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飯梨川右岸、月山山頂(標高183.9m)に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複郭式山城。<br />攻め口(登城口)は、菅谷口・御子守口(大手口)・塩谷口の3方面。下段の曲輪が落ちても中段の山中御殿で防ぎ、中段の曲輪が落ちても月山山頂の主郭に登って防ぐ難攻不落の山城。<br /><br />戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となる。また、艱難辛苦に耐える悲運の武将山中鹿介幸の出た城。<br /><br />遺構は、曲輪・石垣・土塁・堀・井戸で、花ノ檀に主屋と侍所が復元されている。<br /><br /><br /><br />

島根県の城跡巡り:月山富田城跡。尼子氏の本拠、難攻不落の複郭式山城

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2022/08/12 - 2022/08/12

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TTukomi

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2022/08/12

  • イエローバス市民病院前バス停

  • イエローバス市民病院前バス停

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飯梨川右岸、月山山頂(標高183.9m)に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複郭式山城。
攻め口(登城口)は、菅谷口・御子守口(大手口)・塩谷口の3方面。下段の曲輪が落ちても中段の山中御殿で防ぎ、中段の曲輪が落ちても月山山頂の主郭に登って防ぐ難攻不落の山城。

戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となる。また、艱難辛苦に耐える悲運の武将山中鹿介幸の出た城。

遺構は、曲輪・石垣・土塁・堀・井戸で、花ノ檀に主屋と侍所が復元されている。



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  • イエローバス、市立病院前バス停下車。<br />公共交通機関での、最寄りのバス停は「道の駅広瀬・富田城」前にある月山入口バス停だが、経由するバスの運行本数は少ない。<br />

    イエローバス、市立病院前バス停下車。
    公共交通機関での、最寄りのバス停は「道の駅広瀬・富田城」前にある月山入口バス停だが、経由するバスの運行本数は少ない。

  • イエローバス。<br />イエローバス(安来市広域生活バス)は、島根県安来市が運行するコミュニティバス。運賃は200円。

    イエローバス。
    イエローバス(安来市広域生活バス)は、島根県安来市が運行するコミュニティバス。運賃は200円。

  • 安来市立病院。<br />安来市立病院から、月山富田城跡の登り口のある「道の駅広瀬・富田城」まで徒歩10分程。<br />

    安来市立病院。
    安来市立病院から、月山富田城跡の登り口のある「道の駅広瀬・富田城」まで徒歩10分程。

  • 三日月公園。<br />富田城跡と飯梨川対岸にある川岸の公園。<br />三日月公園内、広瀬・富田地区案内マップ。

    三日月公園。
    富田城跡と飯梨川対岸にある川岸の公園。
    三日月公園内、広瀬・富田地区案内マップ。

  • 三日月公園より、月山富田城跡遠望。<br />対岸は、道の駅広瀬・富田城(広瀬絣センター)。

    三日月公園より、月山富田城跡遠望。
    対岸は、道の駅広瀬・富田城(広瀬絣センター)。

  • 三日月公園内に建つ、尼子経久像。

    三日月公園内に建つ、尼子経久像。

  • 三日月公園より富田橋を渡る。<br />飯梨川に架かる富田橋より、月山富田城跡遠望。

    三日月公園より富田橋を渡る。
    飯梨川に架かる富田橋より、月山富田城跡遠望。

  • 富田橋を渡ると、巖倉寺の赤門が建つ。<br />富田城の入口の一つ、御子守口にあたる。

    富田橋を渡ると、巖倉寺の赤門が建つ。
    富田城の入口の一つ、御子守口にあたる。

  • 富田城跡案内板。

    富田城跡案内板。

  • 道の駅広瀬・富田城にある、史跡富田城跡碑。<br /><br />後方は乗馬馬場(曲輪跡)。

    道の駅広瀬・富田城にある、史跡富田城跡碑。

    後方は乗馬馬場(曲輪跡)。

  • 道の駅広瀬・富田城にある、史跡富田城跡案内図。<br /><br />道の駅~花ノ檀~中山御殿~本丸までは1.8km。<br />道の駅~巖倉寺~中山御殿~本丸までは1.6km。<br />中山御殿手前に駐車場があるが、中山御殿~本丸まで急登の道なりを0.65km(駐車場~本丸まで約0.8km)。<br />本丸まではいずれにせよ徒歩。<br />

    道の駅広瀬・富田城にある、史跡富田城跡案内図。

    道の駅~花ノ檀~中山御殿~本丸までは1.8km。
    道の駅~巖倉寺~中山御殿~本丸までは1.6km。
    中山御殿手前に駐車場があるが、中山御殿~本丸まで急登の道なりを0.65km(駐車場~本丸まで約0.8km)。
    本丸まではいずれにせよ徒歩。

  • 道の駅の城跡登り口にある、塩冶興久の墓。<br />室町時代から戦国時代にかけての武将。京極氏の家臣で出雲国守護代。

    道の駅の城跡登り口にある、塩冶興久の墓。
    室町時代から戦国時代にかけての武将。京極氏の家臣で出雲国守護代。

  • 道の駅から登り坂(観光用に整備された道)、馬乗馬場(右)に到着。

    道の駅から登り坂(観光用に整備された道)、馬乗馬場(右)に到着。

  • 馬乗馬場。<br />北西に伸びる幅10~20m・長さ約140mの細長い曲輪。馬の調練所であったと伝えられてる。<br />馬乗馬場の突端には「お墓山」と呼ばれる場所があり、江戸時代松平広瀬藩9代藩主松平直諒の墓がある。

    馬乗馬場。
    北西に伸びる幅10~20m・長さ約140mの細長い曲輪。馬の調練所であったと伝えられてる。
    馬乗馬場の突端には「お墓山」と呼ばれる場所があり、江戸時代松平広瀬藩9代藩主松平直諒の墓がある。

  • 馬乗馬場からの眺め。<br />前方は千畳平、谷間の道は登ってきた道。

    馬乗馬場からの眺め。
    前方は千畳平、谷間の道は登ってきた道。

  • 馬乗馬場からの眺め。<br />飯梨川と新宮橋。

    馬乗馬場からの眺め。
    飯梨川と新宮橋。

  • 馬乗馬場からの眺め。<br />前方は、松平直諒の墓がある「お墓山」。

    馬乗馬場からの眺め。
    前方は、松平直諒の墓がある「お墓山」。

  • 馬乗馬場から千畳平へ。<br />千畳平からの眺め。<br />前方は馬乗馬場。

    馬乗馬場から千畳平へ。
    千畳平からの眺め。
    前方は馬乗馬場。

  • 千畳平にある尼子神社。<br />尼子一族の時代に栄えた広瀬の町のような繁栄をを願い、尼子十勇士が活躍した太鼓壇に明治時代に建てられる。

    千畳平にある尼子神社。
    尼子一族の時代に栄えた広瀬の町のような繁栄をを願い、尼子十勇士が活躍した太鼓壇に明治時代に建てられる。

  • 千畳平からの眺め。<br />前方は馬乗馬場、谷間には道の駅からの登って木次道がある。

    千畳平からの眺め。
    前方は馬乗馬場、谷間には道の駅からの登って木次道がある。

  • 千畳平。<br />石垣を組み上げて土砂で埋めた千畳平の大きな曲輪。兵士が勢ぞろいした場所と言われている。

    千畳平。
    石垣を組み上げて土砂で埋めた千畳平の大きな曲輪。兵士が勢ぞろいした場所と言われている。

  • 千畳平。

    千畳平。

  • 千畳平。<br />先端部は遺構の石垣。

    千畳平。
    先端部は遺構の石垣。

  • 千畳平からの眺め。<br />馬乗馬場を望む。

    千畳平からの眺め。
    馬乗馬場を望む。

  • 千畳平の石垣。

    千畳平の石垣。

  • 千畳平から太鼓檀へ。<br />太鼓檀。<br />尼子時代には太鼓を打ち鳴らし、通常時は時を告げ、非常時には家臣に合図を送り兵士たちを召集する場所であったと言われている。

    千畳平から太鼓檀へ。
    太鼓檀。
    尼子時代には太鼓を打ち鳴らし、通常時は時を告げ、非常時には家臣に合図を送り兵士たちを召集する場所であったと言われている。

  • 太鼓檀に建つ、山中鹿介幸像。 <br />尼子再興のため尽力した悲運の武将。<br /><br />三日月に「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と祈った逸話などから、戦前の教科書に国民教育の題材として採用された。

    太鼓檀に建つ、山中鹿介幸像。 
    尼子再興のため尽力した悲運の武将。

    三日月に「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と祈った逸話などから、戦前の教科書に国民教育の題材として採用された。

  • 太鼓檀から奥書院へ。<br />奥書院。<br />太鼓壇と花ノ壇の中間にある曲輪。書院造りの館があったと伝えられ、軍議や政務が行われたと考えられている。

    太鼓檀から奥書院へ。
    奥書院。
    太鼓壇と花ノ壇の中間にある曲輪。書院造りの館があったと伝えられ、軍議や政務が行われたと考えられている。

  • 奥書院から花ノ檀へ。<br />花ノ檀。<br />たくさんの花が植えられていたことから名付けられた。平成時代の発掘調査で掘立柱建物等の施設跡が発見された。<br />御子守口からの城内道を見渡せる場所にある。

    奥書院から花ノ檀へ。
    花ノ檀。
    たくさんの花が植えられていたことから名付けられた。平成時代の発掘調査で掘立柱建物等の施設跡が発見された。
    御子守口からの城内道を見渡せる場所にある。

  • 花ノ檀解説板。

    花ノ檀解説板。

  • 花ノ檀、復元された主屋と侍所。

    花ノ檀、復元された主屋と侍所。

  • 花ノ檀に、復元された建物内部。

    花ノ檀に、復元された建物内部。

  • 花ノ檀から山中御殿へ。<br />山中御殿石垣と月山山頂への七曲りと三の丸を望む。

    花ノ檀から山中御殿へ。
    山中御殿石垣と月山山頂への七曲りと三の丸を望む。

  • 花ノ檀から山中御殿へ。 <br />池と山中御殿石垣と月山山頂への七曲りと三の丸を望む。

    花ノ檀から山中御殿へ。
    池と山中御殿石垣と月山山頂への七曲りと三の丸を望む。

  • 中山御殿前の曲輪跡に立つ、富田城跡整備事業の看板。

    中山御殿前の曲輪跡に立つ、富田城跡整備事業の看板。

  • 山中御殿解説板。<br />月山山麓にある城主の居館があったとみられる場所で、周囲を大規模な石垣で囲まれた3000㎡あまりの広大な曲輪。3方面(菅谷口・御子守口(大手口)・塩谷口)からの登城口が合流する城内で最も重要な曲輪。

    山中御殿解説板。
    月山山麓にある城主の居館があったとみられる場所で、周囲を大規模な石垣で囲まれた3000㎡あまりの広大な曲輪。3方面(菅谷口・御子守口(大手口)・塩谷口)からの登城口が合流する城内で最も重要な曲輪。

  • 山中御殿、多聞櫓跡。

    山中御殿、多聞櫓跡。

  • 山中御殿、菅谷口門跡方向。<br />

    山中御殿、菅谷口門跡方向。

  • 山中御殿、七曲り方向。

    山中御殿、七曲り方向。

  • 山中御殿、菅谷口門跡の石垣。

    山中御殿、菅谷口門跡の石垣。

  • 山中御殿にある、史跡富田城跡案内図。

    山中御殿にある、史跡富田城跡案内図。

  • 山中御殿、月山山頂への七曲り入口の石垣。

    山中御殿、月山山頂への七曲り入口の石垣。

  • 山中御殿、塩谷口門跡。

    山中御殿、塩谷口門跡。

  • 山中御殿から七曲りを経て山頂の西袖ヶ平へ。<br />七曲り登り口からの眺め。<br />山中御殿全景。

    山中御殿から七曲りを経て山頂の西袖ヶ平へ。
    七曲り登り口からの眺め。
    山中御殿全景。

  • 七曲り、山中御殿から登ると直ぐにある。<br />堀尾のお家騒動を起こした堀尾河内守及びその子掃部の首を葬った墓。

    七曲り、山中御殿から登ると直ぐにある。
    堀尾のお家騒動を起こした堀尾河内守及びその子掃部の首を葬った墓。

  • 七曲りの途中にある、山吹井戸。

    七曲りの途中にある、山吹井戸。

  • 湧水の山吹井戸。

    湧水の山吹井戸。

  • 七曲り。<br />山中御殿から山頂への急登の道。七曲り以外に主郭部への道はない。道の所々には曲輪が設けられ、防御を固めていた。<br />七曲りと呼ばれるが、実際には11カ所の曲りがある。<br /> <br /> <br />

    七曲り。
    山中御殿から山頂への急登の道。七曲り以外に主郭部への道はない。道の所々には曲輪が設けられ、防御を固めていた。
    七曲りと呼ばれるが、実際には11カ所の曲りがある。
     

  • 七曲りを登り切ると三の丸段築石垣。

    七曲りを登り切ると三の丸段築石垣。

  • 三の丸段築石垣。

    三の丸段築石垣。

  • 西袖ヶ平。<br />七曲りを登り切った右手、三の丸手前にある曲輪。

    西袖ヶ平。
    七曲りを登り切った右手、三の丸手前にある曲輪。

  • 西袖ヶ平からの眺め。<br />直下は山中御殿。

    西袖ヶ平からの眺め。
    直下は山中御殿。

  • 西袖ヶ平から三の丸を望む。

    西袖ヶ平から三の丸を望む。

  • 西袖ヶ平から三の丸へ。<br />西袖ヶ平から三の丸への階段。

    西袖ヶ平から三の丸へ。
    西袖ヶ平から三の丸への階段。

  • 三の丸から二の丸を望む。

    三の丸から二の丸を望む。

  • 三の丸からの眺め。<br />西袖ヶ平と広瀬の町並み。

    三の丸からの眺め。
    西袖ヶ平と広瀬の町並み。

  • 三の丸からの眺め。<br />西袖ヶ平と広瀬の町並み。

    三の丸からの眺め。
    西袖ヶ平と広瀬の町並み。

  • 三の丸からの眺め。<br />七曲りと中山御殿と花ノ檀。

    三の丸からの眺め。
    七曲りと中山御殿と花ノ檀。

  • 三の丸からの眺め。<br />安来市街地方向。<br />能義平野や中海・島根半島・日本海を望むことができる。

    三の丸からの眺め。
    安来市街地方向。
    能義平野や中海・島根半島・日本海を望むことができる。

  • 三の丸。<br />七曲りを登ると最初にある曲輪が三の丸。幅約30m・長さ約80m。段築石垣が築れ石段を登ったところには門のあったと思われる礎石が残っている。<br />三角点や勝日高守神社の鳥居・井戸跡が2カ所ある。

    三の丸。
    七曲りを登ると最初にある曲輪が三の丸。幅約30m・長さ約80m。段築石垣が築れ石段を登ったところには門のあったと思われる礎石が残っている。
    三角点や勝日高守神社の鳥居・井戸跡が2カ所ある。

  • 三の丸。

    三の丸。

  • 三の丸。

    三の丸。

  • 三の丸。<br />二の丸手前にある井戸跡。

    三の丸。
    二の丸手前にある井戸跡。

  • 二の丸より三の丸を望む。<br />左真下は井戸跡。

    二の丸より三の丸を望む。
    左真下は井戸跡。

  • 二の丸。<br />幅約30m・長さ約30mの曲輪。

    二の丸。
    幅約30m・長さ約30mの曲輪。

  • 二の丸からの眺め。<br />安来市街地方向。

    二の丸からの眺め。
    安来市街地方向。

  • 二の丸より本丸を望む。<br />二ノ丸と本丸の間の巨大な堀切は平成時代の発掘により復元された。

    二の丸より本丸を望む。
    二ノ丸と本丸の間の巨大な堀切は平成時代の発掘により復元された。

  • 二の丸より本丸との堀切を望む。

    二の丸より本丸との堀切を望む。

  • 二の丸石垣。

    二の丸石垣。

  • 堀切より二の丸石垣。

    堀切より二の丸石垣。

  • 二の丸と本丸の堀切。

    二の丸と本丸の堀切。

  • 二の丸と本丸の堀切。

    二の丸と本丸の堀切。

  • 本丸より二の丸と堀切を望む。

    本丸より二の丸と堀切を望む。

  • 本丸。<br />山頂部の最奥にある幅約20m・長さ約170mの曲輪。

    本丸。
    山頂部の最奥にある幅約20m・長さ約170mの曲輪。

  • 本丸に建つ山中鹿介幸盛記念碑。<br />山中鹿介幸盛記念碑は、明治期に建立。碑の文字は陸軍少佐熊谷宣篤、撰文は漢学者山口美道。両人とも島根県出身。

    本丸に建つ山中鹿介幸盛記念碑。
    山中鹿介幸盛記念碑は、明治期に建立。碑の文字は陸軍少佐熊谷宣篤、撰文は漢学者山口美道。両人とも島根県出身。

  • 本丸。

    本丸。

  • 本丸にある勝日高守神社。

    本丸にある勝日高守神社。

  • 勝日高守神社。<br />城内の守り神で、築城以前から所在したと伝えられている。

    勝日高守神社。
    城内の守り神で、築城以前から所在したと伝えられている。

  • 勝日高守神社より山頂先端部の眺め。

    勝日高守神社より山頂先端部の眺め。

  • 勝日高守神社より本丸全景の望む。

    勝日高守神社より本丸全景の望む。

  • 本丸からの眺め。<br />安来市街地方向。

    本丸からの眺め。
    安来市街地方向。

  • 本丸からの眺め。

    本丸からの眺め。

  • 山中御殿、塩谷口門跡。<br /><br />月山山頂部より中山御殿に戻り、中山御殿塩谷口門跡を通り大土塁へ。

    山中御殿、塩谷口門跡。

    月山山頂部より中山御殿に戻り、中山御殿塩谷口門跡を通り大土塁へ。

  • 大土塁。<br />大土塁中央は道路が造られて分断されている。この道沿いを進むと能楽平。その先は堀尾吉晴の墓のある巖倉寺。

    大土塁。
    大土塁中央は道路が造られて分断されている。この道沿いを進むと能楽平。その先は堀尾吉晴の墓のある巖倉寺。

  • 大土塁。<br />山中御殿の西側にある巨大な土塁。<br />高さ約7m・長さ約130m、外側の空堀は幅約10m・深さ5m以上にもなる山中御殿を守る防御施設。

    大土塁。
    山中御殿の西側にある巨大な土塁。
    高さ約7m・長さ約130m、外側の空堀は幅約10m・深さ5m以上にもなる山中御殿を守る防御施設。

  • 大土塁より山中御殿と月山山頂部の眺め。

    大土塁より山中御殿と月山山頂部の眺め。

  • 大土塁より巖倉寺へ。<br />

    大土塁より巖倉寺へ。

  • 堀尾吉晴の墓解説板。

    堀尾吉晴の墓解説板。

  • 巖倉寺にある堀尾吉晴の墓。<br /><br />堀尾吉晴は、1600年関ケ原の戦いの功績により、子の忠氏は浜松城12万石から出雲隠岐24万石の城主になり、共に富田城に入る。松江へ移城。松江城の完成を見届けて吉晴は没し、遺言により墓は富田城内にできた。

    巖倉寺にある堀尾吉晴の墓。

    堀尾吉晴は、1600年関ケ原の戦いの功績により、子の忠氏は浜松城12万石から出雲隠岐24万石の城主になり、共に富田城に入る。松江へ移城。松江城の完成を見届けて吉晴は没し、遺言により墓は富田城内にできた。

  • 巖倉寺本堂。

    巖倉寺本堂。

  • 巖倉寺山門。

    巖倉寺山門。

  • 巖倉寺からイエローバス市民病院前バス停に戻る。<br /><br />飯梨川に架かる新宮橋からの月山富田城跡遠望。

    巖倉寺からイエローバス市民病院前バス停に戻る。

    飯梨川に架かる新宮橋からの月山富田城跡遠望。

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