1993/10/02 - 1993/10/12
9位(同エリア148件中)
ほいみさん
20年近く前に、母親孝行のためにヨーロッパに行った話。
今回は後半のパリとナンシー編です。
表紙写真は、ナンシーのスタニスラス広場
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道
-
ジュネーブとツエルマットに計3泊して、再びグループツアーが構成され…と言っても10人くらいだが…「当時は噂の」TGVでパリに向かう。
な~んと、ここで私たち親子は、今回初めて「庶民の2ndクラス」に乗った。この「JAL・二都ツアー」にはジュネーブ→パリ間のTGVも含まれていた。
ここで何故か、私がフランス庶民とワインを飲んでる写真が残っている。 -
飲むにつれて、意味が通じてない会話で盛り上がり、姉やお袋にも酒杯が回って来た。
流石にJALのツアー・・・宿泊はニッコードパリであった。当時のニッコードパリがどの程度の「高級ホテル」であったのかは知らない。名前からして超一流ってことは無さそうだが、情けないことに、私にとって国内外に関わらず「一番高級」なホテルであった。この先も「高級ホテル」には縁が無さそうなので「ニッコードパリ」が生涯で一番高級なホテルとなる・・・だろう。
そしたら、ニッコードパリは買収されちゃって、とっくに無いんだってね。 -
午後には花の都パリ様に到着。
エッフェル塔や凱旋門・ノートルダムなど「パリに行って来ました」的な観光。
それよりも、ところどころで見掛ける「アールヌーボー」しちゃってるモノに感激。 -
してるよね~
-
アールヌーボーは日本の美術も影響してた・・・っていうし
-
ニッコードパリには日本食レストラン「弁慶」があって、旅の中間日ということもあって、寿司を食べた。
この後は母の体調を考慮して、なにかとこの「弁慶」を利用した。 -
そんなことで、パリ2日目は「日帰りナンシーの旅」
早朝、リヨン駅に向かう。東往きだから当然「東駅」発だと思ってたらリヨン駅からだった・・・危ね~!
ナンシーはパリから「ほぼ東方向」へ300㎞。東京から豊橋に匹敵する。パリから半径250-300㎞内にはブラッセル・ドーバー・レンヌなどがある。
日本は新幹線だから間違えは無いが、フランスの電車ってどうよ?
ナンシーにはなるべく長く滞在したいから、ナンシーを夕方の電車でパリに戻る予定。
万が一、ナンシーで泊まらざるを得なくなった場合に備えて、最低量の必需品は持って行く・・・それらはナンシー駅で預ける。 -
当然1stクラスである。
車窓を流れる田園風景を楽しみながら、簡単な朝食を注文した。 -
車掌さんも超丁寧で「も~・・偉くなった気分」
-
9時過ぎにはナンシーに着いたかな。
海外の鉄道駅って、ホームが低かったりするから、お年寄りは要注意。 -
ナンシー駅。
-
さっそくスタニスラス広場へ・・・バス邪魔!
でもNANCYって書いてあるし。 -
お腹が減った…と言うので、本日2回目の朝食。
-
後で知ったんだけど、スタニスラス広場はこの時、既に世界遺産に登録されてたんだってね。そりゃ、日本最初の世界遺産が1998年だってから、私は世界遺産って言葉自体を知らなかった・・・たぶん。
スタニスラス広場は1983年に登録されている。 -
母は帰国後も「スタニスラス広場のカフェで朝ご飯食べた」ことを周囲に自慢していたが、そもそも当時の日本では「ナンシーもスタニスラス」も知らない人ばかり。
エッフェル塔をバックに撮った写真がウケてたのを残念がってた。ちなみに母は、最期まで「スタニスラス広場」って言えなかった。 -
私も、初めて見るスタニスラス広場の美しさには感動した。
-
広場を囲むように装飾門?柱?があるので、写真には難しいが、
-
今だったらもっと艶やかな写真が撮れるはずだ。
-
夢にまで見た、ナンシーへようこそ!
-
本当はナンシー見学が含まれたパックツアーがあれば、それで行こうかと思っていたのだが見つからず、今回の形態になった。
-
この旅の途中でも、ナンシーに1泊しようかとも考えたのだが、花のパリ見学もしたいじゃんね。
もちろん、今となってはナンシーにもっと時間を割けば良かったとは思ってる。 -
実は私も、パリは電車の乗り代えで寄ったことがあるだけだったし・・・ちょっと欲張っちゃったかな。
-
昼前にタクシーで「ナンシー派美術館」へ向かう。
母は「夢に登場したナンシー」に今いることに感動していたが「スタニスラス広場もナンシー派美術館」のことも知らなかったみたい。私も交通公社のガイドブックに、僅か2ページで書かれていた情報が頼りだった。 -
これが美術館の裏口だったかなあ・・・? 違うかも
-
アールヌーボーのガラス器や家具が大量に展示されていたが、何故か写真が見つからない・・・撮影禁止ってことは無かったと思うけど。
-
トイレだけが、妙に近代的だった。
美術館を出たら、タイミング良く路線バスが停まった。下りて来る乗客のひとりに、10個くらいは知ってるフランス単語のひとつ「ガァル?」って聞いたら「そうだよ」みたい雰囲気だったので、3人で乗った。
おふくろは瞬時に席を譲られた。
海外あるあるで「料金の払い方が分からない」。
駅に着いたら乗客が「いいよ、どんどん降りちゃいなよ」って感じで、ドライバーにアイコンタクト。なんだか大丈夫な雰囲気だったので、結果的に無賃乗車になってしまった・・・しかも3人で。まぁ、ナンシー往復は1stクラスなんで、フランスには十分貢献してるし。
この一件で母は、すっかりフランスファンになってしまった。
その後10数年「フランス人って、とっても親切なのよ~」のイメージのまま天に召された!? -
ごく普通のレストランに入った。
メニューはフランス語のモノしかなかったが、ランチサービス的なものがあり、それを注文したら、案の定、2人前的な量が3人前出た。
猫型ティーポットが可愛かったので聞いたら、駅の近くの瀬戸物屋?だというので行ってみたが、発見出来なかった。 -
日本の果物屋って凄い!
-
再びスタニスラス広場に戻って・・・
-
もうパリに戻ってもよろしいですか?
と確認。 -
ナンシーがお気に入りでしたら、引っ越しますか?
-
不思議なキオスクがある駅に戻った。
-
暗くなり始めた頃、パリ行の電車に乗った。
-
位置関係はこんな感じ。
-
さてパリ3日目はJALお勧めの「シベルニー1dayツアー」に参加した。
-
お陰様で、ジュネーブからのシャモニーツアーの日と同じく「私の休息日」となる。
-
フィルム写真のユルさがモネっぽい?
-
ここではけっこう撮ったのに・・
-
写真って何処に行っちゃうんだろうね。
-
フランスっぽい?
-
果物屋さんって、世界中でハミ出してる…と思う。
-
弁慶でカツどん。
-
焼き鳥で一杯・・・はやらなかった。
-
妙に馴染んでない?
-
今日はスーパーで、いろいろ買って・・・
-
夕飯!?
-
最後の夕飯かな?
ほどほどのレストランに入ってみた。 -
つまみに「海鮮盛り」頼んだら・・・
-
定番、シタビラメのなんたらかんら・・・は、巨大過ぎて30%も食べられない。
翌日、無事に日本に向かって出発しました。 -
パリも定番は観光したんだけど、
-
写真が行方不明。
-
母はこの巨大なトイレットペーパーを見て
「これは画期的、日本も今にこうなる」
と断言していた。
現在のフランスのトイレットペーパー事情を知りたい。
以上、孝行息子と行くヨーロッパの旅でした・・・第2弾は有り得るのか?
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
親孝行なヨーロッパ旅 1912
-
前の旅行記
親孝行なヨーロッパ・1993 その1 スイス ジュネーブ・ツエルマット
1993/10/02~
ツェルマット
-
次の旅行記
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その1 いきなりの試練
1994/10/03~
シュタイン・アム・ライン
-
親孝行なヨーロッパ・1993 その1 スイス ジュネーブ・ツエルマット
1993/10/02~
ツェルマット
-
親孝行なヨーロッパ・1993 その2 フランス ナンシー&モネさんち
1993/10/02~
ナンシー
-
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その1 いきなりの試練
1994/10/03~
シュタイン・アム・ライン
-
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その2 アルプスはまだか~…なルツェルン
1994/10/03~
マイリンゲン
-
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その3 ユングフラウヨッホへ
1994/10/03~
ユングフラウ周辺
-
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その4 予定変更には柔軟に対応いたします。
1994/10/03~
トゥーン
-
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その5 イタリアに入るで~…油断するな~
1994/10/03~
シエナ
-
親孝行なヨーロッパ・2回戦目 1994 その6 ストライキって何だ?
1994/10/03~
ルッカ
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (8)
-
- 栗マリさん 2022/03/23 22:03:20
- 親孝行なほいみさんへ
- 想い出の写真満載の旅行記、文調も、大変楽しく拝見して、一言お声を掛けたくなってしまいました。金色に光ったマッターホルンも、スタニスラフ広場の金色の柵もキラキラ輝いています!
実はコロナ前からナンシーに行きたくて(ドイツ発ですが)、新刊のガイドブックを出版発売日に予約し、ホテルの予約までして準備万端でしたのに、遂に遂に対コロナ対策で行かれなくなってしまっていました。このイースター時期、やはりどうしても行きたい、と再度計画を立て始めたところで、ほいみさんのナンシー旅行記が目に入りました。お母さまに申し上げたかったです。「ナンシー知ってます。スタニスラフ広場知ってまーす!」と。ジベルニーも何度でも行きたい好きなところです。余談ですが、私の母も今となっては高齢でもう長旅は出来ず、最後に行った欧州旅行は念願だった(一つの)モンサンミッシェル旅行でした。
- ほいみさん からの返信 2022/03/23 22:52:45
- Re: 親孝行なほいみさんへ
- 初めまして・・・ですよね。
栗マリさんはドイツにお住いなんでしょうか?
地域によっては、ナンシーは直ぐ近くですね・・・羨ましい。
そうなんですか・・・モンサンミッシェル。当時、私はモンサンミッシェルの存在を知らなかったので行かなく済みました・・・モンサンミッシェルまで行くとなると、パリから日帰りは厳しいですね。
アールヌーボーが好きなら、ナンシーは絶対に行かなければ! 私はこの旅が決まってから、母が持っていた写真集などで勉強?をしましたが、ゲージツに疎い私が非常に興味を持てました。
栗マリさんの「ナンシー日記」楽しみにしてます。
ほいみ
-
- さとぴ。さん 2022/03/23 21:27:14
- その30年前にアメリカ。完全にお嬢様。
- ほいみさん、こんにちは。
わたしもベルサイユ宮殿かと思いました。
スタニスラス広場?世界遺産の先駈けなんですね。
「ナンシー派美術館」の中ものぞきたかったです。
ざんねん。写真どこいったんでしょうね。
つまみの「海鮮盛り」が豪華すぎじゃないですか。
生ガキ、ムール貝、エビ。。これはバブってますね。
サントシャペルの標識が。シテ島ですね。焼き栗買ったのですかね。
それにしてもお母様がお上品ですばらしい。ご自慢のママですね。
さとぴ。
- ほいみさん からの返信 2022/03/23 22:33:57
- Re: その30年前にアメリカ。完全にお嬢様。
- え~・・・さとぴ。さん・・・お嬢様コンプレックス?
時代的に私の両親は戦中派で、父は兵役、母は空襲から逃げ回り、戦後の物資が乏しい中、闇市で生計を立て、兄や姉を育てて来たので、私の様な平和ボケ世代には、ひと言ひと言がいちいち重かったです。難しい理屈を並べなくても、重量感がある教え。ま~‥自分が親になってみると「お説教も出来なくて」情けないです。
そうそう、パリも一通り観光したし、オランジェリーでモネ水連に再会もしたんですよ。ナンシー美術館・ベルサイユの写真は、姉が後生大事に持ってるとは思います。焼き栗が気に入ったようで、お土産にもしました。私は普通に天津甘栗の方が食べるのが簡単で好きです。
ほいみ
-
- くろねこだりゅんさん 2022/03/23 16:40:44
- ハイカラなお母さま♪
- こんにちは♪
おそらく当家の母よりも少しお年が上かと思われますが、ナンシーの発想が素晴らしい!
あの年齢の海外のイメージってあこがれのハワイ航路だと思っておりました。
当然当家の両親も「海外へ行く=ハワイ」でハワイに行きました。
「ヨーロッパは?」「飛行機長いの無理&言葉が通じない」だそうで…
確かに海外になれた息子さんと気の利く娘さんが一緒だと心強いですよね~
…
私では役不足だったのかしら(爆)
ホテルニッコー、憧れでした(^^♪
昔は日本系列のホテル&デパートは海外の大都市には必ずありましたが、今はほとんどが撤退…時代を感じます。
そこでは安心して日本食を食べれたり円を使用出来たりしましたが、逆に日本食のレストランが出来たりカード決済が当たり前になったって事なのかな?
トラベラーズチェックなんて今の方は知らないだろうし(笑)
ナンシーの街にはビックリ。こんなに素敵な広場がある街なのに知らなかった~
ベルサイユ宮の入り口みたいです。それを小型化したみたいな感じでしょうか?
今から見るとフィルム写真ってとても感じが柔らかいですね。
モネの風景だけじゃなくてパリの街も素敵に見える☆
昔の写真を拝見して久しぶりに自分が一番最初に行った旅行を見返してみようかな?と。押し入れに入っているので探すのが一苦労です"(-""-)"
ヨーロッパ、もう行けないのかな~(涙)
- ほいみさん からの返信 2022/03/23 20:37:55
- RE: ハイカラなお母さま♪
- こんばんは。
昔、ピーターって怪しい芸能人がいたじゃん。彼がアールヌーボーに傾倒してたんじゃなかったかなぁ・・・そんな雑誌もありました。
1990年前後、バブルの真っ盛りに、日本人の海外旅行ブームが本格化したと思います。バブルパワーでパリやローマのブランド店には、日本の若い女性が押し寄せていました。もちろんマナーもあったもんじゃありませんでした・・・今のC国人なんて可愛いもの?
「赤い鶴」と日本円は世界を制してましたからね。日本人の年収は、アメリカ・スイスに次いで3位とか、世界のGDPの17%が日本とか、東京の土地でアメリカが買えるとか、普通預金の利息が5%とか、67万円で養老保険を契約すれば10年後に100万円になるとか、スカイラインGT‐Rが復活!・・・ジャパン アズ ナンバーワンとか煽てられ! おっかしな時代だったよね〜
そう言えば、ベルサイユにも行ったはずなのに写真がのここってないのは何故?
この頃って、同時プリント1時間とかいうのが主流で、今思えば処理や感想がいい加減だったのか、これより前のネガより痛みが激しいです。最近、過去のフィルム写真を身辺整理を兼ねてスキャンしてます。デジタルになって、ピキピキ・ギラギラ・ギトギト・ハデハデの写真が主流になってしまい、付いて行けません。もちろんデジタルの恩恵はひと一倍授かっているのですが。
海外旅行、この夏には「面倒臭いのを我慢すれば」行けそうな雰囲気ですが、どうなんでしょうね。
ほいみ
-
- チーママ散歩さん 2022/03/22 20:53:50
- こんばんは
- こんばんは。
この時代におフランスにも行ったこともない 化石のような私。
エッフェル塔は分かるけどスタニスラス広場という舌のかみそうな
名前の場所は初めてみました。 とてもキラキラとした町ですね。
お母様は自慢げにお友達に教えようとしたのでしょうけれど。
庶民には伝わらないスタニスラス広場。
そして 正確に言えないのもかわいいお母様。
ふふふ♪
お母様おいくつの時のご旅行ですか?
何度かツアーを抜け出して、。。
移動がハードな個人旅行も楽しんで。
とてもお元気ですね。
食べ慣れた日本食をお夕飯にとは。
それもまた親孝行ですね。
海外で頂く日本料理って結構高いですよね。
今日はどうしたことか眠くて眠くて・・。
もう お休みなさいいたします。
- ほいみさん からの返信 2022/03/22 22:47:14
- Re: こんばんは
- こんばんは。
この時、母は68歳だったかな。
姉とはよく国内温泉旅行はしていたのですが、海外旅行は30年ぶり? 大昔に観光旅行でアメリカに行ったことがあるので、無用な知識があって面倒臭かったです。
若い頃、フランスはそれなりに旅をしたのですが、言葉が通じ難い上に、インパクトが少なく、それっ切りになってました。今行けばもっと楽しめると思います。この時代の日本料理店は何処も高かったですが、母が体調を崩すことを思えば安いです・・・医療費代わり? お蔭で最後まで調子よく過ごせました。
異常に眠い・・・?
週末に何処か怪しいところに行ってたんじゃないの? 呪われそうな??
ほいみ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 親孝行なヨーロッパ旅 1912
8
52