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浅草名所七福神めぐりは待乳山聖天、今戸神社、橋場不動院、石浜神社、吉原神社、鷲神社、矢先稲荷神社、浅草寺、浅草神社の順に参拝しました。<br />待乳山聖天(羅生門天)は(まつちやましょうでん)と呼び神社ではなく聖観音宗の寺院です。<br />境内は歴史だけではなく、見所も多くさくらレール(スロープカー)までもがあるのです。<br /><br />

浅草名所七福神めぐり - 待乳山聖天 -

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2022/01/24 - 2022/01/24

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旅行記グループ 浅草名所七福神めぐり

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

浅草名所七福神めぐりは待乳山聖天、今戸神社、橋場不動院、石浜神社、吉原神社、鷲神社、矢先稲荷神社、浅草寺、浅草神社の順に参拝しました。
待乳山聖天(羅生門天)は(まつちやましょうでん)と呼び神社ではなく聖観音宗の寺院です。
境内は歴史だけではなく、見所も多くさくらレール(スロープカー)までもがあるのです。

同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配
  • 待乳山聖天の入口には聖天さま、羅生門天さまと呼ばれています。<br />浅草七福神の地図まで記載されています。

    待乳山聖天の入口には聖天さま、羅生門天さまと呼ばれています。
    浅草七福神の地図まで記載されています。

  • 多くの地蔵様が歓迎してくれているようです。

    多くの地蔵様が歓迎してくれているようです。

  • 左側の南無妙法蓮華経と書かれて、下には見ざる、言わざる、聞かざるの三猿がある碑には寛文九年の文字が<br />西暦だと1669年です。

    左側の南無妙法蓮華経と書かれて、下には見ざる、言わざる、聞かざるの三猿がある碑には寛文九年の文字が
    西暦だと1669年です。

  • 右側の塔申塔には延宝七年の文字が<br />西暦だと1679年です。<br /><br />

    右側の塔申塔には延宝七年の文字が
    西暦だと1679年です。

  • 金龍山大聖歓喜廟碑<br />文化元(1804)年に建てられた「金龍山大聖歓喜廟碑」です。<br />漢文で綴られおり、聖天宮創設のこと、天安元(857)年に慈覚大師が逗留し十一面観音像彫り安置したこと、歓喜天の功徳のことなどが記されています。

    金龍山大聖歓喜廟碑
    文化元(1804)年に建てられた「金龍山大聖歓喜廟碑」です。
    漢文で綴られおり、聖天宮創設のこと、天安元(857)年に慈覚大師が逗留し十一面観音像彫り安置したこと、歓喜天の功徳のことなどが記されています。

  • 歓喜地蔵尊<br />数度の火災に遭いその尊容とどめていないが古来より子育地蔵として伝承され、霊顕あらたかな尊として信仰されている。<br />

    歓喜地蔵尊
    数度の火災に遭いその尊容とどめていないが古来より子育地蔵として伝承され、霊顕あらたかな尊として信仰されている。

  • 額堂では御供の大根を売っています。<br />大根は一本200で販売されています。

    額堂では御供の大根を売っています。
    大根は一本200で販売されています。

  • 心願成就<br />浴油祈祷により心願成就した方の寄進碑です。

    心願成就
    浴油祈祷により心願成就した方の寄進碑です。

  • 神楽殿<br />本尊が大聖歓喜天(たいしょうかんぎてん)です。

    神楽殿
    本尊が大聖歓喜天(たいしょうかんぎてん)です。

  • さくらレールと呼ばれるモノレール(スロープカー)

    さくらレールと呼ばれるモノレール(スロープカー)

  • 乗車無料です。

    乗車無料です。

  • サクラレールは距離は短いのですがゆっくりと動きあっと言う間に終点です。

    サクラレールは距離は短いのですがゆっくりと動きあっと言う間に終点です。

  • 待乳山聖天本殿

    待乳山聖天本殿

  • 正式名称を「本龍院」という浅草寺の支院の一つです。

    正式名称を「本龍院」という浅草寺の支院の一つです。

  • 不思議なお供え物

    不思議なお供え物

  • お下がり大根は自由に持ち帰ることが出来ます。

    お下がり大根は自由に持ち帰ることが出来ます。

  • 銅製宝篋印塔<br />天明元(1782)年に奉納された笠を持つ「銅造り宝筐印塔」です

    銅製宝篋印塔
    天明元(1782)年に奉納された笠を持つ「銅造り宝筐印塔」です

  • 銅製宝篋印塔<br />「銅造宝篋印塔(台東区有形文化財)<br />台東区浅草七丁目四番一号 本龍寺<br />宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼経」という経典に基づいて造立された塔である。本塔は江戸時代中期以降に流行した、屋根型の笠をもつ宝篋印塔で、時代性をよく表している。基礎に刻まれた銘文から、天明元年(一七八一)に鋳物師西村和泉守が製作し、蔵前の札差等十六名が奉納したものであることが分かる。西村和泉守は、江戸時代から大正時代にかけて、十一代にわたり鋳物師を務めた家で、本塔の作者は五代西村政平にあたると考えられる。<br /> 銅造の宝篋印塔は全国的にも類例が少なく、特に区内では造立当初からほぼ完全な形で遺された唯一の事例である。各部の装飾は優れており、鋳物師の高い技能を知ることができる。また、蔵前の札差の奉納物としても貴重な歴史資料である。<br /> 平成十四年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。<br />  平成十九年三月  台東区教育委員会」

    銅製宝篋印塔
    「銅造宝篋印塔(台東区有形文化財)
    台東区浅草七丁目四番一号 本龍寺
    宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼経」という経典に基づいて造立された塔である。本塔は江戸時代中期以降に流行した、屋根型の笠をもつ宝篋印塔で、時代性をよく表している。基礎に刻まれた銘文から、天明元年(一七八一)に鋳物師西村和泉守が製作し、蔵前の札差等十六名が奉納したものであることが分かる。西村和泉守は、江戸時代から大正時代にかけて、十一代にわたり鋳物師を務めた家で、本塔の作者は五代西村政平にあたると考えられる。
     銅造の宝篋印塔は全国的にも類例が少なく、特に区内では造立当初からほぼ完全な形で遺された唯一の事例である。各部の装飾は優れており、鋳物師の高い技能を知ることができる。また、蔵前の札差の奉納物としても貴重な歴史資料である。
     平成十四年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
      平成十九年三月  台東区教育委員会」

  • 稲荷尊

    稲荷尊

  • 道灌稲荷跡<br />かつて当山境内には、太田道灌勧請の「道灌稲荷」が祀られていた。<br />文政八年(一八二五)、本龍院より江戸幕府に提出された『寺社書上』に、「一、稲荷社、道灌稲荷と唱候、四尺一間」と見て、また、かつて当町内の木戸には「道灌稲荷の守護」の札が貼られ、地域の人々より尊崇を受けていた由が知れる。<br /> 人望篤く、文武両道の部将として名を馳せていた太田道灌(一四三に?八六)は、文明八年(一四七六)、鎌倉の詩僧を招き、隅田川に船を浮かべて詩歌管弦の宴を開いている。自らの稲荷尊信仰と景勝の待乳山に浅からぬ因縁を窺うことができる。」

    道灌稲荷跡
    かつて当山境内には、太田道灌勧請の「道灌稲荷」が祀られていた。
    文政八年(一八二五)、本龍院より江戸幕府に提出された『寺社書上』に、「一、稲荷社、道灌稲荷と唱候、四尺一間」と見て、また、かつて当町内の木戸には「道灌稲荷の守護」の札が貼られ、地域の人々より尊崇を受けていた由が知れる。
     人望篤く、文武両道の部将として名を馳せていた太田道灌(一四三に?八六)は、文明八年(一四七六)、鎌倉の詩僧を招き、隅田川に船を浮かべて詩歌管弦の宴を開いている。自らの稲荷尊信仰と景勝の待乳山に浅からぬ因縁を窺うことができる。」

  • 百度石

    百度石

  • 糸塚<br />十一世杵屋六左衛門(後に三世杵屋勘五郎)建立<br />この糸塚は元治元年十一世杵屋六左衛門が父十世杵屋六左衛門の遺志に依り供養の為建立せるものにして十世六左衛門 三世勘五郎共に長唄三絃の名人と云われた人である<br />昭和六十三年四月 六世杵屋勘五郎記」

    糸塚
    十一世杵屋六左衛門(後に三世杵屋勘五郎)建立
    この糸塚は元治元年十一世杵屋六左衛門が父十世杵屋六左衛門の遺志に依り供養の為建立せるものにして十世六左衛門 三世勘五郎共に長唄三絃の名人と云われた人である
    昭和六十三年四月 六世杵屋勘五郎記」

  • 戸田茂睡歌碑<br />茂睡は元禄の頃活躍した歌人で、歌道の革新を唱えた、江戸最古の歌碑と称されたが、戦火に遭い昭和三十年拓本をもとに再建された」

    戸田茂睡歌碑
    茂睡は元禄の頃活躍した歌人で、歌道の革新を唱えた、江戸最古の歌碑と称されたが、戦火に遭い昭和三十年拓本をもとに再建された」

  • 「古来、待乳山は聖天信仰の聖地としてはもちろん、風光明媚な名所としても、つとに有名であった。<br />詩歌にも多く詠まれ、江戸期から大正期の浮世絵にも多く描かれた。<br />「江戸名所図会」には、この東側を望む山上から、近くは葛飾の村落、遠くは国府台の木々の緑が一望できたとある。<br /> 奉納 朝まいり会<br /> 発会七十周年記念<br /> 令和二年」

    「古来、待乳山は聖天信仰の聖地としてはもちろん、風光明媚な名所としても、つとに有名であった。
    詩歌にも多く詠まれ、江戸期から大正期の浮世絵にも多く描かれた。
    「江戸名所図会」には、この東側を望む山上から、近くは葛飾の村落、遠くは国府台の木々の緑が一望できたとある。
     奉納 朝まいり会
     発会七十周年記念
     令和二年」

  • 境内には各所で地蔵様が散見しますが皆古い歴史があります。

    境内には各所で地蔵様が散見しますが皆古い歴史があります。

  • この七身沸は寛政の時代の代物です。

    この七身沸は寛政の時代の代物です。

  • こちらではチョコパイが供えられています。

    こちらではチョコパイが供えられています。

  • 眼下にはよく手入れされた日本庭園が見えます。

    眼下にはよく手入れされた日本庭園が見えます。

  • 下りてみると素晴らしい庭園が<br />錦コイがあちこちから集まってきます。

    下りてみると素晴らしい庭園が
    錦コイがあちこちから集まってきます。

  • 流れる小川と置き石が素晴らしく調和しています。

    流れる小川と置き石が素晴らしく調和しています。

  • 周囲には誰もいません。

    周囲には誰もいません。

  • 大きな錦コイが寄ってきます。<br />餌は与えないのがマナーです!

    大きな錦コイが寄ってきます。
    餌は与えないのがマナーです!

  • この時期は気候的に最悪ですが春になると緑がいっぱいになると思います。

    この時期は気候的に最悪ですが春になると緑がいっぱいになると思います。

  • 手水舎

    手水舎

  • 欲油供祈祷の勧め

    欲油供祈祷の勧め

  • 待乳山聖天では見所満載だったので次は今戸神社へ向かいます。

    待乳山聖天では見所満載だったので次は今戸神社へ向かいます。

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