2022/07/01 - 2022/07/01
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gianiさん
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この旅行記のスケジュール
2022/07/01
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この旅行記スケジュールを元に
松前藩、英国軍、ペリーが目を付けた良港。
開拓使のお抱え外国人も、空知炭田の積出港として推薦。
港は、様々な工場を呼び寄せ、街は大いに発展。
一方の第三次産業は???
苫小牧に完全にお株を奪われている斜陽化都市室蘭を直撃。
旅行記の地図情報も必見。
室蘭水族館等の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11765454
- 旅行の満足度
- 5.0
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まずは、港の文学館。
近代文学と関係が深い事実を教えてくれます。港の文学館 美術館・博物館
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海岸通りを西進します。
Tabist ベイサイド室蘭 宿・ホテル
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さりげなくレトロが共存します。
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海岸通りから分岐する室蘭中央通りが目的地。
まずは室蘭港発祥の地
明治5年8月15日に、トキカラモイ桟橋が開業。
この年に、函館~森が陸路、森~室蘭が海路、室蘭~札幌を陸路で結ぶ「札幌本道」が制定されました。
2022年は室蘭開港150年(ついでに市制100年)に当たり、市で推しています。
明治45年の埋立で役割を終えます。 -
向かいには室蘭で一番古い米屋さん。
旅行記の地図では、港の文学館付近です。 -
室蘭中央通りを上ると役所跡が。
現在でいう北海道胆振総合振興局の本庁舎です。
明治2年に五畿七道に北海道(八道目)が追加されます。
北海道には、胆振国を含む十一国で構成されました。 -
現在は海岸町3丁目公園になっています。
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通りの西側の光景
明治時代は新室蘭と呼ばれ、室蘭の目抜き通りでした。 -
通りの東側の光景
当時は札幌通りと呼ばれていました。
前述の札幌本道です。 -
問屋の坂
明治30年に鉄道が開通し、
坂下に石炭積出港が開業した。
港界隈には問屋が多数立地した。
写真の石垣は、明治39年に石炭荷役を生業とする佐々木商店が整備したもの。 -
問屋坂を下って、
明治30年に開業した新室蘭港へ。
フリーターミナルも兼ねていますが、のどかな釣り場になっています。
苫小牧港や石狩新港に仕事を奪われました。室蘭港フェリーターミナル 乗り物
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明治44年には、鉄道貨車から直接船舶へ石炭を積み替えられる高架桟橋も完成。
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そんな室蘭駅も、貨物の取り扱いは無くなり、線路は東室蘭側へ後退しました。
旧室蘭駅舎(室蘭観光協会) 名所・史跡
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旧室蘭駅舎の向かいには、室蘭第二プリンスホテルが今も残っています。
地元の名門で、かつては便利な駅前ホテルでした。 -
現在の室蘭駅は特急も乗り入れず、駅員も昼間しかいない閑駅に。
室蘭駅 駅
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日本一の坂を上って、再び札幌通りへ。
日本一の坂 名所・史跡
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日本一という名前の蕎麦屋が坂沿いにあったのが、
名前の由来です。 -
札幌通りから旧室蘭駅舎を見下ろします。
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札幌通りから階段を100段以上登ったところに本殿が。
皇太子時代の昭和天皇も訪れ、自ら植樹しています。室蘭八幡宮 寺・神社・教会
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札幌通も坂を下ります。
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居心地の良いカフェ発見
大町カフェ・カフェ グルメ・レストラン
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カフェの横には浜町通りが。
往時は、肩が触れ合うほど人であふれていました。 -
浜町通りの現在の姿
平成21年にアーケードも撤去されています。 -
市民美術館では、風景画展が。
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元気だったころの光景。
日石のマークが、懐かしいです。
三菱石油等と合併して、今はENEOSですね。 -
室ガス(地元の都市ガス会社)文化センターでは、6/26(日)にNHKのど自慢が生中継されました。ゲストの家入レオさんの生歌が凄かったです。久々に歌が上手い人に逢いました。
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市役所から徒歩数分でこんな光景が広がります。
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旧市街は、海と山に挟まれた小さな土地です。
泊まるにしても、食べるにしても、移動するにしても、
今は東室蘭駅周辺を起点にするのが一般です。 -
工場巡り
室蘭湾を囲んで、室水と室蘭駅の間には、函館どつく室蘭製作所。
造船と修繕を行います。 -
湾を囲む広大な区画は、日本製鉄。
製鉄の火は健在。
室蘭名物焼き鳥は、製鉄所労働者のために屋台で誕生しました。
豚肉を使用するのは、日中戦争中の国策で養豚が奨励されていたからです。
豚は食糧、軍需物資(革製品)として有用でした。 -
本土側は、ENEOS室蘭事業所。
北電伊達火力発電所用のパイプラインの基地も兼ねています。
以上、ビッグスリーでした。 -
東室蘭駅から道南バスで、陣屋バス停まで移動。
幕末には、北方警備を請け負った南部藩の陣屋(本拠地)がありました。
その横には、歴史民俗博物館があります。 -
和人史
松前藩が慶長年間(1596-1615)にアイヌとの交易所を開いたのが始まりです。
地名を取って絵鞆(えとも)会所と呼ばれました。絵鞆岬 自然・景勝地
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ナポレオン時代に、列強は積極的に海外進出します。
ロシアは幕府に開国を迫り、却下された腹いせに蝦夷地を攻撃します。
またイギリスは、絵鞆湾に上陸し、近隣を測量します。
北方警備は松前藩では力不足で、1898-1821まで東蝦夷は幕府直轄領になります。 -
1805年に幕府は、会所を絵鞆から対岸のモロランに移します。
室蘭の地名のルーツです。JR崎守駅のすぐそばに室蘭発祥の地碑があります。
白鳥台を経由する路線バスに乗ると、記念碑の前を通ります。崎守駅 駅
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幕末の黒船来航を期に、北方の緊張は再燃し、蝦夷地は再び幕府直轄地になります。室蘭周辺の警備は南部藩に委ねられ、軍事拠点となる陣屋が建設されました。
南部藩モロラン陣屋跡 名所・史跡
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現存する図面を基に、当時の地割が再現されています。
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戊辰戦争で南部陣屋は焼失。明治2年には開拓使の管轄になり、胆振国室蘭郡になります。伊達支藩の旧角田藩の領地になり、明治3年に旧藩士44戸51名を皮切りに入植し、輪西周辺を開拓します。
明治5年には札幌本道の一環として室蘭港が開港し、函館小樽に続く北の玄関口となります。 -
屯田兵
明治中期には屯田兵制度の下、輪西や東室蘭駅周辺を開拓します。
写真のように入植に際して生活用品・農具・住宅等が支給されましたが、毎日6時間の軍事教練の傍ら、数年で沼地や原野を肥沃な土地に変えるという重いノルマが課されていました。 -
空知炭田の石炭を運ぶために、岩見沢~輪西が北海道炭礦の手で明治25年に開業。5年後には新室蘭まで延長し、炭鉱と室蘭港が鉄道で結ばれ、北海道一の石炭積出港になりました。
石炭は製鉄の要という事で、地元の砂鉄とコラボして明治42年には日本製鉄の製鉄所が稼働。室蘭~東室蘭の広大な敷地で、今も稼働しています。 -
明治5年の開港以来、室蘭は造船の町です。大型船が接岸できず、艀製造から始まり、明治30年を皮切りに築港が竣工すると大型船の製造も始まりました。現在は、函館どつく室蘭製造所が立地します。
旧日本石油の製油所もありましたが、2019年に操業停止。現在はENEOSの石油供給拠点(貯蔵タンク)として機能しています。
次回は、隣の伊達市を訪れます。
https://4travel.jp/travelogue/11776948
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