2019/11/02 - 2019/11/02
50位(同エリア929件中)
キートンさん
2020年の旅行は、4月下旬から約2週間でアフリカ南部を巡る旅。
どうなったかは、今さら言うまでもない。
購入した航空券、予約した宿や現地発着ツアーなどの払戻しや、加入していたキャンセルサポートで、どこまで支払済みの旅費を回収できるかがさし当たっての課題となった今日このごろ。
緊急事態宣言とやらで外出自粛がいつまで続くかわからず、次の旅行の計画もたてづらい・・・
そういえば、ここ2年間で数度の仙台出張の合間にちょっとした観光をしてたよなぁ。
というわけで、作成しようなんてさらさら思っていなかった幻の旅行記。
外出自粛を機会に、昨秋の平泉観光をメインにふり返ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
-
時は2018年7月2日。
朝関空発のピーチで仙台空港に10:00前に到着。
仕事は翌日からが本番。
なので仙台空港から直通バスで松島へとやってきた。
まず訪れたのは、瑞巌寺・五大堂。 -
次に瑞巌寺・本堂。
臨済宗妙心寺派の禅寺で、平安時代に創建された天台宗延福寺が前身であるとされる。
東日本大震災で被災したが、この本堂は平成の大修理を6月に終えたばかりだった。 -
本堂では211面の障壁画がみどころだが、本堂内は撮影禁止。
こちらは本堂から見た、枯山水の中庭。 -
瑞巌寺の南に隣接した、円通院の石庭。
円通院も臨済宗妙心寺派で、伊達政宗の孫にあたる伊達光宗の菩提寺である。 -
円通院の三慧殿。
この厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰った洋バラやフィレンツェを象徴する水仙など西洋的な模様が描かれている。 -
円通院から天麟院に寄った後、雄島へと歩いた。
この日は仙台でも35℃にもなろうかという猛暑で、観光するのも楽ではなかった。 -
雄島から眺めた松島湾の風景。
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徒歩での観光もこの暑さでは疲れるので、松島から塩釜へと向かう遊覧船に乗った。
様々な形の小島を巡る約50分の遊覧コース。
大波のような形の鎧島の近くを過ぎる。 -
4つの洞門が見られる鐘島。
この日の観光は塩釜までの遊覧で終了として、翌日からの現場作業に備えた。 -
イチオシ
7月3日から6日までの4日間で何とか現場作業を終え、7日は仙台空港20:30発のフライトまで仙台市内観光に充てた。
小雨がぱらつくあいにくの空模様で、まずはそんな雰囲気が似合いそうな「あじさい寺」こと資福寺を訪れた。
仙台では小雨程度ですんでいたが、実はこの頃西日本では大変なことになっていた。
なんてことはつゆ知らず・・・いやちょっと気にはしていた。 -
資福寺の西に隣接する輪王寺へは、仁王門をくぐり参道を歩いて行く。
小雨で濡れた石畳や青葉には独特の趣がある。 -
輪王寺は回遊式の日本庭園がみどころである。
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波紋が美しい輪王寺の枯山水。
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地下鉄東西線で終点の荒井駅へと移動。
荒井駅の駅舎内に、せんだい3.11メモリアル交流館がある。
展示室には、東日本大震災の津波による被害の状況を伝える写真が多数展示されている。 -
津波により孤立した荒浜小学校。
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その荒浜小学校は、防災・減災の意識を高める目的として、震災遺構として保存・公開されている。
荒井駅から市営バスで約15分、終点下車。
一部立入禁止の部分があるものの、教室などのエリアと展示物が無料で見学できる。 -
津波が襲った時に止まった体育館の時計。
世界最大級の原発事故とともに戦後国内最大の被害をもたらした大震災から今年で9年。
その2020年は大戦後最大の危機が世界規模で起こっている。
はたして人類はこの難局をいかに乗り越えるのか・・・ -
再び地下鉄東西線で移動し、瑞鳳殿を訪れた。
仙台観光の定番ともいえる、伊達政宗の霊廟である。 -
二代伊達忠宗廟である感仙殿(手前)と三代伊達綱宗廟である善応殿(奥)。
瑞鳳殿周辺は、経ヶ峯伊達墓所として伊達氏に関連する霊廟や付属施設が集まっている。 -
仙台駅に戻り、駅東側にあるTFUギャラリーで開催されていた「新海誠展」を見学した。
「ほしのこえ」から「君の名は。」までの作品の絵コンテや作画を見ることができた。
作品のストーリーは好みの問題もあろうが、画のこだわりと美しさに関してはさすがというほかない。
写真撮影は不可。 -
帰りのフライトまでもう少し時間があったので、仙台駅西側にあるアエルの無料展望テラスに行ってみた。
できれば暗くなるまでねばりたいところだが、時期的に日没が遅いのであきらめた。AER展望テラス 名所・史跡
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時は経ち、2019年11月2日である。
ここからが旅行記の本編ともいうべきところ。
まあ、ここから先も昨年の旅行記なんだけどね。
約2週間の現場作業が前日までに終り、この日は仙台19:30発の大阪行き長距離バスに乗車するまでの間、朝から平泉観光を行った。
早朝仙台を発ち、JRの普通列車を乗り継いで9:00過ぎに平泉に到着。
考えてみれば、岩手県に足を踏み入れたのは我が生涯初だったと思われる。
ちなみに未踏の都道府県は長崎県と佐賀県。
秋田県は列車で移動中に通ったことがあるというだけで、地に足を付けていないという意味では未踏の県になる。 -
平泉駅から徒歩10分ほどで毛越寺(もうつうじ)に到着。
入場料500円。
天気は上々。
紅葉は見頃になっているのか? -
山門をくぐり、左にある宝物館前から見た紅葉の状況。
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イチオシ
山門をくぐり、右側には大泉が池という大きな池がある。
鏡のような水面は、木々の緑、雲の白、空の青を映していた。 -
紅葉は、オレンジから茶色といった色合いだ。
大泉が池を中心とする浄土庭園は、平安時代の様式をそのまま残す貴重なものとなっている。
毛越寺は西暦850年の創建とされ、奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡により壮大な伽藍が造営された。
鎌倉時代の火災と戦国時代の兵火に遭い、全ての堂塔が消滅した。
しかし礎石などの全盛期の伽藍遺跡は良好な状態で残されている。 -
山門から真っすぐ進むと、1989年に再建された本堂がある。
毛越寺は、天台宗の寺院で平安様式の建築である。
「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、世界文化遺産に登録された構成資産のひとつとなっている。 -
本堂の正面に置かれた大きな香炉。
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本堂には、本尊の薬師如来像(平安時代の作)、脇侍の日光菩薩と月光菩薩が安置されている。
薬師如来とは、薬壺を持ち病気を治す仏様として知られる、大乗仏教における如来の一尊である。
大医王とも呼ばれる。 -
大泉が池の周りを時計回りに歩く。
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大泉が池沿いの紅葉と岸の木舟。
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大泉が池の西側にある開山堂。
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開山堂は毛越寺を開山した慈覚大師を祀るお堂で、他に両界大日如来像、藤原三代の画像が安置されている。
慈覚大師は第三代天台座主で、円仁とも呼ばれる。
最澄の弟子となった後、遣唐使として唐に渡り、五台山などを巡礼し帰国した。
最澄や空海とともに入唐八家の一人である。 -
紅葉はもうすぐ見頃といったところか。
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イチオシ
大泉が池の北側からは、遣水(やりみず)と呼ばれる水路が流れ込んでいる。
遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては例がなく、平安時代の遺構としては唯一のもので大変貴重なのだという。 -
遣水を渡ると、常行堂がある。
常行堂周辺は紅葉が最も進んでいるようである。 -
常行堂から見た遣水。
平安時代には遣水で曲水の宴が行われていた。
曲水の宴とは、遣水の流れに盃を浮かべ、流れ来る間に和歌を詠み、終って盃を載くという、平安時代に盛んに行われた催しなのだとか。 -
現存の常行堂は、1732年に再建されたもの。
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常行堂は、本尊の宝冠阿弥陀如来、脇士の四菩薩、奥殿に摩多羅神を祀るお堂である。
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大泉が池越しに見る本堂の方向。
池の中に立っている石は、そのまんま「池中立石」という。 -
飛島に立つ池中立石は2.5mの高さがあり、荒磯の風情を表現しているという。
毛越寺庭園を象徴する景趣となっている。 -
山門の横にある「松風庵」という茶屋。
毛越寺は大泉が池を含めた景観が印象的で、なかなか見応えのある史跡だった。 -
毛越寺から中尊寺方面へと向かう途中、毛越寺を出たところに観自在王院跡がある。
観自在王院跡は、奥州藤原氏三代秀衡の妻が造営した寺院遺跡である。
伽藍は全て消失しており、舞鶴が池を中心にした浄土庭園が史跡公園となっている。 -
観自在王院跡から北へ数分歩くと、平泉文化遺産センターがある。
入場は無料。
北緯39度に位置する平泉は、奥州の入口である白河の関(北緯37度)と北限の外ヶ浜(北緯41度)のちょうど中間にあたる。
この周辺で金が産出するようになると、東は北上川、北は衣川、南は磐井川に囲まれた平泉は、水運の拠点としてますます重要性が高まった。
平安時代末期、藤原清衡から藤原泰衡まで4代にわたり奥州藤原氏の本拠地として栄華を極めた。
当時は平安京に次ぐ大都市だったともいわれる。平泉文化遺産センター 美術館・博物館
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「浄土世界」をめざして建設された「北の都」という点が、平泉の特色である。
京都に影響されつつも、それと比肩しうる独自性を持つ優れた地方文化を発展させていったことや、奥州藤原氏の滅亡後、開発にさらされることなく当時の姿を保存していることが評価され、2011年に世界文化遺産に登録された。
「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、世界文化遺産に登録されている構成資産は、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5つの史跡である。 -
平泉と周辺の各史跡の位置図。
世界遺産に登録された5つの史跡は比較的コンパクトな範囲にまとまっていて、丸1日かければ徒歩でも全て見学可能のようだ。 -
松尾芭蕉が奥の細道でたどったルート。
元禄2年(1689年)春に江戸を発ち、北上して同年5月13日に平泉に到達した後、ここで折り返し、日本海側へと向かった。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」(悲運の武将源義経をしのぶ句、毛越寺に句碑がある)
「五月雨の 降り残してや 光堂」(中尊寺金色堂を訪れて詠んだ)
という句が世に知られている。
平泉文化遺産センターのメインの展示室では、藤原氏を中心に平泉の歴史にまつわる出土品などが展示されているが、残念ながら写真撮影は禁止となっている。 -
平泉文化遺産センターから北へ数分歩いて、中尊寺の表参道である月見坂の入口。
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樹齢300年ともいわれる杉並木の中、1km近くの長い坂を上って行く。
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中尊寺の案内図。
中尊寺の主な見どころは、月見坂の上部に位置している。 -
月見坂の中ほどには、弁慶堂がある。
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弁慶堂の弁慶(左)と源義経(右)。
源義経の幼名は「牛若丸」として知られている。
源義朝の九男で、鎌倉幕府の初代将軍源頼朝は異母兄にあたる。
平治の乱で父が戦死して鞍馬寺に預けられた後、平泉に移り藤原秀衡の庇護を受ける。
兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げ、壇ノ浦の合戦で平氏を滅ぼすまで、最大の功労者といわれる。
その後頼朝とは対立し、平泉に逃れたがこの地で自刃した。
弁慶は源義経に仕える怪力無双の豪傑として知られるが、実在の人物かどうかは不明である。 -
弁慶堂の近の物見台から見た北の風景。
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イチオシ
中尊寺本堂の表門である薬医門。
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中尊寺本堂。
中尊寺は天台宗の天本山である。
中尊寺というのはこの山の総称で、本寺と山内17ヶ院の支院で構成される。
本堂は山の中心となる建物で、明治9年に再建されたもので、法要儀式の多くがここで行われる。 -
本尊は丈六の釈迦如来で、像高2.7m、台座・光背を含めた総高は5mにおよぶ尊像である。
本尊の両脇の灯籠は、伝教大師最澄以来1200年の間灯り続ける「不滅の法灯」だといわれる。 -
カラフルな幕の色が透ける本堂の廊下。
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秋めく月見坂。
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博物館となっている讃衡蔵で、拝観券を購入。
料金は800円(金色堂・讃衡蔵共通)。
讃衡蔵では、仏像・仏具・経典・書画や藤原氏の副葬品などの国宝・重要文化財を所蔵し、見学することができる。
残念ながら写真撮影は禁止。 -
ちらほら見られる鮮やかな紅葉。
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イチオシ
中尊寺で必見の金色堂。
金色堂はこの鉄筋コンクリート造りの覆堂内にある、平面の一辺が5.5mの小型の仏堂である。
天治元年(1124年)に建立し、平安時代の浄土教建築の代表的なものとされる。本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに6体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いている。
金色堂はガラスケースに納められて外気と遮断されていて、写真撮影も不可である。 -
金色堂はその名のとおり、堂の内外総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面に至るまで漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられている。
日本を「黄金の国ジパング」として紹介したマルコ・ポーロが東方見聞録の中の記述で、「莫大な金を産出し」というのは奥州の金産地を指し、「宮殿や民家は黄金でできている」というのは中尊寺金色堂についての話を聞いたものであるという説がある。 -
金色堂旧覆堂の手前には、「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠んだ松尾芭蕉像がある。
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旧覆堂の内部。
1962年に金色堂の解体修理が始まるまでの約500年間、金色堂を風雨から守ってきたお堂である。 -
中尊寺の奥まで進むと白山神社の能楽堂がある。
嘉永6年(1853年)に伊達藩によって再建されたもの。
東西棟の「舞台及び楽屋」とその北(写真左)に接する「橋掛」「鏡の間」の3つが1棟を成している。 -
能楽堂の舞台の壁面には、松や笹が淡く描かれている。
近世の能舞台としては東日本唯一のものだという。 -
白山神社は、中尊寺の北方を鎮守するため、850年に慈覚大師・円仁が勧請したと伝えられる。
正面に備え付けられた茅の輪をくぐって、日頃知らず知らずのうちに犯している心の罪・けがれを祓い清めて参拝するのだそうだ。 -
白山神社の手水舎にて。
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白山神社十二支一代守護神社。
各自の干支の守護神社をお詣りし、守護大神様のご加護を受けるのだという。 -
弁財天十五童子を本尊とする弁財天堂は、三方を池に囲まれている。
水面は色付き始めた木々を映している。 -
中尊寺は、毛越寺や松島の瑞巌寺と同じく慈覚大師・円仁によって開山された。
慈覚大師が開山し、松尾芭蕉が訪れた4つの寺(中尊寺、毛越寺、瑞巌寺、立石寺)を廻る巡礼コースを「四寺廻廊」というそうだ。
まだ学生だった1984年に山形蔵王温泉などスキー場をはしごする冬の旅をした時に、立石寺を訪れたことがある。
観光のための訪問なので巡礼というものではないが、期せずして「四寺廻廊」を達成していた。
御朱印をいただいたわけでもないので、達成というにはおこがましいか?
しかも35年もかかってるやん。 -
中尊寺をあとに、秋めく県道を歩いて平泉駅へと向かう。
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14:00前に平泉駅に到着。
ここで厳美渓行のバスを待つ。 -
14:00過ぎのバスで厳美渓へと向かう。
途中、達谷窟毘沙門堂前を通る。
時間があれば達谷窟毘沙門堂も見学したいところだが、今回はパス。 -
平泉駅から約20分で厳美渓に到着。
できれば15:30発の一関駅行きバスに乗りたいので、厳美渓観光は1時間少々しかないが・・・ -
イチオシ
天工橋(てんぐばし)から下流側を望む。
秋の日は短く、渓谷はすでに日影になっている。 -
厳美渓は、栗駒山の噴火によって堆積した凝灰岩が磐井川の水流によってできた渓谷である。
天工橋から約200m下流にかかる吊り橋・御覧場橋(ごらんばばし)が見える。 -
天工橋から上流側には東屋(あずまや)が見える。
-
その東屋には列ができている。
そこでは厳美渓ならではの名物を見ることができる。 -
吊られた籠が対岸の店「郭公屋」からワイヤーロープをつたって郭公だんごとお茶が飛んでくる、「空飛ぶだんご」である。
あん・ごま・みたらしの3本の郭公だんごとお茶がセットで400円らしい。 -
東屋付近の渓谷。
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天工橋から厳美渓の右岸を下流側に向かって歩く。
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ほどなくして、先ほど見えていた御覧場橋に到着。
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御覧場橋から上流側を望む。
国の名勝及び天然記念物に指定されている景観である。 -
時間にあまり余裕はなかったが、急ぎ足で上流の長者滝橋まで来てみた。
長者滝橋から下流側は穏やかな流れである。 -
長者滝橋から上流側は凝灰岩が露出していて、急流となっているところがある。
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狭く激しい流れ。
黄葉がちょっとしたアクセント。 -
長者滝橋を渡り、右岸側から河川敷へと下りてみた。
そこから見た長者滝橋方向。 -
イチオシ
激流を真近で見る。
ひょっとしてこれが長者滝ってこと? -
豪快な流れ。
このへんで満足して、バスに乗り遅れないように急ぎ足で戻ることにした。 -
無事に予定していたバスに乗車し、約20分ほどでJR一関駅に到着。
これにて、今回の観光は終了。
ここから普通列車を乗り継ぎ仙台へと向かう。 -
仙台から大阪に帰るのに、初めて夜行バスを利用した。
さくら観光の長距離バスで、仙台19:30発で翌朝大阪着、途中福島県の郡山駅を経由する。
料金は片道11,200円。 -
このバスは3列シートで、窓側の席はカーテンがあり、ある程度のプライバシーは確保できる。
仙台~大阪間は遠過ぎて、長距離バスではきついかなと思ったが、それほどでもなかったというのが素直な感想だ。(個人差があろうが) -
大阪・梅田のどこに停まるのか知らなかったが、茶屋町北側の梅田高速バスプラザという場所だった。
以上、緊急事態宣言とやらの外出自粛のせいで日の目を見ることになった、季節はずれの旅行記でした。
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