2022/07/01 - 2022/07/01
73位(同エリア75件中)
gianiさん
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アイヌ語ではなく、日本語由来の地名。
そして南部藩管轄なのに、なぜに伊達?
そこには、様々な出来事が関係していました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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今回の拠点はここ。
有事(有珠山噴火)の防災拠点が第一義です。総合公園だて歴史の杜 公園・植物園
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とはいえ、杜の名前が入っている通り、緑豊か。
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土塁や濠のようにレイアウトされ、史跡と勘違いする出来栄えです。
※実際は、陣屋も城も建設されていません。 -
入口には、毛虫を模した飾りの兜が(後述)
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隣接する道の駅には、観光物産館が。
クーラーボックスがあると、良い買い物ができます。道の駅 だて歴史の杜 道の駅
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飲食店も入っています。
伊達市は酪農と加工品の名産地。
パンにもチーズやバター、クリーム入りがおすすめ。
そしてシンプルな食事パンもおいしいお店でした。ブーランジェリー アイボックス グルメ・レストラン
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公園のメインは博物館
平成に合併した飛び地大滝区を除く伊達市の歴史を学べます。
JR伊達紋別駅からは遠いです。真ん前に停まる道南バスをお勧めします。だて歴史文化ミュージアム 美術館・博物館
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考古学上の発見としては、縄文時代の北黄金貝塚が最古。
貝塚からは雑然と廃棄されたゴミだけでなく、
役割を終えた擦石・石皿(写真)綺麗に並べられた状態で発見。
日本古来の道具を供養する風習が既にみられる点が興味深いです。史跡北黄金貝塚公園 公園・植物園
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細長いバケツのような形をした円筒式土器
写真のような土器が、北東北~北海道南部にかけて出土します。
つまりは、交流が活発で文化を共有していた証拠です。
北黄金塚を含む17の遺跡が世界遺産に認定されています。 -
有珠ウシリ遺跡
続縄文時代の遺跡。稲作が不可能なので、いわゆる弥生時代は存在しません。
遺跡からは、琉球以南にしか生息しないイモガイの装飾品も出土。対馬海流に沿って広範な交流があった証です。
有珠ウシリ遺跡は、ポロノット展望台の対岸にある小島にあります。
稲作=農耕ではありませんので、悪しからず。ポロノット展望台 名所・史跡
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現在の日本の歴史区分
参考資料として。 -
擦文文化・オホーツク文化
本州から伝熱性を優先する薄い無地の土師器(はじき)が伝来したが、彼らは逆に板で擦って棒で線を引き、粘土を貼り付けて模様とした。 -
アイヌ文化
お馴染みの部分。狩猟採集をメインとした生業。芸術も好み、刀も装飾品として用いた。抽象的な模様も多いが、写実的なものもある。漆器や鉄製品、磁気なども交易で得ていた。 -
狩猟採集といっても原始的なわけではなかった。
写真は、クジラやオットセイを捕らえる銛。
獲物に刺さると矢先が本体から自動離脱し、もがくほど速く弱る。
矢先で結んだ綱で手繰り寄せる。離脱部分の回転構造など、知の結集。 -
農耕・火山噴火
1640年の駒ヶ岳、1663年の有珠山の大噴火で、避難を要する甚大な被害を被りました。おかげで、アイヌの耕作地が地中に保存されました。アタネという蕪の畑が残っています。明治の蕪(ビート)栽培に先んじます。火山灰質の土壌特性を見抜いた見事な選択です。 -
蝦夷三官寺の一つ有珠善光寺
826年に比叡山の円仁が堂宇を建て、自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置したことが寺の開基とされている。15世紀のコシャマインの戦いで荒廃するが、1613年に松前氏が再興し、善光寺と称した。
異国船の圧力が増した1799年に幕府直轄領となり、1804年には幕府直営の官寺となる。徳川家菩提寺の増上寺と同じ浄土宗。
(写真は、円空が奉納した聖観音像。)善光寺跡 名所・史跡
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官寺任務は和人の葬儀を行うことと、先住民を仏教を浸透させること。上記の2点で、蝦夷地が幕府領土かつ日本文化圏であることを対外的に認知させること。檀家であることは、江戸幕府の統治体系に取り込まれていることになる。領土主張において現地の文化は大きな要素だったため、ロシアも千島列島や樺太先住民のロシア正教化に努めていた。
写真は、松浦武四郎著「東蝦夷日記」のワンシーン。 -
ジョン・バチラー(1854-1944)
英国国教会の伝道師。妻のルイザと来日するも、昭和15年に敵性外国人として強制出国させられる。
1905(M38)年に「アイヌ和英辞典およびアイヌ語文典」(写真)を出版。伊達では、教会だけでなく学校も運営する。バチラー記念教会堂は移設されている。バチラー夫妻記念教会堂 寺・神社・教会
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バチラー八重子(1884-1962)
出生名は向井八重子で、両親はアイヌ民族。7歳で洗礼を受けるが孤児になり、バチラー夫妻が養育し養女となる。24歳でカンタベリー大司教(聖公会の総本山)から伝道師に叙任され、北海道で布教する傍ら、47歳で日本語とアイヌ語混在の歌集を出す。雑誌「ウタリの友」(写真)にも度々寄稿。 -
亘理伊達家
いよいよ、伊達の話題です。亘理伊達家は伊達成実(しげざね)を祖とする家系で、仙台藩の支藩の一つです。成実と政宗は、祖父を同じとする血縁関係です。 -
伊達成実所用の黒漆五枚具足(桃山時代)
伊達の三傑として、政宗を補佐。人取り橋の戦いでは文字通り主君の命を救い、摺上原の戦いでは劣勢を覆し、政宗の南奥州覇権を決定付けた。 -
前立ては毛虫を模している(熊毛製)。
毛虫は決して後ろに下がらない(前にしか進めない)ことから、
後退しないことに縁起を掛けています。 -
耳盥(みみたらい)大・小
何に使うか分かりますか?
既婚女性がお歯黒する際に、うがい水を受ける器です。
アイヌはキサルチパッチと呼び、神送りの儀式の際に神様への土産物を載せる台として使用しました。 -
格付け
66万石を誇る仙台藩の家臣団には、明確な序列がありました。
亘理伊達家は、筆頭の一門に該当し(左図)、その中で2番目の地位でした(右図)。つまり、家臣の中でナンバー2という事です。
※筆頭の角田石川家の家臣は、室蘭を開拓しました。 -
伊達邦成(1841-1904)
14代目の当主。戊辰戦争では主君に従って、幕府側に付く。責任を取って、知行地は23,853石から58石に減俸。これでは家臣団を養えません。選択肢は2つ。農民になるか、武士として北海道に土地を持つかです。
※仙台藩主の慶邦が28万石に減俸されたのと対照的です。 -
北海道移住
邦成は、幕末に伊達藩が警備していた日高地方を希望しましたが、実際に割り当てられたのは南部藩が警備していた地域した。明治3年に移住を決意し、自ら現地を下見した。当時28歳でした。写真は、一行が室蘭港に上陸する様子を描いたもの。木造桟橋が建造されるのは明治5年なので、古典的な上陸スタイルとなっています。
※開拓に携わらなかった武士は、士族の身分をはく奪されました。 -
総勢2700人の移住は、全9回約12年越しの大プロジェクトでした。
邦成は不在地主ではなく、自ら先陣を切って移住しました。
写真は、胆振国有珠郡を伊達藤五郎(邦成の別名)に与える明治2年8月25日付の太政官令。 -
開拓屋敷割図
明治5年に札幌の開拓使に提出するために作成。
戊辰戦争の敗戦士族の移住は、失業対策と対ロシア防衛対策として一石二鳥とされた。
実際は、郷里から食糧を輸送してもらう必要があるほど、食糧事情は悪かったです。 -
追加で虻田郡も支給するという太政官令。
明治4年3月付。 -
西洋式農具
邦成は明治7年に作業効率の良い洋式農具の購入を開拓使に依頼。
馬が曳いて土地を起こしたり耕したりするハローやプラウは、人力の150倍の土地をこなしました。おかげで食糧自給も達成し、更なる飛躍に通じます。 -
甜菜栽培
帰国の途に就いたクラークは伊達に立ち寄り、火山灰質の土壌では甜菜の栽培が向いているとアドバイス。おかげでビート栽培に成功し、長流(おさる)川沿いに広大な畑を作った。輸入に頼っていた白砂糖は高級品だったので、吉報でした。振り返れば、アイヌもこの地で蕪を栽培していました。 -
官営製糖工場
明治12年には、国内初の官営甜菜製糖所も開業。写真は紋別製糖会社のレッテル。その左(枠外)には邦成が開業時に読んだ祝辞の現物が展示。 -
明治17年には小西農機が、国産プラウ製造を開始。赤く塗装したことから、赤プラウの愛称で、道内に普及。写真は大正期のもの。中央部に赤い塗装が。
小豆やビートといった商品作物の栽培と製糖工場、殖産興業に成功します。 -
明治10年代後半に建てられた三戸部家住宅。入植当時は掘っ立て小屋での生活でしたが、故郷宮城の様式を取り入れた家を建てられるようになりました。
現存する最古の開拓農家です。旧三戸部家住宅 名所・史跡
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こうした功績が認められ、明治17年の華族令に基づき、明治25年に伊達邦成は男爵に叙された。写真は受爵証書
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邦成は51歳になっていました。
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迎賓館
明治25年築。受爵に伴い建設。視察に訪れる政府高官をもてなす迎賓館として使用。
当時のトレンドである和洋折衷(1階左の公的空間は洋風・それ以外の私的空間は和風)で、普段は無人。伊達家が住居として使用したのは昭和10年以降。迎賓館 名所・史跡
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邦成の偉業は、広く知られた。
写真は明治32年の別冊太陽「明治十二傑」の頁。農業部門で選出されている。
明治33年の北海道一級町村制施行に伴い、5村が合併して伊達村が誕生する。 -
敗北の責任を取って潔く腹を切らず、自身が生き抜くことで残された家臣に道を示し、共に荒海に乗り出す人生。これぞ真のリーダー像かと思います。
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