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2021年9月9日(木)のお昼前、この夏の青春18きっぷの最後の1回を利用して湖西線の唐崎駅に降り立つ。湖西線は京都の山科と滋賀の近江塩津との間、琵琶湖の西岸を走るJR西日本の路線。21駅、74.1kmを全線電化の複線で結んでいる。線名は琵琶湖の西岸の湖西地区を通っていることから名付けられた。<br /><br />大阪と北陸方面を結ぶ短絡線として1974年に開業。特急「雷鳥」や「サンダーバード」、「白鳥」に寝台特急の「トワイライトエクスプレス」、「日本海」、「つるぎ」などの優等列車も米原から北陸本線経由から変更された。現在は「サンダーバード」のみとなった。<br /><br />京都側はすべての列車が当初から京都駅以西まで乗り入れを行っているが、滋賀側は元々北陸本線が関西圏と異なる交流電化されていたため、近江塩津の1駅手前の永原で運転が分断されていた。しかし、敦賀から湖西線もしくは北陸本線経由での大阪方面への直通電車運行の要望が高まり、北陸本線と永原以北は2006年に直流化され、現在は両線を経由して敦賀までの直通運転が行われている。<br /><br />ほぼ全線が高架とトンネルで比良山地東麓からの比良おろしを受けやすく徐行運転や運休が発生し易いが、踏切もないので高速運転が可能で、「サンダーバード」や新快速は最高速度130km/hで走行している。<br /><br />唐崎駅は山科から2つ目の駅。1974年の湖西線開通と同時に開業。建設時の仮称は新滋賀里駅だったが、地理的に滋賀里地内でないことなどから古くから近江八景の「唐崎の夜雨」で知られる近くの唐崎の地名が採用された。<br /><br />島式ホーム1面2線を有する高架駅(下の写真1)。改札口は地上に1か所あり、改札口からホームへは階段とエレベーターがそれぞれ1本通じている。湖側の駅前にはからさきの泉がある(下の写真2)。1986年に造られた噴水。<br /><br />唐崎は滋賀県大津市の町名で市の中北部、琵琶湖西岸に位置する。大津京の時代からの地名で、滋賀郡に属し、韓崎・辛前・辛崎とも書かれた。大津京造営の際には信州などからの材木が荷揚げされ、万葉集では船を待つところとして詠まれており、当時から港の機能を持っていたことが窺える。平安時代には天皇の災厄を祓う七瀬祓所の一つとして重視された。<br /><br />明治以降、現在の唐崎にあたる区域の大半は下阪本村に属し、1951年(昭和26年)に大津市へ合併にされた。町名としての唐崎が定められたのは1979年で、現在は一丁目から四丁目がある。<br /><br />なお、滋賀県については以前の信楽の旅行記に書いたので、そちらを参考の事。<br />https://4travel.jp/travelogue/11659384<br /><br />駅から南東に5分余り歩き、旧国道161号線の滋賀県道558号の唐崎1丁目の交差点から北東に分岐する道、旧西近江路(北国海道)の東側に日吉神社神馬仮屋地と刻まれた碑が建っている。坂本にある日吉大社の山王祭の神馬が繋がれた場所で、江戸時代にはこの場所に山王一の鳥居があった。<br /><br />江戸時代の山王祭では神はこの湖岸で「粟津の御供」を受け、神輿から神庭に乗り換えて日吉神社に帰還された。なお、日吉はかつては「ひえ」と読んだが、戦後は「ひよし」を正式な読みとしている。<br /><br />仮屋地の少し先(北)で三差路を右に折れると、突き当り、湖の畔に唐崎神社がある。日吉大社の摂社の一つで、古墳時代の持統天皇11年(697年)に創建されたと伝えられる。<br /><br />唐崎と云う地名は日吉大社の社伝によれば、それに64年遡る舒明天皇6年(633年)に、後に日吉大社で代々神職を務めた家の先祖である琴御館(ことのみたち)宇志丸宿禰(うしまろのすくね)がこの地に居住し名付けたと云う。唐崎神社の祭神はその宇志丸宿禰の妻、女別当命(わけすきひめのみこと)。<br /><br />湖に向けて歩くと赤い鳥居があり、奥に拝殿、本殿が並ぶ。右手には手水舎と社務所。手水舎の裏などに「戦国に笑う」のパネルがあるが、これは大津市出身でびわ湖大津ふるさと観光大使にも任命されているマンガ家の唐々煙(からからけむり)と大津市・甲賀市・近江八幡市・愛荘町・長浜市がコラボレートした観光キャンペーンで、2020年11月から2021年2月に行われたものの第2弾で、2021年8月から12月終わりまで行われた。全然知らなかったが、彼の「煉獄に笑う」と云う作品は琵琶湖を舞台に石田三成を主人公に描かれているそうだ。<br /><br />拝殿の左手には「渓川の水草清し見てをゆけ 日吉のみやしろ詣でがてらに」と刻まれた歌碑があるが、江戸末期から明治初期に大津市に住んでいた歌人、服部春樹の歌(下の写真3)。<br /><br />社殿の右手裏、赤い柵に囲まれているのが宇志丸宿禰が植えたのに始まるとされる唐崎の松。初代の松は安土桃山時代の1581年に大風で倒れ、10年後に新旭町にあった近江新庄城主の新庄直忠が2代目の松を植えたが、その2代目も1921年(大正10年)に枯れ、現在のものは3代目。なお、金沢市の兼六園にある唐崎の松はこの地から分けられたもの。<br /><br />松の横には松尾芭蕉の「辛崎の松は花より朧にて」の句碑が建つ(下の写真4)。出典は江戸中期の1698年に板行された「野ざらし紀行」。1684年から翌年に掛けて、42歳の芭蕉が江戸から伊賀に帰郷し、吉野から山城、さらに美濃に終わりを回った際の創作集。この句は京から水口に向かう途中に詠んだもので、「湖水の眺望」と前書きがある。<br /><br />唐崎の松の古木に夜の雨が降り注ぐ情景は近江八景の一つに選ばれており、歌川広重の浮世絵などで有名。なお、広重は生涯で20種類あまりの近江八景シリーズを手掛けているが、江戸末期の1834年に刊行された横長の保永堂版の、薄墨を基調に松の老木を描いた唐崎夜雨は広重の代表的な作品になっている。<br /><br />ちなみに、三井寺(園城寺)の項でも書いたが、近江八景は石山秋月、勢多夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、三井晩鐘、唐崎夜雨、堅田落雁と比良暮雪の8ヶ所。江戸初期に寛永の三筆の一人と呼ばれた公卿の近衛信尹(のぶただ)によって紹介されたものとする説が有力。<br /><br />唐崎の松の奥に唐崎夜雨の碑が建ち、魚栄版などではバックに描かれている対岸の近江富士(三上山)を眺めることが出来る。なお、この碑は七瀬祓所の址の碑も兼ねている。七瀬祓は上にも書いたが、平安時代に宮中で行われた陰陽道の祓の一つ。天皇の災禍を負わせた人形((ひとがた)を7か所の瀬へ7人の勅使が持って行って流した行事。<br /><br />12時頃、唐崎神社から旧西近江路を少し北に進むと県道558号に合流する前に唐崎苑と云う県営の湖岸緑地がある。1935年(昭和10年)にオランダ人が、別荘を建てたところで、戦後の1954年に同志社大学唐崎ハウスとなり、1995年に県立公園となった。京都の城南宮の庭を作庭した国際的造園家 中根金作の最後の庭。<br /><br />入ってないが、園内には柿本人麻呂、舎人吉年、但馬皇女の万葉歌碑がある。駐車場にトイレや東屋もあり、琵琶湖の風景を楽しみながらゆっくりできる。立札によるとこの辺りは鎌倉時代末の1331年の元弘の役で比叡山に籠る後醍醐天皇軍と鎌倉幕府の六波羅軍が衝突したところで、湖上から矢を放って後醍醐天皇軍が六波羅軍を撃退したそうだ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8139006389502647&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />坂本へ歩くが続く

滋賀 大津 唐崎(Karasaki,Otsu,Shiga,Japan)

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2021/09/09 - 2021/09/09

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旅行記グループ 湖西

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年9月9日(木)のお昼前、この夏の青春18きっぷの最後の1回を利用して湖西線の唐崎駅に降り立つ。湖西線は京都の山科と滋賀の近江塩津との間、琵琶湖の西岸を走るJR西日本の路線。21駅、74.1kmを全線電化の複線で結んでいる。線名は琵琶湖の西岸の湖西地区を通っていることから名付けられた。

大阪と北陸方面を結ぶ短絡線として1974年に開業。特急「雷鳥」や「サンダーバード」、「白鳥」に寝台特急の「トワイライトエクスプレス」、「日本海」、「つるぎ」などの優等列車も米原から北陸本線経由から変更された。現在は「サンダーバード」のみとなった。

京都側はすべての列車が当初から京都駅以西まで乗り入れを行っているが、滋賀側は元々北陸本線が関西圏と異なる交流電化されていたため、近江塩津の1駅手前の永原で運転が分断されていた。しかし、敦賀から湖西線もしくは北陸本線経由での大阪方面への直通電車運行の要望が高まり、北陸本線と永原以北は2006年に直流化され、現在は両線を経由して敦賀までの直通運転が行われている。

ほぼ全線が高架とトンネルで比良山地東麓からの比良おろしを受けやすく徐行運転や運休が発生し易いが、踏切もないので高速運転が可能で、「サンダーバード」や新快速は最高速度130km/hで走行している。

唐崎駅は山科から2つ目の駅。1974年の湖西線開通と同時に開業。建設時の仮称は新滋賀里駅だったが、地理的に滋賀里地内でないことなどから古くから近江八景の「唐崎の夜雨」で知られる近くの唐崎の地名が採用された。

島式ホーム1面2線を有する高架駅(下の写真1)。改札口は地上に1か所あり、改札口からホームへは階段とエレベーターがそれぞれ1本通じている。湖側の駅前にはからさきの泉がある(下の写真2)。1986年に造られた噴水。

唐崎は滋賀県大津市の町名で市の中北部、琵琶湖西岸に位置する。大津京の時代からの地名で、滋賀郡に属し、韓崎・辛前・辛崎とも書かれた。大津京造営の際には信州などからの材木が荷揚げされ、万葉集では船を待つところとして詠まれており、当時から港の機能を持っていたことが窺える。平安時代には天皇の災厄を祓う七瀬祓所の一つとして重視された。

明治以降、現在の唐崎にあたる区域の大半は下阪本村に属し、1951年(昭和26年)に大津市へ合併にされた。町名としての唐崎が定められたのは1979年で、現在は一丁目から四丁目がある。

なお、滋賀県については以前の信楽の旅行記に書いたので、そちらを参考の事。
https://4travel.jp/travelogue/11659384

駅から南東に5分余り歩き、旧国道161号線の滋賀県道558号の唐崎1丁目の交差点から北東に分岐する道、旧西近江路(北国海道)の東側に日吉神社神馬仮屋地と刻まれた碑が建っている。坂本にある日吉大社の山王祭の神馬が繋がれた場所で、江戸時代にはこの場所に山王一の鳥居があった。

江戸時代の山王祭では神はこの湖岸で「粟津の御供」を受け、神輿から神庭に乗り換えて日吉神社に帰還された。なお、日吉はかつては「ひえ」と読んだが、戦後は「ひよし」を正式な読みとしている。

仮屋地の少し先(北)で三差路を右に折れると、突き当り、湖の畔に唐崎神社がある。日吉大社の摂社の一つで、古墳時代の持統天皇11年(697年)に創建されたと伝えられる。

唐崎と云う地名は日吉大社の社伝によれば、それに64年遡る舒明天皇6年(633年)に、後に日吉大社で代々神職を務めた家の先祖である琴御館(ことのみたち)宇志丸宿禰(うしまろのすくね)がこの地に居住し名付けたと云う。唐崎神社の祭神はその宇志丸宿禰の妻、女別当命(わけすきひめのみこと)。

湖に向けて歩くと赤い鳥居があり、奥に拝殿、本殿が並ぶ。右手には手水舎と社務所。手水舎の裏などに「戦国に笑う」のパネルがあるが、これは大津市出身でびわ湖大津ふるさと観光大使にも任命されているマンガ家の唐々煙(からからけむり)と大津市・甲賀市・近江八幡市・愛荘町・長浜市がコラボレートした観光キャンペーンで、2020年11月から2021年2月に行われたものの第2弾で、2021年8月から12月終わりまで行われた。全然知らなかったが、彼の「煉獄に笑う」と云う作品は琵琶湖を舞台に石田三成を主人公に描かれているそうだ。

拝殿の左手には「渓川の水草清し見てをゆけ 日吉のみやしろ詣でがてらに」と刻まれた歌碑があるが、江戸末期から明治初期に大津市に住んでいた歌人、服部春樹の歌(下の写真3)。

社殿の右手裏、赤い柵に囲まれているのが宇志丸宿禰が植えたのに始まるとされる唐崎の松。初代の松は安土桃山時代の1581年に大風で倒れ、10年後に新旭町にあった近江新庄城主の新庄直忠が2代目の松を植えたが、その2代目も1921年(大正10年)に枯れ、現在のものは3代目。なお、金沢市の兼六園にある唐崎の松はこの地から分けられたもの。

松の横には松尾芭蕉の「辛崎の松は花より朧にて」の句碑が建つ(下の写真4)。出典は江戸中期の1698年に板行された「野ざらし紀行」。1684年から翌年に掛けて、42歳の芭蕉が江戸から伊賀に帰郷し、吉野から山城、さらに美濃に終わりを回った際の創作集。この句は京から水口に向かう途中に詠んだもので、「湖水の眺望」と前書きがある。

唐崎の松の古木に夜の雨が降り注ぐ情景は近江八景の一つに選ばれており、歌川広重の浮世絵などで有名。なお、広重は生涯で20種類あまりの近江八景シリーズを手掛けているが、江戸末期の1834年に刊行された横長の保永堂版の、薄墨を基調に松の老木を描いた唐崎夜雨は広重の代表的な作品になっている。

ちなみに、三井寺(園城寺)の項でも書いたが、近江八景は石山秋月、勢多夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、三井晩鐘、唐崎夜雨、堅田落雁と比良暮雪の8ヶ所。江戸初期に寛永の三筆の一人と呼ばれた公卿の近衛信尹(のぶただ)によって紹介されたものとする説が有力。

唐崎の松の奥に唐崎夜雨の碑が建ち、魚栄版などではバックに描かれている対岸の近江富士(三上山)を眺めることが出来る。なお、この碑は七瀬祓所の址の碑も兼ねている。七瀬祓は上にも書いたが、平安時代に宮中で行われた陰陽道の祓の一つ。天皇の災禍を負わせた人形((ひとがた)を7か所の瀬へ7人の勅使が持って行って流した行事。

12時頃、唐崎神社から旧西近江路を少し北に進むと県道558号に合流する前に唐崎苑と云う県営の湖岸緑地がある。1935年(昭和10年)にオランダ人が、別荘を建てたところで、戦後の1954年に同志社大学唐崎ハウスとなり、1995年に県立公園となった。京都の城南宮の庭を作庭した国際的造園家 中根金作の最後の庭。

入ってないが、園内には柿本人麻呂、舎人吉年、但馬皇女の万葉歌碑がある。駐車場にトイレや東屋もあり、琵琶湖の風景を楽しみながらゆっくりできる。立札によるとこの辺りは鎌倉時代末の1331年の元弘の役で比叡山に籠る後醍醐天皇軍と鎌倉幕府の六波羅軍が衝突したところで、湖上から矢を放って後醍醐天皇軍が六波羅軍を撃退したそうだ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8139006389502647&type=1&l=223fe1adec


坂本へ歩くが続く

  • 写真1 唐崎駅

    写真1 唐崎駅

  • 写真2 からさきの泉

    写真2 からさきの泉

  • 写真3 服部春樹の歌碑

    写真3 服部春樹の歌碑

  • 写真4 松尾芭蕉の句碑

    写真4 松尾芭蕉の句碑

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