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2021年9月9日(木)2時前、近江高島、かつて大溝城の外堀としても使われた乙女が池の真ん中に架かる太鼓橋の東側の打下(うちおろし)集落へ。<br /><br />太鼓橋の東詰には日吉神社御旅所がある。日吉神社の春の例大祭である大溝祭で地区内を巡幸する御神輿と屋台の目的地なのだが、ややこしいことに近江高島には日吉神社が2社あり、この太鼓橋東詰の御旅所は、ここから約500m南にある(打下)日吉神社の御旅所。もう一つの日吉神社(近江高島駅の西の山の中腹)の御旅所も約150m北にある。<br /><br />乙女が池の東側、琵琶湖との間の砂州上には大溝城築城時に整えられた打下(うちおろし)集落がある。平時には水運や漁労に携わり、戦時には水軍に転換する集団が配置された。明治以降、打下を取り巻く交通事情は変化してきたが、旧街道沿いに列村形態を成す集落構造は現在も継承されている。道筋には山王大権現常夜燈の石碑が建つが、常夜燈自体はない(下の写真)。山王大権現は日吉大社に祀られている神様。<br /><br />家の表側は道を挟んですぐ琵琶湖で、高波・浸水防止のための石垣を築き、所々に切れ目を設けて琵琶湖へ下りる通路としている。浜にはハシもしくはハシイタと呼ばれる桟橋をかけ、洗い場として利用していた。<br /><br />家の裏側には内湖があり、各戸、舟を停留し、対岸の田んぼまで舟で行き来していた。内湖は農業排水や生活排水が流れ込むため、栄養が豊富で水草が育つのに適しており、刈った水草は田んぼの肥料にしていた。また、農具など汚れたものを洗う洗い場としても機能しており、食器や野菜などを洗う琵琶湖側の洗い場とうまく使い分けを行っていたようだ。<br /><br />打下集落を南に進むと、乙女が池の南端の少し先に最勝寺がある。室町時代の1471年創建の湖西の古刹。真宗大谷派に属する寺院で、山号は琶湖山(はこざん)。本願寺中興の祖である蓮如上人が、越前の吉崎御坊へ向かう途次、この辺りの浜から乗船、その折りにこの寺の建立を指示したと伝えられている。<br /><br />最勝寺の裏(西)側、乙女が池の西岸に続く農道があるが、これは1969年に廃止された江若鉄道の路線跡。江若鉄道は近江と若狭とを結ぶ目的で設立され、1921年(大正10年)に三井寺下・叡山間が開通、10年後の1931年(昭和6年)に浜大津・近江今津間51kmが全通した。若狭まで伸びることはなかった。全線単線で非電化だった。1974年に開通した湖西線に譲る形で廃止された。<br /><br />この路線跡が旧街道に合流する手前(北)の山側にあるのが日吉神社。太鼓橋東詰に御旅所があった神社で、もう一つの日吉神社と区別するために打下日吉神社とも呼ばれる。大津・坂本の日吉大社を総本宮としている。<br /><br />創建年代等不詳だが、平安時代の849年、あるいは852年とも云われてもいる。戦国時代に2回、浅井家の初代当主亮政(長政の祖父)と織田信長により焼失している。現在の社殿の建立時期などは不明。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8177514372318515&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />白鬚神社に向かうが続く

滋賀 近江高島 打下集落(Uchioroshi Village,Omi-Takashima,Shiga,Japan)

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2021/09/09 - 2021/09/09

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旅行記グループ 湖西

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年9月9日(木)2時前、近江高島、かつて大溝城の外堀としても使われた乙女が池の真ん中に架かる太鼓橋の東側の打下(うちおろし)集落へ。

太鼓橋の東詰には日吉神社御旅所がある。日吉神社の春の例大祭である大溝祭で地区内を巡幸する御神輿と屋台の目的地なのだが、ややこしいことに近江高島には日吉神社が2社あり、この太鼓橋東詰の御旅所は、ここから約500m南にある(打下)日吉神社の御旅所。もう一つの日吉神社(近江高島駅の西の山の中腹)の御旅所も約150m北にある。

乙女が池の東側、琵琶湖との間の砂州上には大溝城築城時に整えられた打下(うちおろし)集落がある。平時には水運や漁労に携わり、戦時には水軍に転換する集団が配置された。明治以降、打下を取り巻く交通事情は変化してきたが、旧街道沿いに列村形態を成す集落構造は現在も継承されている。道筋には山王大権現常夜燈の石碑が建つが、常夜燈自体はない(下の写真)。山王大権現は日吉大社に祀られている神様。

家の表側は道を挟んですぐ琵琶湖で、高波・浸水防止のための石垣を築き、所々に切れ目を設けて琵琶湖へ下りる通路としている。浜にはハシもしくはハシイタと呼ばれる桟橋をかけ、洗い場として利用していた。

家の裏側には内湖があり、各戸、舟を停留し、対岸の田んぼまで舟で行き来していた。内湖は農業排水や生活排水が流れ込むため、栄養が豊富で水草が育つのに適しており、刈った水草は田んぼの肥料にしていた。また、農具など汚れたものを洗う洗い場としても機能しており、食器や野菜などを洗う琵琶湖側の洗い場とうまく使い分けを行っていたようだ。

打下集落を南に進むと、乙女が池の南端の少し先に最勝寺がある。室町時代の1471年創建の湖西の古刹。真宗大谷派に属する寺院で、山号は琶湖山(はこざん)。本願寺中興の祖である蓮如上人が、越前の吉崎御坊へ向かう途次、この辺りの浜から乗船、その折りにこの寺の建立を指示したと伝えられている。

最勝寺の裏(西)側、乙女が池の西岸に続く農道があるが、これは1969年に廃止された江若鉄道の路線跡。江若鉄道は近江と若狭とを結ぶ目的で設立され、1921年(大正10年)に三井寺下・叡山間が開通、10年後の1931年(昭和6年)に浜大津・近江今津間51kmが全通した。若狭まで伸びることはなかった。全線単線で非電化だった。1974年に開通した湖西線に譲る形で廃止された。

この路線跡が旧街道に合流する手前(北)の山側にあるのが日吉神社。太鼓橋東詰に御旅所があった神社で、もう一つの日吉神社と区別するために打下日吉神社とも呼ばれる。大津・坂本の日吉大社を総本宮としている。

創建年代等不詳だが、平安時代の849年、あるいは852年とも云われてもいる。戦国時代に2回、浅井家の初代当主亮政(長政の祖父)と織田信長により焼失している。現在の社殿の建立時期などは不明。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8177514372318515&type=1&l=223fe1adec


白鬚神社に向かうが続く

  • 山王大権現常夜燈の碑

    山王大権現常夜燈の碑

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