和歌山市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2021年3月26日(金)12時半、和歌山城の南東にある岡公園へ到着。天妃山(てんぴさん)という山を1895年(明治28年)に整備した公園。天妃山は山上に弁財天が祀られていたことから弁財天山とも呼ばれ、和歌山城内が見下ろせるため江戸時代は登ることが禁じられていた。緑泥片岩からなる標高24.1mの独立丘陵が中央にあり、周囲を平地が取り囲んでいる。<br /><br />北西部の入口(下の写真1)を入り、複合遊具の横を抜けたところに1896年(明治29年)に建てられた碑「岡公園記」に公園の沿革と名前の由来が記されている。当時の和歌山県知事沖守固が文章を作り、文字は明治の三筆といわれる日下部東作(号 鳴鶴)の筆によるもの。それによると、奈良時代の724年に聖武天皇が和歌の浦の玉津島へ行幸した際、離宮を岡の東に造ったと云うのが岡山の東のここだと云う事から岡公園と名付けたとある。<br /><br />ここは和歌山城築城時には石垣に使う石材を切り出す石切丁場だったところで、碑「岡公園記」の右手の岩には石を割るために開けられた矢穴が残る(下の写真2)。この辺りは藩の建築・修理などに携わった御作事所が置かれていた(下の写真3)。<br /><br />碑「岡公園記」の左手の階段から山の上に向かうが、階段の左手に高橋克己頌徳碑がある。高橋克己博士は1922年(大正11年)に世界で初めて、油脂からビタミンの抽出に成功した科学者。1892年(明治25年)に現在の和歌山市木ノ本に生まれ、東京帝国大学に進んだ。この碑は1969年に高橋克己博士顕彰会によって建立された。<br /><br />階段を上がると長屋喜弥太の碑。長屋喜弥太は初代の和歌山市長。幕末前の1839年に紀州藩士の長男として生まれ、天誅組の変や長州征討に従軍するなど、軍人として歩みを進めた。1883年(明治16年)に和歌山区長に任命され、1889年(明治22年)の市制施行に伴い初代和歌山市長に就任、1897年に58歳で亡くなるまで市長を務めた。<br /><br />この碑は1899年(明治32年)に建てられたもので、和歌山出身の軍人・官僚の川口竹定が文章を書き、上部の題字を書いたが紀州藩最後の藩主、徳川茂承で、文字は和歌山の漢学者、倉田績(いさお)。まあ、字はかすれてて読めないけど。<br /><br />さらに登って行くとすぐに天妃山の山頂に着く。岩山となっている山頂には巨大な槍先のモニュメントが聳えている。1895年(明治28年)に建てられた征清記念標で、日清戦争の勝利を記念した建造物。大阪城内の軍事工場で造られた銅製の三角すい(下の写真4)で高さ6mある。台座まで登れるが、和歌山城の天守などの景色が素晴らしい。<br /><br />1879年(明治12年)、山頂の北に佐賀の乱、台湾出兵、神風連の乱、西南戦争で戦死した県民を慰霊する四役戦亡記念碑が建てられたが、それなら日清戦争の記念碑も造るべきと、5代目の県知事、石井忠亮はじめ有力者86人が寄付を募り制作したもの。<br /><br />山頂から西に降りて、南に進むと広沢池と云う池があるが、この北西部にあるのが紀州徳川神社。1989年に創建されたと石碑にあるが、それ以外の由緒は一切不明。祭神は八大龍王。池の南東部には滝のそばに「昇仙」と書かれた磨崖碑もある。天に昇り仙人になるとの意味で、長屋喜弥太の碑の文字を書いた倉田績が米寿(88歳)を迎えた時の書。<br /><br />広沢池から東に進むと岡公園の南東角にあるのが武徳殿。警察関係者を中心として設立された大日本武徳会和歌山県支部が1905年(明治38年)に建てた武道場。当初は和歌山市真砂町に建設されたが、1961年に現在の場所へ移築された。その後、大日本武徳会和歌山県支部の業務を引き継いだ和歌山警察義勇会から和歌山市へ寄贈された。<br /><br />時間は12時45分頃、武徳殿の向かいにあるあおい茶寮と云う紀州料理屋のランチを食べようと計画していたのだが、コロナ禍で予約以外は閉店中との立札。400年以上前に造られた名庭を有する和歌山随一の料理屋で、地元の豊かな海山の幸を活かした伝統の日本料理をランチではリーズナブルに戴けるはずだったのに・・・ 門の横に父母状の碑と云う立派な石碑があるが、紀州徳川家初代藩主、頼宣が領民に「人の道」を説いたもの。徳川頼宣紀州入国記念祭を機に建立された。<br /><br />武徳殿から公園の東側を回り込んで行くともう一つの磨崖碑。こちらは仁井田好古(にいだこうこ)の「山寿仁人徳 水清廉士風」の文字が彫られている。アルバムの写真では真ん中上部、山吹の花の左上に「山寿」と「水清廉士」が見える。仁井田好古は江戸時代後期の紀州藩の漢学者で、1839年に「紀伊続風土記」全192巻を完成させた。<br /><br />公園の東を北に進むと右側には夜雨荘、芦鶴庵、岡陽軒の三つのお茶室が並ぶ。夜雨荘は紀州徳川家の家老三浦長門守の下屋敷跡に保存されていた江戸時代後期の武家茶室を移設したもの。芦鶴庵(ろかくあん)は1963年に、児童女性会館と同時に設置されたもので、故松下幸之助氏の寄贈の茶室。岡陽軒(こうようけん)は1967年に、芦鶴庵の控室として設置された茶室。<br /><br />茶室の西側にあるのが弁財天社。元々は天妃山の山頂に鎮座していたが、山頂から和歌山城内が見えるため、防衛上の問題で近くの刺田比古神社に遷され、さらに後に現在地に復興された。<br /><br />公園の東側をさらに北に歩くと駐車場があるが、駐車場の南西部に建つのが陸奥宗光の銅像。明治百年記念事業として、1971年に建立されたもの。陸奥宗光は幕末の1844年に現在の和歌山市吹上で生まれ、幕末期には坂本龍馬の海援隊にも加わる。大河ドラマの「龍馬伝」では平岡祐太君がやってたな。<br /><br />明治維新後は薩長藩閥政府と袂を分つが、1886年(明治19年)のヨーロッパ留学の帰国後外務省に入る。その後1892年(明治25年)から4年間外務大臣を務め、幕末以来不平等条約を交わしていた欧米露諸列強15ヵ国すべてとの不平等条約を改正した。<br /><br />駐車場の北側には大村家住宅長屋門。江戸時代末期の建設と見られ、城の西側の東坂ノ上丁に構えられていた。平屋で一部2階建て、間口23m、奥行き5mの入母屋造り本瓦葺。海鼠壁の外壁に閂を支える金具や門の下部に装飾が施されるなど、武家屋敷の格式の高さが窺える。屋根瓦には大村家の家紋の桔梗紋が刻まれている。<br /><br />正面やや左手に門構えがあり、その左手に土間、右手に部屋が並び、使用人の住まいとして使われていた。1897年頃に所有者が変わり、城の南の堀止東に移され、2014年まで実際に人が住んでいた。市内に唯一残る貴重な武家屋敷の長屋門で、貴重な文化財として2017年にここに移された。<br /><br />駐車場の西側、陸奥宗光の銅像の横に置かれているのが1959年から72年まで紀勢線と和歌山線を走っていたC57形蒸気機関車で73年にここに置かれた。プレートの「くまの」は1980年まで京都・紀伊勝浦間を東海道本線、草津線、関西本線、紀勢本線経由で結んでいた急行列車。いや、和歌山通ってないやん・・・<br /><br />この機関車が製造されたのは1939年で、和歌山に来る以前は大阪や、関東、鹿児島、宇治山田などを走っており、33年で赤道60周以上を走った。C57は1937年から10年間に201両製造された蒸気機関車で、「貴婦人」とか「シゴナナ」とか呼ばれ、現在もSLやまぐち号など3両が日本と台湾で動態保存されている。<br /><br />駐車場から北西角の入って来た入口に向かうと、三年坂通り沿いには路面電車も置かれている。1909年から1971年まで和歌山市内で運行されていた南海和歌山軌道線を走っていたもので、この車両は1963年に山口県の日立製作所笠戸工場で製造された7両のうちの1両で、廃線まで走っていたものを廃線後にここに静態保存した。現存するのはこの車両以外にはもう1両だけ。<br /><br />公園入口のすぐ東側、三年坂通り沿いに建つのが李真栄・梅渓顕彰碑。1998年に李真栄・梅渓顕彰会が建立したもの。李真栄(一恕)は朝鮮王朝の儒者。豊臣秀吉の第1次朝鮮出兵の際に捕虜となり大坂に連れて来られた。易経に通じており、紀伊藩初代藩主徳川頼宣の侍講となった。<br /><br />李梅渓はその息子。日本の儒学8賢人の一人と数えられる。父と藩儒永田善斎に学び、頼宣の長男光貞の侍読となる。「徳川創業記」「徳川創業記考異」などを著わした。<br /><br />これで公園を一周したが、帰りに気付いたが、入口付近に百間長屋跡の碑が建つ(下の写真5)。江戸時代には公園となっている天妃山を囲んで、東西と北に御作事所の職人が住む長屋があったそうだ。奥行きが約8mで総延長は230m以上だったらしい。明治維新の際には、江戸詰藩士の仮居住に利用されたそうだが、今は影も形もない。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6571307392939229&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />和歌山城に戻るが、続く

和歌山 岡公園(Oka Park, Wakayama, Japan)

4いいね!

2021/03/26 - 2021/03/26

643位(同エリア848件中)

旅行記グループ 和歌山城

0

5

ちふゆ

ちふゆさん

2021年3月26日(金)12時半、和歌山城の南東にある岡公園へ到着。天妃山(てんぴさん)という山を1895年(明治28年)に整備した公園。天妃山は山上に弁財天が祀られていたことから弁財天山とも呼ばれ、和歌山城内が見下ろせるため江戸時代は登ることが禁じられていた。緑泥片岩からなる標高24.1mの独立丘陵が中央にあり、周囲を平地が取り囲んでいる。

北西部の入口(下の写真1)を入り、複合遊具の横を抜けたところに1896年(明治29年)に建てられた碑「岡公園記」に公園の沿革と名前の由来が記されている。当時の和歌山県知事沖守固が文章を作り、文字は明治の三筆といわれる日下部東作(号 鳴鶴)の筆によるもの。それによると、奈良時代の724年に聖武天皇が和歌の浦の玉津島へ行幸した際、離宮を岡の東に造ったと云うのが岡山の東のここだと云う事から岡公園と名付けたとある。

ここは和歌山城築城時には石垣に使う石材を切り出す石切丁場だったところで、碑「岡公園記」の右手の岩には石を割るために開けられた矢穴が残る(下の写真2)。この辺りは藩の建築・修理などに携わった御作事所が置かれていた(下の写真3)。

碑「岡公園記」の左手の階段から山の上に向かうが、階段の左手に高橋克己頌徳碑がある。高橋克己博士は1922年(大正11年)に世界で初めて、油脂からビタミンの抽出に成功した科学者。1892年(明治25年)に現在の和歌山市木ノ本に生まれ、東京帝国大学に進んだ。この碑は1969年に高橋克己博士顕彰会によって建立された。

階段を上がると長屋喜弥太の碑。長屋喜弥太は初代の和歌山市長。幕末前の1839年に紀州藩士の長男として生まれ、天誅組の変や長州征討に従軍するなど、軍人として歩みを進めた。1883年(明治16年)に和歌山区長に任命され、1889年(明治22年)の市制施行に伴い初代和歌山市長に就任、1897年に58歳で亡くなるまで市長を務めた。

この碑は1899年(明治32年)に建てられたもので、和歌山出身の軍人・官僚の川口竹定が文章を書き、上部の題字を書いたが紀州藩最後の藩主、徳川茂承で、文字は和歌山の漢学者、倉田績(いさお)。まあ、字はかすれてて読めないけど。

さらに登って行くとすぐに天妃山の山頂に着く。岩山となっている山頂には巨大な槍先のモニュメントが聳えている。1895年(明治28年)に建てられた征清記念標で、日清戦争の勝利を記念した建造物。大阪城内の軍事工場で造られた銅製の三角すい(下の写真4)で高さ6mある。台座まで登れるが、和歌山城の天守などの景色が素晴らしい。

1879年(明治12年)、山頂の北に佐賀の乱、台湾出兵、神風連の乱、西南戦争で戦死した県民を慰霊する四役戦亡記念碑が建てられたが、それなら日清戦争の記念碑も造るべきと、5代目の県知事、石井忠亮はじめ有力者86人が寄付を募り制作したもの。

山頂から西に降りて、南に進むと広沢池と云う池があるが、この北西部にあるのが紀州徳川神社。1989年に創建されたと石碑にあるが、それ以外の由緒は一切不明。祭神は八大龍王。池の南東部には滝のそばに「昇仙」と書かれた磨崖碑もある。天に昇り仙人になるとの意味で、長屋喜弥太の碑の文字を書いた倉田績が米寿(88歳)を迎えた時の書。

広沢池から東に進むと岡公園の南東角にあるのが武徳殿。警察関係者を中心として設立された大日本武徳会和歌山県支部が1905年(明治38年)に建てた武道場。当初は和歌山市真砂町に建設されたが、1961年に現在の場所へ移築された。その後、大日本武徳会和歌山県支部の業務を引き継いだ和歌山警察義勇会から和歌山市へ寄贈された。

時間は12時45分頃、武徳殿の向かいにあるあおい茶寮と云う紀州料理屋のランチを食べようと計画していたのだが、コロナ禍で予約以外は閉店中との立札。400年以上前に造られた名庭を有する和歌山随一の料理屋で、地元の豊かな海山の幸を活かした伝統の日本料理をランチではリーズナブルに戴けるはずだったのに・・・ 門の横に父母状の碑と云う立派な石碑があるが、紀州徳川家初代藩主、頼宣が領民に「人の道」を説いたもの。徳川頼宣紀州入国記念祭を機に建立された。

武徳殿から公園の東側を回り込んで行くともう一つの磨崖碑。こちらは仁井田好古(にいだこうこ)の「山寿仁人徳 水清廉士風」の文字が彫られている。アルバムの写真では真ん中上部、山吹の花の左上に「山寿」と「水清廉士」が見える。仁井田好古は江戸時代後期の紀州藩の漢学者で、1839年に「紀伊続風土記」全192巻を完成させた。

公園の東を北に進むと右側には夜雨荘、芦鶴庵、岡陽軒の三つのお茶室が並ぶ。夜雨荘は紀州徳川家の家老三浦長門守の下屋敷跡に保存されていた江戸時代後期の武家茶室を移設したもの。芦鶴庵(ろかくあん)は1963年に、児童女性会館と同時に設置されたもので、故松下幸之助氏の寄贈の茶室。岡陽軒(こうようけん)は1967年に、芦鶴庵の控室として設置された茶室。

茶室の西側にあるのが弁財天社。元々は天妃山の山頂に鎮座していたが、山頂から和歌山城内が見えるため、防衛上の問題で近くの刺田比古神社に遷され、さらに後に現在地に復興された。

公園の東側をさらに北に歩くと駐車場があるが、駐車場の南西部に建つのが陸奥宗光の銅像。明治百年記念事業として、1971年に建立されたもの。陸奥宗光は幕末の1844年に現在の和歌山市吹上で生まれ、幕末期には坂本龍馬の海援隊にも加わる。大河ドラマの「龍馬伝」では平岡祐太君がやってたな。

明治維新後は薩長藩閥政府と袂を分つが、1886年(明治19年)のヨーロッパ留学の帰国後外務省に入る。その後1892年(明治25年)から4年間外務大臣を務め、幕末以来不平等条約を交わしていた欧米露諸列強15ヵ国すべてとの不平等条約を改正した。

駐車場の北側には大村家住宅長屋門。江戸時代末期の建設と見られ、城の西側の東坂ノ上丁に構えられていた。平屋で一部2階建て、間口23m、奥行き5mの入母屋造り本瓦葺。海鼠壁の外壁に閂を支える金具や門の下部に装飾が施されるなど、武家屋敷の格式の高さが窺える。屋根瓦には大村家の家紋の桔梗紋が刻まれている。

正面やや左手に門構えがあり、その左手に土間、右手に部屋が並び、使用人の住まいとして使われていた。1897年頃に所有者が変わり、城の南の堀止東に移され、2014年まで実際に人が住んでいた。市内に唯一残る貴重な武家屋敷の長屋門で、貴重な文化財として2017年にここに移された。

駐車場の西側、陸奥宗光の銅像の横に置かれているのが1959年から72年まで紀勢線と和歌山線を走っていたC57形蒸気機関車で73年にここに置かれた。プレートの「くまの」は1980年まで京都・紀伊勝浦間を東海道本線、草津線、関西本線、紀勢本線経由で結んでいた急行列車。いや、和歌山通ってないやん・・・

この機関車が製造されたのは1939年で、和歌山に来る以前は大阪や、関東、鹿児島、宇治山田などを走っており、33年で赤道60周以上を走った。C57は1937年から10年間に201両製造された蒸気機関車で、「貴婦人」とか「シゴナナ」とか呼ばれ、現在もSLやまぐち号など3両が日本と台湾で動態保存されている。

駐車場から北西角の入って来た入口に向かうと、三年坂通り沿いには路面電車も置かれている。1909年から1971年まで和歌山市内で運行されていた南海和歌山軌道線を走っていたもので、この車両は1963年に山口県の日立製作所笠戸工場で製造された7両のうちの1両で、廃線まで走っていたものを廃線後にここに静態保存した。現存するのはこの車両以外にはもう1両だけ。

公園入口のすぐ東側、三年坂通り沿いに建つのが李真栄・梅渓顕彰碑。1998年に李真栄・梅渓顕彰会が建立したもの。李真栄(一恕)は朝鮮王朝の儒者。豊臣秀吉の第1次朝鮮出兵の際に捕虜となり大坂に連れて来られた。易経に通じており、紀伊藩初代藩主徳川頼宣の侍講となった。

李梅渓はその息子。日本の儒学8賢人の一人と数えられる。父と藩儒永田善斎に学び、頼宣の長男光貞の侍読となる。「徳川創業記」「徳川創業記考異」などを著わした。

これで公園を一周したが、帰りに気付いたが、入口付近に百間長屋跡の碑が建つ(下の写真5)。江戸時代には公園となっている天妃山を囲んで、東西と北に御作事所の職人が住む長屋があったそうだ。奥行きが約8mで総延長は230m以上だったらしい。明治維新の際には、江戸詰藩士の仮居住に利用されたそうだが、今は影も形もない。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6571307392939229&type=1&l=223fe1adec


和歌山城に戻るが、続く

  • 写真1 北西部入口

    写真1 北西部入口

  • 写真2 石切丁場跡に残る矢穴

    写真2 石切丁場跡に残る矢穴

  • 写真3 御作事所跡の碑

    写真3 御作事所跡の碑

  • 写真4 征清記念標

    写真4 征清記念標

  • 写真5 百間長屋跡の碑

    写真5 百間長屋跡の碑

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP