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2021年9月9日(木)2時40分過ぎ、白髭神社を出て帰路に就く。来た道を戻るが、白ひげ浜 水泳・キャンプ場の辺りは、山側に旧西近江路が通っており、帰りはそちらを通る。南の端と北の端には自然石に彫り込んだ道標が建っている。また、途中の敷石もいい感じ。<br /><br />この旧街道の途中、白髭神社から徒歩10分ほどにあるのが鵜川四十八体石仏群。近年までは、室町時代後期の1553年に、現在の安土町にあった観音寺城の城主 佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うため、ちょうど対岸に建立したとの説が有力だったが、それより100年以上遡った時代の存在を示す古文書が見つかり、結局由緒は不明。とにかく1436年より古いものらしい。<br /><br />草深い山中の墓地に、地元の比良石と云われる花崗岩で造られた丸彫りの阿弥陀如来像がずらりと並んでいる。大きさは少しずつ異なるが、高さは概ね1.6mで、いずれも定印を結んでいる。東を向いて静かに並んで座る石仏は、慈愛に満ちた顔・あどけない顔・ユーモラスな顔など、姿もそれぞれ異なっており、圧巻。<br /><br />ここには33躰が安置されており、13躰は江戸時代初期に大津市坂本の慈眼堂に移されたそうで、残り2躰は1987年に盗難にあった。48と云う数は、弥陀四十八願と云う、阿弥陀仏に対する供養信仰に基づくもの。<br /><br />近くには師弟の句碑が建つが、師である素十の句はこの場所で詠んだもの。「一本の大夏木とはここらしき」。高野素十は高浜虚子に師事し、写生に徹した簡素で平明な句風で知られる。1893年(明治26年)生まれで茨城県出身。新潟医科大学第6代学長も務めたお医者さんでもある。1976年に83歳で亡くなられた。<br /><br />子弟であるはるの句は1993年の作で、なづな句会の1998年の合同句集に所載されたもの。上原はるは、現在の高島市勝野、つまり地元出身の俳人。高野素十の薫陶を受け、写生俳句を学び、1973年になづな句会を結成して、以後28年間主宰として指導に当たった。<br /><br />さらに北に進むと、ここにも万葉歌碑。乙女が池の項で書いた近江高島周辺に設置された6基の碑の一つで、2004年建立。「思乍 雖来々不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津」。万葉集巻9に収録されているもので、詠み人知らず。「心に気を懸けてやって来たので、帰り行きかねて三尾の崎や真長の入り江を、何度も振り返って見てしまう」の意。三尾の崎は白ひげ浜の辺り。<br /><br />白ひげ浜には水泳・キャンプ場があり、キャンプやバーベキュー、遊泳、宿泊に、ウォーターパークやSUP、カヌー、フライボードなどのアクティビティを楽しめる。旧街道沿いでなく、来る時に歩いた国道161号線沿い。向かいには詳細は分からぬが小さな赤い鳥居の立つ鵜川祠がある(下の写真1)。<br /><br />また、国道161号線沿いの白ひげ浜の少し南には、山側に立派な石垣で造られた高台の上に陸軍工兵上等兵仁賀宗太郎碑が建つ(下の写真2)。明治の日清戦争で亡くなられた地元出身の方の碑だそうだが、すごく立派。1895年(明治28年)建立。<br /><br />3時頃、国道161号線に戻るが、琵琶湖対岸の伊吹山から南に続く鈴鹿山脈の山並みが美しい(下の写真3)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8190938694309416&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />大溝城下町に戻るが、続く

滋賀 近江高島 四十八体石仏群(48 stone Buddhas,Omi-Takashima,Shiga,Japan)

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2021/09/09 - 2021/09/09

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旅行記グループ 湖西

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年9月9日(木)2時40分過ぎ、白髭神社を出て帰路に就く。来た道を戻るが、白ひげ浜 水泳・キャンプ場の辺りは、山側に旧西近江路が通っており、帰りはそちらを通る。南の端と北の端には自然石に彫り込んだ道標が建っている。また、途中の敷石もいい感じ。

この旧街道の途中、白髭神社から徒歩10分ほどにあるのが鵜川四十八体石仏群。近年までは、室町時代後期の1553年に、現在の安土町にあった観音寺城の城主 佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うため、ちょうど対岸に建立したとの説が有力だったが、それより100年以上遡った時代の存在を示す古文書が見つかり、結局由緒は不明。とにかく1436年より古いものらしい。

草深い山中の墓地に、地元の比良石と云われる花崗岩で造られた丸彫りの阿弥陀如来像がずらりと並んでいる。大きさは少しずつ異なるが、高さは概ね1.6mで、いずれも定印を結んでいる。東を向いて静かに並んで座る石仏は、慈愛に満ちた顔・あどけない顔・ユーモラスな顔など、姿もそれぞれ異なっており、圧巻。

ここには33躰が安置されており、13躰は江戸時代初期に大津市坂本の慈眼堂に移されたそうで、残り2躰は1987年に盗難にあった。48と云う数は、弥陀四十八願と云う、阿弥陀仏に対する供養信仰に基づくもの。

近くには師弟の句碑が建つが、師である素十の句はこの場所で詠んだもの。「一本の大夏木とはここらしき」。高野素十は高浜虚子に師事し、写生に徹した簡素で平明な句風で知られる。1893年(明治26年)生まれで茨城県出身。新潟医科大学第6代学長も務めたお医者さんでもある。1976年に83歳で亡くなられた。

子弟であるはるの句は1993年の作で、なづな句会の1998年の合同句集に所載されたもの。上原はるは、現在の高島市勝野、つまり地元出身の俳人。高野素十の薫陶を受け、写生俳句を学び、1973年になづな句会を結成して、以後28年間主宰として指導に当たった。

さらに北に進むと、ここにも万葉歌碑。乙女が池の項で書いた近江高島周辺に設置された6基の碑の一つで、2004年建立。「思乍 雖来々不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津」。万葉集巻9に収録されているもので、詠み人知らず。「心に気を懸けてやって来たので、帰り行きかねて三尾の崎や真長の入り江を、何度も振り返って見てしまう」の意。三尾の崎は白ひげ浜の辺り。

白ひげ浜には水泳・キャンプ場があり、キャンプやバーベキュー、遊泳、宿泊に、ウォーターパークやSUP、カヌー、フライボードなどのアクティビティを楽しめる。旧街道沿いでなく、来る時に歩いた国道161号線沿い。向かいには詳細は分からぬが小さな赤い鳥居の立つ鵜川祠がある(下の写真1)。

また、国道161号線沿いの白ひげ浜の少し南には、山側に立派な石垣で造られた高台の上に陸軍工兵上等兵仁賀宗太郎碑が建つ(下の写真2)。明治の日清戦争で亡くなられた地元出身の方の碑だそうだが、すごく立派。1895年(明治28年)建立。

3時頃、国道161号線に戻るが、琵琶湖対岸の伊吹山から南に続く鈴鹿山脈の山並みが美しい(下の写真3)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8190938694309416&type=1&l=223fe1adec


大溝城下町に戻るが、続く

  • 写真1 鵜川祠

    写真1 鵜川祠

  • 写真2 陸軍工兵上等兵仁賀宗太郎碑

    写真2 陸軍工兵上等兵仁賀宗太郎碑

  • 写真3 琵琶湖の向こうに鈴鹿山脈

    写真3 琵琶湖の向こうに鈴鹿山脈

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