2021/09/09 - 2021/09/09
203位(同エリア274件中)
ちふゆさん
2021年9月9日(木)3時20分頃、白髭神社から大溝城跡近くまで戻って来る。打下集落を北に通り抜けて、北西に方向を変える辺りに太湖汽船大溝港桟橋跡の碑(下の写真1)が建つ。右手に国道161号線の高架道路が走り、琵琶湖沿いの水上警察隊高島分駐所への道が分かれる先の電信柱と交通標識の間にあり分かり難い(下の写真2)。
太湖汽船は1882年(明治15年)に設立された琵琶湖航路を運営していた海運会社。1927年(昭和2年)に大津電車軌道(現在の京阪石山坂本線)などと合併し琵琶湖鉄道汽船と改称したが、さらに2年後の1929年に湖南汽船に現物出資され、2代目太湖汽船となった。この2代目太湖汽船は現在の琵琶湖汽船。
大溝港は初代太湖汽船の創業当時から大津と塩津を結ぶ西部航路の停泊地となり1日10往復以上あった。2代目太湖汽船時代も大津から長浜までの西廻り航路の停泊地だったが、徐々に便数が減り、多分戦争時に廃止されたままとなった。
この碑から道なりに北東方向にカーブしていくと、右手先の地元の創業160年の中村石材の石あかり展示場の一角に勝野町の石標が建つ(下の写真3)。勝野は672年の大津京滅亡の原因となった壬申の乱の戦いの一つの舞台となり、またその約100年後の764年の藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱では勝野の鬼江(現在の乙女ヶ池の辺り)で終焉を迎えている。
この石標の先で乙女が池と右手の大溝漁港を繋ぐ水路(昔の大溝城外堀)を越えた辺りからが当時の城下町(下の写真4)。大溝漁港がかつて太湖汽船が発着していた大溝港らしい。さっき通った桟橋跡の碑は港の入口辺りに建てられているようだ。
漁港の南側には長刀町の石標があるが、港になっている入り江が長刀(なぎなた)の穂先状に入り込んでいることから付いた町名。今は1軒、旅館が残るだけだが、かつては運送業者や旅籠が立ち並んで賑わったそうだ。
最初に寄った高島ふれあい交流広場から北に進み、城下町の町人地に進む。レトロモダンな建物が印象的な老舗の醸造酢会社のお酢やロールケーキを販売する淡海堂(おうみどう)(下の写真5)の前の三差路を西に入ると通りの中央に水路を通した町割り水路の通り。
町割り水路は城下町の町割りの整備によって作られた飲用・防火用の生活用水路。江戸時代に入封した分部光信が整備したもの。この通りは14軒の店があったので、十四軒町と呼ばれている。また、江戸時代の豪商で京都、江戸、盛岡に店舗を置いた小野組(江戸時代は井筒屋)の発祥の地で総本家があった。
勝安寺がある(下の写真6)角で、北に折れると中町通りで町割り水路が続く。町割り水路はこの中町通りと1本西の西町通り、さらにその西の石垣(いしかけ)に今も残るが、淡海堂があった本町通りにもあった(現在は埋設されている)(下の写真7)。
中町通りの一番北側にある総本家 喜多品老舗は江戸初期の1619年創業の鮒寿司の老舗。鮒寿司は滋賀名産のフナを用いたなれずし。独特の発酵臭があり、私はあまり好きではない。喜多品老舗大溝藩の料理方として伊勢国から移住して来たそうだ。琵琶湖産のニゴロ鮒と良質の近江米を、昔ながらの木桶仕込みにより、歳月をかけ、じっくり熟成させているそうで、買ってみたら良かったかしら・・・
喜多品老舗の先を真っ直ぐ北に進むと90度右に折れ、本町通りに向かうが、紺屋(こや)町の石標がある。この辺りに紺染屋があったそうだ。
本町通りに出て、南に戻って行くとすぐに背の高い蔵があるが、日吉神社の春の例祭である大溝祭で曳かれる5基の曳山のひとつ寶(宝)組山蔵。本町通りにはさらに南に進んで行くともう一つ巴組山蔵もある。他の3つは、一つは先ほど通って来た中町通りに龍組山蔵、本町通りをもうしばらく北に進んだところに勇組山蔵、城下町の入口だった長刀町に湊組山蔵。
寶組山蔵のそばに、北国街道と京大津道の道標が建つが、元々は西近江路の西側にあったとある。それがどこかは不明。1888年(明治21年)に建てられたもの。その少し南の反対側にある高島陣舎は古民家をリノベーションした一棟貸しの宿で、1階にはレンタサイクルショップや、カフェスペースがある。
その先、南に進むと右側に萩乃露の看板が掛かる造り酒屋。福井弥平商店は江戸中期創業で、260年以上この地で酒造りを続けている。「萩乃露」の名は創業当時の藩主から勝野が浜に群生する萩にちなんで命名を賜ったと伝えられている。少し南の福井市之進商店でも購入可能。
福井市之進商店の周りに広がるのが高島びれっじ。油商を営んでいた築150年の旧商家を商工会の有志が手づくりで改修したもので、1号館から8号館まである。2号館のセントラルベーカリーの横を奥に入ったところにある大きな石の水車「石輪」は勝野町にあった中村石材が施工したもので日本一大きな石製水車。石輪がある奥は石輪の庭で、奥の蔵は8号館でカフェになっている。
道の反対側、1号館と7号館の間を奥に入って、6号館の高島ワニカフェで一休み。地元農家のオーガニック野菜を使った料理が売りだが、時間が時間なんで600円のコーヒーフロートで一息付く。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8190967844306501&type=1&l=223fe1adec
4時15分頃、本町通りを戻って来て大溝港口を右手、山側に折れる。この道が武家屋敷の北の端で、北側は職人が集まっていたので職人町と呼ばれる(下の写真8)。南側に大溝陣屋。江戸時代に入って入封した分部光信が構えたもので、総門と呼ばれる長屋門が現存しており、武家屋敷地への出入り口の正門であったと考えられている。
江戸中期、1755年の大改修を経て、近年まで民家として使われていたが、現在は高島市が買い上げ、高島市の有形文化財にも指定されている。棟瓦には丸の内に三引の分部氏の常紋があり、両袖に部屋のある長屋門は、大溝城下町で唯一残る遺構。
帰りの電車の時間が迫って来たので、そのまま東に流泉寺(下の写真9)まで進み、駅に戻る。十四軒町の勝安寺もこの流泉寺も大溝城城下の町作りに伴って近辺の村からの移住によって始められた寺とのこと。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8190951194308166&type=1&l=223fe1adec
16時20分の新快速、ギリギリだった。1本逃すと京都着が1時間変わるんだよなあ・・・。結構回るのに時間が掛かったので、駅の北側にある笠井家武家屋敷やタチアガリと呼ばれる古式水道や山側の打下でない方の日吉神社も寄ってみたいと思っていたが、全く行けなかった。また、機会あれば・・・
以上で唐崎・坂本城址から近江高島の記、終了
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