
2022/05/02 - 2022/05/03
14位(同エリア167件中)
こあひるさん
久しぶりに旅行記作りに帰ってまいりました。
コロナ下ではあっても、ちょこちょこと東北の温泉などにはお出かけしていたのですが4トラベルからはずっと遠ざかっていました。
約2年ぶりに・・・そろそろまた旅行記でも作ってみようかな・・・という気分になり、今年GWに仙台から取手に戻った後、仙台への帰り道、せっかくGWだから・・・と、かねてから気になっていた北茨城市の五浦(いづら)海岸に1泊寄り道した際の旅を記してみました。
コロナ下ですっかり籠り気味の生活になり(目の悪い夫が家でリモートワークしているので、平日に一人でお出かけできない生活となり)・・・
体力がすっかり落ちたようで(笑)、面倒くさがりでダラダラした旅スタイルにいっそうまったりさが増しました。
さて・・・それでは2年ぶりの旅行記・・・よかったらご覧くださいね。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月2日。お宿に向かう途中、1㎞ほど手前の「茨城県天心記念五浦記念美術館」に寄ってみました。
五浦(いづら)海岸とは、福島県との県境にある北茨城市の景勝地。
名前のとおり、小五浦、大五浦、椿磯、中磯、端磯という5つの入江があります。茨城県天心記念五浦美術館 美術館・博物館
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なかなかモダンでキレイな美術館です。
そもそも五浦海岸に興味をもったのは、岡倉天心ゆかりの地ということ。
岡倉天心の名は、フェノロサというアメリカ人の名を先に知ったことがきっかけです。
奈良の仏像好きならば、日本美術の救世主とも言えるフェノロサの名前は聞いたことがあるのではないかと・・・。
明治元年、明治政府が出した神仏分離令により、廃仏毀釈の運動が活発となり、多くの仏教建築や仏像などが破壊されてゆきました。
フェノロサは明治11年、東京大学(東京開成学校から改称)の外国人教師として来日していました。岡倉天心は生徒でした。
日本古美術の研究や保護をしていたフェノロサは、岡倉天心らと共に、古美術調査(廃仏毀釈による破壊、海外流出から古美術品を守るためどこに何があるかを、国が調査させた)を行います。
フェノロサは、日本古文化財の保護を強く訴え、数々の文化財を破壊から守りました。明治30年には、その調査を基に古社寺保存法が制定されることになります。
フェノロサらが守ろうとした数々の仏像の中で最も有名なのは、法隆寺夢殿のご本尊・救済観音像(聖徳太子等身像と言われている)です。
夢殿の厨子を開扉すると災いあるいは祟りがあると、200年間、僧侶たちも決して開扉することがなかった夢殿の厨子。
フェノロサら調査団が開扉を迫ったことで初めて開扉され、木綿の布でグルグル巻きにされた中から現れたのが救済観音像でした。
その他、聖林寺の十一面観音もフェノロサによって保護された仏像のひとつです。 -
内部は撮影禁止なので写真はありませんが、岡倉天心について初めて色々知りました。
仏像がらみでフェノロサを知っていたものの、天心の名前はそのついでくらいのものでしたから・・・。 -
美術館の中庭へ。
今にも雨が降ってきそうな怪しい暗さです。
天気予報でも雨になるとのことだったので諦めていますが・・・。 -
中庭の向こうには太平洋が広がっています。
いまいちな色合いですが。 -
五浦海岸には名前のとおり、小五浦、大五浦、椿磯、中磯、端磯という5つの入江があります。
俯瞰しないとわからないのですけれど。 -
美術館の敷地は高い位置にあり、波の音は下の方から聞こえますが、真下は見えません。
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館内にあるカフェ・・・眺めのよいテラスでひと休み。
お天気が良ければなぁ・・・。 -
まぁでも午後からは雨予報だったので、何とかテラスでお茶できただけでも良しです。
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アップルケーキやプリンなどを・・・。
美術館を後にする頃、雨がポツポツし始めてきました。 -
「五浦観光ホテル別館 大観荘」へ。
チェックイン開始の15時には到着。
温泉宿に泊まる時には、チェックイン時刻の少し前には到着してるパターン。 -
ロビーで15時まで少し待たされました。
今回は海が見える宿・・・という条件で、五浦海岸の中ではこの宿しか選択肢はありませんでした。 -
海に臨んでいるだけあって、ロビーの窓からも海が見えます。
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海側和洋室。けっこう広い。
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玄関から入ると左手にソファやテレビなど。
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右手が和室になっています。
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どちらにも大きな窓・・・そしてテラス。
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玄関から入った左手前がベッドルームになっています。
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トイレと浴室は別々。
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バルコニーテラス。
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ちょっとしたお庭を隔てて真正面は海・・・でも晴れてないとあまりキレイでもない(笑)。
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ちょっとした庭園風になっているけれど・・・テラスの手すりがガッツリあるので出ることはできません。
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お庭の向こうの海・・・だいぶ下の方になるみたい。
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お部屋での撮影後、ひとりで館内探索です。
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夕食前にひとりで大浴場へ。長い廊下を通っていきます。
外はすっかり雨降りになっています。
連れ合いは目が悪くひとりで大浴場には入れないので、入りたければスタッフに頼むのですが・・・今回大浴場には入らなくていいということです。
夕食後に貸切風呂を予約しています。 -
こちらは五浦観光ホテル別館大観荘のHPから。
大浴場には内湯と露天風呂。
残念ながら、夜も朝も無人にはならなかったので撮影はできませんでした。 -
こちらも五浦観光ホテル別館大観荘のHPより。
露天風呂の目の前は海で、ちょうど崖の岬に挟まれた入り江になっています。
ただ、HPの写真だとインフィニティ風呂みたいに見えたのに、風呂の向こうに狭い庭のようなスペースがあって、実際の視界ではインフィニティとはなりません。
でも、波の音と海風が心地よく、ずっと入っていられます。 -
18時から夕食です。
なんか・・・ひと昔前の観光ホテルの大宴会場か結婚式場風情な部屋にテーブルが並んでいる光景にビックリ。ちょっと昭和な雰囲気すら感じます(?)。
ロケーションでこのホテルを選んだので文句はありませんが、団体客の食事みたいな感じは初めてかも。でもテーブルとテーブルの間は十分なディスタンスをとってありました。 -
前菜、お造り、海の幸とトマトコンニャクサラダなど。
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カサゴ煮付け。
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常陸牛陶板焼き野菜添え。
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地元平潟の穴子と地元野菜の天ぷら。
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海老と季節の野菜の炊合せ。
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お味噌汁には伊勢海老(小さいですが)。
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釜めし。
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貸切風呂は2ヵ所あります。45分で2200円。なので、両方に入ることはしませんでした。
わが家は岩風呂の方を選びました。
目の悪い連れ合いと一緒だと、45分というのは、すごくゆっくり・・・というほどの余裕はないので、一番最後(22時が最後)の時間帯を選びました。
有料だと貸切風呂に入る人はあまりいなかったみたい。 -
翌5月3日。
せっかく海に臨んだホテルに泊まるので、日の出を見なくては・・・というより、そのためにここに泊まった・・・。
昨日はあいにくの天気だったけれど、予報では今日は晴れるはず。
早起きが超苦手な私ですが・・・頑張って4時半頃に起きました。
お部屋のテラスからだと、日が昇ってくる位置がかなり左寄りで、ちょうど木々で遮られてしまって見えないので、屋上までやって来ました。
屋上は展望として開放されています。
あれ・・・?水平線あたりに雲が溜まっているけど大丈夫かな・・・。
海面はうっすら紅色がかってきてますが。 -
4時45分ころ・・・雲の中から・・・ちょっと太陽が顔をのぞかし始めた。
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もうすぐ5時になろう頃・・・雲の層を抜けて・・・輝かしい朝日が!!
眩しいから直接太陽を見ることはできません。 -
5時をまわりました。
あ~ぁ!良かった!日の出が見れて、このホテルに泊まった甲斐がありました。 -
5時過ぎ。
このあと・・・太陽は白っぽい輝きを増して大きくなってしまいました。 -
右手側の岩壁も朝焼けにうっすら染まって・・・。
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あ~ぁ!あそこに観光スポットの六角堂があるんだね(写真の右手に見える小ぶりの岬に)。
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7時半・・・朝食。
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朝食を終えて戻ってひと休みしたら・・・
ひとりで大浴場へ朝風呂に行ってきます。 -
大浴場のそばに展望テラスがありました。
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展望テラスからの眺め。
ちょうど小さな岬の間の入り江。
大浴場からの眺めも、やはり岩壁と岩壁の入り江みたいな眺めでした。 -
寄せる波のふくらみ・・・白く弾ける波頭・・・心地よい音。
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同じようなショットをつい撮ってしまう。
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透明度が高い。
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けっこう荒れてるのかな・・・と感じたんだけれど・・・
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お掃除していたスタッフに聞いたら、いつもこんな感じですとのこと。
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お天気が違うと海の色がホントに違うものよね・・・。
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ひとりでホテルの外に出てみました。昨日は雨になっちゃったので。
とはいえ・・・周りには何にもないんだけれど・・・
近くの駐車場にルピナスが咲いてた・・・。 -
夜間の雨粒がまだ・・・瑞々しく残っています。
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ホテルに戻りました。
ロビーから中庭に出られますが・・・スリッパなので・・・庭の土がぐっしょりすぎて歩き周ることはできませんでした。 -
10時少し前にチェックアウトを済ませ・・・車をホテル駐車場に置かせてもらい、近くの観光スポットへ。
車旅だとほとんど歩かないから、多少は運動のために歩く機会を作らないと・・。
ホテルから100m余りのところに、岡倉天心の墓がありました。
天心のお墓は東京駒込の染井墓地にあるそうですが、遺言により、大正2年に五浦に分骨されたそうです。
森の中にひっそりと土饅頭型の簡素なお墓が作られています。 -
お墓からすぐ・・・
長屋門があります。
ここが岡倉天心遺跡を保存・整備などをしている「茨城大学五浦美術文化研究所」の受付出入口となります。茨城大学五浦美術文化研究所 美術館・博物館
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天心は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の開校に携わり、開校後の明治23年(1890)、27歳の若さで同校二代目の校長になりました。
近代国家にふさわしい新しい日本画の創造をめざし、横山大観、下村観山、菱田春草ら気鋭の画家を育てていきました。
しかし、急進的な日本画改革を進めようとする天心の姿勢は、伝統絵画に固執する人々から激しい反発を受けることになります。
そんなこんなで風当りが強くなり、明治31年(1898)校長を退いた天心は、26名の同志とともに日本美術院を創設しました。
明治36年(1903)、北茨城市出身の日本画家・飛田周山の案内で五浦を訪れた天心は、太平洋に臨む人里離れた景勝地をとても気に入り、土地と家屋を買い求めました。
その後、家屋を改築し六角堂を建て、天心は五浦に移り住みました。
それに伴い、日本美術院の第一部(絵画)も五浦に移転することになり、大観、観山、春草、武山ら弟子も五浦に移り住むことになります。
現在この地には、長屋門、居宅、庭園、六角堂が遺跡として修復保存されています。
日本美術院の跡もこの敷地内にありましたが、立ち入り禁止となっていました。 -
新緑がホントに美しい季節。
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敷地内を散策します。
まずは天心記念館。
内部は撮影禁止。でも、昨日訪れた天心美術館でけっこう真面目に経歴等学んだので・・・被っている感じ。 -
ウォーナー像。
ラングドン・ウォーナーは、天心に師事したアメリカ人です。
ハーバード大学で考古学を専攻。卒業後、五浦で天心の薫陶を受け日本美術を研究します。
第二次世界大戦中、爆撃対象から奈良や京都等の都市を外す文化財リストをアメリカ政府に提出したとされています。
その功績を称えるため昭和45年に建立された像です。
像の覆堂は、天心ゆかりの日本の文化財の象徴として、法隆寺夢殿を模して設計されています。 -
そしてこちらが天心邸。
明治37年、天心がこの地に移り住んだ当初は、古い料亭(観瀾楼)が残っており、そこを仮住まいとしていました。自らの設計を平潟の棟梁・小倉源蔵に託し、天心はボストン美術館の仕事のため、アメリカへと旅立ちました。
天心邸はその料亭の古材を再利用して建築されたと伝えられています。 -
当初の邸宅は62坪ありましたが、明治40年にさらに改築して拡張しました。
天心没後、西側にあった12畳の書斎や東側の浴室など一部は撤去されています。 -
開放的な前庭は海に面しています。
前庭は、和風の母屋に対し、ボストンから取り寄せた芝生が植えられた洋風の造りであったといわれています。 -
そして・・・前庭から少し突き出た先に、ベンガラ色の六角堂が建てられています。
階段を下った海の際にあります。
六角堂は明治38年、天心の設計により建造されました。
観瀾亭とも呼ばれ、瀾=大波・・・大波を見るためのあずまやという意味だそうです。
天心は、波に永遠性と絶え間ない変化を同時に認め、宇宙の本質と考えていました。
六角の形は中国庭園の東屋を参照し、屋根の宝珠に見られるように仏堂のイメージ、室内は茶室の役割も重ねられています。 -
中には入れませんので、ガラス越しに覗いてみました。
残念なことに、もともとの六角堂は東日本大震災で流出してしまい、2012年に、創建当時に限りなく近い形で復元されたものになります。
天心はここで瞑想にふけり、時に海に釣り糸を垂らしたといいます。 -
六角堂からの眺め。
わが家が泊まった五浦観光ホテル別館大観荘がよく見えますね。 -
険しい岩の湾。
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引き潮なんでしょうか・・・。
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透明度はかなりのもの。
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六角堂はぐるりと海に取り囲まれ・・・海に包まれているよう。
この景色を眺めながら、天心はどんな思いにふけっていたのでしょう。 -
ホテルのある岬と反対側も岬になっています。
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さて・・・1㎞ほど離れた五浦岬公園へ向かいます。
運動のため徒歩で向かいます。
途中、民宿や五浦観光ホテル本館が並び、ちょっと温泉街の風情がありました。 -
あ~ぁ・・・けっこう上り坂キツイ・・・。
目の悪い連れ合いが基本的にリモートワークで家にいるので・・・会議に参加する時等、時々PCを手伝わなければならないので・・・平日にひとりでおでかけすることがめっきりなくなり・・・体力すっごい落ちました・・・。 -
五浦岬公園に到着。
岬の高い場所にあるので・・・眺めが抜群!五浦岬公園 公園・植物園
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昨日の天気が嘘のような青空。
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六角堂のある小さな岬・・・その向こうには五浦観光ホテル別館大観荘が見えます。
ここは、それらよりもだいぶ高台だと言うことがわかります。 -
展望慰霊塔があります。北茨城市の東日本大震災犠牲者を慰霊するために建てられたもので、鎮魂の鐘も設置されています。
階段を上ってみます。 -
展望慰霊塔の頂上からは、木々が邪魔して六角堂などのある岬はあまり見えません。
でも広い海は一望できます。
いっそう高いので気持ちがいいです。 -
展望慰霊塔頂上よりも途中の階段からの方が、岬なんかは見やすいかも。
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公園内の別の小路を通って・・・
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ホテルのところの岩壁もかなり険しいんですね。
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けっこう入り江になっています。
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公園内には、平成25年公開の映画「天心」の、日本美術院を復元したオープンセットが保存公開されています。
天心の映画が作られていたなんで初耳でしたので・・・
連れ合いには、そういうの(映画)は来る前に観とかないと・・・と言われましたが、映画化するには地味としか思えない天心の映画があったなんて知らなかったですもの・・・。 -
天心が提唱し、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山らが編み出した新画法は「朦朧体」と揶揄され、苦境へと追い込まれていきます。
そういう美術界の状況も、昨日、天心美術館で知りました。
竹中直人が天心役ということで、なんだか大げさで派手な感じの人物になってるのかな・・・と思いましたが、家に帰ってから映画を見てみました。
やっぱり派手な演技でしたが(笑)、天心についてきた弟子たちは、かなり困窮し、天心も何だか冷たくあたるし・・世の中は日本画よりも西洋画人気だし・・・で、天心本人よりも弟子たちがかかり苦労したという印象でした。 -
さて・・・ホテルの駐車場へ戻るとしますか・・・
途中のちょっとした温泉街風な家並み。 -
ホテルに戻り・・・カフェで一休みしてから帰路につきました。
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