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《July.17-19.2005》B&#39;z LIVE-GYM 2005 -CIRCLE OF ROCK-IN OKINAWA.<br /><br />2005年7月17・18日と沖縄コンベンションセンターであったB&#39;zの〝THE CIRCLE 2005 アリーナツアーファイナル〟に行って来た。連休と金欠ということもあったが、いつもの無計画でかつ勢いだけで〝行ってしまえ~!〟となり、チケットを手に入れまた行くこととなった。当時団体プランを利用するのは定番であったこともあり、最終旅行申し込みがギリギリとなる11日前であった。しかし逆にそれが功を奏し、ウェイティングになる筈であった帰り最終便の飛行機も取れて、2daysのライブと沖縄戦跡巡り・観光と満喫することが出来た。<br /><br />今回利用したのはA社の沖縄フリープランであった。理由は単純〝最も安かった〟から。Air&amp;Hotel(B付)+レンタカーでこの期間¥40,300だった。(ホテルは1泊のみ)。しかし安いものには何かある。団体国内航空券の発券には大きく分けて2つの形態があるのだが、一般的な15分前チェックインのIITと呼ばれるものと最近お目にかからなくなった60分前集合のIT5と呼ばれるものである。後者は添乗員同行ツアーで使われることが多いのであるが、旅行会社によっては未だこのIT5を利用しているところがある。集合時間の問題もあるがそれより前者はマイル加算対象であるのに対し、後者は対象外になっている。つまり航空券に名前が入っている訳ではなく、団体客の搭乗リストによって枚数発券されているために〝無記名〟だということがその理由らしい。この旅行会社は最近我が社旅行センターでの取扱いが始まったばかりで勝手がわからず、申込時にguaranteeできないと言われたことから〝し~まった〟…と思ったが仕方がない。案の定の結果で細かいところで格安ツアーはやはり期待薄…そんなことを実感した手配であった。<br /><br />【2005年7月17日日曜日】<br />折りしも台風5号が沖縄地区を通過している日とかち合ってしまった。一応1時間前集合だったがそんなに早く行っても仕方がないと判断し勝手に40分前に集合を決め込み、On Timeで伊丹空港南団体カウンターに到着する。そこで今回搭乗するANA105便は係員から条件便であるということを知らされる。条件便とは現地天候不良で機長が着陸不可能と判断した場合は伊丹に引き返すというものであり、私もはじめての搭乗であった。まあ天候のことをうだうだ言っても仕方が無いので取りあえず苦手なセキュリティーを通過し、ゲートのほうへと向かう。<br /><br />連休中ということもありかなりの混み具合。そして手元のボーディングパスには席は61Kとある。ここの席は一回座ったことがあるが、後方の席で機材の後方で狭まっているところで通常3席あるところが2席になっているところだったはず。すごく座りにくいが仕方ない…。記憶違いを期待して機内に入って席を探すと案の定であった。いきなりの席からでのスタートにちょっとブルーになってしまう。定刻の出発だったがやっぱり台風の影響があり、雲にかかると結構揺れる。そんな感じで那覇に近づいて行くがやはり台風の影響かなり揺れる。着陸時にはシートベルトをしているもののエアーポケットに入った状態でシートからお尻が浮き上がる状況。そんな中那覇空港に着陸した瞬間風にあおられたのか機体が傾いたりバウンドして…。無事着陸したときには客室内から拍手が出ていた。初プライベート沖縄が台風接近中だった…あまり飛行機搭乗の機会に恵まれなかった私には初めての貴重な経験であった。<br /><br />無事那覇に着いたらひどいスコール状態。今回利用するのはABCレンタカーだが、空港で貸し出しの際はほかと会社と同じく一旦空港建物から出てからレンタカー受付に進み、到着受付後送迎車にて営業所まで向かい、それから貸し出されるというもの。ただ営業所までの恐いとこ。信号無視等は当たり前…まあ無事着いたのでそれは良かったが、やっぱりお客さんを乗せているんですから安全運転をに気を使って欲しいものだと改めて思う。15分くらいで営業所に着き今回3日間お世話になるマーチくんを借り受けた後、さあどこへ行こうかって言うことなるが、前日21:00まで仕事だったので取りあえず一旦今晩の宿となるホテルエアポート那覇にチェックインして夜に備えることにした。<br /><br />ホテルで特にすることがなく、とりあえずテレビをつけながら寝ようかとことにする。ただたまたまこの日が沖縄地区高校野球の決勝だったために沖縄尚学VS浦添商に思わず見入ってしまう。それにしても台風がちょうど沖縄南方を通過しており、NHKではずっと台風状況のテロップが流れていた。たまたま今回目的地が那覇だったから良かったけど、石垣とか宮古から那覇に向かう路線であれば欠航していたようだ。沖縄でのライブに沖縄県在住者が参加できなかったケースもあったかとふと思ったりした。<br /><br />結局一睡もせず出発時間を迎える。レンタカー屋のおじぃが那覇から沖縄コンベンションセンターのある宜野湾までの国道58号線は〝夕方かなり混むさ~〟って言っていたこともあり少し早めの出発をする。確かに混んではいたけれど、浦添から海側のバイパスを走る頃には空いていた。ただ初めての場所、駐車場のありかもわからない。目の前にラグナガーデンホテルが見えてきたのでここだと会場はわかったが…。結局Uターンしてなんかホントの空き地って感じの駐車場に車を止めいそいそと会場へとむかうことになる。今回はグッズも買わないので即入場しようと突進したら、もう片方の〝三輪明宏〟コンサート会場に入りそうになる。入り口で指摘され無事会場インし、席に辿り着いたのが開演予定5分前の17:55であった。ギリギリの時間と普通言われる時間ではあるが、私自身常に〝オープニング5秒前の着席〟なので〝一人でもできる〟と自画自賛をすることになる。そんな感じでライブのオープニングに続いていった。<br /><br />初日のライブが終了してホテルへと戻るが、でもいつものごとく駐車場から出られない。B’zライブ自体参戦者が多いのが当たり前なのだが、これが交通の便の悪いところでは顕著になる。結局1時間位かかってやっと出られたが、もう食事をする気力も残っていない。たまたま帰り道にMOSがあったのでそこのテイクアウトで済ますことに。無事夕食も確保したらもう後はホテルに帰る思いしか残っていない。。途中コンビニで飲み物だけ調達してホテル直行した。そんな感じで今日一日はバタバタと過ぎて行った。短くも体力的には長い一日だったこともありもう何もやる気力が残っておらず眠りにつくzzz。そんなかんじで沖縄初日は過ぎて行った。<br /><br />【2005年7月18日月曜日】<br />2日目は8時起きだった。もっとゆっくりしたかったが朝食が9時半までなのと今日のスケジュールとして南部戦跡巡りをしようと思っていたので早めの行動にうつる。朝食をとった後チェックアウト。ここであれ~って思うことがひとつ、駐車料金600円の請求…。格安ツアーを使っていたのでこの出費は痛い…。まあ最終的には払わざるを得ませんでしたが、那覇市内の場合それほどロケーションが良くなくても駐車場がかかることが多いことを知る。ホテルのみの手配であれば確認するだろうが、ツアー組み込みの場合は意外と疎かになる点かも知れない。ホテル選択には慎重にという教訓を得た。<br /><br />隣のコンビニでシークヮーサージュースを買い込みいざ戦跡のある糸満市へ。それほどの距離ではないので結構早く着いた。まずは〝ひめゆりの塔〟から見学する。ここは戦時中沖縄陸軍病院伊原第三外科のあったところ。病院って言っても〝ガマ(天然の洞窟)〟を利用したものでお粗末なものである。ここで多くの人が犠牲になられたことはホント心が痛む。入り口で献花用の花が売られており一束200円、やっぱりここに来て献花は当たり前。私も購入しささやかながらお祈りをしてきました。ここには資料館も併設されています。ここまで来て行かないのはと思い行くことにする。<br /><br />〝ひめゆり平和祈念資料館〟と名づけられたここには野戦病院の過酷さや動員されたひめゆり部隊の惨劇が展示されています。私も当然戦後生まれですが、やはりこの展示を見ると心が痛みます。改めて戦争はいけないと心に思った私であった。<br /><br />ひめゆりの塔を見学した後、近くの土産物やでちょっと物色。とはいえありきたりのものしかないのだが…。同居人から青切シークヮーサーの原液が欲しいと言われていたが、売っていたのは台湾産。店のおばぁ曰く〝シークヮーサーは実がちっちゃいからほとんど取れないし高くなるさ~〟」と言われてしまう。まあ観光地の土産物屋に品揃えが豊富とも言えず、結局〝また後で来るさ~〟って言い残して退散する。<br /><br />そして次に向かったのは沖縄県営平和公園。その中にある摩文仁(まぶに)の丘と平和祈念資料館が目的である。国道331号線沿いにあるのでわかりよいものであった。南部戦跡の2大名所と言われるところですが、今回はちょっと〝訪れなければならない〟理由があったからである。実は私の母方の祖父が沖縄で戦死している。そのためまだ返還前の沖縄に母親が行ってはいるが、当時と今は色々と変わっている上にかつ祖母が沖縄には一度も来られないまま亡くなったっていうことが私を駆り立てていた。<br /><br />まあ孫が来たからって喜んでもらえるかどうかわからないが、一度訪れてみたかったので今回来ることになった。ただここで興ざめが一件、車を降りて地図を見ていたのだが、そしたら花売りのおばぁがお供えに買えと言い寄ってくる。そんなこと言われなくても買いますって言いたかったがつまらないことで言い争う気もないので300円のお花にお釣りある~って聞いたらあるっていうので500円出したら、どうも手持ちがないらしく大声で他のおばぁに沖縄言葉で(私はわかりませんでした)持って来いって言っているようであった。しかしなかなか持ってこないものだから挙句の果て〝2本500円でどう?〟なんて言ってきたがそれ以上折れる気もなく〝ひとつ〟と意地になって言い返した私であった。<br /><br />結局ちゃんとおつり貰ってから祖父の名前を探すことにする。ただ刻銘場所を探すことはそこそこの時間と手間を要すと考えていた。しかしそこは大勢の名前を刻んでいる〝平和の礎〟、便利なものが置かれている。タッチパネルで出身地と名前(名字)を入力すればたちどころに〝ココ〟を画面に表示し、必要であれば印字することもできる。これはなかなか便利なものがあると一人感心した私であった。<br />無事名前を見つけ、そこは線香禁止って言うことでお花を置いてお参りした。まだアメリカ領の頃に母親と叔母が来ているのだが、その頃はまだ〝平和の礎〟は作られていなかった。祖母はここに来る前に亡くなってしまったので、本当の〝近くの身内〟で来たのは私が勿論最初となる訳だ。〝こんな風になっているよ~〟と母親と叔母宛に写真を送ることにした。<br /><br />その後都道府県別に慰霊碑があるということで探すことに。祖父は栃木出身なので栃木県の碑を探すが、結構わかりやすいところにあった。立てるにあたり経緯とか知事の言葉なんかが刻んであったが、それより先にお参りをする。栃木の塔も例に漏れずかなり大きなもので写真で撮るのは苦労した。入り口で売っている花には線香もついているので、ちゃんとお線香も供えることもできる。〝出来の悪い孫が沖縄に来ましたのでお参りに来た〟と報告して沖縄県平和祈念資料館へ行くことにする。同じ敷地内にあるので目視はできるのだが、なんせ広大な敷地故移動には時間もかかる。勿論この平和祈念公園自体大変広大な敷地内に沖縄戦や戦没者に纏わる碑やモニュメント等たくさんあるので、身内に沖縄戦戦没者がおられるのでしたら一度行って頂きたく私は思う。<br /><br />そして沖縄県平和祈念資料館へ行く。ここもやはりひめゆり平和祈念館同様戦争のむごたらしさを紹介するものであるが、戦争資料を見慣れていない私にとってはさすがに2つの資料館を見ていると気が滅入ってくる。あまりにも惨たらし過ぎるという理由以外何物でもない。私が学生だった時代〝戦跡〟を修学旅行で回るということは行われてはいなかった。そのため広島・長崎の原爆記念館を見に行かなかった私としては正直キツい以外に何物でもなかった。でもどちらも語りかけるものは同じ、戦争はむごたらしいって言うことであるということだけが心の残った気がした。<br /><br />そうこうしている間に時間は過ぎ、なんかカーナビが近くに〝ひめゆりパーク〟っていうものがあると示している。時間もあまりないのでさっと見てこようかと駐車場まで行ったは良いが、見た限りなんか遊園地のらしいが誰も観光客はいない…。それほどぱっとしたものでもなかったために結局入園はパスすることにした。興味をもたれた方は行ってみられても良いかも知れない。戦跡巡りに疲れた後の〝サボテンアイス〟は良いかも知れません(※閉園)。<br /><br />会場入りする前にホテルにチェックインしようと思いまして一路市街地へ。今日お世話になるのは、浦添の〝ホテルキング〟ってところである。正直言って安いから決めたのだが、1泊¥3,500なり。那覇より北にあって会場までの道中にある立地から選んだ訳だが、まあやはり安いだけのことはある。洗い場のあるユニットバスも然り、トイレは見て〝え~っ?〟ってなるものだった。昭和の昔和式トイレにかぶせて様式便座擬きにするって代物があったのだが、いわゆるそれであった。でもシングル扱いでベッドが2つあったのは中々良いかも知れない。最上階5階のお部屋を宛がわれたが、国道58号に面しているのでうるさいのは否めない。<br /><br />しばらくくつろいだ後、また沖縄コンベンションセンターの会場へと向かうことにする。距離は勿論那覇より近い筈だが、国道が昨日より混んでおり到着は開演時刻、ちょっと冷や汗物だった。今日はアリーナツアーの最終日、稲葉さん&松本さんをはじめ皆さんノリノリでした!そんな中2時間ライブに没頭し、クラクラしながら晩飯どうしようかってことになったんですが、もうどこかに入って食べる気力がない…。しばらくホテル近辺をドライブしているとホカ弁を見つける。もう選ぶ気もなく引き寄せられ決めてしまった。因みに高菜弁当をチョイス。後からゴーヤチャンプルのほうが良かった~と後悔するが後の祭り。夕食を調達しホテルに帰ってきました。さすがに疲れは溜まっており、食事をして風呂入ったらもう記憶が…となるのは当たり前。だから結局安ホテルでも十分堪能できることに必然的になることとなる。<br /> <br />【2005年7月19日火曜日】<br />そんな夜は更けて行き、3日目つまり最終日の朝を迎えた。いつも行き当たりばったりの旅行なので細かな計画は立てていないのはいつものことだが、16:45の飛行機なのでそれまでに首里城・守礼の門と国際通りにてお土産の散策、そして今年出来たばっかのDFSを見に行かねば~って予定を朝組んでまたバタバタと出発をすることになった。まずは首里城〝守礼之門〟、ナビ付なので迷うことはないが、駐車場がややこしい。。最寄りの県営駐車場は比較的割高であるが、かと言って路上駐車はしたくない。そんな考えを持ちながら首里城の周りを走っていると〝民営の駐車場の看板〟というものを見つけた。思わず釣られて行ってしまったが…やっぱりすごいところだった。道は狭いし駐車場も雑木林を切り開いたようなところを提供している…。なんでも商売にするんやね~っとふと思ったりした。<br /><br />車を停めて無事首里城・守礼之門に到着。琉球王朝ってやっぱり日本の同時期の歴史とはやっぱり違うのだが、悲しいことに学校でやらないがために知識が無い。歴史は私も好きではあるがそれでもスケールが違い過ぎるため〝日本史〟と比較することが難しくて残念だった。だいたい1時間ほど散策して車へと戻り、今回の旅に於ける観光スポット見学は無事終了となった。<br /><br />土産購入も無事終了し、後は帰るのみ。ただ2月にデューティーフリーが国内初オープンしたことを知っており、買うものはなくとも見ておかないといけないと思い寄り道する。品揃えはかなり良いものの、やはり国内免税ということでお酒・煙草の取り扱いはない。レンタカーを借りたときになんかドリンク券を貰っていたのでちゃっかりそれだけ頂いただけで出発する。<br /><br />そうこうしている間にフライトの時間が迫ってきたためレンタカーを返却するために営業所へと向かう。そこで3日間お世話になったマーチ君に別れを告げ送迎バスで空港へ。帰りも団体の航空券だったので座席も指定されており、まあなんとなく帰ってきました。ライブと沖縄のために、連休中に連休を取らせてくれたスタッフに〝一応〟感謝しておく。<br /><br />静かなフライトを経て沖縄から大阪伊丹空港へと戻って来た。伊丹空港からは定番の京都行リムジンバスを利用する。京都からもいつも通りJR琵琶湖線を利用し田舎駅へ到着。この頃はまだ〝迎え〟に来て貰うことが出来た同居人の車で無事帰宅。今回の旅は無事終結することと相成った。さあ次回沖縄へ行くことはあるのだろうか?内心は本当に行きたいと思っている…。<br /><br />【追記】この旅行記は、保存していたものをそのままアップしているため、内容等に違ったものがある。たまたま読み返していると、OKA-ITMのB747-400が使われているとあるが。2014年3月31日をもって全日空のB744は日本の空から消えることとなっている。現在伊丹空港にはB744の定期運航便は騒音の問題で双発機以上の機材が入れなくなったことから既にありません。CTS-HND-OKAでは使われていますがもうすぐ消えることは何か物悲しい気持ちがします。B744 Foreve!

《July.17-19.2005》B'z LIVE-GYM 2005 -CIRCLE OF ROCK-IN OKINAWA.

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2005/07/17 - 2005/07/19

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《July.17-19.2005》B'z LIVE-GYM 2005 -CIRCLE OF ROCK-IN OKINAWA.

2005年7月17・18日と沖縄コンベンションセンターであったB'zの〝THE CIRCLE 2005 アリーナツアーファイナル〟に行って来た。連休と金欠ということもあったが、いつもの無計画でかつ勢いだけで〝行ってしまえ~!〟となり、チケットを手に入れまた行くこととなった。当時団体プランを利用するのは定番であったこともあり、最終旅行申し込みがギリギリとなる11日前であった。しかし逆にそれが功を奏し、ウェイティングになる筈であった帰り最終便の飛行機も取れて、2daysのライブと沖縄戦跡巡り・観光と満喫することが出来た。

今回利用したのはA社の沖縄フリープランであった。理由は単純〝最も安かった〟から。Air&Hotel(B付)+レンタカーでこの期間¥40,300だった。(ホテルは1泊のみ)。しかし安いものには何かある。団体国内航空券の発券には大きく分けて2つの形態があるのだが、一般的な15分前チェックインのIITと呼ばれるものと最近お目にかからなくなった60分前集合のIT5と呼ばれるものである。後者は添乗員同行ツアーで使われることが多いのであるが、旅行会社によっては未だこのIT5を利用しているところがある。集合時間の問題もあるがそれより前者はマイル加算対象であるのに対し、後者は対象外になっている。つまり航空券に名前が入っている訳ではなく、団体客の搭乗リストによって枚数発券されているために〝無記名〟だということがその理由らしい。この旅行会社は最近我が社旅行センターでの取扱いが始まったばかりで勝手がわからず、申込時にguaranteeできないと言われたことから〝し~まった〟…と思ったが仕方がない。案の定の結果で細かいところで格安ツアーはやはり期待薄…そんなことを実感した手配であった。

【2005年7月17日日曜日】
折りしも台風5号が沖縄地区を通過している日とかち合ってしまった。一応1時間前集合だったがそんなに早く行っても仕方がないと判断し勝手に40分前に集合を決め込み、On Timeで伊丹空港南団体カウンターに到着する。そこで今回搭乗するANA105便は係員から条件便であるということを知らされる。条件便とは現地天候不良で機長が着陸不可能と判断した場合は伊丹に引き返すというものであり、私もはじめての搭乗であった。まあ天候のことをうだうだ言っても仕方が無いので取りあえず苦手なセキュリティーを通過し、ゲートのほうへと向かう。

連休中ということもありかなりの混み具合。そして手元のボーディングパスには席は61Kとある。ここの席は一回座ったことがあるが、後方の席で機材の後方で狭まっているところで通常3席あるところが2席になっているところだったはず。すごく座りにくいが仕方ない…。記憶違いを期待して機内に入って席を探すと案の定であった。いきなりの席からでのスタートにちょっとブルーになってしまう。定刻の出発だったがやっぱり台風の影響があり、雲にかかると結構揺れる。そんな感じで那覇に近づいて行くがやはり台風の影響かなり揺れる。着陸時にはシートベルトをしているもののエアーポケットに入った状態でシートからお尻が浮き上がる状況。そんな中那覇空港に着陸した瞬間風にあおられたのか機体が傾いたりバウンドして…。無事着陸したときには客室内から拍手が出ていた。初プライベート沖縄が台風接近中だった…あまり飛行機搭乗の機会に恵まれなかった私には初めての貴重な経験であった。

無事那覇に着いたらひどいスコール状態。今回利用するのはABCレンタカーだが、空港で貸し出しの際はほかと会社と同じく一旦空港建物から出てからレンタカー受付に進み、到着受付後送迎車にて営業所まで向かい、それから貸し出されるというもの。ただ営業所までの恐いとこ。信号無視等は当たり前…まあ無事着いたのでそれは良かったが、やっぱりお客さんを乗せているんですから安全運転をに気を使って欲しいものだと改めて思う。15分くらいで営業所に着き今回3日間お世話になるマーチくんを借り受けた後、さあどこへ行こうかって言うことなるが、前日21:00まで仕事だったので取りあえず一旦今晩の宿となるホテルエアポート那覇にチェックインして夜に備えることにした。

ホテルで特にすることがなく、とりあえずテレビをつけながら寝ようかとことにする。ただたまたまこの日が沖縄地区高校野球の決勝だったために沖縄尚学VS浦添商に思わず見入ってしまう。それにしても台風がちょうど沖縄南方を通過しており、NHKではずっと台風状況のテロップが流れていた。たまたま今回目的地が那覇だったから良かったけど、石垣とか宮古から那覇に向かう路線であれば欠航していたようだ。沖縄でのライブに沖縄県在住者が参加できなかったケースもあったかとふと思ったりした。

結局一睡もせず出発時間を迎える。レンタカー屋のおじぃが那覇から沖縄コンベンションセンターのある宜野湾までの国道58号線は〝夕方かなり混むさ~〟って言っていたこともあり少し早めの出発をする。確かに混んではいたけれど、浦添から海側のバイパスを走る頃には空いていた。ただ初めての場所、駐車場のありかもわからない。目の前にラグナガーデンホテルが見えてきたのでここだと会場はわかったが…。結局Uターンしてなんかホントの空き地って感じの駐車場に車を止めいそいそと会場へとむかうことになる。今回はグッズも買わないので即入場しようと突進したら、もう片方の〝三輪明宏〟コンサート会場に入りそうになる。入り口で指摘され無事会場インし、席に辿り着いたのが開演予定5分前の17:55であった。ギリギリの時間と普通言われる時間ではあるが、私自身常に〝オープニング5秒前の着席〟なので〝一人でもできる〟と自画自賛をすることになる。そんな感じでライブのオープニングに続いていった。

初日のライブが終了してホテルへと戻るが、でもいつものごとく駐車場から出られない。B’zライブ自体参戦者が多いのが当たり前なのだが、これが交通の便の悪いところでは顕著になる。結局1時間位かかってやっと出られたが、もう食事をする気力も残っていない。たまたま帰り道にMOSがあったのでそこのテイクアウトで済ますことに。無事夕食も確保したらもう後はホテルに帰る思いしか残っていない。。途中コンビニで飲み物だけ調達してホテル直行した。そんな感じで今日一日はバタバタと過ぎて行った。短くも体力的には長い一日だったこともありもう何もやる気力が残っておらず眠りにつくzzz。そんなかんじで沖縄初日は過ぎて行った。

【2005年7月18日月曜日】
2日目は8時起きだった。もっとゆっくりしたかったが朝食が9時半までなのと今日のスケジュールとして南部戦跡巡りをしようと思っていたので早めの行動にうつる。朝食をとった後チェックアウト。ここであれ~って思うことがひとつ、駐車料金600円の請求…。格安ツアーを使っていたのでこの出費は痛い…。まあ最終的には払わざるを得ませんでしたが、那覇市内の場合それほどロケーションが良くなくても駐車場がかかることが多いことを知る。ホテルのみの手配であれば確認するだろうが、ツアー組み込みの場合は意外と疎かになる点かも知れない。ホテル選択には慎重にという教訓を得た。

隣のコンビニでシークヮーサージュースを買い込みいざ戦跡のある糸満市へ。それほどの距離ではないので結構早く着いた。まずは〝ひめゆりの塔〟から見学する。ここは戦時中沖縄陸軍病院伊原第三外科のあったところ。病院って言っても〝ガマ(天然の洞窟)〟を利用したものでお粗末なものである。ここで多くの人が犠牲になられたことはホント心が痛む。入り口で献花用の花が売られており一束200円、やっぱりここに来て献花は当たり前。私も購入しささやかながらお祈りをしてきました。ここには資料館も併設されています。ここまで来て行かないのはと思い行くことにする。

〝ひめゆり平和祈念資料館〟と名づけられたここには野戦病院の過酷さや動員されたひめゆり部隊の惨劇が展示されています。私も当然戦後生まれですが、やはりこの展示を見ると心が痛みます。改めて戦争はいけないと心に思った私であった。

ひめゆりの塔を見学した後、近くの土産物やでちょっと物色。とはいえありきたりのものしかないのだが…。同居人から青切シークヮーサーの原液が欲しいと言われていたが、売っていたのは台湾産。店のおばぁ曰く〝シークヮーサーは実がちっちゃいからほとんど取れないし高くなるさ~〟」と言われてしまう。まあ観光地の土産物屋に品揃えが豊富とも言えず、結局〝また後で来るさ~〟って言い残して退散する。

そして次に向かったのは沖縄県営平和公園。その中にある摩文仁(まぶに)の丘と平和祈念資料館が目的である。国道331号線沿いにあるのでわかりよいものであった。南部戦跡の2大名所と言われるところですが、今回はちょっと〝訪れなければならない〟理由があったからである。実は私の母方の祖父が沖縄で戦死している。そのためまだ返還前の沖縄に母親が行ってはいるが、当時と今は色々と変わっている上にかつ祖母が沖縄には一度も来られないまま亡くなったっていうことが私を駆り立てていた。

まあ孫が来たからって喜んでもらえるかどうかわからないが、一度訪れてみたかったので今回来ることになった。ただここで興ざめが一件、車を降りて地図を見ていたのだが、そしたら花売りのおばぁがお供えに買えと言い寄ってくる。そんなこと言われなくても買いますって言いたかったがつまらないことで言い争う気もないので300円のお花にお釣りある~って聞いたらあるっていうので500円出したら、どうも手持ちがないらしく大声で他のおばぁに沖縄言葉で(私はわかりませんでした)持って来いって言っているようであった。しかしなかなか持ってこないものだから挙句の果て〝2本500円でどう?〟なんて言ってきたがそれ以上折れる気もなく〝ひとつ〟と意地になって言い返した私であった。

結局ちゃんとおつり貰ってから祖父の名前を探すことにする。ただ刻銘場所を探すことはそこそこの時間と手間を要すと考えていた。しかしそこは大勢の名前を刻んでいる〝平和の礎〟、便利なものが置かれている。タッチパネルで出身地と名前(名字)を入力すればたちどころに〝ココ〟を画面に表示し、必要であれば印字することもできる。これはなかなか便利なものがあると一人感心した私であった。
無事名前を見つけ、そこは線香禁止って言うことでお花を置いてお参りした。まだアメリカ領の頃に母親と叔母が来ているのだが、その頃はまだ〝平和の礎〟は作られていなかった。祖母はここに来る前に亡くなってしまったので、本当の〝近くの身内〟で来たのは私が勿論最初となる訳だ。〝こんな風になっているよ~〟と母親と叔母宛に写真を送ることにした。

その後都道府県別に慰霊碑があるということで探すことに。祖父は栃木出身なので栃木県の碑を探すが、結構わかりやすいところにあった。立てるにあたり経緯とか知事の言葉なんかが刻んであったが、それより先にお参りをする。栃木の塔も例に漏れずかなり大きなもので写真で撮るのは苦労した。入り口で売っている花には線香もついているので、ちゃんとお線香も供えることもできる。〝出来の悪い孫が沖縄に来ましたのでお参りに来た〟と報告して沖縄県平和祈念資料館へ行くことにする。同じ敷地内にあるので目視はできるのだが、なんせ広大な敷地故移動には時間もかかる。勿論この平和祈念公園自体大変広大な敷地内に沖縄戦や戦没者に纏わる碑やモニュメント等たくさんあるので、身内に沖縄戦戦没者がおられるのでしたら一度行って頂きたく私は思う。

そして沖縄県平和祈念資料館へ行く。ここもやはりひめゆり平和祈念館同様戦争のむごたらしさを紹介するものであるが、戦争資料を見慣れていない私にとってはさすがに2つの資料館を見ていると気が滅入ってくる。あまりにも惨たらし過ぎるという理由以外何物でもない。私が学生だった時代〝戦跡〟を修学旅行で回るということは行われてはいなかった。そのため広島・長崎の原爆記念館を見に行かなかった私としては正直キツい以外に何物でもなかった。でもどちらも語りかけるものは同じ、戦争はむごたらしいって言うことであるということだけが心の残った気がした。

そうこうしている間に時間は過ぎ、なんかカーナビが近くに〝ひめゆりパーク〟っていうものがあると示している。時間もあまりないのでさっと見てこようかと駐車場まで行ったは良いが、見た限りなんか遊園地のらしいが誰も観光客はいない…。それほどぱっとしたものでもなかったために結局入園はパスすることにした。興味をもたれた方は行ってみられても良いかも知れない。戦跡巡りに疲れた後の〝サボテンアイス〟は良いかも知れません(※閉園)。

会場入りする前にホテルにチェックインしようと思いまして一路市街地へ。今日お世話になるのは、浦添の〝ホテルキング〟ってところである。正直言って安いから決めたのだが、1泊¥3,500なり。那覇より北にあって会場までの道中にある立地から選んだ訳だが、まあやはり安いだけのことはある。洗い場のあるユニットバスも然り、トイレは見て〝え~っ?〟ってなるものだった。昭和の昔和式トイレにかぶせて様式便座擬きにするって代物があったのだが、いわゆるそれであった。でもシングル扱いでベッドが2つあったのは中々良いかも知れない。最上階5階のお部屋を宛がわれたが、国道58号に面しているのでうるさいのは否めない。

しばらくくつろいだ後、また沖縄コンベンションセンターの会場へと向かうことにする。距離は勿論那覇より近い筈だが、国道が昨日より混んでおり到着は開演時刻、ちょっと冷や汗物だった。今日はアリーナツアーの最終日、稲葉さん&松本さんをはじめ皆さんノリノリでした!そんな中2時間ライブに没頭し、クラクラしながら晩飯どうしようかってことになったんですが、もうどこかに入って食べる気力がない…。しばらくホテル近辺をドライブしているとホカ弁を見つける。もう選ぶ気もなく引き寄せられ決めてしまった。因みに高菜弁当をチョイス。後からゴーヤチャンプルのほうが良かった~と後悔するが後の祭り。夕食を調達しホテルに帰ってきました。さすがに疲れは溜まっており、食事をして風呂入ったらもう記憶が…となるのは当たり前。だから結局安ホテルでも十分堪能できることに必然的になることとなる。
 
【2005年7月19日火曜日】
そんな夜は更けて行き、3日目つまり最終日の朝を迎えた。いつも行き当たりばったりの旅行なので細かな計画は立てていないのはいつものことだが、16:45の飛行機なのでそれまでに首里城・守礼の門と国際通りにてお土産の散策、そして今年出来たばっかのDFSを見に行かねば~って予定を朝組んでまたバタバタと出発をすることになった。まずは首里城〝守礼之門〟、ナビ付なので迷うことはないが、駐車場がややこしい。。最寄りの県営駐車場は比較的割高であるが、かと言って路上駐車はしたくない。そんな考えを持ちながら首里城の周りを走っていると〝民営の駐車場の看板〟というものを見つけた。思わず釣られて行ってしまったが…やっぱりすごいところだった。道は狭いし駐車場も雑木林を切り開いたようなところを提供している…。なんでも商売にするんやね~っとふと思ったりした。

車を停めて無事首里城・守礼之門に到着。琉球王朝ってやっぱり日本の同時期の歴史とはやっぱり違うのだが、悲しいことに学校でやらないがために知識が無い。歴史は私も好きではあるがそれでもスケールが違い過ぎるため〝日本史〟と比較することが難しくて残念だった。だいたい1時間ほど散策して車へと戻り、今回の旅に於ける観光スポット見学は無事終了となった。

土産購入も無事終了し、後は帰るのみ。ただ2月にデューティーフリーが国内初オープンしたことを知っており、買うものはなくとも見ておかないといけないと思い寄り道する。品揃えはかなり良いものの、やはり国内免税ということでお酒・煙草の取り扱いはない。レンタカーを借りたときになんかドリンク券を貰っていたのでちゃっかりそれだけ頂いただけで出発する。

そうこうしている間にフライトの時間が迫ってきたためレンタカーを返却するために営業所へと向かう。そこで3日間お世話になったマーチ君に別れを告げ送迎バスで空港へ。帰りも団体の航空券だったので座席も指定されており、まあなんとなく帰ってきました。ライブと沖縄のために、連休中に連休を取らせてくれたスタッフに〝一応〟感謝しておく。

静かなフライトを経て沖縄から大阪伊丹空港へと戻って来た。伊丹空港からは定番の京都行リムジンバスを利用する。京都からもいつも通りJR琵琶湖線を利用し田舎駅へ到着。この頃はまだ〝迎え〟に来て貰うことが出来た同居人の車で無事帰宅。今回の旅は無事終結することと相成った。さあ次回沖縄へ行くことはあるのだろうか?内心は本当に行きたいと思っている…。

【追記】この旅行記は、保存していたものをそのままアップしているため、内容等に違ったものがある。たまたま読み返していると、OKA-ITMのB747-400が使われているとあるが。2014年3月31日をもって全日空のB744は日本の空から消えることとなっている。現在伊丹空港にはB744の定期運航便は騒音の問題で双発機以上の機材が入れなくなったことから既にありません。CTS-HND-OKAでは使われていますがもうすぐ消えることは何か物悲しい気持ちがします。B744 Foreve!

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー ANAグループ 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
19いいね!

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