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2月から6月にかけて、全11回に分けて琵琶湖を歩いて一周しました。<br />案外歩けるものだなと感じて、今回は東海道五十三次にチャレンジすることにしました。<br />とりあえずは、まず京都からの逆行で始めてみましょう。<br />

歩いて東海道五十三次にチャレンジ Part1 京都三条~草津

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2021/09/23 - 2021/09/23

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旅行記グループ 東海道五十三次歩き旅

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marsy

marsyさん

2月から6月にかけて、全11回に分けて琵琶湖を歩いて一周しました。
案外歩けるものだなと感じて、今回は東海道五十三次にチャレンジすることにしました。
とりあえずは、まず京都からの逆行で始めてみましょう。

  • 朝8時、京都三条大橋西詰にある弥次さん喜多さんの像を見てからスタートします。<br />あ、三条大橋の写真を撮り忘れてしまった。<br />

    朝8時、京都三条大橋西詰にある弥次さん喜多さんの像を見てからスタートします。
    あ、三条大橋の写真を撮り忘れてしまった。

  • 旧三条大橋の石柱<br />三条大橋は、豊臣秀吉が天正18年(1590)、日本で初めての石柱橋として架けました。この石柱はその時の橋脚に使われたものです。<br />

    旧三条大橋の石柱
    三条大橋は、豊臣秀吉が天正18年(1590)、日本で初めての石柱橋として架けました。この石柱はその時の橋脚に使われたものです。

  • 三条大橋の擬宝珠には、池田屋事件の際に付いた刀傷があります。

    三条大橋の擬宝珠には、池田屋事件の際に付いた刀傷があります。

  • 三条大橋東詰めには、駅伝発祥の地の碑があります。<br />日本最初の駅伝は、大正6年(1917)4月27日から3日間に渡って開催されました。スタートは三条大橋、ゴールは東京・上野不忍池でした。<br />

    三条大橋東詰めには、駅伝発祥の地の碑があります。
    日本最初の駅伝は、大正6年(1917)4月27日から3日間に渡って開催されました。スタートは三条大橋、ゴールは東京・上野不忍池でした。

  • 高山彦九郎像<br />三条京阪駅前には、江戸時代後期の尊王思想家、高山彦九郎の土下座像があります。彼は三条に足を運ぶ度に御所の方角に向かって膝をついて礼拝をしていたので、その姿が銅像になりました。<br />

    高山彦九郎像
    三条京阪駅前には、江戸時代後期の尊王思想家、高山彦九郎の土下座像があります。彼は三条に足を運ぶ度に御所の方角に向かって膝をついて礼拝をしていたので、その姿が銅像になりました。

  • 三条通白川橋道標<br />延宝6年(1678)、京都市に不案内な旅人のために建立されました。京都市に現存する最古の道標です。<br />

    三条通白川橋道標
    延宝6年(1678)、京都市に不案内な旅人のために建立されました。京都市に現存する最古の道標です。

  • 坂本龍馬さんとお龍さんの「結婚式場」跡(東山ユースホステル前)<br />青連院の旧境内で、元治元年(1864)8月初旬、坂本龍馬と妻お龍は「内祝言(内々の結婚式)」をしました。<br />

    坂本龍馬さんとお龍さんの「結婚式場」跡(東山ユースホステル前)
    青連院の旧境内で、元治元年(1864)8月初旬、坂本龍馬と妻お龍は「内祝言(内々の結婚式)」をしました。

  • 平安神宮の大鳥居が見えます。

    平安神宮の大鳥居が見えます。

  • 粟田神社 刀剣乱舞の聖地の一つです。

    粟田神社 刀剣乱舞の聖地の一つです。

  • 琵琶湖疎水蹴上浄水場・発電所

    琵琶湖疎水蹴上浄水場・発電所

  • 琵琶湖疎水の下を通るねじりまんぼ、大きな負荷に耐えられるよう通常のレンガ組とは違って、ねじられた形で組み上げられています。

    琵琶湖疎水の下を通るねじりまんぼ、大きな負荷に耐えられるよう通常のレンガ組とは違って、ねじられた形で組み上げられています。

  • 昔は、この辺では道路と並行して京阪電車が走っていました。今では地下鉄化されています。

    昔は、この辺では道路と並行して京阪電車が走っていました。今では地下鉄化されています。

  • 車石広場には、大八車と車石が展示されています。<br />大津から京都までは、牛車の車輪が沈まないように、石で舗装されていました。その石は、やがて頻繁な牛車の通行で削られて溝ができて、車石と呼んでいます。<br />

    車石広場には、大八車と車石が展示されています。
    大津から京都までは、牛車の車輪が沈まないように、石で舗装されていました。その石は、やがて頻繁な牛車の通行で削られて溝ができて、車石と呼んでいます。

  • こんな風に牛車で荷を運んでいたようですね。

    こんな風に牛車で荷を運んでいたようですね。

  • 三条通りから右の旧東海道へ入っていきます。

    三条通りから右の旧東海道へ入っていきます。

  • 天地天皇陵の入り口付近で、三条通りに合流します。

    天地天皇陵の入り口付近で、三条通りに合流します。

  • JR高架をくぐったところで、旧東海道は左へ曲がります。<br />なすびの形の風船や提灯が軒先に吊ってありましたが、三条商店会のゆるキャラ「もてなす君」というようです。<br />

    JR高架をくぐったところで、旧東海道は左へ曲がります。
    なすびの形の風船や提灯が軒先に吊ってありましたが、三条商店会のゆるキャラ「もてなす君」というようです。

  • 五条別れ道標<br />東海道を三条へ行く人は右へ、左は渋谷街道を通って、五条、東本願寺、清水道へ向かいます。<br />

    五条別れ道標
    東海道を三条へ行く人は右へ、左は渋谷街道を通って、五条、東本願寺、清水道へ向かいます。

  • JR山科駅

    JR山科駅

  • ここから大津札の辻まで1里半(約6㎞)

    ここから大津札の辻まで1里半(約6㎞)

  • 山科地蔵(徳林庵)は京都へ入る際の厄除け寺でした。

    山科地蔵(徳林庵)は京都へ入る際の厄除け寺でした。

  • 小関越え道標 三井寺へ行けます。

    小関越え道標 三井寺へ行けます。

  • 旧東海道は、歩道橋で1号線を渡り、逢坂の関近くで再び歩道橋で戻ります。ここから滋賀県です。

    旧東海道は、歩道橋で1号線を渡り、逢坂の関近くで再び歩道橋で戻ります。ここから滋賀県です。

  • 閑栖寺にも車石が展示してあります。

    閑栖寺にも車石が展示してあります。

  • 追分道標(右東海道、左伏見道)<br />でも、これ折れちゃって繋いでいるみたいですね。<br />現地のものは模造で、当初のものは滋賀県立安土城考古博物館にあります。<br />

    追分道標(右東海道、左伏見道)
    でも、これ折れちゃって繋いでいるみたいですね。
    現地のものは模造で、当初のものは滋賀県立安土城考古博物館にあります。

  • 当時の追分の様子

    当時の追分の様子

  • 国道1号線、京阪電車、名神高速道路が並行しています。

    国道1号線、京阪電車、名神高速道路が並行しています。

  • 月心寺<br />走井の名水で有名な庭園があるようです。残念ながら開いていませんでした。<br />

    月心寺
    走井の名水で有名な庭園があるようです。残念ながら開いていませんでした。

  • 再び歩道橋を渡って、いよいよ逢坂の関に近づいてきました。

    再び歩道橋を渡って、いよいよ逢坂の関に近づいてきました。

  • 蝉丸神社

    蝉丸神社

  • うなぎで有名なかねよ

    うなぎで有名なかねよ

  • かねよさん、うなぎの顔ハメ

    かねよさん、うなぎの顔ハメ

  • 逢坂山関址

    逢坂山関址

  • 逢坂の関

    逢坂の関

  • 逢坂の関記念公園には3基の歌碑があります。一つは草に覆われていますね。<br />・是やこの 行くもかへるも 別れては 知るもしらぬも 逢坂の関(蝉丸)<br />・名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな(三条右大臣藤原定方)<br />・夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ(清少納言)<br />

    逢坂の関記念公園には3基の歌碑があります。一つは草に覆われていますね。
    ・是やこの 行くもかへるも 別れては 知るもしらぬも 逢坂の関(蝉丸)
    ・名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな(三条右大臣藤原定方)
    ・夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ(清少納言)

  • 蝉丸神社上社

    蝉丸神社上社

  • 蝉丸神社下社<br />踏切を越えていきます。<br />

    蝉丸神社下社
    踏切を越えていきます。

  • 蝉丸法師の飛び出し坊や

    蝉丸法師の飛び出し坊や

  • 大津宿本陣跡<br />看板が立っているだけです。この辺りが大津宿の中心地で札の辻交差点だったのですが、写真を撮り忘れていました。<br />

    大津宿本陣跡
    看板が立っているだけです。この辺りが大津宿の中心地で札の辻交差点だったのですが、写真を撮り忘れていました。

  • 明治天皇行在所跡碑の方が大きいですね。<br />明治天皇は明治元年(1868)宿泊され、本陣で昼食を摂られました。<br />

    明治天皇行在所跡碑の方が大きいですね。
    明治天皇は明治元年(1868)宿泊され、本陣で昼食を摂られました。

  • 大津祭りが近いので、軒先には提灯が吊られています。

    大津祭りが近いので、軒先には提灯が吊られています。

  • 旧東海道の街並み、石畳で電柱も地中化されていて、すっきりしています。

    旧東海道の街並み、石畳で電柱も地中化されていて、すっきりしています。

  • ホテル「講 大津百町」<br />東海道の宿場町として栄えた大津に、町家をリノベーションした日本初の商店街ホテルが誕生しました。<br />http://hotel-koo.com/<br />

    ホテル「講 大津百町」
    東海道の宿場町として栄えた大津に、町家をリノベーションした日本初の商店街ホテルが誕生しました。
    http://hotel-koo.com/

  • 大津事件 露国皇太子遭難の地碑<br />明治24年、(1891)日本を訪問中のロシアのニコライ皇太子が、警察官に切り付けられた暗殺未遂事件。まだ黎明期の日本が大国ロシアに武力報復されかねない緊迫した状態になったそうです。<br />

    大津事件 露国皇太子遭難の地碑
    明治24年、(1891)日本を訪問中のロシアのニコライ皇太子が、警察官に切り付けられた暗殺未遂事件。まだ黎明期の日本が大国ロシアに武力報復されかねない緊迫した状態になったそうです。

  • 滋賀県庁

    滋賀県庁

  • 大津パルコは、今はOh!Me大津テラスという名前に変わっています。

    大津パルコは、今はOh!Me大津テラスという名前に変わっています。

  • 義仲寺<br />木曽義仲と松尾芭蕉の墓や句碑があります。<br />https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/410/<br />

    義仲寺
    木曽義仲と松尾芭蕉の墓や句碑があります。
    https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/410/

  • 膳所城<br />湖上の浮城と称えられていましたが、現在では本丸跡が公園として整備されていますが、石垣がわずかに残っています。<br />

    膳所城
    湖上の浮城と称えられていましたが、現在では本丸跡が公園として整備されていますが、石垣がわずかに残っています。

  • 瀬田唐橋<br />びわイチウォークで先日渡ったばかりですが、また渡ることになるとは。<br />「唐橋を制する者は天下を制す」と言われるほどの軍事・交通の要衝で、古代から数々の戦いの場となってきました。<br />

    瀬田唐橋
    びわイチウォークで先日渡ったばかりですが、また渡ることになるとは。
    「唐橋を制する者は天下を制す」と言われるほどの軍事・交通の要衝で、古代から数々の戦いの場となってきました。

  • 唐橋東詰めには、ビワイチ出発の地の碑が立てられました。

    唐橋東詰めには、ビワイチ出発の地の碑が立てられました。

  • 旧東海道は、建部大社の手前を左に曲がります。

    旧東海道は、建部大社の手前を左に曲がります。

  • 月輪池の一里塚<br />かって東海道121番目の一里塚があったところですが、今では石碑が立っているだけです。<br />

    月輪池の一里塚
    かって東海道121番目の一里塚があったところですが、今では石碑が立っているだけです。

  • 東海道立場跡<br />立場:宿場と宿場の間にあって、旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所でした。<br />

    東海道立場跡
    立場:宿場と宿場の間にあって、旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所でした。

  • 新田開発発祥之地

    新田開発発祥之地

  • 野路の玉川跡<br />旅人の喉を潤した名泉。<br />

    野路の玉川跡
    旅人の喉を潤した名泉。

  • 野路一里塚跡<br />敷地の割には小さな石碑でした。<br />立命館大学びわこ草津キャンパス方面へ向かう4車線道路で旧東海道が分断されていて、まっすぐ進めません。<br />

    野路一里塚跡
    敷地の割には小さな石碑でした。
    立命館大学びわこ草津キャンパス方面へ向かう4車線道路で旧東海道が分断されていて、まっすぐ進めません。

  • 東海道と矢橋道(琵琶湖を渡る渡し船「矢橋の渡し」の船乗り場へ向かう)の分岐点に立つ矢倉道標。<br />かって、ここにうばがもちやがありました(今は国道1号線沿いに移転しています)。<br />

    東海道と矢橋道(琵琶湖を渡る渡し船「矢橋の渡し」の船乗り場へ向かう)の分岐点に立つ矢倉道標。
    かって、ここにうばがもちやがありました(今は国道1号線沿いに移転しています)。

  • 矢倉立場のにぎわう店先の様子が描かれています。多くの旅人は、うばがもちを売る茶店で、旅の疲れをいやしたのでしょう。

    矢倉立場のにぎわう店先の様子が描かれています。多くの旅人は、うばがもちを売る茶店で、旅の疲れをいやしたのでしょう。

  • 黒門跡<br />草津川を渡ると、草津宿の京側の入り口。黒門が設けられていました。<br />

    黒門跡
    草津川を渡ると、草津宿の京側の入り口。黒門が設けられていました。

  • 立木神社<br />神護景雲元年(767)創建と伝えられ、武甕槌の命を祀る。境内には滋賀県で最古とされる道標が立っています。<br />

    立木神社
    神護景雲元年(767)創建と伝えられ、武甕槌の命を祀る。境内には滋賀県で最古とされる道標が立っています。

  • 太田酒造道灌蔵<br />江戸城を造った太田道灌を祖先に持つ太田家は草津行政の中心でした。<br />酒造りを始めたのは廃藩後のことです。見学・試飲も行えます。<br />

    太田酒造道灌蔵
    江戸城を造った太田道灌を祖先に持つ太田家は草津行政の中心でした。
    酒造りを始めたのは廃藩後のことです。見学・試飲も行えます。

  • 草津宿街道交流館<br />東海道に関する資料や情報を見ることができます。また、幕末の草津宿を再現したジオラマもあって、草津宿の様子がわかりやすく紹介されています。<br />緊急事態宣言発出により臨時休館中でした。<br />

    草津宿街道交流館
    東海道に関する資料や情報を見ることができます。また、幕末の草津宿を再現したジオラマもあって、草津宿の様子がわかりやすく紹介されています。
    緊急事態宣言発出により臨時休館中でした。

  • 草津宿田中本九蔵本陣跡

    草津宿田中本九蔵本陣跡

  • 草津宿本陣(国史跡、田中七佐衛門本陣)<br />こちらも臨時休館でした。<br /><br />昔のままの遺構をそのまま残していて、現存する本陣では最大級で、上段之間や湯殿、貴重な資料が保存されています。<br />

    草津宿本陣(国史跡、田中七佐衛門本陣)
    こちらも臨時休館でした。

    昔のままの遺構をそのまま残していて、現存する本陣では最大級で、上段之間や湯殿、貴重な資料が保存されています。

  • 宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介、徳川慶喜、皇女和宮、土方歳三、シーボルトなどの名も見えます。<br />https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/honjin/index.html<br />

    宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介、徳川慶喜、皇女和宮、土方歳三、シーボルトなどの名も見えます。
    https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/honjin/index.html

  • 追分道標<br />ここが東海道と中山道の分岐点です。<br />

    追分道標
    ここが東海道と中山道の分岐点です。

  • 草津の汚水桝の蓋には、この追分道標が描かれています。

    草津の汚水桝の蓋には、この追分道標が描かれています。

  • 中山道は、まっすぐ草津川の下(草津川は天井川で、家より高い所を流れていました。危険なので、新しい川を作って、今は水がない廃河川になっています。)を通って行きます。<br /><br />所要時間7時間15分(昼食休憩含む) 歩行距離約29km。<br />風もそこそこあり、暑くはありませんでしたが、25㎞を越えると辺りから足が痛くて、ペースがノロノロでした。<br /><br />以上で第1回の東海道行脚は終了、次回は草津から水口までの予定ですが、いつ行けるかな?<br />

    中山道は、まっすぐ草津川の下(草津川は天井川で、家より高い所を流れていました。危険なので、新しい川を作って、今は水がない廃河川になっています。)を通って行きます。

    所要時間7時間15分(昼食休憩含む) 歩行距離約29km。
    風もそこそこあり、暑くはありませんでしたが、25㎞を越えると辺りから足が痛くて、ペースがノロノロでした。

    以上で第1回の東海道行脚は終了、次回は草津から水口までの予定ですが、いつ行けるかな?

  • 後日歩いた時は、草津宿本陣も開いていましたので拝観しました。<br /><br />まずは、草津本陣の玄関です。<br />本殿の主人は裃を着用して、ここで大名を迎えました。

    後日歩いた時は、草津宿本陣も開いていましたので拝観しました。

    まずは、草津本陣の玄関です。
    本殿の主人は裃を着用して、ここで大名を迎えました。

  • 畳廊下<br />

    畳廊下

  • 上段の間は写真撮影不可でしたので、向上段の間を。

    上段の間は写真撮影不可でしたので、向上段の間を。

  • 上段雪隠<br />おトイレですね。

    上段雪隠
    おトイレですね。

  • 湯殿<br />主客専用の風呂場。屋外で沸かした湯を運び入れていました。

    湯殿
    主客専用の風呂場。屋外で沸かした湯を運び入れていました。

  • 徳川第15代将軍の徳川慶喜や新撰組副長の土方歳三も宿泊したようです。

    徳川第15代将軍の徳川慶喜や新撰組副長の土方歳三も宿泊したようです。

  • 草津本陣の模型

    草津本陣の模型

  • 草津宿交流館も観てきました。

    草津宿交流館も観てきました。

  • 旅籠再現コーナー<br />うばがもちやの看板や、当時の道具等が展示されています。

    旅籠再現コーナー
    うばがもちやの看板や、当時の道具等が展示されています。

  • 当時の食事の再現<br />左の魚はぐじ(アマダイ)の開きみたいですが、結構豪華だったんですね。

    当時の食事の再現
    左の魚はぐじ(アマダイ)の開きみたいですが、結構豪華だったんですね。

  • 東海道五十三次の地図<br />さて、どこまで歩くことができるやら。<br /><br />

    東海道五十三次の地図
    さて、どこまで歩くことができるやら。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ホーミンさん 2021/09/27 13:23:08
    29キロ(@_@)
    こんにちは。

    前回の歩いてびわ湖一周にも驚きましたが、今度は東海道五十三次ですか。すごいなぁ。
    私も健脚なりし頃、家から宇治橋まで20キロを歩いたことがあります。次の日、足首が痛くて、まともに歩けませんでした。29キロは、私には想像を越える距離です。

    段々と東京に近付くにつれ、交通費もかかるようになりますね。宿泊しながら先に進まれるのでしょうか?

    私もウォーキングが好きなので、これからも楽しみに拝見させていただきます。

    完歩、お祈りいたします。

    marsy

    marsyさん からの返信 2021/09/27 20:07:27
    Re: 29キロ(@_@)
    ホーミンさん、お久しぶりです。

    歩いた次の日は足が痛くて、階段の登り降りもきつかったです。こんな感じじゃ2日連続で歩くのは無理っぽいかな?
    とりあえず、泊まらなくても行ける名古屋の向こうくらいまでは頑張ってみたいです。

marsyさんのトラベラーページ

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