2013/11/30 - 2014/12/07
543位(同エリア1026件中)
タケさん
ミンガラーバ(こんにちわ) !!
以前に(2013年~2014年)業務で半年あまりミャンマーに滞在したことがあり 、帰国後念願のバガンを訪れた。今年(2015年)の4月には業務で同僚だった若いカップルが来日したこともあって、合わせてミャンマーの魅力を報告する。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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[ビルマの竪琴 他]
我々にとっては未だ秘められた国 ミャンマー(旧ビルマ)は、前々から一度は訪れたいと思っていた所なので、以前に勤めていた設計会社から話があった時は 驚きと共に大きな悦びだった。暗闇の中を走る車の中で見た旧首都ヤンゴン(「ヤンゴウ~~ン」と発音するよう=旧名ラングーンの名残り?)の街中は旧首都といいながら、カンボジアのプノンペン等と比べると灯りが少なく、全体が薄暗くてうら寂しい というのが第一印象だった。
我々の年代の者にとって ビルマ といって先ず思い浮かぶのは 「ビルマの竪琴」でしょう。 英国軍兵と合唱する「埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)」、インコを肩に載せた僧侶姿の水島上等兵の「やっぱり自分は日本へ帰るわけにはいかない」というシーンが今でも思い浮かぶ。竹山道雄原作のこの小説は、市川崑監督によって1956年(白黒;安井昌二主演;「ビルマの土は赤い。岩もまた赤い」で始まるこの映画の総集編が You tubeにて視聴可)と1985年(カラー;中井貴一主演)と2回映画化された。ちなみに、日本の大乗仏教よりも戒律が厳しいと言われる当地の上座部仏教(小乗仏教)では、僧侶が歌を唄うのも 楽器を演奏するのも またペットを飼うのも禁止されており、あくまでも小説の中での出来事となっている。
それともうひとつ思い出すのは、タイのバンコクにほど近い所(カンチャナブリ)にある泰緬鉄道のクワイ川に架かる橋(現在は復元されて運行中)をめぐる日英軍の攻防を描いた映画「戦場に架ける橋」である。 「クワイ川マーチ」も懐かしい曲である。
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[「ビルマの竪琴」のモチーフとなった巨大な寝仏(古都バゴーにて)]
10世紀に建立されたと言われる 全長55m,高さ16m,口の左右2.3mのシュエターリャウン寝仏。
多民族国家で、イスラム系少数民族ロヒンギャへの圧迫や、軍政色が強い憲法 等の問題があるが、同国は敬虔な仏教国で 人々の心根は優しい。
ミャンマーの仏像はどれも日本のものに比べて顔が人間臭くて、より身近に感じる。 現実の僧侶たちもあけっぴろげ。 それにしても、当国の仏教徒の信仰心は絶大で、困っている人をひとたび見かけたら店を放り出してでも身をもって手を差し伸べる ということである。それがより一層功徳を積むという行為だということを差し引いても、素直に見習うべき慣習であろう。 -
[「ビルマの竪琴(初版)」のDVD]
プノンペン(カンボジア)のDVD店で入手。音声は日本語。
*このDVD店には日本の映画やアニメ等が多数置いてあり、格安で手に入る。 -
[スー・チーさん家の門前にて(ヤンゴン)]
最近のこの国の話題は、何と言ってもアウン・サン・スー・チー女史であろう。 英国からの独立時の英雄でその直前に謎の暗殺をされたアウン・サン将軍を父に持つ彼女は、英国人と結婚しながらも敢えて現軍事政権に対抗する活動をしていることは記憶に新しいところ。 大多数を占めるビルマ民族出身の彼女をはじめ欧米のメディアは、時の軍事政権が突如実施したネピドーへの首都移転や ビルマ→ミャンマー,ラングーン→ヤンゴン等への名称変更はいまだに認めていない。
テイン・セイン現大統領は近年民主化に歩を進めているようであるが、135の民族を抱える同国の先行きは不透明である。
ヤンゴン大学の近くにあるスー・チーさんの自宅は塀で囲まれた広大な屋敷で、中の建物は外からは見えない。 特にガードマンが居るわけでもなく、彼女がNLD(国民民主連盟)の代表として国会議員になる前は、毎日曜日に多くの支持者たちを前に演説をしていた場所とは思えないぐらい静かな環境。 門の真上にはアウン・サン将軍の遺影写真が飾られている。 彼女はここで軍事政権により数年間軟禁されていた。
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[チラッと見えた大邸宅内部]
たまたま車が入って来て門が開いたので内部がチラッと見えたが、その奥は木々に蔽わ れていて何も見えなかった。 -
[スー・チーさんが党首を務めるNLD(国民民主連盟)本部(ヤンゴン)]
事務所内部ではスー・チーさんの写真や絵をモチーフにしたT-シャツや絵葉書等のグッズを販売しており、また一部は小さなレストランにもなっている。ちなみに、NLDのシンボルは孔雀である。
1月4日の独立記念日に訪れた際には、党員による演説が行われ、ご飯が振る舞われていた。
☆2021年2月1日 ミャンマーで国軍がクーデターを起こし、アウン・サン・スー・チー国家顧問(75才)らが突然拘束されて、国民民主連盟の政権が覆された。
2月23日現在 各地で大規模な人民デモが続いており、国軍の発砲により死者も発生している(スー・チーさんについては、「クチコミ」 内の「スー・チーさん アラカルト」を参照されたい)。
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[お土産用の木製寝仏像とスー・チーさんティーカップ]
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[カレンダーとT-シャツ]
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[瀟洒なボージョー・アウン・サン博物館(ヤンゴン ; スー・チーさんの生家)]
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[経済特区造成現場を訪れたテイン・セイン大統領]
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[経済特区 造成現場にて]
日本・ミャンマー両政府による業務だったため、NHK TVの現地取材あり。 -
[ミャンマーの地図と国旗]
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☆ マンダレー~バガン~ヤンゴン
業務でヤンゴンに滞在中に、バガンが カンボジアのアンコール遺跡,インドネシア のボロブドウール遺跡と並ぶ三大仏教遺跡のひとつ ということを知り、帰国後(2014年)11月から12月にかけて10日間 マンダレーとヤンゴンとを合わせて訪れた。
ヤンゴンからマンダレーに向かうべく空港へ行った際に、早くから予約していた格 安国内便が何の予告も無く2時間以上も前に出発した後というハプニングがあったが、何とか翌朝の便に乗ることが出来て、行程に大きな支障が無かったのは幸いだった。
ミャンマー中央部に位置する第二の都市マンダレーは、1885年にイギリスに占領 されるまで26年間最後のビルマ王朝がおかれていた。街並みは旧王宮を中心に東西南北に走る道路で整然と区画されている。
[白亜の仏塔群 クトードー・パゴダ(マンダレー)]
仏陀が悟りを開いてから死ぬまでの説教をまとめた経典を刻んだ大理石製の石版カ が一枚ずつ計730枚納められている。 -
[僧院での少年僧たち(マンダレー)]
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[旧王宮の外壁(マンダレー)]
往時の面影を残す外壁の高さは8mで、敷地は一辺約3.2kmの広大な正方形を成している。 -
[旧王宮外濠からマンダレー・ヒルを臨む(マンダレー)]
四辺を囲む外濠の幅は約70m。 -
[旧王宮内部-1(マンダレー)]
ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮跡。 -
[旧王宮内部-2(マンダレー)]
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[旧王宮内部-3(マンダレー)]
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[マンダレー・ヒルより下界を臨む(マンダレー)]
マンダレー・ヒル(標高≒230m)は、丘全体が寺院となっているマンダレー最大の聖地 。 -
[マンダレー・ヒル頂上にあるスタウンビー・パヤーの展望テラスにて(マンダレー)]
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[展望テラスからエーヤワディー川背後の山並みに沈む夕陽を眺める(マンダレー)]
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[タウンタマン湖に架かるウー・ベイン橋(アマラプラにて)]
160年近く前に造られた全長約1.2kmの木橋で、材料はミャンマー特産のチーク材。
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[ウー・ベイン橋を渡る僧侶]
途中に数ヵ所屋根付きの休憩所が設けられており、現在も生活通路として使われている。 -
[旅客用フェリーでバガンへ]
マンダレーのマリカ埠頭7:00発の 外国人旅客用フェリーで、 ミャンマーを南北に縦断する大河 エーヤワディー川(旧イラワジ川)を下り、バガンへ向けて出発。 -
[フェリーより丘全体に仏塔が建つザガイン・ヒルを臨む]
無数に建つ仏塔や僧院は仏教修行の中心地。気温は25℃前後であるが、船上は風があ って涼しい。船内で朝食と昼食を摂る。 -
[16:00頃 バガンに到着]
9時間あまりの長い船旅だったが、大河エーヤワディー川上での揺れはほとんど無く、次々と移り変わる船上からのの眺めは退屈する暇が無いほどだった。 -
[バガンの埠頭から馬車で4kmほど離れたホテルへ]
バガンへの入域料はUS$15/人。 -
[空港近くの宿泊ホテル]
コンパクトなホテルで、女性中心のスタッフは応対が良く親切だった。
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[街中での食べ物売り]
朝夕は20℃ほどで涼しく、昼間は34℃前後になるが それほど暑く感じない。 -
[シュエズイーゴオン・パヤー]
3層の方形基壇に円筒形の塔をのせたバガンを代表する黄金の仏塔で、11~12世紀に建立。高さ≒40m。 -
[スラマニ寺院]
12世紀に建立。スラマニとは「無上の宝石」という意味で、時の王がこの地でルビーを発見したことを仏に感謝し、捧げられた寺院という。 -
[シュエサンドー・パヤー]
5層の方形の基壇上に、2層の八角形の台座と円筒形のストウーパをのせた高さ45mの 仏塔。急傾斜の階段で基壇テラスに上がることが出来る。11世紀に建立。夕陽鑑賞の名所。 -
[バガン随一の高さ(≒65m)を誇るタビニュ寺院]
オールドバガン内にある4層の美しい寺院で、12世紀に建立。 -
[バガンの大平原に点在する荘厳な仏塔群遺跡の修景]
イラワジ川中流の東岸約40kmにも渡り広がる平野に、約3,000基弱のパゴダ(仏塔)や寺院が点在。 カンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボロブドゥールとともに 世界三大仏教遺跡 に数えられている(11~13世紀に栄えた最初のバガン王朝時には、5,000基以上が建立)。
*2019年7月にUNESCOの世界遺産に登録 (付近で素朴な生活を営んでいる住民たちは あまり乗り気でなかったようであるが…)。。 -
[シュエサンドー・パヤーの基壇テラスから眺める幻想的な夕景]
山並みの手前には大河エーヤワディ川がゆったりと流れる。 -
[ビューイング・タワーよりエーヤワディー川をバックにした仏塔群を眺める]
バガンは大河エーヤワディ川中流域東岸の平野部一帯に広がるミャンマー屈指の 仏教の聖地。11世紀半ばにビルマ族による史上最初の統一王朝が開かれた土地で、13世紀に至るまで時の権力者たちが競って無数の仏塔や寺院を建立し、現在も2,000を超える仏塔寺院群が残されている。 -
[ローカナンダー・パヤー]
ニューバガンのエーヤワディ川岸に建つ高さ約30mの黄金の仏塔。11世紀に建立。 バガンを訪れる交易船の目印として使われた。 -
[エーヤワディー川背後の山並みに沈む夕陽を眺める]
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[ティーローミンロー寺院の仏像]
13世紀に建立。 -
[敬虔な信者により全身に金箔が貼られた仏像]
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[ミインカバー村 マヌーハ寺院の境内にある虚ろな表情の王と王妃の像]
バガン朝に敗れ捕虜として連行されたタトウン国のマヌーハ王が寄進した寺院。11世紀に建立。 -
[ミンナントウ村 タンブラ寺院の仏像]
13世紀に建立。 -
[ミンナントウ村にて]
頬にタナカを塗った少女。 -
[パヤトンズの壁画-1]
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[パヤトンズの壁画-2]
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[パヤトンズの壁画-3]
☆ 寺院に上がる際にはどこも靴や靴下を脱がなければならず、地元の市場で買っておいたスリッパを重宝した。 -
[オールド・バガン内にある日本人戦没者慰霊碑]
第二次世界大戦時、当時のビルマとの国境にあるインドの街インパールを巡ってイギ リス軍と戦った多くの日本兵が犠牲となった→小説「ビルマの竪琴」の舞台。 -
[早朝 托鉢する少年僧たち]
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[僧院での食事風景(バゴーにて)]
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[得度式の行列を模したタペストリー]
出家する際には、その都度 数日間に亘る盛大な得度式が催される。 -
[村の民家]
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[村角にて]
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[昼間 暑くて寝ころぶ犬たち]
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[織物工房-1]
織り手はカヤン族(首長族)の女性。 -
[織物工房-2]
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[織物工房-3]
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[漆器工房にて]
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[スー・チーさんの漆器像]
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[民族舞踊鑑賞-1]
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[民族舞踊鑑賞-2]
☆ 素朴な農村風景あり、貴重なフレスコ壁画等を含む多くの壮麗な仏教遺跡ありで、バガンでは「とき」がゆっくりと過ぎ行く体験をし、想像していたよりもはるかに素晴らしいところだった。 -
☆ ヤンゴンにて……
[人民公園から見るミャンマー最大の聖地 シュエダゴオン・パヤー]
*「シュエ」とは 黄金の という意味。「パヤー」は仏塔の意。 -
[シュエダゴオン・パヤー-1]
一日中賑わう境内。 -
[シュエダゴオン・パヤー-2]
横座りして、長時間瞑想し熱心にお祈りする人々。 -
[シュエダゴオン・パヤー-3]
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[シュエダゴオン・パヤー-4]
特に僧侶には敬虔。 -
[シュエダゴオン・パヤー-5]
熱心にお祈りしているこの幼女は、何をお願いしているのかな? -
[シュエダゴオン・パヤー-6]
ミャンマーの人々にとっては「八曜日」が伝統歴で(水曜日が午前と午後に分かれて いる)、各自の生まれた日の曜日に相当する祭壇の前でお祈りする。写真は月曜日の祭壇で、方角は東、象徴の動物はトラとなっている。
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[談笑する小さな尼僧たち]
ミャンマーでは女性も短期的ではあるが、尼僧体験をする風習がある。尼は非常に清 貧な生活をし、自分で布施を請うほか、どんな力仕事も自分でやらなければならないという(娘さんが一時 尼僧をしていた家を訪ねたことがある)。 -
[少年・少女僧たち]
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[研修に来ていた子供たち]
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[シュエダゴオン・パヤーに夕闇が迫り、火を点す]
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[シュエダゴオン・パヤーの夕景]
夕涼みを兼ねて、多くの家族やカップルで遅くまで賑わっている。塔頂部の装飾には 、4351個(計1800カラット)のダイヤモンドをはじめルビーやサファイヤも多用されているとか……。 -
[ヤンゴンの横丁-1]
あちこちに日本レストランがあり(市内に70数ヵ所)、旭川ラーメンとか長崎チャ ンポンとかサバ寿司とか梅茶漬けとか天ぷらざるうどん、それにさしみとか食べるものに不自由はしない。無論、インディカ米のおいしい独特のカレーや、米や麦から 作られた各種麺類等があり、また北朝鮮レストランもある。
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[ヤンゴンの横丁-2]
路上では、生の魚や肉類,果物,野菜,乾物,骨董品他色んなものを商っている。 -
[ヤンゴンの横丁-3]
野外食堂にて。 -
[あるスーパーマーケット内]
ヤンゴンの街中にはスーパーのチェーン店がいくつかあって、みそ汁やインスタン トラーメン(出前一丁等),そーめん他の日本食品をはじめ何でもあり、物価は総体的にかなり安い。また180円均一の「ダイソー」も数店ある。
2015年中にはイオン・モールも出店予定とか……。
*「ミャンマー・ビール」はあっさりとしていて飲みやすい(ドイツでの国際的なビールコンテストで何度も入賞しているとのこと)。ココナツミルクやパームシュガー,タロイモ風味のアイスクリームも重宝した。 -
[ヤンゴン川沿いの大通り]
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[イギリス統治時代の面影を残す税関所]
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[ボージョー・アウンサン市場前の路上にて]
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[マンゴーとマンゴスチンとランブータン]
暑い国へ行くといつも、瑞々しいトロピカル・フルーツを食べるのが楽しみ。 -
[おいしい寿司店]
店名「おいしい寿司」のこの店は、いつもミャンマー人の家族やカップルで賑わっている。 店長は10数年日本で修行してきたミャンマー人で、にぎる職人も注文を取る女性たちも全てミャンマー人。 壁には黒木瞳のカレンダーが架かっていた。にぎりや天ぷら,みそ汁をはじめとする数十種類のメニューがあって、日本の半額ぐらいで食べられる。 -
[バス停留所]
バスは安くて便利。 -
[満杯の乗り合いトラック]
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[ヤンゴン川の対岸に渡る小舟]
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[対岸のトワンテーにある焼き物工房]
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[街路に咲き出した深紅の火焔樹]
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[ヤンゴン郊外の農村]
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[ヤンゴン郊外の風景]
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[ヤンゴン環状鉄道内にて]
ヤンゴンには、一周約3時間(時速20kmほどで、駅の数は38)の格安の環状鉄道があって、市民たちの欠かせない足となっている(外国人は1 US$/人で 大人気)。 -
[途中駅での光景]
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[世界最大とかのヒスイの原石(宝石博物館にて)]
ミャンマーは高品質のルビー(ピジョン・ブラッド)やヒスイの産地。 -
[ヤンゴン・マラソン大会に参加]
2014年1月には、「ヤンゴン・インターナショナル・マラソン大会」に参加した。 5kmコースの出発時間は6時45分(フルマラソンは5時スタート)で、制限時間は一時間半だった。 事務所の同僚(ミャンマー人の家族や女性事務員たちも含めて)10数名も参加して、フルマラソンとハーフマラソンと合わせると全部で2000人を越える(?)盛況さだった。 インストラクターの指導で準備体操を充分して身体をほぐしてから 薄暗い中をスタート(その時には5時半にスタートしていたハーフマラソンの先頭者がゴールに向かって来ていた)。沿道には、見学する人たちも大勢居て 盛り上がっていた。外国人も沢山居たが、現地人の女性も数多く参加して楽しんでいた。8時頃にゴールしたが(ほぼ完歩)、走ったのは合わせて1kmも無かった。 制限時間内だったので、ゴール後、主催担当者に金メダルを首にかけてもらった。 レース後、会場でミャンマーの伝統的なダンスやパフォーマンスがあり、近くの中華レストランでミャンマー人の同僚(当プロジェクトの出資者の一人で、奥さんがマラソンに参加)に昼食(?)をご馳走になって、昼前にホテルに帰ってきた。 ちょっと汗をかいたぐらいで、良い気分転換になった。 -
[頬にタナカを塗った親子]
タナカは、古くからほとんどの女性や子供が頬や鼻などに塗っているもので、中には葉っぱや花や蝶を描いたりしているおしゃれな女性も居る。 -
[タナカ]
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[市場で売られているタナカの木]
タナカはミカン科の木の皮をすりおろしたもので、日焼け防止以外にも保湿や殺菌,肌 荒れ予防等の効果もあるとか……。 -
[ロンジーを身に着けた街中の人々]
女性だけでなく、多くの男性もロンジー(独特の腰巻き)を身につけている。
☆ タナカとロンジーは、ミャンマーに居ることを実感させてくれる。 -
[水かけ祭り]
ビルマ暦の新年時(4月中旬)に 清めの水をかけ合う盛大な祭り。この時期 気温は40℃にも達する。 -
[お茶会を体験するミャンマー人カップル]
ミャンマーに滞在していた時の仕事仲間で、ヤンゴン・マラソンにも一緒に参加した若いミャンマー人カップルが、2015年4月に、水かけ祭りの休暇を利用して来日したので、京都,大阪を案内して廻った(彼らの希望してきたのは、伏見稲荷大社,哲学の散歩道,嵐山 それに大阪の水族館「海遊館」だった)。
お茶会では、高校同期のお茶会のメンバー6人に同行してもらった。苦いのではないか と気にしていた抹茶の味も美味しく感じてくれたようで、ホッとした。 もちろん初めての体験だったが、あとで茶室にかがんで出入りする「にじり口」の有りようを聞いたら、ちゃんと理解していた。彼らが通常 寺社で長時間お祈りする時は、横座り(男女で逆方向)するが、長い間正座していたのは驚きだった。ここで同行者にプレゼントされたお茶会の道具は 貴重な記念品となったよう。 二人には、長岡京が平安京に遷都する前の10年間、日本の首都だったことも伝えておいた。 京都の優雅な雰囲気を理解してくれていた模様。また、和食を含めた日本の食事も楽しんでもらえたよう(回転寿司店では生魚はダメだったが、いか,たこ,貝はO.K.。 サケは何とか食べられるようになった)。 -
[金閣寺にて]
ミャンマーの黄金の仏塔とは全く異なる雰囲気。
☆金閣寺のすぐ近くに「思風都」という和風ランチバイキングのレストランがあり、日本の家庭料理も味わってもらった(ケーキやソフトクリーム等のデザートを含む30種類以上のメニューが食べ放題)。彼らが期待していた桜も何とか間に合って 見ることが出来た(当方は外国暮らしだったため 2年振り)が、雪は残念ながらこの時期は……ということだった(東京への帰途、新幹線から富士山は 束の間眺められた模様)。なお、来日前に「わび・さび」の説明を英文を探して送っておいたが、どこまで理解出来たのかは疑問(我々日本人にさえ難しいのに)。 空海ゆかりの東寺では、東京スカイツリーの耐震設計は 五重塔の心柱の考えを応用した ということを、持参していた設計図をもとに 分かりやすく説明した。また、祇園甲部歌舞練場での「都をどり」を観劇してもらった(「曽根崎心中」の場面が理解出来なかったもよう)。 -
[学童保育生との交流-1]
当方がアルバイトで勤めている長岡京市の学童保育所を訪ねた際には、50人ほど の保育生に「ミンガラーバ(こんにちわ)」のあいさつで迎えられ、日本の歌やけん玉を披露してもらえた。お返しに タナカの塗り方やロンジーの着方を実演してみせたり、一緒に折り紙を折ったりして、予定時間を大きく超えて お互いに楽しく過ごすことが出来た。
ミャンマーの児童の休日の過ごし方を聴いたところ、塾へ通うのが多いとのこと。
タナカは昼間だけでなく 夜寝る前にも付ける ということを初めて知った。またロンジーは、男女で柄は勿論のこと、身への着け方や腰への結び方が異なる、ということも分かった。
*別途 クチコミの「ミャンマー人のカップル 来日」を参照されたい。 -
[学童保育生との交流-2]
ミャンマーの紹介資料。 -
[学童保育生との交流-3]
頬にタナカを付けてもらって はにかむ保育生。 -
[学童保育所へ配布]
アルバイトで勤めている学童保育の各教室へ、カンボジアやベトナム,台湾,ミャンマ ー等で その都度入手した日本の漫画本や絵本の現地語版を寄贈・配布している。 -
[東映太秦映画村にて]
*別途 クチコミの「ミャンマー人のカップル 来日」を参照されたい。 -
[日本食堂で昼食]
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[白川にて]
他に、伏見稲荷大社,東寺,錦市場,都をどり,八坂神社,京都大学(かつてスー・チーさんが 留学していた),平安神宮,嵐山,桂離宮,長岡天満宮,ダイソー(ヤンゴンにも約180円均一のダイソー店あり;近々 イオンモールも開設予定とか),大阪の海遊館・空中庭園・道頓堀等を案内した。
* 彼女にはもの珍しかったのか、「自分の印鑑が欲しい」と言われたので、早速印鑑店 で注文し(英語とカタカナの2種) 後日 何らかの方法でヤンゴンに住む彼女の手許に届けることにした。 -
[追記]
その後二人は結婚し、今年(2020年)中には二世が誕生予定との連絡あり。 -
[シュエダゴオン・パヤーの遠景]
☆ ヤンゴンの街は緑が多く治安も良いので過ごしやすい。日本人も沢山滞在しており、またいたる所に金色のパヤー(仏塔)が在って、信仰深い仏教徒が大部分を占めているということもあって、思っていたよりも親しみ易くずっと住みやすい所である。 一方、この街の一番の問題は途切れることの無い大渋滞である。 数年前からバイクを締め出しているので常時車があふれかえっていて、一ヶ所へ行くのにかなりの時間がかかるのが現状で、到着時間の約束が出来ないのが実情である。 運転手の技術と乗っている人の辛抱強さには感心するばかり。また、街中でも昼間から停電がよくあり、事務所やホテルではすぐに自家用発電機が稼働するが、一般家庭ではそうもいかず、電力不足は当国でも深刻な課題となっている。
☆ ミャンマーの仏像はどれも日本のものに比べて顔が人間臭くて、より身近に感じ る。 現実の僧侶たちもあけっぴろげ。 それにしても、当国の仏教徒の信仰心は絶大で、困っている人をひとたび見かけたら店を放り出してでも身をもって手を差し伸べる ということである。それがより一層功徳を積むという行為だということを差し引いても、素直に見習うべき慣習であろう。 法制度やインフラ等まだまだ未整備なところが多い国だけれども、義務教育制度と寺院教育の普及ということもあってミャンマー人の識字率は90%を超えており、インドや中国,タイ他5つの国と国境を接し、多くの民族問題を抱えながらも、これからの発展の余地が充分感じられるところである。
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