2022/05/03 - 2022/05/08
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マリアンヌさん
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昔、長崎に来た時にグラバー邸も行ったのだけど遠い記憶となってしまって、西洋かぶれで洋館好きな私、山手地区散歩を楽しみにしてきました。
旅の最終日、時間の許すかぎり、楽しいそぞろ歩きでした。
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朝食をいただいてから11:00チェックアウト前にお散歩に出発。
(お魚メインだったので苦手な私のために工夫して下さった) -
今日も良い天気。旅行中ずっと晴天だったことに感謝。
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歩いてすぐのところにあるグラバー園へ。入場料620円
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まず動く歩道で一番上へ。
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旧三菱第2ドックハウス。
ドックハウスとは、船が修理などのためにドックに停泊している間、船員たちが宿泊するための施設。1896年(明治29)に三菱造船所第二船渠の建造にともない、船渠の傍らに建築された。1972年(昭和47)に三菱造船株式会社(当時)より長崎市が寄贈を受けて現在地に移築復元されたもの。 -
改めて三菱、岩崎家って・・・
岩崎彌之助(1851-1908)
三菱の創始者、岩崎彌太郎の弟である彌之助は、三菱の二代目社長として三菱財閥をつくり上げた人物。兄の彌太郎とグラバーは長崎で深く関わっているが、彌太郎亡きあとも、彌之助は終生グラバーと交友を続け、グラバーを三菱の相談役として招いた。
龍馬伝で香川照之が演じてたよね。 -
三菱重工業長崎造船所が見える。
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眺めのいいデッキって気持ちいい。
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歌が歌いたくなるようなパノラマ。
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世界遺産の三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン。
1909年(明治42年)に竣工した同型としては日本で初めて建設された電動クレーン。輸出したスコットランドが称賛する歴史的に貴重な存在なのだとか。 -
薔薇越しに長崎港、造船所が見えていい景色。
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噴水が涼し気。
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旧長崎高商表門衛所。
日本で最初期に設立された官立高等商業学校であり、長崎大学経済学部の前身となった長崎高等商業学校(長崎高商)創立時の表門衛所を移築復元。 -
旧ウォーカー住宅。
ウォーカー商会を設立したロバート・ニール・ウォーカーJrの旧邸。もとは大浦天主堂のそばに建てられ、移築された建物のほかに台所と和室があった。
この家の旧主は、イギリス出身の船長ロバート・N・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニア(1882~1958)。彼は、明治中期に建てられたと考えられるこの建物を1915年(大正4)に購入し、1958年(昭和33)に亡くなるまで居住していた。その後、彼の妻シゲコ・メーベルが母屋の一部を市に寄贈し、1974年(昭和49年にグラバー園に移築された。 -
ペパーミントグリーンとホワイトの配色が素敵。
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ロバート・ネール・ウォーカー(1851-1941)
イングランド出身。1898年に長崎でウォーカー商会を設立。日本の海運業に大きな業績を残し、長崎外国人居留地の実業界における中心的人物として活躍した。 たいへんな親日家で、自ら設立した清涼飲料水メーカーの商品にバンザイサイダー、バンザイレモネードとネーミングを付けたほど。晩年はカナダへ移住し、息子のウォーカー・ジュニアに事業を譲与した。 -
旧リンガー住宅へ。フリーメイソンのマークの入った門柱がある。
フリーメイソンとは、中世のイギリスではじめられた友愛団体で、長崎においても1885年にロッジ(集会所)が発足された。三菱長崎造船所に勤めるイギリス人たちが会員で、初代グランドマスター(ロッジ長)の住宅に設置されていたのが、フリーメイソンのマークを刻んだ門柱だった。それが後にグラバー園に移築された。 -
ちょうどお花が満開だった。
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旧リンガー住宅。
フレデリック・リンガー(1838 ~ 1907)。
イングランド出身。1865年頃に長崎入りして1868年(明治元)グラバー商会を退職してイギリス人E・Z・ホームと共同で大浦11 半番地にホーム・リンガー商会を設立。製茶業を手始めに製粉、石油備蓄、発電などの事業を始め、昭和初期までウラジオストクなど海外各港との貿易事業、各国商社代理業務にたずさわった。 -
居留地の英字新聞ナガサキプレスを刊行したり、捕鯨業やわが国初のトロール漁業(倉場富三郎と共同)、長崎市の上水道敷設などにも大いに尽力するなど長崎の殖産興業に力を注いだ。
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また、ベルギー、スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどの名誉領事にも就任して、長崎の国際交流に力を注いだ。1907年(明治40)イングランドのノーリッジへ一時帰郷中に死去。住宅はその後、ロンドンで教育を受けて1909年(明治42)に長崎に帰ってきた二男シドニーに受け継がれた。1965年(昭和40)、シドニーは長崎市に売却し、英国で余生を送ったそう。
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ナガサキホテル・カトラリーセット。
フレデリック・リンガー率いる投資家グループにより1897年(明治30)に建てられたコンドル設計のナガサキホテル。当時、極東一豪華なホテルと謳われたホテルで使用されたカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーン)のセットが、2013年(平成25)改装中の奈良ホテルで発見され、その内の1セットが、2015年(平成27)奈良ホテルから長崎市に寄贈された。
コンドルの弟子でもある辰野金吾設計の奈良ホテル、Nの頭文字が一緒だったのでカラトリーセットが継承されたよう。 -
ナガサキホテル。
ジョサイヤ・コンドル建築の香港上海銀行の隣にリンガーやグラバーたちが建てた豪華ホテル。
まさにアジアの一流ホテルで、華やかな3階建ての煉瓦造りに客室50室、広いベランダから港を見下ろす最高級の部屋をはじめ、ダイニングルームでは、ゆうに125名を収容、フランス人料理長、日本初の全室電話完備、自家発電、冷蔵設備、輸入家具、ヨーロッパ製装飾器具を備えていた。
しかし、日露戦争後、観光客も貿易額も急下降し、開業からわずか10年の1908年(明治41)に閉店を余儀なくされた。
こんな素敵なホテル、保存して欲しかった。 -
室内の調度やマントルピースもよく残っていた。
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オルガンにオルゴール。当時かなり高価な品物だったと思う。
オルゴールは今でいうオーディオ。今ならアンティークとして〇百万の値打ち?。 -
そしてお隣の旧オルト邸へ。
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薔薇と鎧戸、いい雰囲気。
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薔薇の開花時に来園出来てラッキー。
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オルトと土佐藩士という看板が。
イギリス商人・オルトは土佐藩士との関係が深く、土佐藩はオルト商会から多くの船や武器を購入している。1867年いろは丸事件※でもオルトに相談したことがあったようで、岩崎弥太郎の日記によれば5月22日の聖福寺での談判のあと、坂本龍馬は後藤象二郎、岩崎弥太郎らとオルトを訪れている。
※坂本龍馬らが乗ったいろは丸が紀州藩船と衝突して沈没した。 -
旧オルト住宅。
ウィリアム・ジョン・オルト(1840~1908)。
イングランド出身。開国とともに、いち早く長崎にわたりオルト商会を設立。長崎の大浦慶と提携して、九州一円から茶を買い求め輸出業を行った。
1865年に建てたオルト邸は本格的洋風建築だが、これを建築したのは大浦天主堂も手掛けた小山秀之進。「長崎は本当に美しいところで、これ以上美しい所を私は知らない」彼の妻エリザベスは、後の回想録に長崎の印象を書き残しているそう。 -
オルトのパートナー大浦慶 オルトが製茶・販売の事業で手を結んだ大浦慶は、長崎屈指の油問屋に生まれたが16歳の時に大火事に見舞われて家が傾いてしまう。
しかし、25歳の時に茶の貿易をはじめ見事に家を再興させた。彼女は長崎三大女傑の一人として知られているそう。
朝ドラで取り上げられた三井家出身の広岡朝子は、銀行業、炭鉱業、生命保険業などに携わり驚いたけど、ここにもそんな女性がいたんだね。 -
わが国に例の少ない石造りの洋風住宅で重厚な中に優美さが漂っている。
色合いもこのデッキのような空間もいい感じ。 -
その後、この邸宅はメソジスト派の活水女学校の校舎や米国領事館として使われ、1903年(明治26年からリンガー家の所有となったそう。
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フレデリック・リンガーの長男一家が太平洋戦争勃発まで住んでいたので、リンガー(兄)邸ともいわれている。1943年(昭和18)に川南工業に売却され、1970年(昭和45)に長崎市が買い取った。
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旧スチイル記念学校。
この建物は、1887年(明治20)に東山手9番地の旧英国領事館跡に建てられたスチイル記念学校の校舎。グラバー園への移築前は海星学園の寄宿舎として使用されていた。 -
私立東山学院etc.と改称されたが、英語教育と特色ある学風で
1932年(昭和7)まで45年の歴史を長崎の教育史に刻んだそう。 -
旧自由亭。
日本人初の西洋料理店シェフとなった草野丈吉のレストラン「自由亭」の建物。建物は1878年(明治11)に建てられ、昭和49年にグラバー園に移築される前には検事正官舎として使われていたそう。 -
ちょっと一休み。港を見ながらレモンスカッシュをいただいた。
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旧グラバー住宅。クローバーの形をした、日本最古の木造洋館。
トーマス・ブレイク・グラバー(1838~1911)
スコットランド出身。21歳で対日、グラバー商会を設立。当初、茶や生糸の輸出を主に扱っていたが、幕末の動乱時、薩摩藩などの倒幕派を支援し、武器や弾薬などを販売した。
また、長崎港に面する大浦海岸通りに蒸気機関車を日本で初めて走らせたそう。
明治維新後も日本にとどまり、小菅修船場の建設や高島炭鉱の開発など、日本の近代化に尽力し、日本で73歳の生涯を閉じた。 -
グラバーは日本の若い志士たちに世界を見せる手助けもしており、その代表として薩摩藩の五代友厚、森有礼、寺島宗則、長澤鼎や、長州ファイブと呼ばれる長州藩の伊藤博文、井上馨、山尾庸三、遠藤謹助、井上勝は海外留学のためイギリスへ旅立った。グラバーの援助によって海外渡航を果たした人材の多くが、明治維新後の日本の政治・経済界で活躍したんだね。
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長崎の人にとっては有名すぎるグラバーだが、その人柄はあまり知られていない。何せ、日記はもちろん、手紙などの書簡もほとんど残されていないから。
しかし、こんなエピソードが・・・
グラバー邸が今の形態になる以前、その一部に先輩商人であるマッケンジーの邸宅があった。数年の間、中国に戻ったマッケンジーだったが、後にグラバー商会に加わるとグラバーのパートナーとなり、倒産の時を迎えるまで新設された大阪支店の支店長として勤務した。しかし、その後不治の病を患い長崎へ戻ることとなる。
その際グラバーは、先輩商人であるマッケンジーが亡くなるまでの日々、グラバー邸において温かく面倒を見たのだという。 -
1870年(明治3)幕末動乱が収束し武器が売れなり、新政府により藩が廃止されたために、代金の回収が滞ってしまい、グラバー商会は倒産。
しかし、岩崎弥太郎率いる三菱の顧問に迎え入れられ、高島炭鉱買収にあたり、実質的経営を任されるなど、明治維新後も日本にとどまり、事業家としての手腕を存分に発揮した。 -
係累は、加賀マキという名の女性が産んだ男児(のちにグラバーの邸宅を引き継いだ倉場富三郎)淡路屋ツル(大阪の造船業・談川安兵衛の娘で、一度武家に嫁いでいたが離婚し、大阪に戻ってきていたところをグラバーと仲の良かった五代友厚の紹介で知り合った)が産んだ女児・ハナとのこと。
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倉場富三郎は、父グラバーと親密だった英国人商人のジェームズ・ウォルターと日本人女性、中野エイ夫妻の次女、中野ワカと結婚する。ワカは、富三郎同様、見た目に混血児であることは一目瞭然だったが、常に日本髪を結い、和服を着こなしていたそう。2人は子宝には恵まれなかった。
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倉場富三郎はアメリカ留学から長崎に戻り、リンガー商会に入社すると、蒸気トロール漁船をイギリスから輸入し、日本の水産業の振興に大いに貢献した。
また、網にかかる大量の魚を見て分類学的研究ができる魚類図鑑をつくろうと思い、私費を投じ、25年の歳月をかけてグラバー図譜を完成させた。
しかし第二次世界大戦の最中、妻ワカが急死。やがて長崎に原爆が落とされ、絶望のなか終戦を迎えた富三郎は、その11日後の8月26日に自ら命を絶った。
遺言には、街の復興のために莫大な金額を長崎市に寄付するよう記されていたという。 -
キリンビールの前身会社、ジャパン・ブルワリ・カンパニーの創始者であるグラバー。麒麟ラベルのモチーフになっているのは、グラバーの趣味で建築当初から同じ場所にあったという温室にある狛犬で、ヒゲはグラバーがモデルだという。
温室の狛犬、見損ねた! -
「旧グラバー住宅には、坂本龍馬をかくまった隠し部屋がある」という噂。
トーマス・グラバーが長崎に暮らしていたのは、ちょうど日本が新しい世の中へと変わり始める幕末の時代から明治にかけて。異国の風が吹く長崎には各藩の藩士が集まり、グラバーのもとを訪れていたのは事実。坂本龍馬も武器調達などを目的としてグラバーと交流があったが、グラバーの住宅を訪れたかどうかは資料として残っていないとのこと。また、隠し部屋と噂される廊下の天井裏の部屋も、単なる物置部屋だそう。 -
園内の洋館を見て気づくこと。どの家にもトイレがない!
実は、当時のトイレは室内用に持ち運びできる便器、
つまりおマルを使用していたのだ。ちなみに、用を足した後は、
メイドさんが片付けていたのだそう。衝撃の真実! -
ホテルに戻り、11:00~のさるく(長崎方言:散歩)に参加。私一人だったけど。
トラムの大浦天主堂駅近く。弁天橋越しに見る下り松と南山手。
1863年(文久3)頃開業したベルビュー・ホテルは、長崎最初の大型ホテルで国内外の知名人が多く宿泊した。(現:全日空ホテルグラバーヒル)ホテルの看板が茂みの中に見える。
写真中央にはゴールデン・イーグルホテルが見える。
ガイドして下さった方の祖母は、実物を見ていて貴重なお話を聞くことができた。 -
旧長崎税関下り松派出所。
長崎港は江戸時代(1639~1858)にも日本で唯一の外国との窓口として開かれていたが、開港後も貿易港として重要な位置を占め、税関が置かれた。
開港前、武器の輸入は禁止だったけど、やはり港には税関を通さず外国人居留地へのルートがあったそう。
ここでガイドの祖母の方の貴重な被爆体験のお話も伺い、感慨深かった。
さるくは、1時間ほどだった。 -
グラバー園の外にある洋館を回ろうと、まずホテルの近くの洋館へ。
南山手乙二十七番館(南山手レストハウス)。
英国、メリーポート生まれのウィルソン・ウォーカーの居宅として、明治中期に建造された薄桃色の愛らしい外観が印象的な洋館が南山手八番館。 -
薔薇と洋館、似合う。
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ロバート・N・ウォーカーの兄、ウィルソン(1845~1914)は1868年(明治元)に来日し、グラバー商会で船長を務めた。1874年(明治7)に郵便汽船三菱の監督船長に抜擢され、翌1875年(明治8)日本初の国際定期航路である上海航路の船長を務めた。
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その後日本郵船会社に勤務した後、横浜でトーマス・B・グラバーと共にジャパン・ブルワリ・カンパニー(麒麟麦酒㈱の前身)を設立。1894年(明治27)、家族共々長崎へ移り住み、南山手10番地でクリフ・ハウス・ホテルの経営を行った。
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少しドンドン坂方面へ歩いて、杠葉(ゆずりは)別館。道路から。
かつての病院の旧館でマリア園と並ぶ南山手の近代洋風建築。マリア園は改修工事中だった。
1900年代初頭、レスナーが私邸を建造し、1926年(大正15)からは、杠葉病院へ。 -
旧レスナー邸。ここも中には入れないけど。
シグマンド・デービッド・レスナーは、オーストリア国籍のユダヤ人で、貿易、雑貨商を営みながらオークション業で莫大な財をなした人物。
しかも、彼は商才に長けた人物というだけではなく、道を造ったり、街並みをきれいにしたりして、随分長崎に貢献をした。長崎に住むユダヤ人住民の社会的指導者であり、居留地に住む外国人達からの人望も厚い人間だったそう。
居留地時代、長崎に居住した多くのユダヤ人の増加と繁栄の象徴とも呼べるのが、明治29年(1896)に建造された「梅香崎ベス・イスラエル・シナゴーグ」。
レスナーは、彼らの宗教上の指導者でもあった。しかし、日露戦争では有利に働いたオーストリア国籍が、第一次世界大戦で苦しい立場に立たされ、敵国ということで政府により営業停止の命を受ける。戦争が終わり再び開店したが、大正9年(1920)、突然の心臓発作で60年の人生に幕を下ろした。梅香崎に建造されたシナゴーグなき現在、唯一、長崎の地にユダヤ人社会があったことの名残を留めているのが、坂本国際墓地のユダヤ人区域。この中央に胸像がある。国際墓地で唯一の胸像こそがレスナー、その人だ。当時の英字新聞『ナガサキ・プレス』には、彼の葬儀の模様がこう綴られている。「知名度、人望共に余人の追随を許さない故人のために、あらゆる国籍、業種、宗教の外国人達が葬儀に参列した。」 -
グラバー園の外側にある坂道がきつかった。ホント、長崎って自転車無理で歩きのみ可の急坂が多いよね。
グラバースカイロードを利用。斜面エレベーターでイタリアの街でもたまに見るタイプ。上りは断然楽だよね。
トラムの石橋駅近くまで下りられる。 -
トラムで新地中華街まで。
実は空港まで長崎駅からリムジンバスに乗る予定だったけど、ホテルの案内に新中華街発があると知り、下見も兼ねて散歩。 -
最後にちゃんぽんでも食べてというほど時間もなく・・・
夜はライトアップして雰囲気でるでしょうね。 -
湊公園に見えた中国風の門。この先唐人屋敷などもあったようだけどタイムアップ。
-
新地中華街の駅は、出島にも近い。一昨日入れなかったぼろ可愛いカフェに行ったのだけど満席で空いたら電話をもらうことにして中華街を散歩してた。
でももう時間切れだよねとオープンカフェへ。 -
出島の洋館を眺めながら長崎とのお別れ。出島プリンをいただいた。
ホテルに戻り、荷物をピックアップして新地中華街からリムジンバスで空港へ。
長崎空港発16:19羽田空港着17:05
なかなか充実の旅でした。
お付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (7)
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- milkさん 2022/07/03 22:02:38
- 長崎、行きたくなる~!
- マリアンヌさん、こんばんは☆
遅くなりましたが、長崎の続きを拝見させて頂きました。
この洋館を改めて見ていると、やっぱり長崎に行きたくなりました!
グラバー園は私も10年くらい前に行っていますが、あまり覚えていないみたいです(^▽^;)
せっかく行くならやっぱり五島列島も絡めたいので、それなりの日数を考えないとですね。
お勉強も必須だわ~。
軍艦島は随分と過酷な生活環境だったのですね。
仕事も命がけなのに...。
それにしても、これだけの町があっという間に無人島となってしまったのも凄いですね。
九州にも行きたいけど、そろそろ海外に気が向いて来ましたよね♪
来年が楽しみ~( *´艸`)
milk
- マリアンヌさん からの返信 2022/07/04 10:15:45
- Re: 長崎、行きたくなる~!
- アッコちゃん
コメントありがとう。アッコちゃんはたくさん旅してるから・・・
五島はまだでしたか!ちょっと行きにくいもんね。
長崎もなかなか再訪はしないよね。大昔なんてグラバー邸だけだったと思うわ。洋館移転して見やすくなったね。
軍艦島は、それほど興味なかったんだけど、色々歴史もあって、ロックのMDの背景にいいだけじゃなく知れて良かったわ(^_-)-☆
でもでもアッコちゃん、きっと海外が先よ(笑)
いつかの候補ということで・・・
マリアンヌ
-
- ことりsweetさん 2022/06/05 10:00:22
- コメント 追記
- マリアンヌさん、
コメント投稿してから説明不足なのが気になって追記します。
>特に私がいった五島列島は中通島~頭が島だったので
>奈留島の江上天主堂、福江島もそれぞれ訪れたとのこと。
私たちは日数も少ないので、五島列島のツアーは申しこまず、
自己手配で中通島~頭が島のみ行きました。
本当は奈留島の江上天主堂、福江島も訪問したかったということです。
よろしくお願いします。
ことりsweet
-
- mistralさん 2022/06/05 09:05:36
- カトラリーセットの行きついた先。
- マリアンヌさん
おはようございます。
五島から長崎までの旅行記のアップ、お疲れさまでした。
長崎は私は充分な時間が取れず、心残りの多い地となりましたが、
今回のマリアンヌさんの旅行記から、そうだったのね~と、
色々なことを知ることが出来ました。
特にグラバー邸は一度訪問していても、若い折の旅でしたから
大して記憶にも残らず、グラバー園の存在も今回始めて知りました。
特に旧リンガー邸でのお写真に
奈良ホテルから里帰りした、ナガサキホテルのカトラリーセットがあり
驚きました。
奈良ホテルに宿泊した折、館内ツアーに参加。
奈良ホテルとナガサキホテルとの結びつきが、設計者同士のご縁から
あったことを知りました。
奈良ホテルで大量の古いカトラリーが出てきた折、刻印されたイニシャルから
ナガサキホテルのものと特定され、綺麗に磨き上げた1セットが
長崎に里帰りをした、との事を知りましたが
まさかここ、リンガー邸に展示されているとは知りませんでした。
マリアンヌさんの今回の旅、そして旅行記から、その展示先、そして
カトラリーセットそのものも目にする事が出来ました。
4トラの旅仲間ネットワークのちからですね!
mistral
- マリアンヌさん からの返信 2022/06/06 10:15:10
- Re: カトラリーセットの行きついた先。
- mistralさん
そうなんです。私もmistralさんほど博識ではないけれど明治時代の建物には、興味があって辰野金吾設計の奈良ホテルに興味がありました。
旅行記を拝見していいなぁ宿泊されてと思って拝見していました。
それで今回、旧リンガー邸でカラトリーセットを見て繋がったというわけです。ご丁寧に解説下さったmistralさんに感謝。奈良ホテルも行かなくちゃ!
往時の豪華なナガサキホテルの写真を見るにつけ、保存してくれてたらと残念ですが、時代の趨勢、致し方ありませんね。
ですが、カラトリーセットが過去の栄光を証明してくれてますね。
五島列島と外海の旅行記も車ではないものの、参考にさせていただきました。
グランピングも素敵でしたし、外海地区はより多く巡られて羨ましかったです。長崎は江戸時代も海外と繋がり時代の最先端でしたし、明治維新や殖産興業など貿易商を通じて密接に関わった街、魅力的ですよね。
原爆投下も福岡から変更され運命でしたね。
マリアンヌ
-
- ことりsweetさん 2022/06/05 01:01:53
- 春の長崎旅♪
- マリアンヌさん、こんばんは。
この5月に長崎に行かれたんですね。
私も2019年の2月に、長崎にいってすごく印象的でした。
その特に印象的なスポットとして、
五島列島、軍艦島、グラバー園、出島があってマリアンヌさんも
そこを含めて観光していて興味深くみせていただきました。
特に私がいった五島列島は中通島~頭が島だったので
奈留島の江上天主堂、福江島もそれぞれ訪れたとのこと。
移動はツアー参加の形で大変ですが
とても貴重だと思います。
世界文化遺産エリア内の教会見学は事前予約も
必要だしなかなか大変ですよね。
でもそれ以上にその時代と信仰を大事にしているのだなって
しみじみ感じます。
軍艦島も一時封鎖をていたけれど
再開して、さらに天候がOKで見学できてよかったですね。
あの島の空気、あのエレベーター、実際見て感じる島の感じ。
これも貴重な体験でしたね。
私が行った時も、実際この島で生まれ育ったガイドさんで
当時の空気感までみっちり感じさせてもらいました。
グラバー園は、私の小学校、高校、大学時代と訪れたけれど
でもやはり大人の目でも見られてよかったと思います。
でも私が行った時は修復中だったので
きれいになった五月の薔薇がきれいに咲いている様を
みせていただいて嬉しいです。
マリアンヌさんの撮ったグラバー園とても美しいです。
長崎は、キリシタン禁制のころの日本、
幕末の志士たちと
それを巡る海外からの布教者たち、貿易商、
そして三菱財閥の躍動、
なんとモノ凄い時代の舞台だったのでしょう!
そしてもう少し後世の原爆投下されたの地でもありますし。
ちゃんぽん、プリン、びわのパフェとか
長崎は美味しいものも一杯ですね。
また長崎を再訪したくなりました。
旅の記録をありがとうございました。
ことりsweet
- マリアンヌさん からの返信 2022/06/06 09:57:45
- Re: 春の長崎旅♪
- ことりさん
ご無沙汰しています。ことりさんも五島列島に行かれたんですね!
旅行記、見逃しちゃったみたいです。あとでチェックします。
(親の介護等でほとんど4トラ見れない時期があったので)
中通島~頭が島、いいですねぇ。今回は欲張って長崎も見たくてそちらの島までは回り切れませんでした。
それもツアーでなく自己手配でなんて!
そもそも五島列島は船の便が少ないし、水上タクシー一人で乗ると高くつくし、おまけに潜伏キリシタンだけに僻地に教会があるし・・・
教会見学は文化遺産になろうと実際に祈りと生活があって、高齢の少人数の方々中心が運営されてるのでしょうから予約必須は仕方ないですね。
ちなみにイタリアの村にあるロマネスク教会も村の鍵の守り人に連絡して開けてもらうので、似ていますね。
今回、ぼわっとかくれキリシタンと思っていたことについて行ってから勉強させていただきました。
軍艦島、異様ですよね。話題になるまで端島という海底炭鉱の存在を知りませんでした。実際この島で生まれ育ったガイドさんのお話を聞けて貴重でしたね。
グラバー園の洋館が美しいだけでなく、グラバーだけでない幕末から明治にかけての外国人商人たちの活躍などあらためて歴史をチェックしたりとなかなか濃い内容の旅となりました。
江戸時代唯一、海外と繋がっていた長崎、外国人居留地が活気に溢れてホテルが乱立していた時代にタイムスリップしてみたいですね。
キリスト教関連や原爆投下など長崎はもっと知ってみたい、再訪したい街ですね。でもそろそろ海外に行きたくなってきましたね(^_-)-☆
マリアンヌ
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