2022/06/29 - 2022/06/29
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gianiさん
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北海道100年記念事業の一環として計画され、110年の年に開業した北海道開拓の村。
開拓154年を迎えた現在、北海道そして開拓の村は多くの問題に直面しています。
後編は、戦後まで続いた駅馬車網、機械化農業、教育等にクローズアップします。
前編はこちら↓
https://4travel.jp/travelogue/11765534
- 旅行の満足度
- 5.0
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目抜き通りには馬車鉄道が走っています。
北海道開拓の村 美術館・博物館
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いわゆる競走馬ではなく、ばんえい・道産子といった種類なので、一頭でも余裕です。後ろ足の前に陰茎が突き出ているのが分かりますか?
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旧ソーケシュオマベツ駅逓所
何の建物だか分かりましたか? -
公共交通が未発達の北海道では、
街道に官営の駅逓所を設置して、馬車輸送網を形成していました。宿泊所も兼ねています。大正5年には右図のように分布し、昭和22年まで存続しました。 -
各駅逓所には8-10頭の馬と牧場が支給され、通信網を担いました。
馬は丁重に扱うようにという厳命も下っていました。
7世紀に大和朝廷が整備した制度を継承。 -
囲炉裏に土足のままアプローチできる寒冷地独特の構造も。
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旧太田装蹄所
輸送馬に蹄鉄を履かせるのは不可欠。且つ夏用と冬用があり、専門職が存在した。
札幌と旭川を結ぶ大幹線(国道12号線)沿いで昭和20年まで営業していました。 -
旧藤原車橇(そり)製作所
馬車の車輪と馬ぞりを制作。 -
アメリカ優勢の開拓使において橇のノウハウは、ロシアのお抱え技師から学びました。明治中期には、道民が風土に合わせて改良。一番難しいのは、まっすぐの木材を写真のように90度近く蒸気で反らす事。
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旧手宮駅長官舎(1886)
戦後も駅馬車制度が公共交通として残っていたことを先述しましたが、北海道の鉄道は東京大阪に次いで開通。石炭輸送が目的で、官営幌内鉄道手宮駅は、小樽市内に設置されました。石狩炭田と小樽・室蘭の港まで結ぶ路線は、国の大動脈でした。 -
旧来正旅館
旭川市内の駅前旅館。 -
旅館が開業した1918年の鉄道路線図。
旭川と網走を結ぶルートは、遠回りでも平坦な名寄経由になっています。石北峠を越える石北本線が開業するのは昭和に入ってからです。稚内へは天北線ルート、札幌から函館へは山沿いルートなど、現在のルートと異なります。 -
駅前旅館は、汽車街の待合室を兼ねていました。
冬は外で待てませんから。 -
貯炭式ストーブ
その寒さゆえに、開拓使と道庁は家庭のストーブ普及に真剣に取り組みました。
貯炭式の誕生によって、石炭投入時に発生する煙や煤煙から解放されました。価格も手ごろ。 -
旧北海中学の校舎では、教育史が。
明治5年に学制が公布されても、正規の教育課程を施す学校はほぼ皆無、4,5年の短縮課程が主流だった。就学率も内地より低かった。 -
北海道庁発足後も状況は変わらず、修業年限3年・1日3時間授業の簡易科小学校が全体の9割を占めた。教科書も本土とは別物で、作物の植え付けなどを学んだ。
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先住民
明治32年の北海道旧土人保護法(実際はアイヌの同化促進法)が公布され、先住民は旧土人学校に通うことになった。分離政策は昭和12年の法改正まで続いた。
日高地方に多く分布していますね、、、 -
北大の学生寮
北海道大学の前身は札幌農学校で、クラークが赴任したのは有名な話。
でも開校時の明治5~9年は、芝増上寺内に校舎があったことは知られていません。 -
寮の壁に書かれた落書き。
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旧小川家
サイロは札幌軟石。 -
酪農は享保年間から房総半島で行われていましたが、北海道は開拓使および札幌農学校の指導で発足。北海道庁がデンマーク式混合農業を導入して飛躍しました。
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旧農商務省滝川種羊場機械庫
牧羊は北海道らしい光景の一つ。写真は、機械化初期(S.2)のアメリカ・フォードソン社製トラクター(23PS)。 -
動力・農具史
新墾地は鍬による手作業で耕起・砕土。
耕馬が導入されると、プラウで耕起、ハローで砕土、カルチベーターで除草した。 -
耕起
プラウを馬に牽かせた。荒地用の新墾、再墾、心土用、傾斜地用(ヒルサイド)などに細分される。 -
砕土
初期の方形から円盤(ディスク)、馬鍬(水田用)、鬼ハロー(写真)などが派生。 -
播種機
長らく人力で、明治末期には水稲直播機やプランター(点播機。豆用(写真)とコーン用が普及)が使用された。 -
同じ時期に欧米では、畜力の播種機が主流だった。
写真は、昭和初期に導入されたグレンドリル(条播機:麦用)北米式2頭牽き21条型。21条=一度に21列分の種を播ける -
中耕・除草(カルチベーター)
写真は、3畦式の畜力カルチベーター(S.30s)。爪のようなもので浅く掘り返すと同時に除草も行う。 -
畜力噴霧器(昭和初期)
農薬散布に用いられた。 -
収穫
稲・麦・豆類は、昭和30年代後半まで手刈りが一般で、一部の大農場で畜力機が導入されるにとどまった。豆類はビーンカッターといった具合。
写真は昭和初期に導入されたリーバー(麦用)。 -
畜力ポテトスピンナー(S.20s)
ジャガイモを掘り起こして収穫した。 -
機械動力
機械化は耕運機(トラクター)から始まった。写真は、昭和初期のものでアメリカ・マッコーミック社製20馬力。 -
国産化
国産の機械化は軽トラクターから始まる。昭和22年にクボタが手押し式をリリース、翌年にはシバウラ、三菱、ヤンマーも発売開始。乗用は昭和29年のシバウラが初で、3輪だった。大型トラクターは依然、輸入物だった。 -
写真は、昭和29年製の乗用ガーデントラクター(シバウラ・6馬力)。
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ホイールトラクター(昭和30年代・クボタ・15馬力)
同時期のマコーミック社製が52馬力なのを考えると、まだまだ力が弱いです。昭和初期に輸入したものよりも馬力が小さいです。 -
北海道の農業機械の一般普及
昭和35年以降、耕運機から始まった。高度成長期には大型化及び、耕起から収穫まで各種農業機械で行うことが普及した。 -
旧田村家蚕種製造所(1905・M38)
養蚕用の蚕の種(卵)を生産する施設。
一年中室内温度を一定にするような工夫が施されている。 -
春先の気候が適していることと野桑が多いことから、開拓使は養蚕を推奨した。空知支庁で盛んだった。
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5月末まで暖房が必要だったが、高温多湿な内地で深刻な蚕病対策としては有利に働いた。開拓が進むにつれて野桑が減り、植え付けも進まなかったので衰退した。札幌でも盛んで、札幌駅の隣りの桑園駅の名前は、その名残。
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給桑
桑の葉を包丁で短冊状に刻んで蚕に与えた。桑の葉は乾燥を防ぐために、濡れた布をかぶせて保管した。 -
蚕棚
食べ残しや糞を毎日取り除く必要があった。孵化から30日すると、繭を作り始める。 -
筵
蚕が繭を作りやすいように設置する。 -
繰糸
生糸をとるには、鉄鍋で煮て、箒で糸口を集め、足踏み動力で糸を巻いた。 -
種繭の選別
通常だと上記の工程だが、子供を産む蛾を採取する際は、繭を作った7日目に選別作業する。雄雌鑑別器に繭を載せる。分銅の基準は雄の重量。雌は雄よりも重いので、沈む。 -
割愛
雄と雌を交尾させる。通常は数時間かかるが、受精が終わる時点(30-60分後)に無理やり引き離す。これが割愛たる所以。理由は、交尾が長引くと疲労し産卵不良に繋がるから。 -
産卵紙
受精済みの雌を産卵櫃に入れる。しばらくすると産卵する。
産卵後は枠を外し、再び交尾させる。 -
通常の産卵紙は雌1羽分で、番号が振られる。
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小乳鉢
卵の出荷前に親蛾を潰して、病菌検査を行う。
蛹を扱う時点から、道具を含めて毎回殺菌消毒し、細心の注意を払っている。 -
産卵紙は円筒に入れて郵送した。右端に写っているのは箱型のもの。
養蚕は各段階で、厳密に温度や時間が管理され、最大限の効果を上げるように配慮されます。低温や薬品漬けによって、孵化のタイミングをコントロールしたりもします。 -
造材飯場
林業は北海道で大いに発展した。写真は、宮内省平造材部の作業員が、山中の現場で寝泊まりした飯場。 -
北海道の造材作業は冬山で行われた。請け負った作業は1年程で終わり、飯場は用を終える。防寒対策で窓はない。
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これらは森林鉄道で運ばれました。
レールの幅が狭い軽便鉄道です。 -
札幌拓殖(旧五十嵐)倉庫
木骨石造。工期が短縮され、耐火耐久防寒性に優れる。
壁石には軟石が用いられた。 -
物品を倉庫に預かり、保管料を徴収することは、明治10年ごろに専業化し始めた。物資の集散地として函館小樽などの港で栄え、札幌旭川北見などの内陸部にも発展した。
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札幌では明治30年代に倉庫業が誕生。運送の主役は鉄道のために、札幌駅周辺に建てられた。札幌倉庫・北海倉庫・五十嵐倉庫が三大倉庫とされた。
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倉荷証券(S14-18)
昆布、鱈、鯖といった北海道らしい品目が並びます。 -
軟石の産地
火山活動が関係している石です。火砕流が凝結したものです。 -
札幌軟石
4万年前の支笏湖の噴火によるもので、札幌近郊の建築物に用いられます。現在も石切り場が残ります。 -
小樽軟石
小樽近郊のものの総称。古い海底火山の産物。 -
おまけ
メンテナンス中の旧小樽銀行。
この建物は恵まれています。予算が不足していて、歴史的建造物のメンテナンスが追いついていないのが現状です。
特に、木造建築の2階部分のほとんどが立ち入り禁止になっているのは、補修工事の予算不足で問題個所を放置したままだからです。旧小川家住宅の2階部分のように崩壊という結末にならないようにと願います。
運営資金の足しにと寄付箱が設置されています。先人の汗と血の足跡を次世代へ伝承する現場の痛切な現実にも触れる旅でした。
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