![長崎を観光しました。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/69/44/650x_11694452.jpg?updated_at=1624085337)
2021/05/25 - 2021/05/26
743位(同エリア3782件中)
まさとしさん
長崎を観光しました。
-
今回の旅行は山口宇部空港から始まり下関へ。関門海峡を越えて博多、唐津、佐賀を経て長崎へ。
-
車窓から見えた諫早湾干拓北部排水門。
-
長崎には13時51分に到着した。隣は完成しつつある新幹線のホーム。
-
白いかもめの車内。
-
長崎駅は新幹線に合わせて在来線も高架化された。しかし高架化された在来線のホームは2面5線もあり、恒久的な7両編成対応の長いホームが必要なのか、並行在来線の発着数に見合っていない。ここでも疑問に思う。
-
-
隣は新幹線のホーム。
-
新しい高架駅は市電乗り場がある旧駅舎付近からかなり離れているのでずいぶん不便に感じる。
-
最終的に駅前の整備がどのようななるのか気になるところだ。とにかく利用者目線で考えると長崎新幹線は値段が高くなり、乗り換えも必要になり、市電乗り場から駅が遠いなど良いことが全くないのではと思う。ますます長距離利用者がバスに流れる気がしないでもない。
-
長崎駅の旧駅舎。近いうちに取り壊されるのだろう。
-
旧駅舎の構内。ステンドグラスがきれいだ。
-
行き止まり式ホームの末端部分には長崎の門司。
-
旧駅のホーム。
-
-
旧駅ホームから見た新しい長崎の高架駅。
-
今は仮設通路で行き来することになる。
-
再び新駅に戻ってきた。1時間ほど周辺を散策したあと駅を離れることにした。
-
駅前の市電乗り場。
-
宿泊先のアパホテルに向かった。
アパホテルは長崎県営バスターミナルの隣になる。 -
3時からチェックインできる。
-
夕方街に出ることにした。市電で浦上地区へ向かう。
-
まず原爆関連だが資料館があるエリアはすべて臨時休業だ。
-
-
原爆資料館も臨時休業中。
-
-
-
-
-
長崎原子爆弾落下中心地碑
-
浦上天主堂の遺壁が保存されている。
-
-
-
-
長崎の原爆による死者数。
-
被爆当時の地層が保存されている。
-
-
-
平和公園へ行ってみた。平和公園は爆心地近くの高台にあった刑務所跡地に作られた公園だ。
-
平和公園の入り口近くに防空壕が残されていた。
-
-
平和の泉。
-
-
平和祈念像
-
平和公園を離れ、路面電車で出島へ向かった。市電の出島停留所で下車。
出島和蘭商館跡。 -
-
出島の西側護岸石垣。
-
出島は周囲が埋め立てられてしまったが、島の形は想像しやすい。
-
-
-
しかし出島は休業中で敷地内には入れない。
-
-
出嶋橋。近代的なトラス橋だ。すでに建設から100年以上が経つ。
-
-
出島の中にある出島資料館本館(旧出島神学校)
-
外から島の石垣などを見学。これは南側護岸石垣。
-
-
夕食は中華街。
-
しかし閉まっている店が多く活気はない。
-
中国菜館 江山楼 中華街新館。
ちゃんぽんで有名な店だ。 -
王さんの特上ちゃんぽんを注文。濃厚で美味い。
-
特上はフカヒレ付き。これのために800円余分に払ったのはあまりコスパは良くない。
-
中島川沿いには歴史的な石橋が架かっている。
-
袋橋。
-
そして眼鏡橋。
-
川沿いに色とりどりのあじさいが飾られている。
-
-
-
眼鏡橋の横まで来た。
-
歩いてアパホテルに戻った。コロナの影響で今月末まで博物館系は全て臨時休業。観光らしいことはあまりできない。軍艦島クルーズも休止のようだ。
-
(翌朝)
8時にホテルを出発。朝食は駅前の吉野家でハムエッグ牛小鉢定食。 -
歩いて高島への船が出る長崎港ターミナルへ向かった。高島行きは8時50分発だ。
-
コロナの影響で入浴施設などとのセットになったチケットの販売はやっておらず、単純往復切符を購入することにした。
-
高島への船は中古の高速艇だ。
-
かなり大人数が乗れるが乗客はまばらだ。
-
途中伊王島を経由して高島まで34分の航海だ。
-
高島港に到着。
-
高島は軍艦島に比べて知名度は低いが、軍艦島と同じような条件の中で発展した島だ。最大の違いは今も人が住んでいるということだろう。
-
-
港近くには建て直された集合住宅があった。これは炭鉱とは関係なく島のコンパクトシティ化の一環だろう。
-
すぐ近くに数は多くないが炭鉱労働者向けの高層集合住宅が残っている。建物全体が無人になりつつあるが、そこにはまだ人の生活があり、軍艦島とは違った生きた近代高層建築物を垣間見ることができる。現在の住民の生活基盤は漁業やビニールハウスを使った農業で生計を立てているようだ。
島が広いので軍艦島のように人口密度が高くならず、土地には余裕があったようで建物がひしめくようなことはなかったようだ。夕張などで見られる平家の炭鉱住宅も多かったようだ。 -
でもこのような離島に高層の建物が建ち並ぶ光景は不思議な感じがする。
-
-
まず南の軍艦島の見える丘から軍艦島を見学。今回はコロナの影響で軍艦島訪問は叶わなかった。そもそも観光化された軍艦島には最初から行く気はなかったのだが。
-
-
遊歩道を上り、丘の上へ。
-
-
右奥の島が軍艦島だ。
-
右側は中ノ島。
-
-
-
-
-
軍艦島の見える丘から高島光町の高層住宅を眺める。
-
-
高島の町の説明。
-
そのあと島を歩いて一周することにした。石炭が無造作に落ちている。
-
光町の高層住宅の横を抜け島の西側へ。
-
-
窓ガラスが割れてかなり不気味な建物だ。取り壊されるのは時間の問題だろう。
-
-
この島は野良猫が多い。猫の糞に気をつけないといけない。
-
-
ガソリンスタンドの跡。
-
-
島の南西側から見た軍艦島と中ノ島。
-
軍艦島。やはり迫力が違う。一度は訪問する価値はありそうだ。
-
-
島に西側に廃墟が見えてきた。
-
蛎瀬工場跡地。現在はリサイクルセンター(ゴミ処理場)になっている。
-
-
なにやら階段があるがこの上に何があったかは不明。
-
高島の北側、飛島を眺める。
-
舗装された道路。
-
草木に覆われた舗装道路。かつては周辺に住宅が建ち並んでいたようだ。
-
石火矢台場・番所役宅跡。
-
斜面に舗装道路と階段が碁盤の目に整備されていた。
-
石垣の上に住宅があったのだろう。。
-
島の北側の蛎瀬地区にも高層住宅が残っていて、少しだけ人が住んでいる。
-
-
-
グラバー邸跡、
-
この崖の上がグラバー邸の敷地だったようだ。
-
北渓井抗跡。北渓井坑は、日本で最初に近代的採掘法を導入した炭坑だ。
-
かつてはここからトロッコで港に石炭を積み出していた。
-
ボイラーなど近代設備を備えていたようだ。
-
-
北渓井坑は、日本で最初に近代的採掘法を導入した炭坑です。蒸気機関による巻揚機やポンプなどの西洋の技術が導入された深さ43メートルの竪坑から、1日に300トンを出炭したといわれます。明治元年(1868)から開削し翌年に着炭しましたが、海水の流入により明治9年(1876)に廃坑しました。
北渓井坑跡は、近代的な炭坑技術が導入された初期の様相を伝える代表的な遺跡として国指定史跡となり、平成27年(2015)7月には世界文化遺産に登録されました。 -
-
-
-
階段を上がった先は蛎瀬の高層住宅。
-
-
三角溝。
-
二枚の石版を鋭角に組み合わせた古い側溝。
-
蛎瀬の高層住宅。
-
高島町本町
山の斜面に住宅街が広がりカトリック教会などもある。 -
この辺りは戸建ての家が多く、おそらく経営者レベルの位の高い人たちの居住地だったのかもしれない。大半の家は廃屋だが人が住んでいる家もある。
-
-
-
-
一体は車の通れない舗装された道路や階段が残っているが茂みに覆われて荒廃が進んでいる。
-
-
家は残ってないが区画整備された道路や石垣、階段などが残り、島の至る所が住宅地だったことがわかる。
-
日吉岡の高層住宅。あちらは完全に無人になって廃墟化している。一部を除いて近づくこともできない。
-
日吉岡の廃墟化した高層住宅。
-
蔦が二階部分まで伸びている。
-
高島海水浴場。夏はたくさんの観光客で賑わうようだ。
-
飛島
-
島を一周して高島港に戻ってきた。高島港近くの百万地区にも高層住宅が残っている。
-
この建物は完全に無人になっている。
-
危ないので立ち入り禁止になっていた。
-
島を循環するバス。船の到着に会わせて島を一周しているようだ。
-
コンニャク煉瓦の擁壁。
-
-
海底水道布設記念碑。
1974年に布設。本土から水を引くことで断水になる心配はなくなった。 -
尾浜坑坑口跡
-
南洋井坑 排気坑跡
-
仲山新坑坑口跡
昭和10年(1935)に開坑された斜坑。機材などの運搬用の坑口で、坑員の搬入・搬出および石炭の搬出が行われました。昭和20年(1945)、空襲時に発電所が被害を受け停電が発生。排水ができず、水没により廃坑になった。 -
-
石炭資料館。コロナのため臨時休業。
-
屋外の展示物は見学する事ができた。
-
軍艦島の模型。やはり建物の密集具合が高島とは全然違う。
-
坑内バッテリー機関車。
-
石炭運搬車。
-
坑内斜坑用人車。
-
-
給水車。
-
-
-
島を一周して再び高島港近くの光町高層住宅。
-
上層階は無人になり廃墟化しているが低層階はまだ人が住んでいる。
-
島唯一の酒屋。「田中酒店」
-
使用禁止になった公園の遊具。
-
-
無人になっ建物は立ち入り禁止になっている。
-
-
-
-
-
-
-
港に戻り、船が出るまで近くの「高島いやしの湯」という公衆浴場に入ることにした。潮風に吹かれながら島を一周したので体がべとつく。リフレッシュにはちょうどいい。入浴料は100円と安い。島の住民向けの銭湯になっているのだろう。シャンプーセットは別に100円払うことになった。
-
港には三菱創業者・岩崎彌太郎之像。港へ戻り船を待つことにした。
-
12時40分の船で長崎へ戻ることになる。高島をあとに。
-
-
高島・百万地区の高層住宅の廃墟。
-
長崎港到着。
-
歩いて駅前のアミュプラザ長崎という商業施設に向かった。
昼食は「おおやま」という店でもつ鍋を食べることにした。 -
馬刺しと辛子高菜と明太子がついてくる。博多ではもつ鍋屋が全滅していたが長崎は通常営業だ。
しかしおおやまは池袋にもある。 -
キャベツはおかわり無料だ。
-
今日の天気は下り坂だ。少し早いが14時55分のバスで空港へ向かうことにした。
空港バスが出る長崎県営バスターミナルに向かった。 -
-
-
空港へ向かう途中雨が降り出した。今回の旅行では門司で雨に降られたが、それ以外は比較的良好な天気だった。長崎で雨に降られると身動きが取れなくなっていたので天気がもったのは幸運だった。
大村インターを下りて長崎新幹線の新大村駅の建設現場の横を通って空港へ向かう。新大村駅から長崎空港はずいぶん近い。 -
長崎空港に到着。
-
-
長崎空港は大村沖にある海上空港だ。上空から見ると関空やセントレア、神戸、北九州などと同じタイプの空港だ。ただし長崎空港は元々あった箕島周辺を埋め立てて作られた空港で全てが埋め立てられたわけではない。1975年開業の世界初の海上空港で滑走路は3000メートルと長い。
-
搭乗する飛行機は17時25分発のスカイマーク神戸経由羽田行きになる。
-
便名は羽田まで通しになっている。国内線での経由便は珍しい。おそらくスカイマークだけだろう。昔、中部から茨城経由新千歳というのを利用したことがある。
神戸空港までは50分。 -
長崎から神戸、神戸から羽田の二枚の搭乗券が発券されている。
-
神戸空港では一旦空港へ下りて45分ほど待つことになる。19時10分発で改めて羽田へ向かう。長崎からの大半の客は羽田に向かうようだ。
羽田には20時20分に到着した。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
長崎市(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2021年 関門・西九州
0
211