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歳末の京都旅4日目となりました。<br /><br />この日も暖かな冬晴れの一日となりました。<br />京都駅 JR奈良線  宇治<br />タクシーで平等院へ<br />平等院鳳凰堂 鳳翔館 <br />歩いて<br />源氏物語ミュージアムへ<br />歩いて宇治川に架かる宇治橋を渡り<br />中村藤吉本店で休憩<br /><br />宇治(12:25)   JR奈良線     京都(12:42)<br />京都駅・八条口(12:53)  市バス   東寺(13:08)<br />東寺<br />「東寺」から「観智院」と拝観し<br />東寺から タクシーで京都駅へ<br />私は、そのまま地下鉄で四条烏丸へ<br />南座「吉例顔見せ興行」千秋楽観覧。<br /><br />京都駅で別行動となったお二人は<br />なにやら美味しいものを食べ<br />お土産屋さんを見て歩いた後<br />朝預けた鞄をコインロッカーから出して<br />タクシーでホテルへ。<br />この日も、充実した一日となりました。<br /><br />☆最終3ページは<br /> 近況と「改訂版」~旅する映画の世界。

暖かな冬晴れの日〈宇治へ〉平等院・源氏物語ミュージアム・中村藤吉本店~東寺そして宮本武蔵も 歳末・京都旅その4

86いいね!

2021/12/23 - 2021/12/23

58位(同エリア1422件中)

8

56

あの街から

あの街からさん

歳末の京都旅4日目となりました。

この日も暖かな冬晴れの一日となりました。
京都駅 JR奈良線  宇治
タクシーで平等院へ
平等院鳳凰堂 鳳翔館 
歩いて
源氏物語ミュージアムへ
歩いて宇治川に架かる宇治橋を渡り
中村藤吉本店で休憩

宇治(12:25) JR奈良線 京都(12:42)
京都駅・八条口(12:53)  市バス   東寺(13:08)
東寺
「東寺」から「観智院」と拝観し
東寺から タクシーで京都駅へ
私は、そのまま地下鉄で四条烏丸へ
南座「吉例顔見せ興行」千秋楽観覧。

京都駅で別行動となったお二人は
なにやら美味しいものを食べ
お土産屋さんを見て歩いた後
朝預けた鞄をコインロッカーから出して
タクシーでホテルへ。
この日も、充実した一日となりました。

☆最終3ページは
 近況と「改訂版」~旅する映画の世界。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
友人
交通手段
タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • この日は、「インターゲートホテル京都四条新町」<br />から京都駅の近く「アンテルーム京都」(最後の2泊)へ<br />ホテルを替える日。<br />ひとまず、京都駅のコインロッカーに鞄を入れて<br />宇治へ向かいました。<br /><br />コートでは暑いくらいの暖かい日で<br />宇治へ向かう電車は一車両に5~6人ほど<br />で、20分余の電車旅です。<br />Suicaが使えて便利でした。<br />

    この日は、「インターゲートホテル京都四条新町」
    から京都駅の近く「アンテルーム京都」(最後の2泊)へ
    ホテルを替える日。
    ひとまず、京都駅のコインロッカーに鞄を入れて
    宇治へ向かいました。

    コートでは暑いくらいの暖かい日で
    宇治へ向かう電車は一車両に5~6人ほど
    で、20分余の電車旅です。
    Suicaが使えて便利でした。

    京都駅

  • JR宇治駅から平等院へは<br />ワンメーターで近距離ですがタクシーを使いました。

    JR宇治駅から平等院へは
    ワンメーターで近距離ですがタクシーを使いました。

  • 改修工事(2019年)終了した姿をまだ<br />見ていない友人に、是非にと予定を組んで<br />いました。<br />拝観料600円

    改修工事(2019年)終了した姿をまだ
    見ていない友人に、是非にと予定を組んで
    いました。
    拝観料600円

  • ここでも、修学旅行生が3クラス程拝観して<br />いましたが、団体でまとまって行動していて<br />写真もゆっくりと写すことができ

    イチオシ

    地図を見る

    ここでも、修学旅行生が3クラス程拝観して
    いましたが、団体でまとまって行動していて
    写真もゆっくりと写すことができ

    平等寺 寺・神社・教会

  • 阿字池の周りをゆっくりと散策することができました。<br />池に写るシンメトリーの鳳凰堂がとても綺麗で友人に<br />喜んでもらえました。

    イチオシ

    阿字池の周りをゆっくりと散策することができました。
    池に写るシンメトリーの鳳凰堂がとても綺麗で友人に
    喜んでもらえました。

  • 3人で鳳翔館を見たあと<br />相方と友人は鳳凰堂へ<br />

    イチオシ

    3人で鳳翔館を見たあと
    相方と友人は鳳凰堂へ

  • 私は、もう少し鳳凰堂を俯瞰しながら<br />眺めていてその後、ミュージアムショップで<br />待ち合わせをしました。

    私は、もう少し鳳凰堂を俯瞰しながら
    眺めていてその後、ミュージアムショップで
    待ち合わせをしました。

  • 平等院を後に参道商店街を歩いて

    平等院を後に参道商店街を歩いて

    宇治橋通り商店街 名所・史跡

  • 参道商店街のお茶屋さんをのぞき<br />

    参道商店街のお茶屋さんをのぞき

  • 宇治川に架かる宇治橋を渡ります。<br />川面がキラキラするのを眺めながら<br />気持ちの良い散策となりました。

    宇治川に架かる宇治橋を渡ります。
    川面がキラキラするのを眺めながら
    気持ちの良い散策となりました。

    宇治橋 名所・史跡

  • 源氏物語ミュージアムへ向かう<br />住宅街で〈宇治田原特産〉と<br />書かれた看板を掲げている民家があり<br />ちょっとだけ見てみました。

    源氏物語ミュージアムへ向かう
    住宅街で〈宇治田原特産〉と
    書かれた看板を掲げている民家があり
    ちょっとだけ見てみました。

  • 「源氏物語ミュージアム」<br />入場料600円<br /><br />住宅街にひっそりと在りました。

    「源氏物語ミュージアム」
    入場料600円

    住宅街にひっそりと在りました。

  • 企画展は<br />『ちはやふるかみよ! うじよ!<br />~落語と古典と名所と  <br />が開催中でした。

    企画展は
    『ちはやふるかみよ! うじよ!
    ~落語と古典と名所と  
    が開催中でした。

  • 「平安の間」<br />映像展示「源氏物語と王朝絵巻」<br />源氏物語の魅力やあらすじを紹介<br />したハイビジョン映像もあり

    「平安の間」
    映像展示「源氏物語と王朝絵巻」
    源氏物語の魅力やあらすじを紹介
    したハイビジョン映像もあり

  • 源氏物語の華やかな世界を象徴する<br />牛車の展示もあり<br /><br />

    源氏物語の華やかな世界を象徴する
    牛車の展示もあり

  • 平安貴族の館<br />で源氏物語の世界を眺めて

    平安貴族の館
    で源氏物語の世界を眺めて

  • 〈夢浮橋ひろば〉<br />源氏物語と宇治とのつながりを<br />説明してくれ<br /><br />紫式部は、源氏物語の最後の舞台は宇治<br />を選びました。<br />

    〈夢浮橋ひろば〉
    源氏物語と宇治とのつながりを
    説明してくれ

    紫式部は、源氏物語の最後の舞台は宇治
    を選びました。

  • 〈源氏物語の香り 文化〉<br />香りの文化は源氏物語と深く関わっていて<br />仏前で香を薫き、清浄な空間にととのえる<br />のもその一つ。<br />また、良い香りのする木で、仏像を彫ること<br />も行われていて、「源氏物語」の中では<br />仏前で香を薫くことを〈名香 みょうこう〉と<br />表現した。とのこと。<br />

    〈源氏物語の香り 文化〉
    香りの文化は源氏物語と深く関わっていて
    仏前で香を薫き、清浄な空間にととのえる
    のもその一つ。
    また、良い香りのする木で、仏像を彫ること
    も行われていて、「源氏物語」の中では
    仏前で香を薫くことを〈名香 みょうこう〉と
    表現した。とのこと。

  • 「源氏物語ミュージアム」から<br />そぞろ歩きで

    「源氏物語ミュージアム」から
    そぞろ歩きで

  • JR宇治駅方向へ向かって歩きます。

    JR宇治駅方向へ向かって歩きます。

  • 中村藤吉本店へ

    中村藤吉本店へ

  • 歴代当主が守り続けた家屋は<br />明治期の典型的な茶商の姿を<br />今に伝える建物として平成21年<br />国の「重要文化財景観」に選定されています。

    歴代当主が守り続けた家屋は
    明治期の典型的な茶商の姿を
    今に伝える建物として平成21年
    国の「重要文化財景観」に選定されています。

  • ここにやって来たからには<br />やはり、これだろう。と<br />〈まるとパフェ[抹茶]〉をいただくことに。<br />

    ここにやって来たからには
    やはり、これだろう。と
    〈まるとパフェ[抹茶]〉をいただくことに。

  • パフェが届く間中身の説明書きを見ていました。笑<br /><br />抹茶・抹茶アイスクリーム<br />レモンジャム・生茶ゼリイ[抹茶]<br />まるとパフェ用特製クリーム<br />うじていら(生クリームと好相性の抹茶かすてら)<br />ベリー・白玉・大納言小豆<br />抹茶ソフトクリーム<br />

    パフェが届く間中身の説明書きを見ていました。笑

    抹茶・抹茶アイスクリーム
    レモンジャム・生茶ゼリイ[抹茶]
    まるとパフェ用特製クリーム
    うじていら(生クリームと好相性の抹茶かすてら)
    ベリー・白玉・大納言小豆
    抹茶ソフトクリーム

  • キンキンに冷えた竹筒の中に<br />ぎっしりと♪<br /><br />“優しい甘さの中に風味豊かな抹茶が広がる“<br />と説明書きに記載してあるとおり(⌒▽⌒)

    キンキンに冷えた竹筒の中に
    ぎっしりと♪

    “優しい甘さの中に風味豊かな抹茶が広がる“
    と説明書きに記載してあるとおり(⌒▽⌒)

  • 相方と友人は<br />宇治本店限定に弱いらしく<br />「生茶ゼリイ」をいただいておりました。<br />一言、「美味しい」とだけ言っておりました。

    相方と友人は
    宇治本店限定に弱いらしく
    「生茶ゼリイ」をいただいておりました。
    一言、「美味しい」とだけ言っておりました。

  • パフェがけっこう重く<br />ランチを後にして腹ごなしに歩きます。<br />とは言ってもJR宇治駅は直ぐでした。笑

    パフェがけっこう重く
    ランチを後にして腹ごなしに歩きます。
    とは言ってもJR宇治駅は直ぐでした。笑

  • 宇治駅から 奈良線で京都駅に戻って<br />八条口から市バスに乗り換えて東寺へ行きました。<br /><br />京都の歳末の風物詩の一つになっている<br />12月21日の「終い弘法」(しまいこうぼう)。<br />毎月21日に行われている弘法市の中でも<br />最も賑わうのが「終い弘法」とのことです。<br />

    宇治駅から 奈良線で京都駅に戻って
    八条口から市バスに乗り換えて東寺へ行きました。

    京都の歳末の風物詩の一つになっている
    12月21日の「終い弘法」(しまいこうぼう)。
    毎月21日に行われている弘法市の中でも
    最も賑わうのが「終い弘法」とのことです。

  • 「終い弘法」の行われた日私たちは、<br />南座で〈三人吉三〉を3人で(⌒-⌒; )<br />観劇した日。<br />私たちが訪れたのは翌々日になっていましたが<br />紅白の幕が張り巡らされていて<br />ちょっとだけ雰囲気が伝わってきました。

    「終い弘法」の行われた日私たちは、
    南座で〈三人吉三〉を3人で(⌒-⌒; )
    観劇した日。
    私たちが訪れたのは翌々日になっていましたが
    紅白の幕が張り巡らされていて
    ちょっとだけ雰囲気が伝わってきました。

  • 毎月の21日の弘法市はコロナの影響で何度も中止を<br />余儀なくされたようでしたが、終い弘法は何とか無事<br />12月21日に開催されました。<br /><br />弘法市でいつも並ぶ骨董品の他に「終い弘法」では<br />正月用品が並ぶこともあって大賑わいになる。とのこと

    毎月の21日の弘法市はコロナの影響で何度も中止を
    余儀なくされたようでしたが、終い弘法は何とか無事
    12月21日に開催されました。

    弘法市でいつも並ぶ骨董品の他に「終い弘法」では
    正月用品が並ぶこともあって大賑わいになる。とのこと

  • この大きな境内にぎっしりと出店が出て<br />賑わったのでしょうね。<br /><br />この日は静まり返った境内で<br />「金堂」「講堂」をじっくりと拝観しました。

    この大きな境内にぎっしりと出店が出て
    賑わったのでしょうね。

    この日は静まり返った境内で
    「金堂」「講堂」をじっくりと拝観しました。

  • 五重塔の建つ境内を歩いているだけで<br />旅人には、たまらない時間となります。<br /><br />国宝『五重塔』<br />天長三年(826年)弘法大師の創建着手<br />に始まりますが、雷火などによって焼失<br />すること4回。 現在の塔は生保元年<br />(1644年)徳川家光の寄進によって<br />竣工。総高55m、現存する日本の古塔中<br />最高の塔で、江戸時代前期の秀作といわれています。

    五重塔の建つ境内を歩いているだけで
    旅人には、たまらない時間となります。

    国宝『五重塔』
    天長三年(826年)弘法大師の創建着手
    に始まりますが、雷火などによって焼失
    すること4回。 現在の塔は生保元年
    (1644年)徳川家光の寄進によって
    竣工。総高55m、現存する日本の古塔中
    最高の塔で、江戸時代前期の秀作といわれています。

  • 国宝「金堂」<br />平安京の正門、羅城門を挟んで建立された<br />東寺と西寺。延暦15年(796年)に東寺<br />が創建され、最初に工事が始められたのが<br />金堂でした。<br />しかし、文明18年(1486年)焼失し<br />現在の堂を豊臣秀頼が発願し、再興。<br />慶長八年(1603年)に竣工しました。

    国宝「金堂」
    平安京の正門、羅城門を挟んで建立された
    東寺と西寺。延暦15年(796年)に東寺
    が創建され、最初に工事が始められたのが
    金堂でした。
    しかし、文明18年(1486年)焼失し
    現在の堂を豊臣秀頼が発願し、再興。
    慶長八年(1603年)に竣工しました。

  • 天竺様の構造法を用いた<br />豪放雄大な気風みなぎる<br />桃山時代の代表的な建築<br />ですが、細部には唐・和風<br />技術も巧みにとり入れています。<br />「東寺」拝観パンフレットより<br /><br />※天竺様(てんじくよう)の構造法<br />鎌倉初期、東大寺再建の為、宋から<br />大勧進俊乗坊重源が取り入れた建築<br />様式で、そのため大仏様(だいぶつよう)<br />ともいう。天竺様は、江南・福建などの<br />地方様式であったらしい。<br />  〈世界大百科事典〉平凡社<br />

    天竺様の構造法を用いた
    豪放雄大な気風みなぎる
    桃山時代の代表的な建築
    ですが、細部には唐・和風
    技術も巧みにとり入れています。
    「東寺」拝観パンフレットより

    ※天竺様(てんじくよう)の構造法
    鎌倉初期、東大寺再建の為、宋から
    大勧進俊乗坊重源が取り入れた建築
    様式で、そのため大仏様(だいぶつよう)
    ともいう。天竺様は、江南・福建などの
    地方様式であったらしい。
      〈世界大百科事典〉平凡社

  • 重要文化財の金堂内<br />薬師三尊・十二神将の他<br />「講堂」の<br />仏像拝観をゆっくりとしたい。<br />と前もって友人からの希望も<br />あり時間配分をしました。<br /><br />今回気がついたのは、<br />入口の階段の勾配がけっこうあり<br />足腰の弱い方は、介添えが欲しい<br />ところです。<br /><br />

    重要文化財の金堂内
    薬師三尊・十二神将の他
    「講堂」の
    仏像拝観をゆっくりとしたい。
    と前もって友人からの希望も
    あり時間配分をしました。

    今回気がついたのは、
    入口の階段の勾配がけっこうあり
    足腰の弱い方は、介添えが欲しい
    ところです。

  • 重要文化財「講堂」<br />天長二年(825年)弘法大師によって<br />着工され承和二年(835年)頃に完成<br />しました。その後、地震や大風で大破し<br />たびたび修理を重ねてきましたが文明<br />十八年(1486年)の土一揆による<br />戦火で焼失。<br />現在の講堂は、延徳三年(1491年)<br />に再興された建物で、旧基壇の上に建て<br />られ、様式も純和様で優美な姿を保っています。<br /><br />

    重要文化財「講堂」
    天長二年(825年)弘法大師によって
    着工され承和二年(835年)頃に完成
    しました。その後、地震や大風で大破し
    たびたび修理を重ねてきましたが文明
    十八年(1486年)の土一揆による
    戦火で焼失。
    現在の講堂は、延徳三年(1491年)
    に再興された建物で、旧基壇の上に建て
    られ、様式も純和様で優美な姿を保っています。

  • 「講堂」で国宝の仏像をじっくりと<br />拝観している友人と相方とここで<br />ちょっと分かれて私は、もう一カ所<br />見たい所がありました。<br /><br />広い景観。<br />暖かな陽射しが心地よく<br />境内をただ散策するだけだとしても<br />い~い時間が過ごせそうです。

    「講堂」で国宝の仏像をじっくりと
    拝観している友人と相方とここで
    ちょっと分かれて私は、もう一カ所
    見たい所がありました。

    広い景観。
    暖かな陽射しが心地よく
    境内をただ散策するだけだとしても
    い~い時間が過ごせそうです。

  • 東寺の別格本山「観智院」<br />「観智院」は、東寺の境内から少し離れた所にあり<br />東寺「食堂(じきどう)」の北方、北大門から北総門までの<br />参道は、櫛笥(くしげ)小路といい、平安時代そのままの幅<br />で残っている京都市内ただ一つの小路です。<br />かってこの一角は、東寺の僧呂の住房で<br />十五の院が集まっていたといいますが <br />今残っているのは「観智院」ただ一つだけになりました。<br /><br />観智院慶長10年(1596年)の地震で被災<br />全ての建物が崩壊。現在に残る客殿は豊臣秀吉の<br />正室北政所の寄進によって建てられたもの。<br />桃山時代の僧呂の居室の姿を今に伝えています。<br /><br />

    東寺の別格本山「観智院」
    「観智院」は、東寺の境内から少し離れた所にあり
    東寺「食堂(じきどう)」の北方、北大門から北総門までの
    参道は、櫛笥(くしげ)小路といい、平安時代そのままの幅
    で残っている京都市内ただ一つの小路です。
    かってこの一角は、東寺の僧呂の住房で
    十五の院が集まっていたといいますが 
    今残っているのは「観智院」ただ一つだけになりました。

    観智院慶長10年(1596年)の地震で被災
    全ての建物が崩壊。現在に残る客殿は豊臣秀吉の
    正室北政所の寄進によって建てられたもの。
    桃山時代の僧呂の居室の姿を今に伝えています。

    東寺観智院 寺・神社・教会

  • 「観智院」私がここにやって来たのは<br />剣豪・宮本武蔵の直筆の襖絵<br />「鷲の図」「竹林の図」を見たい。<br />と思ったことからでした。<br /><br />この旅では、不思議と宮本武蔵に縁がありました。<br />「観智院」の後、偶然に行くこととなった「姫路城」の<br />旅行記を作成の際、姫路城の歴史を紐解き調べたところ<br />千姫が嫁いだ本多忠刻は、城中に宮本武蔵を招き入れ<br />家中の若武者たちに剣道指南役を依頼していた。と知りました。<br /><br />もちろん、私が観智院を訪ねた時には、そんなことは全く<br />知りませんでした。(⌒-⌒; )

    「観智院」私がここにやって来たのは
    剣豪・宮本武蔵の直筆の襖絵
    「鷲の図」「竹林の図」を見たい。
    と思ったことからでした。

    この旅では、不思議と宮本武蔵に縁がありました。
    「観智院」の後、偶然に行くこととなった「姫路城」の
    旅行記を作成の際、姫路城の歴史を紐解き調べたところ
    千姫が嫁いだ本多忠刻は、城中に宮本武蔵を招き入れ
    家中の若武者たちに剣道指南役を依頼していた。と知りました。

    もちろん、私が観智院を訪ねた時には、そんなことは全く
    知りませんでした。(⌒-⌒; )

  • 「観智院」の拝観料は<br />東寺の「金堂」「講堂」「観智院」の共通券が800円で<br />「金堂」「講堂」2ヶ所だと500円でした。<br /><br />「観智院」の各部屋は撮影禁止となっています。<br />入り組んだ部屋には、それぞれに中庭があり<br />小さな枯山水のお庭はそれぞれに違った趣きがあって<br />素敵でした。<br />庭の撮影は、OKとのことでしたが窓の障子越しなど<br />全体を捉えての撮影は(⌒-⌒; ) 難しく中庭の撮影は<br />止めにしました。<br />

    「観智院」の拝観料は
    東寺の「金堂」「講堂」「観智院」の共通券が800円で
    「金堂」「講堂」2ヶ所だと500円でした。

    「観智院」の各部屋は撮影禁止となっています。
    入り組んだ部屋には、それぞれに中庭があり
    小さな枯山水のお庭はそれぞれに違った趣きがあって
    素敵でした。
    庭の撮影は、OKとのことでしたが窓の障子越しなど
    全体を捉えての撮影は(⌒-⌒; ) 難しく中庭の撮影は
    止めにしました。

  • 宮本武蔵の描いた襖絵は、客殿 上段の間の床の間には<br />「鷲の図」~右上には天空を羽ばたく鷲と<br />左下には、地上に飛び上がらんとするもう一羽が描かれています。<br />もう一枚は、客殿、上段の間の襖に描がかれている<br />「竹林の図」<br /><br />『宮本武蔵』<br />諸説ありますが、「五輪書」によりますと、21歳にして都に上り<br />天下の兵法者に会い数度の勝負を決すと言えども、勝利を得ざると<br />いう事なし。まぁ平たく言えば、負けた事がない。とでも?<br />室町将軍の指南役も務めた京都の名門・吉岡道場に乗り込み<br />道場で門弟を破り、果し合いでは師範の吉岡清十郎を京都の蓮台野で倒し<br />さらに弟の伝七郎をも蓮華王院・三十三間堂で打ち負かし、そして<br />一条下り松で大将の源次郎を殺害した宮本武蔵。<br />そのため武蔵は、復讐を狙う吉岡残党、あるいは「武蔵を倒して名を上げたい」<br />という人たちに狙われるようになります。<br />その武蔵が身を隠したのが「観智院」でした。<br />

    宮本武蔵の描いた襖絵は、客殿 上段の間の床の間には
    「鷲の図」~右上には天空を羽ばたく鷲と
    左下には、地上に飛び上がらんとするもう一羽が描かれています。
    もう一枚は、客殿、上段の間の襖に描がかれている
    「竹林の図」

    『宮本武蔵』
    諸説ありますが、「五輪書」によりますと、21歳にして都に上り
    天下の兵法者に会い数度の勝負を決すと言えども、勝利を得ざると
    いう事なし。まぁ平たく言えば、負けた事がない。とでも?
    室町将軍の指南役も務めた京都の名門・吉岡道場に乗り込み
    道場で門弟を破り、果し合いでは師範の吉岡清十郎を京都の蓮台野で倒し
    さらに弟の伝七郎をも蓮華王院・三十三間堂で打ち負かし、そして
    一条下り松で大将の源次郎を殺害した宮本武蔵。
    そのため武蔵は、復讐を狙う吉岡残党、あるいは「武蔵を倒して名を上げたい」
    という人たちに狙われるようになります。
    その武蔵が身を隠したのが「観智院」でした。

  • 当初、宮本武蔵の襖絵を見ることを目的として<br />やって来た観智院でしたが、一通り拝観して<br />みて、武蔵の直筆の襖絵はもちろん満足しましたが<br />同様に興味深かったのが、桃山時代に建てられた<br />書院造りの建築美の素晴らしさでした。<br /><br />私が訪れた時は、ほぼ貸し切り状態で<br />静けさの中で、じっくり、ゆっくりと<br />拝観でき、入り組んだ書院造りを味わうことができました。<br /><br />ここは<br />平成29年に作庭されたという〈涅槃禄「長者の庭」〉<br />銀閣寺同様白川砂を使用しているとのこと。<br />国宝〈客殿〉の縁側に面した広いお庭です。

    当初、宮本武蔵の襖絵を見ることを目的として
    やって来た観智院でしたが、一通り拝観して
    みて、武蔵の直筆の襖絵はもちろん満足しましたが
    同様に興味深かったのが、桃山時代に建てられた
    書院造りの建築美の素晴らしさでした。

    私が訪れた時は、ほぼ貸し切り状態で
    静けさの中で、じっくり、ゆっくりと
    拝観でき、入り組んだ書院造りを味わうことができました。

    ここは
    平成29年に作庭されたという〈涅槃禄「長者の庭」〉
    銀閣寺同様白川砂を使用しているとのこと。
    国宝〈客殿〉の縁側に面した広いお庭です。

  • まるで金沢の忍者屋敷を思い起こすような<br />武蔵の襖絵の床の間には、刀の隠し細工があったり<br />入り組んだ廊下と座敷。枯山水の中庭。<br />座敷に座って障子越しの木漏れ日の中本でも読んで<br />いたいようないい雰囲気でした。<br /><br />東寺の「金堂」で売店の僧呂さんに<br />「観智院」への行き方をお聞きした際に<br />私がカメラを肩にかけているのを見て<br />「観智院へいらしたら客殿の縁側から五重の塔が見えます。<br />そこからの景色がとてもいいですから写してみてください。」<br />と教えていただきました。<br />ここかな。<br />京都らしい雰囲気でしたが<br />周りの木々と屋根などがあり<br />望遠レンズ今日は使わないだろうとホテルに置いてきぼり(⌒-⌒; )でした。

    まるで金沢の忍者屋敷を思い起こすような
    武蔵の襖絵の床の間には、刀の隠し細工があったり
    入り組んだ廊下と座敷。枯山水の中庭。
    座敷に座って障子越しの木漏れ日の中本でも読んで
    いたいようないい雰囲気でした。

    東寺の「金堂」で売店の僧呂さんに
    「観智院」への行き方をお聞きした際に
    私がカメラを肩にかけているのを見て
    「観智院へいらしたら客殿の縁側から五重の塔が見えます。
    そこからの景色がとてもいいですから写してみてください。」
    と教えていただきました。
    ここかな。
    京都らしい雰囲気でしたが
    周りの木々と屋根などがあり
    望遠レンズ今日は使わないだろうとホテルに置いてきぼり(⌒-⌒; )でした。

  • 書院造りの建物があまりに良かったので<br />友人一行を呼ぼうと電話しましたが、二人とも<br />電話に出ず(;゜0゜)後で聞いたら<br />仏像をじっくりと拝観するためスマホの電源を<br />切っていた。とのこと

    書院造りの建物があまりに良かったので
    友人一行を呼ぼうと電話しましたが、二人とも
    電話に出ず(;゜0゜)後で聞いたら
    仏像をじっくりと拝観するためスマホの電源を
    切っていた。とのこと

  • 予定の時間に東寺北大門で待ち合わせ<br />タクシーで京都駅へ<br />兼ねての打ち合わせの通り<br />私は、南座の千穐楽を観るため地下鉄駅へ<br /><br />お二人さん すみません(⌒-⌒; )<br /><br />彼女らは、京都駅で食事をしてから<br />お土産を見て歩きその後<br />朝預けた鞄をコインロッカーから出して<br />タクシーでホテルへ向かいました。<br />チェック・インも頼みました。<br /><br /><br /><br /><br />

    予定の時間に東寺北大門で待ち合わせ
    タクシーで京都駅へ
    兼ねての打ち合わせの通り
    私は、南座の千穐楽を観るため地下鉄駅へ

    お二人さん すみません(⌒-⌒; )

    彼女らは、京都駅で食事をしてから
    お土産を見て歩きその後
    朝預けた鞄をコインロッカーから出して
    タクシーでホテルへ向かいました。
    チェック・インも頼みました。




  • 地下鉄・四条烏丸から歩いて<br />とんかつを食べて<br />三条へ<br />

    地下鉄・四条烏丸から歩いて
    とんかつを食べて
    三条へ

  • まだイノダ珈琲の三条店に来ていなかったなぁ。<br />と気がつき

    まだイノダ珈琲の三条店に来ていなかったなぁ。
    と気がつき

    イノダコーヒ 三条支店 グルメ・レストラン

  • 円形のカウンター席で<br />美味い珈琲を飲み

    円形のカウンター席で
    美味い珈琲を飲み

  • つい二日前にも第二部で三人吉三<br />観劇した南座へ

    つい二日前にも第二部で三人吉三
    観劇した南座へ

  • この日は、「吉例顔見せ興行」の千秋楽<br />第三部の演目は<br />「雁のたより」松本幸四郎・吉弥・錦之助<br />   「蜘蛛糸糸梓弦」片岡愛之助五変化<br />   <br />

    この日は、「吉例顔見せ興行」の千秋楽
    第三部の演目は
    「雁のたより」松本幸四郎・吉弥・錦之助
       「蜘蛛糸糸梓弦」片岡愛之助五変化
       

  • この夜は<br />ひとり楽しみ(⌒-⌒; )ました。

    この夜は
    ひとり楽しみ(⌒-⌒; )ました。

  • とうとう歌舞伎の千秋楽興行を観劇する<br />ことができました。<br />明日は、クリスマスイブだなぁ。と<br />独り言のように呟いてホテルに向かいました。<br /><br />

    とうとう歌舞伎の千秋楽興行を観劇する
    ことができました。
    明日は、クリスマスイブだなぁ。と
    独り言のように呟いてホテルに向かいました。

    京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡

  • 今回巡ったところを並べてみました。<br />ほぼほぼ定番コースでしたぁ。笑<br />が、十分楽しむことができました。<br /><br />この日から2連泊のホテルなど<br />次作に回して

    今回巡ったところを並べてみました。
    ほぼほぼ定番コースでしたぁ。笑
    が、十分楽しむことができました。

    この日から2連泊のホテルなど
    次作に回して

  • ここから改訂版 旅する映画の世界。<br />『ひまわり』『ドクトル・ジバコ』『屋根の上のバイオリン弾き』<br />が始まります。<br />※ 一部前回の旅行記最終ページのコメントと最新掲示板と重複<br /> もありますが、その後、加筆し改訂版としました。<br /><br />先ず“あの街から“の近況報告を兼ねたところから<br />映画を引き合いに出して(⌒-⌒; )進みます。<br />映画が苦手な方はスルーしてください。(^ー^)<br /><br />“あの街から“ にとって、<br />『旅』と『映画』は切っても切り離せない相関関係にあります。<br />気がついてみたら、いつの間にか好きになっていた旅。<br />振り返ってみると、社会人となって自分の意思で<br />旅をするようになった始めのころは<br />特に、映画で見た風景の場所に行ってみたいと<br />旅先を選んでいたように思います。<br /><br />まさか、自分の暮らす現実とは対極にあり<br />映画の中の世界と思っていた21世紀の今起こっている戦争。<br />内外から次々入ってくる報道やSNSで、<br />かってない間接的な擬似戦争体験をしているよう。<br />心が痛くなって 共感疲労で心が固まってしまいそうだけれど<br />同時代を生きる1人として、これは避けて通ることはできない現実<br />決して対岸の火事として見過ごす訳にはいかない。<br />とは、言っても 何もできない。 そんな歯がゆさが募るある日<br />その収益を国連高等弁務官事務所を通じてウクライナ支援とする。<br />とニュース番組で知り映画『ひまわり』を観に出かけて行きました。<br /><br />映画『ひまわり』は、ウクライナに広がっている広大な<br />ひまわり畑が登場するとニュースで取り上げられたこともあり<br />劇場は満席でした。<br />※上映前には、劇場内は法令によって1時間に8回程空気が<br />入れ替わるよう換気を徹底しています。とのスライドと<br />入場前の検温・マスク着用等コロナ対策もとられていました。<br /><br />『ひまわり』<br />第二次世界大戦下ナポリの海岸で恋に落ち結婚した2人。<br />結婚式の後僅か数日で夫は、ロシアの戦場へ。<br />終戦をむかえても戦場から戻ってこない夫の行方を探しに<br />鉄のカーテンといわれた冷戦下のロシアへ・・・。<br /><br />涙は心の浄化作用がある。と何かで読んだことがあるけれど<br />満員となった映画館で映画ファンの熱い視線を見ることができたり<br />あのヘンリーマンシーニのテーマ曲が流れ大写しになった<br />広大なひまわり畑を見ただけで涙が出てきて<br />固まってしまった心を解きほぐしてもらったりと<br />思わぬ小さな幸せをもらうことができました。<br /><br />今回観て、新しい発見もありました。<br />何より、物語がリアル感をもって迫ってきました。<br />『ひまわり』の監督デ・シーカは、庶民の視点から描く<br />シリアスタッチのネオレアリズモ(※イタリア語:1940年代<br />から1950年代にかけて当時イタリアで支配的だった<br />ファシズム文化への抵抗として、特に文学と映画で起こった潮流。)<br />継承追求し、冷戦下で困難を極めた現地ロケの撮影許可にこぎ着け<br />ウクライナの首都キーウの南方500km程に広がっているひまわり畑で<br />ロケを敢行しました。<br /> 日本では公開当時から人気を集め、「キネマ旬報」など<br />映画誌の生涯ベストの上位をしめた作品ですが、こと外国においては<br />本国のイタリアでも、アメリカでもさほどの評判とならず<br />デ・シーカの他の作品 アカデミー主演女優賞を受賞した「ふたりの女」<br />やアカデミー外国語映画賞を受賞した「昨日・今日・明日」のように<br />資料も作品のネガもほとんど残されおらず<br />(2021年現在、全世界でもネガが見つからなかった。という)<br /><br />2010年九段南のイタリア文化会館で開催されたソフィア・ローレン<br />の作品上映と写真展に出席のため来日した際彼女は『夫と苦心して<br />創り上げた大切な作品「ひまわり」を愛してくださる日本のファンの<br />皆さまに感謝致しております。』コメントを残しています。<br /><br />人気の日本においてもマスターがポジプリントで<br />上映の度コピーを重ねる度に映像クオリティが劣化していました。<br />これが今回の上映にあったって日本の技術者によって4Kに修復を試み<br />るも、元の素材の劣化で4Kは叶わず2Kで最も修正度合いの高い上映<br />となったそうですが、私が観た限り、色彩など劣化があまり気にならない<br />程修正されていました。<br /><br />帰宅後この機会に<br />ウクライナやロシアが舞台となった映画はないかと、<br />自室のライブラリーを探し<br />『ドクトル・ジバコ』と『屋根の上のバイオリン弾き』を手に<br />久しぶりに観てみました。<br />

    ここから改訂版 旅する映画の世界。
    『ひまわり』『ドクトル・ジバコ』『屋根の上のバイオリン弾き』
    が始まります。
    ※ 一部前回の旅行記最終ページのコメントと最新掲示板と重複
     もありますが、その後、加筆し改訂版としました。

    先ず“あの街から“の近況報告を兼ねたところから
    映画を引き合いに出して(⌒-⌒; )進みます。
    映画が苦手な方はスルーしてください。(^ー^)

    “あの街から“ にとって、
    『旅』と『映画』は切っても切り離せない相関関係にあります。
    気がついてみたら、いつの間にか好きになっていた旅。
    振り返ってみると、社会人となって自分の意思で
    旅をするようになった始めのころは
    特に、映画で見た風景の場所に行ってみたいと
    旅先を選んでいたように思います。

    まさか、自分の暮らす現実とは対極にあり
    映画の中の世界と思っていた21世紀の今起こっている戦争。
    内外から次々入ってくる報道やSNSで、
    かってない間接的な擬似戦争体験をしているよう。
    心が痛くなって 共感疲労で心が固まってしまいそうだけれど
    同時代を生きる1人として、これは避けて通ることはできない現実
    決して対岸の火事として見過ごす訳にはいかない。
    とは、言っても 何もできない。 そんな歯がゆさが募るある日
    その収益を国連高等弁務官事務所を通じてウクライナ支援とする。
    とニュース番組で知り映画『ひまわり』を観に出かけて行きました。

    映画『ひまわり』は、ウクライナに広がっている広大な
    ひまわり畑が登場するとニュースで取り上げられたこともあり
    劇場は満席でした。
    ※上映前には、劇場内は法令によって1時間に8回程空気が
    入れ替わるよう換気を徹底しています。とのスライドと
    入場前の検温・マスク着用等コロナ対策もとられていました。

    『ひまわり』
    第二次世界大戦下ナポリの海岸で恋に落ち結婚した2人。
    結婚式の後僅か数日で夫は、ロシアの戦場へ。
    終戦をむかえても戦場から戻ってこない夫の行方を探しに
    鉄のカーテンといわれた冷戦下のロシアへ・・・。

    涙は心の浄化作用がある。と何かで読んだことがあるけれど
    満員となった映画館で映画ファンの熱い視線を見ることができたり
    あのヘンリーマンシーニのテーマ曲が流れ大写しになった
    広大なひまわり畑を見ただけで涙が出てきて
    固まってしまった心を解きほぐしてもらったりと
    思わぬ小さな幸せをもらうことができました。

    今回観て、新しい発見もありました。
    何より、物語がリアル感をもって迫ってきました。
    『ひまわり』の監督デ・シーカは、庶民の視点から描く
    シリアスタッチのネオレアリズモ(※イタリア語:1940年代
    から1950年代にかけて当時イタリアで支配的だった
    ファシズム文化への抵抗として、特に文学と映画で起こった潮流。)
    継承追求し、冷戦下で困難を極めた現地ロケの撮影許可にこぎ着け
    ウクライナの首都キーウの南方500km程に広がっているひまわり畑で
    ロケを敢行しました。
     日本では公開当時から人気を集め、「キネマ旬報」など
    映画誌の生涯ベストの上位をしめた作品ですが、こと外国においては
    本国のイタリアでも、アメリカでもさほどの評判とならず
    デ・シーカの他の作品 アカデミー主演女優賞を受賞した「ふたりの女」
    やアカデミー外国語映画賞を受賞した「昨日・今日・明日」のように
    資料も作品のネガもほとんど残されおらず
    (2021年現在、全世界でもネガが見つからなかった。という)

    2010年九段南のイタリア文化会館で開催されたソフィア・ローレン
    の作品上映と写真展に出席のため来日した際彼女は『夫と苦心して
    創り上げた大切な作品「ひまわり」を愛してくださる日本のファンの
    皆さまに感謝致しております。』コメントを残しています。

    人気の日本においてもマスターがポジプリントで
    上映の度コピーを重ねる度に映像クオリティが劣化していました。
    これが今回の上映にあったって日本の技術者によって4Kに修復を試み
    るも、元の素材の劣化で4Kは叶わず2Kで最も修正度合いの高い上映
    となったそうですが、私が観た限り、色彩など劣化があまり気にならない
    程修正されていました。

    帰宅後この機会に
    ウクライナやロシアが舞台となった映画はないかと、
    自室のライブラリーを探し
    『ドクトル・ジバコ』と『屋根の上のバイオリン弾き』を手に
    久しぶりに観てみました。

  • 『ひまわり』も『ドクトル・ジバコ』も『屋根の上のバイオリン弾き』も<br />テーマ音楽が流れてくるだけで心も うるうる。<br />そのシーンだけが記憶として残っていたのでは(-_-;)と自問しつつ。<br /><br />『ひまわり』と『ドクトル・ジバコ』に共通したのが<br />戦争によって引き裂かれた夫婦が、その後夫は戦場で<br />心ならずも妻以外の女(ひと)と結ばれてしまう哀しい運命。<br />『屋根の上のバイオリン弾き』は<br />覇権国から、突然いわれなき理由にもならぬ 言いがかりによって<br />土地も家も取り上げられて移住を強いられる村人たちが一家離散し<br />新天地へと向かう物語。<br />そして、<br />『ひまわり』『ドクトル・ジバコ』『屋根の上のバイオリン弾き』の<br />3本に共通するのが<br />戦争によって翻弄される市井の人々の姿が描かれています。<br /><br />さらに、『屋根の上の』では、<br />以前観た時には、単なる地名として聞き流していた<br />キーウ(キエフ)が、三姉妹の次女の彼がやって来た街であったり<br /><br />『ひまわり』では、<br />この作品を観るたびに主人公のソフィア・ローレンに<br />泣かされてしまうシーン<br />それは、帰還兵から夫らしき人と戦地で一緒だった<br />との僅かな情報を頼りに鉄のカーテンの向こうに探しにゆく新妻。<br />その先で、夫が戦地(ロシア)で行き倒れになっている<br />ところを村の娘さんに助けられ所帯を持って暮らしていることを<br />知った妻が絶望感に押し潰されイタリアへ帰ろうと小走りに<br />鉄道の駅に向かうシーン。<br />その鉄道駅の手前に当時も原発の建物が建っていたこと。<br /><br />『ドクトル・ジバコ』<br />舞台となっているのは、モスクワとロシアの大地だったなぁ。<br />との曖昧な記憶をこの機会に、少し紐解いてみました。<br />手元にある映画の情報誌「キネマ旬報」の外国映画編<br />「映画遺産200 オールタイム・ベスト」「創刊80回全史」等 <br />その他 文春文庫「洋画ベスト150」<br />「戦後生まれが選ぶ 洋画ベスト100」<br />ウィキ等を参考としました。<br /><br />映画「ドクトル・ジバコ」は、1966年6月日本公開。<br />ソ連(当時)の小説家ボリス・パステルナークの原作を<br />英国の巨匠デヴィッド・リーンが監督しました。<br />この小説は、当初ソ連においては、<br />ロシア革命を批判する作品であるとして出版はおろか<br />発表もできず、1957年になってやっとイタリアで刊行され<br />その後世界18ヵ国で出版されると翌年パステルナークは<br />ノーベル文学賞を授与されることとなったがソ連作家同盟は<br />除名追放する等の妨害を受け受賞の辞退を迫った。<br />パステルナークは、<br />「母国を去ることは、死するに等しい」と受賞を辞退。<br />1960年彼の名誉回復がないまま逝去。<br />一方、ノーベル委員会はパステルナークの<br />ノーベル文学賞の辞退を認めず公式な受賞者として記録されることに。<br />やがて、ソ連国内での発行禁止は1988年解けることになりました。<br /><br />映画「ドクトル・ジバコ」の撮影当時は、冷戦時代の真っ只中で<br />鉄のカーテンといわれたモスクワはもちろんのことロシアでの<br />ロケは絶望的でした。<br />デヴィッド・リーンは、スペインの北部のSoria(ソリア)に<br />ロシアの雪景色のロケを敢行し、さらにはマドリード郊外に<br />巨大なセットを造りモスクワの街を再現し、製作費1100万$を<br />かけて3時間17分という70m大作として公開しました。<br />けれど、公開してみると、デヴィッド・リーンと過去の大作<br />「戦場にかける橋」や「アラビアのロレンス」に比べて<br />映画評論家たちからは「これは壮大なるメロドラマではないか」等 <br />日米共に酷評でした。<br />それというのもパステルナークの長大な小説を全て映画化することは<br />困難と判断した製作者のカロル・ポンティと監督のデヴィッド・リーンは<br />政治的な部分や難解な言い回しなどは極力排除して<br />「革命を背景した愛の物語にスポットを当てよう。」<br />その方が、興行的に有利なことから映画製作過程においては<br />よくある手法なので<br />その意図が結実した形の作品となったのだと思もわれます。<br /><br />映画評論家諸氏には、デビット・リーンに期待していた作品<br />とはならなかった要素の「壮大なるメロドラマ」風なところも<br />確かにあるのだけれど、戦争に巻き込まれなかったら<br />あのめぐり逢いもなかったと考えると、こんな形で戦争悪を捉え<br />芯のある作品にもなっていたように感じました。<br />そして、美しいテーマ曲の流れにのせて、ロシアの凍てつく冬景色<br />や広大な大地を華麗なカメラワークで見せてくれただけでも、<br />記憶に残る作品となりました。<br />全米での公開当初は興行成績も映画の評価と同様あまりパッとした<br />成績とはなりませんでしたが、アカデミー賞で作曲賞を受賞した<br />テーマ曲のヒットもあって、その後興行成績を盛り返してゆき<br />結果的には、日本を含め全世界では$1億1192万という<br />1960年代としては驚異的な興行収益となりました。<br />1965年 アカデミー賞では脚色・撮影・衣装デザイン美術監督、<br />装置・作曲の5部門を受賞しました。<br />(作品・監督・脚本などの賞は受賞ならず。)<br /><br />なお、製作のカルロ・ポンティは、イタリアの大プロディューサーで<br />日本の映画雑誌を飾った作品だけをサラリとあげてみますと<br />「ひまわり」「道」「鉄道員」「昨日・今日・明日」「特別な一日」<br />「カサンドラ・クロス」等130本余の作品を手がけました。<br />また、カルロ・ポンティはソフィア・ローレンの夫でもあります。<br />坂口智彰訳の「ソフィアローレン(※自伝)」(講談社)をみますと <br />二人の物語もドラマティックで話しが長くなりそうなので(⌒-⌒; )<br />未だ、手付かずのイタリア旅行記が多数残っていますので<br />新しく、イタリアの旅行記を出す時にでも、と思っています。<br />

    『ひまわり』も『ドクトル・ジバコ』も『屋根の上のバイオリン弾き』も
    テーマ音楽が流れてくるだけで心も うるうる。
    そのシーンだけが記憶として残っていたのでは(-_-;)と自問しつつ。

    『ひまわり』と『ドクトル・ジバコ』に共通したのが
    戦争によって引き裂かれた夫婦が、その後夫は戦場で
    心ならずも妻以外の女(ひと)と結ばれてしまう哀しい運命。
    『屋根の上のバイオリン弾き』は
    覇権国から、突然いわれなき理由にもならぬ 言いがかりによって
    土地も家も取り上げられて移住を強いられる村人たちが一家離散し
    新天地へと向かう物語。
    そして、
    『ひまわり』『ドクトル・ジバコ』『屋根の上のバイオリン弾き』の
    3本に共通するのが
    戦争によって翻弄される市井の人々の姿が描かれています。

    さらに、『屋根の上の』では、
    以前観た時には、単なる地名として聞き流していた
    キーウ(キエフ)が、三姉妹の次女の彼がやって来た街であったり

    『ひまわり』では、
    この作品を観るたびに主人公のソフィア・ローレンに
    泣かされてしまうシーン
    それは、帰還兵から夫らしき人と戦地で一緒だった
    との僅かな情報を頼りに鉄のカーテンの向こうに探しにゆく新妻。
    その先で、夫が戦地(ロシア)で行き倒れになっている
    ところを村の娘さんに助けられ所帯を持って暮らしていることを
    知った妻が絶望感に押し潰されイタリアへ帰ろうと小走りに
    鉄道の駅に向かうシーン。
    その鉄道駅の手前に当時も原発の建物が建っていたこと。

    『ドクトル・ジバコ』
    舞台となっているのは、モスクワとロシアの大地だったなぁ。
    との曖昧な記憶をこの機会に、少し紐解いてみました。
    手元にある映画の情報誌「キネマ旬報」の外国映画編
    「映画遺産200 オールタイム・ベスト」「創刊80回全史」等 
    その他 文春文庫「洋画ベスト150」
    「戦後生まれが選ぶ 洋画ベスト100」
    ウィキ等を参考としました。

    映画「ドクトル・ジバコ」は、1966年6月日本公開。
    ソ連(当時)の小説家ボリス・パステルナークの原作を
    英国の巨匠デヴィッド・リーンが監督しました。
    この小説は、当初ソ連においては、
    ロシア革命を批判する作品であるとして出版はおろか
    発表もできず、1957年になってやっとイタリアで刊行され
    その後世界18ヵ国で出版されると翌年パステルナークは
    ノーベル文学賞を授与されることとなったがソ連作家同盟は
    除名追放する等の妨害を受け受賞の辞退を迫った。
    パステルナークは、
    「母国を去ることは、死するに等しい」と受賞を辞退。
    1960年彼の名誉回復がないまま逝去。
    一方、ノーベル委員会はパステルナークの
    ノーベル文学賞の辞退を認めず公式な受賞者として記録されることに。
    やがて、ソ連国内での発行禁止は1988年解けることになりました。

    映画「ドクトル・ジバコ」の撮影当時は、冷戦時代の真っ只中で
    鉄のカーテンといわれたモスクワはもちろんのことロシアでの
    ロケは絶望的でした。
    デヴィッド・リーンは、スペインの北部のSoria(ソリア)に
    ロシアの雪景色のロケを敢行し、さらにはマドリード郊外に
    巨大なセットを造りモスクワの街を再現し、製作費1100万$を
    かけて3時間17分という70m大作として公開しました。
    けれど、公開してみると、デヴィッド・リーンと過去の大作
    「戦場にかける橋」や「アラビアのロレンス」に比べて
    映画評論家たちからは「これは壮大なるメロドラマではないか」等 
    日米共に酷評でした。
    それというのもパステルナークの長大な小説を全て映画化することは
    困難と判断した製作者のカロル・ポンティと監督のデヴィッド・リーンは
    政治的な部分や難解な言い回しなどは極力排除して
    「革命を背景した愛の物語にスポットを当てよう。」
    その方が、興行的に有利なことから映画製作過程においては
    よくある手法なので
    その意図が結実した形の作品となったのだと思もわれます。

    映画評論家諸氏には、デビット・リーンに期待していた作品
    とはならなかった要素の「壮大なるメロドラマ」風なところも
    確かにあるのだけれど、戦争に巻き込まれなかったら
    あのめぐり逢いもなかったと考えると、こんな形で戦争悪を捉え
    芯のある作品にもなっていたように感じました。
    そして、美しいテーマ曲の流れにのせて、ロシアの凍てつく冬景色
    や広大な大地を華麗なカメラワークで見せてくれただけでも、
    記憶に残る作品となりました。
    全米での公開当初は興行成績も映画の評価と同様あまりパッとした
    成績とはなりませんでしたが、アカデミー賞で作曲賞を受賞した
    テーマ曲のヒットもあって、その後興行成績を盛り返してゆき
    結果的には、日本を含め全世界では$1億1192万という
    1960年代としては驚異的な興行収益となりました。
    1965年 アカデミー賞では脚色・撮影・衣装デザイン美術監督、
    装置・作曲の5部門を受賞しました。
    (作品・監督・脚本などの賞は受賞ならず。)

    なお、製作のカルロ・ポンティは、イタリアの大プロディューサーで
    日本の映画雑誌を飾った作品だけをサラリとあげてみますと
    「ひまわり」「道」「鉄道員」「昨日・今日・明日」「特別な一日」
    「カサンドラ・クロス」等130本余の作品を手がけました。
    また、カルロ・ポンティはソフィア・ローレンの夫でもあります。
    坂口智彰訳の「ソフィアローレン(※自伝)」(講談社)をみますと 
    二人の物語もドラマティックで話しが長くなりそうなので(⌒-⌒; )
    未だ、手付かずのイタリア旅行記が多数残っていますので
    新しく、イタリアの旅行記を出す時にでも、と思っています。

  • 『屋根の上のバイオリン弾き』<br />映画の「屋根の上のバイオリン弾き」以前に同名のミュージカルが<br />ブロードウェイで初演の幕を開けたのは<br />1964年9月22日のことでした。<br />映画化が決まったのは初演から4年後の1968年7月で、<br />完成まで3年余りの年月を要しました。<br />その間にも、ブロードウェイでは、1971年2845回を重ねて<br />それ迄「ハロー・ドーリー」が樹立した最長記録を破り<br />1972年には3224回の上演を記録しました。<br />日本では<br />1967年9月~帝劇で森繁久彌・越路吹雪・市川染五郎<br />1975年2月~日生劇場で森繁・上月晃・倍賞千恵子<br />・益田喜頓で上演されそれ以来<br />帝劇と梅田コマ、地方巡業などで再演を繰り返し<br />森繁久弥の当たり役になりました。<br />私が観劇したのは、寒い時期だったとの記憶があり<br />(高一の頃、姉の付き添いで観に行きました。)<br />森繁・倍賞千恵子のキャスティングの日生劇場公演と思われます。<br />その後も、キャスティングを幾たびか変えながら上演が続いており<br />2021年2月には日生劇場公演も好評だったようですが<br />私は、森繁久彌が演じたテビエの強烈な印象が忘れられず<br />その後、舞台での「屋根の」は観ていません。(⌒-⌒; )<br /> <br />話しを映画に戻してこの物語の舞台となっている<br />帝政ロシアの寒村アナテフカという地名はソ連(映画公開当時)の<br />地図には見出出ないそうですが、<br />かといって実在の地名ではないとは言い切れないのです。<br />               映画評論家 野口久光の解説 参照<br /><br />※それというのは物語が1905年(日本では、日露戦争が終わった明治38年)<br />の帝政ロシアの物語で、地名が変わってしまうことも考えられるのです。<br /><br />ここで『屋根の上のバイオリン弾き』の中で長女の結婚式のシーンに<br />花嫁の両親が歌った歌「サンライズ・サンセット」を映画の字幕より<br />歌詞を載せてみます。<br /><br />抱いて歩いたあの娘が 遊び回っていたあの男の子が<br />いつの間に こんなに育ったのかしら 知らぬ間に美しい娘に <br />知らぬ間に一人前の男に ほんの昨日まで子供だったのに <br />陽は昇り 陽は沈み <br />日々は流れ過ぎる 苗は一夜で花になり <br />みるみる花開く 日は昇り陽は沈み <br />歳月は飛び過ぎる 季節は移り変わる 喜びと涙とともに<br />                          字幕~菊池浩司<br /><br />作物・生き物・食べ物に感謝をして慎ましく・平和に暮らしていた人々。<br />とうもろこし畑や麦畑に囲まれた小さな村 アナテフカ(架空の村)で <br />伝統にのっとり行われていた結婚式で流れた歌「陽は昇り 陽は沈む」<br />村人たちがコザックダンス(ボトルダンス)を踊ったり <br />酒を酌み交わしたり賑やかで心温まる <br />厳かな結婚式のシーンその途中から物語は一変 <br />やがてこの地を追い出されてしまうこれらの人々たち。<br />前半の穏やかに過ぎてゆく日常との対比が鮮やかに描かれていて<br />覇権者の横暴さが際立ちます。<br />やがて家族が、一家離散し再興を期して各地へ <br />狂言回しのバイオリン弾きがまるで<br />「こんなことは 決してあってはならないことだよ!」とでも言っている<br />無言の顔のクローズアップの後<br />主人公が荷車に僅かな家財を乗せ新天地に向かうシーンで<br />映画は終わります。<br /><br />最後に<br />前回アップした旅行記「歳末の京都旅~清水寺界隈」のコメントを<br />掲示板に寄せていただき、これら3つの作品を紐解くきっかけを<br />作ってくださった<br />〈frau.himmelさん〉に感謝をいたします。<br />そして、一日も早く世界の街へ旅することができる日々が<br />戻ってくることを祈念して今回の旅行記の〆といたします。<br />                                                2022.4.27

    『屋根の上のバイオリン弾き』
    映画の「屋根の上のバイオリン弾き」以前に同名のミュージカルが
    ブロードウェイで初演の幕を開けたのは
    1964年9月22日のことでした。
    映画化が決まったのは初演から4年後の1968年7月で、
    完成まで3年余りの年月を要しました。
    その間にも、ブロードウェイでは、1971年2845回を重ねて
    それ迄「ハロー・ドーリー」が樹立した最長記録を破り
    1972年には3224回の上演を記録しました。
    日本では
    1967年9月~帝劇で森繁久彌・越路吹雪・市川染五郎
    1975年2月~日生劇場で森繁・上月晃・倍賞千恵子
    ・益田喜頓で上演されそれ以来
    帝劇と梅田コマ、地方巡業などで再演を繰り返し
    森繁久弥の当たり役になりました。
    私が観劇したのは、寒い時期だったとの記憶があり
    (高一の頃、姉の付き添いで観に行きました。)
    森繁・倍賞千恵子のキャスティングの日生劇場公演と思われます。
    その後も、キャスティングを幾たびか変えながら上演が続いており
    2021年2月には日生劇場公演も好評だったようですが
    私は、森繁久彌が演じたテビエの強烈な印象が忘れられず
    その後、舞台での「屋根の」は観ていません。(⌒-⌒; )
     
    話しを映画に戻してこの物語の舞台となっている
    帝政ロシアの寒村アナテフカという地名はソ連(映画公開当時)の
    地図には見出出ないそうですが、
    かといって実在の地名ではないとは言い切れないのです。
                   映画評論家 野口久光の解説 参照

    ※それというのは物語が1905年(日本では、日露戦争が終わった明治38年)
    の帝政ロシアの物語で、地名が変わってしまうことも考えられるのです。

    ここで『屋根の上のバイオリン弾き』の中で長女の結婚式のシーンに
    花嫁の両親が歌った歌「サンライズ・サンセット」を映画の字幕より
    歌詞を載せてみます。

    抱いて歩いたあの娘が 遊び回っていたあの男の子が
    いつの間に こんなに育ったのかしら 知らぬ間に美しい娘に 
    知らぬ間に一人前の男に ほんの昨日まで子供だったのに 
    陽は昇り 陽は沈み 
    日々は流れ過ぎる 苗は一夜で花になり 
    みるみる花開く 日は昇り陽は沈み 
    歳月は飛び過ぎる 季節は移り変わる 喜びと涙とともに
                              字幕~菊池浩司

    作物・生き物・食べ物に感謝をして慎ましく・平和に暮らしていた人々。
    とうもろこし畑や麦畑に囲まれた小さな村 アナテフカ(架空の村)で 
    伝統にのっとり行われていた結婚式で流れた歌「陽は昇り 陽は沈む」
    村人たちがコザックダンス(ボトルダンス)を踊ったり 
    酒を酌み交わしたり賑やかで心温まる 
    厳かな結婚式のシーンその途中から物語は一変 
    やがてこの地を追い出されてしまうこれらの人々たち。
    前半の穏やかに過ぎてゆく日常との対比が鮮やかに描かれていて
    覇権者の横暴さが際立ちます。
    やがて家族が、一家離散し再興を期して各地へ 
    狂言回しのバイオリン弾きがまるで
    「こんなことは 決してあってはならないことだよ!」とでも言っている
    無言の顔のクローズアップの後
    主人公が荷車に僅かな家財を乗せ新天地に向かうシーンで
    映画は終わります。

    最後に
    前回アップした旅行記「歳末の京都旅~清水寺界隈」のコメントを
    掲示板に寄せていただき、これら3つの作品を紐解くきっかけを
    作ってくださった
    〈frau.himmelさん〉に感謝をいたします。
    そして、一日も早く世界の街へ旅することができる日々が
    戻ってくることを祈念して今回の旅行記の〆といたします。
                      2022.4.27

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この旅行記へのコメント (8)

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  • masamimさん 2022/05/04 00:00:24
    宇治から京都。そして映画「ひまわり」などの背景を語られる迫力にびっくりでした
    あの街からさん、こんばんは! masamimです。

    宇治ってJR奈良線の駅なんですね。  
    駅からワンメーターといっても、平等院は意外に不便なんだなぁ。
    改修工事後の阿字池に写る鳳凰堂や宇治橋を渡った時の川面もとても綺麗でした。

    私は、源氏物語ミュージアムは石山寺にあるものと思ってました。
    平安貴族の館で源氏物語の世界を眺めて。
    ちはやふるなんて、落語ネタとか出てきたのも楽しかったです。

    東寺の別格本山「観智院」で、宮本武蔵の直筆の襖絵 などが見られて。、
    宮本武蔵のゆかりがあるのも興味深いなぁと拝見していたら・・

    その後にウクライナを舞台にした映画が紹介されて、
    『ひまわり』に出てきたひまわり畑はウクライナだったんですね。

    私がこの映画を見たのは・・
    かれこれ○0年前です。
    この頃は、ウクライナはまだ独立国家じゃないですもんね。

    マストロヤンニのその頃のイメージは、
    うーん・・まぁドンファンかな・・
    ソフィアローレンは、有名なセクシー女優でしたからね。

    戦地だった場所で探し出した夫と再会を果たしたソフィアローレンが、
    後ろを向いて肩を震わせていたシーンは涙が止まりませんでした。

    ドクトルシバゴは、配役はすごかったですが、
    私には何を意図してるのかよく分かりませんでした。

    でも、それぞれの映画の背景に、こんなシリアスな歴史があったとは・・

    後半は、とにかくウクライナの悲惨な現実に対して、あの街からさんからの怒りが爆発でしたね!
    今回の旅行記はとても新鮮に感じましたよ。

    本当に安心して外国旅行に出られる日が来ることを願ってやみません。




    あの街から

    あの街からさん からの返信 2022/05/04 07:17:44
    RE: 旅する映画の世界へようこそ♪( ´▽`)
    masamimさん こんにちは
    旅行記を丁寧に読んでいただいて
    ありがとうございます。♪( ´▽`)

    平等院は天気の良い日なら宇治川を眺めながら参道商店
    街を通って平等院まで歩くのは丁度良い散策路です。
    私が今回訪れたのが歳末で、もしかしてたら川風が冷たい
    かなぁ。と予定表にタクシーと書いて友人たちに渡してお
    いたので行きはそのままタクシーとしましたが帰りは歩い
    いた方が気持ちが良さそうな陽気でやっぱり歩いてしまいました。

    今回の一緒した友人から仏像をゆっくりと拝観したいとの
    リクエストがあり、以前拝観していることもありそこまで
    造詣の深くない自分は(⌒-⌒; )その間、何度か訪れていて
    も未だ寄ったことがない「観智院」へ行く今回良い機会と
    なりました。素晴らしい日本建築美と宮本武蔵の物語と興味
    満載な見学となり、残しておこうとついつい長くなってしまいました。

    そうですよね。私も友達と小遣いを握りしめ名画座と
    に通い出したのは、まだ少年の頃。その多くはリバイバル
    上映で観、興味を覚え、やがて高校生なって映画誌に出会
    い情報のみが先歩き(⌒-⌒; )
    「ドクトル・ジバゴ」も、少年の自分には、どれ程の理解を
    して観たのか(⌒-⌒; ) 音楽とロシアの厳しく美しい冬景色
    だけが印象に残っていました。
    それが今回数年ぶりにテレビ録画を観て、モスクワで働く
    ジバゴ医師が突然最前線の医師として赴くことになる経緯
    など現実に重なって見えより物語に入ることができました。

    今回同行した友人は、かって南の海でダイビングを趣味と
    していた人で、私たちが昨年夏宮古島で60歳を数年過ぎて
    からシュノーケリングに初トライする話しを聞き相方に
    「どこでも良いから旅に行こう」と話しとなり実現した旅
    でした。 
    私は、南の海のビーチでゆっくりするのは、まだまだ先に
    とっておこう。と思っていたのですが4Tでmasamimさん
    をはじめとして皆さんの旅行記を拝見して早まりました♪

    6月から予約のジェット便に又燃油サーチャージが加算され
    る。との報道があり、もしそうなら円安と重なって
    また一段ハードルが高くなりそう(;゜0゜)なのですが
    コロナや戦火も治まって1日も早く世界の街へ旅する日を
    迎えたいですね。

    〈緑の日〉素晴らしい季節を迎えましたね♪楽しい休日を♪
     ありがとうございます。
  • ポテのお散歩さん 2022/05/01 23:56:31
    三条店
    あの街からさん こんばんは。

    イノダの三条店、改修工事の為 来年春まで営業していません。
    新しくなる前のお店に来店されて、良かったです(*^-^*)
    どんな雰囲気のお店になるのか楽しみです。

      ポテ

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2022/05/02 20:21:14
    RE: 三条店
    旅ポテさん こんばんは(⌒▽⌒)
    そうなンだ。
    三条店改装工事に入ったのだぁ。
    寄って来て良かった。
    三年坂店が閉店した時には、ガッカリ(;゜0゜)したことを
    覚えていますが、三条店はリニューアルオープンと
    なるのでしたら♪( ´▽`)ですね。
    来年春迄ということは、すっかり変わっちゃうのかなぁ。
    あの円形カウンター席は残して欲しいなあと思います。
    リニューアルしたお店、来春ということは、
    きっと京都は以前のように人・人で賑わうだろうなぁ。
    そのころの、京たよりは、
    旅ポケさんの旅行記で楽しむことになりそう。
    気に入りの店でしたので、情報をありがとうございます♪
                 あの街から

  • frau.himmelさん 2022/04/30 22:39:21
    更に詳しく取り上げてくださってありがとうございます
    あの街からさん、今回もこんばんは。

    平等院の表紙のお写真、絵葉書かと思いました。あんまり美しいお写真で。
    ご夫婦とご友人との3人京都旅、優雅な旅ですね~。
    行きたいところに行き、食べたいものを食べ、観たいものを観て、時には別行動・・、ゆったりとした素敵な時間が流れていますね。

    さて、今回も映画のことを、更に詳しく取り上げてくださってありがとうございます。また私の名前まで載せてくださって、光栄です。
    実は、どうしてももう一度あの作品が観たくて、先日、「ひまわり」と「ドクトルジバゴ」を借りてまいりました。

    そして一昨日「ひまわり」だけは観ることができました。
    内容はすっかり忘れていましたが、あのひまわり畑が延々と続くシーンでは、ウクライナの人々のことを思い、黄色い花の色がぼーーっと霞んで見えました。
    それからマストロヤンニがロシアの雪原で死にかけている姿は、物語としてではなく、どうしても現在の状況に重ね合わせてしまいます。
    あの街さんも旅行記の中でおっしゃっていましたが、ロシアとウクライナで起っていることは、現実として受け止めなければならないのですよね。

    「ドクトルジバゴ」は連休中に観たいと思っております。パソコンではなく、テレビに繋いで大きな画面で観たいのでまだとってあります。
    それと、DVDのケースに330分とありますが、5時間半もかかるのですね。やはり時間がある時でないと。

    思いがけず忘れかけていた名作に親しむ時間を作ってくださった、あの街からさんにお礼を申し上げます。

    himmel

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2022/05/01 13:57:53
    RE: こちらこそありがとうございます(⌒▽⌒)
    himmelさん こんにちは(⌒▽⌒)

    himmelさんのおかげで、私もじっくりと紐解きする楽しさを味わうことができ
    こちらこそ ありがとうございます♪

    「ひまわり」と「ドクトル・ジバゴ」借りてくださったとのこと。
    時間を共有できたような♪ うれしいです。
    「ドクトル・ジバゴ」ですが、本編の上映時間は
    確か3時間20分程だったと思います。
    ですから、himmelさんのレンタルなされたDVDは、
    もしかしたら例えばメイキングやら
    予告編やら監督や俳優の言葉など特別編集のものかもしれませんね。

    まあ、いずれ3時間20分となると
    少々気合いを入れて観なければいけませんね。(⌒-⌒; )
    序曲(オーバーチュア)の音楽が流れた後本編が始まって途中に
    インターミッション(休憩)があり音楽が流れて
    その後後半の本編が始まる。という、
    さすがデイビッド・リーンの超大作を連休の一日を楽しんでください。

    製作された当時、
    ハリウッドの映画産業もテレビに押されていて、
    これは何とかせねばならない。
    とテレビに対抗する方策の一つとしてスクリーンの
    大型化に取り組みました。
    それまで、以前の比べて横長になったシネマスコープが
    一般的になっていましたが、それにも
    増して35mmフィルムを70mmとした例えば「ウエストサイド物語」
    「サウンド・オブ・ミュージック」「2001年宇宙への旅」
    や「ローマ帝国の滅亡」等の歴史・史劇ものを多作しました。
    そんな時代背景もあって大型画面を意識して製作された
    作品ですから、せっかくの機会パソコンやタブレットではなく
    是非にも、せめてテレビでご覧になっていただけたら(⌒▽⌒)
    と思います。
     
    この時期に観ると、どうしても現実に重なって見てしまいますね。
    その人たちに、しばし寄り添うそんな時間になっても良いのかもしれないなぁ。と
    思ったりしています。
                     
             あの街から
  • エヌエヌさん 2022/04/30 09:51:27
    おはようございます。
    あの街からさん

    平等院すごく綺麗に撮れてますね。
    水面の映り込みも綺麗ですし余程機材が良いのかしら?

    自分も昨年宇治に出掛けてます。宇治川の橋の横に紫式部像があるのは承知してましたが・・・
    源氏物語ミュージアムは知らなかったです。
    行きたかったな。

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2022/04/30 14:26:34
    RE: おはようございます。
    エヌエヌさん こんにちは(⌒▽⌒)

    平等院を訪ねたあの日は、天気がことのほか良く
    朝一だったこともあり、空気も澄んでいて
    阿字池の水面も凪そこにもってきて
    修学旅行生が行儀良く整列して写真を写している他
    ほとんど拝観者がおらず、好きな場所で写せ
    ラッキーが重なった結果でした。(^ー^)

    綺麗に撮れていると言えば
    エヌエヌさんのどの旅行記にも美味しそうな
    食べものが登場しますが、どれもこれも
    映え で綺麗で何かコツがあるのだろうか♪( ´▽`)と
    思っていましたよ。

    美味しい食べもの 楽しみにしています。♪
    ありがとうございます。

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