2013/11/27 - 2023/07/22
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タケさん
2021年2月1日、ミャンマーで国軍が突然クーデターを起こし、アウンサンスーチー 国家顧問-75才-らが拘束されて、国民民主連盟(NLD)の政権が覆された。 以降 各地で大規模な人民デモや不服従運動等が続いており-国軍の発砲により多数の死者も発生ー、インターネットや報道機関等の情報規制もなされている とのことで、早期の真の民主化を祈るばかりである(6/8現在 彼女の軟禁場所不明)。
世界中で大きな注目を浴びているミャンマーについて、経験を含めて 当方の知り得る情報をここにまとめて紹介したい。
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[滞在国位置図]
東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家で、タイ,ラオス,中国,インド およびバングラデシュの5ヶ国と国境を接する。 -
[ミャンマー概要]
ミャンマー連邦共和国(Republic of the Union of Myanmar) 通称「ミャンマー」は、1948年にビルマ連邦共和国としてイギリスから独立。その後、ミャンマー国軍がクーデターを起こして軍事政権を開始。 2010年の総選挙で軍事政権が正式に解散し、アウンサンスーチーや政治犯の釈放とともに 貿易などの経済制裁が緩和された。が、政府の少数民族への扱いや民族反乱への対応,宗教的な衝突への批判が続いている。2015年に行われた画期的な選挙では、アウンサンスーチーの国民民主連盟(NLD)が両院で過半数を獲得した。が、ミャンマー軍は依然として政治に大きな影響力を持ち続けていた。
ASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟しているが、英連邦には加盟していない。
ヒスイや宝石,石油,天然ガスなどの鉱物資源が豊富な国で、再生可能エネルギーの太陽光発電のポテンシャルは大メコン地域の中で最も高い。
多民族国家であるが、人口のうち70%をビルマ族が占め、住民の大半が上座部仏教(=小乗仏教)を信仰する。公用語はビルマ語。
2006年に旧首都ヤンゴンに代わり 中央部に位置するネピドーが首都となった。 -
[ビルマの竪琴他]
我々にとっては未だ秘められた国 ミャンマー(旧ビルマ)は、前々から一度は訪れたいと思っていたところなので、以前に勤めていた設計会社から話があった時は 驚きと共に大きな悦びだった。暗闇の中を走る車の中で見た旧首都ヤンゴン(「ヤンゴウ~~ン」と発音するよう=旧名ラングーンの名残り?)の街中は旧首都といいながら、カンボジアのプノンペン等と比べると灯りが少なく、全体が薄暗くてうら寂しい というのが第一印象だった。
我々の年代の者にとって ビルマ といって先ず思い浮かぶのは 「ビルマの竪琴」でしょう。 英国軍兵と合唱する「埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)」、インコを肩に載せた僧侶姿の水島上等兵の「やっぱり自分は日本へ帰るわけにはいかない」というシーンが今でも思い浮かぶ。竹山道雄原作のこの小説は、市川崑監督によって1956年(白黒;安井昌二主演;「ビルマの土は赤い。岩もまた赤い」(*熱帯地方特有の酸性土「ラテライト」と思われる)で始まるこの映画の総集編が You tubeにて視聴可)と1985年(カラー;中井貴一主演)と2回映画化された。ちなみに、日本の大乗仏教よりも戒律が厳しい と言われる当地の上座部仏教(小乗仏教)では、僧侶が歌を唄うのも 楽器を演奏するのも またペットを飼うのも禁止されており、あくまでも小説の中での出来事となっている。 -
[現場にて(NHK TVの取材他)]
2013年から14年にかけて6ケ月あまり滞在したミャンマーのヤンゴンでは、日麺両政府による経済特区開発プロジェクト(工業団地造成工事)の設計審査および施工監理業務に携わり、現地技術職員の採用面接も担当した(500人規模の起工式が 現場で盛大に執り行われ、ミャンマーの関係諸大臣や中央銀行副総裁他が多数参加。 日本からは、磯崎経産省政務官と仙谷日本ミャンマー協会理事が 来賓として出席)。 施工中には、ときの大統領や副大統領 それに日本の経産省他の政府関係者の視察が相次ぎ、NHK TVの取材等もあって、当該プロジェクトに対する両国の期待の大きさがうかがわれた(旧宗主国がイギリスだったため、ミャンマー人は分かりやすい英語を話す)。 -
[スー・チーさんの自宅他]
ヤンゴンにあるスーチーさんの自宅は 塀で囲まれた広大な屋敷で、中は外からは見えない。 特にガードマンが居るわけでもなく、彼女がNLD(国民民主連盟)の代表として国会議員になる前の軟禁中に、毎日曜日 多くの支持者たちを前に演説をしていたのを思いだす(今はその場所とは思えないほど静かな環境)。 門の真上には、父親のアウンサン将軍の遺影写真が飾られている。 訪れた時には、ちょうどパリから来たというツアー客10数人がたむろしていた。 こんにちわ(パリジャン)→ボンジュール(当方)。 あちこちで体験したが(ウクライナ人「こんにちは」→当方「ズドラーフスト・ビッチェ」,イタリア人「さようなら」→当方「チャオ」)、日本語を話す外国人が随分居る。
*女史は「建国の父」と呼ばれ 暗殺されたアウンサン将軍の長女で、英国人と結婚し、1985年~86年に 京都大学「東南アジア研究センター」にて在外研究のため、日本に滞在。1988年に母の看病のため イギリスからの帰国中に 民主化運動が起こり、国民民主連盟(NLD)を結成した。 その後、軍政による延べ15年間にもおよぶ自宅軟禁を強いられた(その間にノーベル平和賞に選ばれたが、出席出来なかった)。 2010年に開放され、2016年にNLD政権が発足して、スーチー氏が国家顧問兼外相(事実上の大統領)に就任していた。 ビルマは130余りもある多民族国家で、大多数を占めるビルマ族である彼女は、ビルマからミャンマー,ラングーンからヤンゴンへの名称変更や,ヤンゴンからネピドーへの首都移転は、今だに認めていない。 -
[スーチーさん関連のグッズ]
ヤンゴンのNLD事務所では、種々のスーチーさん関連グッズが販売されている。
* 1月4日の独立記念日に訪れた際には、党員による演説が行われ ご飯が
振る舞われていた。 -
[ロヒンギャ問題]
多民族国家で、イスラム系少数民族ロヒンギャへの圧迫や、軍政色が強い憲法 等の問題があるが、同国は敬虔な仏教国で、人々の心根は優しい。 -
[敬虔な仏教徒国]
ミャンマーの仏像はどれも日本のものに比べて顔が人間臭くて、より身近に感じる。 現実の僧侶たちもあけっぴろげ。 それにしても、当国の仏教徒の信仰心は絶大で、困っている人をひとたび見かけたら店を放り出してでも 身をもって手を差し伸べる というのが普通。それがより一層功徳を積むという行為 だということを差し引いても、素直に見習うべき慣習であろう。 -
[ヤンゴン・マラソン他]
2014年1月には、「ヤンゴン・インターナショナル・マラソン大会」に参加した。 5kmコースの出発時間は6時45分(フルマラソンは5時スタート)で、制限時間は一時間半だった。 事務所の同僚(ミャンマー人の家族や女性事務員たちも含めて)10数名も参加して、フルマラソンとハーフマラソンと合わせると全部で2000人を越える(?)盛況さだった。 インストラクターの指導で準備体操を充分して 身体をほぐしてから 薄暗い中をスタート(その時には5時半にスタートしていたハーフマラソンの先頭者が、ゴールに向かって来ていた)。沿道には、見学する人たちも大勢居て 盛り上がっていた。外国人も沢山居たが、現地人の女性も数多く参加して 楽しんでいた。8時頃にゴールしたが(ほぼ完歩)、走ったのは合わせて1kmも無かった。 制限時間内だったので、ゴール後 主催担当者に金メダルを首にかけてもらった。 レース後、会場でミャンマーの伝統的なダンスやパフォーマンスがあり、近くの中華レストランでミャンマー人の同僚(当プロジェクトの出資者の一人で、奥さんがマラソンに参加)に昼食(?)をご馳走になって、昼前にホテルに帰ってきた。 ちょっと汗をかいたぐらいで、良い気分転換になった。 -
[ミャンマー人カップル来日(2015年)]
ミャンマーに滞在していた時の仕事仲間で、ヤンゴン・マラソンにも一緒に参加した若いミャンマー人カップル(女性はThwe Thwe-トウエ・トウエ)が、2015年4月に、水かけ祭りの休暇を利用して来日した。 京都では お茶会を経験してもらったり、祇園甲部歌舞練場での「都をどり」を観劇してもらったりした。 お茶会では、高校同期のお茶会グループのメンバー6人に同行してもらった。苦いのではないか と気にしていた抹茶の味も 美味しく感じてくれたようで、ホッとした。 もちろん初めての体験だったが、あとで茶室にかがんで出入りする「にじり口」のありようを聞いたら、ちゃんと理解していた。彼らが通常 寺社で長時間お祈りする時は、横座り(男女で逆方向)するが、長い間正座していたのは驚きだった。ここで同行者にプレゼントされたお茶会の道具は、貴重な記念品となったよう。 二人には、長岡京が平安京に遷都する前の10年間、日本の首都だったことも伝えておいた。 嵐山、金閣寺、桂離宮、伏見稲荷大社、祇園散策(白川,八坂神社,八坂の塔,花見小路 他)、将軍塚(京都市街展望台) 等々 京都の優雅な雰囲気を理解してくれていた模様。また、太秦(ウズマサ)映画村や 京都の台所 錦市場 それに、スー・チーさんが留学していた京都大学も案内した。 和食を含めた日本の食事も楽しんでもらえたよう(回転寿司店では生魚はダメだったが、いか,たこ,貝はO.K.。 サケは何とか食べられるようになった)。金閣寺のすぐ近くに 「思風都」という和風ランチバイキングのレストランがあり、日本の家庭料理も味わってもらった(ケーキやソフトクリーム等のデザートを含む30種類以上のメニューが食べ放題)。彼らが期待していた桜も何とか間に合って見ることが出来た(当方は外国暮らしだったため2年振り)が、雪は残念ながらこの時期は……ということだった(東京への帰途、新幹線から富士山は 束の間眺められた模様)。なお、来日前に「わび・さび」の説明を英文を探して送っておいたが、どこまで理解出来たのかは疑問(我々日本人にさえ難しいのに)。 空海ゆかりの東寺では、東京スカイツリーの耐震設計は 五重塔の心柱の考えを応用した ということを、持参していた設計図をもとに 分かりやすく説明した。
当方が学童保育のアルバイトをしている小学校で、約50人の保育生と交流してもらった際は あいにくの雨天だったが、「ミンガラーバ(=こんにちは)」で迎えられ、歌やけん玉,折り紙,あやとり他で歓待された。逆に保育生たちには、二人が、ミャンマーの子供たちの生活の様子や、ミャンマー語のあいさつの仕方を教えたり、ロンヂー(伝統の男女腰巻き)の着方やタナカ(日焼け止めの頬塗り;中には葉っぱや花や蝶を描いたりしているおしゃれな女性も居る。タナカはミカン科の木の皮をすりおろしたもので、日焼け防止以外にも 保湿や殺菌,肌荒れ予防等の効果もあるとか……)の実演を見せたり、同時に保育生たちにタナカを付けてあげたりと、予定時間を大幅に上回る 楽しいコミュニケーションの場を持つことができた。ロンヂーは 男女で柄や結び方が異なり、またタナカは 日中と夜寝る前の一日二回施す ということを初めて知った次第。男性の方は、父親の仕事の関係で 小学校1年から4年まで東京で過ごしていた とのことで、きれいな日本語を話す。保育生たちとの交流では、ちょうど同じ学年の生徒たちだったので、ひどく懐かしく感じたと言っていた。また女性の方(分かりやすいイギリス英語を話す)から後に受け取ったメールでは、保育生たちは純真な心を持っていて、外国人に対して順応性があり 楽しかった、と言っていた。ミャンマーの子供たちは、男子はサッカー,女子は縄跳び等で遊んでいる とのこと。また以外にも、休みの日には塾へ行くことが多く、特に英語に力を入れている とのこと。ちなみにミャンマーの識字率は90%を超えている(義務教育制度と寺院での寺子屋教育の普及が主原因)。後日 彼らと訪れた学童保育教室へ行ったところ、生徒からやり取りを聞いた親たちも 当日参加してみたかった、という話があったよう。また、二人に頼んで持ってきてもらったミャンマー語(英語併記)の絵本を、この学童保育教室に渡しておいた。また 市役所の学童担当部署から、市の広報誌に この交流時の写真を掲載したいので、許可が欲しい との電話があり、喜んでO.K.した。 前々から思っているが、保育生たちには 少しでも外国に興味を持ってくれたら、という気持ちを強く持っている。
そのあとは100均のダイソーを訪れた。ヤンゴンにもダイソーがあって、日本円換算で160円均一の商品が売られているが、品物が限られているので、ここでは品数の多さに戸惑いながらも 小さい鯉のぼり等の買い物を楽しんでいた(後日、鯉のぼりを掲げている写真を付けて、5月5日は祝日で、男の子の成長を祈るため という説明をメールで送付済み)。
その後 イオン・モールがヤンゴンにも開設されている。
茶道のお手前体験や 都をどり観劇(「曽根崎心中」の場面が理解出来なかったよう),学童保育生との交流,和食を味わう 等々 二人にとっても貴重な思い出になったことと思う。
大阪では、「海遊館」や梅田の「空中庭園」等を訪ね、グリコの電飾広告や「くいだおれ太郎」等を見ながら道頓堀川周辺を散策し、夜遅くまで お好み焼きやたこ焼き,焼きとり他を食べ歩いた。当初は宝塚歌劇の観劇も予定していたが、時間が無いことと、言葉が分からないだろう ということで割愛し、代わりに3時間分のショーを録画したDVDを持って帰ってもらった。
近い将来の再会を約して、二人とは大阪で別れた。
☆参考までに……
「Japan Rail Pass」という、新幹線(「のぞみ」を除く)等の鉄道や路線バスが 日本全国どこでも乗り降り自由で利用できる 外国人用特別乗車券(日本国内では購入不可)があるので、ミャンマーでの取り扱い場所を予め教えてあげておいたところ、安く利用出来たと感謝された。 -
[祇園・八坂神社にて(Thwe Thweと)]
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[ 祇園甲部歌舞練場での「都をどリ」鑑賞(Thwe Thweと)]
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[頼まれていた印鑑 他]
彼女(Thwe Thwe)にはもの珍しかったのか、「自分の印鑑が欲しい」と言われたので、早速印鑑店で 「Thwe」と「テユエー」の2種を注文。 一週間ほどで出来上がる とのことで、後日 ミャンマーを訪れる人が居たので、手渡しを依頼した。
旧首都ヤンゴンに住むこのカップルは 帰国後に結婚し、昨年男子が生まれた とのことで、出来れば今年 両親と一緒に日本を訪れたい というメールが入っている。 先の見えないコロナ禍と今回のクーデター事件で どうなるか? 気になるところである。
*右上の写真は コロナ禍でのミャンマーの状況を示す(銀行での現金引出し/酸素ボ
ンベを求める人たち/亡くなった人を運搬)。 -
[タナカとロンヂー]
タナカ(日焼け止めの頬塗り;中には葉っぱや花や蝶を描いたりしているおしゃれな女性も居る)の材料は ミカン科の木の皮をすりおろしたもので、日焼け防止以外にも 保湿や殺菌,肌荒れ予防等の効果もあるとか……。通常は、日中と夜寝る前の一日二回施す とのこと。 また、ロンヂー(伝統の男女腰巻き)は 男女で柄や結び方が異なる。
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[マンダレーからバガンヘ]
帰国後の2015年には、高校の同期生たちと10日間ほど、荘厳な仏塔群遺跡の残る バガン それに旧首都 ヤンゴン を訪れた。事前に訪ねたミャンマー中央部に位置する第二の都市マンダレーには、1885年にイギリスに占領されるまで26年間 最後のビルマ王朝がおかれていた。 ミャンマー特産のチーク材で架けられて、途中に数ヵ所屋根付きの休憩所が設けられ 現在も生活通路として使われている 全長1.2kmの「 ウー・ベイン橋」(世界最長の木造の橋)で知られている。 ミャンマーを南北に縦断する大河 エーヤワディ川の埠頭から、外国人旅客用フェリーで バガンへ向けて出発。気温は25℃前後であるが、船上は風があって涼しい。船内で朝食と昼食を摂り、9時間あまりで バガンに到着。 船上での揺れはほとんど無く、次々と移り変わる船上からの眺めは 退屈する暇が無いほどだった。 -
[バガンの仏塔群遺跡]
高校の同期生たちと落ち合ったバガンは、エーヤワディ川中流域東岸の平野部一帯に広がるミャンマー屈指の仏教の聖地(カンボジアのアンコール遺跡,インドネシアのボロブドウール遺跡と並ぶ三大仏教遺跡のひとつ)。11世紀半ばに、ビルマ族による史上最初の統一王朝が開かれた土地で、13世紀に至るまで時の権力者たちが競って無数の仏塔や寺院を建立し、現在も2,000を超える仏塔寺院群が残されている。 2019年7月にUNESCOの世界遺産に登録(付近で素朴な生活を営んでいる住民たちは、長年あまり乗り気でなかったようであるが…)。 シュエサンドー・パヤー(仏塔)の基壇テラスから眺める夕景は幻想的で、山並みの手前には 大河エーヤワディ川がゆったりと流れている。
なお、オールド・バガン内には 日本人戦没者慰霊碑がある(第二次世界大戦時、当時のビルマとの国境にあるインドの街インパールを巡って イギリス軍と戦った多くの日本兵が犠牲となった → 小説「ビルマの竪琴」の舞台) -
[おいしい寿司]
旧首都ヤンゴンには、市内に70数ヵ所 日本食レストラン(旭川ラーメンとか 長崎チャンポンとか サバ寿司とか 梅茶漬けとか 天ぷらざるうどん、それにさしみ等も)があり、食べるものに不自由はしない。無論、インディカ米のおいしい独特のカレーや、米や麦から作られた各種麺類等があり、また北朝鮮レストランもある。街中にはスーパーのチェーン店がいくつかあって、みそ汁やインスタント・ラーメン(出前一丁 等),ソーメン他の日本食品をはじめ何でもあり、物価は総体的にかなり安い。
* 「ミャンマー・ビール」はあっさりとしていて飲みやすい(ドイツでの国際的なビールコ
ンテストで何度も入賞している とのこと)。ココナツ・ミルクやパーム・シュガー,タロイモ風味
のアイスクリームも重宝した。
「OISHII SUSHI(おいしい寿司)」という店名の寿司店は、いつもミャンマー人の家族やカップルで賑わっている。 店長は10数年日本で修行してきたミャンマー人で、にぎる職人も注文を取る女性たちも全てミャンマー人。 壁には黒木瞳のカレンダーが架かっていた。にぎりや天ぷら,みそ汁をはじめとする数十種類のメニューがあって、日本の半額ぐらいで食べられる。
ヤンゴンの街中は緑が多く 治安も良いので 過ごしやすい。多くの日本食レストランが次々に開業し、日本人も沢山滞在しており、またいたる所に金色のパヤー(仏塔)が在って、信仰深い仏教徒が大部分を占めているということもあって、思っていたよりも親しみ易く、ずっと住みやすい所である。 一方、この街の一番の問題は途切れることの無い大渋滞である。 数年前からバイクを締め出しているので 常時車があふれかえっていて(その中でタクシーの料金交渉をする)、一ヶ所へ行くのにかなりの時間がかかるのが現状で、到着時間の約束が出来ないのが実情である。 運転手の技術と乗っている人の辛抱強さには感心するばかり。また、街中でも昼間から停電がよくあり、事務所やホテルではすぐに自家用発電機が稼働するが、一般家庭ではそうもいかず、電力不足は当国でも深刻な課題となっている。 法制度やインフラ等 まだまだ未整備なところが多い国だけれども、インドや中国,タイ他5つの国と国境を接し、多くの民族問題を抱えながらも、これからの発展の余地が充分感じられるところである。
ヤンゴンには、一周約3時間(時速20kmほどで、駅の数は38)の格安の環状鉄道があって、市民たちの欠かせない足となっている(日本製の車両が多く使われている;外国人は1 US$/人で 大人気)。
ちなみに、ミャンマーは 高品質のルビー(ピジョン・ブラッド)やヒスイの一大産地となっている。 -
[Thwe Thweが再来日(2023年)]
2023年7月に Thwe Thweが 勤めている現地の会社の旅行で再度来日。 22日に京都で再会し、嵐山/錦市場 他を案内した(ちなみに、スーチーさんは現在 刑務所で拘束されているが、健康には特に問題ない とのこと)。
*2021年2月1日 ミャンマーで国軍が突然クーデターを起こし、アウン・サン・スーチー国家顧問らが拘束されて、国民民主連盟-NLD-の政権が覆された。その後 各地で大規模な人民デモや 国軍に対する不服従運動が続いており-国軍の発砲により死者も発生-、インターネットや報道機関等の情報規制もなされている とのことで、早期の真の民主化を祈るばかりである)でどうなるか? 気になるところ ; 当面 このカップルとはメール連絡が取れなかったが… -
[Thwe Thweを 嵐山 他に案内]
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[Thwe Thwe 伏見稲荷大社他にて(2023年)]
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[日本文化の紹介]
業務の合間を見つけて、職場や現地の大学,専門学校等で、持参していた舞妓の踊りの動画,雪景色や相撲・頻発する地震被害の状況等の写真,寺社等の各種ポスター それに音楽CDなどを使って、日本の文化や風習などの紹介にも努めた(天皇の男系世襲制度の話しをした時に、それはおかしい という意見のあったのが印象的)。 -
[「世界で暮らす」お話し会他]
日本に滞在中は、市内の小学生たちを対象に、訪れた海外各地で撮った写真や動画映像,音楽 それに現地で入手した各種宝石類の原石やアンモナイトの化石等を見せたりしながら紹介する「世界で暮らす」と題するお話し会を 継続的に実施中(我が国とはひと味もふた味も異なる海外の様子や外国語に興味を持ってもらうため)。 「同じ地球なのに、いろんな暮らし方や文化があることを知って、びっくりした」とか、「色々な宝石の原石を触れてよかった」、 …… の感想があり、大いに楽しんでもらい、また重宝されている。 いきいきセカンドライフを実践する 中高年者対象の「長岡京市民大学」等にも参画し、「開発途上の国々での活動体験」と題して、滞在した開発途上国の様子や学んだ教訓などを紹介して、好評を博している。
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