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2021年9月9日(木)12時過ぎ、唐崎神社から県道558号線(旧国道161号線)を北に歩く。唐崎苑から5分ちょっと歩くと、少し突き出した御崎にHOTELの看板が見えて来るが、びわこ楽園ホテル井筒。唐崎神社からこのホテルのある御崎の間のワンド(湾処)は井筒ワンドと呼ばれ、バス釣りのメッカ(下の写真1)。<br /><br />さらに5分ほど歩くと次のワンドの真ん中辺りに日吉大社の七本柳鳥居。毎年4月14日の日吉大社の山王祭において、神輿を船に乗せる船渡御がここから行われる。唐崎神社の沖まで行った神輿は、そこで「粟津の御供」を受ける。この神事の起源は日吉大社西本宮の神を大和国の三輪よりお迎えした時に船の漁夫が粟飯を献じたところ、神は毎年4月14日にこの浜に出向いてくることを約束したと伝えられている。七本の柳はその神の降臨する木とされて来た(下の写真2)。<br /><br />七本柳の北側、かつての坂本城外堀の続きにあたる信教寺川を渡って坂本城跡公園に入る。橋の袂に三津浜の碑が建つ(下の写真1)。唐崎神社付近から比叡山坂本駅東南の浜辺りまでの約2kmほどの浜の古名。戸津(富津)、今津、志津の3つの浜が続いており、合わせて三津浜と呼ばれた。御津浜とも書くことから、4世紀中ごろの第13代成務天皇の高穴穂宮の津(港)があったとも云われる。湖北の港から運ばれる物資の陸揚げ港を担うと共に、比叡山延暦寺や日吉大社の港町として栄えた。<br /><br />坂本城跡公園だが、実は城址ではない。この辺りでは県道558号(旧国道161号線)の1本西に旧西近江路(北国海道)が走っているが、当時はこの路辺りが海岸線だったようで、2019年末にNHK BSで放送された「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「明智光秀の城」」の分析だと二の丸と本丸だけが琵琶湖に突き出していた。その位置はこの公園より150mほど北側のキーエンス社保養所(元?)がある辺りで、この公園がある部分は海。<br /><br />坂本城は明智光秀の城として有名。安土桃山時代の1571年、比叡山焼き討ちの後、光秀に近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城した。安土城につぐ天下第二の城と評されるほどの豪壮華麗なものであったとも書かれている。<br /><br />1582年の本能寺の変の後の山崎の戦いで光秀が敗れた後、娘婿の明智秀満(2020年NHK大河の「麒麟がくる」では間宮祥太朗が演じてた左馬之助)が入城したが、本丸に火を放ち自害した。その後、丹羽長秀が城を再建し城主となった。さらに杉原家次、浅野長政が城主となり、この間に城下町が形成されたが、1586年に廃城となった。<br /><br />本丸の石垣跡は一般人は立ち入りできないキーエンス社保養所先の湖の中に沈んでいるなど、城の遺構はほとんど残っていない。この城跡公園は後に埋め立てされたところに造られたもの。園内に存在する石積等は公園造成時の物で旧城時代の遺構ではない。<br /><br />公園内には大したものはない。明智光秀像は下阪本学区まちづくり推進協議会が1995年に建立したもの。隣には歌碑「光秀(おとこ)の意地」。地元出身の作詞家の祝部禧丸(はふるべ よしまる)さんが、光秀の思いをイメージして作詞、2007年に鳥羽一郎の歌でCDリリースされている。この歌碑は坂本観光協会が2013年に建立したもの。<br /><br />城跡公園の北側の東南寺川が県道558号を潜る手前の南側にある弁財天は、由来や詳細は全く不明だが、なんかいい感じ。県道を北に進んで行くと、右手にキーエンス社保養所がある一帯が本丸のあった所とされている。その北側、ガソリンスタンドの反対側auショップの先に明智塚。<br /><br />この辺りが、二の丸と本丸の間の内堀の北東角辺りと推測されており、坂本城落城の際に元々光秀が所持していた郷義弘(ごうのよしひろ)作の脇差、倶利伽羅の吉広江を埋めた場所とされている。<br /><br />左馬之助が自害した際に、多くの名物・財宝は無くすのは惜しいと云うことで豊臣方へ目録と共に届けたが、この脇差は死出の山で光秀に渡したいと自身の腰に差すことを許されたと云う逸話が残る。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8139016762834943&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />明智塚から県道を比叡山坂本駅に向かって北に進むが、この辺りは下阪本。江戸時代から下坂本村で、1889年(明治22年)の町村制施行の際に下阪本村となり、1951年に大津市に合併した。<br /><br />下坂本は日吉大社がある延暦寺のお膝元の坂本の南隣で、坂本より琵琶湖唯一の流出口である瀬田川に向かった方向と云うことで、下が付けられたと思われる。ちなみに坂本自体は、延暦寺の建つ比叡山に登る坂の下(もと)から来た地名で、京都の一条寺地区が西坂本と呼ばれていたのに対して、東坂本とも呼ばれていた。<br /><br />12時半過ぎ、明智塚から10分ちょっと歩いて比叡山坂本駅へ曲がる下阪本6丁目の交差点にある炭焼豚丼信玄 下阪本本店で昼食。チリ産のアンデス高原豚を使った豚丼屋で、滋賀県内の草津、長浜にも支店がある。炭火焼のおいしさをそのままにジューシーに焼き上げた厳選もち豚で作る豚丼で、肉の種類はロースか豚バラ、タレは醤油と塩から選べる。私は醤油タレロースの少、670円を。これはうまいわ。家の近所にないのが残念。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8139024666167486&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />1時5分前、比叡山坂本駅に到着(下の写真4)。JR西日本 湖西線の駅。1974年の湖西線全線開通と同時に叡山駅として開業。1994年に現駅名に改称した。島式ホーム1面2線を持つ高架駅。<br /><br /><br />12時59分の新快速で近江高島へ向かうが、続く

滋賀 大津 坂本城址(Sakamoto-jo Castel Ruins,Otsu,Shiga,Japan)

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2021/09/09 - 2021/09/09

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年9月9日(木)12時過ぎ、唐崎神社から県道558号線(旧国道161号線)を北に歩く。唐崎苑から5分ちょっと歩くと、少し突き出した御崎にHOTELの看板が見えて来るが、びわこ楽園ホテル井筒。唐崎神社からこのホテルのある御崎の間のワンド(湾処)は井筒ワンドと呼ばれ、バス釣りのメッカ(下の写真1)。

さらに5分ほど歩くと次のワンドの真ん中辺りに日吉大社の七本柳鳥居。毎年4月14日の日吉大社の山王祭において、神輿を船に乗せる船渡御がここから行われる。唐崎神社の沖まで行った神輿は、そこで「粟津の御供」を受ける。この神事の起源は日吉大社西本宮の神を大和国の三輪よりお迎えした時に船の漁夫が粟飯を献じたところ、神は毎年4月14日にこの浜に出向いてくることを約束したと伝えられている。七本の柳はその神の降臨する木とされて来た(下の写真2)。

七本柳の北側、かつての坂本城外堀の続きにあたる信教寺川を渡って坂本城跡公園に入る。橋の袂に三津浜の碑が建つ(下の写真1)。唐崎神社付近から比叡山坂本駅東南の浜辺りまでの約2kmほどの浜の古名。戸津(富津)、今津、志津の3つの浜が続いており、合わせて三津浜と呼ばれた。御津浜とも書くことから、4世紀中ごろの第13代成務天皇の高穴穂宮の津(港)があったとも云われる。湖北の港から運ばれる物資の陸揚げ港を担うと共に、比叡山延暦寺や日吉大社の港町として栄えた。

坂本城跡公園だが、実は城址ではない。この辺りでは県道558号(旧国道161号線)の1本西に旧西近江路(北国海道)が走っているが、当時はこの路辺りが海岸線だったようで、2019年末にNHK BSで放送された「絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「明智光秀の城」」の分析だと二の丸と本丸だけが琵琶湖に突き出していた。その位置はこの公園より150mほど北側のキーエンス社保養所(元?)がある辺りで、この公園がある部分は海。

坂本城は明智光秀の城として有名。安土桃山時代の1571年、比叡山焼き討ちの後、光秀に近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城した。安土城につぐ天下第二の城と評されるほどの豪壮華麗なものであったとも書かれている。

1582年の本能寺の変の後の山崎の戦いで光秀が敗れた後、娘婿の明智秀満(2020年NHK大河の「麒麟がくる」では間宮祥太朗が演じてた左馬之助)が入城したが、本丸に火を放ち自害した。その後、丹羽長秀が城を再建し城主となった。さらに杉原家次、浅野長政が城主となり、この間に城下町が形成されたが、1586年に廃城となった。

本丸の石垣跡は一般人は立ち入りできないキーエンス社保養所先の湖の中に沈んでいるなど、城の遺構はほとんど残っていない。この城跡公園は後に埋め立てされたところに造られたもの。園内に存在する石積等は公園造成時の物で旧城時代の遺構ではない。

公園内には大したものはない。明智光秀像は下阪本学区まちづくり推進協議会が1995年に建立したもの。隣には歌碑「光秀(おとこ)の意地」。地元出身の作詞家の祝部禧丸(はふるべ よしまる)さんが、光秀の思いをイメージして作詞、2007年に鳥羽一郎の歌でCDリリースされている。この歌碑は坂本観光協会が2013年に建立したもの。

城跡公園の北側の東南寺川が県道558号を潜る手前の南側にある弁財天は、由来や詳細は全く不明だが、なんかいい感じ。県道を北に進んで行くと、右手にキーエンス社保養所がある一帯が本丸のあった所とされている。その北側、ガソリンスタンドの反対側auショップの先に明智塚。

この辺りが、二の丸と本丸の間の内堀の北東角辺りと推測されており、坂本城落城の際に元々光秀が所持していた郷義弘(ごうのよしひろ)作の脇差、倶利伽羅の吉広江を埋めた場所とされている。

左馬之助が自害した際に、多くの名物・財宝は無くすのは惜しいと云うことで豊臣方へ目録と共に届けたが、この脇差は死出の山で光秀に渡したいと自身の腰に差すことを許されたと云う逸話が残る。
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明智塚から県道を比叡山坂本駅に向かって北に進むが、この辺りは下阪本。江戸時代から下坂本村で、1889年(明治22年)の町村制施行の際に下阪本村となり、1951年に大津市に合併した。

下坂本は日吉大社がある延暦寺のお膝元の坂本の南隣で、坂本より琵琶湖唯一の流出口である瀬田川に向かった方向と云うことで、下が付けられたと思われる。ちなみに坂本自体は、延暦寺の建つ比叡山に登る坂の下(もと)から来た地名で、京都の一条寺地区が西坂本と呼ばれていたのに対して、東坂本とも呼ばれていた。

12時半過ぎ、明智塚から10分ちょっと歩いて比叡山坂本駅へ曲がる下阪本6丁目の交差点にある炭焼豚丼信玄 下阪本本店で昼食。チリ産のアンデス高原豚を使った豚丼屋で、滋賀県内の草津、長浜にも支店がある。炭火焼のおいしさをそのままにジューシーに焼き上げた厳選もち豚で作る豚丼で、肉の種類はロースか豚バラ、タレは醤油と塩から選べる。私は醤油タレロースの少、670円を。これはうまいわ。家の近所にないのが残念。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8139024666167486&type=1&l=223fe1adec

1時5分前、比叡山坂本駅に到着(下の写真4)。JR西日本 湖西線の駅。1974年の湖西線全線開通と同時に叡山駅として開業。1994年に現駅名に改称した。島式ホーム1面2線を持つ高架駅。


12時59分の新快速で近江高島へ向かうが、続く

  • 写真1 井筒ワンド

    写真1 井筒ワンド

  • 写真2 日吉大社 七本柳鳥居

    写真2 日吉大社 七本柳鳥居

  • 写真3 三津浜の碑

    写真3 三津浜の碑

  • 写真4 比叡山坂本駅

    写真4 比叡山坂本駅

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