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浅草名所七福神めぐりは浅草駅からスタートしましたが、その道中の部分だけを編集しています。<br />石浜神社まで参拝を済ませた私は待乳山聖天まで一旦戻り、山谷堀経由で吉原神社へ向かうことにしました<br />江戸時代には、吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。<br />山谷堀を猪牙舟(ちょきぶね)に乗って吉原遊郭へ向かうのが一般的だったそうです。<br />暗渠となった山谷堀は700mにもなる公園となっていて、架かる橋は親柱だけが残されていて、現在はその山谷堀があったことを示しているのです。<br />私も次の目的地である吉原神社へは吉原遊郭を通りますので「山谷通い」の気分で歩きました。<br />

山谷堀公園

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2022/01/24 - 2022/01/24

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旅行記グループ 浅草名所七福神めぐり

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

浅草名所七福神めぐりは浅草駅からスタートしましたが、その道中の部分だけを編集しています。
石浜神社まで参拝を済ませた私は待乳山聖天まで一旦戻り、山谷堀経由で吉原神社へ向かうことにしました
江戸時代には、吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。
山谷堀を猪牙舟(ちょきぶね)に乗って吉原遊郭へ向かうのが一般的だったそうです。
暗渠となった山谷堀は700mにもなる公園となっていて、架かる橋は親柱だけが残されていて、現在はその山谷堀があったことを示しているのです。
私も次の目的地である吉原神社へは吉原遊郭を通りますので「山谷通い」の気分で歩きました。

同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配
  • 浅草駅から桜橋の続きです。<br />隅田川の山谷堀への分岐部までは水がありますがすぐに暗渠となるのです。

    浅草駅から桜橋の続きです。
    隅田川の山谷堀への分岐部までは水がありますがすぐに暗渠となるのです。

  • 水門部は既に暗渠されて山谷堀公園となっています。

    水門部は既に暗渠されて山谷堀公園となっています。

  • 隅田川から今戸橋までは船溜まりがあったと推測され、ここで猪牙船に乗り換えたのだと思います。

    隅田川から今戸橋までは船溜まりがあったと推測され、ここで猪牙船に乗り換えたのだと思います。

  • 河口から最初にある今戸橋<br />

    河口から最初にある今戸橋

  • 今戸橋跡<br />今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。最初に整備された時期は不明ですが、江戸時代の資料に橋を架け渡すという記載が残っています。<br />この橋の下を吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人通る」というほどのにぎわいだったと言われています。<br />現存する欄干は、大正15年(1926年)に竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1987年)現在のような形となりました。<br />メモ

    今戸橋跡
    今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。最初に整備された時期は不明ですが、江戸時代の資料に橋を架け渡すという記載が残っています。
    この橋の下を吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人通る」というほどのにぎわいだったと言われています。
    現存する欄干は、大正15年(1926年)に竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1987年)現在のような形となりました。
    メモ

  • 山谷堀公園<br />ここはかつて山谷堀と呼ばれる水路であったが経済成長に伴う水質汚濁と悪臭が問題となり東京都により昭和51年(1976)頃から暗渠化された。<br /><br />地図には今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方新橋、地方橋、日本堤橋が記載されています。<br />

    山谷堀公園
    ここはかつて山谷堀と呼ばれる水路であったが経済成長に伴う水質汚濁と悪臭が問題となり東京都により昭和51年(1976)頃から暗渠化された。

    地図には今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方新橋、地方橋、日本堤橋が記載されています。

    山谷堀公園 公園・植物園

  • 山谷堀公園入口には十二支のモニュメント

    山谷堀公園入口には十二支のモニュメント

  • 山谷堀公園は暗渠化された部分の700mに渡る公園となっています。

    山谷堀公園は暗渠化された部分の700mに渡る公園となっています。

  • 今戸焼とは江戸時代から明治時代を中心に今戸やそのその周辺で焼かれた焼き物で、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。

    今戸焼とは江戸時代から明治時代を中心に今戸やそのその周辺で焼かれた焼き物で、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。

  • 山谷堀公園には今戸焼の置物が置かれています。

    山谷堀公園には今戸焼の置物が置かれています。

  • 今戸焼<br />作品名は踊り雀、形はほぼ同じですが、それぞれの角度を変えています。

    今戸焼
    作品名は踊り雀、形はほぼ同じですが、それぞれの角度を変えています。

  • 今戸焼が多く置かれています。

    今戸焼が多く置かれています。

  • 今戸焼<br />河童の作品名ですが一つずつ微妙に違うのです。

    今戸焼
    河童の作品名ですが一つずつ微妙に違うのです。

  • 今戸焼<br />作品名は招き猫、今戸神社を意識しています。

    今戸焼
    作品名は招き猫、今戸神社を意識しています。

  • 今戸焼とスカイツリー

    今戸焼とスカイツリー

  • 山谷堀は暗渠となりましたが堀のコンクリート部分は残されています。

    山谷堀は暗渠となりましたが堀のコンクリート部分は残されています。

  • 隅田川の河口から二つ目の聖天橋<br />

    隅田川の河口から二つ目の聖天橋

  • 猪牙船は船主が細長く尖った屋根のない形で江戸時代から市中の水路で使われていた舟。<br />遊郭が新吉原に移転した後、猪牙船を用いて山谷堀を通ったため山谷舟とも呼ばれていた。<br />江戸時代の人々にとって舟に乗り山谷堀を通って吉原へ遊びに行くことは大変贅沢であった。

    猪牙船は船主が細長く尖った屋根のない形で江戸時代から市中の水路で使われていた舟。
    遊郭が新吉原に移転した後、猪牙船を用いて山谷堀を通ったため山谷舟とも呼ばれていた。
    江戸時代の人々にとって舟に乗り山谷堀を通って吉原へ遊びに行くことは大変贅沢であった。

  • 猪牙船とその乗客でしょうか?

    猪牙船とその乗客でしょうか?

  • 猪牙船が描かれています。

    猪牙船が描かれています。

  • 猪牙船(ちょきせん)<br />案内板の横には復元された新しい猪牙船が置かれています。

    猪牙船(ちょきせん)
    案内板の横には復元された新しい猪牙船が置かれています。

  • 動力は人力の櫓で漕ぎます。

    動力は人力の櫓で漕ぎます。

  • 河口から三つ目の吉野橋<br />

    河口から三つ目の吉野橋

  • もう一枚

    もう一枚

  • 河口から四つ目の正法寺橋<br />

    河口から四つ目の正法寺橋

  • もう一枚

    もう一枚

  • 浅草猿若町は現在の浅草六丁目辺りを指す町名で江戸歌舞伎の始祖・猿若勘三郎の名からつけられ、江戸末期の芝居町として栄えた。<br />

    浅草猿若町は現在の浅草六丁目辺りを指す町名で江戸歌舞伎の始祖・猿若勘三郎の名からつけられ、江戸末期の芝居町として栄えた。

  • 毎年11月の酉の日、午前零時に打ちならされる「一番太鼓」を合図に終日執り行われる祭礼。

    毎年11月の酉の日、午前零時に打ちならされる「一番太鼓」を合図に終日執り行われる祭礼。

  • 河口から五つ目の山谷堀橋<br />

    河口から五つ目の山谷堀橋

  • 山谷堀橋<br />先の茂みの中に正岡子規の句碑があるのですが<br />

    山谷堀橋
    先の茂みの中に正岡子規の句碑があるのですが

  • 正岡子規の句碑<br />何の案内板もないのです。

    正岡子規の句碑
    何の案内板もないのです。

  • 正岡子規の句碑<br />  牡丹載せて  今戸へ歸る  小舟かな<br /><br />右下に見えるのは周囲に生えているトクサの案内板で、折角この地の句なのに残念でなりません。

    正岡子規の句碑
      牡丹載せて 今戸へ歸る 小舟かな

    右下に見えるのは周囲に生えているトクサの案内板で、折角この地の句なのに残念でなりません。

  • 山谷堀橋

    山谷堀橋

  • 山谷堀橋のたもとには見返り柳、吉原大門まで537m

    山谷堀橋のたもとには見返り柳、吉原大門まで537m

  • 山谷堀跡<br />かつて山谷堀は帰宅王子の音無川を通り墨田川へ流れる水路だった。<br />遊郭が新吉原に移転した後、当時の江戸の人々にとって猪牙船に乗って山谷堀を通り吉原の遊郭に遊びに行くことは大変贅沢であった。<br /><br />案内板の地図は山谷堀だった頃の写真が掲載されています。

    山谷堀跡
    かつて山谷堀は帰宅王子の音無川を通り墨田川へ流れる水路だった。
    遊郭が新吉原に移転した後、当時の江戸の人々にとって猪牙船に乗って山谷堀を通り吉原の遊郭に遊びに行くことは大変贅沢であった。

    案内板の地図は山谷堀だった頃の写真が掲載されています。

  • 河口から六つ目の紙洗橋<br />

    河口から六つ目の紙洗橋

  • 地方新橋<br />

    地方新橋

  • 新吉原<br />新吉原 明暦の大火後に日本橋にあった元吉原から浅草北部の農村部に移転してきたことにより新吉原と呼ばれた遊郭。

    新吉原
    新吉原 明暦の大火後に日本橋にあった元吉原から浅草北部の農村部に移転してきたことにより新吉原と呼ばれた遊郭。

  • 新吉原衣紋坂日本堤

    新吉原衣紋坂日本堤

  • 東京名所新吉原夜桜之図

    東京名所新吉原夜桜之図

  • 江戸自慢三十六興 新吉原仲之町の桜

    江戸自慢三十六興 新吉原仲之町の桜

  • 河口から八つ目の地方橋<br /><br /><br />

    河口から八つ目の地方橋


  • 地方橋<br />地方橋来歴<br /> 本橋ハ帝都復興事業トシテ改築シタルモノナリ<br /> 一 起工 昭和四年四月<br /> 一 竣工 昭和四年八月<br /> 一 工費 弐萬四百圓<br />  東京市

    地方橋
    地方橋来歴
     本橋ハ帝都復興事業トシテ改築シタルモノナリ
     一 起工 昭和四年四月
     一 竣工 昭和四年八月
     一 工費 弐萬四百圓
      東京市

  • 吉原遊郭へはここ地方橋が最寄りの橋となり、山谷堀公園もここが終点となり墨田川から700m歩いてきたことになります。<br />

    吉原遊郭へはここ地方橋が最寄りの橋となり、山谷堀公園もここが終点となり墨田川から700m歩いてきたことになります。

  • 日本堤は新吉原への道のひとつとして、浮世絵や歌舞伎の題材にも取り上げられ、江戸の名所として賑わいを見せた。<br />日本堤が築かれたのは、新吉原ができる37年前の元和6年(1620)とされ、その理宙は、低湿地帯である浅草・下谷を墨田川出水による范鑑の被害から防ぐためであった。江戸幕府が全国の諸大客に命令して築堤したことから、「日本堤」と呼ばれるようになったといわれるが、由来は諸説ある。<br /> 浮世絵を見ると、吉原に向かう遊郭相手の茶屋などが日本堤沿いに立ち並んでいる様子や、遊郭の中にいる猫が茜の市帰りの客を見下ろしている場面、田圃の中で狸に化かされた人たちのユーモラスな様子などが描かれている。<br /><br />写真には名所江戸の絵画が載せられています。<br /><br />

    日本堤は新吉原への道のひとつとして、浮世絵や歌舞伎の題材にも取り上げられ、江戸の名所として賑わいを見せた。
    日本堤が築かれたのは、新吉原ができる37年前の元和6年(1620)とされ、その理宙は、低湿地帯である浅草・下谷を墨田川出水による范鑑の被害から防ぐためであった。江戸幕府が全国の諸大客に命令して築堤したことから、「日本堤」と呼ばれるようになったといわれるが、由来は諸説ある。
     浮世絵を見ると、吉原に向かう遊郭相手の茶屋などが日本堤沿いに立ち並んでいる様子や、遊郭の中にいる猫が茜の市帰りの客を見下ろしている場面、田圃の中で狸に化かされた人たちのユーモラスな様子などが描かれている。

    写真には名所江戸の絵画が載せられています。

  • 土手通りに出ると老舗の伊勢屋と中江が<br />遊郭へ遊びに行くためには先ずは勢力を付けなければなりません。

    土手通りに出ると老舗の伊勢屋と中江が
    遊郭へ遊びに行くためには先ずは勢力を付けなければなりません。

  • 桜肉の中江

    桜肉の中江

  • 天婦羅の伊勢屋

    天婦羅の伊勢屋

  • 登録有形文化財に登録されているのです。

    登録有形文化財に登録されているのです。

  • 土手通りにはあしたのジョーが歩いていました。

    土手通りにはあしたのジョーが歩いていました。

  • どこへ行くのと尋ねると吉原のソープですと答えたかは定かではないが、足は吉原の方向に向かっています。<br /><br />よって私も吉原遊郭へ向かうことにします。<br />私の本来の目的は浅草名所七福神めぐりなのでいやでも遊郭の目抜き通りの仲之町通りを歩き吉原神社へ行かなければなりません。

    どこへ行くのと尋ねると吉原のソープですと答えたかは定かではないが、足は吉原の方向に向かっています。

    よって私も吉原遊郭へ向かうことにします。
    私の本来の目的は浅草名所七福神めぐりなのでいやでも遊郭の目抜き通りの仲之町通りを歩き吉原神社へ行かなければなりません。

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