、その後北海道立美術館、三岸好太郎美術館、北海道立文書館別館として使われてきた歴史的建造物である。

    歩いて偶然目にした建物であるが、かなり古そうで、大変興味を覚えた。入り口にパネル板が張られていて、この建物の由来が書かれていた。

    この建物は1926年(大正15)に北海道庁立図書館として建設されたが、その後北海道立美術館、三岸好太郎美術館、北海道立文書館別館として使われてきた歴史的建造物である。

  • 現在ここは「北菓楼」という和菓子、洋菓子、生菓子を販売するショップやカフェ、ライブラリーを有する「北菓楼札幌本店」である。生菓子を求めて、建物の内部を見させていただいた。

    現在ここは「北菓楼」という和菓子、洋菓子、生菓子を販売するショップやカフェ、ライブラリーを有する「北菓楼札幌本店」である。生菓子を求めて、建物の内部を見させていただいた。

  • 2階部分。

    2階部分。

  • 札幌では3カ所教会を訪ねた。先ずは、日本キリスト教団札幌教会を訪ねたが、1904年(明治 )に建設された古い石造りの建物で、外壁に「札幌軟石」が使われている。<br /><br />札幌軟石というのは、支笏湖ができるきっかけとなった約4万年前の大噴火で、札幌周辺に流れ出た火砕流が固まり、長い年月が経ったものである。断熱性と耐火性に優れ、北国に適した建築資材であった。明治前半から本格的に採掘がはじまると、郵便局、倉庫、蔵など、多くの建物に使われた。札幌には今も300歩ほどの建物が残っている。

    札幌では3カ所教会を訪ねた。先ずは、日本キリスト教団札幌教会を訪ねたが、1904年(明治 )に建設された古い石造りの建物で、外壁に「札幌軟石」が使われている。

    札幌軟石というのは、支笏湖ができるきっかけとなった約4万年前の大噴火で、札幌周辺に流れ出た火砕流が固まり、長い年月が経ったものである。断熱性と耐火性に優れ、北国に適した建築資材であった。明治前半から本格的に採掘がはじまると、郵便局、倉庫、蔵など、多くの建物に使われた。札幌には今も300歩ほどの建物が残っている。

  • 礼拝堂の内部。

    礼拝堂の内部。

  • 振り返って入り口の方を見てみた。2階部分には大きなステンドグラスが見えた。

    振り返って入り口の方を見てみた。2階部分には大きなステンドグラスが見えた。

  • このステンドグラスは「バラ窓」と言われ、ヨーロッパの教会ではよく見ることが出来る。

    このステンドグラスは「バラ窓」と言われ、ヨーロッパの教会ではよく見ることが出来る。

  • バラ窓を少し拡大してみた。

    バラ窓を少し拡大してみた。

  • 教会堂の中にはいくつもステンドグラスがあり、長椅子の上にその光が伸びて美しい影が伸びている。

    教会堂の中にはいくつもステンドグラスがあり、長椅子の上にその光が伸びて美しい影が伸びている。

  • パイプオルガン

    パイプオルガン

  • かなり古そうな説教台が置かれていて、創建時からのものかも知れない。

    かなり古そうな説教台が置かれていて、創建時からのものかも知れない。

  • 星のマークが壁面にあるが、一体何を表しているのか、分からない。

    星のマークが壁面にあるが、一体何を表しているのか、分からない。

  • 外壁にはこのような装飾(?)があり、かなり古そうで、これもよくわからない。

    外壁にはこのような装飾(?)があり、かなり古そうで、これもよくわからない。

  • 次いで、「カトリック北一条教会」を訪れた。この教会は札幌司教区教座聖堂で、1898年(明治31)に献堂され、120余の歴史を有する古い教会である。<br /><br />左側の建物が1898年に建てられた古い聖堂で、右側が1916年建築の原教会である。

    次いで、「カトリック北一条教会」を訪れた。この教会は札幌司教区教座聖堂で、1898年(明治31)に献堂され、120余の歴史を有する古い教会である。

    左側の建物が1898年に建てられた古い聖堂で、右側が1916年建築の原教会である。

  • この教会は日本聖公会「聖ミカエル教会」で、今回札幌で最も興味を覚えた聖堂である。というのも、チェコ出身のアントニン・レーモンドとノエミ夫人の設計によるものであったからである。<br /><br />東京には彼の作品がいくつかあり、どれも見学したことがあったので、北海道での彼の作品を見てみたと思っていた。

    この教会は日本聖公会「聖ミカエル教会」で、今回札幌で最も興味を覚えた聖堂である。というのも、チェコ出身のアントニン・レーモンドとノエミ夫人の設計によるものであったからである。

    東京には彼の作品がいくつかあり、どれも見学したことがあったので、北海道での彼の作品を見てみたと思っていた。

  • 内部を見ると、木造のぬくもりが感じられる造りで、すべて

    内部を見ると、木造のぬくもりが感じられる造りで、すべて

  • 「北星学園創立百周年記念館」に案内していただいた。北星学園は小生の知人のご家族が学んだミッションスクールということで、詳しく説明していただいた。 <br /><br />1926年(大正15)、宣教師の住居として建てられた宣教師館であった。スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計であるが、当初の設計はアメリカ人建築家ウイリアム・メレス・ヴォリーズが着手した。

    「北星学園創立百周年記念館」に案内していただいた。北星学園は小生の知人のご家族が学んだミッションスクールということで、詳しく説明していただいた。 

    1926年(大正15)、宣教師の住居として建てられた宣教師館であった。スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計であるが、当初の設計はアメリカ人建築家ウイリアム・メレス・ヴォリーズが着手した。

  • 館内は資料館として様々な書籍や資料、パンフレットが紹介されていて、長い歴史の跡を辿ることが出来る。

    館内は資料館として様々な書籍や資料、パンフレットが紹介されていて、長い歴史の跡を辿ることが出来る。

  • 北海道の魅力を知ることが出来る「旅人類」という雑誌が置かれていた。これまでもちろん知らなかったし、その後書店で探してみたが、見つからなかった。

    北海道の魅力を知ることが出来る「旅人類」という雑誌が置かれていた。これまでもちろん知らなかったし、その後書店で探してみたが、見つからなかった。

  • 北星学園は創立130年を超えるキリスト教に基づく総合学園で、高校と大学を併せ持つ。<br /><br />構内に”Shine like stars in a darkworld” という言葉が刻まれた石板がある。これは新薬聖書のピリピ人への手紙2章15節の「     」によるものである。

    北星学園は創立130年を超えるキリスト教に基づく総合学園で、高校と大学を併せ持つ。

    構内に”Shine like stars in a darkworld” という言葉が刻まれた石板がある。これは新薬聖書のピリピ人への手紙2章15節の「     」によるものである。

  • 札幌の夜景もなかなか美しい。テレビ塔から見た夜の風景は函館に劣らず、きれいな姿を見せていた。

    札幌の夜景もなかなか美しい。テレビ塔から見た夜の風景は函館に劣らず、きれいな姿を見せていた。

  • 宿泊したランプライトホテルのすぐそばに「天と線」というラーメン店があり、ある日の夕食にここでラーメンを食べてみた。「特製オランダ全部乗せ」という名前で、一風変わったラーメンである。

    宿泊したランプライトホテルのすぐそばに「天と線」というラーメン店があり、ある日の夕食にここでラーメンを食べてみた。「特製オランダ全部乗せ」という名前で、一風変わったラーメンである。

  • ホテルは狸小路というアーケード街にあり、ホテルと地下鉄駅の往復に何度も歩いた。

    ホテルは狸小路というアーケード街にあり、ホテルと地下鉄駅の往復に何度も歩いた。

  • アーケードを歩いていると、裏通りも目に付き、表通リとはかなり異なる雰囲気を有していた。ぶらぶらしてみた。

    アーケードを歩いていると、裏通りも目に付き、表通リとはかなり異なる雰囲気を有していた。ぶらぶらしてみた。

  • 裏通りには小さな店が軒を連ね、ドアのないようなバーや商店がたくさんあった。

    裏通りには小さな店が軒を連ね、ドアのないようなバーや商店がたくさんあった。

  • バーで一人酒を飲む男性の姿も見られた。

    バーで一人酒を飲む男性の姿も見られた。

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