2021/10/28 - 2021/10/29
167位(同エリア1914件中)
キートンさん
この旅行記スケジュールを元に
10月下旬に岐阜県高山市の現場に出張する機会があった。
出張の翌日の予定はない。
10月下旬の飛騨といえば、例年通りなら紅葉が見頃を迎えようとする時期。
天気予報でも当日の空模様は悪くなさそうだ。
これは仕事を終えてさっさと帰ってしまうのももったいない。
出張の出発前日に高山の宿も確保した。
というわけで、急きょ決めた秋の1日飛騨観光となりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月28日(木)、予定通り現場作業を終えて、18:00頃高山駅前に到着した。
この駅舎と駅前広場は約3年間の施工期間を経て2018年3月にリニューアルしたという。高山駅 駅
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この日の宿は高山濃飛バスセンター近くのカントリーホテル高山。
シングルルーム1泊4230円。カントリーホテル高山 宿・ホテル
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部屋はやや狭いが、標準的な備品はそろっている。
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バスルームは、浴槽がやや狭く深いタイプ。
それ以外はごく普通といった感じ。 -
この時期、宮川に架かる中橋あたりがライトアップされているということで出かけてみた。
上三之町の古い町並の通り。
観光客はほとんど見かけず、ひっそりとしている。 -
イチオシ
出格子が日本酒のショーウィンドウになっていて、暗い通りに浮かび上がっている。
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中橋から見た宮川のライトアップ。
紅葉の見頃はもう少し先かという感じ。宮川中橋 名所・史跡
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一夜明けて、29日(金)朝。
7:00過ぎにチェックアウトし、高山濃飛バスセンターのコインロッカーに荷物を預けて、街歩きに出かけた。 -
高山の朝といえば、朝市。
陣屋前と宮川の2箇所で毎日朝市が開かれている。
まだ準備中の店が多かった。 -
宮前橋のたもとには、ひと際目立つ櫻山八幡宮の大鳥居。
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櫻山八幡宮は、高山祭のひとつである「秋の八幡祭」(毎年10月9日、10日)で知られる。
今年はみどころの屋台曳き廻しなどが中止となり、関係者による神事のみ行われたようだ。
櫻山八幡宮には寄らずに右折して南へと歩いた。 -
代々生糸、繭の売買、金融、酒造業を営んだ商家・吉島家住宅は、高山の古い町並の中でも最も知られる国指定重要文化財の住宅。
1905年(明治38年)の火災で焼け残った表側の店二間通りに増築する形で1907年(明治40年)再建された。
内部は、大黒柱を中心に梁と束によって構成される吹き抜けが広がり、高窓からの光線をたくみに屋内に取り入れているという。吉島家住宅 名所・史跡
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高山市街観光案内図。
下二之町大新町伝統的建築物群保存地区から三町伝統的建築物群保存地区の方に向かって散策。 -
敷地面積約206坪、高山でも最大級のこの町家は、明治20年頃に村田半六の手に渡ったことにちなみ、「村半」と呼ばれている。
若者による地域活性化を進めるための市の事務所として利用されている。 -
高山在住の医師、藤井氏が収集した安土桃山時代以降の古美術品や古民芸品約2500点を、江戸萬流総檜造りの土蔵に展示している藤井美術民芸館。
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イチオシ
古い町並の町家を利用した飲食店や土産屋が軒を連ねる。
表の壁から少し張り出した格子窓は出格子と呼ばれ、目隠しと採光の役目をもっている。 -
高山城主金森氏の下屋敷だった高山陣屋より高い建物を建てられなかったという。
軒高が統一され、整然とした通りの景観が見られる。 -
間口が狭く奥行きが長い造りで、隣りの建物との隙間が狭いため、採光のための明り取りが設けられている町屋が多い。
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造り酒屋の軒先に吊るされた杉玉は、新酒が出来たことを知らせるもので、緑から茶色に変わると酒が成熟してきた目安となるらしい。
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軒下を流れる水は、防火用水の役目があり、夏の打ち水、冬の融雪にも利用される。
弓型の竹が並んでいるのは何なのかはわからなかったが、積雪時に雪を側溝に落としやすいようにしたもののようにも見える。(個人的推測) -
三町の古い町並の南端まで来たので、今度は紅葉を期待して城山公園へと向かった。
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城山の頂上にある高山城址に上るつもりはなかったが、「○○まで○○m」とか標識が出ていると行ってみたくなった。
8:20頃、標高686.6mの高山城本丸跡に到着したが、期待したような紅葉は見られなかった。 -
室町時代に築城された天神山城の跡を利用して、飛騨3万3千石の領主となった金森長近が1588年(天正16年)に高山城を築城した。
1600年(慶長5年)までに本丸・二の丸を完成させ、その3年後までには三の丸が整備された。 -
城山公園にある金森長近の銅像。
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高山濃飛バスセンターから出ている9:00発さるぼぼバスに乗って約10分、飛騨の里に着いた。
運賃は100円。 -
飛騨の里の案内図。
開館時間は8:30~17:00、利用料金は700円。 -
入場してまず目に入ったのが、見頃を迎えた紅葉。
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「五阿弥池」という池を時計回りに歩く。
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イチオシ
五阿弥池の三方を囲むように、緩やかな斜面地に飛騨各地の古民家が移築されている。
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青空と白い雲を映す水面に紅葉が加わって、色彩豊かな風景を演出している。
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五阿弥池の南岸に建っている木造の平屋はわらび粉小屋。
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明治初めまで稗(ひえ)を主食にしていた地域では、豊富にあるわらびの根を粉砕してでんぷんを作って売り、収入を得ていた。
わらび粉の採取期には、水を利用して水車を回し、わらびの根を粉砕する動力にした。 -
秋に刈った稲や稗を乾燥させるのに利用したハサ小屋(右)と、旧西岡家(左)。
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旧西岡家は、白川郷加須良村の寺の庫裏(くり)として、江戸時代後期に建てられた切妻合掌造りの家。
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「おえ」と呼ばれる板張りの居間。
一階は家族が日常生活していた空間で。
蓑などの稲藁を編んで作られた用具の展示が見られる。 -
二階から上では主に養蚕が営まれていた。
養蚕や生活に使われていた道具が展示されている。 -
二階から見下ろした一階の奥の「おえ」。
「おえ」は一階に二つあり、この「おえ」には二つの囲炉裏がある。
囲炉裏の上には「あま」と呼ばれる棚が吊るされ、川魚や味噌玉を乾燥させるのに利用した。 -
米や稗を精白するためのバッタリ小屋。
「バッタリ」とは水を利用し天秤のように動く唐臼のことで、この小屋には二つのバッタリが設置してある。 -
車輪の形に稲を植える車田は、高山と佐渡島でのみ現存しているという。
神事に冠した農業の方法であると考えられている。 -
飛騨の里に秋の彩り豊かな季節が訪れている。
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奥飛騨の旧上宝村神坂に、1899年(明治32年)に建てられた旧前田家。
間口19.5m、奥行11.8mの大きな町屋風の家。 -
囲炉裏まわりが畳敷きなのが特徴である。
6室並んだ座敷は「六つデイ」と呼ばれ、冠婚葬祭には42畳の大広間として使用することができた。 -
イチオシ
1958年(昭和33年)御母衣ダムの建設によって水没した荘川町下滝村にあった旧若山家。
1751年(宝歴元年)の建造。
荘川造りといわれる入母屋合掌造りから白川村の切妻合掌造りに移行する構造で、合掌造りの発展を残している貴重な民家である。 -
大木の根元をくり抜いた火鉢。
引き出しが付いているところがユニークである。 -
居住空間である一階と主に養蚕が行われた二階へと上る階段。
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合掌造りの屋根裏。
急勾配の屋根は水はけがよく雪が積もりにくくしている。
貴重品であった釘などの金物を使わず、マンサクの若枝を水につけて繊維を柔らかくした「ネソ」で縛っている。 -
茅葺屋根の軒下。
茅葺屋根は30年~40年に一度葺き替えが行われる。 -
飛騨地方の最南端(現下呂市卯野原)の比較的温暖な地にあった旧田口家。
代々庄屋をつとめた家で、間口13軒、奥行8軒と非常に広い。 -
部屋数が多く、仕切りをはずして集会所として使用できるようになっている。
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白川郷三尾河にあった西願時の庫裏として江戸時代末期に建てられた旧八月一日家。「八月一日」と書いて「ほずみ」と読む。
荘川造りといわれる形態をしていて、飛騨地方で使用されたソリが多数展示されている。 -
鳥居から山側の階段を上って行くと匠神社がある。
時間にあまり余裕がないのでそこはパスする。 -
旧吉真家(中央)と旧道上家(右)。合掌造りの家。
旧吉真家は飛騨北部の民家で、1858年(安政5年)の地震でほとんどの民家が全壊した中で、唯一倒壊を免れたという。 -
旧道上家は、越中との境の集落に建てられた江戸時代末期の入母屋造りの民家。
「でい」と呼ばれる座敷では、宴会の様子を再現している。 -
イチオシ
大野郡久々野郷渚村(現高山市)にあった旧西永家。
ここのモミジはまだ黄緑から黄色だが、それもまたいとおかし。 -
大野郡久々野郷宮村(現高山市)にあった旧中薮家。
囲炉裏のある「おえ」作業場の「にわ」まで土間が広がる土座生活の様式が残る、江戸時代中期以前の建築と考えられている。 -
江戸時代後期の国学者・田中大秀(1777年~1847年)が、田舎(でんしゃ)として使用した旧田中家。
田舎は小作を管理する建物で、板葺の屋根は勾配が緩やかで上には石が置かれている。 -
囲炉裏がある「おえ」と「にわ」が広い土座を形成し、「おえ」には深さ60cm程の「むろ」が造られている。
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飛騨の農村風景の模型。
母屋の正面は南向きとして、前に便所と水屋を設け、離れた所に板倉を設けている。
家財を収納した板倉を離しているのは火災から守るため。
壁に板材で雪囲いをして、雪が内部に吹き込まないようにしている。
冬越しするためにキャベツには板囲いをし、大根に藁を円錐状にかぶせている。 -
1時間30分程度で飛騨の里の見学を終えたが、奥の方のいくつかの建物には行けなかった。
入場する時にもらった案内図には、おすすめコースとして20分、40分、60分の3つのコースが表示されているが、建物内部まで普通に見学していくと、少なくともその倍の時間を要するだろう。 -
飛騨の里からバスセンターへ向かうバスとタイミングが合わなかったので、約2.5kmの道のりを歩くことにした。
前方に見えるのは穂高岳だろうか。
その山頂付近は雪をかぶっていた。
次は、高山濃飛バスセンター11:20発のバスに乗り、最も有名な合掌造りの集落へと向かう。
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2021/12/04 09:54:21
- 飛騨高山~とひとくくりにされて~
- ☆飛騨の里はかなり有名だから何度か行きましたが。。。高山の里がこれ程過去の生活を忠実に存続しているの?と驚きます。
☆しかし大富豪❓農家、畳敷きの間が6つ続いて全開すると大宴会¿プライバシーのかけらもなかった時代ですね。
☆これらの財産を守っていくのも大変な努力が必要、呑気に観光だけで忘れてはいけませんね。
- キートンさん からの返信 2021/12/04 18:09:44
- Re: 飛騨高山~とひとくくりにされて~
- こんにちは、salsaladyさん。
書き込みありがとうございます。
飛騨の里は、合掌造りをはじめ飛騨地方のいろいろな伝統的な民家の野外博物館としてなかなか見ごたえがありました。
子供の頃によく行った山陰の田舎にある母の実家が、いとこから曾祖父母まで4世代10人近い家族が住む大きな家で、8畳の和室4部屋くらいが開放できるような造りだったので、大宴会や結婚式が行われたという光景はわりとイメージしやすかったです。
普段は居間、食堂、客間、祖父母の寝室として使用している部屋で、テレビと仏壇とタンス以外の家具はあまり置いてなくて、結構広々としていた気がします。
私物をどこに収納していたのかわかりませんが、私物が今と比べて少なかったのかもしれませんね。
貴重なものは盗まれたり火事で焼けたりしないように蔵に閉まってあったんじゃないかと思います。
子どもの頃は、蔵というと真っ暗で恐い所で、悪さをしたら閉じ込められる所というイメージでしたが。
時代が古ければ古いほどプライバシーがどうのこうのよりも、生きていくのに精一杯だったんじゃないかなと思います。
高山の古い町並にしても白川郷にしても、貴重な文化財を保全していくには観光による収入は不可欠でしょうから、観光による賑わいが早く戻ることを祈りたいです。
キートン
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