2022/05/30 - 2022/06/01
20位(同エリア50件中)
junさん
コロナ制限緩和後のマレーシア旅行ブログ第2弾です。
今回の旅行の第1の目的、コタバルの戦跡散策です。
1941年12月8日の日本海軍による真珠湾攻撃よりも早い時間に、日本陸軍はここ英領マレーの東海岸コタバルに上陸を開始しました。
表紙写真は、コタバルに多くあるトーチカの一つです。
市街地にもあります。
ちなみにトーチカは、英語でPillbox、旧日本軍用語で特火点です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エアアジア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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コタバル市内にある戦争博物館。日本軍上陸後は憲兵隊が使っていました。
庭には戦闘機も配置されています。 -
説明板があります。
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日本兵の服装。
私の父も日本兵としてマレーに来ました。戦争博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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戦闘の絵画です。
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プラモデルも展示されていました。
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日本軍は自転車でも移動しました。
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川から発掘された日本軍の舟です。
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庭にも、戦後の装甲車が。
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川沿いのレストランで早めの夕食。
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シーフードオムレツ。美味しいです。
現地を案内してくれたみんなと一緒に食事しました。
この地のレストランでは、アルコール類はありません。 -
日が落ちる前に海岸のトーチカを見に行きました。
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1941年の12月8日に海岸から日本軍が上陸してきました。
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コタバル2日目のホテルの朝食です。
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コタバル郊外のマチャンの町の学校です。
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ここに先の大戦時の戦跡記念碑が設置されています。
近くの川の戦場跡にあったものを、きれいに整備してこの学校に設置されたとのことでした。 -
碑の背面です。
那須部隊激戦地
昭和16年12月12日11時占領と記載があります。
那須部隊とは、侘美支隊(第18師団)の第56連隊(那須大佐)の部隊です。 -
コタバル飛行場の南にあるタナメラ(マチャン)飛行場跡です。
滑走路跡がまっすぐな道になっています。 -
飛行場守備用のトーチカです。
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マチャンとコタバルの中間にある福龍山に抗戦烈士祈念碑があります。
日本占領時代に、日本軍に抵抗し命を落とした人々の祈念碑です。 -
日本占領時の現地犠牲者の顕彰碑です。
後ろにお墓があります。 -
コタバルに戻り、日本軍上陸地の碑に来ました。
パアマット島と言い、ケランタン川の三角州のひとつです。 -
私の指の指す海岸から日本軍は上陸しました。
なお、日本軍を運んだ輸送船3隻のうちの1隻(淡路山丸)は、英軍機の爆撃を受け炎上し、後日沈没しました。
同船は、日本の戦没商船第1号となりました。 -
第18師団の戦友会が1988年に建立した時計台です。
時計はすでに壊れてありませんでした。
「永遠に平和と自由の時を刻む、を祈る」と各国の言語で書かれています。 -
表紙写真と同じ、コタバル空港そばのトーチカです。
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夕食は、軽く、市内のアンティークカフェで取りました。
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コーヒーと甘いトーストです。
美味しいです。 -
コタバル市内の旧王宮の地域です。
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ケランタン川です。
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川沿いのカフェで飲んだマンゴージュース。
とても美味しかったです。 -
コタバル訪問最後のブランチです。
フライドチキンが美味しい。 -
コタバル空港近くです。
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コタバル空港です。
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国内線エアアジア航空、これからクアラルンプール空港に向かいます。
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チェックイン時に、窓側席をリクエストしました。
中央やや上にコタバル空港があります。
日本軍上陸時の占領目標でした。
その飛行場の右側の海岸に日本軍が上陸しました。
飛行場の上はケランタン川です。
この写真を撮れたのはラッキーでした。
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