2019/05/18 - 2019/06/02
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さいたまさん
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ガダルカナル作戦の劣勢の連続の中に、見えた一瞬の光明がありました。(飛行場への艦砲射撃に、欣喜雀躍の地上部隊)
写真は、現在のホニアラ国際空港から見た激戦の地アウステン山です。
(当時は、ヘンダーソン飛行場と呼ばれていた。)
アウステン山は、当時も現在も、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場の滑走路を、視界に収める制高点です。
ガダルカナルの戦いは、飛行場を巡る戦いでした。
米軍が、ガダルカナル島の制空権を確保していた関係で、日本軍の物資輸送が成功せず、砲兵の野戦砲はもちろん、食料も揚陸することができない状況でした。
日本軍は、一木支隊、川口支隊を小出しに投入し、その都度、圧倒的な兵力差と強大な火力を有する米軍の前に、大損害を受けてしまいました。
このため、大本営は、第2師団、そして第38師団を投入することとしましたが、ヘンタ―ソン飛行場の航空機が、依然、日本軍部隊の投入及び物資の輸送を阻んでいました。
窮余の策として、艦隊決戦を目的とする戦艦を、飛行場を対象とする艦砲射撃に使用することとなりました。
戦艦金剛は、敵艦艇を攻撃する徹甲弾を、弾庫から卸し、対空目的の焼夷弾たる三式弾を積み込み、航空機が活動し得ない夜間にガダルカナル島に接近し、かつ潜水艦等の魚雷攻撃を避けるため高速で航行を続けたまま、艦砲射撃を実施することとなりました。
前夜、サボ島海戦においては、従来、日本軍が得意とした夜戦で、米軍が初めて勝利し、また、米軍がレーダーを実戦化した初めての戦いでした。
日本海軍は、米軍の艦艇と遭遇した場合、敵艦艇に対して効果のない弾丸をもって交戦することとなり、全く不利な状況になることが予想されました。
しかしながら、ヘンダ―ソン飛行場に対する艦砲射撃は、成功し、所在の米軍航空機の60%以上を破壊し、殆どの航空燃料を炎上させ、弾薬を誘爆させる等の極めて大きな成果を収めました。
これを見た第17軍等の地上部隊は、欣喜雀躍し、野戦砲1000門以上の効果に値すると報告しています。
しかしながら、米軍も、未明からブルドーザを活用し、戦闘機用滑走路の修復に努め、翌14日の日本軍の物資揚陸に対し、空襲を加え、揚陸物資の大半を焼き払いました。
要するに、遠距離からの艦砲射撃は、極めて有効でしたが、効果の持続は困難であり、地上部隊の占領をもってしか、決定的勝敗が決しないという原則が、確認された結果になりました。
今回、飛行場周辺の広大な地域を見て廻りましたが、遠距離からの火力については、持続性に問題があり、地上部隊の役割の重要性を痛感しました。
その重要性は、引き続く第2師団の総攻撃において、再び、大きな教訓として認識されることになります。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ガダルカナル島における日米両軍の戦いは、飛行場を巡る戦いでした。
日本海軍の艦砲射撃で、飛行場に並んでいた飛行機は、破壊され、航空燃料は火を噴き、弾薬は誘爆を続けました。
写真は、ガダルカナルへの旅にて、着陸直後、飛行場滑走路に置かれたままの航空機の残骸の写真です。
大戦当時の破壊された飛行機ではないとは、思いますが、ガダルカナルには、多数の慰霊碑、破壊された戦車、沈没した輸送船の残骸等を目にします。
この飛行機の残骸は、日本の戦艦の艦砲射撃の効果を彷彿とさせるような感じを受けました。
以下、飛行場への日本の戦艦の艦砲射撃に関する写真や当時の状況について、関連する事項を紹介します。 -
ガダルカナル島に渡るには、成田空港から、オーストラリアのブリスベーンを経由して、乗り継ぎで向かいます。
チェックインは、日本航空のカウンターにて済ませましたが、搭乗機は、カンタス航空機です。
コードシェア―便なるが故でしょう。
写真は、成田空港から出発し、ブリスベーンに到着したカンタス航空の機体です。成田国際空港 空港
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カンタス航空の搭乗券です。
ブリスベーンへの往複では、エコノミークラスですので、カンタス航空のラウンジを前を通過するのみで、中を覗くだけです。
往路は、53Gの座席です。カンタスラウンジ (ブリスベン空港) 空港ラウンジ
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カンタス航空の62便の内部です。
座席は、黒色を基調とする落ち着いた感じです。 -
日本海軍の連合艦隊の根拠地であったトラック島です。
トラック島のさらに南側に、ラバウルがあります。
ラバウルの南側にあるのが、ガダルカナル島です。 -
ブリスベーンまでの航空路です。
ほぼ南へ、一直線の飛行です。
途中、赤道を越えると、ポートモレスビーの上空を通過します。
ガダルカナル島とは、切っても切れない関係にあります。
個人的な繋がりですが、在学中の同級生が、ポートモレスビーで活躍していることを知りました。会いたいという気持ちが強いのですが。ポートモレスビー ジャクソン国際空港 (POM) 空港
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日本海軍の根拠地ラバウルは、ポートモレスビーからの脅威にさらされていました。
ガダルカナル島は、ラバウルの前進基地の役割です。
日本海軍は、ガダルカナルに、昭和17年(1942年)6月飛行場を建設しだしました。 -
写真は、靖国神社の遊就館に置かれている零式戦闘機です。
ラバウルからガダルカナル島までの約1000kmを飛行できますが、帰路の燃料の重量をも考慮しますと、ガダルカナル島上空での交戦時間と運動性の点から、ガダルカナル飛行場から飛び立つ米戦闘機との戦闘に苦労したことと推測します。 -
ポートモレスビーの上空を過ぎると、すぐブリスベーンに到着します。
ガダルカナル島に向かうソロモン航空機に乗り継ぎます。
ソロモン諸島を含む大洋州の島嶼諸国とブリスベーンは、航空路だけでなく、政治経済的にも、密接な関係にあります。
往路は乗り継ぎだけですが、帰路は、ブリスベーン市内のイビス・ブリスベーンホテルに宿泊予定です。
ブリスベーンは、オーストラリアにおける対日反攻のための重要な場所でした。Indigo Brisbane City Centre ホテル
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ブリスベーンとガダルカナルのホニアラ空港までの間は、ソロモン航空機を利用します。
ブリスベーンからホニアラ空港までの間は、カンタス航空のチェックインカウンターで手続きをしますので、搭乗券は、カンタス航空の搭乗券です。 -
ホニアラ空港までの間に、機内食を貰います。
ビールは、ソロモンビールを味わいます。 -
ガダルカナル島の北西に、サボ島が見えました。
サボ島海戦等で、有名な島です。
日本海軍にとっては、思い出多き島です。 -
ガダルカナル島の上空にやってきました。
島全体に、山が続いている地形です。 -
飛行中の飛行機の窓越しに、ガダルカナル島の市街地を見ています。
岬が、海の中に飛び出て見えますが、クルツ岬です。
ガダルカナル島の作戦では、数多く出てくる地形です。
日本人支配が活躍しているキタノメンダナホテルが見えます。ソロモン キタノ メンダナ ホテル ホテル
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ホニアラ国際空港の国際線エプロンです。
国際線のエプロンですが、国内線用の小型飛行機と小型飛行機の格納庫が見えます。ホニアラ国際空港 (HIR) 空港
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ホニアラ国際空港の国際線ターミナルの南側にある航空機格納庫です。
格納庫の奥の森林は、ガダルカナル島での激戦地であったムカデ高地があります。
ムカデ高地は日本軍の名称で、米海兵隊としては、血染めの丘と呼んでいました。 -
ホニアラ国際空港の国内線エプロンです。
国内線用の小型飛行機と格納庫や国内線用の施設が見えます。
多くの島々からなるソロモン諸島の間の交通は、国内航空路線によるところが大きいのです。 -
ホニアラ国際空港のターミナルビルの北側の正面です。
青色の鮮やかな三角屋根が、印象的です。 -
ホニアラ国際空港の国際線用のターミナルビルの南側です。
このターミナルビルは、日本のODA援助予算で建設されました。 -
ホニアラ国際空港の西隣に、Solomon Islands Memorialという記念慰霊公園があります。
写真の道路の先にあります。
米海兵隊が設置した公園です。 -
ホニアラ国際空港の西側の慰霊公園の慰霊碑です。
海兵隊の紋章が見えます。
ホニアラ国際空港は、米軍のヘンタ―ソン飛行場であったことと、日本海軍の艦砲射撃による甚大なる被害を受けたことが伝えられています。
公園の中に、海兵隊の慰霊碑があります。 -
米軍の反攻作戦は、ウォッチタワー作戦と呼ばれていますが、この作戦に参加したソロモン諸島住民の功績をたたえている記念碑です。
貢献した偵察要員、情報要員の活躍を高く評価している碑文です。 -
ホニアラ国際空港の滑走路の西端です。
当初、日本海軍が建設した飛行場ですが、完成直後に米海兵師団により、奪取されました。
コンクリート滑走路の付近は、爆撃機用の滑走路として利用されていました。
写真の奥の山側の保安地帯は、爆撃機用の滑走路として、増設された区域です。 -
冒頭にも申し上げましたが、ホニアラ国際空港の滑走路の傍に、航空機の胴体の残骸がありました。
日本海軍の艦砲射撃で破壊された、ヘンタ―ソン飛行場の航空機の残骸ではないと思いますが、今回の旅行の主題とも関連しますので、ぎょっとしている次第です。
今回の主題は、日本海軍の戦艦、重巡洋艦の巨砲による、ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃についてです。
劣勢が続いた日本軍の作戦の中で、唯一の光明として記憶に残っている作戦ですので、航空機の残骸を見ると、なんとなく気になります。 -
ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃は、劣勢の続くガダルカナル島の戦いの中で、一時的な効果ですが、光明をさした射撃でした。
連敗続きの地上軍にとって、野砲1000門に値するとの喜びでした。
米国の南太平洋部隊司令官は、ニミッツ提督に、ガダルカナルの確保は難しいとの報告をするほどの被害でした。
写真には、日本戦艦の艦砲射撃で、滑走路に大きな穴が生じた被害が、写っています。
米軍も被害が甚大な中で、ブルドーザー等の機械力を動員し、必死の修復作業を実施し、日本軍への空爆のための戦闘機発進を可能とさせたのでした。
やはり、火力だけの攻撃には、限界があり、地上部隊での確保が不可欠であることの結論なのでしょう。 -
飛行場から西側を見ると、遠くルンガ川の向こうに、著名な山岳地が見えます。
今回の旅行の主題である、アウステン山です。
飛行場から見えるということは、アウステン山からも、飛行場が見えるということです。
日本海軍の艦砲射撃においては、戦艦大和の砲台長を長とする射弾観測班を、アウステン山に派遣し、艦砲射撃を成功させています。 -
ホニアラ国際空港着陸前に、ガダルカナル島上空からアウステン山を撮影した写真です。
アウステン山の密林地帯と開豁地とのまだら状の山岳地が見えます。
開豁地域と森林区域のまだら状の模様が特徴的です。 -
日本区海軍が建設中の飛行場を、米海兵隊が完成直前に奪取した時期前後の滑走路とアウステン山の関係を示す写真です。
手前側のヘンタ―ソン飛行場の白色に見える滑走路の奥に、まだら状の山岳地が見えますが、アウステン山です。
アウステン山の開豁地域と森林区域のまだら状の模様は、戦後80年を経過しても、あまり変わっていない感じがします。 -
写真は、今回の訪問にて、アウステン山の北東側の状況を撮影したものです。
防衛省の公刊戦史(戦史叢書)の南東方面海軍作戦<2>の211ページの第3戦隊司令官の命令のうち砲撃要領「へ」項には、弾着観測として、大和砲台長他の観測によるとの記述があります。
あくまでも推測ですが、アウステン山の開豁地域と森林区域の接際部付近から、飛行場を観測していたのではないかと思います。
アウステン山の森林区域の援護下に、観測所を秘匿していたものと考えられます。 -
アウステン山を背にして、滑走路に駐機しているフィージー航空機です。
フィージーは、日本海軍が計画していたFS作戦(Fは、Fijiの頭文字です。)の目標地点であった島です。
ガダルカナル島は、ラバウルからフィージー島への中間に位置する場所にあります。
ガダルカナル島で、フィージーの航空機を目にするとは、不思議な因縁を感じます。
この飛行機は、フィジーのスバ飛行場に向かうのでしょう。スバ ナウソリ空港 (SUV) 空港
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飛行場とアウステン山の間を流れるルンガ川です。
写真の左端に、搭乗しているソロモン航空機の翼端が見えています。
ホニアラ国際空港への着陸直前の機上から撮影した写真です。 -
ホニアラ国際空港は、戦争当時の昔は、ヘンタ―ソン飛行場と呼ばれていました。
写真の奥に延びている平坦地は、戦争当時、米軍の爆撃機の滑走路として使用されていました。
写真右側の平坦地には、同じく、爆撃機用の予備滑走路が建設されていました。 -
ホニアラ国際空港のターミナルビルの一角にあるヘンタ―ソン飛行場の記念碑です。
米海兵隊の飛行隊長であったヘンダーソン少佐の功績を顕彰するためヘンタ―ソン飛行場と名づけられました。 -
ヘンタ―ソン飛行場は、戦後、ホニアラ国際空港として生まれ変わりました。
日本のODA援助で空港ターミナル等が、建設されました。
日本とソロモン諸島政府の国旗が掲げられている記念碑です。 -
ホニアラ国際空港の北側にある警察の建物です。
戦争当時には、飛行場の管制施設があった場所に当たります。 -
ヘンタ―ソン飛行場のすぐそばの東側を流れるルンガ川です。
ヘンダーソン飛行場から西戦闘機用滑走路に向かう際には、この橋を渡ります。 -
日米両軍の激戦地となったマタニカウ川です。
日本軍の川口支隊は、砲兵射撃の関係で、この川の両岸を確保する努力を続けていました。
川口支隊の慰霊碑は、マタニカウ川の西側にある国立博物館の前庭にあります。ソロモン諸島国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
当時、ガ島に前進指揮所を設けていた第17軍の報告書の中にある戦闘経過に関する地図です。
第17軍をはじめとして、海軍を含めて、新滑走路が建設されていたことが、認識されていました。
米軍が、当初、奪取した飛行場の旧滑走路として記載されている他、東側に、新たな北滑走路、南側に南滑走路が拡張されていて、そして東南側には、新飛行場、ルンガ川の西には、西飛行場が加わっています。
飛行場としては、旧,新、西の3飛行場、滑走路としては、旧、北、南滑走路の3滑走路が書かれています。
要するに、ヘンタ―ソン飛行場の抗たん化増強のため、着々と飛行場及び滑走路の新増設が進められています。 -
ヘンダーソン飛行場の東側のテナル川流域を上空から撮影した写真です。
機体の左翼とエンジンが見えますが、ホニアラ国際空港への着陸前の様子です。
エンジンの方向に見えるのが、テナル川(日本名:蛇川)です。
ヘンダーソン飛行場の戦闘用滑走路をはじめとして、予備滑走路が建設された地域です。
今では、跡形も残っていません。
しかしながら、米軍は、日本海軍の艦砲射撃の後、戦闘機用滑走路を応急的に修復し、日本軍の増援物資への空爆・銃撃を続行する基盤となりました。
艦砲射撃の限界を示した戦闘機用滑走路でした。 -
戦闘機用滑走路の他、複数の滑走路が建設されました。
西飛行場の新設ばかりでなく爆撃機用滑走路等が建設され、日本軍の艦砲射撃等への抗たん性が強化されました。
戦艦金剛等の艦砲射撃の影響があまりにも大きかったため、それらに対する対応策と考えられます。 -
ヘンダーソン飛行場の東側のテナル川(日本名:蛇川)の西側の流域を上空から撮影した写真です。
エンジン及び翼の手前に、イル川(日本名:中川)があります。 -
ヘンダーソン飛行場を東側から見ています。
滑走路のすぐ手前の黒い河川が、イル川(日本名:中川)です。
蛇行している河川は、テナル川日本名(日本名:蛇川)です。
飛行場の奥に、ぼんやりとアウステン山が見えます。 -
米海兵隊の記念碑です。
激戦の地であったマタニカウ川の西側に置かれています。
米軍としては、飛行場の安全を確保するには、マタニカウ川流域の観測点に利用される要点と日本軍砲兵の展開地域を占領して置く必要性を、十分、理解していたのです。 -
コカンボナにある重砲牽引車の写真です。
野戦重砲兵第4聯隊の慰霊碑の西側にあります。
長射程の射撃が期待できる重砲を牽引する車両です。
しかし、山中の丸山道を迂回することはできないため、重砲は、海岸道沿いに活動することとなりました。
十分な量の弾薬が揚陸できず、活躍することができませんでした。 -
野戦重砲兵第4聯隊の15センチ榴弾砲を牽引する車両の傍に、解説板が置かれています。
皮肉なことですが、ヘンダーソン飛行場への長距離射撃用の重野戦砲の弾薬は、極めて少なく、飛行場に届かない野砲用の弾薬は、比較的多く揚陸されていました。
歴史上の皮肉な不整合の例の一つです。 -
国立博物館の前庭に置かれている日本軍の96式野戦重砲です。
口径150mmのりゅう弾砲で、最大射程は、約12kmです。
マタニカウ川の東側を日本軍が確保している場合は、その援護下に、野戦重砲の射撃陣地を展開して、マタニカウ川西側から、ヘンダーソン飛行場を射撃することができます。
国立博物館には、この重砲の他、歩兵第124聯隊の慰霊碑も置かれています。
(国立博物館は、キングソロモンホテルの東側にあります。)キング ソロモン ホテル ホテル
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海岸沿いの日本軍の陣地から飛行場まで、約10km~12Kmの離隔距離がありますので、重野戦砲としては、96式15センチ榴弾砲と92式の10センチ加農砲が主役となります。
米軍が制空権を有していますので、重砲の輸送が困難であり、96式15センチ榴弾砲が11門、92式10センチ加農砲が2門を、何とか揚陸することができました。
問題は、弾薬の輸送が困難な中で、最も期待されていた96式15センチ榴弾砲の弾薬が少なく、飛行場まで届かない4式15センチ榴弾砲の弾薬が多くなっています。
皮肉なことです。 -
戦艦金剛や戦艦榛名が、艦砲射撃を実施した際の米海兵師団の陣地配備及び滑走路の位置を記した地図です。
当時は、ヘンダーソン飛行場の滑走路の他に、東南側に、戦闘機用滑走路が建設されていました。
ヘンタ―ソン飛行場の主滑走路への着弾が、主となっていたため、戦闘機用滑走路への着弾が少なかったため、被害が少なく、翌14日の午前中には、滑走路の修復がなされ、戦闘機の離発着が可能となり、日本軍の物資揚陸を妨害することができました。 -
野戦重砲兵第4聯隊の重砲が置かれている国立博物館の前庭には、歩兵第124聯隊の慰霊碑があります。
広い敷地内には、その他の記念碑等もあります。ソロモン諸島国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ガダルカナルの戦いは、飛行場を巡る戦いでした。
両軍とも、死力を尽くして、戦いました。
しかし、制空権を確保していた米軍の前に、日本軍は劣勢が続いていました。
その中において、戦艦による飛行場への艦砲射撃に期待がかけられました。 -
戦艦の本来の役割は、艦隊決戦における敵艦船の撃沈ですが、ガダルカナルの艦砲射撃は、飛行場の航空機、燃料、弾薬等の目標への対地射撃でした。
この対地射撃には、実用化されたばかりの三式弾や徹甲弾が使用されました。
しかしながら、戦艦金剛は、艦艇用の徹甲弾を卸し、三式弾を積んでいたので、艦隊決戦が生起した場合、敵に対して全く無力の状態でした。 -
地上部隊により、エスペランサ岬、クルツ岬、タファサロンガ岬等に、所定の時間に篝火を焚き、戦艦等から三角測量により、戦艦等の位置を承知し、目標への射撃諸元の算定に活用しました。
闇夜の中で、有効かつ精密な射撃を実施するための、基準点になります。
高速で航行する戦艦等からの艦砲射撃のためには、射撃諸元計算のために、不可欠な光源となります。 -
飛行場の位置を示すため、もしくは夜間の飛行場の状況を確認するために、吊光弾を投下し、落下傘により、光源を低速で、空気中に滞留するように工夫しています。
吊光弾をゼロ式水上偵察機から投下しました。 -
ガダルカナルの飛行場への艦砲射撃の間、魚雷等の危険性を考慮し、高速のまま航行を続け、夜間射撃を実施しました。
篝火による戦艦の位置、吊光弾による目標位置の明示、そしてアウステン山からの射弾観測等により、迅速かつ有効な射撃が可能となる態勢を準備しました。 -
戦艦は、艦艇に対する戦闘が本来です。
特に、戦艦は艦隊決戦の中核です。対地目的の艦砲射撃は、亜流でしょうが。
実用化して間もない、三式弾を使用しての飛行場への艦砲射撃の計画ですが、焼威効果を狙ったのでしょう。反対論も多かったようです。
三式弾は、対空目的に開発された弾薬です。
この図面は、戦艦金剛の主砲の36センチ砲用の弾薬です。 -
三式弾にも、口径の異なるものに対しては、いろいろな形状の弾薬を開発したようです。
いずれも、対空用の目的のために、焼威・破壊用の子弾を放出する方式には、変わりはありません。 -
三式弾は、実用化直後でしたので、数量が十分にありませんでした。
また、滑走路破壊用には、徹甲弾を使用しました。
写真の弾丸は、徹甲弾です。発射される前には、上部に、仮帽という空気抵抗を少なくする防止のようなものがついていますが、写真では、仮帽が無い状態のものです。
徹甲弾は、艦艇の防弾鋼板を貫徹後、艦艇内部で破裂し、破壊効果を高めるのが一般的です。
滑走路の破壊では、滑走路表面で爆発するのではなく、地中に入ってから爆発するように、短延期信管モードで、効果を倍増するように考えました。 -
戦艦金剛の艦砲射撃により大きな脅威を受けた米軍は、新たな飛行場の建設や滑走路の増設に着手しました。
写真は、海岸地域に戦闘機用飛行場を建設した平地部の写真です。
西飛行場です。
写真で解りますが、現在は、舗装道路ができていますが、当時の地図には、道路などはありませんでした。
西飛行場があったこの道路沿いには、ゴルフ場に姿を変えています。 -
戦艦金剛のヘンダーソン飛行場への艦砲射撃の成功以来、艦砲射撃が注目されるようになりましたが、地域の連続的かつ安定的な確保には、地上部隊の存在が不可欠です。
戦艦金剛による艦砲射撃の成果は、極めて多大なものがあり、第17軍の喜びは、天をも衝くものがありましたが、ヘンダーソン飛行場の機能低下は、一時的なものでした。
やはり地上部隊の地域占領機能は、他をもって代替は困難なことを第2師団の総攻撃により理解することとなりました。
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