2021/07/30 - 2021/07/30
391位(同エリア1746件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,684,154アクセス
- フォロワー151人
ツアーの最終日は白馬のホテルをゆっくりと出発して、一路東に向かい長野市内に入りました。まずは善光寺の参拝ですが、参道のお土産物屋さんの案内と説明が15分ほどあり、残された自由時間は45分だけです。本堂を参拝して地下の鍵を触って来るミッションは地元の同級生からの情報です。 幼馴染みのグループLINEで旅先から写真を送っているので、みんなの代わりにお線香をあげて参拝もしておきます。みんな還暦を迎えようとしているので、こういったことが喜ばれるようになりました。山門に登る時間も無くなり、何とか参道にある「八幡屋礒五郎」で七味を買うとタイムアップで、走るようにバスに戻りました。ここからは信州中野インターから高速に乗って志賀高原を目指します。バスに乗って景色を眺めながらいろいろなことが思い出されてきました。高校生のスキー教室で志賀の高天ヶ原スキー場に来たことや、そこで知り合ったアルバイトの女の子のこと。その後社会人になってから友人とスキーに来て山科の女の子と知り合ったことや、崖から落っこちて第1腰椎を骨折したことなど…。いろいろな思いが溢れるようです。残念ながら高天が原スキー場は横手山へのルートから外れているので通ることはありませんでした。横手山で1度休憩があり、反対側の群馬側の白根山方面を下っていきます。このルートは通ったことが無かったので、今まで2つに分かれていたものが頭の中で繋がった気がします。白根山からの下りはものすごい土砂降りで、草津でのお昼はどうなる事か心配になります。何とか小降りになったところで草津に到着し、湯畑まで下って、温泉卵を食べてそばを食べたらもう出発まで10分しかありません。急いで駐車場に戻りながら「ちちや」で温泉まんじゅうを買って出発です。ここからまた延々とバスに乗って「鬼押出し園」に到着しました。ここでの見学時間は40分しかなくなり、浅間山観音堂まで走るように参拝しました。これで日程はすべて終わりで、軽井沢から碓氷峠を越えて関越道で新宿に向かいます。自宅の最寄り駅前を通った時は「ここで降ろしてくれ!」と思いましたが、終点の新宿で東京モード学園コクーンタワーを仰いで、旅は終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
3日目の早朝も天気は良く、北アルプスの山々がきれいに見えました。
-
12年ぶりの信州の旅でしたが、北アルプスの山並みもしばらく見納めになるかもしれません。
-
2泊目の朝ご飯は洋食のセットでした。量もちょうどよくてオムレツもベーコンも熱々でした。
-
2泊3日の旅も今日が最終日です。あっというまです。
-
栂池のホテルを出発した30分後に白馬の我々がピックアップされるのでsが、朝の30分は大きいので余裕をもって準備できます。
-
クラブツーリズム大型バス2台の方たちが2泊とも一緒でしたが、大浴場でも見掛けることも無く出発する姿も見掛けず出会うのは食事だけでした。なんか不思議な感じがしました。
-
先ほどまで綺麗に見えていた鹿島槍も雲の中です。ホテルは森の中なので近くには景色の開けた場所も無いようなので散歩にも出かけませんでした。
-
周囲はこんな樫やナラの森と小川が流れているだけです。
-
午前8時30分にバスが迎えに来ました。往路と同じタイプの豪華なバスです。
-
ドライバーさんは別の方でしたが、座席は往路と同じ席に座ってくださいとのことでした。
-
白馬の別荘街には瀟洒な建物も多く、車があったら別荘でもなんて考えるのでしょうが、我が家には運転手がいません。
-
白馬を出て大糸線沿いから離れて国道33号線から31号線で長野に向かうようです。
-
天気予報では長野から群馬県は雨の予報ですが、空を見る限りは雨とは無縁のようです。
-
日本の原風景のような景色がしばらく続き、だんだんと山道に変わっていきます。
-
途中にはやたら「おやきの里」の看板がいくつもありました。そういえば今回の旅ではおやきを食べる機会が無かったと思うと余計に食べたくなります。
-
白馬を出て1時間ほどで白馬長野有料道路に差し掛かりました。
-
車窓から変なオブジェが見えました。公園でもない空き地にステンレスのパイプが立っています。安曇野の穂高には中嶋大道というステンレスの彫刻作家さんがいますが、これは莫大なお金をかけて何がしたかったのか…。
-
道路沿いの犀川はダム湖のようになっていました。
-
しばらくすると小田切ダムという東京電力リニューアブルパワーの発電用ダムを通過しました。
-
この辺りから国道19号線になり長野へ向かいます。犀川はこの先千曲川に合流し、最後は信濃川に名を変えて新潟から日本海に至ります。
-
午前10時に善光寺の横にある駐車場に到着しました。ここで参道のお土産物屋さんの方が待っていて、善光寺の参拝についての説明をしながら15分ほど一緒に行動します。
-
駐車場から境内に入ると歴代回向柱納所が目の前でした。数え年で7年に一度開かれる御開帳のシンボルとして前立御本尊と人々との架け橋となった回向柱は、御開帳終了後には経蔵裏手へ移動され、人々の思いと共に長い年月を経て土に還っていくという説明でした。見たところ大体35年くらいで土に還るように見えました。
-
現在は昭和30年の1995年から平成27年2015年までの10本の回向柱があり、一番古い柱は30センチ程になっています。まるで妻の人生そのものを感じて手を合わせます。
-
本堂が見えたので早く参拝したいところですが、説明はまだしばらく続くようです。
-
経蔵は宝暦9年の1759年に建立された宝形造りのお堂で、内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した「一切経」が収められています。
-
中に納められた輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの「一切経」を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また経蔵内には輪蔵を考案した傅大士並びに伝教と慈覚の両大師像が祀られているとのことでした。チベット仏教のマニ車と同じようなものだと思います。思わずオン・マニ・ペメ・フンという六字大明呪(ろくじ だいみょうじゅ)を唱えてしまいます。
-
細かく分けるとオム・マ・ニ・ペ・メ・フムという6つの真言をダライ・ラマは、「これら六つの真言は、私たちの不浄な身体・言葉・思考を、完全に統一された秩序と知恵の教えの道に導くことにより、仏陀になれる」の意と説明しています。
-
山門は寛延3年の1750年に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成14年から19年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
-
楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の1字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に表しています。
-
ここでようやく解放されて参拝に進みます。
-
現在の本堂は宝永4年の1707年の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約29メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。
-
ここもコロナ禍の影響なのか参拝者は少ないようです。
-
子供の頃に京都の祖母が善光寺に参拝した帰りに東京にも立ち寄りました。お土産にもらったのは地獄について描かれた絵本でした。このおみやげはインパクトがあったので、その時の家の中の情景と共によく覚えています。
-
最近の旅行は地元の幼馴染みのグループLINEでタイムリーにコメントと写真を送っているのですが、神棚や神輿を造っている友人からは善光寺の扁額について説明があったり、一緒に旅しているような気分になります。
-
こちらも友人たちに代わって善光寺を参拝している気分になってきます。
-
今年還暦を迎える友人たちなので、代わりに参拝しておきますよと言うととても喜ばれます。幼稚園から中学校までの同級生ですが、お互いそんな歳になったのだと感じます。
-
友人からのLINEのミッションで「鍵に触って来て。」というのがあり、お戒壇巡りのことのようでした。内々陣の奥を右側を進むとお戒壇巡りの入口があります。お戒壇巡りとは瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただくところです。一応入り口の方に「今まで出られなかった方はいませんか?」と尋ねると「大丈夫です。」
-
真っ暗な中を進むのですが、右側の壁の腰のあたりを触っていけば必ず触れるようです。多分祖母もここへ来たのだろうと思いますが、あまりに真っ暗で途中からそんな余裕は無くなりました。
-
還暦のお守りなどあったら買おうと思ったのですが、「厄除けのお守りはありますが…。」とのことなので何も買わず。地獄についての絵本も売っていませんでした。
-
丑年なので牛のおみくじか閻魔様のおみくじを買ってもよかったかなと思いました。
-
仁王門に向かって歩いて行くと綺麗な蓮池がありました。ちょうど蓮の花が満開を迎えていました。
-
蓮の花と言うとカンボジアのトンレサップ湖の近くで数キロにわたる蓮畑をバイクの2人乗りで走ったことを思い出します。乾季の湖の周辺は車の轍がそのまま固まったダート状態で、バイクに乗りにくかったことと、追い抜いていく日本人観光客を乗せたバスから見下ろされた視線は忘れられません。
-
参道を走るように進んで、仁王門も越えていきます。集合時間までもう15分ほどしかありません。
-
探していた「八幡屋礒五郎」に何とかたどり着いて友人たちの分もお土産に七味を買い求めます。小分けの袋もちゃんと用意してくださり、気持ちよい買い物が出来ました。
-
これで善光寺のミッションも完了です。急いでバスに戻らなければなりません。
-
境内地入り口から三門下までの400メートルに敷かれている石畳は、正徳4年の1714年に江戸中橋の大竹屋平兵衛より寄進されたもので、古来より7777枚あるといわれているそうです。その石畳の脇には宿坊がいくつもあります。
-
善光寺には39の宿坊があって、それぞれに御堂があり住職がいるそうです。住職は善光寺如来様に奉仕し、その護持に勤めると共に全国からの参拝者の接待とお世話をしてくださるそうです。
-
仁王門から山門まで綺麗に見通せるほど参道には参拝者が少なく思えました。
-
仁王門は宝暦2年の1752年に建立されましたが、善光寺大地震などにより2度焼失し、現在のものは大正7年の1918年に再建されています。この門には善光寺の山号である「定額山」の扁額が掲げられてあります。
-
仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神と三面大黒天は共に高村光雲と米原雲海の作で須賀、オリジナルは資料館に納められているそうです。三面大黒天が珍しくて写真に撮りたかったのですが、鳩除けの金網が邪魔でうまく撮れませんでした。
-
この後猛ダッシュで駐車場に戻り、集合時間の午前11時10分にぎりぎりセーフでした。バスは一路草津に向かいます。
-
先ほどまで犀川でしたが、ここではもう千曲川と名前が変わっています。
-
長野から湯田中へ向かうJR長野線はいまだに単線だったのだと思います。40年近く前に長野駅の駅ビルに本屋を作る仕事で1か月ほど長野にいた事がありました。その時の休みの日に志賀高原へスキーに行ったのですが、この沿線の小布施辺りの車窓の風景が美しかったことを思い出しました。
-
信州中野からしばらく高速道路に入りました。
-
周辺はリンゴの木とブドウや桃の果樹園のようです。
-
スプリンクラーが回り、トラクターが走る何でもないけど美しい風景の中を走ります。
-
いきなり昭和ノスタルジーを感じるデザインの「ドライブイン」がありました。一気の40年くらい時代を引き戻される気分です。その頃はこういったキャッチーなデザインの建物がたくさんありました。
-
ツアーの次の目的地は草津なのですが、よく考えると志賀高原を越えていくのだと思いました。この辺りをバスで走ると高校生の時のスキー教室のことを思い出してきました。ここを通過するまで全く気にもしていなくて何十年と忘れていた思い出です。
-
学校による集合して夜行バスで志賀高原に向かうのですが、当時はまだ関越自動車道路も無いので国道17号から18号へ入ってのルートでした。明け方に目が覚めると志賀高原根の山道を走っていました。
-
宿泊したのは高天ヶ原スキー場のホテルで、そこの売店に可愛い女の子がいて仲良くなって2年くらい文通した記憶とかが蘇ってきます。信州をバスで走っていると電柱に「中島の頭脳パン」と書かれた看板が数多くあり、現在のようにネットで検索する術もありません。その子に尋ねると「子供達の学力向上を唱って、脳細胞の発達に良いとされる各種ビタミン等を配合して焼き上げたパン」と教えてくれました。
-
残念ながら今回のバスルートでは横手山を越えるので、高天ヶ原スキー場の前は通りませんでした。
-
その後社会人になってからもスキーバスで志賀高原には何度か来たことがありました。その時は京都から来ていた女の子たちと知り合って、住所を交換して写真を送ってもらったり。ただ、その旅ではスキーで第1腰椎を骨折して散々な目にも遭いました。
-
その場所に来なければ思い出さない記憶もあるのだなとつくづく思いました。
-
午後0時45分に横手山ドライブインに到着して、ここで20分ほど休憩になりました。青と白のロゴマークと志賀高原のロゴは思い出の45年前と全く変わっていませんでした。
-
ここまでは天気は良かったのですが、標高が高いせいか小雨が降り始めました。上州方面はあまり天気が良くなさそうです。
-
横手山ドライブインは標高約2,100mの地点にあります。この辺りも昭和の頃から時間が止まったような気分を味わえます。
-
お土産物屋さんで売っているものも昔懐かしい物ばかりです。ここで絵葉書を1枚買ってドライブインのスタンプを押しておきます。
-
草津温泉に向かっての下りに入ると途端に雲が多くなってきます。
-
それはそれで幻想的な風景ではあります。
-
ヘアピンカーブがどこまでも続いているようです。
-
廃墟になったドライブインの横に「緊急避難所」と書かれたコンクリートの建物がいくつもありました。これを見て草津白根山は活火山だったと思い出しました。
-
山頂付近がきれいに見渡せました。2018年には突然噴火して一時は噴火警戒レベルがレベル3まで上がって亡くなった方も出ています。
-
バスは白根山を周り込むように走るので左側の車窓からは山がきれいに見えました。
-
この辺りまでは良かったのですが、この後土砂降りの雨に変わり、草津の自由時間がどうなるか心配になります。
-
草津方面は何となく明るいので問題は無さそうです。
-
草津温泉に着いたのは午後1時45分で、1時間の自由時間になります。湯畑から離れているバスターミナル近くの駐車場なので降りるだけで時間がかかりますし、帰りはまた登らなければなりません。
-
こんなきれいになった草津温泉に来るのは初めてです。最後に来た記憶も定かではありません。この辺りは夜にライトアップしたらきれいでしょうね。
-
温泉街の中心に位置する湯畑は草津温泉のシンボルで、毎分4000リットルの温泉が湯けむりを上げて湧き出ています。湯の湧き出している井桁の中は沸騰してるのが分かります。
-
「草津(くさづ)よいとこ薬の温泉(いでゆ)」なんて言葉が浮かんできます。恋の病以外は全て効くと言い伝えられていましたね。
-
小雨が降っていますが温泉の湯気が上がって風情が感じられます。時間があrえば一風呂浴びたいところですが、自由時間1時間ではお昼を食べるのがやっとです。
-
妻は色々調べてくれているので、時間が無くても安心です。案内されてはいったのが温泉卵の「頼朝」です。
-
ここの温泉たまごは、黄身の半熟具合が絶妙だそうです。カップに卵とタレ・スプーンを入れて販売しているので、その場でも食べやすいです。
-
お店の表のスタンドでぺろりといただきました。さあ、お昼を食べないと時間がありません。
-
時間が無いのでそばにしようということにして、出てきたカップルに「ここのそば美味しかったですか?」と尋ねて入ったのが「湯畑横丁 銀の鈴」というお店です。他にも有名なお店はあるようですが、並んでいる時間はありません。
-
お店の方に事情を話しましたが、料理はすぐに出てきました。生ビールと利き酒セットと、十割そばと天麩羅のセットにしました。
-
上州の日本酒の唎酒は「湯けむりの里」と「谷川岳とび辛」と「水芭蕉」でした。どれも美味しかったですが最初の2つがそばに合うように思えました。ここでも温泉卵が出たので被ってしまいましたが美味しかったです。何とか30分弱で食べ終えてお店を出られました。
-
湯畑(ゆばたけ)とは温泉の源泉を地表や木製の樋に掛け流し、温泉の成分である湯の花の採取や湯温を調節する施設のことです。また、曝気することで有害な濃度の硫化水素を除去する役割もあるようです。
-
子供の頃はスキーへ行った帰りにお土産として湯の花をよく買いました。何度か家のお風呂で温泉気分を楽しんだ記憶もありますが、風呂釜が傷むのかそのうち母に捨てられていたのだと思います。
-
近くに「足湯」の施設もありますがそんな時間も無いので、横にあった「手湯」で手を洗うだけで湯畑を後にします。
-
先を歩いていた妻が消えたと思ったら「ちちや」で温泉まんじゅうを買っていました。温泉まんじゅうは美味しいですよね。
-
熱乃湯の「湯もみと踊り」ショーも見ることが出来ませんでした。バスターミナルの前の駐車場にはなんとか時間前に着きましたが、最後の登りはきついです。
-
草津温泉のローソンはこんな風に環境を配慮したデザインになっていました。
-
同じツアーのおじさんの中にはお昼など食べないで日帰り温泉で一風呂入ってきた方もいました。ここからはさらに「鬼押出し園」に向かいますが、すでに午後2時40分です。
-
草津からは嬬恋高原を抜けて行くので周囲は高原キャベツの畑がたくさんありました。
-
こんなところに止まってお土産が買えればよいのですが、バスは無情にも走り抜けるだけです。
-
午後3時過ぎに吾妻川を渡って、JR吾妻線の万座・鹿沢口駅を通過しました。
-
そして午後3時30分に「鬼押出し園」に到着しました。ここの入場料も含まれているのでありがたいツアーです。ここでの見学は40分と短めで、さらに係員さんの案内を聞きながら中に入ります。
-
浅間山が全部の姿を見せたのはこの時だけでした。係員さんの説明が終ると雲に覆われてしまったのですごいタイミングでした。
-
説明にあったのが山頂にある「千トン岩」です。1950年の噴火で河口から飛び出た火山弾で実際は3000トンほどあるそうです。説明が終って、「30分あれば浅間山観音堂まで行ってお参りして戻ってこれます。」と言われたので先を急ぎます。
-
浅間山で思い出すのは昭和47年の8月に家族で軽井沢から浅間山へ登って、小諸側に降りて懐古園へ行った旅です。
-
浅間山の火口付近はこの後の火山噴火に伴い、昭和47年の1972年より立ち入りが禁止されているようです。
-
立ち入り禁止になる少し前の山頂から見た噴火口です。この当時小学5年生を筆頭に3年生と幼稚園児を連れて良く登ったものです。
-
帰りは山を下る途中で弟と蛇を捕まえてキャラメルコーンの袋に入れていました。バスに乗って小諸に着いて「懐古園」の中を歩いているうちに弟が蛇に噛まれてしまいました。父に怒られるので黙っていたのですが、通りがかりの方に「マムシですよ。」と言われて大慌てで、救急車を呼んでもらって佐久病院に入院です。何十年か後に信濃日報に投書して、通りがかりの方を見つけて両親は小諸までお礼に行きました。そんな思い出のある場所でもあります。
-
鬼押ハイウェーを走る昔懐かしい西武バスです。高校生のころ通学で使っていたのですぐに分かりました。
-
「あさま」は火山を示す古語とされ、富士山の神を祀る神社が浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれるのも同様の理由であり、阿蘇山の「あそ」も同系のことばであると言われます。浅間山も多くの山々と同じく古くから山岳信仰の対象となっており、浅間神社が鎮座しています。
-
鬼押し出し園の浅間神社は東京上野の寛永寺の別院である浅間山観音堂で、これは浅間山噴火の犠牲者を弔う目的で1958年に勧請されたものなので富士宮などの浅間神社とは祭神が違います。
-
江戸時代の天明3年の1783年に浅間山が大噴火し、その際に最大の被害を受けたのが鎌原村で、当時寛永寺の末寺として浅間山明神の別当寺である延命寺という寺があったそうです。この寺も噴火により埋没しているそうです。
-
この一帯は噴火の際に流れ出た溶岩で埋め尽くされています。これで浅間山がきれいに見えたらよかったのですか。
-
同じツアーの方々は目にも留めませんが、我が家には気になってしまいます。西武グループの創業者の堤康次郎が1919年にこの一帯を訪れ、既にリゾート地として知られていた軽井沢に比較的近い立地を活かして観光開発の対象とすることを考え、1920年に鬼押出し六里ヶ原の国有地80万坪の払下げを受け、1928年にはバス運行を開始するなどの観光開発を推進します。
-
鐘楼を過ぎればすぐに本堂です。
-
溶岩の大地に松の木が生え、石燈籠の参道を越えると赤い太鼓橋というシュールなデザインが続いています。
-
本堂に到着しました。入口から見るのとは違った建物に見えてしまいます。
-
ここまで来たので参拝していきましょう。熊手が売っていたので何故か買ってしまいました。毎年新宿の花園神社のお酉様に入っているのですが、馴染みの屋台も出ないので足が遠のいています。早くコロナが収束することを願います。
-
熊手を持って浅間山と記念写真を1枚。マムシに噛まれませんように。
-
往路は表参道を歩き、帰りは裏参道を下っていくことにします。
-
下り坂なので歩くのも少しは軽やかです。
-
鬼押出し園から軽井沢を越えてゴルフ場を通り抜けて碓井軽井沢インターから高速道路に入ります。
-
高速に入ると途端に土砂降りになりました。久し振りに高岩山の姿を見ました。この辺りの山は妙義山を含め日本の山とは思えない急峻な岩山が多いです。イタリアのコルチナでドロミテの山々を見た時に妙義山を思い出したことがありました。
-
横川の峠の釜めしの売店がありました。新宿到着は遅くなりそうなので釜めしが買えればと思っていましたが。
-
碓井峠を越えると土砂降りの雨は止みました。
-
時間が遅れたのは運転手さんが鬼押し出し園から軽井沢に抜ける道を2回間違えたからなので、すごいスピードで関越を飛ばしていました。高坂で一度トイレ休憩がありましたが、横川で午後5時を回っていたので午後5時30分に新宿に着くわけがありません。
-
新宿に着いたのは午後8時前でした。運転手さんは気の毒なほど頭を下げています。旅は今回も新宿西口の東京モード学園コクーンタワーで始まり、そして終わりました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2021上高地と黒部ダムと善光寺の旅
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
長野市(長野) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2021上高地と黒部ダムと善光寺の旅
0
122