2026/02/02 - 2026/02/04
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nekosaruさん
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何十年かぶりで長崎にきた
【初日】
長崎空港→長崎原爆資料館→平和祈念像→浦上天主堂→中華街→唐人屋敷跡→オランダ坂→出島→崇福寺→雲仙温泉(泊)
マイルなんてほとんど使ったことないけど少したまってたんで11月のANAセールで使って長崎にきた。
空港からレンタカーで長崎市を目指す。途中、諫早の高城跡(諫早城跡)と眼鏡橋に寄った。
城跡は公園になっていて大手門の跡が残っていた。
近くには天保10年(1839年)完成の国重文の「眼鏡橋」がある。完成以後一度も流出していない「永久不壊の石橋」 だったそうだけど川幅拡張のためここに移設されたとのこと。
案内板に「永久不壊の石橋を、願い事を念じながら渡ってみてください。あなたの願いが叶うかも・・・」。
早速念じながら渡ってみた。さすがに重厚で歴史を感じる橋だった。
初めて来た長崎原爆資料館では知っているつもりだったけど、衝撃的だった。破壊された物、人の影が焼き付いた壁などもそうだが、テレビ画面に流されていた白黒の映像。
黒く焦げた母親と赤ちゃん、子供、人々の遺体が熱線地獄の恐ろしさ、痛ましさ、残酷さを生々しく伝えていた。写真ではなく動く映像なのでとてもショックだった。
一瞬にして命を奪われた人々、苦しんで亡くなった人々、長く苦しんで亡くなった人々、本当に恐ろしい。
やはりここは来るべきところだった。
原爆祈念像で鎮魂のお祈りをした。
そういえば原爆資料館で11時2分にアナウンスと鎮魂の歌が流された。それではっ、とした。日常の生活をしている今この時に突然原爆が炸裂したとしたら、、、
80年前だと思うと昔だなと思うけど、まだ自分の父親の世代に起こった出来事だと思うとまったく昔の事ではない。11時2分は現実の恐ろしさを思い起こさせた。
浦上天主堂に向かっている時天主堂の鐘の音を聞けた。正午だった。鐘の響きは荘厳で、資料館をみたあとではなにか哀しい音色に聞こえた。
天主堂のなかの被爆したマリア像も涙を流しているように見えた。
天主堂をあとにして長崎中華街へ。駐車場は唐人屋敷近くが安い。
台湾料金「老李」 本店でカラスミチャンポンを食べた。いままでまともなチャンポンを食べて来なかったんでこんなにおいしいチャンポンをはじめて食べた。さすがに中華街。
ランタンフェスティバルの直前だったのですでに赤いランタンの飾りつけが華やかなランタン門どおりを歩く。平日なのに白人や韓国、日本人のカップルやグループで結構賑わっている。
近くの唐人屋敷跡は中華風のお堂だった。これは昭和52年の建物だそう。
ちょっと歩いてオランダ坂へ行ってみる。車の通行量も多いけど石畳が当時の雰囲気を感じさせる。
出島、以前来たときは橋のたもとの石畳にここからが「出島」と矢印とともに表記されてたいただけだったような気がする。いまは屋敷が再現されていて小さなテーマパークになってて驚いた。
出島の駐車場は近くにはなくて遠くに停めてしまったが、電車通りを渡った向かい側、タイムズ電車通りが一番近くて提携割引されるのをあとから知った。
出島でよかったのは考古館で実際に出土した陶器の破片やピストルまで展示されていた。醤油や酒とローマ字で書かれた洋風徳利など南蛮人たちも日本料理楽しんでたのかと思わせる品々もある。
そして少しコジャレたミュージアムショップもあってお土産物もあるのでいい。
長崎市内の最後に崇福寺に行った。
ここは本当に来てみてよかったと思った。
なにせ中国風の建物がほとんど国宝か重文で立派。
観光客はポツリポツリいるくらいで皆欧米の人たちばかり。長崎市内にありながら境内は静寂そのものだ。
ここにいるとなんか中国の明時代の山寺にワープしたような感じだ。堂内の像たちも中国風。お寺の裏は古くからのお墓地が広がっていた。
今日は雲仙温泉泊まりだからそちらへ向かった。
雲仙温泉への道はとても曲がりくねった登り坂ではあったけど硫黄の匂いと白濁した温泉でとてもよかった。
【2日目】
雲仙地獄→日野江城跡→原城跡→有馬キリシタン遺産記念館→口之津→雲仙普賢岳大火砕流保存館→島原城→武家屋敷→バイパスグリーンロードと高速で嬉野温泉へ
朝、強い硫黄の匂いとブクブクと所々で湯が沸き立つ雲仙地獄の遊歩道を歩く。100円の温泉玉子がおいしい。勢いよく沸きあがる白い噴煙は小さな噴火口のようだ。
雲仙を南島原市へ向かって降りる道路は登って来た道とは全然違って走りやすい。
戦国時代のキリシタン大名であった有馬晴信の居城跡「日野江城跡」へ行く。東側の入口から結構な階段を登ると立派な石垣が畑の中にあった。大陸の技術で作られ石垣で、天正遣欧少年使節の4人の少年たちも近くの石階段から本丸に入城したのだそうだ。
車に戻り今度は西側入口から登ってみようと移動途中に面無橋という小さな看板を見つけた。
畑の中にある「面無橋」という小さな石橋は江戸末期に作られた日本で唯一残る自然石でできたアーチ式石橋なのだそうだ。
日野江城跡の西側からは工事中と柵で天守跡の近くまでしか行けなかったがそこからは天草の海が見晴らせた。
「島原・天草一揆」の主戦場となった原城へ行った。
ここは世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつに登録されている。
ここでは2~3万ものキリシタンや一揆勢が籠城して落城、老若男女子供まで全員処刑されている。
天守近くの石垣も破壊されている。
いまはそれを微塵も感じさせないのどかな城跡だが、あとで行った有馬キリシタン遺産記念館には発掘されたキリシタンの十字架やロザリオなどその凄惨さを物語る品々が展示されている。
この記念館では戦闘のことだけでなく16世紀から17世紀の日野江城を中心としたキリスト教の繁栄も紹介されている。
イエスズ会巡察師ヴァリニャーノが1582年(安土桃山時代)に天正遣欧少年使節として日本人の少年4人をヨーロッパに派遣したこと、その天正遣欧少年使節が大航海を経てローマ教皇やスペイン国王などと謁見し各地で大歓迎を受け日本と日本人の存在を世界に知らしめ8年5カ月の旅の末に西洋の文化を持ち帰り国際友好親善の草分け的な役割を果たしたことなどの展示が興味深かった。
特に、日本に戻った4人のその後の人生を初めて知り運命とか生き方とかをとても考えさせられた。
その展示を見て口之津港へヴァリニャーノ胸像へ行ってみたくなった。彼が初めて日本に到着した地だ。口之津港は静かな入り江の中にあって小さなフェリーが天草に向かって出港するところだった。彼は港を背に遠くローマを見ているかの如く西方を向いていた。近くにはおそらく出港する天正遣欧使節の少年たちを描いたと思われる壁画もある。彼と彼らもそれが運命だったのだろうと思うと立派だし少し切ない気持ちになった。
口之津港を離れて今日の宿泊先嬉野温泉へ向かう。
途中雲仙普賢岳の大火砕流で流された家屋が保存された公園が国道近くにあったので寄った。
火山の土砂に埋まった家々は移築されたわけでもなく当時埋まった場所で保存されていた。そしてなんとその場所はいま走って来た国道を越えて海側までだったのには驚いた。
被害はもっと火山に近いところで起こったと思ってたけど、こんなに人びとの暮らしている町までも押し寄せてきたんだとわかってその怖さが実感できた。
島原城と島原武家屋敷も通りすがりで寄った。武家屋敷町並み保存地区は昔の雰囲気を感じれるいいところで武家屋敷の中には雛人形が飾られていた。
ここから約1時間半の運転で嬉野温泉の宿に到着した。
【3日目】
嬉野温泉街→長崎市内グラバー園→大浦天主堂→中華街→大村→長崎空港
午前中、嬉野温泉街を散策
まず「豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)」日本三大美肌の湯・嬉野温泉の鎮守であり白なまずが「美肌の神様のお使い」として信仰されているとのことなので、白なまず様に水をかけてお参りした。韓国や台湾、欧米の観光客がぼつぼつといた。
その後公衆浴場シーボルトの湯から嬉野川岸を歩く。所々に足湯が出来る場所がある。
昔は賑やかだっただろう温泉街も今は少し寂しいけれど、街全体で盛り上げようという気持ちが随所に現れてる。そんなお土産屋さんすーべにあ笑蔵で少しお買物してマップに載ってる瑞光寺というお寺さんにも行ってみた。ここは嬉野宿の本陣があったところだとあり大樹が往時を忍ばせる。
旅館に戻り車で肥前吉田燒窯元会館で焼物を見た。結構山のなかで日本の原風景ザ田舎が見渡せた。
長崎市グラバー園へは約1時間で到着。駐車場は細い急坂を登ったグラバー園の入口下のコインパーキング。
ちょうど13時からのフリーのガイドツアーが始まるところだったので参加した。熱心なおじさんボランティアガイドさんでいろいろ教えてもらった。
印象に残ったことは幕末明治にここに来ていた外人たちはもちろん商売のための来日でも、日本が好きになって戦争経ても戻って来て昭和まで子孫がこの地に住んでいたりしていたという話。
そしてここは住宅地の中にあるから一般の住人の敷地を通過して園内を見学することになっていて近くにはその当時の異人館が今でも普通に事務所として使われてたりするという話、などなど。
園を出たあと近くを散歩してその昔からの建物も見に行った。
大浦天主堂、修学旅行の生徒たちや外国からの観光客などで賑やかだった。ここは竣工の翌年1865年3月に浦上の潜伏キリシタンが訪れ信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない約250年を経ての「信徒発見」の舞台となった所だという。
説明書きに
『彼らは聖堂内で祈るプチジャン神父に近づき、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」と囁い た後、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねました。
プチジャン神父は大喜びで彼らをマリア像 の前へ導いたのだといいます』
250年もの長い間、導く人もいないなかで信仰を密かに受け継ぎ守ってきた人々がいたという事実、信仰を告白した時の彼らの思い、劇的さ、驚き。いまは昔の出来事だけど彼らに対する畏敬の念を抱く。
中華街で早めの夕御飯にした。おとといのチャンポンが忘れられずまた 食べにいった。平日午後5時でもすぐに店はいっぱいになってた。腹ごしらえを終えて空港に向かう。
空港近くの大村まで約40分、スーパーを回ってローカル食材を購入しレンタカーを返却。
空港に19時頃到着し帰り便に乗った。
今回、長崎原爆資料館、祟福寺、硫黄の雲仙温泉、日野江城跡、キリシタン遺産記念館の天正遣欧使節4少年のこと、嬉野温泉街、信徒発見のことなどいままであまり知らなかったことがいっぱいあった。またなにかの機会にそれらのことをもっと知りたいなと思ったいい旅行だった。
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諫早の眼鏡橋、渡るとその重厚さを実感した
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長崎チャンポン
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ランタン祭の直前だったので各所にランタンなどの飾り付けされてた
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唐人屋敷の近くの駐車場は比較的安かった
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出島の考古館、興味深い
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左手が出島、建物が向かい合って再現されていた
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祟福寺、国宝や重文の宝庫、門の右手に小さな駐車スペースがあった
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拝観料は賽銭箱に、と
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関聖帝君、三国志の関羽が神格化され中国・台湾では商売繁盛、武道、財の神として絶大な信仰を集める神様だそうだ
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重文の楼門扉、獅子が魔よけのように睨んでいる
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街中でも静かな佇まいだ
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雲仙地獄、強烈な硫黄の臭いと白煙は近くの国道まで漂っている
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遊歩道が整備されている、近くの民間の駐車場が近い
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阿蘇火口を思い出すくらいの噴煙の勢いだった
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日野江城跡東側登り口
説明板に「日野江城は中世から江戸時代の初めにかけてこの地域の領主であった有馬氏の居城であり、14世紀の南北朝時代に築かれたと伝えられている」とある -
登った先には石垣がのこっている
「石垣の大きさの違う切り石をパネル状に組み合わせた技術は、当時の日本には存在しなかった大陸など外国の技術で今後も日本の他の地域で見つかる可能性は極めて低いと言われる画期的な石垣遺構である」
「日本で初めて のヨーロッパ派遣団である天正遣欧少年使節の4人の少年たちもこの階段遣構から本丸に入城したのである」 -
面無橋 (おもなしばし)
「自然石のみを使った工法を使いこなし、130年以上も崩れ ない自然石積みの技術は土木技術上極めて貴重で日本国内に残る自然石のアーチ式石橋は面無橋ただ1つとなった。構築年代江戸末期」とあった -
日野江城天守跡下から見た天草の海
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有馬のセミナリヨ
「セミナリヨとは16世紀にヨーロッパの教育制度を導入して設置したキリシタンの 中等教育機関である」 -
原城の破壊された石垣跡
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原城天守跡、悲惨な歴史を感じさせない穏やかな日だった
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口之津港にあるイエズス会のヴァリニャーノの胸像奥は天草行きのフェリー桟橋
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土石流被災家屋保存公園、埋まった民家の近くには人々が住んでる住宅が並ぶ
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島原城近くの武家屋敷通り
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武家屋敷の中も見れる
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豊玉姫神社(とよたまひめじんじゃ)の白なまず様
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嬉野温泉街瑞光寺で石塀を支えるお猿さん
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この瑞光寺も静けさの中にあった
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嬉野温泉街の所々にある足湯。ここは足蒸し湯でふたを開けて両足を入れるスタイルだ
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備前吉田焼窯元会館、作品が展示販売されてた
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有名なグラバー園、左手の緑の方がボランティアガイドさん、当日は参加3名でも熱心に説明してくれました
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大浦天主堂とキリスト信者発見記念碑
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旧レスナー邸、説明板に
「この伝統的建造物は、ジークムント・デービッド・レスナーの住宅 でした。高い石垣と広々とした芝生の庭に囲まれ、柱頭とアーチ型の 欄間飾りが特徴的です、事者所として使用しておりますので、室内への立ち入りはご遠慮ください」とあった -
ランタン祭直前の飾り付け
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長崎中華街は海外の人達か多かった
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