2021/09/17 - 2021/09/17
32位(同エリア578件中)
ちちぼーさん
この旅行記のスケジュール
2021/09/17
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飯能市立博物館
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絹甚
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智観寺
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心応寺
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秀常寺
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総持寺
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この旅行記スケジュールを元に
夫と越生にNHK大河ドラマ「青天を衝け」で知った渋沢平九郎の関連の場所を回りました。
そして、夫以上に私が平九郎にはまり、改めてその足跡を追ってみました。
https://4travel.jp/travelogue/11711783
ここでまた平九郎の足跡を追うって書くととまるでイケメン青年に色狂いしたおばちゃんみたいだけど、コンプリート好きの性格なのでゆるしてちょーだい!
今回は平九郎が組頭としていた振武軍最後の舞台となった飯能をあるきます。
渋沢平九郎は渋沢栄一の妻千代の弟ですが、栄一が徳川昭武に随行してパリに行くために見立養子となります。
旧幕府軍として飯能戦争(戊辰戦争)で戦いますが、敗れたあと越生で自決しました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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顔振峠から生越まで平九郎の足跡を追った後、東飯能駅の近くに「渋沢平九郎 飯能」と書かれた旗を目にした。
https://4travel.jp/travelogue/11711783
肝心の平九郎という文字は電柱で消されていますが・・・ -
今回は飯能内の飯能戦争(戊辰戦争)関連を回ってみたいと思います。
飯能市観光案内所で地図があればと思いましたが、飯能戦争関連の地図はなさそう。飯能市観光案内所 ぷらっと飯能 名所・史跡
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でも、一番いい場所には平九郎さんがいます。
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人気の飯能河原。
GWには、沢山の人達がいました。
いくら屋外といっても密すぎじゃ?と思っていたらやっぱり反対の意見があったのでしょうね。
緊急事態宣言に合わせて閉鎖中。 -
今回は飯能河原から仁能寺へ向かう旧参道を歩きます。
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仁能寺へ向かう前に飯能市立博物館に立ち寄ることにします。
大河ドラマに合わせて「飯能と渋沢栄一」のパネル展をやっています。 -
でも、どちらかというと市内の小中学生の夏休みの作品展がメインでした。
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渋沢平九郎と渋沢栄一
等身大?とするには微妙なサイズ感。
渋沢平九郎は170センチ。渋沢栄一は吉沢亮君が演じているから低いイメージはないけど実際は150センチ。
平九郎と言えば、この写真。
当時は写真を撮ることはほとんどできなかっただろうから、残っているだけ貴重だけど
とっておきの1枚。
実際の平九郎ってどんな人だったんだろうな。 -
振武軍の軍旗。
徳川将軍家の三つ葉葵の家紋が染め付けられています。 -
銃弾と大砲の玉
銃の事はさっぱりわからないけど旧幕府軍と官軍では、持っている銃の威力全く違っていて、旧幕府軍の銃は棒切れ同然だったとか。 -
振武軍の廻文
各村役人一人づつ飯能村の見張番所へ出頭するようにとの振武軍目付からの命令書ですが、これが回りきる前に振武軍は負けてしまったようです。 -
そして、これ!これ!
私が一番この日欲しかった情報。飯能戦争の跡を訪ねるコース。
江戸無血開城と言われていて、江戸は無血だったかもしれませんが、実際は戊辰戦争で沢山の血が流れたわけで
ここ飯能も飯能戦争(戊辰戦争)で街の半分が崩壊したということです。 -
博物館を出て最初に向かったのは、能仁寺。
ここは、振武軍の本営があった場所です。
上野の彰義隊から分かれた渋沢成一郎たちは、田無村に集まり振武軍と名乗ります。その後田無で2隊に分かれ一方は青梅街道を箱根ヶ崎へ、もう一方は所沢街道を扇町屋へ進み飯能で合流したそうです。能仁寺 (能仁寺庭園) 寺・神社・教会
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こちらの石灯籠は西武鉄道が寄付した芝増上寺の石灯籠。
西武鉄道が徳川を意識してこちらに寄付したのか、ただ池袋から飯能行きの列車がでているっていう理由かは分かりませんがね。 -
本堂。
仁能寺は戊辰戦争の当時飯能で一番大きい寺でした。
一橋領だったこともあり振武軍の本営がこちらに置かれました。
早朝に戦がはじまり、5時間で振武軍は退去となりました。
本堂その他は官軍によって火を放たれ焼失しました。
渋沢栄一は明治32年にこちらを訪れているそうです。 -
振武軍の碑は昭和になって建てられました。
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次に向かっているのは天覧山です。
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途中に羅漢像があり当時は羅漢山と呼ばれていました。
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飯能戦争の時天覧山(羅漢山)は、振武軍が物見を置いた場所です。
飯能市内を一望できるので、官軍の駐屯していた様子も見ることができたようです。
ただし、飯能戦争の当日は靄で街の中はみえなかったと。
明治天皇が演習をご覧になったことから天覧山と呼ばれるようになりました。天覧山展望台 名所・史跡
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振武軍の足跡と共に今回はハイキングも楽しみたいのでこちらの登り道を歩きます。
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次に向かったのは多峯主山
こちらは調べてみても振武軍が通ったかどうかわかりません。多峯主山 自然・景勝地
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ただ、振武軍は横手方面に行って、横手の興徳寺のそばに官軍の見張り番所があり渋沢成一郎(喜作)達は官軍に変装して通過したという話があるので、多峯主山経由でこちらでこの案内板の右側の道を通った可能性は有ります。
興徳寺へ行ったときの旅行記はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11681472
私はこの案内板の左へ行き御嶽八幡神社経由で飯能の街に戻ります。 -
御嶽八幡神社が見えてきました。
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毎年のように行っていた巾着田の曼殊沙華は、コロナ禍により花を切られてしまったのでここで曼殊沙華を見て休憩。
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観音寺
振武軍の宿所となっていたため、官軍は放火し本堂と庫裏は焼失しました。
ここは、武蔵野三十三観音24番のお寺。
武蔵野観音巡りのときにお参りしています。
https://4travel.jp/travelogue/11680046観音寺 寺・神社・教会
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この日は、飯能戦争に関連したお寺を回るには時間がないので
飯能の街を歩きながら駅に向かいます。
こちらは絹甚
明治30年代後半に建てられた土蔵造りの店舗、絹関連の買継商をしていたそうです。 -
ここはひな祭りの時につるし雛を見せてくれることで有名ですが
この日も見学することができました。 -
秋らしい花が吊るされています。
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こちらは銀河堂
現在はカフェとして営業している(コロナ禍で休業中かも)もと絹織物問屋の店蔵銀河堂 グルメ・レストラン
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入口電業
表は普通の店舗ですが、後ろには蔵がついています。 -
入口電業のすぐそばの小路はまんじゅう小路とよばれています。
飯能戦争の時には振武軍の賄方の組長となりまんじゅうの差し入れをしていた。
平九郎の自刃のあとは平九郎をしのんで平九郎まんじゅうをつくったそう。 -
中清米店
こちらの蔵は飯能戦争の時からありましたが、焼失せず残ることができました。 -
看板建築
鉄筋コンクリート造で建てるだけの資力がない中小規模クラスの商店は関東大震災後表だけ防火の意味もあり洋風にしたもの。 -
飯能の店舗には、こんなポスターが貼られていました。
派手じゃなく心に響く。
この日はこれでいったん終了。 -
別の日に改めて、飯能戦争の跡を歩きました。
こちら今回は入ることができなかったけど、古民家を使ったガレットがメインのレストランだそう。
入ってみたいお店です。工房 時 グルメ・レストラン
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接骨院は髭のおじいさん先生がやって良そうな建物。
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飯能市図書館
明るい建物で本を読むのも楽しめそうです。 -
図書館前にある小学校。
飯能戦争の跡をあるくコースの地図にはこちらの小学校の敷地に聖天宮があり、ここでも戦闘が行われたということでした。
ところが、校門近くにいた先生にお聞きしたら知らないと。 -
先生の話では信号近くに歴史を感じるものがあるよってことだったので、行ってみたらお地蔵さまでした。
小学校近辺をグルグル回っていると不審者のようなので(ちょうど1年生の下校時刻)博物館に電話してみました。 -
学芸員さんのお話だと、学校内の大きい木が聖天宮だったところで、現在は何も残っていないとのこと。
今年は、大河ドラマ「青天を衝け」で飯能戦争の話もあるのに、先生もここが戦場となったことを知らないのはちょっとがっかり。
生きた歴史を学べるチャンスなのになあ。
飯能戦争の際の遺体が出てきたとの記述もあるので、あえて知らないことにしている?? -
智観寺
飯能戦争の時筑前藩と築後藩が来たものの、振武軍がいなかったため隠れていて反撃されるのを恐れて、寺に火を放ったそうです。
火は本堂他敷地内のほとんどを焼失させたそうです。
門には飯能戦争の時に被弾した跡があるとのことだったけど
みつけられず。 -
こちらは新しい本堂。
以前薬師堂にあった木造薬師如来像や石塔婆などは別に宝物殿があってそちらに保管されていて、年に一度公開されるそうだけど、今年はコロナのため公開はなさそうです。 -
大きな百日紅の木。
でもお天気が悪いので色が映えない。 -
心応寺
こちらは飯能戦争の時に振武軍の50人ほどが立てこもりましたが、逃げ出したため戦場とはならなかった。 -
広渡寺
振武軍40人ほどが屯集していましたが、官軍を迎え討つために寺を出て行っていました。
しかし本堂などは焼失したそうです。広渡寺 寺・神社・教会
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今回、回ったお寺の中でもここのお庭は広い方でした。
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玉宝寺
こちらも飯能戦争の時に振武軍は逃げたために戦火を免れたお寺。
ここをお参りしている時から雨が強く降ってきました。玉宝寺 寺・神社・教会
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秀常寺
参考にした飯能戦争の跡を訪ねるコースでは上に記した仁能寺、観音寺、智観寺、心応寺、広渡寺、玉宝寺の六寺が振武軍の関連の寺とされています。
なので、雨が強くなってきたので玉宝寺で駅に戻ろうかと思いましたがこちらの秀常寺にも振武軍が立てこもったため官軍の攻撃により焼失したという記載があったので立ち寄りました。 -
飯能駅近くに戻って来ました。
古い建物は飯能撚糸商工業協同組合と書かれています。 -
で、飯能だけじゃなくっておまけ。
杉並区の公式マスコットキャラクターなみすけ。
ここは西荻窪駅です。
かわいく手を振ってくれたけど、コロナ禍なのでタッチ不可。西荻窪駅 駅
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何しに行ったの?
西荻窪には振武軍の足跡をたどるためではなくってこの子たちを回るハイキング。
せんとくんの作者籔内佐斗司さんの彫刻6種類の童子をめぐる西荻窪の町おこしイベント。 -
西荻窪ってカフェが多くて住むの楽しそう。
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だけど、やっぱり振武軍のことが心から離れず、田無へ歩いて向かうことにしました。
途中のむさしの自然観察園。
温室に蝶を飼っていて、危害を加える人に合わないと蝶って人が近づいても逃げないんですって。 -
途中ウロウロしましたが、この日の目的はこちら総持寺。
現在は総持寺となっていますが、以前は西光寺というお寺でした。
彰義隊を脱退した平九郎は尾高惇忠や渋沢成一郎とともに振武軍を結成して、ここ田無の西光寺を本営としました。 -
山門の前には白い曼殊沙華
白一色の曼殊沙華って珍しい。
若くして散った平九郎には、この白い曼殊沙華がふさわしいような気がしました。 -
すぐそばには田無神社。
田無神社 寺・神社・教会
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ここには七五三の貸衣装が並んでいます。
コロナ禍だけど、子供達が元気に成長できますように。
コースは越生→飯能→田無と実際の逆となってしまいましたが、若くしてその命を絶ってしまった青年を通して歴史が苦手な私がちょっと歴史を知ることができました。
回っているうちに渋沢栄一や尾高惇忠や渋沢成一郎が一番若い平九郎の犠牲の上に出世したような気がして、ちょっとなあって思えて来ちゃったけどね。
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この旅行記へのコメント (8)
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- fujickeyさん 2021/10/05 10:33:28
- イケメンパワー
- ちちぼーさん、こんにちは。
イケメンパワーで歴史に興味を持つ。いいことです(笑)
わたしも歴史には興味がなかったのですが、
旅行記を作成するのに調べたりするうちにこことここがつながるんだ!とか
なってくると面白くなってきますよね。
平九郎はたしかに足跡をたどってみたくなるイケメンですね。
飯能ってムーミンくらいしか知らなかったけれど、
歴史的にこんなに重要なとこがあった場所なんですね。
へぇー(受け答えに興味のなさが反映される(笑))
白い曼殊沙華、見慣れないからか赤以上に怪しい雰囲気を醸し出していますね。
この世の花ではない感じが・・・
fujickey
- ちちぼーさん からの返信 2021/10/05 21:57:51
- Re: イケメンパワー
- fujickeyさん、こんにちは。
4トラの旅行記のために調べて興味が深まるってことありますよね。
モットーが「明日できることは今日するな!」ですから、旅前の予習をしないので、行く前に調べていればもっと面白く回れたのにって良く後悔しています。
飯能、ムーミンに青天を衝けもあって、西武鉄道でも今一押しのところです。
いくら川越プッシュしても、東武の領域ですからね。
白い曼殊沙華、赤程見る機会がないので余計独特な雰囲気がありますよね。
ちちぼー
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- aoitomoさん 2021/10/03 11:14:07
- 平九郎の足跡巡り、飯能戦争の跡巡り 楽しそうです~
- ちちぼーさん こんにちは~
平九郎の足跡巡りのその気持ちわかりますよ。
私も和歌山でそれに近いことやってますから。( ´艸`)
飯能はNHK大河ドラマ「青天を衝け」の宣伝効果もあって、
渋沢平九郎で盛り上がっているんですね。
飯能戦争の跡巡り。
学校の敷地の聖天宮、先生も知らないというのは確かに残念ですが、
博物館に電話してまで確認するちちぼーさんも凄い。
っていうか、わからないことを調べるのにその手があったのですね~
私もわからないことがあるとネットで検索するぐらいしか思いつきませんでした。
白一色の曼殊沙華は私も県内を旅してしっかり見ることができましたよ。
来年こそは巾着田の曼殊沙華も花を刈られることが無いことを祈ります。
aoitomo
- ちちぼーさん からの返信 2021/10/03 23:36:59
- RE: 平九郎の足跡巡り、飯能戦争の跡巡り 楽しそうです?
- aoitomoさん、こんにちは。
テーマを決めて回るのっていいですよね。
飯能も本当は「青天を衝け」がらみで渋沢栄一関連を紹介したいのでしょうが、若いころから何度か来たことがあるというだけでは、博物館ネタになるような出来事にはつながらないので、
やっぱり飯能は飯能戦争になっちゃいますよね。
学校の敷地内をウロウロされたら困ると先生も思ったのか博物館の人ならわかるかなあってヒントをもらったので
手にしていた地図に書いてあった電話番号に電話してみました。
学校の先生に敷地内に飯能戦争の遺体があったなんて報告しても嫌がられそうなので
黙っておきましたが
6年生だったら自分の学校で戊辰戦争があったと知ったら興味を持つ子もいそうですよね。
今日の「青天を衝け」でも平九郎さんが出てきて、ウルッとしそうでした。
赤い曼殊沙華もいいですが、白もいいですよね。
来年は、巾着田に見に行けたらいいなあと思います。
ちちぼー
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- みみこさん 2021/10/02 22:20:35
- 晴天を衝け
- ちちぼーさん、こんばんは。
歴史は苦手といつも言っていたちちぼーさんが、何やら近頃歴史づいているな~ふむふむと読んでいたら、「ハイキングもしたいので」ってとこでいつものちちぼーさんがいてちょっとほっこりしました。
ちちぼーさんの旅行記で知った巾着田の曼殊沙華、いつかまた見せて下さいね。
白い曼殊沙華もはかなげで良いですね。
みみこ
- ちちぼーさん からの返信 2021/10/02 22:46:45
- RE: 晴天を衝け
- みみこさん、こんにちは。
歴史は相変わらず苦手なんですけど、平九郎のイケメンっぷりにお勉強しちゃいましたよ。
付け焼刃ですけどね。
飯能はムーミンバブルだけど、歴史も自然も沢山あって良いところ。
やっぱり歩きたくなっちゃいます。
真っ赤な曼殊沙華もいいですが、白い曼殊沙華も美しかったです。
ちちぼー
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- さとぴ。さん 2021/10/02 14:54:16
- なみすけ。ビミョー。
- ちちぼーさん、こんにちは。
今回も平九郎さんの足跡を
一緒にたどったみたいでお勉強になりました。
能仁寺もドラマの後の解説で出たお寺?かな。
それにしても平九郎さん、イケメンですね。うっとり。
西荻窪のビリケンさんみたいの
何もの?(勉強不足)かわいいけど。
西荻窪から田無までって歩いたんですか。
土地勘ないけどけっこうな距離では。さすが巡礼の師匠。
ちちぼーさんの守備範囲が広いわー。
さとぴ。
- ちちぼーさん からの返信 2021/10/02 22:40:58
- RE: なみすけ。ビミョー。
- さとぴ。さん、こんにちは。
なみすけ、コロナ禍だからふれあいも出来ずあのロープの中に隔離されてるのよ。
それなのに、一生懸命できっとその健気な様子を見たらさとぴ。さん涙がでちゃいますよ。
平九郎の足跡を逆行してまいましたが、学生時代歴史の苦手だった私が
自主的に歴史を追ってしまいました。
これは、イケメン効果でしょうか?
能仁寺は、NHKにも出てきたお寺です。
今まで知識がなかったので、ドラマで山Pがお坊さんの役をやったお寺としてしか認識なかったけど、
結構歴史的に大切なお寺でした。
あのビリケンさんみたいなの何だかわからないですよね。
せんとくんの作者籔内佐斗司さんの彫刻6種類の童子をまわるイベントがあるんですよ。
追記しておきました。
西荻窪から田無って多分6キロちょっとだと思う。
秩父で荷物を持ったまま移動したさとぴ。さんなら、楽勝よ。
次回の旅行記あたり、またお名前出すかもしれないけど
よろしくです!
ちちぼー
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