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2020年10月2日(金)、3月末に帰国してから半年を過ぎ、初めて車で観光に出掛けた。京田辺から国道307号線を東に走り、府県境を越えて滋賀県に入る。滋賀は3月末に帰国した時にも新幹線で通過したが、滋賀って最近は通過することは多いけど、目的地として入るのは久しぶり。たぶん約5年前に、会社の合宿で湖西に行って以来やな。元々就職して最初の職場は滋賀だったんだけどね。<br /><br />滋賀県はご存じのように琵琶湖を中心にした県。イメージ的には半分くらいが琵琶湖って思ってる人もいるかもしれないが、実際の面積比率は約16%でそこまで大きくないが、それでも約1/6って十分に広い。中心であることは間違いなく、地域も多くの場合、湖南、湖東、湖北、湖西に4区分される。<br /><br />現在の滋賀県は明治5年(1872年)に南部の旧滋賀県と北部の犬上県が合併して誕生した県で、名前は旧滋賀県のものを引き継いだ。旧滋賀県は明治になって設置された大津県がその年の初めに改称されたもので、県の役所が滋賀郡大津町に置かれていたことから変更された。滋賀の名前の由来は諸説あるが、「石の多いところ」を意味する石処(シカ)からという説が一番有力。滋賀県って石が多いんだ。滋賀県の事業所に通ってた期間、結構長かったんだけど、知らなかった。<br /><br />明治以前は近江と呼ばれ、東海道・中山道・北陸道が合流する陸上交通の要衝となり「近江を制する者は天下を制す」として度々戦乱の舞台となった。近江は「近つ淡海」に由来しており、これも琵琶湖から。ちなみに琵琶湖は、形が楽器の琵琶に似ているからで、江戸時代中期以降に呼び名として定着し、それ以前は都に近い淡水の海と云うことから近淡海(ちかつあふみ)だった。都から遠い遠淡海(とほつあふみ)は浜名湖のことで、その周辺も遠江(とおとうみ)となった。<br /><br />お昼頃信楽に到着。滋賀県甲賀(こうか)市にある町で、湖南地方に区分される。2004年に水口(みなくち)町、土山町、甲賀町、甲南町と合併して甲賀市となるまでは甲賀郡信楽町だった。信楽町が誕生したのは割と新しく昭和に入ってからの1930年、明治の町村制施行で誕生した長野町から改称された。長野町(誕生時は村)は長野村・江田村・神山村・田代村・畑村が合併して誕生し、1954年には雲井村・小原(こはら)村・朝宮村・多羅尾村を合併している。<br /><br />信楽の名前はシカマキから変化したもので、滋賀県の名前の由来にもなっているシカのマキ=牧=牛や馬の放牧地からではないかと云われるが、他にも説があり明確にはなってない。奈良時代の742年にこの辺りに造営された聖武天皇の離宮は紫香楽宮と記される(読みは同じシガラキ)。<br /><br />307号線から信楽の中心の長野地区で信楽駅に向かう道に右折し、すぐ先にある無料の観光駐車場に車を止め、歩いて観光開始。まず向かったのはその信楽駅。信楽焼で飾られた旭橋を渡って、5分ほどで到着。ちなみにこの橋で渡る大戸川(だいどがわ)は信楽南部の多羅尾地区から流れ出し、信楽北部の雲井地区から現在の第2名神沿いを西に向かい南郷洗堰の南で瀬田川に合流する全長38㎞の川。別名として田上川や信楽川とも呼ばれる。<br /><br />信楽駅はJR草津線貴生川駅からの信楽高原鐵道信楽線の終着駅。この線はもともとは昭和8年(1933年)に国鉄信楽線として開業したもので、1987年に第3セクターに転換して発足した。信楽線とあるが、この鉄道にはこの線しかない。<br /><br />全線非電化・単線で、現在はJR草津線との乗り入れはないが、かつては京都や草津、柘植からの直通定期列車もあった。1991年に大阪との間に臨時快速も走ったが、5月14日に正面衝突事故を起こし、42名の方が亡くなった。私は信楽はゴルフやテニスで行くところで、その時はいつも車なのでこの線に乗ったことはなかったのだが、かつてはJR草津線の起点にある事業所に通っていたので、インパクトあった事故だった。<br /><br />この駅は国鉄信楽線開業時からの駅で信楽線唯一の有人駅。対面式2面2線のホームを持つが、現在は駅舎側のホームのみ利用されている。駅の先も線路が続いており、終端は引き上げ線となっているが、元々はこの先京都府和束(わづか)町を抜けて、木津川市加茂町の関西本線の加茂駅まで延伸の計画があった。現在は307号線沿いにJR片町線の京田辺駅までを結び、信楽高原鐵道信楽線と近江鉄道本線を経てJR米原駅に達するびわこ京阪線構想があるが、実現性は乏しい。<br /><br />現在の駅舎は第3センター転換時の1987年に建てられたもの。中に入ると土産物などを売っており、切符売り場には信楽焼のテツコ駅長が立っている。駅前には高さ5.3mの信楽焼の巨大たぬき電話。季節によって浴衣姿になったり、セーラー服を着たりサンタクロースになったりするそうだ。この時はマスク姿。<br /><br />駅前の左手にあるまるいち本店の前には信楽焼の七福神が並び、信楽焼の象徴となっている狸の焼き物が表す八相縁起の説明が立つ。八相縁起とは以下のもの。<br />笠:思いがけない災難から身を守る笠<br />通い帳:世渡りには信用が第一<br />大きな目:何事も前後左右に気を配り正しく見つめる<br />大きなお腹:常に沈着冷静にしかし、決断には大胆さが必要<br />笑顔:常に愛想良く真を以て努める<br />金袋:金銭を自由自在に使える金運に恵まれるように<br />徳利:飲食には困らず、徳を持てるように努力せよ<br />太いしっぽ:物事の終わりは大きく、しっかりと身を立てることが幸福<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4687054278031226&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />先は長いので続く

滋賀 信楽駅(Shigaraki Station, Shiga, JP)

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2020/10/02 - 2020/10/02

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旅行記グループ 信楽

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年10月2日(金)、3月末に帰国してから半年を過ぎ、初めて車で観光に出掛けた。京田辺から国道307号線を東に走り、府県境を越えて滋賀県に入る。滋賀は3月末に帰国した時にも新幹線で通過したが、滋賀って最近は通過することは多いけど、目的地として入るのは久しぶり。たぶん約5年前に、会社の合宿で湖西に行って以来やな。元々就職して最初の職場は滋賀だったんだけどね。

滋賀県はご存じのように琵琶湖を中心にした県。イメージ的には半分くらいが琵琶湖って思ってる人もいるかもしれないが、実際の面積比率は約16%でそこまで大きくないが、それでも約1/6って十分に広い。中心であることは間違いなく、地域も多くの場合、湖南、湖東、湖北、湖西に4区分される。

現在の滋賀県は明治5年(1872年)に南部の旧滋賀県と北部の犬上県が合併して誕生した県で、名前は旧滋賀県のものを引き継いだ。旧滋賀県は明治になって設置された大津県がその年の初めに改称されたもので、県の役所が滋賀郡大津町に置かれていたことから変更された。滋賀の名前の由来は諸説あるが、「石の多いところ」を意味する石処(シカ)からという説が一番有力。滋賀県って石が多いんだ。滋賀県の事業所に通ってた期間、結構長かったんだけど、知らなかった。

明治以前は近江と呼ばれ、東海道・中山道・北陸道が合流する陸上交通の要衝となり「近江を制する者は天下を制す」として度々戦乱の舞台となった。近江は「近つ淡海」に由来しており、これも琵琶湖から。ちなみに琵琶湖は、形が楽器の琵琶に似ているからで、江戸時代中期以降に呼び名として定着し、それ以前は都に近い淡水の海と云うことから近淡海(ちかつあふみ)だった。都から遠い遠淡海(とほつあふみ)は浜名湖のことで、その周辺も遠江(とおとうみ)となった。

お昼頃信楽に到着。滋賀県甲賀(こうか)市にある町で、湖南地方に区分される。2004年に水口(みなくち)町、土山町、甲賀町、甲南町と合併して甲賀市となるまでは甲賀郡信楽町だった。信楽町が誕生したのは割と新しく昭和に入ってからの1930年、明治の町村制施行で誕生した長野町から改称された。長野町(誕生時は村)は長野村・江田村・神山村・田代村・畑村が合併して誕生し、1954年には雲井村・小原(こはら)村・朝宮村・多羅尾村を合併している。

信楽の名前はシカマキから変化したもので、滋賀県の名前の由来にもなっているシカのマキ=牧=牛や馬の放牧地からではないかと云われるが、他にも説があり明確にはなってない。奈良時代の742年にこの辺りに造営された聖武天皇の離宮は紫香楽宮と記される(読みは同じシガラキ)。

307号線から信楽の中心の長野地区で信楽駅に向かう道に右折し、すぐ先にある無料の観光駐車場に車を止め、歩いて観光開始。まず向かったのはその信楽駅。信楽焼で飾られた旭橋を渡って、5分ほどで到着。ちなみにこの橋で渡る大戸川(だいどがわ)は信楽南部の多羅尾地区から流れ出し、信楽北部の雲井地区から現在の第2名神沿いを西に向かい南郷洗堰の南で瀬田川に合流する全長38㎞の川。別名として田上川や信楽川とも呼ばれる。

信楽駅はJR草津線貴生川駅からの信楽高原鐵道信楽線の終着駅。この線はもともとは昭和8年(1933年)に国鉄信楽線として開業したもので、1987年に第3セクターに転換して発足した。信楽線とあるが、この鉄道にはこの線しかない。

全線非電化・単線で、現在はJR草津線との乗り入れはないが、かつては京都や草津、柘植からの直通定期列車もあった。1991年に大阪との間に臨時快速も走ったが、5月14日に正面衝突事故を起こし、42名の方が亡くなった。私は信楽はゴルフやテニスで行くところで、その時はいつも車なのでこの線に乗ったことはなかったのだが、かつてはJR草津線の起点にある事業所に通っていたので、インパクトあった事故だった。

この駅は国鉄信楽線開業時からの駅で信楽線唯一の有人駅。対面式2面2線のホームを持つが、現在は駅舎側のホームのみ利用されている。駅の先も線路が続いており、終端は引き上げ線となっているが、元々はこの先京都府和束(わづか)町を抜けて、木津川市加茂町の関西本線の加茂駅まで延伸の計画があった。現在は307号線沿いにJR片町線の京田辺駅までを結び、信楽高原鐵道信楽線と近江鉄道本線を経てJR米原駅に達するびわこ京阪線構想があるが、実現性は乏しい。

現在の駅舎は第3センター転換時の1987年に建てられたもの。中に入ると土産物などを売っており、切符売り場には信楽焼のテツコ駅長が立っている。駅前には高さ5.3mの信楽焼の巨大たぬき電話。季節によって浴衣姿になったり、セーラー服を着たりサンタクロースになったりするそうだ。この時はマスク姿。

駅前の左手にあるまるいち本店の前には信楽焼の七福神が並び、信楽焼の象徴となっている狸の焼き物が表す八相縁起の説明が立つ。八相縁起とは以下のもの。
笠:思いがけない災難から身を守る笠
通い帳:世渡りには信用が第一
大きな目:何事も前後左右に気を配り正しく見つめる
大きなお腹:常に沈着冷静にしかし、決断には大胆さが必要
笑顔:常に愛想良く真を以て努める
金袋:金銭を自由自在に使える金運に恵まれるように
徳利:飲食には困らず、徳を持てるように努力せよ
太いしっぽ:物事の終わりは大きく、しっかりと身を立てることが幸福
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4687054278031226&type=1&l=223fe1adec


先は長いので続く

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