2021/12/04 - 2021/12/05
1658位(同エリア2727件中)
TMBSさん
この旅行記のスケジュール
2021/12/04
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電車での移動
JR淡路→(おおさか東線普通新大阪行き)→新大阪
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電車での移動
新大阪844→(山陽新幹線ひかり535号)→1032広島
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電車での移動
広島駅→(広島電鉄6号線江波行き)→原爆ドーム前
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電車での移動
本通→(広島電鉄1号線)→広島港(宇品)
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電車での移動
広島港(宇品)→(広島電鉄3号線)→袋町
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電車での移動
胡町→(広島電鉄)→猿猴橋町
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この旅行記スケジュールを元に
プロ野球の日本シリーズが終わった1週間後の12月最初の週末。
神戸市電の廃止50周年を記念し、広島電鉄で通常は平日の朝にしか運用されない元神戸市電の電車が休日ダイヤでも運行されており、どうしても撮りに行きたいと思っていたので、週末を利用して広島に向かうことに。
まずは広島電鉄の路面電車を追いかけつつ、平和記念公園近くを散策、お好み焼きや牡蠣も味わった初日の模様をお届けします。
その2(12年ぶりの宮島駆け足旅)はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11741941
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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阪急京都線の電車を淡路駅で降り、徒歩数分のJR淡路駅から今回の旅が始まります。
淡路駅 駅
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新大阪駅で山陽新幹線に乗り換え。
今回はひかり・こだま号限定の割引切符「新幹線直前割きっぷ」を利用。
8時44分発の「ひかり535号」広島行きに乗車します。新大阪駅 駅
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22番ホームに上がるとほどなくして、ひかり535号が入線。
車輌はN700系のN700A。あいにく最新鋭のN700Sではありませんでした。新大阪駅 駅
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広島までの車内では家内が用意していた、神戸名物・観音屋のデンマークチーズケーキをいただきました。
山陽新幹線 乗り物
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途中何度かのぞみ号やみずほ号に抜かれましたが、10時32分に終点広島駅に到着。
広島駅 (JR) 駅
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ひとまず、駅前大橋を渡った先のホテルに荷物を預けに行きます。
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広島を訪れるのは2017年以来でしたが、駅前では再開発が進み、ホテルとビックカメラが入居したタワーマンションが出現していました。
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猿猴川を渡る広島電鉄の路面電車。
今回の久々の広島訪問の最大の目的が、この路面電車です。広島電鉄 (電車) 乗り物
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イチオシ
広島駅電停近くまで来ると、1978年に廃止された京都市電から移籍した1900形が出迎えてくれました。
この1900形、京都での活躍期間よりも広島での活躍期間の方が長くなって久しく、製造後60年以上が経過した現在も広島電鉄の主力車両として大切に使用されています。広島電鉄 (電車) 乗り物
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「走る電車博物館」と呼ばれるほど、多種多様な車輌が走る広島電鉄の路面電車ですが、今日最初に乗るのは最新鋭の1000形「グリーンムーバーLEX」の6号線江波行きです
広島駅電停 (広島電鉄) 駅
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市内中心部の紙屋町まで来ると、前方に緑の濃淡塗装の古めかしい電車がやってきました。
この緑色の電車こそが、今回の旅行の最大のお目当てである元神戸市電の570形です。後ほど、時間を設けて撮影してみることに。紙屋町西駅 駅
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6号線江波行きを原爆ドーム前電停で下車。
今日最初の目的地である原爆ドームは、同電停の目の前です。原爆ドーム 名所・史跡
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イチオシ
1915年にチェコ人建築家・ヤン=レツル氏の設計により「広島県産業奨励館」として建てられたものの、1945年8月6日の人類初の原子爆弾投下で全壊。
その後、解体の話もあったといいますが、原子爆弾の生き証人として、世界平和と核廃絶の願いを込めた記念物として永久保存されることとなり、現在に至っています。原爆ドーム 名所・史跡
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被爆当時の原爆ドームには、官公庁の出先機関や業界団体が入居していました。
敷地の片隅に、建設省(当時の内務省)職員の慰霊碑が建っており、しばし手を合わせます。原爆ドーム 名所・史跡
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イチオシ
原爆ドームの前で祈りを捧げていると、何やら古めかしい電車がやってきました。
1942年製造の広島電鉄650形651号。
製造3年後の1945年8月6日、営業運転中に被爆し、乗車していた人もろとも熱線と炎に焼かれましたが、関係者の尽力により営業運転に復帰。現在は地元の小学生や修学旅行生の平和学習などに活用されている、「被爆電車」の1両です。原爆ドーム前停留場 駅
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原爆ドームの西側に架かる「相生橋」。
川の中州に繋がるT字型の珍しい形状をした橋で、その独特な構造ゆえ米軍は原爆投下時にこの橋を目標にしたといいます。相生橋 名所・史跡
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あの日から76年。
静けさを取り戻した元安川では、遊覧船が行き来していました。相生橋 名所・史跡
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原爆投下から遡ること20年前。
大正時代~昭和初期に雑誌「赤い鳥」を刊行するなどして活躍した児童文学者・鈴木三重吉は、この界隈の出身だったそう。
相生橋の東側に、「鈴木三重吉文学碑」が建っていました。鈴木三重吉文学碑 名所・史跡
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被爆後に修復された先代相生橋の親柱の一部が、モニュメントとして保存されていました。
相生橋 名所・史跡
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相生橋を西に向かって渡り、本川町方面に出ます。
相生橋 名所・史跡
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イチオシ
相生橋を渡っていると、東からカラフルな塗り分けの路面電車がやってきました。
1150形1156号。
元神戸市電で走っていた1150形を、1971年の同市電廃止時に譲り受けた車輌です。
通常は平日のラッシュ時にしか運用されませんが、この秋は神戸市電の廃止50周年と元神戸市電車輌の広島電鉄での運用開始50周年を記念し、昼間や休日ダイヤでも特別に運転されています。広島電鉄 (電車) 乗り物
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1156号の先頭には、神戸市電の廃止と同市電車輌の広島電鉄移籍から50周年を迎えた記念のヘッドマークが掲出されていました。
ヘッドマークの色は、1156号が神戸市電時代に纏っていた緑の濃淡のカラーリングです。広島電鉄 (電車) 乗り物
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現代の広島電鉄を代表する車輌の一つである、5000形「GREEN MOVER」。
1999年に同社初の超低床電車として鳴り物入りでデビューしましたが、ドイツ製であり保守に余分なコストや手間がかかることが災いし、近年は活躍の場を減らしています。本川町駅 駅
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しばらく本川町電停近くで待機していると。
やってきました。
先程紙屋町西電停で見かけた元神戸市電の570形582号が、西広島で折り返して戻ってきたのです。本川町駅 駅
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イチオシ
582号は緑の濃淡の塗装に、神戸市電時代の末期に塗られていたワンマンカーを示す黄色帯を復刻。神戸市電が廃止された当時の姿で私たちの前に現れました。
ちなみに582号が製造されたのは大正時代の1924年。
阪神大水害や神戸大空襲を乗り越え、戦後には大規模な車体修繕も受けて今日まで活躍を続けてきました。本川町駅 駅
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こちらは宮島口行きの5200形「Green Mover APEX」。
広島電鉄の最新形式で、先ほど撮影した582号とは90歳以上年の差が離れています。
ひいおじいさんと曾孫という関係でしょうか。広島電鉄 (電車) 乗り物
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路面電車の撮影を楽しんだ後は、平和記念公園方面へ。
途中にある本川小学校は爆心近くに位置しており、原爆投下時に多くの児童・教職員が犠牲になりました。本川小学校平和資料館 美術館・博物館
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本川小学校の正門横にある、原爆ドーム脇の民家から移された手水鉢。
本川小学校平和資料館 美術館・博物館
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ちなみに本川小学校の被爆校舎ですが、1階と地下室の一部が保存され、平和資料館として公開されています。
※この写真のみ2008年に撮影本川小学校平和資料館 美術館・博物館
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本川小学校前から相生橋・原爆ドーム方面を望んだ1枚。
相生橋 名所・史跡
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本川を渡って平和記念公園へ。
橋を渡ってすぐのところにあった、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に祈りを捧げます。平和記念公園 公園・植物園
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原爆で犠牲になられた方々の遺骨を納めた、原爆供養塔。
こちらにも手を合わせます。平和記念公園 公園・植物園
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原爆供養塔の説明板。
平和記念公園 公園・植物園
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被爆10年後に白血病を発症、病床で折り鶴を折りながら最後まで生きる望みを失わなかった佐々木禎子さん。
彼女をモチーフにした原爆の子の像には、今も全国の小中学生から千羽鶴が届けられています。平和記念公園 公園・植物園
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28年前、小学生時代に家族で見学した広島平和記念資料館。
被爆10年後の1955年から66年にわたり、原爆の惨禍を今日に伝えています。広島平和記念資料館 美術館・博物館
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手前から順番に、平和の灯、平和の池、原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館。
平和記念公園 公園・植物園
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イチオシ
爆心に近い現在の平和記念公園の敷地にあった建物で、唯一残った「大正屋呉服店」。
アニメ映画「この世界の片隅に」にも登場し、現在はレストハウスとして利用されている建物ですが、近年耐震化と外観の修復が完成しました。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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レストハウスに入館。
1階にある土産物屋さんでいろいろ買い物した後、地下と3階の展示スペースへ。
被爆当時、地下室に通じていた階段は当時のまま保存されており、立ち入りができない構造になっていました。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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階段はこの奥で地下室に通じています。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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天井裏のコンクリートの火災跡も、覗き見られるようになっていました。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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館内のあちこちに、被爆遺構についての説明板が設置されていました。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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増設された階段を降りて、地下室へ。
壁面の展示パネルには、原爆投下時たまたま書類を取りにこの地下室に降りていて九死に一生を得た故野村英三さんの手記をもとに、当時の様子が克明に綴られていました。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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展示スペースの奥には1階と地下室を結ぶ本来の階段が残されており、地下室から少しだけ覗き見ることができました。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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原爆投下直後のまま残っていた地下室ですが、一般公開にあたっては観覧者が立ち入りやすいようにある程度手を加えられたようです。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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説明板には、地下室の保存にあたり、どの部分が当時のまま残され、どの部分が補修されたかについての解説が記されていました。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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当時のまま煉瓦が剥き出しになった柱。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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この扉も、建設当時からのものでしょうか。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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別棟に設けられたエレベーターで、今度は最上階の3階へ。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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3階の展示スペースは、レストハウスとその所在地である爆心直下の中島地区の歴史を中心に構成されていました。
レストハウスはもともと「大正屋呉服店」として建設されており、同店で販売された着物や従業員の法被などが奇跡的に現存、展示されていました。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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こちらが大正屋呉服店の従業員の法被。
こうしたものが、よくぞ原爆の被害を免れた場所に保管されていたものと思います。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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戦時下の統制経済で大正屋呉服店が廃業した後、レストハウスは市の出先機関や燃料会館として用いられ、1945年8月6日の原爆投下当日を迎えました。
戦後もしばらく燃料会館として使用された後、一帯が平和記念公園として再整備された後にレストハウスに転用され、現在に至るまでこの地の歴史を静かに伝えています。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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現在平和記念公園やレストハウスのある一帯は、原爆投下前は一般の民家や商店、寺院が立ち並ぶ「中島地区」という普通の町でした。
レストハウス3階の展示スペースには、原爆投下により多くの尊い人命とともに一瞬にして姿を消した、中島地区の街並みを再現した模型が展示されていました。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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展示スペース見学後は、レストハウス2階の「ピアノカフェ」でしばし休憩。
ピアノカフェ グルメ・レストラン
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イチオシ
コーヒーフロートとはっさくフロートをいただき、しばし一休み。
ピアノカフェ グルメ・レストラン
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2階のカフェの一角には、19歳で被爆死した河本明子さんの所有していたピアノが展示されていました。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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イチオシ
こちらが河本明子さんの被爆ピアノ。
原爆により損傷を受けましたが、関係者の尽力により弾ける状態になり、現在も時折平和学習の教材として使用されることがあるそうです。広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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レストハウス2階の天井裏。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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原爆被害で損傷した2階天井裏のコンクリート梁が観察できるようになっていました。
広島市平和記念公園レストハウス 美術館・博物館
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レストハウスの北側、元安川に架かる元安橋。
元安橋 名所・史跡
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元安橋からは、原爆ドームと相生橋を見渡すことができます。
元安橋 名所・史跡
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現在の元安橋は1992年に架けられたものですが、架け替えにあたっては被爆した先代の橋の親柱や中柱の一部が再利用されています。
橋自体のデザインも、被爆前の先代の橋のものが踏襲され、「元安橋」の「元」の字をあしらった欄干もご覧のとおり蘇りました。元安橋 名所・史跡
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元安橋から少し歩いて、繁華街の本通エリアへ。
SNSの知り合いの方が紹介していた、サブカルチャー系のお好み焼き屋さん「もみじ亭」で遅めの昼食をいただくことに。もみじ亭 グルメ・レストラン
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入口の前には、萌え系の看板にフィギュアの隊列が。
もみじ亭 グルメ・レストラン
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広島電鉄の路面電車にも、萌え系の広告を掲出しているそうです。
もみじ亭 グルメ・レストラン
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満席だったので、近くのアニメグッズ店で少し時間を潰してから入店。
「ヤンデレ焼」や「ツンデレ焼」など、アニメのキャラクターを連想するネーミングのお好み焼きがたくさんあるようで、何を食べようか迷ってしまいます。もみじ亭 グルメ・レストラン
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イチオシ
悩んだ末に、山芋大葉焼を注文。
地酒の熱燗と一緒にいただきました。
※同行の家内は豚キムチ定食を注文。もみじ亭 グルメ・レストラン
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気さくなマスターさんにお礼を言って「もみじ亭」を後にした私たち。
本通電停から1号線の路面電車に乗り、今度は広島港へ。
車輌は広電バスと同じ塗装の1000形「グリーンムーバーLEX」です。本通駅 駅
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終点の広島港電停に到着。
ここからは松山や離島に向かう旅客船に乗り継ぐことができます。
電停では、今朝見かけた元京都市電の1900形が休んでいました。広島港停留場 (宇品) 駅
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行きと同じ1000形で市内中心部に戻ろうかとも思ったのですが、せっかくだから帰りは別の車輌に乗りたいというのが正直なところ。
1本後の電車に乗ろうと決めて待っていると、1900形がのっそりとホームに入ってきました。広島港停留場 (宇品) 駅
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元京都市電の1900形には、京都にちなんだ愛称が付けられています。
これから乗車する1903号は「舞妓」の愛称でした。広島港停留場 (宇品) 駅
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京都市電で活躍していた証として、車体には京都市交通局の局章が残されており、「京都市電 昭和53年 広電移籍」のプレートも取り付けられていました。
広島港停留場 (宇品) 駅
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この1900形には、小学生の頃家族旅行で広島を訪れた際にも乗車したことがあり、京都出身の母親と京都の大学に通っていた父親が喜んでいました。
20数年前の思い出に浸りながら、市内中心部に戻ることにします。広島港停留場 (宇品) 駅
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1900形電車の運転台。
広島港停留場 (宇品) 駅
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京都市電時代のままあまり手を加えられていないと思われる、1900形電車の車内。
広島港停留場 (宇品) 駅
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市内中心部の袋町電停で下車。
降車時に車体をよく見ると、何とお昼を頂いた「もみじ亭」さんの可愛らしい広告が掲出されていました。
広島ということで、背景にはマツダスタジアムが描かれています。袋町停留場 駅
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イチオシ
袋町電停を降りて目の前にある、旧日本銀行広島支店。
被爆建築の一つとして知られ、銀行としての役目を終えてからも、資料館兼ギャラリーとして大切に使われています。旧日本銀行広島支店 名所・史跡
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最近登場したばかりの、1000形「チャギントン電車」。
チャギントン電車といえば2019年以降岡山市の岡山電気軌道で好評ですが、2021年の暮れ以降広島や熊本、鹿児島、大阪といった西日本の他都市の路面電車でもチャギントンのイラストを描いた電車が相次いで登場しています。袋町停留場 駅
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旧日本銀行広島支店の前に立っていると、今朝原爆ドーム近くで撮影した元神戸市電の582号が広島港行きとしてやってきました。
袋町停留場 駅
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本来はこの582号に1駅か2駅体験乗車するつもりでいたのですが、広島は初めてという家内が旧日本銀行広島支店をじっくり見学したいということだったので、今回は見送ることに。
今後そう遠くないうち、また機会があれば良いのですが。袋町停留場 駅
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旧日本銀行広島支店では、お洒落な照明器具の展覧会が開催されており、かつて窓口だったスペースにも美しい作品が陳列されていました。
旧日本銀行広島支店 名所・史跡
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夕食を取るため、予約していた袋町電停最寄りのかき小屋へ徒歩移動。
途中には大塩平八郎の師であった、頼山陽の資料館がありました。
この資料館も原爆投下時に被災し、数多くの資料が灰燼に帰したといいます。頼山陽史跡資料館 美術館・博物館
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予約していた「かき小屋袋町 海平商店」に到着。
久しぶりの広島での夕食、ちょうどプロ野球の日本シリーズが終わったばかりということもあり、祝勝会という触れ込みで呉市の地酒「宝剣」で乾杯。かき小屋袋町 海平商店 グルメ・レストラン
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焼き牡蠣
牡蠣の殻を剥くのは初めてとありやや手こずりました。一方の家内は慣れた手つき。かき小屋袋町 海平商店 グルメ・レストラン
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焼きたての牡蠣を、味わっていただきました。
かき小屋袋町 海平商店 グルメ・レストラン
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味噌バター味の牡蠣鍋。
締めは雑炊にしていただきました。かき小屋袋町 海平商店 グルメ・レストラン
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広島と言えば、2016年からの広島東洋カープのセ・リーグ三連覇の際は他球団ファンながら盛り上がりました。
かき小屋袋町 海平商店 グルメ・レストラン
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「おしい!広島県」のキャッチコピーも懐かしいです。
かき小屋袋町 海平商店 グルメ・レストラン
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食後は路面電車でホテルに帰ろうとしたのですが、平和大通りに大規模なイルミネーションが飾られているのを発見。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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このイルミネーションは「ひろしまドリミネーション」なるイベントで、広島の冬の風物詩になっているそうです。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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クリスマスらしく、平和大通りの樹木も綺麗なイルミネーションで飾り付けられていました。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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一部のイルミネーションは、中に立ち入ることができるようになっていました。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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広い道路の車線を挟んで、さまざまな趣向を凝らしたイルミネーションが並んでおり、全部見て回るには時間がかかりそうです。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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昔神戸で開催されていた「神戸ルミナリエ」を思い出しました
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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協賛団体・スポンサーには中国電力やゆめタウンなど、地元の有力企業が名を連ねていました。
このコロナ禍の中、「ひろしまドリミネーション」の開催に向けて奔走された数多くの方に、改めて感謝の意を表します。ひろしまドリミネーション イルミネーション
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子どもの背丈より少し高いぐらいの、苺のイルミネーション。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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兎と人参のオブジェも、女性や子ども連れを中心に人気でした。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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最後はお約束の、広島カープの赤ヘルと鯉のイルミネーション。
ひろしまドリミネーション イルミネーション
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このまま広島駅前まで歩いてしまおうかと思いましたが、繁華街・流川を抜けた先の胡町から広島電鉄の路面電車に乗ることに。
胡町停留場 駅
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広島駅の1つ手前、猿猴橋町停留場に到着。
安全地帯の幅が狭いので、ヒヤヒヤしながら下車。
ここから宿泊先のホテルまで歩いて向かいます。猿猴橋町停留場 駅
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乗車したのは「GREENMOVER Max」こと5100形でした。
ちなみに猿猴橋町停留場、数年後に広島駅の新駅舎に乗り入れる新しいルートが開業する際に廃止されることが決定しているそうで、この写真は後々貴重な記録になりそうです。猿猴橋町停留場 駅
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ライトアップされた猿猴橋を渡って、駅前大橋近くのホテルに向かいます。
この橋も原爆で被害を受けましたが、修復の上今日まで使用されています。猿猴橋 名所・史跡
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猿猴橋の親柱や欄干の彫刻は、戦時中の金属回収で撤去されていましたが、近年になり復元されたとのこと。
猿猴橋 名所・史跡
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猿猴橋は江戸時代の西国街道のルート上に架かっている橋であり、近隣のマンホールにも「西国街道」の文字がありました。
~以下、2日目に続く~猿猴橋 名所・史跡
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