2021/11/24 - 2021/11/24
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ドクターキムルさん
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鎌倉歴史文化交流館内の展示には多くの違和感を感じた。
1.源頼朝像が京都・神護寺の伝源頼朝像と甲斐善光寺の頼朝坐像を混在させている点。
2.北条政子坐像が安養院のものであること。
3.永福寺の釈迦堂がとても二階堂には見えないCGでの復元。
4.本館裏手が立入禁止だったこと。
一方、良かったことは
1.合鎚稲荷社跡の見られたこと。
2.相州正宗を受け継ぐ正宗二十四代孫綱廣作の太刀が展示されていたこと。
3.赤尾家の茶室や復原された池に説明版が立っていたこと。
違和感2についてはこの政子像は大正から昭和に掛けて作造されたものであろう。それよりも古く確実なものがあるではないか。
違和感3については阿弥陀堂、二階堂、薬師堂の表記は止めて、阿弥陀堂、釈迦堂。薬師堂の表記にすべきである。建立当時に、二階堂を建てるのが目的ではなく、釈迦堂を建てるのが目的だったはずであるからだ。
良い点3については開館当初からあるべきものであったのだが、開館後のいつの日からか設置された。
何といっても、三菱の岩崎家やその後の赤尾家の家屋敷跡を享受できるように、本館裏手やその崖上なども見られるようにしてもらいたいものだ。
(表紙写真は鎌倉歴史文化交流館)
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鎌倉歴史文化交流館前の道路は石畳。
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鎌倉歴史文化交流館。
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鎌倉歴史文化交流館別館。
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鎌倉歴史文化交流館別館の壁脇の通路。
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鎌倉歴史文化交流館別館横には柵がなく、直ぐに石畳の道路だ。この先のトンネルを抜けると住宅地になる。
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鎌倉石の石垣が斜めに積んである。
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岩崎家時代に掘ったとされる3つの穴。
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3つの穴。
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低い崖。
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合鎚稲荷社旧参道石段の上り口。
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合鎚稲荷社旧参道石段の上り口と左にやぐら。
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泉。
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鑓水の水路跡?
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石垣。
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石垣と石畳。
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石垣の石積。
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「合鎚稲荷社跡について
当館の建つこの谷戸は「無量寺谷(むりょうじがやつ)」と呼ばれ、江戸時代には、相州伝の刀工正宗の後裔である綱廣(つなひろ)の屋敷があったと伝えられます。そしてこの敷地には、刀鍛冶を守護する「刃稲荷(やいばいなり)」が祀られていたと推測されています。
大正年間には、三菱財閥第4代当主の岩崎小弥太が、母早苗のための別荘を構えていました。岩崎氏は大正8年(1919)、かつてここに祀られていた稲荷社を「合鎚稲荷(あいづちいなり)」として復興し、参道や鳥居、石造神狐像や社祠を整備しました。
その後平成12年(2000)、センチュリー文化財団がこの土地を取得した後、老朽の著しかった社祠を新たに再建しました。建造にあたっては、愛媛県松山市岩手寺の重要文化財「訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)」(鎌倉時代後期)を模して造られました。
このたび、鎌倉市への土地と建物の寄附にあたり、社祠や神狐像、参道鳥居は、近隣の葛原岡神社へと移設され、現在も大切にお祀りされています。高台にある稲荷社の跡地は、現在は見晴台として利用いただいております(雨天時は閉鎖)。」 -
合鎚稲荷社新参道石段。赤尾家時代のものであろう。この石段の前に石鳥居が建てられていた。
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本館裏手。立入禁止だ。
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本館裏手の崖上。立入禁止だ。
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本館。
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「合鎚稲荷社祠道」道標。
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崖下。
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崖下。
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崖下。無量寺の庭園跡があった場所か。
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本館裏手に五重石塔。春は枝垂れ桜が綺麗であろう。
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石畳の道路を横切って入口がある。
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復原された池(庭園)。
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「出土した池の跡(移設保存)」。
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移設復原された池。
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鎌倉歴史文化交流館入口。
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