2019/06/19 - 2019/06/20
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bunbunさん
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風化・浸食によって形成された最高300 mにもおよぶモニュメント状の岩が、広大な赤茶けた平地に点在するモニュメントバレー(Monument Valley)を見学して来ました。本旅行記は「アメリカ グランドサークル メサ・ヴェルデ国立公園 フォー・コーナーズ」(https://4travel.jp/travelogue/11696738)の続きです。このバレーはナバホ・ネイション(Navajo Nation、ナバホ族の準自治領(インディアン保留地))内にあって、フォー・コーナーズの西約80 kmのユタ州とコロラド州にまたがった位置にあります。モニュメントバレーは公式には面積約370 km^2(東京23区の1/2強)のモニュメントバレーナバホ部族公園(Monument Valley Navajo Tribal Park)を含む広大な領域を指しますが、一般にモニュメントバレーというと、後者を意味するようです。
モニュメント状の岩は一般に頂上が水平で側面が鉛直状になっていますが、地質学者は経験的に頂上の幅が高さより広い場合をメサ(mesa、西語で「テーブル」の意)、狭い場合をビュート(butte、仏語で「小さい丘」の意)と呼んでいます。ビュートやメサには名前がありますが、これはナバホ族によるものか最初の開拓民がその形から連想されるものの名前を付けたものです。
モニュメントバレーではジョン・フォード(John Ford)監督の西部劇を含めたくさんの映画が作成されており、私たちが宿泊したホテル横にはこれら映画関係の資料等を展示したミュージアムがあります。本旅行記では前半でこのミュージアム、後半でモニュメントバレー内のバスツアーについてご報告します。
付録に、モニュメントバレーの1.地理、2.地質、ここで撮影された、3.映画のあらすじについて記載しましたので、お時間とご興味のある方はご覧ください。
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US 163を走るツアーバスの中で映画「フォレストガンプ(Forrest Gump)」を見終わり、
トム・ハンクス(Tom Hanks)演じるフォレストが最終的に走ることやめた付近のモニュメントバレー・オーバールック(Monument Valley Overlook)にやって来ました。ここでバスを停めて、モニュメントバレーの岩達の写真撮影です。
19:21、もろ逆光だな。 -
ちょっとズームイン。
左からミッチェル・メサ(Mitchell Mesa)、グレイ・ウィスカーズ・ビュート(Gray Whiskers Butte、灰色ほうひげ)、センティネル・メサ(Sentinel Mesa、番人)、その手前3つかたまって、キャッスル・ビュート(Castle Butte、城)、ベア・アンド・ラビット(Bear and Rabbit、熊と兎)、ステージコーチ(Stagecoach、駅場車)、中央やや右はキング・オン・ヒズ・スローン(The King on his Throne)、右はブライアムズ・トゥーム(Brigham’s Tomb)です。 -
さらにキング・オン・ヒズ・スローンをズームイン。
王冠を被った王に似ていることからこの名がつけられています。 -
19:40、今日の宿泊ホテル、グールディングズ・ロッジ(Goulding’s Lodge)に着きました。
ホテルから東方を見るとモニュメントバレーの岩達です。
左の岩(イーグル・ロック、Eagle Rock、鷲岩)の右側を通ってここまで来ましたので、岩の順序はモニュメントバレー・オーバールックから見た時と左右反転しています。手前の暗い部分はホテルの裏(南西)側にある大きな岩(ロック・ドア・メサ、Rock Door Mesa)の陰です。 -
ホテルの南東脇にあるグールディングズ・トレイディング・ポスト・ミュージアム(Goulding’s Trading Post Museum)
明日行きますので、ここでこのミュージアムについて簡単に説明しておきます。
このミュージアムは、1923年にモニュメントバレーに引っ越したハリー・ゴールディング(Harry Goulding)と彼の若い妻レオーネ(Leone、愛称マイク(Mike))が、ナバホ族の中に住んで働き、彼らの信頼を得て、1928年に建設した交易所が原型となっています。夫妻は食料品、家庭用品、家畜を取引し、多くの商人のように、政府問題の助言者として行動しました。
1930年代、ハリウッドは多くの西部劇映画を制作しており、ハリーはモニュメントバレーが理想的な環境になると感じていました。 彼はそのアイデアを西部劇の代表的監督であったジョン・フォードに提言するためにハリウッドに行きました。ハリーにモニュメントバレーの写真を見せられたジョン・フォードは非常に感銘を受け、1939年の西部劇「駅馬車」の場所としてモニュメントバレーを使用することをすぐに決定しました。当時若い俳優だったジョン・ウェイン(John Wayne)がこの映画に出演し、「黄色いリボン」や「フォート・アパッチ」など他の多くの映画を、ジョン・フォードと一緒に作り続けました。
モニュメントバレーでは現在でも映画が作られています。そして訪問者はその間に映画の撮影現場を見るかもしれません。ここで撮影された比較的最近の映画の例としては、「フォレストガンプ(Forrest Gump、1994年)」、「ウインドトーカーズ(Windtalkers、2002年」、「ローン・レンジャー(The Lone Ranger、2013年)」などがあります。
館内は大きく分けて2部構成になっており、ひとつは開拓時代の生活用品や交易品など当時の様子を伝える展示、もうひとつは、ジョン・フォード監督やジョン・ウェインなどの西部劇映画撮影に関する展示です。 -
ホテルのダイニングルーム
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20:47、すっかり日が暮れてしまいました。
平地から飛び出した岩は左からイーグル・メサ(Eagle Mesa)、ブライアムズ・トゥーム、キング・オン・ヒズ・スローン、ステージコーチ、ベア・アンド・ラビット、キャッスル・ビュート、ビッグ・インディアン(Big Indian)、センティネル・メサ(Sentinel Mesa)です。 -
翌朝5:20、日の出が綺麗だということで、ホテルの窓から日の出を待ちます。
このホテルは東南東から西北西に延びる細長いロッジがそれと直角方向の斜面に2段になって並んでおり、私の部屋は上側のロッジです。 -
6:04、イーグル・ロックの右側が明るくなってきました。あそこから日が出るようです。
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6:11、日が出てきました。
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6:13、太陽全体が出てきました。これで日の出観察は終わり。
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6:55、朝食をとりにダイニングルームに向かいます。
ホテル裏手(南西)のロック・ドア・メサの絶壁。 -
北西のメサの絶壁とグールディングズ・ロッジの上段の建物。
中央やや下は、私達のツアーバスです。 -
朝食を済ませて、ホテルの周りをお散歩です。
ホテルの東北東、ホテルに至るグールディングズ・トレイディング・ポスト・ロード(Goulding’s Trading Post Road)から見たホテル上段の建物とロック・ドア・メサ。 -
グールディングズ・トレイディング・ポスト・ロードを東北東にホテルから離れました。
2列に並ぶホテルとメサの絶壁。 -
さらにホテルから離れました。
グールディングズ・トレイディング・ポスト・ロード(左下)、グールディングズ・ロッジ(右下)、ロック・ドア・メサ(上)です。 -
カメラを少し右に振って、グールディングズ・ロッジ(左下)、ロック・ドア・メサ(左上)です。
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道路脇にあったユッカ。
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ユッカの実、接写。
てなことをやっていたら、人なつこそうなアジア系の顔つきのおじいさんがトコトコやって来て、
「あんたどこから来たんじゃ?」
「日本からです。」
「わしはナバホ族だけど、わしら同じ人種じゃのう。」
「ええ、モンゴロイドですねえ。あなたはこの近くにお住まいですか?」
「ああ、わしはここで長いことツアーガイドをしてたんだ。もう引退したけどなあ。」
・・・・・・・・・
てな話をしばらくして、ホテルに戻って来ました。 -
今日はモニュメントバレー内のツアーですが出発まで時間があったので、グールディングズ・トレイディング・ポスト・ミュージアムの2階にやって来ました。ここにはモニュメントバレーで撮影された映画のポスターがたくさんあります。
これは1990年公開(米、日とも)のロバート・リー・ゼメキス(Robert Lee Zemeckis)監督、マイケル・J・フォックス(Michael J. Fox)、クリストファー・ロイド(Christopher Lloyd)出演のバック・トゥ・ザ・フューチャーPart3(Back to the Future Part III)です。タイムマシンでタイムトラベルするSF映画のシリーズ最終作で、タイムトラレベルは1955年→1885年→1985年となりますが、大部分は西部開拓時代の1885年が描かれています。このシリーズの映画に関しては、何処と何処は矛盾だ、なんて議論もたくさんありますが、私に言わせてもらえば、タイムトラベルはエネルギー保存則の破綻をはじめ現代物理学と相いれない概念を多々含んでいるため、論理的に矛盾だらけです。余計なことは考えずに単なるエンターテインメントとして楽しむべき映画でしょうねえ。 -
1964年公開(米、日とも)のジョン・フォード監督、シャイアン(Cheyenne Autumn(英))です。この映画は多くの脚色がありますが、史実に基づいています。
連邦政府が1830年に制定したインディアン移住強制法(Indian Removal Act of 1830)により、シャイアン族は故郷ワイオミング州の緑豊かな故郷イエローストーンから2400 km南のオクラホマ州の不毛の荒野にあって内務省インディアン局シャイアン保護部が管轄するインディアン特別保護区に強制移住させられます。ここの生活は凄惨を極め、病気や飢えによってその後の1年間で1000人の人口が300人に減少してしまいます。これに耐えらくなった彼らは翌1878年、インディアン局に背いて故郷に帰ることを決意します。しかしその逃亡は追手であるインディアン局の騎兵隊との戦いや食料不足、冬の厳しい気候等によって困難を極めます。しかし、多くの部族民を失いながらもやがて彼らは故郷に到着します。この間様々な手段でこの逃走を阻止しようとして失敗し続けた連邦政府でしたが、最後はシャイアン族に同情的であった騎兵隊大尉が、国土管理をおこなう内務省の人道主義者である長官を説得し、彼が直接故郷に戻ったシャイアン族を訪れ、長官の権限で故郷での居住を認めて、ハッピーエンドとなります。 -
これは、”Un Film de John Ford Les Cheyenne(仏)”と書かれているので、シャイアンのフランス語版ですかね。
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1960年公開(米、日とも)のジョン・フォード(John Ford)監督、ジェフリー・ハンター(Jeffrey Hunter)、ウッディ・ストロード(Woodrow Strode)主演のバッファロー大隊(Sergeant Rutledge(英))です。
南北戦争(1861-1965、Civil War)によって黒人奴隷約400万人が解放された後の、1980年の西部を舞台にした映画です。
主として黒人兵から構成される第9騎兵隊の黒人であるラトレッジ曹長(ストロード)は白人少女の強姦・殺人および彼女の父親である少佐の殺人現場から、これでは黒人である自分の無実は証明されないと逃亡します。その途中白人女性をアパッチから守るために駅舎にとどまりますが、殺人現場にラトレッジ曹長がいたこと知って駅舎に駆け付けた白人のカントレル中尉(ハンター)に逮捕されます。カントレル中尉はそれ以前の数年間、同じ騎兵隊の仲間としてラトレッジ曹長として過ごした仲で、彼がそのようなことをする人間でないことをよく分っており、裁判で合法的に無罪を勝ち取ろうとします。しかし、当時の世の中はそのような正義が通る状況になく、ラトレッジ曹長は逮捕された黒人は必ず有罪になり、殺人であれば死刑は免れない、とカントレル中尉の考えを拒否しますが、最終的にラトレッジ曹長は軍法会議(裁判)にかけられることになります。裁判は議長(裁判長)を含め白人の裁判官5人、白人の検察官と弁護人をかってでたカントレル中尉を中心に進みます。弁護人と検察官の間で証人尋問も含めて激しいやり取りがありますが、この証言内容が映画の大部分をしめます。この過程で議長を務める、ちょっととぼけた感じのフォスゲート大佐の公平な進行は心地良く見ていられます。最終的にはカントレル中尉が入手した証拠によって、少女の強姦・殺人は雑貨屋の主人であり、少佐殺害はラトレッジ曹長の正当防衛であることが認められて、ラトレッジ曹長は無罪となって、ハッピーエンドとなります。
この映画は西部劇の形をとっており、証人の証言の中には完全に悪役として描かれたアパッチ族との戦闘もでてきますが、本質は黒人差別を扱った法廷ドラマです。
なお「バッファロー」の名称は、寒い冬この騎兵隊隊員がバッファローの毛皮のコートを着ていたことによります。 -
1949年公開(米、日本公開は1951年)のジョン・フォード(John Ford)監督、ジョン・ウェイン主演の黄色いリボン(She Wore a Yellow Ribbon(英))です。
年老いた騎兵隊ブリトリス大尉(Captain Nathan Brittles、ジョン・ウェイン)が、シャイアン族の掃蕩作戦を指揮する、退役までの最後の6日間を描いた西部劇です。おきまりのインディアンとの戦いも多少出てきますが、壮絶な戦闘シーンはあまりありません。砦内や遠征先での人間模様や隊員の恋愛等を中心に、人格者としてのブリトリス大尉を描いた作品で、退役日に消沈して砦を去る大尉に中佐(Lieutenant colonel)昇任の辞令が届く、というハッピーエンドで終わります。
同名の主題歌https://www.youtube.com/watch?v=IRtQunr1OYMは、19世紀から歌われているアメリカ民謡(ルーツはイギリス)で、この映画により世界的に有名になりました。懐かしいですねえ。
黄色いリボンは、遠くにいった恋人の無事を祈って女性が身に着けるものとされ*)、同様な意味を持つ曲にトニーオーランド&ドーン(Tony Orlando & Dawn)が1973年にリリースして大ヒットしたポピュラーソング「幸せの黄色いリボン(Tie a Yellow Ribbon Round the Oak Tree)https://www.youtube.com/watch?v=V6zBUU2gdCc があります。これも懐かしい曲ですね。また、1977年公開されたピート・ハミル(Pete Hamill)原作、山田洋次監督の日本映画「幸福の黄色いハンカチ」も同様な起源を持ちます。黄色いハンカチがたなびくクライマックスは夕張を舞台に撮影され、ロケ地は夕張市日吉5に「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」として今でも保存されています。
*) こういった習慣はクロアチア兵の妻や恋人が首に巻いたスカーフと同様であり、このスカーフが現在のネクタイの起源です。詳細はhttps://4travel.jp/travelogue/11339122をご覧ください。 -
1991年公開(米、日とも)のリドリー・スコット(Sir Ridley Scott)監督、スーザン・サランドン(Susan Sarandon)、ジーナ・デイヴィス(Geena Davis)主演のテルマ&ルイーズ(Thelma & Louise)です。出演者は他にマイケル・マドセン(Michael Madsen)、この映画で俳優としての知名度を上げたブラッド・ピット(Brad Pitt)等がいます。またこの脚本をてがけたカーリー・クーリー(Callie Khouri)はアカデミー賞脚本賞他多くの賞を受賞しています。
平凡な2人の女性がレイプがらみの正当防衛ともとれる殺人を犯して車で逃走し、その途中でも男に騙されて全所持金を持ち逃げされた挙句の強盗、卑猥な言動で誘う運転手の大型トレーラー爆破と犯行を重ねた末に、十数台のパトカーによってグランドキャニオンに追い詰められ、最後は車ごと崖から飛び降りる、といった女性蔑視社会の不条理を描いた映画です。
20世紀前半のハリウッド映画の殆どがハッピーエンドであるのに対し、この映画はアンハッピーエンドで、アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)映画と評され、女性脚本家ならではの視点から女性に焦点を当てていることも特徴です。
あらずじは長くなるので付録3.(1)に記しました。興味のある方はご覧ください。 -
1956年公開(米、日とも)のジョン・フォード(John Ford)監督、ジョン・ウェイン(John Wayne)主演の捜索者(The Searchers)です。出演者は他にバッファロー大隊のジェフリー・ハンター(Jeffrey Hunter)、ヴェラ・マイルズ(Vera Miles)、ウエスト・サイド物語(West Side Story、1961)のナタリー・ウッド(Natalie Wood)等です。
初期白人入植者によるインディアンの虐殺・虐待、その後の連邦政府による身勝手なインディアン政策によって対立が決定的となっていた政府とインディアンのはざまで人生を翻弄される男の物語です。
あらずじは長くなるので付録3.(2)に記しました。興味のある方はご覧ください。 -
ナバホ族の映画俳優の胸像
地元のナバホ族はジョン・フォードの映画のエキストラとしてよく使われ、何人かは優秀な俳優になりました。 これらの俳優の一人、” Son of Many Mules”のこのブロンズ彫刻は、フランシス・リッチ(Frances Rich)によって作られました。
こんなことをしていたら、学芸員のナバホ族のお姉さんから「もう1階はご覧になりましたか?」と聞かれたので、「いえ、まだです。」と答えると、「1階にも沢山展示品があるので、是非ご覧になってください。」言われ、1階に下りました。 -
キッチンです。
右側は、下部が写真からはみ出しましたが、男性名「ストーブ(Stove)」にちなんで名づけられたストーブ(stove)で、上から薪を入れて燃やします。この地域は夏猛暑となりますので、調理は涼しい朝夕に行いました。
中央の壁上部にかかっているのは、昔日本でも使われたデルビル磁石式壁掛電話機です。内部に磁石式発電機が入っていて、電話機右のハンドルを回すと交流電流が発生して電話交換手に電気信号が届きます。
左のテーブルの奥にはコーヒーミルが小さく見えています。 -
ダイニングルーム
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リビングルーム
右の窓寄りにあるのはビクタートキングマシン社(The Victor Talking Machine Company)*) 製のSP(standard playing、78回転)レコード用ゼンマイ駆動式蓄音機(レコードプレーヤー):ヴィクトラ(Victrola)です。子供の頃、お爺ちゃん家で聴いたことあるな。
左の壁に押し付けられている箱はラジオですね。
*) この会社が1927年に全額出資してできた会社がかつての日本ビクター(現JVCケンウッド)です。 -
ピアノもあるね。
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ベッドルーム
右の窓際にあるのは足踏みミシンです。田舎に住んでいると家で服を作らなければならなかったので、このような縫製機器は欠かせませんでした。
奥の壁側のベッドと電気スタンドとの間に、砂埃を防ぐためのガラスカバーで被った時計があります。このタイプの時計は、年に一度ゼンマイを巻く必要があるため、「記念時計(Anniversary Clock)」と呼ばれていました。 -
ヨーゼフ・ミュンヒ・ルーム(The Josef Muench Room)に入ってきました。
この部屋は、モニュメントバレーの写真で世界的に有名な写真家、ヨーゼフ・ミュンヒに捧げられています。
ナバホ・コードトーカー(NAVAJO CODE TALKERS、暗号通信兵)の写真
「アメリカ海兵隊
ナバホ・コードトーカー
第二次世界大戦
コードトーカーの遺産
第二次世界大戦中に敵によって解読されなかった米国のコードの1つは、ナバホ語でした。これは、ナバホ族を除くと28人以上の人々には理解できなかった言語と推定されたため、米国海兵隊が音声コードとして採用したものです。
コードトーカーは、最初の30人のナバホ族の新兵から、戦争中に420人のナバホ族のメンバーに増えました。 太平洋からの第3水陸両用隊の報告によると、グアムとペリリュー(Peleliu)の作戦中にコードトーカーを使用することは、「機密文書の迅速な送信に不可欠であると考えられていました」。
他のコードトーカーは、第3海兵師団と一緒にソロモン諸島北部のブーゲンビル(Bougainville)に行きました。 そこでは、無線で最前線との連絡を維持している、有人の遠方の前哨基地がいくつかありました。
ナバホ族も戦い分担し、優れた偵察兵と送信兵の役割を果たしました。
ガダルカナル島では、陸軍のパトロール隊が沿岸道路でナバホ族の通信兵を拾い上げ、第1海兵師団本部の指揮所に「海兵隊タグが付いた海兵隊の服を着た日本人を捕まえました」というメッセージを送りました。 ナバホ族が解放されたのは、海兵隊の将校が彼を特定するために派遣されたときでした。
沖縄から発送された彼のニュースの1つで、従軍記者のアーニー・パイル(Ernie Pyle)は、第1師団のナバホ族が沖縄に向けて出発する前に儀式の踊りをどのように行ったかについて説明しました。式典で彼らは、攻撃で日本人の力を弱めるよう神々に請いました。
ナバホ族と海兵隊は1942年9月に初めて集まりました。この時アリゾナ州北部のナバホ族の中に24年間住んでいた宣教師の息子、フィリップ・ジョンストン(Philip Johnston)が、太平洋での軍事作戦で安全な音声暗号としてナバホ族の方言を使用することを提案しました。
これらの有名なコードトーカーは、太平洋戦争において成功した海洋作戦で重要な役割を果たしたとされています。」
?中央の説明文の意訳? -
今はなきデンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道(Denver and Rio Grande Western Railroad)のコロラド州デュランゴ(Durango Colorado)-シルヴァートン(Silverton)を走る列車のポスター
モニュメントバレーに移る前にハリーとマイクが住んでいたデュランゴを思い出すために、彼らは狭軌鉄道のこの古いポスターを保存していまました。 -
売店
ハリーとマイクは地元のナバホ族が欲しかった商品を持ち込み、彼らが伝統的な技術を使って作った、毛皮の敷物、陶器、宝飾品、籠等多くの品物と交換しました。この交易所は待ち合わせ場所になり、ハリーとマイクは地元のコミュニティと世界の他の地域との間のつながりを形成しました。
左の棚にはたくさんの缶詰が並んでいます。 -
スパナ、斧、鍋、フライパン、ポット、カップ、スプーン、皿等、工具からキッチン用品までいろいろあります。
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ケースの中には種々の薬、歯磨き粉等があります。拳銃や刀もありますが、商品だったんですかねえ。
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当時、ほとんどの乾燥食品は、購入時にこれらの秤で計量されていました。
この写真の倍率だと缶詰の銘柄もわかりますね。今でも日本で出回っているデルモンテ(Del Monte)やスパム(SPAM)が見えます。
モニュメントバレー内のバスツアーへ出発する時刻が近づいていましたので、このへんでグールディングズ・トレイディング・ポスト・ミュージアムを出ます。 -
9:00、砂埃除けのバンダナを顔に巻いて、屋根のみがついた専用オープンバスでモニュメントバレー内のバスツアーに出発しました。途中州境を越えて東南東へユタ州からアリゾナ州まで約10 km走りました。
左の建物はモニュメントバレイー・ビジターセンター(Monument Valley Tribal Park Visitor Center)です。 -
ビジターセンター付近から東に見えるミトンズ(Mittens、左のウエスト・ミトン・ビュート(West Mitten Butte)と、中央奥のイースト・ミトン・ビュート(East Mitten Butte))。右がメリック・ビュート(Merrick Butte)です。朝なんでもろ逆光です。
「ミトン」は親指だけ離れた手袋を意味します。「メリック」はバレーで銀を発見した探検家の名前です。 -
ウエスト・ミトン・ビュート、ズームイン。
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イースト・ミトン・ビュート、ズームイン。
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メリック・ビュート、ズームイン。
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北側に見えるセンチメンタル・メサ。その右側後方のビュートはビッグ・インディアン、左後方はイーグル・メサです。3つともユタ州です。
「ビッグ・インディアン」は形がインディアンの顔に似ていることから付けられました。 -
インディアン・ルート(Indian Route)42を南下しました。
南西方向。ミッチェル・メサ(Mitchell Mesa)の南東の角の先に3つのビュートからなるスリー・シスターズ(Tree Sisters)が見えてきました。
「ミッチェル」はメリックと一緒に来て、バレーで銀を発見した探検家の名前です。 -
スリー・シスターズ
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インディアン・ルート42を西に離れてエリクソン・クライ・メモリアル(Ericson Cly Memorial)の駐車場にやって来ました。
北方。中央の人が乗った馬が立っている場所が、ジョン・フォード監督がよくロケを行った場所として知られる、ジョン・フォード・ポイント(John Ford Point)です。
その奥の岩は左からさっき見たセンチメンタル・メサ、その手前はウエスト・ミトン・ビュート、その右奥はイーグル・メサ、その右手前の大きめの岩はメリック・ビュート、その右奥はキャッスル・ビュートとベア・アンド・ラビット、少し離れて右端がイースト・ミトン・ビュートです。 -
センチメンタル・メサとウエスト・ミトン・ビュート、ズームイン。
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ズームインしたままカメラを右に振ります。
奥の岩は左からセンチメンタル・メサ右(東)端、イーグル・メサ、メリック・ビュート、キャッスル・ビュートとベア・アンド・ラビットです。
「キャッスル」は文字通り城に似ていることから名づけられています。「ベア・アンド・ラビット」はお互いに向き合う熊と兎とのことですが、よくわかりませんね。 -
西方のスリー・シスターズとミッチェル・メサ
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スリー・シスターズ、ズームイン。
「スリー・シスターズ」は3人の修道女を意味します。 -
ミッチェル・メサ手前の風化でほぼ崩れたビュート。
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ジョン・フォード・ポイントから見た北方。
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北東方向のエレファント・ビュート(Elephant Butte)とジョン・フォード・ポイント(右下)。
ゾウには見えませんねえ。 -
東方。2つのビュートが重なってみえますが、左側がクライ・ビュート(Cly Butte)、右側がキャメル・ビュート(Camel Butte)です。なんとなくラクダに見えますか。クライ・ビュートと1つ上の写真のエレファンド・ビュートの間がノース・ウィンドー(North Window)です。後で行きます。
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ジョン・フォード・ポイントでガイドさんに写真を撮ってもらいました。
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南東方向のレイン・ゴッド・メサ(Rain God Mesa)。
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ジョン・フォード・ポイントから東南東へバスで1 km程走りました。
北東に見えたキャメル・ビュート前の風化が進んだビュート。 -
さらに東南東へ数百メートル進みました。
北に見えたキャメル・ビュート。
この方向からじゃラクダに見えないか。 -
さらに東南東へ数百メートル進みました。
左はクライ・ビュート、右はスペアヘッド・メサ(Spearhead Mesa)です。 -
さらに東南東へ200 m程進みました。
レイン・ゴッド・メサ北東角にあるビュートの集まり。 -
少し東南東へ進んで見た1つ上の写真のビュート。
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1 km程さらに南東に走りキューブ(The Cube)の位置までやって来ました。
南東方向に見えた左からルースター・ロック(Rooster Rock)、メリディアン・ビュート(Meridian Butte)、トーテム・ポール(The Totem Pole、中央手前)。 -
ルースター・ロック、ズームイン。
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トーテム・ポール、ズームイン。
本物のトーテム・ポールはhttps://4travel.jp/travelogue/11494932で詳しく説明しましたので、ご興味のある方はご覧ください。 -
3つ上の写真の右(東)側。
左端にトーテム・ポールが見えます。 -
キューブ。
私が右手小指で支えているかのように撮ってもらったんですが、演技力が全くないですね。 -
当然ながら、ちゃんと自立しています。
この岩はビュートやメサと異なって地層が浸食されて残されたものではなく、以下に示すスペアヘッド・メサが浸食されてその一部が転がり落ちたものです。 -
キューブの位置から見た北北東。
スペアヘッド・メサ(Spearhead Mesa)の南東壁です。 -
私たちが乗って回っているツアーバス。
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キューブに来た道をジョン・フォード・ポイントの方向に少し戻りました。
北方に見えたスペアヘッド・メサの西側。 -
途中で北側に進路を変え、サム(The Thumb、親指)東側に来ました。
北方の風景。左からキャメル・ビュート、エレファント・ビュート、右はクライ・ビュートです。既に上で説明しましたが、エレファント・ビュートとクライ・ビュートの間がノース・ウィンドーです。 -
カメラを少し右(東)に振って、左はエレファント・ビュート、右はクライ・ビュートです。
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さらにカメラを少し右(東)に振って、左はエレファント・ビュート、右はクライ・ビュート全体です。
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少し東に移動して駐車場広場から見た北方。
左からエレファント・ビュートの東端、奥の遠くはステージコーチ(Stagecoach)、イースト・ミトン・ビュート、左はクライ・ビュートです。 -
500 m程北上して、ノース・ウィンドーにやって来ました。
南方。さっき見たレイン・ゴッド・メサ北東端にあるビュートの集まり、ズームイン。 -
少し北北東に移動して見た北方。
右から、イースト・ミトン・ビュート、ステージコーチ、キング・オン・ヒズ・スローン、ブライアムズ・トゥーム、ビッグ・インディアン、セッティング・ヘン(Setting Hen)ってところですか。
左手前はエレファント・ビュートの南東端下部、そこから右にメリック・ビュート、センティネル・メサ、イーグル・メサの東端です。 -
北方、ズームイン。
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少し東に移動して見た北方。
左端はエレファント・ビュートの南東端、その右はメリック・ビュートです。 -
エレファント・ビュート
北東から南東に長いビュートです。 -
南下してサムの東側広場にもどってきました。
西方に見たサム。親指に見えるな。 -
ここでバスに乗ってホテルに戻ります。
少し南に移動して見たサム。 -
さらに少し南に移動して見たサム。
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南西に移動して見たサム。
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西に1 km程走ってインディアン・ルート42に入り、北上した付近から北東に見たエレファント・ビュート。
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ホテル:グールディングズ・ロッジに戻って来ました。
東方の風景。 -
東方、ズームイン。
岩は左からイーグル・メサ(Eagle Mesa)、ブライアムズ・トゥーム、キング・オン・ヒズ・スローン、ステージコーチ、ベア・アンド・ラビット、キャッスル・ビュート、ビッグ・インディアンです。 -
グールディングズ・トレイディング・ポスト・ミュージアム東側の庭にあった駅場車。馬を駅馬車へ容易につなぐために、御者の足置きは蝶番で固定されています。
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ミュージアム北東側の庭にあった、ハリー・ゴールディングとレオーネ“マイク”・ゴールディングの記念碑。
「創造主は、すべての日の出と日の入りに立ち向かうために彼らの魂を受け入れ、モニュメントバレーをすべての人にとって特別なものにするように彼らに命じました。」
―説明文の意訳―
これでモニュメントバレーの見学は終わり、バスの中でジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の「駅馬車(Stagecoach)」を見ながらグランドキャニオン国立公園に向かいます。
付録
1.地理 -
モニュメントバレーはキャニオンランズ国立公園(https://4travel.jp/travelogue/11668657)、アーチーズ国立公園(https://4travel.jp/travelogue/11678778)、メサ・ヴェルデ国立公園(https://4travel.jp/travelogue/11696738)と同様、ユタ州、コロラド州、アリゾナ州、ニューメキシコ州にまたがるグランドサークル内のコロラド高原(図の青線で囲んだ部分、https://4travel.jp/travelogue/11546130の付録1参照)にありますが、上記3つの国立公園とは異なってパラドックス盆地の外側になります。その場所はナバホ・ネイション(Navajo Nation、ナバホ族の準自治領(インディアン保留地))内にあって、フォー・コーナーズ(https://4travel.jp/travelogue/11696738)の西約80 kmのユタ州とコロラド州にまたがっています。
2.地質
モニュメントバレーが位置するコロラド高原は、https://4travel.jp/travelogue/11546130の付録1に記したように、約6億年前の先カンブリア時代末期には現在の北アメリカ大陸より一回り小さい原始北アメリカ大陸の端に位置していました。この大陸はクラトンと呼ばれる先カンブリア時代にできた安定地殻でできており、ほぼ一体化したブロックとして地殻変動を受けています。このため、モニュメントバレーの層序はhttps://4travel.jp/travelogue/11668657 の付録1に示した、同じコロラド高原にあるキャニオンランズ国立公園の層序と類似しています。 -
この写真は上に示したメリック・ビュートですが、これを参照してモニュメントの層序を説明します。
最上部の水平縞層は三畳紀(2.52億年前~2.01億年前)後期の耐食性の高い礫岩からなるシナルンプ・コングロマリット(Shinarump Conglomerate)、その下の同じく水平縞層は三畳紀初期から中期にかけてのモエンコピ層(Moenkopi Formation)、その下の幅広い鉛直縞に見える層はペルム紀(2.99億年前から2.52億年前)中期のカトラーグループに属するデ・チェリー砂岩(De Chelly Sandstone)、その下のスカート状の水平縞層は同じくペルム紀中期のカトラーグループに属するオルガン・ロック層(Organ Rock Formation)、その下の基盤はペルム紀初期のカトラーグループに属するシーダー・メサ砂岩(Cedar Mesa Sandstone)です。
3.映画のあらすじ
(1)テルマ&ルイーズ
平凡な女性テルマとルイーズの2人は車で週末のバカンスに出かけます。途中立ち寄った酒場でレイプされそうになったテルマを助けに来たルイーズは、男から罵倒されてこの男を撃ち殺してしまします。この程度のことで撃ち殺すか、と思いますが、ストーリーが進むにつれて、ルイーズがテキサスでレイプされた経験があったであろうことがそれとなく分かってきます。この殺人は正当防衛ともとれる犯行ですが、ルイーズはその後を悲観してメキシコに逃げることを考え、2人は車をメキシコに向けて走らせます。逃走資金不足のため、ルイーズは電話で恋人ジミー(マイケル・マドセン)に送金を依頼しますが、彼女を心配したジミーは2人が宿泊するモーテルに直接金を持参します。そこでルイーズはもう1部屋とってジミーと過ごしますが、受け取った金とテルマが残された部屋に、ヒッチハイカーの学生(実は強盗)として彼女たちが車に載せてあげたJD(ブラッド・ピット)が訪れ、テルマは部屋に入れて一夜を過ごします。しかし翌朝JDはジミーが届けた金を持って消えてしまい、責任を感じたテルマはスーパーマーケットで強盗を働きます。ルーズの殺人とテルマの強盗に対する警察の大追跡とテルマとルイーズの逃走は続き、その途中でも卑猥な言動で誘う運転手の大型トレーラー爆破と犯行を重ねた末に、十数台のパトカーによって2人はとうとうグランドキャニオンに追い詰められます。捕まるよりは死を選んだ2人は車のアクセルをふかして谷へと飛び降ります。
この追跡劇の中で、最初の殺人から事件を担当した人道主義者のハル警部が、彼女達の事情を把握し、最後まで救済しようとする姿には、見ていて救われるものがあります。
(2)捜索者
南北戦争が終わってから3年後の1868年、南軍の兵士だったイーサン・エドワード(Ethan Edwards、ジョン・ウェインン)は久しぶりに故郷テキサスの兄アーロン(Aaron、Walter Coy)の家に帰ります。家ではアーロンの妻マーサ(Martha、Dorothy Jordan)や彼らの子供達である、長女ルーシー、次女デビー(Debbie、Lana Wood(ナタリー・ウッドの妹))、長男のベン、かつてイーサンが助けてこの家の子供達と兄弟同然に育てられたマーティン・ポーリー(ジェフリー・ハンター)は歓迎しますが、インディアンを嫌うイーサンはインディアンの血を1/8引くマーティンを快く思いません。
そんな折、テキサス警備隊A中隊のクレイトン大尉(兼牧師)がやってきて、コマンチ族に奪われた牛奪還の要請をし、イーサンとマーティンは彼らと一緒に出かけます。このとき残されたエドワード一家はコマンチ族の襲撃にそなえ、幼いデビーをエドワード家の墓に避難させますが、注意深く見るとその墓石にイーサン達の母親が1852年にコマンチ族に殺された事が刻まれており、インディアンに対するイーサンの憎しみはこれが原因であることがわかります。その後イーサン達が家に帰ると、ルーシーとデビー姉妹は連れ去られ、その他の家族は惨殺されて家は焼き払われていました。イーサン、マーティン、ルーシーの婚約者ブラッド・ジョーゲンセン(Brad Jorgensen、Harry Carey Jr.)とクレイトン大尉率いる警備隊は、復讐と姉妹奪還の旅に出ます。しかし途中コマンチ族に襲われた彼らは逃げて川を渡ったところで、対岸のコマンチ族と戦闘となりコマンチ族は逃走します。この戦い方に対して、イーサンとクレイトン大尉は方針が合わず、警備隊は引き返してイーサン、マーティン、ブラッドの3人が逃走したコマンチ族を追跡します。途中コマンチ族の足跡は2つに分かれたため、彼らも2手に分かれて追います。1方を追ったイーサンはルーシーの遺体を見つけて埋葬し、3人は合流します。その話を聞いて怒り狂ったブラッドは1人でコマンチ族のティピー(テント)に飛び込み、撃たれて死亡します。その後残ったイーサンとマーティンは旅を続けますが、旅に出てから2年後、一旦ジョーゲンセン家に戻ります。マーティンは久しぶりに恋人ローリー(Laurie、Vera Miles)に会い2人は喜び合いますが、ブラッドの父ラースは「息子は国に殺された。」、母は「テキサスは安全な場所ではないから」とつぶやきます。
しばらくして、イーサンはコマンチ族の情報を得るためにマーティンとまた旅に出、インディアンを相手に商売をする交易商に会って、コマンチ族の酋長(ナイヤキ・コマンチの戦闘隊長)スカー(Sarc、Henry Brandon)に会わせてもらいます。酋長は息子達が殺された報復として、白人娘を何人もさらって妻にしていましたが、その中に成長したデビー(ナタリー・ウッド)がいました。しかし、イーサン達はどうすることもできず、一旦その場を去りますが、その後をデビーが追ってきて、コマンチ族の一員となった自分はもう戻れないことを伝えます。そんなデビーを見たイーサンは彼女を撃ち殺そうとしますが、マーティンは体を張ってそれを阻止します。丁度そのときコマンチ族が現れてイーサン達を襲撃したため、2人はデビーを残してその場から逃走します。
やがて2人は再びジョーゲンセン家に戻りますが、そこでは丁度クレイトン大尉を牧師として、長い間マーティンに待たされたローリーは彼をあきらめ、ローリーの以前からの知り合いであったチャーリー(Charlie、Ken Curtis)と結婚式を挙げようとしているところでした。これに怒ったマーティンはチャーリーと殴り合いを始め、敗れたチャーリーは去っていきます。
そんな折、騎兵隊のグリーヒル少尉からコマンチ族掃討への協力要請があり、コマンチ族の滞在地に向かいます。襲撃直前、マーティンはマギーを助けてからにしてくれと願いでますが聞き入れてもらえず、マーティンは自分1人でマギーを救出することを提案します。これに対しイーサンは、それは認めるが何かあった場合はマーティンやマギーの存在を無視して総攻撃をかけると伝えます。それでもマーティンは1人でマギー救出に向かい、首尾よくティピー内のマギーを探し出して脱出の意思を確認しますが、そこにスカー酋長が現れたため、マーティンは彼を撃ち殺します。その銃声をきっかけに騎兵隊側は総攻撃をかけ、コマンチ族を掃討します。そんな中、イーサンを見たマギーは殺されると思い逃走しますが、マーティンが止めるのを振り切ってイーサンはマギーを洞窟に追い詰めます。観念したマギーをイーサンは抱き上げ、家に帰ろうと言葉をかけます。
ジョーゲンセン家に帰って来る、マギーを連れたイーサンやマーティンを見てジョーゲンセン家の人々は喜び、ローリーはマーティンと抱き合い、皆家の中に入っていきますが、イーサンはそれを見届けると1人どこかに去っていきます。イーサンがアーロン家に戻ってから6年後のことでした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- Lovely Shinさん 2022/03/28 07:53:07
- コロナ前に行きそびれてしまった グランドサークル
- グランドサークル、アンテロープキャニオンを予定していたのですが
行きそびれ
そして、もうアメリカは当分行くこともないので
(円安、物価高も重なり)
こちらのサイトで行けたらこのような景色が見れたのだな・・・
と拝見しました
またいろいろな情報を聞かせてください
- bunbunさん からの返信 2022/03/29 12:57:22
- RE: コロナ前に行きそびれてしまった グランドサークル
- Lovely Shinさん、こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
私はこの旅行以前アメリカにはそれほど興味は無かったんですが、ただイエローストーンのカラフルな目玉だけはずっと見たいと思っておりました。そんな折、前年マダガスカルのツアーでお世話になったユーラシア旅行社さんから情報誌が届き、それを見ていた妻が「ほら、あんたが行きたがっていたイエローストーンのツアーが載ってるよ。」と教えてくれました。このツアーはアメリカ西部国立公園16日間の長丁場でしたが、マダガスカルは最高に楽しかったので、この旅行社さんなら間違いないだろうと即申し込みました。大陸の国立公園だけあって、どこに行ってもその絶景にびっくり、添乗員さん、現地ツアーガイドさんやバスの運転手さんも素晴らしくて大満足でした。
私は旅行記を書くのに時間がかかる性分で、このツアーの旅行記はまだ2/3程しか書けておりません。これから時間を見つけて残りを投稿していく予定ですので、よろしかったらご覧ください。
私もアメリカの後は南米を予定していましたが、コロナで行けなくなっていまいました。世界的に見てコロナはいっこうに収まる気配がなく、その間に歳を取って体力も衰えてきますので、もう海外旅行は無理かな、と考えています。
bunbun
-
- travelさん 2022/03/14 11:20:41
- モニュメントバレ-
- bunbunさん、同じグールディングスロッジに宿泊してモニュメントバレ-を楽しんだので旅行記を懐かしく見させて頂きました。
グ-ルディングスロッジのテラスからモニュメントバレ-のサンセットを見たのをつい昨日の事のように思い出します。
アメリカの原風景は素晴らしいですね。
アメリカの中ではグランドサ-クルが一番好きです。
南米とチベットの旅行記に訪問頂き有難うございます。
特に南米はこのコロナ禍でどうなっているのかとても気になります。
自然の宝庫の南米、又行きたいです。
travel
- bunbunさん からの返信 2022/03/15 12:42:38
- RE: モニュメントバレ?
- travelさん、こんにちは。
またのご訪問、いつも私の拙い旅行記に投票ありがとうございます。
やはり大陸の風景はスケールが半端なく大きくて最高ですね。この次は南米と思っていましたが、新型コロナは次から次へと変異株が出てきていっこうに収まる気配がなく、その間歳をとって体力もなくなりますので、海外はもう半分諦めの心境です。
まさかこんな事態になるとは夢にも思っていませんでしたが、その前に行かれたtravelさんが羨ましい限りです。
これからは、感染状況を見ながら国内のまだ行ってない観光地を回ろうかと思っております。
bunbun
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