2022/04/15 - 2022/04/16
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旅好き長さんさん
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善光寺が7年に一度のご開帳が行われると言うことで、JTB旅物語のツアーの長野県の有名な5つのお城(日本百名城)での花見と合わせて出かけて来ました。
今回の旅程は、
4月15日:新幹線で名古屋に行き、そこから特急しなの7号に乗り換えて塩尻駅で下車。その後バスで松本城、高遠城址公園を観光した後、立科町のホテルアルビエント蓼科に宿泊。
4月16日:バスで小諸城跡・懐古園、上田城跡公園観光後、善光寺参り。その後松代城跡を観光し、JR塩尻駅から特急電車と新幹線を乗り継いで帰宅しました。
例年だとこの時期が桜の満開なのですが、先週一気に暖かくなったせいか桜の花見の時期を逸してしまいました。
今回は2日目の午前中に観光した、小諸城跡・懐古園と上田城跡公園の観光の様子を紹介します。
この日は、昨日までの雨も止み、青空の下桜を楽しむことができました。
インターネットの開花状況では散り始めとのことでしたが、小諸城跡・懐古園の桜はとてもきれいでした。
表紙の写真は、懐古園のしだれ桜です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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4月16日(土)
目を覚まして客室から外を眺めると雨は止んでいるものの霧がでています。
建物の下を見るとまだ残雪が残っています。
外は寒そう。
そのため朝の散策は断念してお風呂に入ります。 -
ホテルの朝食はビュッフェスタイル。
いつも食べ過ぎるので少なめに料理を取ったつもりが、今回も食べ過ぎでお腹いっぱいになってしまいました。 -
ホテルを8時に出発しましたが、まだ霧が残っています。
この建物が私達が宿泊したホテルの棟です。
宿泊したホテルは本館以外にこのような別館が何棟かあるようです。 -
ホテルを出発して小諸城跡・懐古園には9時前に到着。
この頃には霧もはれ、青空が覗いてきました。
ここの桜はまだ十分見られそうです。 -
公園の入り口にはSLのC56が展示されていました。
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小諸城は、1487年に信濃守護小笠原氏の流れをくむ、大井光忠が現在の大手門に築いた鍋蓋城と言われているそうです。
その後1554年佐久地方を制圧した武田信玄が小諸城を拡張整備し、1591年に小諸城に入った仙石秀久による大改造を経て現在の姿になったそうです。 -
ただ明治維新後は他の城と同様に廃城処分となり、荒廃していきましたが、それを憂いた旧小諸藩士達が資金を集めて小諸城を払い受け、本丸跡に神社を祀り、花木を植えて公園にして『懐古園』と名付けたそうです。
この橋は黒門橋です。 -
この日は青空も広がり、絶好の花見日和。
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桜並木が続きます。
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桜も満開です。
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こちらが本丸跡に築かれた懐古神社。
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境内には池もありました。
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こちらが懐古神社の本殿です。
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この写真は、天守台から眺めたものです。
小諸城は、日本100名城でかつ日本さくら名所100選の一つです。 -
イチオシ
ここから眺めた桜並木が絶景。
とてもきれいです。 -
この日は天気が良いので遠くまで見通せます。
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この木は接ぎ木がされているのか、色の異なった花が咲いています。
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アップで見るとこんな感じ。
これも桜の木? -
ここのしだれ桜もとてもきれいです。
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ここはお城の馬場だったところで、いろんな種類の桜が植えられています。
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この日は天気も良く土曜日のため家族連れの花見客が多かったです。
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この桜はソメイヨシノではなくしだれ桜の仲間かな?
ピンクの大きな花ビラがきれいです。 -
イチオシ
このように立派なしだれ桜もあります。
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地面を見ると花びらの絨毯が広がっているので散り始めのようです。
ちょっと風が吹くと花吹雪になっていました。 -
この桜は、懐古園で有名な『小諸八重紅しだれ桜』です。
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そしてこちらは藤村記念館。
島崎藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品などが展示されています。 -
まだ時間があるのでこの三の門を通って大手門に向かいます。
この三の門は、寄棟造りの二層の城門で1615年に創建されたものです。
正面の『懐古園』の大額は徳川家康が書いたものだそうで、この門は国指定重要文化財です。 -
そしてこちらも国指定重要文化財の大手門です。
1612年藩主の仙石秀久が小諸城を築いた際に造られたものです。 -
この大手門は、小諸城の表玄関で有り、本丸から数えて4番目の門なので『四の門』とも、門の屋根が瓦なので『瓦門』とも呼ばれているそうです。
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この桜と白樺の木の向こう側がJR小諸駅です。
懐古園は駅のそばにあるのでとても便利です。 -
その後、上田城跡公園にバスで移動。
正面の建物は南櫓です。 -
駐車場から南櫓のそばを通って城内に向かいます。
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ここの桜は見頃をだいぶ過ぎているようで、かなり散っています。
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ここが上田城入り口の東虎口櫓門です。
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その東虎口櫓門のそばにこの大きな真田石があります。
真田幸村の兄の信之が松代移封の際、父の形見として持ち運ぼうとしたが、あまりにも大きく不動であったとの伝説を持つ直径3mの石です。 -
東虎口櫓門を入って振り返ると南櫓が望めます。
虎口というのは、城の出入り口のことだそうです。 -
そしてこちらが真田神社。
ここは真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神とした神社です。 -
こちらは絵馬を奉納するところで、上田神社は2度の徳川軍の攻撃に対して一度も落ちなかったとのことで、入試などの時期に学生に人気があるそうです。
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境内にはこのようなモニュメントもありました。
この兜は真田信繁(幸村)が身につけたといわれる巨大な鹿角脇立朱塗兜です。 -
こちらが本殿です。
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本殿のそばにはこのような像もありました。
この像は、得意の槍で出撃命令を下す真田幸村(信繁)の姿をモデルにしたものだそうです。 -
こちらは真田井戸。
城内唯一の大井戸で、この井戸からは抜け穴があって、城の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説があるそうです。 -
ここからの景色がこれで、上田の町が一望できます。
真田昌幸によって築城されたこの上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城で、昌幸がここから徳川軍を見下ろし撃退したのかと思うと感慨深くなります。 -
この西櫓は寛永3~5年(1626~1628年)にかけて仙石氏によって建てられたもので、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物だそうです。
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本丸跡の桜はほとんどが散っていました。
真田昌幸が築いたこの上田城は、2度の徳川軍の攻撃に対し少人数で守り抜きました。
特に昌幸父子が相分かれて戦うことになった、関ヶ原の戦いの前哨戦である第2次上田合戦では、徳川軍3万8千人に対してわずか2500人で守り抜くとはビックリです。
結局、徳川秀忠軍はここで足止めをくって、肝心の関ヶ原の合戦に間に合わず、父の家康に叱責を受けたそうです。 -
この花は、蚕のエサとなる桑の花です。
この地方の上田紬は、生糸に適さない屑繭を真綿にし、それを紡いだ袖糸で織られたものだそうです。
上田紬が有名になったのは、真田昌幸・幸村親子だと言われていて、先ほどの徳川勢との戦いで勇名を馳せた上田の名と共に『真田も強いが上田紬も強い』と言われたそうです。
この後、善光寺に向かいましたがそのときの様子は次の旅行記で紹介させていただきます。
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旅行記グループ
桜に魅かれて善光寺・高遠城と松本の旅
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