大竹・廿日市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
該区間は、明治30年(1897年)9月25日開業である。<br />該区間途中停車場として、玖波(くば)驛、及び、大竹(おおたけ)驛が設置された。<br />但し、大竹停車場設置予定地に一部未買収地が存在し完成開通期日迄に正式停車場設置が困難となる事が判明した為に、該社は12月16日まで神戸方に仮停車場設置に依り対処を余儀無くさせられた。<br />該区間宮島Ⅰ(現 宮島口)-大竹間に活用可能な平地は殆ど存在せず、山麓通過形態となり海岸擁壁構築に依り路盤を設置したが、大野浦付近の如きは断崖絶壁が連続し該海浜余地すら存在せず海上護岸築堤を必要とした。<br /><br /><br />鐵道唱歌<br />第23番<br />岩國川の水上に<br />(いわくにがわの みなかみに)<br />かゝれる橋は算盤の<br />(かかれるはしは そろばんの)<br />玉を並べてし如くにて<br />(たまをならべて ごとくにて)<br />錦帯橋と名づけたり♪<br />(きんたいきょうと なづけたり)<br />岩國川と称する河川は存在せず、正式には錦川(にしきがわ)が正当である。<br /><br /><br />内閣鐵道院は、対朝鮮満州欧州連絡目的の為に、本邦初の特別急行列車運転を立案決定し、該列車は、明治45年(1912年)6月15日より新橋Ⅰ-下関Ⅰ間に於いて運転開始した。<br />即ち、該列車設定目的が別格故に12等車輌のみ連結し、一般庶民など相手にせず故に3等車は無連結で構成された。<br />因みに、該列車運転当時に於ける該区間2等寝台車片道利用は、運賃、特別急行料金、寝台料金合計144円92銭で、当時の米1俵(約60Kg)相当分の金額を要した。<br /><br /><br />宮島Ⅰ(現 宮島口)-玖波間は9.9Kmを有し、列車増発の為に列車交換施設として大正6年(1917年)7月13日附で 大野浦(おおのうら)信号所が設置され。<br />然し、地元佐伯郡大野村から西部鐵道管理局に対し驛昇格請願が行れた事から、驛開設に必要不動産一式を全額地元負担とする事を条件に該請願が認められ、大正8年(1919年)3月16日附で 大野浦驛昇格が実現した。<br /><br /><br />該区間複線化は、<br />    宮島Ⅰ(現 宮島口)-大野浦間 昭和 3年(1928年) 7月20日<br />    大野浦-玖波間         大正15年(1926年) 3月25日<br />    玖波-大竹間          昭和 2年(1927年) 3月15日<br />    大竹-岩國間                              大正15年(1926年)10月10日<br />である。<br /><br /><br />該線設置工事当時の廣島県大竹付近より山口県岩國付近に至る海浜の入浜式塩田は漸次干拓埋立工事が施工され、整備地には次々と大型工場が誘致され、当該工場への専用線が敷設された。<br /> 大野浦驛<br />  広陽化学工業   昭和38年(1963年) 2月   178m<br /> 大竹驛<br />  日本通運     昭和25年(1950年) 6月  1584m <br />  日本燃料                  8月  1318m<br />  三井石油化学工業 昭和31年(1956年) 9月  3433m<br />  極東工業                 10月   105m<br />  日本鉱業     昭和35年(1960年) 2月  1650m<br />  三井石油化学工業 昭和38年(1963年)11月   318m <br />  三井石油化学工業 昭和39年(1964年)11月  2213m<br /> 岩国驛<br />  帝人       大正15年(1926年) 5月  3522m<br />  山陽パルプ    昭和13年(1938年) 5月  3282m      <br /><br /><br />岩國Ⅰ驛は岩徳東線開通を前に、昭和4年(1929年)2月3日附で所在地名たる 麻里布(まりふ)驛に駅名改称した。<br /><br /><br />鐵道省工作局は、昭和4年(1929年)に小型船舶用ガソリン機関を活用して2軸式ガソリン動車 キハニ5000型を設計開発した。<br />該車は全長10mの2軸車輌で、池貝鐡工所が帝國海軍内火艇搭載用に開発した4気筒40馬力小型船舶用ガソリン機関1台を搭載し、同年7月に日本車輌製造本店に於いて計12両が完成したが、然し、当時既に民間で使用されていた軽量ガソリン動車群を参考にした形跡は皆無であり、頑丈ながら軽量化の考慮は全くされず、計算上総重量15瓲を超過する計19瓲となり、機関出力に対し車軸にコロ軸を採用せず平軸だった事から起動ですら息切状態だった。<br />車輌製造費は1両計18390円と算出されたが、当時の日本車輌製造標準型ガソリン動車1両計13000円から見ても極めて割高だった。<br /><br />該車輌は、完成後8月に東京大井工場内に搬入され、該車輌導入予定地たる、札幌機関庫、仙台機関庫、米原機関庫大垣分庫、姫路機関庫、廣島機関庫麻里布分庫、小松島機関庫各地より、機関手乗務員計20名、車輌整備関係者15名が集められ、該工場内に於いて構造実習後、実車乗務試運転を横濱線東神奈川-原町田(現 町田)間に於いて10日間に亘り実施された。<br /><br />該車輌2両が廣島機関庫麻里布分庫に配置され大竹-麻里布(現 岩国Ⅲ)-岩國Ⅱ(現 西岩国)間専用として導入されたが、昭和8年(1932年)には何故か大正期製造の蒸気動車キハニ6450型と交代した。<br />然し、利便性向上に依る該区間利用大量移動者を小型車輌に依る旅客輸送は困難を極め、昭和9年(1934年)にキハ41000型ガソリン動車と交代した。<br /><br /><br />東京-下関Ⅰ間運転特別急行第1、2列車 富士号は、通常時は廣島-徳山間無停車運転だったが、帝國海軍聯合艦隊旗艦他主要艦艇が山口縣柱島沖に駐泊する事から、座上する聯合艦隊司令長官が海軍大臣命令に拠り東京霞ケ関海軍省本省出頭命令受領時は、特に麻里布(現 岩国Ⅲ)に臨時停車させて対処した。<br /><br /><br />鐵道省は昭和17年(1942年)10月1日附白紙時刻改正を以って関門隧道下関Ⅱ-門司Ⅱ間旅客営業開始を計画していたが、8月17日夕刻に長崎付近に上陸した台風16号 周防灘台風は、屋久島通過時に最大940hPaを記録する超大型台風だった事から、該台風に依り該線徳山-厚狭間に甚大被害が発生した為に28日まで不通になり、該台風に依り開通後は貨物輸送を最優先とした事から、各驛で足止めされ滞留した旅客輸送を必要とした為に、鐵道省は廣島鐵道局と協議し、関釜航路用船舶 徳寿丸(3619.0瓲)を宮島Ⅱ-下関港間8月29日~9月7日就航、関門航路用船舶 下関丸Ⅱ(132.0瓲)を徳山-三田尻(現 防府間)9月4~7日就航させ輸送したが、該区間本復旧まで時間を要する事が判明した為に該時刻改正は11月15日附延期が決定された。<br />他方、該時刻改正に依り、東京-下関Ⅱ間を従来の特別急行列車より2時間30分短縮し、16時間運転の日着可能な特別急行列車運転を策定したが、既に大東亜戦争勃発後の戦時体制下に於いて線路保守困難を原因とする異常事故多発の該線実情に鑑み中止と決定し、該特別列車運転計画は幻と化した。<br /><br /><br />大東亜戦争中、該区間に於ける空襲被害は、<br />昭和20年(1945年)<br />5月10日 第21爆撃機軍団 第58航空隊 B29戦略爆撃機計92機<br />  警戒警報発令  9時30分<br />  空襲警報発令  9時40分<br />  空襲開始    9時43分<br />  空襲警報解除 10時00分<br />  警戒警報解除 10時10分<br /> 大竹-岩國Ⅲ間上下本線線路破壊計14箇所計1620m 枕木焼損計210本<br />大竹-岩國Ⅲ間<br /> 上り下関Ⅱ発大阪行 普通310列車10両編成<br />  スユニ30  18(大ミハソ)中破<br />  オロハ30  34(大ミハソ)小破<br />  マハ 47  41(大ミハソ)小破<br />  オハフ33             6(大ミハソ)小破<br />  スハ 32  130(大キト)小破<br />  スハ 32  296(大ヒメ)小破<br />  スハ 32  388(大ヒメ)小破<br />  オハフ40           2(大ミハソ)小破<br />  他形式番号不詳木造車計1両直撃弾命中に依り脱線大破<br />旅客職員は該列車乗務員の敏速適切な誘導に依り、新港隧道(80m)内に退避し全員無事。<br /> 復旧 上り線11日12時28分 下り線12日2時55分<br /><br />8月14日 第20航空軍団 第313航空隊 B29戦略爆撃機計126機 岩國大空襲<br />  警戒警報発令 11時20分<br />  空襲警報発令 11時30分<br />  空襲開始     11時37分<br />  空襲警報解除 12時15分<br />  警戒警報解除 12時20分<br />岩國大空襲は鐵道施設を攻撃主目標とした大東亜戦争中に於ける聯合國軍に依る最初にして最後の唯一の攻撃である。<br />大東亜戦争中に於ける國有鉄道敷地内に於いて空襲被害に依る旅客職員一般公衆死亡者単独300名以上発生甚大被災は、廣島長崎両原子爆弾被害を除き昭和20年(1945年)に集中発生した。<br /> 東京京橋銀座空襲  1月27日 東海道本線有楽町驛<br /> 東京大空襲     3月10日 総武本線錦糸町、亀戸、平井各驛<br /> 鹿児島大空襲    7月27日 鹿児島本線鹿児島驛<br /> 大阪東部空襲    8月13日 城東線(現 大阪環状線大阪-京橋-天王寺間)京橋驛<br />である。<br />然して、上記空襲に於ける爆撃被害は、聯合國軍に依る主目標は鐵道施設外であり、投下弾中逸弾が鐵道施設に命中したもので、岩國大空襲の如き、鐵道施設を主目標としたものでは無い。<br />該空襲に依り鐵道用地内250Kg爆弾被弾300発とされ岩國驛構内施設は全滅した。<br />該線神戸驛起点旧346.60Km~347.45Km地点本側線大破破壊<br />    応急復旧用資材<br />  30Kg軌条計3300m<br />  37Kg軌条計3000m <br />  枕木            計9000本<br />  各種分岐器     計25組<br />岩國驛<br />    驛本屋 上下線旅客ホーム上屋 旅客跨線橋 貨物ホーム上屋 東西信号取扱所 梃子取扱所 全焼全壊<br />     職員官舎 合宿所 大破全焼<br />     機関區 事務室 機関車庫 付属諸詰所 機関車転車台 大破破壊<br />     保線區 事務室 全滅<br />     通信區 車電區 全焼<br />    事務室半焼<br />構内被災車輌<br />      蒸気機関車<br /> C50型<br />  C50 39(岩國機関區配置)大破<br />  C50 84(岩國機関區配置)大破<br />  C50 87(岩國機関區配置)大破<br />    以上、昭和22年(1946年)3月 9日附戦災廃車。<br /> C53型<br />  C53 63(廣島第1機関區配置)大破<br />    以上、昭和24年(1949年)3月15日附戦災廃車。<br /> C59型<br />  C59 63(廣島第2機関區配置)大破<br />  C59 93(下関機関區配置)大破<br />    以上、昭和24年(1949年)3月29日附戦災廃車。<br /> D51型<br />  D51500(糸崎機関區配置)大破<br />  D51595(糸崎機関區配置)大破<br />  D51639(岩國機関區配置)大破<br />    以上、昭和22年(1947年)6月25日附戦災廃車。<br /> D52型<br />  D52 69(下関機関區配置)大破<br />    以上、昭和24年(1949年)6月25日附戦災廃車。<br />  D52116(廣島第1機関區配置)大破<br />  D52350(廣島第1機関區配置)大破<br />  D52443(岩國機関區配置)大破<br />    以上、昭和24年(1949年)3月29日附戦災廃車。 <br />      客車<br />     オハ 31 224(大ヒメ)小破<br />  スハフ32 307(廣ヒロ)小破<br />  オハ 35 224(大ヒメ)小破<br /> 以上、同月中復旧<br />  スロハ31  22(廣ヒロ)大破A<br />  スハ 32 238(東シナ)大破A<br />  オハフ33 184(廣イト)大破B<br />  オハ 35  71(東シナ)大破B<br />  スハ 36  24(東シナ)大破A<br />  オハ 41  45(東シナ)大破B<br />  マハ 47  12(東シナ)大破B<br />    A昭和21年(1947年) 3月31日附戦災廃車。<br />  B昭和22年(1948年) 1月14日附戦災廃車。<br />  他形式番号不詳木造車客車1両貨車2両全焼<br />職員死者計28名  行方不明者計35名 重軽傷者計17名以上 他学徒動員生徒計約110名行方不明<br />旅客死傷者数不詳<br /> 復旧18日20時15分<br />但し、復旧日時に就いては当時広島市宇品に所在し昭和26年(1951年)12月15日の広島鉄道管理局庁舎火災全焼時に当該資料類は焼失烏有に帰し判然とせず。<br /><br /><br />該区間内に於けるRTO設置駅は、<br /> 宮島口駅   <br />  昭和24年(1949年) 3月22日~昭和27年(1952年) 4月27日<br /> 大竹駅   <br />  昭和23年(1948年) 3月 5日~昭和25年(1950年) 5月 1日<br /> 岩国駅<br />  昭和21年(1946年) 2月25日~昭和27年(1952年) 4月27日<br />である。<br />岩国駅構内には昭和20年(1945年)8月14日爆撃に依り目ぼしい建造物が皆無に均しい状態から進駐軍も残存不動産接収困難と判断し、昭和21年(1946年)7月13日迄2等客車オロ31 72、7月13日より8月15日迄2等客車オロ31 104を事務所代用使用した。<br /><br /><br />9月17日襲来の枕崎台風に依り、宮島口-大竹間に甚大被害が発生し、特に大野浦駅裏山に於ける大規模土石流発生に依り該駅周辺地域一帯に埋没被害が発生したが、該区間復旧日時に就いては昭和26年(1951年)12月15日の広島鉄道管理局庁舎火災全焼時に当該資料類は焼失烏有に帰し不明である。<br /><br /><br />昭和21年(1946年)5月6日5時2分頃、玖波-大竹間神戸起点旧339Km730m地点に於いて重大事故が発生した。<br />即ち、下り急行第1列車D51型蒸気機関車D51110(下関機関区配置)牽引9両編成は、該地点通過中に機関士が異音を感知した為に急停車した処、機関車、客車1~7両が脱線、炭水車右40度傾斜、客車3~5両目左45度傾斜、7両目脱線。<br />事故原因は、軌条状態不良の為に機関車が蛇行動を助長し横圧非負担と断定。<br />該事故に依り、旅客1名軽傷。<br />復旧日時不明。<br /><br /><br />昭和30年(1955年)4月17日、大野浦-玖波間に於いて走行中の下り東京発呉線経由博多行急行第1005列車 早鞆号 スロ60 4(大ミハ) 連結器故障開錠状態発生に依る列車分離事故が発生した。<br />該車輌は昭和25年(1950年)3月附で木造客車ナハ22000型ナハ23778を活用し 大井工機部に於いて鋼体化された車輌で、台枠、床下機器、連結器は原車輌使用品を再流用したが、連結器本体はアライアンス式流用物で老朽化が深刻な状態下に於いて使用中に発生した事故だった。<br /><br /><br />昭和31年(1956年)5月9日20時06分頃、大竹駅構内門司方に存在する栄町第1踏切に於いて重大事故が発生した。<br />即ち、該踏切は当時有人踏切で踏切警手職員が管理していたが、当時担当職員は、下り普通糸崎発岩国行第437列車通過を失念した為に、遮断機閉止操作を行使せず、且つ、踏切一時停止安全確認を怠った大竹市営交通バスが該踏切横断中に該列車と衝突し該バスは大破した。<br />該事故に依り該バス運転手は即死、公衆4名死亡、公衆14名が重軽傷を負った。<br />該踏切警手は逮捕起訴され、一審に於いて禁固1箇年、二審に於いて控訴棄却判決を受け実刑が確定した。<br />該バス運転手は死亡の為に不起訴処分。<br />日本国有鉄道は死亡公衆遺族に対し見舞金として個々450000~1300000円、負傷公衆に対し個々20000~800000円を支払った。<br />その後、日本国有鉄道は大竹市と交渉の結果、日本国有鉄道7割、大竹市3割の責任を認め、該市バス車輛損害金計1794132円を該市に対し支払った。<br /><br /><br />該区間内には開業以来、隧道が点在し該区間電化決定と共に隧道坑内建築限界抵触架線内吊張建築限界口径不足の為に、当該隧道改築の為に当該隧道手前に臨時信号場を設置し最低単線区間により対処した。<br />宮島口-大野浦間 賀憮津(がむつ)信号場    昭和36年(1961年) 8月21日設置<br />                                  12月21日廃止<br />大野浦-玖波間  八坂(やさか)信号場               昭和38年(1963年)11月15日設置<br />                            昭和39年(1964年) 5月20日廃止<br />玖波-大竹間    小方(おがた)信号場             昭和34年(1959年)12月26日設置<br />                                                    昭和35年(1960年) 3月31日廃止<br />大竹-岩国Ⅲ間 新港(しんみなと)信号場           昭和35年(1960年) 4月25日設置            7月20日廃止                  <br /><br /><br />該区間は、昭和39年(1964年)7月25日附で直流1500V電化工事が完成し、10月1日附時刻改正時より電気機関車牽引優等客車列車、及び、電車運転が開始されたが、一部普通客車列車、及び、貨物列車は、一部変電所変圧器未成状態、及び、電気機関車絶対数不足の為に蒸気機関車牽引運転が残存し、翌昭和40年(1965年)6月1日附時刻訂補に依り殆どの列車が電気機関車牽引運転となった。<br /><br /><br />昭和60年代後半ともなると、広島市内域内新規宅地化が困難になった事から、廿日市市郊外へと拡大し前空地区住宅団地が形成されたが、他方、最寄鉄道駅は宮島口しか存在せず、且つ、該駅への取付道路が1本しか存在しない為に送迎用自動車が集中する事から、僅か2.5Km程度の距離に自動車で1時間以上要する事態へと発展した事から、廿日市市は西日本旅客鉄道広島支社に対し新駅設置に関する陳情を反復させた結果、新駅設置に関し全費用地元負担を条件に認められた事から平成12年(2000年)3月11日附で開業した。<br /><br /><br />該線大竹-岩国Ⅲ間5.3Kmは途中停車場が存在せず、岩国市東部地区住民は長年に亘り不便が生じていたが、該地域に新興住宅街設置が決定した事から、岩国市より西日本旅客鉄道に対し新駅設置に関する陳情が行われた事で、西日本旅客鉄道側回答として新駅設置に関する不動産一式を全額地元負担とする事で了承が得られた為に平成20年(2008年)3月15日附で開業した。<br /><br /><br />岩国駅弁当販売は、明治44年(1911年)創業の 錦水軒(きんすいけん)が行っていた。<br />即ち、該社は同年に該駅弁当販売を廃業した 白井の該駅構内販売権を継承したものである。<br />白井に関する資料類は、監督官庁たる廣島管理部、及び、該驛が戦災に依る原資料焼失に依り実体は不明である。<br />該社は大正2年(1913年)に該駅前に該ホテル前身たる蔵重旅館を開業した。<br />然るに、該社は経営不振が原因で、平成17年(2005年)5月に経営破産し弁当販売から撤退を余儀無くさせられた。<br /><br /><br />平成30年(2018年)7月豪雨は、近畿西部地区、及び、中国四国地方に甚大被害を与えた。<br />即ち、6月28日から連日降雨は7月6日になり記録的集中豪雨状態となり、当該各地に於いて観測史上最大規模の雨量を記録した。<br />此の為に、当該Ⅲ記録的豪雨被害の為に該区間各地に於いて土砂崩壊、築堤崩壊、河川氾濫等々被害が続出し、山陽本線は7月6日より相生-下関Ⅱ間が不通になった。<br />復旧は、<br /> 広島-岩国Ⅲ間 7月 9日<br />である。<br /><br /><br /><br /><br />表紙写真は、<br />前空駅付近を走行するEF210型電気機関車牽引上り貨物列車<br /><br /><br /><br /><br />山陽本線歴史的痕跡探訪記<br />~神戸-須磨間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11342842<br />~神戸兵庫臨港線編~<br /><br />~須磨-西明石編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11347902<br />~西明石-加古川間編 明治頌歌~<br /><br />~加古川-姫路間編 明治頌歌~<br /><br />~姫路-網干間編 明治頌歌~<br /><br />~網干-相生間編 明治頌歌~<br /><br />~相生-上郡間編 明治頌歌~<br /><br />~上郡-三石間編 明治頌歌~<br /><br />~三石-和気間編 明治頌歌~<br /><br />~和気-瀬戸間編 明治頌歌~<br /><br />~瀬戸-東岡山間編 明治頌歌~<br /><br />~東岡山-岡山間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11565121<br />~岡山-倉敷間編 明治頌歌~<br /><br />~倉敷-新倉敷間編 明治頌歌~<br /><br />~新倉敷-笠岡間編 明治頌歌~<br /><br />~笠岡-福山間編 明治頌歌~<br /><br />~福山-尾道間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11717471<br />~尾道-三原Ⅱ間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11693199<br />~三原Ⅱ-河内間編 明治頌歌~<br /><br />~河内-西條間編 明治頌歌~<br /><br />~西條-瀬野間編 明治頌歌~<br /><br />~瀬野-海田市間編 明治頌歌~<br /><br />~海田市-廣島間編 明治頌歌~<br /><br />~廣島-宮島口間編 明治頌歌~<br /><br />~宮島口-岩國間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/11694390<br />~岩國-由宇間編 明治頌歌~<br /><br />~由宇-柳井間編 明治頌歌~<br /><br />~柳井-光間編 明治頌歌~<br /><br />~光-徳山間編 明治頌歌~<br /><br />~徳山-防府間編 明治頌歌~<br /><br />~防府-新山口間編 明治頌歌~<br /><br />~新山口-宇部間編 明治頌歌~<br /><br />~宇部-厚狭間編 明治頌歌~<br /><br />~厚狭-長府間編 明治頌歌~<br /><br />~長府-下関Ⅱ間編 明治頌歌<br /><br />~下関Ⅱ-門司Ⅱ間編 明治頌歌~<br />

山陽本線歴史的痕跡探訪記 ~宮島口-岩國間編 明治頌歌~

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2022/03/30 - 2022/03/31

1位(同エリア74件中)

4

125

横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

該区間は、明治30年(1897年)9月25日開業である。
該区間途中停車場として、玖波(くば)驛、及び、大竹(おおたけ)驛が設置された。
但し、大竹停車場設置予定地に一部未買収地が存在し完成開通期日迄に正式停車場設置が困難となる事が判明した為に、該社は12月16日まで神戸方に仮停車場設置に依り対処を余儀無くさせられた。
該区間宮島Ⅰ(現 宮島口)-大竹間に活用可能な平地は殆ど存在せず、山麓通過形態となり海岸擁壁構築に依り路盤を設置したが、大野浦付近の如きは断崖絶壁が連続し該海浜余地すら存在せず海上護岸築堤を必要とした。


鐵道唱歌
第23番
岩國川の水上に
(いわくにがわの みなかみに)
かゝれる橋は算盤の
(かかれるはしは そろばんの)
玉を並べてし如くにて
(たまをならべて ごとくにて)
錦帯橋と名づけたり♪
(きんたいきょうと なづけたり)
岩國川と称する河川は存在せず、正式には錦川(にしきがわ)が正当である。


内閣鐵道院は、対朝鮮満州欧州連絡目的の為に、本邦初の特別急行列車運転を立案決定し、該列車は、明治45年(1912年)6月15日より新橋Ⅰ-下関Ⅰ間に於いて運転開始した。
即ち、該列車設定目的が別格故に12等車輌のみ連結し、一般庶民など相手にせず故に3等車は無連結で構成された。
因みに、該列車運転当時に於ける該区間2等寝台車片道利用は、運賃、特別急行料金、寝台料金合計144円92銭で、当時の米1俵(約60Kg)相当分の金額を要した。


宮島Ⅰ(現 宮島口)-玖波間は9.9Kmを有し、列車増発の為に列車交換施設として大正6年(1917年)7月13日附で 大野浦(おおのうら)信号所が設置され。
然し、地元佐伯郡大野村から西部鐵道管理局に対し驛昇格請願が行れた事から、驛開設に必要不動産一式を全額地元負担とする事を条件に該請願が認められ、大正8年(1919年)3月16日附で 大野浦驛昇格が実現した。


該区間複線化は、
  宮島Ⅰ(現 宮島口)-大野浦間 昭和 3年(1928年) 7月20日
  大野浦-玖波間         大正15年(1926年) 3月25日
  玖波-大竹間          昭和 2年(1927年) 3月15日
  大竹-岩國間            大正15年(1926年)10月10日
である。


該線設置工事当時の廣島県大竹付近より山口県岩國付近に至る海浜の入浜式塩田は漸次干拓埋立工事が施工され、整備地には次々と大型工場が誘致され、当該工場への専用線が敷設された。
 大野浦驛
  広陽化学工業   昭和38年(1963年) 2月   178m
 大竹驛
  日本通運     昭和25年(1950年) 6月  1584m 
  日本燃料                  8月  1318m
  三井石油化学工業 昭和31年(1956年) 9月  3433m
  極東工業                 10月   105m
  日本鉱業     昭和35年(1960年) 2月  1650m
  三井石油化学工業 昭和38年(1963年)11月   318m 
  三井石油化学工業 昭和39年(1964年)11月  2213m
 岩国驛
  帝人       大正15年(1926年) 5月  3522m
  山陽パルプ    昭和13年(1938年) 5月  3282m      


岩國Ⅰ驛は岩徳東線開通を前に、昭和4年(1929年)2月3日附で所在地名たる 麻里布(まりふ)驛に駅名改称した。


鐵道省工作局は、昭和4年(1929年)に小型船舶用ガソリン機関を活用して2軸式ガソリン動車 キハニ5000型を設計開発した。
該車は全長10mの2軸車輌で、池貝鐡工所が帝國海軍内火艇搭載用に開発した4気筒40馬力小型船舶用ガソリン機関1台を搭載し、同年7月に日本車輌製造本店に於いて計12両が完成したが、然し、当時既に民間で使用されていた軽量ガソリン動車群を参考にした形跡は皆無であり、頑丈ながら軽量化の考慮は全くされず、計算上総重量15瓲を超過する計19瓲となり、機関出力に対し車軸にコロ軸を採用せず平軸だった事から起動ですら息切状態だった。
車輌製造費は1両計18390円と算出されたが、当時の日本車輌製造標準型ガソリン動車1両計13000円から見ても極めて割高だった。

該車輌は、完成後8月に東京大井工場内に搬入され、該車輌導入予定地たる、札幌機関庫、仙台機関庫、米原機関庫大垣分庫、姫路機関庫、廣島機関庫麻里布分庫、小松島機関庫各地より、機関手乗務員計20名、車輌整備関係者15名が集められ、該工場内に於いて構造実習後、実車乗務試運転を横濱線東神奈川-原町田(現 町田)間に於いて10日間に亘り実施された。

該車輌2両が廣島機関庫麻里布分庫に配置され大竹-麻里布(現 岩国Ⅲ)-岩國Ⅱ(現 西岩国)間専用として導入されたが、昭和8年(1932年)には何故か大正期製造の蒸気動車キハニ6450型と交代した。
然し、利便性向上に依る該区間利用大量移動者を小型車輌に依る旅客輸送は困難を極め、昭和9年(1934年)にキハ41000型ガソリン動車と交代した。


東京-下関Ⅰ間運転特別急行第1、2列車 富士号は、通常時は廣島-徳山間無停車運転だったが、帝國海軍聯合艦隊旗艦他主要艦艇が山口縣柱島沖に駐泊する事から、座上する聯合艦隊司令長官が海軍大臣命令に拠り東京霞ケ関海軍省本省出頭命令受領時は、特に麻里布(現 岩国Ⅲ)に臨時停車させて対処した。


鐵道省は昭和17年(1942年)10月1日附白紙時刻改正を以って関門隧道下関Ⅱ-門司Ⅱ間旅客営業開始を計画していたが、8月17日夕刻に長崎付近に上陸した台風16号 周防灘台風は、屋久島通過時に最大940hPaを記録する超大型台風だった事から、該台風に依り該線徳山-厚狭間に甚大被害が発生した為に28日まで不通になり、該台風に依り開通後は貨物輸送を最優先とした事から、各驛で足止めされ滞留した旅客輸送を必要とした為に、鐵道省は廣島鐵道局と協議し、関釜航路用船舶 徳寿丸(3619.0瓲)を宮島Ⅱ-下関港間8月29日~9月7日就航、関門航路用船舶 下関丸Ⅱ(132.0瓲)を徳山-三田尻(現 防府間)9月4~7日就航させ輸送したが、該区間本復旧まで時間を要する事が判明した為に該時刻改正は11月15日附延期が決定された。
他方、該時刻改正に依り、東京-下関Ⅱ間を従来の特別急行列車より2時間30分短縮し、16時間運転の日着可能な特別急行列車運転を策定したが、既に大東亜戦争勃発後の戦時体制下に於いて線路保守困難を原因とする異常事故多発の該線実情に鑑み中止と決定し、該特別列車運転計画は幻と化した。


大東亜戦争中、該区間に於ける空襲被害は、
昭和20年(1945年)
5月10日 第21爆撃機軍団 第58航空隊 B29戦略爆撃機計92機
  警戒警報発令  9時30分
  空襲警報発令  9時40分
  空襲開始    9時43分
  空襲警報解除 10時00分
  警戒警報解除 10時10分
大竹-岩國Ⅲ間上下本線線路破壊計14箇所計1620m 枕木焼損計210本
大竹-岩國Ⅲ間
上り下関Ⅱ発大阪行 普通310列車10両編成
  スユニ30  18(大ミハソ)中破
  オロハ30  34(大ミハソ)小破
  マハ 47  41(大ミハソ)小破
  オハフ33   6(大ミハソ)小破
  スハ 32 130(大キト)小破
  スハ 32 296(大ヒメ)小破
  スハ 32 388(大ヒメ)小破
  オハフ40   2(大ミハソ)小破
  他形式番号不詳木造車計1両直撃弾命中に依り脱線大破
旅客職員は該列車乗務員の敏速適切な誘導に依り、新港隧道(80m)内に退避し全員無事。
 復旧 上り線11日12時28分 下り線12日2時55分

8月14日 第20航空軍団 第313航空隊 B29戦略爆撃機計126機 岩國大空襲
  警戒警報発令 11時20分
  空襲警報発令 11時30分
  空襲開始   11時37分
  空襲警報解除 12時15分
  警戒警報解除 12時20分
岩國大空襲は鐵道施設を攻撃主目標とした大東亜戦争中に於ける聯合國軍に依る最初にして最後の唯一の攻撃である。
大東亜戦争中に於ける國有鉄道敷地内に於いて空襲被害に依る旅客職員一般公衆死亡者単独300名以上発生甚大被災は、廣島長崎両原子爆弾被害を除き昭和20年(1945年)に集中発生した。
 東京京橋銀座空襲  1月27日 東海道本線有楽町驛
 東京大空襲     3月10日 総武本線錦糸町、亀戸、平井各驛
 鹿児島大空襲    7月27日 鹿児島本線鹿児島驛
 大阪東部空襲    8月13日 城東線(現 大阪環状線大阪-京橋-天王寺間)京橋驛
である。
然して、上記空襲に於ける爆撃被害は、聯合國軍に依る主目標は鐵道施設外であり、投下弾中逸弾が鐵道施設に命中したもので、岩國大空襲の如き、鐵道施設を主目標としたものでは無い。
該空襲に依り鐵道用地内250Kg爆弾被弾300発とされ岩國驛構内施設は全滅した。
該線神戸驛起点旧346.60Km~347.45Km地点本側線大破破壊
応急復旧用資材
 30Kg軌条計3300m
 37Kg軌条計3000m
  枕木 計9000本
  各種分岐器    計25組
岩國驛
 驛本屋 上下線旅客ホーム上屋 旅客跨線橋 貨物ホーム上屋 東西信号取扱所 梃子取扱所 全焼全壊
 職員官舎 合宿所 大破全焼
 機関區 事務室 機関車庫 付属諸詰所 機関車転車台 大破破壊
 保線區 事務室 全滅
 通信區 車電區 全焼
 事務室半焼
構内被災車輌
蒸気機関車
 C50型
  C50 39(岩國機関區配置)大破
  C50 84(岩國機関區配置)大破
  C50 87(岩國機関區配置)大破
    以上、昭和22年(1946年)3月 9日附戦災廃車。
 C53型
  C53 63(廣島第1機関區配置)大破
    以上、昭和24年(1949年)3月15日附戦災廃車。
 C59型
  C59 63(廣島第2機関區配置)大破
  C59 93(下関機関區配置)大破
    以上、昭和24年(1949年)3月29日附戦災廃車。
 D51型
  D51500(糸崎機関區配置)大破
  D51595(糸崎機関區配置)大破
  D51639(岩國機関區配置)大破
    以上、昭和22年(1947年)6月25日附戦災廃車。
 D52型
  D52 69(下関機関區配置)大破
    以上、昭和24年(1949年)6月25日附戦災廃車。
  D52116(廣島第1機関區配置)大破
  D52350(廣島第1機関區配置)大破
  D52443(岩國機関區配置)大破
    以上、昭和24年(1949年)3月29日附戦災廃車。 
客車
  オハ 31 224(大ヒメ)小破
  スハフ32 307(廣ヒロ)小破
  オハ 35 224(大ヒメ)小破
 以上、同月中復旧
  スロハ31  22(廣ヒロ)大破A
  スハ 32 238(東シナ)大破A
  オハフ33 184(廣イト)大破B
  オハ 35  71(東シナ)大破B
  スハ 36  24(東シナ)大破A
  オハ 41  45(東シナ)大破B
  マハ 47  12(東シナ)大破B
A昭和21年(1947年) 3月31日附戦災廃車。
B昭和22年(1948年) 1月14日附戦災廃車。
  他形式番号不詳木造車客車1両貨車2両全焼
職員死者計28名 行方不明者計35名 重軽傷者計17名以上 他学徒動員生徒計約110名行方不明
旅客死傷者数不詳
 復旧18日20時15分
但し、復旧日時に就いては当時広島市宇品に所在し昭和26年(1951年)12月15日の広島鉄道管理局庁舎火災全焼時に当該資料類は焼失烏有に帰し判然とせず。


該区間内に於けるRTO設置駅は、
 宮島口駅 
  昭和24年(1949年) 3月22日~昭和27年(1952年) 4月27日
 大竹駅 
  昭和23年(1948年) 3月 5日~昭和25年(1950年) 5月 1日
 岩国駅
  昭和21年(1946年) 2月25日~昭和27年(1952年) 4月27日
である。
岩国駅構内には昭和20年(1945年)8月14日爆撃に依り目ぼしい建造物が皆無に均しい状態から進駐軍も残存不動産接収困難と判断し、昭和21年(1946年)7月13日迄2等客車オロ31 72、7月13日より8月15日迄2等客車オロ31 104を事務所代用使用した。


9月17日襲来の枕崎台風に依り、宮島口-大竹間に甚大被害が発生し、特に大野浦駅裏山に於ける大規模土石流発生に依り該駅周辺地域一帯に埋没被害が発生したが、該区間復旧日時に就いては昭和26年(1951年)12月15日の広島鉄道管理局庁舎火災全焼時に当該資料類は焼失烏有に帰し不明である。


昭和21年(1946年)5月6日5時2分頃、玖波-大竹間神戸起点旧339Km730m地点に於いて重大事故が発生した。
即ち、下り急行第1列車D51型蒸気機関車D51110(下関機関区配置)牽引9両編成は、該地点通過中に機関士が異音を感知した為に急停車した処、機関車、客車1~7両が脱線、炭水車右40度傾斜、客車3~5両目左45度傾斜、7両目脱線。
事故原因は、軌条状態不良の為に機関車が蛇行動を助長し横圧非負担と断定。
該事故に依り、旅客1名軽傷。
復旧日時不明。


昭和30年(1955年)4月17日、大野浦-玖波間に於いて走行中の下り東京発呉線経由博多行急行第1005列車 早鞆号 スロ60 4(大ミハ) 連結器故障開錠状態発生に依る列車分離事故が発生した。
該車輌は昭和25年(1950年)3月附で木造客車ナハ22000型ナハ23778を活用し 大井工機部に於いて鋼体化された車輌で、台枠、床下機器、連結器は原車輌使用品を再流用したが、連結器本体はアライアンス式流用物で老朽化が深刻な状態下に於いて使用中に発生した事故だった。


昭和31年(1956年)5月9日20時06分頃、大竹駅構内門司方に存在する栄町第1踏切に於いて重大事故が発生した。
即ち、該踏切は当時有人踏切で踏切警手職員が管理していたが、当時担当職員は、下り普通糸崎発岩国行第437列車通過を失念した為に、遮断機閉止操作を行使せず、且つ、踏切一時停止安全確認を怠った大竹市営交通バスが該踏切横断中に該列車と衝突し該バスは大破した。
該事故に依り該バス運転手は即死、公衆4名死亡、公衆14名が重軽傷を負った。
該踏切警手は逮捕起訴され、一審に於いて禁固1箇年、二審に於いて控訴棄却判決を受け実刑が確定した。
該バス運転手は死亡の為に不起訴処分。
日本国有鉄道は死亡公衆遺族に対し見舞金として個々450000~1300000円、負傷公衆に対し個々20000~800000円を支払った。
その後、日本国有鉄道は大竹市と交渉の結果、日本国有鉄道7割、大竹市3割の責任を認め、該市バス車輛損害金計1794132円を該市に対し支払った。


該区間内には開業以来、隧道が点在し該区間電化決定と共に隧道坑内建築限界抵触架線内吊張建築限界口径不足の為に、当該隧道改築の為に当該隧道手前に臨時信号場を設置し最低単線区間により対処した。
宮島口-大野浦間 賀憮津(がむつ)信号場   昭和36年(1961年) 8月21日設置
                                  12月21日廃止
大野浦-玖波間  八坂(やさか)信号場     昭和38年(1963年)11月15日設置
                      昭和39年(1964年) 5月20日廃止
玖波-大竹間   小方(おがた)信号場    昭和34年(1959年)12月26日設置
                       昭和35年(1960年) 3月31日廃止
大竹-岩国Ⅲ間 新港(しんみなと)信号場 昭和35年(1960年) 4月25日設置            7月20日廃止             


該区間は、昭和39年(1964年)7月25日附で直流1500V電化工事が完成し、10月1日附時刻改正時より電気機関車牽引優等客車列車、及び、電車運転が開始されたが、一部普通客車列車、及び、貨物列車は、一部変電所変圧器未成状態、及び、電気機関車絶対数不足の為に蒸気機関車牽引運転が残存し、翌昭和40年(1965年)6月1日附時刻訂補に依り殆どの列車が電気機関車牽引運転となった。


昭和60年代後半ともなると、広島市内域内新規宅地化が困難になった事から、廿日市市郊外へと拡大し前空地区住宅団地が形成されたが、他方、最寄鉄道駅は宮島口しか存在せず、且つ、該駅への取付道路が1本しか存在しない為に送迎用自動車が集中する事から、僅か2.5Km程度の距離に自動車で1時間以上要する事態へと発展した事から、廿日市市は西日本旅客鉄道広島支社に対し新駅設置に関する陳情を反復させた結果、新駅設置に関し全費用地元負担を条件に認められた事から平成12年(2000年)3月11日附で開業した。


該線大竹-岩国Ⅲ間5.3Kmは途中停車場が存在せず、岩国市東部地区住民は長年に亘り不便が生じていたが、該地域に新興住宅街設置が決定した事から、岩国市より西日本旅客鉄道に対し新駅設置に関する陳情が行われた事で、西日本旅客鉄道側回答として新駅設置に関する不動産一式を全額地元負担とする事で了承が得られた為に平成20年(2008年)3月15日附で開業した。


岩国駅弁当販売は、明治44年(1911年)創業の 錦水軒(きんすいけん)が行っていた。
即ち、該社は同年に該駅弁当販売を廃業した 白井の該駅構内販売権を継承したものである。
白井に関する資料類は、監督官庁たる廣島管理部、及び、該驛が戦災に依る原資料焼失に依り実体は不明である。
該社は大正2年(1913年)に該駅前に該ホテル前身たる蔵重旅館を開業した。
然るに、該社は経営不振が原因で、平成17年(2005年)5月に経営破産し弁当販売から撤退を余儀無くさせられた。


平成30年(2018年)7月豪雨は、近畿西部地区、及び、中国四国地方に甚大被害を与えた。
即ち、6月28日から連日降雨は7月6日になり記録的集中豪雨状態となり、当該各地に於いて観測史上最大規模の雨量を記録した。
此の為に、当該Ⅲ記録的豪雨被害の為に該区間各地に於いて土砂崩壊、築堤崩壊、河川氾濫等々被害が続出し、山陽本線は7月6日より相生-下関Ⅱ間が不通になった。
復旧は、
 広島-岩国Ⅲ間 7月 9日
である。




表紙写真は、
前空駅付近を走行するEF210型電気機関車牽引上り貨物列車




山陽本線歴史的痕跡探訪記
~神戸-須磨間編 明治頌歌~
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~神戸兵庫臨港線編~

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~加古川-姫路間編 明治頌歌~

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~宇部-厚狭間編 明治頌歌~

~厚狭-長府間編 明治頌歌~

~長府-下関Ⅱ間編 明治頌歌

~下関Ⅱ-門司Ⅱ間編 明治頌歌~

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
5.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 宮島口(みやじまぐち)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。<br />但し、該駅開業当初は 宮島(みやじま)Ⅰ駅と称した。<br />該駅設置に鑑み、該駅周辺に停車場設置に要する土地が僅少だった事から、海岸擁壁構築に依り土地造成を行った。<br />該駅は、宮島厳島神社最寄駅として設置された事も有り、大東亜戦争勃発以前より大半の普通急行列車停車を実施していた。<br />他方、他地より訪れた者に該駅当該神社至近存在との誤解が多く、此の為に、昭和17年(1942年)4月1日附を以って宮島Ⅰ→宮島口(みやじまぐち)駅、厳島→宮島(みやじま)Ⅱ駅に改称された。<br />初代駅本屋は山陽鉄道開業時設置の為に老朽化が著しい事から電化に併せて改築が決定し、昭和39年(1964年)9月11日附改築で現第2代駅本屋が竣工した。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    宮島口(みやじまぐち)駅



    該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。
    但し、該駅開業当初は 宮島(みやじま)Ⅰ駅と称した。
    該駅設置に鑑み、該駅周辺に停車場設置に要する土地が僅少だった事から、海岸擁壁構築に依り土地造成を行った。
    該駅は、宮島厳島神社最寄駅として設置された事も有り、大東亜戦争勃発以前より大半の普通急行列車停車を実施していた。
    他方、他地より訪れた者に該駅当該神社至近存在との誤解が多く、此の為に、昭和17年(1942年)4月1日附を以って宮島Ⅰ→宮島口(みやじまぐち)駅、厳島→宮島(みやじま)Ⅱ駅に改称された。
    初代駅本屋は山陽鉄道開業時設置の為に老朽化が著しい事から電化に併せて改築が決定し、昭和39年(1964年)9月11日附改築で現第2代駅本屋が竣工した。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面<br />現駅本屋は第2代で昭和39年(1964年)9月11日附改築。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    宮島口駅



    駅本屋
    正面
    現駅本屋は第2代で昭和39年(1964年)9月11日附改築。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />日本国有鉄道時代は、荷物車郵便車連結の長距離優等列車停車も有り、近隣他駅よりホーム長を有する。

    宮島口駅



    旅客第1番ホーム
    日本国有鉄道時代は、荷物車郵便車連結の長距離優等列車停車も有り、近隣他駅よりホーム長を有する。

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />宮島口駅開業100周年記念碑<br />平成9年(1997年)9月25日建立。

    宮島口駅



    旅客第1番ホーム
    宮島口駅開業100周年記念碑
    平成9年(1997年)9月25日建立。

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋<br />門司方<br />俯瞰

    宮島口駅



    旅客跨線橋
    門司方
    俯瞰

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋<br />橋上部<br />支柱は古軌条多用。

    宮島口駅



    旅客跨線橋
    橋上部
    支柱は古軌条多用。

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋<br />外観

    宮島口駅



    旅客跨線橋
    外観

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客第2番ホーム<br />全景

    宮島口駅



    旅客第2番ホーム
    全景

    宮島口駅

  • 宮島口駅<br /><br /><br /><br />旅客第2番ホーム<br />昭和50年(1975年)3月9日附で廃止された、国鉄時代の、つばめ、はと、しおじ等々の山陽本線L特急列車運転時代の扉停車位置目標が薄残存。

    宮島口駅



    旅客第2番ホーム
    昭和50年(1975年)3月9日附で廃止された、国鉄時代の、つばめ、はと、しおじ等々の山陽本線L特急列車運転時代の扉停車位置目標が薄残存。

    宮島口駅

  • 宮島口-前空間<br /><br /><br /><br />宮島口駅<br />構内<br />神戸方俯瞰<br />写真右手に於いて貨物取扱施設が存在した。

    宮島口-前空間



    宮島口駅
    構内
    神戸方俯瞰
    写真右手に於いて貨物取扱施設が存在した。

  • 前空(まえぞら)駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />該駅は、平成12年(2000年)3月11日開業である。<br />昭和60年代後半ともなると、広島市内域内新規宅地化が困難になった事から、発廿日市市郊外へと拡大し前空地区住宅団地が形成されたが、他方、最寄鉄道駅は宮島口しか存在せず、且つ、該駅への取付道路が1本しか存在しない為に、僅か2.5Km程度に、自動車で1時間以上要する事態へと発展した事から、廿日市市は西日本旅客鉄道広島支社に対し新駅設置に関する陳情を反復させた結果、新駅設置に関し全費用地元負担を条件に認められた事から開業に至ったものである。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800667

    前空(まえぞら)駅



    駅本屋
    該駅は、平成12年(2000年)3月11日開業である。
    昭和60年代後半ともなると、広島市内域内新規宅地化が困難になった事から、発廿日市市郊外へと拡大し前空地区住宅団地が形成されたが、他方、最寄鉄道駅は宮島口しか存在せず、且つ、該駅への取付道路が1本しか存在しない為に、僅か2.5Km程度に、自動車で1時間以上要する事態へと発展した事から、廿日市市は西日本旅客鉄道広島支社に対し新駅設置に関する陳情を反復させた結果、新駅設置に関し全費用地元負担を条件に認められた事から開業に至ったものである。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800667

    前空駅

  • 前空駅<br /><br /><br /><br />南口<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800667

    前空駅



    南口
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800667

    前空駅

  • 前空駅<br /><br /><br /><br />出改札口<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800667

    前空駅



    出改札口
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800667

    前空駅

  • 前空駅<br /><br /><br /><br />構内<br />手前下り線に対し、上り線は該駅旅客ホームに対し下り勾配構造。<br />停車列車運転士は制動扱に神経を尖らす。

    前空駅



    構内
    手前下り線に対し、上り線は該駅旅客ホームに対し下り勾配構造。
    停車列車運転士は制動扱に神経を尖らす。

    前空駅

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />物見山(ものみやま)隧道<br />73.22m<br />神戸方<br />坑口<br />弩□改築

    前空-大野浦間



    物見山(ものみやま)隧道
    73.22m
    神戸方
    坑口
    弩□改築

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />物見山隧道<br />門司方<br />坑口

    前空-大野浦間



    物見山隧道
    門司方
    坑口

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />賀撫津(がむつ)隧道<br />120.86m<br />神戸方<br />坑口<br />全面改築

    前空-大野浦間



    賀撫津(がむつ)隧道
    120.86m
    神戸方
    坑口
    全面改築

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />賀撫津隧道<br />門司方<br />坑口

    前空-大野浦間



    賀撫津隧道
    門司方
    坑口

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />永慶寺川(えいけいじがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />下り線側

    前空-大野浦間



    永慶寺川(えいけいじがわ)橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    下り線側

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />永慶寺川橋梁<br />上り線側

    前空-大野浦間



    永慶寺川橋梁
    上り線側

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />上ノ浜(かみのはま)踏切<br />該区間開通当時、線路築堤外は海浜だった。

    前空-大野浦間



    上ノ浜(かみのはま)踏切
    該区間開通当時、線路築堤外は海浜だった。

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />毛保川(けほがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />下り線側

    前空-大野浦間



    毛保川(けほがわ)橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    下り線側

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />毛保川橋梁<br />神戸方<br />石積橋台

    前空-大野浦間



    毛保川橋梁
    神戸方
    石積橋台

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />毛保川橋梁<br />煉瓦積橋脚

    前空-大野浦間



    毛保川橋梁
    煉瓦積橋脚

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />毛保川橋梁<br />上り線側<br />昭和20年(1945年)9月17日襲来の枕崎台風に依り、該河川沿岸地域は甚大被害が発生した。

    前空-大野浦間



    毛保川橋梁
    上り線側
    昭和20年(1945年)9月17日襲来の枕崎台風に依り、該河川沿岸地域は甚大被害が発生した。

  • 前空-大野浦間<br /><br /><br /><br />大野浦駅<br />構内<br />神戸方より門司方<br />俯瞰

    前空-大野浦間



    大野浦駅
    構内
    神戸方より門司方
    俯瞰

  • 大野浦(おおのうら)驛<br /><br /><br /><br />該駅は、大正8年(1919年)3月16日開業である。<br />但し、該駅は大正6年(1917年)7月13日附で開設された大野浦信号所が嚆矢である。<br />該地域付近は零細漁村が存在したが、面前に信号所が開設された事が刺激となり、大野村は一致団結して駅昇格運動を展開し、新駅開設に伴う資金全額地元負担を条件とした為に、当時の大野村長は自己資産を用い土地買収に依り駅開設が可能となったが、反面、該村長は破産を余儀無くされ、大正8年(1919年)3月16日附で駅昇格が実現した。<br />昭和20年(1945年)9月17日襲来の枕崎台風に依り、該駅構内は埋没状態となり、約1箇月間列車運行が不可能だったが、撤去土砂を活用し瀬戸内側に埋立地を造成し工場誘致に成功した事から、該工場搬入の為に、昭和25年(1950年)6月に計98mの専用線が設置された。<br />旅客跨線橋設置は昭和34年(1959年)8月と本線所在駅にしては遅く、跨線橋設置まで旅客は構内踏切を横断していた。<br />昭和49年(1974年)10月1日附を以って該駅貨物取扱業務は廃止され、側線専用線も漸次撤去された。<br />初代駅本屋は枕崎台風に依る根太腐朽が著しく、昭和54年(1979年)3月に鉄筋コンクリート製第2代駅本屋に改築されたが、該駅利用者増加に依る不便さ解消の為に、地元大野町全額負担に依る駅改築が決定し、平成28年(2016年)11月26日附で現第3代駅本屋竣工。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800619

    大野浦(おおのうら)驛



    該駅は、大正8年(1919年)3月16日開業である。
    但し、該駅は大正6年(1917年)7月13日附で開設された大野浦信号所が嚆矢である。
    該地域付近は零細漁村が存在したが、面前に信号所が開設された事が刺激となり、大野村は一致団結して駅昇格運動を展開し、新駅開設に伴う資金全額地元負担を条件とした為に、当時の大野村長は自己資産を用い土地買収に依り駅開設が可能となったが、反面、該村長は破産を余儀無くされ、大正8年(1919年)3月16日附で駅昇格が実現した。
    昭和20年(1945年)9月17日襲来の枕崎台風に依り、該駅構内は埋没状態となり、約1箇月間列車運行が不可能だったが、撤去土砂を活用し瀬戸内側に埋立地を造成し工場誘致に成功した事から、該工場搬入の為に、昭和25年(1950年)6月に計98mの専用線が設置された。
    旅客跨線橋設置は昭和34年(1959年)8月と本線所在駅にしては遅く、跨線橋設置まで旅客は構内踏切を横断していた。
    昭和49年(1974年)10月1日附を以って該駅貨物取扱業務は廃止され、側線専用線も漸次撤去された。
    初代駅本屋は枕崎台風に依る根太腐朽が著しく、昭和54年(1979年)3月に鉄筋コンクリート製第2代駅本屋に改築されたが、該駅利用者増加に依る不便さ解消の為に、地元大野町全額負担に依る駅改築が決定し、平成28年(2016年)11月26日附で現第3代駅本屋竣工。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800619

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />一里塚跡碑

    大野浦駅



    一里塚跡碑

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />一里塚跡碑

    大野浦駅



    一里塚跡碑

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />出改札口<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800619

    大野浦駅



    出改札口
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800619

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />南口<br />駅前広場整備と共に平成30年(2018年)4月14日附竣工。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800619

    大野浦駅



    南口
    駅前広場整備と共に平成30年(2018年)4月14日附竣工。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800619

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム

    大野浦駅



    旅客第1番ホーム

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />側壁歴史段差

    大野浦駅



    旅客第1番ホーム
    側壁歴史段差

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム

    大野浦駅



    旅客第1番ホーム

    大野浦駅

  • 大野浦駅<br /><br /><br /><br />旅客第2番ホーム

    大野浦駅



    旅客第2番ホーム

    大野浦駅

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />大野浦駅<br />構内<br />門司方より神戸方<br />俯瞰

    大野浦-玖波間



    大野浦駅
    構内
    門司方より神戸方
    俯瞰

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />八坂(やさか)隧道<br />88.11m<br />神戸方<br />坑口<br />全面改築

    大野浦-玖波間



    八坂(やさか)隧道
    88.11m
    神戸方
    坑口
    全面改築

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />八坂山隧道

    大野浦-玖波間



    八坂山隧道

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />八坂隧道<br />門司方<br />坑口

    大野浦-玖波間



    八坂隧道
    門司方
    坑口

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />八坂(やさか)信号場跡<br />昭和38年(1963年)11月8日開設<br />昭和39年(1964年)5月20日廃止

    大野浦-玖波間



    八坂(やさか)信号場跡
    昭和38年(1963年)11月8日開設
    昭和39年(1964年)5月20日廃止

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />鳴川(なりかわ)隧道<br />78.11m<br />全面改築

    大野浦-玖波間



    鳴川(なりかわ)隧道
    78.11m
    全面改築

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />瀬和戸(せわど)隧道<br />122.84m<br />全面改築

    大野浦-玖波間



    瀬和戸(せわど)隧道
    122.84m
    全面改築

  • 大野浦-玖波間<br /><br /><br /><br />玖波駅構内<br />神戸方より門司方<br />俯瞰<br />該部分は開通当時は連続急曲線状態だったが、大正15年(1926年)3月25日附で複線化時に同時に曲線緩和工事を施工。

    大野浦-玖波間



    玖波駅構内
    神戸方より門司方
    俯瞰
    該部分は開通当時は連続急曲線状態だったが、大正15年(1926年)3月25日附で複線化時に同時に曲線緩和工事を施工。

  • 玖波(くば)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。<br />該駅開設当時は該駅周辺は一面海浜だったと伝えられる。<br />その後、徐々に埋立干拓が進行し現在では海面は遠のいた。<br />昭和20年(1945年)9月17日襲来の枕崎台風に依り初代駅本屋は倒壊した為に昭和22年(1947年)2月に現第2代駅本屋が建築された。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800620

    玖波(くば)駅



    該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。
    該駅開設当時は該駅周辺は一面海浜だったと伝えられる。
    その後、徐々に埋立干拓が進行し現在では海面は遠のいた。
    昭和20年(1945年)9月17日襲来の枕崎台風に依り初代駅本屋は倒壊した為に昭和22年(1947年)2月に現第2代駅本屋が建築された。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800620

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面

    玖波駅



    駅本屋
    正面

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />記念樹<br />該駅開業時に植樹。

    玖波駅



    記念樹
    該駅開業時に植樹。

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />出改札口<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800620

    玖波駅



    駅本屋
    出改札口
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800620

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />西口駅舎<br />平成27年(2015年)9月5日附開設。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800620

    玖波駅



    西口駅舎
    平成27年(2015年)9月5日附開設。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800620

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />駅構内

    玖波駅



    駅構内

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />駅構内

    玖波駅



    駅構内

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />上屋古軌条支柱<br />I.T.S. 100 LBS PSH WENDEL. V1925<br />(仏ド・ヴァンデル社1925年5月製 鐵道省発注品)

    玖波駅



    旅客第1番ホーム
    上屋古軌条支柱
    I.T.S. 100 LBS PSH WENDEL. V1925
    (仏ド・ヴァンデル社1925年5月製 鐵道省発注品)

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />上屋古軌条支柱<br />大東亜戦争後設置。<br />軌条頭部が溶接合仕様は古軌条使用支柱末期の施工。<br />昭和36年(1961年)北陸本線南福井駅に於いて、大雪が原因で古軌条支柱折損事故発生に依り、古軌条活用支柱は急速に廃れた。

    玖波駅



    旅客第1番ホーム
    上屋古軌条支柱
    大東亜戦争後設置。
    軌条頭部が溶接合仕様は古軌条使用支柱末期の施工。
    昭和36年(1961年)北陸本線南福井駅に於いて、大雪が原因で古軌条支柱折損事故発生に依り、古軌条活用支柱は急速に廃れた。

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋

    玖波駅



    旅客跨線橋

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋

    玖波駅



    旅客跨線橋

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋

    玖波駅



    旅客跨線橋

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋

    玖波駅



    旅客跨線橋

    玖波駅

  • 玖波駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋

    玖波駅



    旅客跨線橋

    玖波駅

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />玖波駅構内<br />門司方より神戸方<br />俯瞰

    玖波-大竹間



    玖波駅構内
    門司方より神戸方
    俯瞰

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />恵川(えがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />下り線側橋梁

    玖波-大竹間



    恵川(えがわ)橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    下り線側橋梁

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />恵川橋梁<br />上り線側橋梁

    玖波-大竹間



    恵川橋梁
    上り線側橋梁

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />恵川橋梁<br />架線柱<br />川中からT字状架線柱設置例は珍しい。

    玖波-大竹間



    恵川橋梁
    架線柱
    川中からT字状架線柱設置例は珍しい。

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />古新開第2(ふるしんがい だいに)踏切<br />宮島Ⅰ(現 宮島口)-大竹間開通時は殆どが海中築堤施工に依り設置した。<br />その後、埋立が進行し踏切設置に鑑み、当該名称に決定された。

    玖波-大竹間



    古新開第2(ふるしんがい だいに)踏切
    宮島Ⅰ(現 宮島口)-大竹間開通時は殆どが海中築堤施工に依り設置した。
    その後、埋立が進行し踏切設置に鑑み、当該名称に決定された。

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />大膳川(だいぜんがわ)橋梁

    玖波-大竹間



    大膳川(だいぜんがわ)橋梁

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />大膳川(だいぜんがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />下り線側

    玖波-大竹間



    大膳川(だいぜんがわ)橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    下り線側

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />大膳川橋梁<br />煉瓦積橋脚

    玖波-大竹間



    大膳川橋梁
    煉瓦積橋脚

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />大膳川橋梁<br />上り線側

    玖波-大竹間



    大膳川橋梁
    上り線側

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />小方(おがた)信号場跡<br />昭和35年(1960年)1月4日開設<br />同年4月10日廃止

    玖波-大竹間



    小方(おがた)信号場跡
    昭和35年(1960年)1月4日開設
    同年4月10日廃止

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />小方(おがた)隧道<br />89.04m<br />弩□改築

    玖波-大竹間



    小方(おがた)隧道
    89.04m
    弩□改築

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />小方隧道<br />門司方<br />抗口

    玖波-大竹間



    小方隧道
    門司方
    抗口

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />新町川(しんまちがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />15.42m

    玖波-大竹間



    新町川(しんまちがわ)橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    15.42m

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />新町川橋梁<br />下り線桁<br />運輸省銘板。<br />昭和20年(1945年)5月18日附官制改正に拠り運輸省が開設され鉄道業務一般は鉄道総局担当となったが、昭和24年(1949年)6月1日附官制改正に拠り日本国有鉄道設置まで運輸省管轄は約4年しか無く、運輸省銘板附桁は貴重な存在。<br />枕崎台風に依る濁流巨岩で桁が く ノ字状に損傷し復旧困難と判断され架替実施。

    玖波-大竹間



    新町川橋梁
    下り線桁
    運輸省銘板。
    昭和20年(1945年)5月18日附官制改正に拠り運輸省が開設され鉄道業務一般は鉄道総局担当となったが、昭和24年(1949年)6月1日附官制改正に拠り日本国有鉄道設置まで運輸省管轄は約4年しか無く、運輸省銘板附桁は貴重な存在。
    枕崎台風に依る濁流巨岩で桁が く ノ字状に損傷し復旧困難と判断され架替実施。

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />旧築堤跡<br />該区間開通当時は海中に築堤設置に依り開業。

    玖波-大竹間



    旧築堤跡
    該区間開通当時は海中に築堤設置に依り開業。

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />該区間開通当時は海中に築堤設置。<br />線路敷外は海だった。

    玖波-大竹間



    該区間開通当時は海中に築堤設置。
    線路敷外は海だった。

  • 玖波-大竹間<br /><br /><br /><br />日本貨物鉄道大竹コンテナ取扱施設

    玖波-大竹間



    日本貨物鉄道大竹コンテナ取扱施設

  • 大竹(おおたけ)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。<br />該駅周辺は停車場設置用地が皆無に均しく、該社は已む無く海岸擁壁構築に依り駅設置を可能にした。<br />該駅開業当時、裏側は海面だったが、次第に埋立が進行し工場が進出した事で貨物取扱量が激増した。<br />現駅本屋は昭和48年(1973年)12月改築も第2代建築である。

    大竹(おおたけ)駅



    該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。
    該駅周辺は停車場設置用地が皆無に均しく、該社は已む無く海岸擁壁構築に依り駅設置を可能にした。
    該駅開業当時、裏側は海面だったが、次第に埋立が進行し工場が進出した事で貨物取扱量が激増した。
    現駅本屋は昭和48年(1973年)12月改築も第2代建築である。

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />昭和48年(1973年)12月改築現第2代駅本屋<br />該駅は駅本屋改築工事を令和2年(2020年)6月11日附で着工し、令和5年(2023年)12月8日附で竣工予定だが、新駅は橋上駅となり既成駅本屋、旅客跨線橋は廃止撤去される予定であり跨線橋梁として使用中の古軌条支柱も撤去予定である。

    大竹駅



    昭和48年(1973年)12月改築現第2代駅本屋
    該駅は駅本屋改築工事を令和2年(2020年)6月11日附で着工し、令和5年(2023年)12月8日附で竣工予定だが、新駅は橋上駅となり既成駅本屋、旅客跨線橋は廃止撤去される予定であり跨線橋梁として使用中の古軌条支柱も撤去予定である。

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />出改札口

    大竹駅



    出改札口

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />駅構内

    大竹駅



    駅構内

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋

    大竹駅



    旅客跨線橋

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋<br />内部

    大竹駅



    旅客跨線橋
    内部

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋<br />内部梁使用古軌条<br />CARNEGIE ET IIIIII 1906 S.T.K<br />(米カーネギー社 1906年6月製造 山陽鐵道會社発注品)

    大竹駅



    旅客跨線橋
    内部梁使用古軌条
    CARNEGIE ET IIIIII 1906 S.T.K
    (米カーネギー社 1906年6月製造 山陽鐵道會社発注品)

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客跨線橋<br />内部梁使用<br />古軌条

    大竹駅



    旅客跨線橋
    内部梁使用
    古軌条

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />駅構内<br />日本貨物鉄道管理管轄。

    大竹駅



    駅構内
    日本貨物鉄道管理管轄。

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />駅構内<br />HD300型ハイブリット機関車<br />日本貨物鉄道が平成22年(2010年)に構内入換用に開発。

    大竹駅



    駅構内
    HD300型ハイブリット機関車
    日本貨物鉄道が平成22年(2010年)に構内入換用に開発。

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />駅構内

    大竹駅



    駅構内

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム

    大竹駅



    旅客第1番ホーム

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム

    大竹駅



    旅客第1番ホーム

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />第1旅客ホーム<br />側壁段差

    大竹駅



    第1旅客ホーム
    側壁段差

    大竹駅

  • 大竹駅<br /><br /><br /><br />旅客ホーム上屋<br />古軌条支柱

    大竹駅



    旅客ホーム上屋
    古軌条支柱

    大竹駅

  • 大竹-立木間<br /><br /><br /><br />駅構内<br />門司方より神戸方<br />俯瞰

    大竹-立木間



    駅構内
    門司方より神戸方
    俯瞰

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />旧三井化学岩国大竹工場専用線跡

    大竹-和木間



    旧三井化学岩国大竹工場専用線跡

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />旧三井化学岩国大竹工場専用線跡<br />昭和31年(1956年)9月設置。<br />計3433m<br />全国企業専用線で小瀬川橋梁依る県境を越える設置箇所は当該専用線のみ。<br />昭和60年(1985年)3月14日時刻改正時廃止。

    大竹-和木間



    旧三井化学岩国大竹工場専用線跡
    昭和31年(1956年)9月設置。
    計3433m
    全国企業専用線で小瀬川橋梁依る県境を越える設置箇所は当該専用線のみ。
    昭和60年(1985年)3月14日時刻改正時廃止。

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />小瀬川(こせがわ)橋梁<br />下り線側<br />神戸方

    大竹-和木間



    小瀬川(こせがわ)橋梁
    下り線側
    神戸方

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />小瀬川橋梁<br />上り線側<br />神戸方

    大竹-和木間



    小瀬川橋梁
    上り線側
    神戸方

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />小瀬川橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />全長210.0m<br />22.50m×9連<br />全景<br />該橋梁中心部に広島山口両県境存在。

    大竹-和木間



    小瀬川橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    全長210.0m
    22.50m×9連
    全景
    該橋梁中心部に広島山口両県境存在。

  • 大竹-立木間<br /><br /><br /><br />小瀬川橋梁<br />下り線側<br />門司方

    大竹-立木間



    小瀬川橋梁
    下り線側
    門司方

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />小瀬川橋梁<br />門司方

    大竹-和木間



    小瀬川橋梁
    門司方

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />小瀬川橋梁<br />門司方

    大竹-和木間



    小瀬川橋梁
    門司方

  • 大竹-和木間<br /><br /><br /><br />小瀬川橋梁<br />門司方

    大竹-和木間



    小瀬川橋梁
    門司方

  • 大竹-和木間

    大竹-和木間

  • 和木駅<br /><br /><br /><br />該駅は、平成20年(2008年)3月15日開業である。<br />該線大竹-岩国Ⅲ間5.3Kmは途中停車場が存在せず、岩国市東部地区住民は長年に亘り不便が生じていたが、該地域に新興住宅街設置が決定した事から、岩国市より西日本旅客鉄道に対し新駅設置に関する陳情が行われた事で、西日本旅客鉄道側回答として新駅設置に関する不動産一式を地元負担とする事で了承が得られた為に新駅設置に至った。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800669

    和木駅



    該駅は、平成20年(2008年)3月15日開業である。
    該線大竹-岩国Ⅲ間5.3Kmは途中停車場が存在せず、岩国市東部地区住民は長年に亘り不便が生じていたが、該地域に新興住宅街設置が決定した事から、岩国市より西日本旅客鉄道に対し新駅設置に関する陳情が行われた事で、西日本旅客鉄道側回答として新駅設置に関する不動産一式を地元負担とする事で了承が得られた為に新駅設置に至った。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800669

    和木駅

  • 和木駅<br /><br /><br /><br />東口<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800669

    和木駅



    東口
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800669

    和木駅

  • 和木駅<br /><br /><br /><br />改札口<br />簡易委託駅構造。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800669

    和木駅



    改札口
    簡易委託駅構造。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800669

    和木駅

  • 和木駅<br /><br /><br /><br />駅構内

    和木駅



    駅構内

    和木駅

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />明治新開第1(めいじ しんかい だいいち)踏切<br />該区間開通時に当該踏切は存在せず、後に海浜埋立地竣工に依り踏切設置。

    和木-岩国間



    明治新開第1(めいじ しんかい だいいち)踏切
    該区間開通時に当該踏切は存在せず、後に海浜埋立地竣工に依り踏切設置。

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />新港(しんみなと)隧道<br />57.74m<br />側壁改築

    和木-岩国間



    新港(しんみなと)隧道
    57.74m
    側壁改築

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />新港隧道<br />下り線用<br />電化工事と共に側壁低下工事施工。

    和木-岩国間



    新港隧道
    下り線用
    電化工事と共に側壁低下工事施工。

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />新港隧道<br />門司方<br />坑口

    和木-岩国間



    新港隧道
    門司方
    坑口

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />新港(しんみなと)信号場跡<br />昭和35年(1960年)4月25日開設<br />同年8月1日廃止

    和木-岩国間



    新港(しんみなと)信号場跡
    昭和35年(1960年)4月25日開設
    同年8月1日廃止

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />築堤<br />該区間開通時は右手は絶壁だった。

    和木-岩国間



    築堤
    該区間開通時は右手は絶壁だった。

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />港川(みなとがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。<br />5.11m<br />該橋梁半分は道路化。

    和木-岩国間



    港川(みなとがわ)橋梁
    該橋梁は、明治30年(1897年)9月25日開通である。
    5.11m
    該橋梁半分は道路化。

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />輪加新地第4(ゆかしんじだいよん)踏切<br />該区間開通当時、該踏切手前部分は海面だったが干拓に依り土地化。<br />該踏切は警報機遮断機無。

    和木-岩国間



    輪加新地第4(ゆかしんじだいよん)踏切
    該区間開通当時、該踏切手前部分は海面だったが干拓に依り土地化。
    該踏切は警報機遮断機無。

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />新港(しんみなと)架道橋

    和木-岩国間



    新港(しんみなと)架道橋

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />新港架道橋<br />石積橋台<br />門司方

    和木-岩国間



    新港架道橋
    石積橋台
    門司方

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />竪石開(たていしひらき)踏切<br />山口県内道路では山口線で蒸気機関車運転が実施されている為か、交通標識が電車では無い旧様式使用例が多い。

    和木-岩国間



    竪石開(たていしひらき)踏切
    山口県内道路では山口線で蒸気機関車運転が実施されている為か、交通標識が電車では無い旧様式使用例が多い。

  • 和木-岩国間<br /><br /><br /><br />竪石開踏切<br />該区間開通時、該踏切手前は海浜だったが、その後埋立が進行した。<br />開 と云うのは新規開発地たるを示す。

    和木-岩国間



    竪石開踏切
    該区間開通時、該踏切手前は海浜だったが、その後埋立が進行した。
    開 と云うのは新規開発地たるを示す。

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br /><br />駅構内<br />神戸方より門司方俯瞰

    岩国駅




    駅構内
    神戸方より門司方俯瞰

    岩国駅

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />駅構内<br />神戸方より門司方俯瞰<br />手前空地は旧貨物取扱施設跡。

    岩国駅



    駅構内
    神戸方より門司方俯瞰
    手前空地は旧貨物取扱施設跡。

    岩国駅

  • 岩國(いわくに)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。<br />該駅開設当初、駅周囲は田畑拡がる地だったが、大正14年(1925年)に該駅裏埋立地に人造撚糸が工場を建設し、昭和12年(1937年)には東洋紡績、及び、山陽パルプが工場設置を行った事から該駅貨物取扱量が激増傾向となった。<br />更に、昭和14年(1939年)帝国海軍岩国航空隊基地が設置された事で軍用貨物取扱が開始された。<br />昭和20年(1945年)8月14日の岩国大空襲に依り、該駅は連合国軍に依り徹底的攻撃を受け壊滅した。<br />終戦直後、進駐軍の為に8月30日附でRTOが設置されたが、戦災被害の為に適当な施設が存在しない事から<br />オロ3122  昭和21年(1946年)3月25日~7月13日<br />オロ31104             7月13日~8月15日<br />RTO代用として使用した。<br />駅本屋は昭和20年(1945年)12月に仮復旧され第2代駅本屋が建築されたが翌昭和21年(1946年)7月に漏電原因で全焼した為に、再度建設に着手し昭和23年(1948年)12月に第3代駅本屋が竣工したが主建築材料は全国各地に残存した海軍航空機格納庫建設資材転用品とされている。<br />該駅本屋は終戦直後の建築物故に老朽化が著しく建替が決定し、該工事は平成27年’(2015年)に着工し、平成29年(2017年)11月26日附で竣工し、現第4代駅本屋が竣工した。<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    岩國(いわくに)駅



    該駅は、明治30年(1897年)9月25日開業である。
    該駅開設当初、駅周囲は田畑拡がる地だったが、大正14年(1925年)に該駅裏埋立地に人造撚糸が工場を建設し、昭和12年(1937年)には東洋紡績、及び、山陽パルプが工場設置を行った事から該駅貨物取扱量が激増傾向となった。
    更に、昭和14年(1939年)帝国海軍岩国航空隊基地が設置された事で軍用貨物取扱が開始された。
    昭和20年(1945年)8月14日の岩国大空襲に依り、該駅は連合国軍に依り徹底的攻撃を受け壊滅した。
    終戦直後、進駐軍の為に8月30日附でRTOが設置されたが、戦災被害の為に適当な施設が存在しない事から
    オロ3122  昭和21年(1946年)3月25日~7月13日
    オロ31104             7月13日~8月15日
    RTO代用として使用した。
    駅本屋は昭和20年(1945年)12月に仮復旧され第2代駅本屋が建築されたが翌昭和21年(1946年)7月に漏電原因で全焼した為に、再度建設に着手し昭和23年(1948年)12月に第3代駅本屋が竣工したが主建築材料は全国各地に残存した海軍航空機格納庫建設資材転用品とされている。
    該駅本屋は終戦直後の建築物故に老朽化が著しく建替が決定し、該工事は平成27年’(2015年)に着工し、平成29年(2017年)11月26日附で竣工し、現第4代駅本屋が竣工した。
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    岩国駅

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />出改札口<br />https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    岩国駅



    出改札口
    https://www.jr-odekake.net/eki/top?id=0800622

    岩国駅

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />日本製紙岩国工場専用線<br />該社工場は、昭和12年(1937年)に山陽パルプ岩国工場として埋立地に開設され、貨物輸送円滑を理由に翌昭和13年(1938年)5月に該専用線計3282mが設置された。

    岩国駅



    日本製紙岩国工場専用線
    該社工場は、昭和12年(1937年)に山陽パルプ岩国工場として埋立地に開設され、貨物輸送円滑を理由に翌昭和13年(1938年)5月に該専用線計3282mが設置された。

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />日本製紙岩国工場専用線<br />貨物業務取扱縮小に依り、専用線で企業所有専用機関車所有例は少ない。

    岩国駅



    日本製紙岩国工場専用線
    貨物業務取扱縮小に依り、専用線で企業所有専用機関車所有例は少ない。

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />岩国大空襲慰霊碑

    岩国駅



    岩国大空襲慰霊碑

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />岩国大空襲慰霊碑<br />昭和20年(1945年)8月14日の岩国大空襲に依り散華された方々の御霊の為に建立。<br />大東亜戦争中に於ける爆弾直撃弾に依る鉄道施設直接被害に依る大量死傷者発生例は、<br />昭和20年(1945年)1月27日 東海道本線有楽町駅直撃弾命中被害。<br />            7月27日 鹿児島本線鹿児島駅直撃弾命中被害。<br />            8月13日 城東線(現 大阪環状線大阪-京橋-天王寺間)京橋駅直撃弾命中被害。<br />3例発生したが、当該空襲は投下爆弾の逸弾であり、鉄道施設を主攻撃先としたものでは無かった。<br />該碑は被災50年目として平成7年(1995年)8月14日に建立。

    岩国駅



    岩国大空襲慰霊碑
    昭和20年(1945年)8月14日の岩国大空襲に依り散華された方々の御霊の為に建立。
    大東亜戦争中に於ける爆弾直撃弾に依る鉄道施設直接被害に依る大量死傷者発生例は、
    昭和20年(1945年)1月27日 東海道本線有楽町駅直撃弾命中被害。
                7月27日 鹿児島本線鹿児島駅直撃弾命中被害。
                8月13日 城東線(現 大阪環状線大阪-京橋-天王寺間)京橋駅直撃弾命中被害。
    3例発生したが、当該空襲は投下爆弾の逸弾であり、鉄道施設を主攻撃先としたものでは無かった。
    該碑は被災50年目として平成7年(1995年)8月14日に建立。

  • 岩国駅<br /><br /><br /><br />岩国大空襲慰霊碑<br />裏面<br />該駅構内には他に岩国機関区職員殉職碑も存在するが、私有地内の為に現在は立入禁止。

    岩国駅



    岩国大空襲慰霊碑
    裏面
    該駅構内には他に岩国機関区職員殉職碑も存在するが、私有地内の為に現在は立入禁止。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • naniwa ladyさん 2023/01/07 16:09:01
    おめでとうございます。
    新年明けましておめでとうございます。
    いつもお越しいただき、ご投票ありがとうございます。
    それにしても百科事典のような旅行記、頭が下がります。
    コロナ禍と年のせいで、旅行の回数も減ってきましたが、本年もどうぞよろしくお願いします。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2023/01/08 07:09:09
    拝復
    naniwa ladyさま、おはようございます。


    新年早々、掲示板に過分なるコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
    山陽本線の旅行記に関しては、表紙に限り神戸-長府間は完成しているものの、現地に訪れられるのは何時になることやら、まったく見当すらつかない状態です。
    今年も何卒宜敷くご高配の程をお願い申します。




    横浜臨海公園
  • マリオットさん 2023/01/07 08:49:20
    広島周辺
    こんにちは、マリオットです。

    広島に友人がいたため、昔は年に二度ほど出かけていました。懐かしい駅の名前があったので旅行記を読みましたが、訪れた経験のあるのは宮島口と岩国だけでした。途中の駅は電車で通り過ぎたのかも知れませんが、まったく駅名すら覚えていません。

    路線にも、それぞれの駅にも歴史があるのですね。何となく乗っていると、線路があるのが当たり前の様に思ってしまいますが。

    古軌条活用支柱は、駅でよく見かけた記憶があります。都会では見かけなくなったと思ったら、事故もあったのですか。名板まで気にして見たことがありませんが、貴重と聞くと運輸省銘板を探して見たくなりました。

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2023/01/08 07:04:32
    拝復
    マリオットさま、おはようございます。


    拙稿にお立寄りを賜りまして、誠に有難うございました。
    山陽本線も広島駅から乗ると宮島口駅を過ぎると急にローカルな雰囲気が濃くなります。
    大野浦駅や岩国駅など、昔は古い駅舎が残っており汽車のイメージが強かったでしが、老朽化で改築され風情が失せてしまい残念に思っております。

    古軌条支柱など、ペイントの塗替えなどされてしまうと、刻印が読めなくなり難渋させられる事が多くなりました。

    また新旅行記上程の際は宜敷くお願い申します。



    横浜臨海公園

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