2021/11/10 - 2021/11/13
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Weiwojingさん
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松江は長いこと訪れてみたいと思っていた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)ゆかりの地である。中学生の時に彼の怪談話を読んでから興味を覚え、さらに大学生になって様々な英文のテキストで彼の英文学論や怪談集を読むことが多々あった。そんなこともあって彼のことをもっと知りたいと思lった。
八雲にとって古い日本の面影を残す松江は大のお気に入りの土地となったが、しかし、彼には松江はあまり快適なところではなかったようであった。というのは、冬の寒さが彼には堪えたようである。彼は結局松江には443日間(1年3ケ月 )いたことになる。その後熊本から神戸へ、さらに東京へと移った。
松江にいる間、八雲は松江のみならず近郊の土地をあちこち歩き回り、様々な記録を残している。今回、資料を基に松江での彼の足跡を少し追って歩いてみた。彼のゆかりのある所はかなり多く、必ずしも全部回り切れなかった。また、来てみたいと思う所存である。
- 旅行の満足度
- 5.0
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小泉八雲( Lafcadio Hearn / ラフカディオ・ハーン )(1850~1904)の胸像が彼の旧居近くにある。彼の写真や肖像画を見ると左向きのポーズが多いが、これは正面を向いている。
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この八雲の像のあるあたりは「塩見縄手」という名前で、「日本の道100選」に選定されていて、100年以上も変わらない風景を見ることが出来る。
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先ずは「小泉八雲記念館」を訪れた。立派な長屋門のある武家屋敷で、この中に近代的な記念館があるとは外観から想像できなかった。
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記念館は1934年(昭和9)、八雲旧居西隣に作られた。直筆原稿や初版本の他、愛用の机、椅子、衣類等の遺愛品を中心に200数十点が展示されている。
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記念館では「神々の国の首都に住まう443日」というテーマの展覧会が開かれていた。八雲は松江に443日間(1年3か月)住んでいた。
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「神々の国の首都に住まう443日」の元々の英文は”443 Days in the Chief City of the Province of the Gods”で、八雲の言葉である。
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今回見学した展覧会は「小泉八雲、開かれた精神の航跡。」というもので、これはその展覧会の図録である。
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八雲の最晩年の写真。彼の写真を見ると、いつもこのような横向きの写真が多い。これは彼が16歳の時に失明してしまったので、正面から撮るのを避けたのである。
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1階の展示室は写真撮影は不可であったが、2階に上がると、ライブラリーがあり、八雲に関する多くの本がある。もちろん、自由に手に取って見ることも読むことも可能である。パソコンも置かれていて、様々な資料を検索出来るようになっている。
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ここには八雲に関する書籍がほとんどあるのではないだろうかと思えるほどの分量である。いくつか手に取って読んでみた。
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八雲の足跡を巡るのにちょうど良い資料があった。「へるんさんの松江まちあるきマップ」というもので、資料館に置いてあった。
これに基づいて彼の足跡を求めて2日間歩いてみた。しかし、関連しているところは多いので、いくつか的を絞らざるを得なかった。 -
先ずは「小泉八雲旧居」を訪ねた。記念館のすぐ隣にあり、国の重要文化財に指定されている。中級武士の住まいといった感じで、そんなに広い敷地ではなさそうである。
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玄関を上がると、3畳の間がある。旧居内は写真撮影可であったので、何枚か撮ってみた。
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旧居も日本家屋の屋敷で、中級武士の趣といった風である。
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八雲が常用していた机があり(これはレプリカであるが)、そばでよく見ると割と低めなのが分かる。
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屋敷内は割と手が込んでいて、このような装飾が随所に見られた。
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外に出てみると、そんなに広くはないが、庭がある。きれいに整えられている。
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外に出ると、松江城を取り囲むようにしてめぐらされている掘割があり、このような風景は八雲が住んでいた頃の松江と全然変わっていないのではないだろうか。ふと彼がそばを歩いているような錯覚を覚えるほどである。
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遊覧船がしばしば運行していて、運河から眺める市街地もよさそうな気がした。次回は乗ってみたいと思う。
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堀には鴨が何羽も泳いでいて、しばし眺めていた。
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小泉八雲旧居のすぐそばに「田部美術館」があったが、今は休館中のようで見学出来なかった。建物も八雲旧居と同じような武家屋敷で、中級武士の住居といった感じである。
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あちこちでこのようなモミジの色づきが見られ、あと少しで本格的な紅葉の時期となるようである。
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資料館で得たパンフレットを元に八雲関係の松江市内の主だったところを訪ねてみることにした。次に訪ねたのは「月照寺」である。
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この寺は代々の松江藩主の菩提寺で、八雲の妻せつによると、「一番好きです。私もここに埋めて欲しい」と語ったという。
境内にはこのような大きな亀の石像があり、夜な夜な隣の蓮池に飛び込み、市中を暴れまわったという伝説を八雲に伝えている。 -
背中に置かれた石碑がいかにも重そうで、あえいでいるといった様子を見せている。
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月照寺は歴代松江城主の菩提寺ということもあってかなり広い。ゆっくり見学した。
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境内には初代藩主から12代までの墓があり、どれも立派なものばかりである。
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大橋川にかかる「松江大橋」はしばしば流されることがあったようである。そのため何度も架け替えられた。
八雲は橋を歩く人の「カラコロ」という下駄の音が大変気に入ったようで、随筆の中でも書いている。 -
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松江大橋の傍らに何やら記念碑のようなものがある。
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大橋川はかなり川幅のある川で、これが宍道湖に注いでいる。
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大橋川のたもとに、八雲が1890年(明治23)8月30日松江に来て最初に滞在した富田旅館跡がある。今は「大橋館」という大きな旅館になっていて、その入り口にそのことを示す碑が置かれている。
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これが八雲がここに滞在したことを示す碑である。
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旧富田旅館のすぐそばに、2階建ての大きな旅館がある。旧料亭久の家(主屋と塀)が残されているが、1937年(昭和12)の建築なので、八雲の没後建てられていているが、明治・対象の面影を伝えている。
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松江市内には掘割が縦横に張り巡らされていて、昔の街の様子がよくわかる。
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少しずつ移動した。次いで「龍昌寺」に来た。
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「カラコロ大黒」
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途中でお腹が空いたので、出雲蕎麦を食べたいと思った。「鶴庵」という店を教えていただいたので、入ってみることにした。
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出雲蕎麦と栗ご飯がセットになってるものがあったので、これを注文してみた。
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宍道湖から夕陽が沈む風景は正に圧巻ともいうべきもので、「神々が住まう松江」にぴったりであった。恐らく八雲も常に目にしていたであろう光景である。
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陽が落ち暗くなると、宍道湖に浮かぶ小さな島に明かりがついた。
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最後に、八雲が見た風景を当時の写真で紹介したい。上の写真の右端が冨田旅館で、八雲が松江に来て初めて滞在した旅館である。
今回は、そんなに多く回ることができなかったので、もう一度訪れてみたいと思う。
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