2019/12/16 - 2019/12/16
8位(同エリア77件中)
デコさん
ディナンの絶景スポットは、町を見下ろす100メートルの絶壁上に築かれたシタデル(城塞)。ムーズ川とその両側に広がるディナンの素晴らしい風景が楽しめます。
最初の城が築かれたのは1050年。現在見られる姿は19世紀に造られたものです。ムーズ川沿いの戦略的要所として侵略者から目を付けられたため、何度も血塗られた歴史の舞台となってきました。13世紀はスペイン、17世紀はフランス、19世紀初めはオランダ、第2次世界大戦中はドイツと侵略者が幾度となく入れ替わってきたのです。1914年、フランスに攻め入るためディナンを攻略しようとしたドイツ軍の攻撃により、町は壊滅的な打撃を受けた結果、約600人もの一般市民が犠牲になるという悲劇に見舞われました。
シタデル城塞内はこれらの戦争の悲劇を繰り返さないことを願って、戦争博物館として公開されています。ドイツ軍のディナン侵攻の背景や戦況、ドイツ人兵士やフランス人兵士、ディナンの一般市民による証言など、当時の状況がリアルにわかる内容となっています。資料の展示だけでなく、人形で当時の生活を再現したり、模型でドイツ軍の進軍情況を示したり、傾いた薄暗い通路を歩くと、爆撃の音や市民の悲鳴を再現した音声が流れたりと臨場感たっぷりでした。先ずは、年代ごとに区切られた展示スペースへ。
☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★
【スケジュール】
12月2日(月)関空発
12月3日(火)ドバイ→ブリュッセル→ブルージュ(ブルージュ泊)
12月4日(水)ブルージュ市内観光(ブルージュ泊)
12月5日(木)ブルージュ市内観光(ブルージュ泊)
12月6日(金)ブルージュ→リエージュ(リエージュ泊)
12月7日(土)ハッセルト訪問(リエージュ泊)
12月8日(日)ルーヴェン訪問(リエージュ泊)
12月9日(月)リエージュ→アントワープ(アントワープ泊)
12月10日(火)アントワープ市内観光(アントワープ泊)
12月11日(水)メッヘレン&リール訪問(アントワープ泊)
12月12日(木)アントワープ→ヘント(ヘント泊)
12月13日(金)ヘント市内観光(ヘント泊)
12月14日(土)ヘント→ブリュッセル(ブリュッセル泊)
12月15日(日)ブリュッセル市内観光(ブリュッセル泊)
12月16日(月)ディナン訪問(ブリュッセル泊)
12月17日(火)ブリュッセル空港→ドバイ着
12月18日(水)ドバイ空港→関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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シタデルへの道はこちらから
階段で上まで行く方法と、右側の建物内からロープウェイで一気に高さ100メートルの絶壁上にある頂上駅まで行く方法と二通りあります。 -
ロープウェイが運行されていると思っていたのですが、あいにく運休中
階段で上ってシタデルへの入場料が7.5ユーロだったみたいで、多分こちらでお支払いしたはずなのですが、記憶が^^; -
仕方なく408段あるという階段で上り始めました。
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408段の階段を上る途中からの風景もまたいいかも
狭い塔内の螺旋階段をひたすら上ることを思えば、上るごとに視界が開ける周りの風景を眺めながらのひとときです。 -
先ほど入っていたノートルダム教会の玉ねぎ頭を見下ろす所までやってきました。
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ロープウェイの頂上駅まではまだあんなにある・・・
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晴れていれば元気も出そうだけれどね~
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かなり高くまで上れました^^
この階段は頂上駅へ直通ではなく、少し離れた所へ続いていました。 -
ムーズ川も見渡せるけれど泥色じゃちょっと残念
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この板の橋を渡ると城壁内への入り口前です。
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入り口前からのディナンの町並みとムーズ川の眺め
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入り口前からの眺め
ムーズ川が南の方まで続きます。 -
入口へ
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入り口奥の扉は閉まっていますが
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矢印の右にある薄暗くてちょっと気味悪い階段を上って行きます。
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広い石畳で覆われた中庭に出ました。
左側にはトンネルのようなアーチが並び・・・ -
右側には大砲の奥にテラス席が設けられたスペースが広がります。
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中庭で
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城壁に取り付けられたアーチ内のスペースにシタデル内の配置図があり写真などの展示もありました。
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その隣にはカフェスペース
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こちらにも大砲の展示
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一番奥のトンネル内へ
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綺麗な内装のトンネル
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年代ごとに説明版があります。
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敵を攻撃する道具?かと思いきや・・・
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ギロチン!?
拷問具の展示だったんだ。 -
ということはこの辺りの部屋は捕虜たちの収容部屋が並んでる?
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鎖とボール(多分トイレ代わりのもの?)だけの部屋
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簡素なベッドがある部屋
そばの台の上にあるのは足かせ・手かせ?足元にはトイレ用の入れ物も -
こちらは少し自由感があるけれど、こんな部屋で虜にされてたんじゃたまんない!
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城塞周りは緑豊か
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ひっそりとしたお庭のような感じ
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トンネル内を戻りつつ
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入ってきた出入口方面を見て
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この出入口の右側にもお部屋が並び・・・
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城塞内の見取り図と周辺の地形図もありました。
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戦争博物館内のそれぞれの展示がまとめられています。
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これだけの厚みのある城壁なんだなぁ・・・と
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城壁に設けられているのはトイレ?
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石造りの頑丈な部屋です。
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第二次世界大戦前にドイツ軍に占領されたころの様子らしい。
1960年頃には写真のようなロープウェイが設置されていたようです。 -
一旦中庭に出て
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この右側の大砲の玉が両側に置かれている扉が、後で出てこようと思っても施錠されて出られなかった扉です。この中の様子は後編でご紹介します。
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赤いカーテンのトンネルの奥にも入ることができました。
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
石造りの通路から横に延びる白壁の部屋では、こちらも年代別に展示が並んでいました。ディナンは戦略的重要地として、中世から第二次世界大戦まで戦闘や内乱の舞台となってきました。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
左右にパネルが並ぶ部屋です。1914年8月4日、ドイツ軍はベルギーとルクセンブルグに進攻を開始し、ベルギーと同盟関係にあったフランスとイギリスはベルギーに進軍し、ディナンでは8月14日までにフランス軍が守りを固めたそうです。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
8月15日、ドイツ軍は南西方向からディナンに近づき、守るフランス軍を襲撃し、城塞からフランス兵を追い出し、さらには町からもフランス兵を追い出したとのことです。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
ドイツ軍は「ピッケルハウベ」という、皮製で頭頂部分に金属スパイク付のヘルメットを被り、フランス軍は赤と青の軍服(第一次世界大戦開戦後すぐに青灰色の軍服に置き換わった)に黒と赤の戦闘用の帽子をかぶっていました。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
この兵士は多分フランス軍 -
赤いカーテンのトンネルの奥内は白壁の通路が続きます。
8月15日の午後になって、西岸にいたフランス軍は橋を渡って反撃に転じ、ドイツ軍は東岸に押し戻され、やがて城塞もフランス軍が奪還したんだそうです。 -
厚い城壁に取り付けられた銃口穴
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
白壁に銃口穴の並ぶ通路です。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
白壁の通路が奥に延びています。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
ドイツ軍に占領された当時の映像が上映されていました。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内にある白壁の部屋で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
地形図と写真による説明 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
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赤いカーテンのトンネルの奥内で
中央の大きなテーブル上にはムーズ川沿いの地形に沿っての説明もありました。 -
赤いカーテンのトンネルの奥内で
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小さな窓から見える町の風景
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身を乗り出すとノートルダム教会やシャルル・ド・ゴール橋も見えます。
1914年の城塞での戦闘があった時は橋の向こう側がフランス軍側の西岸、手前はドイツ軍側の東岸。
後のフランス大統領シャルル・ド・ゴール少尉(当時)は、城塞奪還の為の攻撃中、この橋を渡ろうとして足を負傷したそうで、このことから橋の名前がこうなっているようです。 -
少しだけアップで
このシャルル・ド・ゴール橋は第一次世界大戦で破壊されており(撤退するフランス軍が爆破したと言われていますが定かではなさそう)、現在のは再建されたものだそうです。 -
白いトンネルの奥にあった人型
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ファミリーのような人たちですが・・・
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前に回るとこのようになっていました。
1914年8月23日、ドイツ軍によって殺された674人の市民の方たちのよう。
フランス軍はディナン西岸とディナンの橋周りで守備を固め、体勢を立て直したドイツ軍は8月23日になって本格的にディナン再攻略に乗り出した時のことです。
フランス軍は退却開始し、ドイツ軍は橋の修復に取り掛かったのですが、この時住民がドイツ軍に発砲し、ドイツ軍は見せしめに住民を集めて処刑した結果、ベルギー人民間犠牲者が674人となったんだそうです。 -
この方たちの名前のようです。
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この部屋は1914年の悲惨な現状を伝える部屋になっていました。
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人影が浮かび上がり、不穏な空気が伝わってきます。
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1914年当時の兵士たち
13と書かれたヘルメットをかぶっているのがドイツ兵。「ピッケルハウベ」という、皮製で頭頂部分に金属スパイク付のヘルメットです。 -
1914年当時の兵士たち
青灰色の軍服はフランス兵。元々赤と青の礼服のようhな戦闘服だったそうですが、第一次世界大戦に突入し開戦後すぐに青灰色の軍服に置き換わったとのことです。手前の帽子がフランス兵のものです。 -
当時の悲惨で恐ろしい雰囲気が伝わる部屋で
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当時の悲惨で恐ろしい雰囲気が伝わる部屋で
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赤いカーテンをくぐって外へ
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そばのカフェスペースへ
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カフェスペースの窓からの眺め
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カフェスペース
ここで初めて他の観光客の姿を見たような・・・ -
鎧を着た兵士がたつ前にはクリスマスツリーも飾られて
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カフェのガラス窓に貼ってあったイベント案内
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カフェを出て・・・
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これだけの展示なんだと思うとちょっと残念な感じで、中庭をウロウロ
しばしこの中庭をウロウロして帰ろうと思っていたのですが・・・ -
石畳で覆われた中庭散策へ
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石畳で覆われた中庭散策
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やはりお花があると和みますね^^
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石畳で覆われた中庭に面して小さな部屋が並んでおり、窓の外に向かって大砲が設置されていました
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中庭に並ぶ大砲が設置されたスペース
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それぞれ違った形の大砲なんだなぁと思いながら・・・
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大砲の並ぶ向かいの空間には大砲以外にも並び、通路があるように見えています。
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中庭の一番奥からは城壁の外に出られるようだったので
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テラスになったスペースに出てみました。
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イチオシ
このテラスからの眺めが素晴らしい!
途中で帰ってしまわなくてよかった!
この後、当時の生活が垣間見られる部屋や斜めに傾いた塹壕跡などを見ることができましたので、次の編でご紹介します。
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