2021/03/26 - 2021/09/26
813位(同エリア16384件中)
ばねおさん
モンパルナスに移り住んで一年。
街歩きを重ねていて、ある時気づいたのは、初めての場所なのにどこかで見覚えがある景色。それが多少は記憶がある佐伯祐三の描いた街風景だった。
佐伯祐三についてはあまり多くを知らず、あらためて彼の作品を検索してみると見知った場所がいくつもあり、しかも撮った写真の何枚かは、ほぼ同じ角度からの風景を切り取っていた。
よくよく調べてみたら、佐伯祐三が最初のパリ生活で住んだ場所というのは、自分の居るアパルトマンからほど近く、普段から往来をしてるところ。
二度目に来て住んだモンパルナス大通りの住居も、自分がよく通う散歩コース沿いにあり、しかもそれは別の人物の存在によって確認ずみの建物だ。
つまりは、佐伯がパリで暮らしていた前後2回の生活圏は、自分とまるで重なっていることになる。おまけに彼がパリで題材にした街風景は、住んでいた周辺が多いという。
これでは同じ風景を同じ角度から眺めていて何の不思議もないわけだ。
佐伯祐三が居た当時から90年以上経た今では、モンパルナス界隈の景観は大きく変貌してしまった。それでも昔日の断片はそこここにあり、以前と変わらぬものも少なからず残っている。
自分の街歩きの中で見出すことができた佐伯の足跡、作品名には記されていないものの描かれているのはここではないかと自分なりに解釈してみた場所、いわば佐伯祐三との出会いの記録。
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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佐伯祐三が初めてフランスにやってきたのは、1924年の1月。
パリ郊外のクラマールから市内に移ってきたのは、同年の11月あるいは12月のようだ。
そして翌々年の1月に帰国するまでの1年余を過ごしたのは、シャトー通り( Rue du Château )13番地であったとされている。 -
現在のシャトー通りは、パスツール通りからの上り坂の延長にあり、コタンタン通りとの交差点から始まっている。
モンパルナス2駅、3駅に接するこの辺りは、昔日の面影はかけらも残っていない。 -
建物には番号が付けられているので容易に判明すると思ったのだが、シャトー通り11番地の表示はあったものの、13番地がどうしても見つからない。
11番地の隣が13番地であることは分かっていても、11番地の次にある建物はホテル コンコルド・モンパルナスで、その番地はシャトー通りからは採られていない。 -
結局、最後に出した結論は、路線バスの停留所付近。
おそらく、この辺りだろうという他ない。
現在の11番地が、以前の場所を踏襲していることを前提にしての推定だ。 -
番地に少々こだわったのは、シャトー通り13番地の住居の付近から描いたとされる『エッフェル等が見える通り』(1925)の存在。
エッフェル塔の左横に描かれている細長い塔のような形も気になる。 -
現在の(推定)13番地付近からエッフェル塔を眺めるとこんな感じ。
シャトー通りから描かれているとすれば、道路の位置から考えて佐伯が住んでいた13番地側(奇数番号)ではなく向かいの偶数番地側からの構図である。 -
但し、現在は偶数番地側からはエッフェル塔が望めず、車道中央にまで出ないと見えてこない。おそらく当時より道路幅が拡張されたことなどが考えられよう。
コタンタン通りとの交差点を過ぎ、パスツール通りまで下っていくと、描かれた風景により近くなるが、作品に描かれている細長い塔のような存在がどうしても疑問に残る。
この坂を下りて、左に折れるとアトリエ長屋シテ・ファルギエールがある。 -
現在のシャトー通りは、カタローニュ広場(Place de Catalogne)によって分断される形になっている。
11番地の表示のある建物の先を少し上がると大きな円形広場があり、これがカタローニュ広場だ。
円形広場の向こう側、建物と建物の間にシャトー通りは続いている。 -
広場が出来たのは1980年代なので、佐伯祐三の当時はシャトー通りは分断されることなく結ばれていたはずだ。
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広場を囲む建物は一見豪奢に見えるが、1980年代にスペインの建築家リカルド・ボフィル(Ricardo Bofill)による低所得者向けの集合住宅である。
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建築家もこれらの建物も建築界ではたいへん知られた存在であるという。
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見る角度によっては、ちょっとシュールな世界に迷い込んだような感じにもなる。
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広場に面する側を表だとすれば、こちらは裏側。
ガラス面が多く、小さな庭園広場を有している。 -
住宅というのは、実際に住んでみないと良し悪しが分からないが、この最上階からのパリの眺望はさぞ見事だろうなと思う。
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この集合住宅のすぐ近く、カタローニュ広場の西側を少し入ったところには、「労働のノートルダム教会( Église Notre-Dame-du-Travail )」がある。
歴史的建造物としても指定されている、ちょっと珍しい教会建築だ。 -
教会前にあるパリ市の 歴史解説碑によると、シャンドマルスのパリ万博の工事を担う多勢の労働者が14区に住んだため、それまでの教会が手狭となり、1899年~1901年に、新しくこの教会を建設したとある。
手掛けたのは、フランスの建築家 ジュール・アストラック( Jules Astruc ) -
この教会のユニークさは、内部に入って実感できる。
むき出しの鉄骨構造がつぶさに見られ、半円の天井や柱も、鉄骨の存在をそのまま内装にしている。
全部で135トンの鉄鋼を使用しているそうで、ちょうどエッフェル塔の建設の後でもあり、その技術が大いに活用できたに違いない。
労働者のための教会というに似つかわしい -
屋根の上には小さな5つの鐘が可愛く並んでいる。
武骨な内部構造の教会としては面白い組み合わせだ。
すぐ近くに居た佐伯祐三は、この教会の存在を当然知っていただろうが作品としては見出されない。まだ築新しい肌触りの壁面には興味を持てなかったか、あるいは描いたとしてもその作品が焼失してしまったかであろう。 -
カタローニュ広場に面したカフェ。
この大きいけれど殺風景な広場にはカフェが二つしかない。
一つはホテル コンコルドのテラス席なので、厳密にはここだけとも言えよう。
パリの「広場」としては、珍しいほど味気ない場所だ。 -
カタローニュ広場とシャトー通りの境目を示す表示プレート。
広場で分断されたシャトー通りは、ここから再開するが、偶数番地は86、奇数番地は89からで、11番地から途中がないのは、広場によって消失したということだろう。 -
ところどころに昔のままの名残があるシャトー通りは、途中に3か所の交差点をおいて、メーヌ大通り( Av.du Maine) にぶつかるまで続いている。
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レイモン・ロスラン通り ((Rue Raymond-Losserand)との交差点角にあるカフェ「 LES TONTONS(おじさんたち)」
シャトー通りにあるいくつものカフェの中でも印象的な佇まいを見せている店だ。
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佐伯祐三はこの四辻が気に入ったようで、角度を変えて描いた作品をいくつか見ることができる。
現在、「TONTON」の向かいにはプリッツをトレードマークにしているアルザス系のパン屋と別のカフェ・レストラン、斜め向かいは食肉・惣菜店とそれぞれ個性的な店構えを見せている。 -
1925年の作品『アントレ ド リュー ド シャトー』 ポーラ美術館
作品名は、仏語の読みをカタカナ表記にしたもので、「シャトー通りの入り口」の意味。 通りの始まりでもないここが、「入り口」となっているのは何故だろう。
ずっと以前には、ふたつのコミューンの境目にあったということが由来しているのかも知れない。 -
シャトー通りが、エドアール・ジャック通り (Rue Edouard Jacques)とアスリーヌ通り (Rue Asseline) とに交わる五差路。
交差点に面してモロ=ジャフェリ広場(Pl. de Moro-Giafferi)と名付けられた小さな空間がある。 -
佐伯祐三『街角(モロ=ジャフェリ広場)』(1925)ポーラ美術館
作品名に場所が明記されている数少ない例だ。 -
描かれている特徴的な建物は、今でも大きく変わらずにある。
店は代わったであろうが、カフェがあるのも同じ。 -
ディド通り(Rue Didot) とシャトー通りに面するカフェ「Les Rouquins」
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作品『街角(モロ=ジャフェリ広場)』を描くのに、佐伯が腰を据えたであろう側がこちら。
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『パリ風景』(1925)ポーラ美術館
「パリ風景」とは、あまりにも一般的すぎる題名だが、佐伯祐三がシャトー通りに居た1925年に描いた風景であれば、やはりここではないだろうかと思える場所がある。 -
メーヌ通りに出る手前の歩道の先に、やや張り出した建物と全体的に同じ構図と特徴が得られるので、自分としてはここに仮決定。
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他にも気になる建物がシャトー通りのあちらこちらに点在している。
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こちらは、1852年の築年が記されていた建物
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確かこれも作品にあったような気がするが...
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1925年に描かれたシャトー通り以外の作品 『リュ・ブランシオン』
すなわちブランシオン通り (Rue Brancion)
自分にとっては、とても馴染みのある場所で、一目でどこであるかが分かった。 -
描かれた画の現在の様子。
右側の木立はジョルジュ・ブラッサンス公園 (Parc Georges Brassens)で、佐伯祐三の当時は食肉の処理場・市場であった。
作品右手に描かれた特徴ある市場の門も、左手の建物も現存している。
シャトー通りの佐伯の住居からは、歩いて15分ほどの距離である。 -
佐伯祐三が1927年9月に再びパリに来て、住んだのはモンパルナス大通り162番地となっている。
佐伯が暮らした部屋は3階とされているのだが、文字通りの3階でよいのか、フランス式3階(すなわち4階)であるのかは不明。
写真左手に進むと向かい角に「クローズリー・デ・リラ」があり、その先が天文台広場、ルクセンブルク庭園となる。 -
この建物には、かってここに住んだ著名人2名の碑文が掲げられている、
上は女優のリラ・ケドロヴァ Lila Kedrova。
下はロマン・ロラン。
ロマン・ロランは1901~1913年の間、ここで生活し、ノーベル文学賞を受賞した『ジャンクリストフ』を執筆したと記されている。 -
1927年の作品、『オブセルヴァトワール(天文台)附近』
1925年にシャトー街にいたときはシャトー街を主に描き、モンパルナス大通りに居を定めると、直ちにその近隣を描く。もちろんそれが全てではないにせよ、何とも分かりやすい。
絵の右手に描かれているのは、ネイ元帥像とクローズリー・デ・リラの店。
画面中央あたりには佐伯自身の住居も見える。
作品には描かれていないが、左手へ行くと天文台、右下に進むとルクサンブルク庭園となる。
この俯瞰する構図がどこから描かれたのかが分からない。 -
天文台広場の現在の様子。
作品のように俯瞰できるところはない。
今はRER線のポールロワイヤル駅になっている辺りに大衆浴場があったらしいので、あるいはその階上にでも陣取って描いたのかも知れない。 -
こちらも1927年の作品『リュクサンブール公園』
『オブセルヴァトワール(天文台)附近』に描かれた場所と隣接している。
マロニエの並木は、落葉が多くなって樹々の枝がみえるほどに描かれている。
葉の落ち具合から見て10月頃だろうか。
佐伯祐三は翌年の8月に30歳の若さで病死しているので、彼が最後に見た秋風景のひとつだろう。 -
2021年9月に撮影時の様子
もう少し落葉が進めば、樹々の枝が見える程度までいくだろう。 -
1928年の作品『扉』(田辺市立美術館)
扉の上にある数字は27。
シャトー通りではなく、カンパーニュ・プルミエール通り ( Rue Campagne-Première ) の27番地。
カンパーニュ・プルミエール通りは、ラスパイユ大通りとモンパルナス大通りをつなぐ横道のひとつでで、当時の佐伯の住まいからは5分もかからぬ距離にある。 -
現在のカンパーニュ・プルミエール通り27番地。
塗色の違いこそあれ、扉のデザインは細部まで全く同じだ。
佐伯祐三は現場で描くことが多かったという。
この通りは多くの芸術家が住み、アトリエを構えたことで知られているが、当時の芸術家の誰かが、佐伯の作画に目を留めたことがあってもおかしくない。
遭遇した可能性があるのは誰だろう? そんなことを考えてしまう。 -
1928年の作品『パンテオン』
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出先で急な雨に会い、クロード・ベルナード通り(Rue Claude Bernard) の店先の庇を借りて雨宿りをしていた時に、かなり先の正面にパンテオンが見えた。
へえー、こんなところからも見えるんだ、と思って眺めていた。
雨がやみ、立ち去る前に一枚撮り収めたのが偶然にも、佐伯の作品と重なった。
雨宿りがなければ、通り過ごしていたはずだ。
佐伯裕三が絵筆を取ったのはもっと近くであったであろう。 -
パリの13区にビュット・オ・カイユ Butte-aux-Cailles という小高い丘の街がある。
「うずらが丘」とも訳されるが、何だか日本の新興住宅地のようで、やはりここはビュット・オ・カイユで通したいところだ。
この丘一帯にはパリの他の街区にはない魅力があり、モンパルナスからモンスーリ公園へ行くつもりが途中で気が変わってここへ足を向けたことも度々だ。 -
人も車の往来もあまり多くなく、観光客は滅多に来ない。
古い石畳が残り、丘に通じるいくつもの坂道には、それぞれの趣がある。
言わば知る人ぞ知るといった場所といっても良い。 -
丘の上には「Le Temps des Cerises 」(シャンソン「さくらんぼの実る頃」と同名)をはじめ、小さなカフェ、ビストロ、レストランがいくつもあって、おいしい料理を手頃な値段で提供してくれる。それだけでも十分魅力的だ。
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丘へ通じる坂道のひとつがミシャル通り Rue Michal
丘の上を通るバロー通り Rue Barrault からここを下っていくと、佐伯祐三の描いた作品が見えてくる。 -
1928年作の『サンタンヌ教会』〔三重県立美術館:文化遺産オンラインから〕
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正式名称は、サンタンヌ・ド・ラ・ビュット・オ・カイユ教会 (Église Sainte-Anne de la Butte-aux-Cailles)
1912年の建立なので、作品が描かれた時点ではまだ16年しか経過していなかったことになる。 -
ビュット・オ・カイユ には古さが残されている一方で、街中の建物や塀には至る所にいわゆる「ストリートアート」が描かれていて、今やストリートアートのメッカのようになってしまっている。
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大小のさまざまな「ストリートアート」。描くだけではなく立体作品まであるのだから恐れ入る。
これをわざわざ見るために足を運んでくる人も少なくないようで、好きな人にはたまらないのだろうが、ほとんど落書き同然のものも多く、いい加減ゲンナリしてくる。
(アラレちゃんは好きだけど) -
来る度に、古き良きビュット・オ・カイユ が失われていくようで残念でならない。
街の人はどう思っているのだろう。佐伯祐三が健在なら、感想を聞いてみたいところだ。 -
Déjà vu デジャヴュから始まった佐伯祐三との出会いだが、もっと多くの作品を知ればまだまだ発見は続きそうだ。
とはいえ、描かれた作品の場所探しを目的にしている訳でもないので、街歩きを続けながら次の遭遇を自分でも楽しみにしている。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ちゅう。さん 2021/10/24 18:04:22
- 佐伯祐三といえば、パリの街角
- ばねおさん、こんにちは!
新作は、佐伯祐三でしたか。
わたしは愛知県民ですが、ちょうど佐伯氏とも縁が深く、同じくパリの街角を描いた荻須高徳氏の生誕120年ということで、久しぶりに荻須記念美術館に行ってみようかなと思っていたところです。とてもタイムリーでした。
佐伯祐三といえば、パリの街角を描いた画家のイメージでしたが、モンパルナスに住んでいたんですね。今回も「佐伯祐三のパリ」という本を書棚からひっぱりだしてみました。
佐伯の作品と写真との対比を興味深く拝見しまいた。
ポーラ美術館には、藤田の子供を描いた作品がたくさんあったのは覚えているのですが、佐伯氏の作品もあったのですね。
冒頭のモンパルナスの風景、モンパルナスタワーや駅舎に牽引されて周辺もものすごく近代的になっているのですね。ちょっと衝撃的でした。
一方で、Bd Montparnasse 162番地やRue Campagne-Première 27番地のビルがしっかり残っているのは嬉しいですね、さすがパリという感じです。
Butte-aux-Cailleも20年ほど前、フィガロ、マリクレール・ジャポンなどの雑誌で取り上げられていて、13区に定宿があったので散策したことがあります。
認知症の予防に「回想法」というのがありますが、ばねおさんの旅行記は、私にとってまさに回想法の最良の素材となりそうです。
ちゅう。
- ばねおさん からの返信 2021/10/25 03:57:10
- RE: 佐伯祐三といえば、パリの街角
- ちゅう さん こんにちは。
コメントをお寄せいただきありがとうございます。
佐伯祐三と荻須高徳という視点も興味がありますね。
荻須高徳というひとは、日本では十分な評価が得られていないように思いますが、あまり広くは知られていない存在ということからでしょうか。
数年前に亡くなられた知人のフランス帰りの画伯が、荻須高徳と共に収まった写真をとても大切に持っていたことを思い出します。
記念美術館に行かれた感想を旅行記で拝見できることを願っております。
佐伯祐三は独自のキャンバスを作り出して、短期間で多くの作品を描くことが出来た
ということらしいですが、世間ではかなり贋作も出回っていて、それらが独り歩きをしているとも聞きます。
そうなると、自分が記憶している佐伯作品が果たして本物なのか自信が持てず、出来るだけ美術館蔵の作品に絞ってみました。もっとも、美術館にあるから間違いないとは言い切れませんが。
く冒頭のモンパルナスの風景、モンパルナスタワーや駅舎に牽引されて周辺もものすごく近代的になっているのですね。ちょっと衝撃的でした。
モンパルナス1,2,3駅の周りのごく限られた区画は、パリで最も激変した所ではないでしょうか。現在も駅南西部の開発が進行中で、すでに高層ホテルも出来上がり、あと1,2年もしたら、又、別の風景が出現しそうです。
> Butte-aux-Cailleも20年ほど前、フィガロ、マリクレール・ジャポンなどの雑誌で取り上げられていて、13区に定宿があったので散策したことがあります。
おそらく20年ほど前と比較するとかなり変化があるとは思いますが、坂の途中にある一戸建ての並ぶ旧社宅街やアルザスの家などは旧くからの状態を保っています。
> 認知症の予防に「回想法」というのがありますが、ばねおさんの旅行記は、私にとってまさに回想法の最良の素材となりそうです。
自分の旅行記にそのような薬効成分があるとは思いもよりませんでした。
何はともあれ、お役に立てて幸いです。
ばねお
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