2019/09/22 - 2019/09/22
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su3さん
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朝ご飯をたっぷり食べていざ伏見稲荷大社へ。動きやすい服装と歩きやすい靴で参拝がてら稲荷山に登ってみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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昨日たくさん動いてしっかり寝たためか、気持ちよく起床。お腹が鳴っていますね。身支度を整え出発。昨晩は気付かなかったのですが、エントランスには薄が飾られていました。そういえば、今は9月だ。
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堀川沿いのバス停でバスを待ちます。
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バスを降り、トコトコ歩いて開店時刻より少し早くお店に到着。
京菜味のむら 烏丸本店 グルメ・レストラン
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まだ開店していませんが行列ができていました。
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お目当ては朝食おばんざいセット。
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開店して直ぐに案内されたのは坪庭が見える席。
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朝食おばんざいセット。ご飯はゆば丼Ver.もあったけれどおばんざいとごはんの組み合わせを求めていたので今回はパス。
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10種のきんぴら。
栄養バランス抜群です。きんぴらって好きなんですよね。 -
夏野菜の煮物。
胡麻が入っているのでコクがありますね。 -
鶏肉の餡を絡めたものはご飯が進み過ぎました。
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じゃこ高菜もご飯が進む。
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水菜と湯葉の煮びたし。
サッと煮てある水菜と湯葉がしっかり出汁を吸い込んでいて美味しい。 -
がんもと野菜の炊いたん。
出汁の滲みたがんもって美味しいですよね。 -
京都の白みその味噌汁は甘くて好きなんですよね。
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雑穀米のごはん。白米も選べます。おばんざいが美味しすぎてご飯お代わりを3回もしてしまいました。自分が朝食をたくさん食べる方だとは知っていたけれど、我ながらやりすぎたなと思っています。
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美味しくって予想以上に食べすぎのおなかを抱えてお店を出ます。
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歩いていた時に見えた山伏山町家の会所。
祇園祭の折に窓が取り外された2階で御神体、1階で懸装品を見ることができるそうです。 -
お店から出て歩いている時に見かけた立派な門。
京都芸術センター 美術館・博物館
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近づいてみると京都芸術センターの文字。
この場所は元は明倫小学校でしたが、1993年に閉校になったため、その跡地に京都芸術センターが開設されました。まだ開館時間ではなかったので開いていませんでしたが、いつか足を運んでみたいものです。 -
マンションの前に何かありますね。
室町時代の末、このあたりには夷を祀る社があり、その境内に名水「菊水の井」が涌き出ていたそうです。千利休の師・武野紹鴎は、この名水を愛用してこの地に大黒庵を建てました。菊水井は、謡曲「菊慈童」の「菊の葉に記しておいたところ露が滴り、この水を飲んで不老長生した」という故事に因んでいるそうです。
平成15年まではここに金剛能楽堂があり、そこに井戸が残されていましたが、能楽堂の移転にともない、旧井戸から発見された菊水の文字入り井桁組の石を使って菊水の井跡の碑が建てられました。祇園祭の菊水鉾もこの井戸から名づけられているんだとか。菊水の井跡 名所・史跡
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伏見稲荷駅に到着。
ちょこんと可愛らしい白狐がいました。伏見稲荷駅 駅
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2017年にリニューアルされた駅は伏見稲荷大社を思わせるカラーリングやデザインに溢れていました。
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足元にも白狐。
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ロッカーにも白狐。
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神幸道にある裏参道を通りましょうか。
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伏見稲荷商店街は割と早めの時間だったこともあり、思っていたより人は少なめ。
伏見稲荷参道商店街 市場・商店街
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まだ店が開いてないけれど、こんなものが店先に展示されていました。
やっぱり雀の丸焼きが有名な土地だけありますね。 -
出店も出てますね。
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鳥居をくぐって境内奥に向かいましょう。
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全国に約30,000社あると言われる稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社は割と早い時間なのにもう人でいっぱいでした。
伏見稲荷大社 寺・神社・教会
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大きくそびえる二番鳥居。
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外国の方もいっぱいいらっしゃいますね。
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まずは手水舎で清めましょうか。
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手水舎内には作法や柄杓の使い方が絵付きで書かれた看板がありました。柄杓に直接口をつけないで掌に水をのせて水を口に含むというのは、言われなければ分かりませんもんね。
蟇股のデザインが可愛いです。 -
楼門に行ってみましょう。
母である大政所の病気を治してくれたら一万石を寄進するとして稲荷社に祈願し、快復したことを喜んだ豊臣秀吉により1589年に建立された楼門は、南・北廻廊とともに国の重要文化財に指定されています。楼門前の両脇には眷属の白狐が鎮座していました。 -
こちらの御狐様は鍵を咥えていますね。
鍵は霊徳を身につけようとする願望の象徴なんだそうです。 -
こちらは宝珠。
伏見稲荷大社には玉鍵の信仰があるそうで、玉と鍵は陽と陰、天と地を示しているもので、万物はこの2つの働きによって生成され、育っていくことを象徴しているといわれています。また、お使いであるそれぞれ狐が玉と鍵をくわえている姿は、稲荷大神の神徳が狐によって人間に運ばれることを示すと同時に、人間の願望を預かって稲荷大神へ届けようとする信仰を象徴しているそうです。 -
楼門の左右には弓を持った像が安置されています。
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二像とも神様を守る存在である随神なんだそうです。
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1589年に秀吉によって寄進された楼門ですが、1694年には西側に約10メートル移築され前方の石段が造られたそうで、1973年に行われた楼門の解体修理時には「天正17年」の墨書が発見されています。
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裏から見た楼門。両脇の南・北廻廊の中には入れませんでした。
1694年の移築時に、それまで築地塀であった南・北廻廊が絵馬掛所として新造されたそうです。 -
楼門をくぐると見えた外拝殿。
国の重要文化財に指定されている入母屋造の社殿で、1589年にはあったようです。この頃の社頭図では四間四方の大きさでしたが、江戸時代末期の1840年に稲荷祭の五基の神輿を並べるため、間口五間で奥行き三間の間取りに建て直されたんだそうです。 -
内拝殿ができるまでは外拝殿は単に「拝殿」と呼ばれており、1780年に刊行された「都名所図会」にも現在と同じ位置に見られるそうです。
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軒下四周に吊るされた12基の鉄製灯篭には、春分点を基準にして、黄道帯を30度ずつ12等分し、付近の星座の名をあてはめた、黄道12宮の透かし彫りがなされているようです。ぐるりと外拝殿を回って、鉄製灯籠を見てみましょうか。
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白羊宮。
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金牛宮。
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双児宮。
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巨蟹宮。
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獅子宮。
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処女宮。
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天秤宮。
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天蝎宮。
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人馬宮。
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磨羯宮。
磨羯はインド神話に出てくる上半身がヤギ、下半身が魚の姿をしている「マカラ」という怪物のことです。 -
宝瓶宮。
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双魚宮。
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外拝殿の近くにあった参拝者休息所。
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外拝殿を一周したら唐破風屋根の華やかな内拝殿に向かいましょう。
内拝殿には10本ほどの鈴の緒がたれており、奥に鎮座する本殿に向かって絶え間なくお祈りをしていました。
本殿の御祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神の五柱。927年の延喜式神名帳では、「稲荷神社 三座」と記されているそうで、宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神のみだったようですが、いつの頃からか残り二座増えたとのこと。 -
こちらの御狐様は何も加えていませんが、凛としていて美しいですね。
尻尾には宝珠のような火が輝いています。狐火でしょかね。
余談ですが、狐の尻尾に火が灯り、夜な夜な狐が夜会をしているという話が古くから存在しますが、これらの狐火は亡くなった人の魂であると言われ、魂を鎮めるために油揚げをお供えすると、狐火は悪さをせずにスーッと消え去り、福をもたらすようになったと言われています。 -
こちらは稲穂を咥えていますね。こちらも尻尾には狐火らしき宝珠のような火が付いていました。
そういえば、お稲荷さんの神紋は抱き稲の紋。稲穂は、昔から人間の霊肉を活かして養う霊妙な力があると信じられており、稲荷信仰において信仰対象の一つになっています。稲穂に関する逸話は複数存在し、伏見稲荷大社の由緒となっている「餅の的」にも登場していますね。 -
拝殿横にある授与所は行列になっていました。
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本殿のすぐ近く、北東の位置に建てられている権殿は、社殿を修理する時に一時的に御神体をお移しするための社。明応遷宮記録の記載から、1499年以前には伏見稲荷大社の境内に存在したようです。
現在の建物は1635年に建立されたもので、本殿を一回り小さくした五間社流造、屋根は檜皮葺の仮殿となっています。再建された場所より1959年に東北側に移築されているんだそうです。 -
権殿の裏側を見てみると、柱間が5つになっていますね。
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講務本庁は立ち入り禁止。
真っ赤な玄関扉が印象的ですね。 -
講務本庁横にある鳥居をくぐって上に行きましょうか。
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こちらの御狐様が咥えているのは巻物。
巻物は知恵を象徴です。また、この巻物は神仏習合時代に用いられていた経文とも言われています。 -
こちらは宝珠を咥えています。
ちなみに、打ち上げ花火が上がったときに上がる定番の掛け声「たまや~」「かぎや~」という有名な掛け声ですが、実は江戸時代の花火屋の屋号「鍵屋」と「玉屋」が、お稲荷さんの狐が鍵と玉をくわえていることに由来しています。鍵屋の七代目番頭として働いていた清七は、腕の良さからのれん分けが許され、お稲荷さんの使いである狐がくわえる玉から取った玉屋を屋号として開業。稲荷の祠は江戸中に祀られ「商売繁盛の神」として信仰されると同時に、江戸時代の過密な住宅事情により「火除・火防の神」としても信仰されていたことなども屋号に選ばれた理由にあったようです。ちなみに、鍵屋からのれん分けした玉屋は、失火により廃業しましたが、鍵屋は現在もなお続いているそうです。 -
階段を登っている横には祠がずらり。
上末社と呼ばれる社だそうです。 -
こちらは長者社。
一間社流見世棚造の社には、稲荷神社の旧社家である秦氏の祖神が祀られています。1499年には境内社としてすでにあったようで、社殿の化粧部材はほとんど江戸初期の材が残されており、1694年以前からある建物を現在の地に遷したものなんだそうです。 -
こちらは荷田社。
御祭神は稲荷神社の旧社家である荷田氏の祖神。荷田氏は『稲荷山明神流記』や『水台記』などには、荷田氏が稲荷山を神と崇める形でここに住んでいたと考えれる記載があるようで、秦氏が渡来人としてこの地に定着する以前にいた氏です。
この社殿は、1176年の荷田氏の祖である荷大夫没後、『稲荷山の命婦社の南に社を造り霊魂を祀る』という記録があり、1694年に現在の地に再興されました。 -
こちらは五神が祀られている五社相殿。
御祭神は右から八幡社の応神天皇、日吉社の大山咋神、若王子社の若王子大神、猛尾社の須佐之男、蛭子社の事代主神だそうで、古くは1459年の記録にもある若王子社などといった、かつて稲荷山および付近に鎮座していた五社を1694年にこの場に合祀したんだそうです。造りも小規模な社殿で用いられる見世棚造がこの横幅の社殿で用いられているという稀なケース。 -
こちらは両宮社。
御祭神に天照皇大神と豊受皇大神を祀っています。伊勢神宮の内宮の正宮と外宮の正宮に祀られている神様ですね。1694年に再興された二間社切妻見世棚造の社ですが、1589年時点では神明造の社だったようです。とはいえ、伊勢神宮の内宮と外宮の両方に倣ったのか、千木の先端が内削ぎと外削ぎが同時に採用されていたり、鰹木の数は…まあ、一社なんであれですがちゃんとあったり、現在の社の基本の造りも新明造。お伊勢さんと繋がってますね。 -
こちらは供物所。
1859年に建立された入母屋造、銅板葺、妻入の建物ですが、もとは桟瓦葺だったそうです。平成の修理により銅板葺に切り替えられたとか。 -
正面中央格子戸の下部に開口部があり、供物を外部より差し入れる形式の供物所だそうです。
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唐破風の向拝が設けられた玉山稲荷社。
御祭神は玉山稲荷大神で、一間社流造、檜皮葺の社殿は1874年にこちらに遷座されました。本殿の扉の前には白狐が向かい合い、右は宝珠を、左は一端に総角結びの先に房が付いた巻物を咥えていました。もとは、東山天皇が宮中で奉祀されていた稲荷社を天皇崩御後に松尾月読神社の社家松室重興氏が預かり、後高野の私邸内に遷座後にこちらに移したのだそうです。 -
玉山稲荷社に向かって右隣には神馬舎がありました。
江戸時代に建てられたものだそうです。 -
さらに奥にある鳥居をくぐります。
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奥にも神馬舎。
こちらは昭和になってから建てられたもののようです。神馬一頭だけではなく、傍らに仔馬の様な像もありました。 -
神馬舎横の階段を登りましょうか。
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ぞろぞろと右側だけ人が登っていました。
なんかあるのかなと思いつつ、同じように階段の右側を登っていきます。 -
階段を登り切ったところには御狐様。
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天井の模様が可愛いです。
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反対側にもいらっしゃいますね。
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こちらは平安時代前期に創建された白狐社。
稲荷大神の眷属である白狐をお祀りしている末社のひとつで、御祭神は命婦専女神という白狐。白狐の「白」は神様と同じく見えない存在=透明であることを表現しているそうです。現在の建物は寛永年間に再建され、1649年に玉山稲荷社から移築された物。
「稲荷大明神流記」には、霊智を備えた老狐夫婦が稲荷神の前に現れ、眷属となり神威を借りて参詣者や信仰者を助けたいと願い出たところ、稲荷神は夫狐に「小薄」と名乗り上之宮を、婦狐に「阿古町」と名乗り下之宮に仕えるよう告げたとあります。
これが伏見稲荷大社の眷属神が白狐となった起こりとされています。
ちなみに「稲荷大明神縁起」には、伏見稲荷大社に七日間参籠していた内命婦に月経が起こったが、続けて参籠していると稲荷神からのお怒りを受け慌てて退出、後に藤原頼道の正妻となったので「命婦」の号を「アコマチ」に譲ったとあります。「アコマチ」は「稲荷大明神流記」に言う「阿古町」で、婦白狐に「命婦」の号を譲ったということ。これを機に白狐の格が向上したとされています。 -
白狐社の横には奥宮。
大きな社殿ではありませんが、稲荷大神を祀る社として古くは上御殿と呼ばれており、主祭神である宇迦之御魂大神が稲荷大神と同一だと考えられているそうで、境内社の中でも別格の社です。安土桃山時代に建立された本殿と同じ流造の社殿は国の重要文化財に指定されています。かつてはご本殿から奥宮まで回廊が渡されていたそうです。 -
更に奥に進みましょう。
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千本鳥居に到着。
この場所から奥社奉拝所までの間に連続して造営されている鳥居が「千本鳥居」なんだそうですが、現在の鳥居の数は850基前後なんだそうです。 -
ずらりと奥に並んでいる鳥居をくぐっていきましょう。
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ここから二又に分かれるんですね。
どちらに行こうかな…。 -
よし、右を歩こう。
ずらりと並ぶ鳥居は壮観です。江戸時代以降、願い事が「通る」「通った」お礼の意味から、鳥居を奉納するようになったそうで、鳥居の朱色は豊穣を表しています。同時に朱色の原料となってる丹は鉛丹の原石から焼成された絵具で、四酸化三鉛を含む有毒の塗料なんですが防腐剤にもなってるんですよね。 -
しばらく歩いてから振り返ると鳥居が建てられた年月日が記載されていることに気が付きました。割と新しいんですね。
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朱いトンネルのように続く鳥居内は、外の世界と遮断されているような感覚になります。鳥居内に下げられた灯籠が赤い鳥居と良いコントラストを醸し出していました。
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出口らしき場所が見えてきました。
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奥社奉拝所に到着。
奥院とも呼ばれる稲荷山の神々を遥拝する所で、稲荷山三ケ峰を廻る「お山めぐり」の起点でもあります。奥社奉拝所の周辺は命婦谷と称されている場所だそうでで、中江の由来は「命婦」の号をおくられた婦白狐からきているんでしょうかね。
創建時期は室町時代中頃なんじゃないかなと考えられているようですが、実際のところは不明。現在の建物は1794年の罹災後のものだそうで、1975年には社殿を後方に移し拝所が設けられました。右奥には灯籠の前で願い事を着願した後、燈籠の空輪を持ち上げてみて、軽いと感じれば願い事は叶い、重いと感じると叶わないといわれている「おもかる石」がありました。高野山でもあったな、そういう石。 -
奥社奉拝所の左手側にある鳥居からお山に向かいます。
稲荷山 自然・景勝地
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お山するぞー。
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たくさんの人と共に鳥居を進みます。
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ずらりと続く鳥居を30mほど進むと途中になにかありますね。
ぞろぞろ人が並んでいます。行ってみましょうか。 -
こちらが根上がりの松。
稲荷山には数千もの小さい祠や石碑があるのですが、それらはお塚といいます。こちらもお塚の一つともされています。根っこが上がっていることから、株の値が上がると証券を扱う方に人気のスポットなのだとか。 -
もともと根上がりの松はもう少し参道に近い場所にあったそうですが、木としての寿命を終えて枯れたので、現在の位置に移されました。
素朴な庶民の信仰として持ち上がった松の根が、人々がひざまずいてお祈りする姿に似ていることから「膝松さん」とも呼ばれ、松の根元をくぐったり、木の肌を撫で身体の痛むところを撫でると、腰痛や神経痛がよくなるとも言われていると知り、それはくぐらねばと存分にくぐってきました。 -
根上がりの松の近くには、狐像が3体乗った岩がありました。
岩場で遊ぶキツネたち。 -
石塚と鳥居がのった祭壇らしきものもありました。
玉姫大神、福玉大神、鷹大神、福徳大神、荒木大神などお塚に祀られている神々だそうです。 -
根上がりの松から鳥居の道を挟んで反対側にはこんな案内板がありました。
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伏見神宝神社という神社があるようです。
訪れてみましょうか。 -
案内に沿って階段を登ると山奥に続く道が続いていました。
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先ほどの喧騒はどこへやら。途端に静寂に包まれた道をさらに奥に進みます。
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伏見神宝神社に到着。
鳥居の前には白狐じゃなくて狛犬。足で鞠を踏んでいますね。伏見神宝神社 寺・神社・教会
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こちらの神社には饒速日命が天神御祖から授かったとされている、興津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼といった10種の神宝が奉安されているそうで、社名に「神寳(神宝)」の文字が入っています。
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平安時代に稲荷社が山上に祀られていた頃、創祀されたといわれています。天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠しています。伏見稲荷の境内にありますが独立した神社なんだそうです。
拝殿前には珍しい狛龍が鎮座していらっしゃいました。 -
右の天龍。
阿形っぽい口の形をしていますね。 -
左の地龍。
こちらは吽形っぽい口の形をしていました。 -
かぐや姫が描かれた絵馬がたくさん掛かった龍頭社の横を過ぎて奥に向かいます。ちなみに扁額には龍頭大神とありました。龍頭社の前には大伴家持の像。
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拝殿の裏手側はこんな感じになっていました。
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こちらは稲荷山を遥拝する場所なんだそうです。
鳥居が竹ですね。しめ縄には隼人の盾の魔除け札が下げられていました。境内には竹林があり、この地が竹取物語の伝説発祥の地とされているそうで、先ほど見たかぐや姫の絵馬もそこからきているようです。竹の鳥居の奥には岩柱。 -
左側には祖霊社。
歴代の神主や神官やその関係者たちが祀られています。 -
これは何でしょうかね。
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伏見神宝神社の参拝を終えてもと来た道を戻ります。
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道を歩いている時に気づいた看板。
この辺りは鞍ヶ谷礫層という地層がある場所で、その昔は河原だったんですね。鳥可愛い。 -
階段を下りて鳥居の根上がりの松がある場所に戻ります。
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熊鷹社の方に向かいましょうか。
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鳥居の途中に抜け道があったので、そこを左に曲がると石の鳥居が見えました。神道御徳社という伏見稲荷大社とは別の宗教団体がこちらにあるようですね。
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神道御徳社本部に向かう途中にある神塚と呼ばれている場所。
鳥居の向こう側には文字が刻まれた数多くの石が立ち並んでおり、どうやら伝法池のお塚のようです。 -
月日之宮本宮という神社。この稲荷山にある月日之宮本宮は第二本宮で、第一本宮の場所は鴨川に架かる勧進橋の近くにあるそうです。
この先は神道御徳社本部と書かれた赤い札が付いた鳥居があり、奥は私有地で立ち入り禁止になっていました。鳥居の方に戻りましょうか。 -
鳥居に戻っている時に見えた景色。
根上りの松から三ツ辻への参道が一旦下がって谷になっている場所がありました。この辺りにかつて池があったのでしょうか。 -
ずらりと並ぶ鳥居。
山にある鳥居は約1万基あるといわれていますが、実際は2010年の段階で3380基だったそうです。1万基はないとはいえ、それでも多いですね。 -
鳥居内に戻って歩を進めましょう。
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朱色と緑の世界が続きます。
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どんどん進むぞー。
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川が流れていますね。江戸時代に造られた農業用溜池である新池から流れているのでしょうか。
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川沿いに沿って進んでいきます。
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天気が良くないけれど、日差しが強くなかったこともあり涼しいので移動が楽です。
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長い鳥居を抜けると、目の前に無数のお塚が並ぶ光景が広がっていました。
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後ろを振り返って見えた鳥居。美しい。
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屋根付きでかなりしっかり祀られたお塚がいくつかありますね。
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新池に続く階段の下の辺りにある祠は福繁大神・大岩大神・白玉大神のお塚。
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垂れ幕が良い感じのお塚。
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奥には白龍大神や光長大神を祀っているお塚が見えますね。
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階段脇にたくさんのお塚がありました。
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階段を登った先にある鳥居をくぐって上の広場に行きます。
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熊鷹社がある場所に到着。
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手水舎で清めます。
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巨大な覆屋の下で蝋燭の火に囲まれて熊鷹稲荷大神と刻まれたお塚が祀られていますね。蝋燭の灯が不思議な雰囲気を醸し出している光景にしばし見とれてしまいました。熊鷹社に祀られる熊鷹大神はここぞという大勝負の時に参拝すると良いと言われています。
熊鷹社で蝋燭等を供えてから祈願し、難切り不動尊の横から池に向かって二拍手すると、こだまが返ってきた方角が幸運の方角であるんだそうです。こだまが早く返ってきたら祈願成就は早く、遅く返ってきたら祈願成就は遅いとか。ちなみに熊鷹社の背後に広がる池の名前は新池ですが、行方不明になった人を探す時にこの池のほとりで手を叩き、こだまが返って来た方角に手がかりがあるという言い伝えから、別名で谺ヶ池とも呼ばれているそうです。
余談ですが、高島屋の京都店屋上には熊鷹稲荷大神が、新宿店屋上には熊鷹社がそれぞれ鎮座しているんですが、これらはこの伏見稲荷の熊鷹社からの御分霊を祀っているそうです。 -
熊鷹社の向かいにある竹屋の五福餅が気になりましたが、それお程お腹も空いていなかったのでここはパス。ひと休みできるところがあるのは良いですね。
竹屋の窓ガラスには、熊鷹社の参拝方法が書かれた紙が貼られていました。竹屋 グルメ・レストラン
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御山参道を更に進みましょう。
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さあ、登るぞ!
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長い坂道が続きます。
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とはいえ、足元が整備されているので歩きやすいです。
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三ッ辻まで来ました。
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四ッ辻までの参道を登っていきます。
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参道沿いにあったお塚。
手前が青木大明神、奥が春繁大神のお塚のようです。 -
そのお隣には榎木大神のお塚。
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お塚の前には京屋という茶屋がありました。
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また鳥居が続きだしました。
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ありゃ、鳥居の木の根元が腐って倒れちゃったあとかしら。
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中心には瓢箪の形をした大松大神のお塚。瓢箪の形から、お酒の神様として崇められているとか。
大松大神のお塚の右側は小松原大神、左側は西?大神・松岩大神のお塚がありました。 -
大松大神の前にある座敷が広々としたお茶屋の瓢亭。
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瓢亭から更に上に登っていきます。
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登るぞ、登るぞー!
オレはやるぜオレはやるぜ(byシーザー -
三徳社。
三徳大神は三徳=衣食住の徳で衣食住にまつわる神様。漁業関係者の間では大漁祈願にご利益があると伝わっていて、東京の築地からの参拝の方も多いとか。 -
三徳社の前にあるお茶屋の三徳亭ではレッドブルがたくさん冷やされていました。参道を登るためのブースターみたいなものでしょうか。
三徳亭 グルメ・レストラン
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階段を更に登ります。
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市内が山の間から見える場所がありました。
結構高いところまで登ってきたんですね。 -
参道の鳥居手前に中央に藥一大神、左には杉原大神・松永大神・小女郎大神が、右のには奥村大神と並んで鞍馬大僧正が祀られていたお塚がありました。鞍馬天狗?
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お塚横から続く鳥居を更に進みます。
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ここも鳥居が腐って折れた跡がありますね。
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これが折れた鳥居でしょうか。
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振り返ってみると、結構急な階段を登っているんだなと実感。
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四ッ辻まであともう一息です。
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四ッ辻に到着。
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眺めが良いなぁ。
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四ッ辻の足元には丹波帯2億年前のチャートが露出している所がありました。
チャートは堆積岩の一種でとても硬いため、こんな場所でガッツリむき出しになってるんでしょうね。 -
四ッ辻茶屋のにしむら亭。
にしむら亭は、創業はなんと1864年の店で俳優の西村和彦さんの実家だそうです。店内では稲荷すしやうどんがいただけ、飲み物やソフトクリームなどはテイクアウトで販売しているので、たくさんのお客さんで賑わっていました。
ちょっとこの辺りで休息をしましょうか。にしむら亭 グルメ・レストラン
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