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新潟県北西部、佐渡島の全域を占める市である佐渡をバイクツーリングで訪れました。この旅行記では、島の西北部にあたる相川地区の訪問記となります。相川地区は、佐渡の歴史に大きな影響を与えた金銀山とそれに関する史跡、そして尖閣湾や白雲台といった佐渡本来の豊かで美しい自然を抱く魅力あるエリアです。<br />★絶景の尖閣湾を含めた外海府海岸や、大佐渡スカイラインを爽快ツーリング。<br />★海を望む宿に泊まり、温泉と佐渡の海産物と自然素材の食事を満喫。<br />★佐渡金山とそれに関わる人々の営みに関する史跡を探訪。<br /><br />[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]<br />◎佐渡近海の海産物<br />◎いごねり

佐渡(相川地区)_Sado (Aikawa area) 佐渡金山!そこに関わる人々の営み...そして豊かな自然

46いいね!

2020/08/10 - 2020/08/11

61位(同エリア557件中)

RAINDANCE

RAINDANCEさん

新潟県北西部、佐渡島の全域を占める市である佐渡をバイクツーリングで訪れました。この旅行記では、島の西北部にあたる相川地区の訪問記となります。相川地区は、佐渡の歴史に大きな影響を与えた金銀山とそれに関する史跡、そして尖閣湾や白雲台といった佐渡本来の豊かで美しい自然を抱く魅力あるエリアです。
★絶景の尖閣湾を含めた外海府海岸や、大佐渡スカイラインを爽快ツーリング。
★海を望む宿に泊まり、温泉と佐渡の海産物と自然素材の食事を満喫。
★佐渡金山とそれに関わる人々の営みに関する史跡を探訪。

[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]
◎佐渡近海の海産物
◎いごねり

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
バイク
旅行の手配内容
個別手配

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  • 2020年夏休み、狭い空間に閉じこもる公共交通機関は避け、バイクで佐渡島を訪れることにしました。フェリーで両津港から島に上陸後、県道45号(佐渡一周線)を左回りに周遊するツーリング、島の北端で両津地区から相川地区へ入ります。

    2020年夏休み、狭い空間に閉じこもる公共交通機関は避け、バイクで佐渡島を訪れることにしました。フェリーで両津港から島に上陸後、県道45号(佐渡一周線)を左回りに周遊するツーリング、島の北端で両津地区から相川地区へ入ります。

  • 島の北端から5~6km南下したところにある跳坂トンネルを出たところ。

    島の北端から5~6km南下したところにある跳坂トンネルを出たところ。

  • ここから望めるのが、外海府海岸の絶景海岸線。

    ここから望めるのが、外海府海岸の絶景海岸線。

  • 外海府海岸沿いを進みます。

    外海府海岸沿いを進みます。

  • 入川が海に流れ込むあたり、高千小中学校の前に建つ「英国機着陸記念塔」。

    入川が海に流れ込むあたり、高千小中学校の前に建つ「英国機着陸記念塔」。

  • 終戦直後の昭和21年(1946年)の1月にこの周辺に英軍用輸送機”ダコタ”が不時着しました。高千の人々は、ちょっと前まで敵国だった英兵たちとともに浜に石を運んで仮設の滑走路を造り、40日後に”ダコタ”は無事に飛び立ったそうです。

    終戦直後の昭和21年(1946年)の1月にこの周辺に英軍用輸送機”ダコタ”が不時着しました。高千の人々は、ちょっと前まで敵国だった英兵たちとともに浜に石を運んで仮設の滑走路を造り、40日後に”ダコタ”は無事に飛び立ったそうです。

  • 尖閣湾の手前まで来ました。道路沿いに駐車場があったので停まってみると「戸地の岩のり畑」。

    尖閣湾の手前まで来ました。道路沿いに駐車場があったので停まってみると「戸地の岩のり畑」。

  • 外海府海岸でもっとも有名な景勝地である「尖閣湾(せんかくわん)」にやって来ました。

    外海府海岸でもっとも有名な景勝地である「尖閣湾(せんかくわん)」にやって来ました。

  • 立ち寄ったのは、尖閣湾の第5景「揚島峡湾」に建つ観光施設「尖閣湾 揚島(あげしま)遊園」になります。

    立ち寄ったのは、尖閣湾の第5景「揚島峡湾」に建つ観光施設「尖閣湾 揚島(あげしま)遊園」になります。

  • チケット売り場があるビジターセンター。

    チケット売り場があるビジターセンター。

  • 尖閣湾の景色を見に来たのですが、こう暑いとなかなか進めませんね。こんなことや...

    尖閣湾の景色を見に来たのですが、こう暑いとなかなか進めませんね。こんなことや...

  • ...こんなことになってしまいました。

    ...こんなことになってしまいました。

  • さて、チケットを買って入場です。

    さて、チケットを買って入場です。

  • 入ってすぐに、このダイナミックな景観。

    入ってすぐに、このダイナミックな景観。

  • ”先人を称える碑” by 農林水産大臣。どうやら、県道から離れたこの地を人々に案内して有名にした先人たちを称えているようです。でも、平成2年(1990年)建立なのに古文の様な解説文で読みづらいことこの上なし...誰も読みませんねきっと。

    ”先人を称える碑” by 農林水産大臣。どうやら、県道から離れたこの地を人々に案内して有名にした先人たちを称えているようです。でも、平成2年(1990年)建立なのに古文の様な解説文で読みづらいことこの上なし...誰も読みませんねきっと。

  • たらい船の体験コーナー。

    たらい船の体験コーナー。

  • 売店。

    売店。

  • 「遊仙橋(ゆうせんきょう)」の先には「あげしま展望台」。遊仙橋は「まちこ橋」とも呼ばれ、松竹映画”君の名は”のロケでの吊り橋のシーンが有名になったそうです。

    「遊仙橋(ゆうせんきょう)」の先には「あげしま展望台」。遊仙橋は「まちこ橋」とも呼ばれ、松竹映画”君の名は”のロケでの吊り橋のシーンが有名になったそうです。

  • 尖閣湾は北狄から姫津にかけての約3kmにある5つの小湾の総称だそうです。

    尖閣湾は北狄から姫津にかけての約3kmにある5つの小湾の総称だそうです。

  • 外海府海岸の中でも特に有名で、ノルウェーのハルダンゲル・フィヨルドの尖った渓谷の美しさと対比してその名が付けられたらしい。

    外海府海岸の中でも特に有名で、ノルウェーのハルダンゲル・フィヨルドの尖った渓谷の美しさと対比してその名が付けられたらしい。

  • 断崖絶壁の岩礁は珊瑚礁の名残で、海の青、岩の灰茶、山の緑のコントラストが美しいです。

    断崖絶壁の岩礁は珊瑚礁の名残で、海の青、岩の灰茶、山の緑のコントラストが美しいです。

  • 崖の下から遊覧船が出ています。

    崖の下から遊覧船が出ています。

  • この広い日本海の先にはユーラシア大陸。見えませんが。

    この広い日本海の先にはユーラシア大陸。見えませんが。

  • 揚島遊園から6kmほど南下して「吹上海岸」にやってきました。

    揚島遊園から6kmほど南下して「吹上海岸」にやってきました。

  • 江戸時代、金銀山の復興に尽力した名奉行の墓がありました。「鎮目市左衛門の墓」。でもここに来た目的はこちらではなくて...

    江戸時代、金銀山の復興に尽力した名奉行の墓がありました。「鎮目市左衛門の墓」。でもここに来た目的はこちらではなくて...

  • ...こちらです。

    ...こちらです。

  • 「弁慶のはさみ岩」。

    「弁慶のはさみ岩」。

  • その昔、佐渡最強の山伏だった「佐渡弁慶」が相川から金北山へ修行に行く途中、待ち伏せした鬼が力比べを挑まれ、その際に佐渡弁慶が投げ飛ばした岩がここまで飛んできたと伝えられているそうです。

    その昔、佐渡最強の山伏だった「佐渡弁慶」が相川から金北山へ修行に行く途中、待ち伏せした鬼が力比べを挑まれ、その際に佐渡弁慶が投げ飛ばした岩がここまで飛んできたと伝えられているそうです。

  • さて、相川の街は一旦抜けて「大佐渡スカイライン」へ。

    さて、相川の街は一旦抜けて「大佐渡スカイライン」へ。

  • 海岸沿いのツーリングから山のツーリングに変わります。

    海岸沿いのツーリングから山のツーリングに変わります。

  • 佐渡金山は一旦通り過ぎ...

    佐渡金山は一旦通り過ぎ...

  • 大佐渡スカイラインを経て目指すのは「交流センター 白雲台」。

    大佐渡スカイラインを経て目指すのは「交流センター 白雲台」。

  • 途中、道が狭まるところが何か所かありましたが、交通量は少なかったので快適に走れました。

    途中、道が狭まるところが何か所かありましたが、交通量は少なかったので快適に走れました。

  • 相川の街からは約15kmの山ツーリングを経て「交流センター 白雲台(はくうんだい)」へ到着。標高約850mに建つ山小屋風の建物です。

    相川の街からは約15kmの山ツーリングを経て「交流センター 白雲台(はくうんだい)」へ到着。標高約850mに建つ山小屋風の建物です。

  • 展望デッキから望む、両津湾の大パノラマ。

    展望デッキから望む、両津湾の大パノラマ。

  • 国中平野と真野湾と小木半島。ここまで登ってくるとさすがに風が涼しい。

    国中平野と真野湾と小木半島。ここまで登ってくるとさすがに風が涼しい。

  • 交流センターの店内には佐渡特産品が並んでました。

    交流センターの店内には佐渡特産品が並んでました。

  • 相川方面へ引き返します。佐渡金山に近づいたところに「大立竪坑(おおだてたてこう)」、日本最古の西洋式竪坑です。明治8年(1875年)、ドイツ人技師らにより開削が始まり2年後に完成した、深度は352mに及ぶ地下エレベーターによる垂直の運搬坑道とのこと。なんと、平成元年(1989年)の操業停止まで主力で頑張っていたそうな。

    相川方面へ引き返します。佐渡金山に近づいたところに「大立竪坑(おおだてたてこう)」、日本最古の西洋式竪坑です。明治8年(1875年)、ドイツ人技師らにより開削が始まり2年後に完成した、深度は352mに及ぶ地下エレベーターによる垂直の運搬坑道とのこと。なんと、平成元年(1989年)の操業停止まで主力で頑張っていたそうな。

  • その近くには「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」。佐渡金銀山の開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡で、金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になったそうです。これは、観光ガイドでよく見られる方向の裏側になります。

    その近くには「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」。佐渡金銀山の開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡で、金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になったそうです。これは、観光ガイドでよく見られる方向の裏側になります。

  • そして、ここでようやく「史跡 佐渡金山」へ。佐渡金山は、慶長6年(1601年)に山師3人により開山されたと伝えられ、慶長8年には徳川幕府が直轄の天領として佐渡奉行所を設置、小判の製造も行われ幕府の財政を支えました。

    そして、ここでようやく「史跡 佐渡金山」へ。佐渡金山は、慶長6年(1601年)に山師3人により開山されたと伝えられ、慶長8年には徳川幕府が直轄の天領として佐渡奉行所を設置、小判の製造も行われ幕府の財政を支えました。

  • 「江戸金山絵巻(宗太夫坑)コース」と「明治官営鉱山(道遊坑)コース」があるのですが、明治期以降の近代化産業遺産群はあまり興味ないので、宗太夫抗コースのみ見学しました。

    「江戸金山絵巻(宗太夫坑)コース」と「明治官営鉱山(道遊坑)コース」があるのですが、明治期以降の近代化産業遺産群はあまり興味ないので、宗太夫抗コースのみ見学しました。

  • なお、道遊の割戸を正面から見たい場合は、明治官営鉱山(道遊坑)コースへ行かないと見れないようですのでご注意を。

    なお、道遊の割戸を正面から見たい場合は、明治官営鉱山(道遊坑)コースへ行かないと見れないようですのでご注意を。

  • 「宗太夫坑」は江戸初期に開発された手掘り坑道です。

    「宗太夫坑」は江戸初期に開発された手掘り坑道です。

  • 採掘作業が忠実に再現されています。

    採掘作業が忠実に再現されています。

  • そういえば、西伊豆の土肥金山もこんな感じでしたね。人形で再現して...

    そういえば、西伊豆の土肥金山もこんな感じでしたね。人形で再現して...

  • これが金銀山観光の定番スタイルなのでしょうか。

    これが金銀山観光の定番スタイルなのでしょうか。

  • ギミック感は否めませんが、当時の雰囲気はまぁ想像できます。

    ギミック感は否めませんが、当時の雰囲気はまぁ想像できます。

  • 労働環境もそれほど配慮されなかった時代でしょうから、ここでの労働はさぞ過酷だったことでしょう。それでも、高給を求めて多くの人が集まったであろうし、災害も少なくなかったと推察します。産業発展の光と影。

    労働環境もそれほど配慮されなかった時代でしょうから、ここでの労働はさぞ過酷だったことでしょう。それでも、高給を求めて多くの人が集まったであろうし、災害も少なくなかったと推察します。産業発展の光と影。

  • そういえば、石見銀山には人形はいなかったな~。世界遺産ではさすがにチープな演出は避けたのか...

    そういえば、石見銀山には人形はいなかったな~。世界遺産ではさすがにチープな演出は避けたのか...

  • いずれにしても、手堀りでここまで掘るのはすごいなと思いました。江戸時代の宗太夫坑はここまで。<br />この後は、明治2年(1869年)に官営佐渡鉱山となり西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られ、明治22年(1889年)に宮内省御料局管轄の皇室財産となったのち、明治29年(1896年)に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として発展を遂げました。

    いずれにしても、手堀りでここまで掘るのはすごいなと思いました。江戸時代の宗太夫坑はここまで。
    この後は、明治2年(1869年)に官営佐渡鉱山となり西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られ、明治22年(1889年)に宮内省御料局管轄の皇室財産となったのち、明治29年(1896年)に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として発展を遂げました。

  • 坑道を出て資料館へ。

    坑道を出て資料館へ。

  • 第1展示室では、「佐渡金山絵巻」に描かれた江戸時代の佐渡金山の仕事の様子を忠実に再現。

    第1展示室では、「佐渡金山絵巻」に描かれた江戸時代の佐渡金山の仕事の様子を忠実に再現。

  • 第2展示室では、大判・小判がザックザク。

    第2展示室では、大判・小判がザックザク。

  • おおっ...金塊!...ではなく、ボックス・ティッシュです。金山は、平成元年(1989年)に資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。

    おおっ...金塊!...ではなく、ボックス・ティッシュです。金山は、平成元年(1989年)に資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。

  • さて、この日の観光はここまで、バイクを宿へと向かわせます。「相川温泉 いさりびの宿 道遊」に到着。相川の市街地からは南西に約1kmほど、日本海を一望する春日崎の高台に建つ宿です。

    さて、この日の観光はここまで、バイクを宿へと向かわせます。「相川温泉 いさりびの宿 道遊」に到着。相川の市街地からは南西に約1kmほど、日本海を一望する春日崎の高台に建つ宿です。

  • 宿に入ると、エントランスにいきなり玩具が並んでいて、見るからに家族経営のアットホームな雰囲気。

    宿に入ると、エントランスにいきなり玩具が並んでいて、見るからに家族経営のアットホームな雰囲気。

  • フロントと小さな売店。

    フロントと小さな売店。

  • 海が望める客室はいいですね。

    海が望める客室はいいですね。

  • 入口のドアの両側にテレビと床の間があるという、ちょっと変わったレイアウトでしたが、使う分には問題なし。

    入口のドアの両側にテレビと床の間があるという、ちょっと変わったレイアウトでしたが、使う分には問題なし。

  • まずは風呂で汗を流しましょう。

    まずは風呂で汗を流しましょう。

  • 意表を突いたペンションちっくな脱衣所。

    意表を突いたペンションちっくな脱衣所。

  • 海を眺める風呂。大きな窓を開けると半露天風に楽しめます。

    海を眺める風呂。大きな窓を開けると半露天風に楽しめます。

  • さて、温泉の後は夕食です。

    さて、温泉の後は夕食です。

  • 刺身はブリ・マグロ・タイ、岩ガキ、メバルの煮つけ...などなど、佐渡の海の幸が満載。農作物は有機栽培にこだわったもの。

    刺身はブリ・マグロ・タイ、岩ガキ、メバルの煮つけ...などなど、佐渡の海の幸が満載。農作物は有機栽培にこだわったもの。

  • お供は佐渡の地酒、尾畑酒造の「真野鶴」。

    お供は佐渡の地酒、尾畑酒造の「真野鶴」。

  • イカ鍋も美味。

    イカ鍋も美味。

  • 日本酒を、やはり佐渡の酒造の天領盃酒造の生に切り替えて。

    日本酒を、やはり佐渡の酒造の天領盃酒造の生に切り替えて。

  • 締めはササニシキとあおさの味噌汁。ササニシキは無農薬・無化学肥料だそうです。

    締めはササニシキとあおさの味噌汁。ササニシキは無農薬・無化学肥料だそうです。

  • デザートのスイカ。ごちそうさまでした!

    デザートのスイカ。ごちそうさまでした!

  • 宿の外に出て海を眺めてみると、沖合に漁火。まさに”いさりびの宿”でした。

    宿の外に出て海を眺めてみると、沖合に漁火。まさに”いさりびの宿”でした。

  • 翌朝...快晴です!

    翌朝...快晴です!

  • 身支度を整え朝食へ。

    身支度を整え朝食へ。

  • 夕食同様、有機野菜とササニシキ。佐渡島の郷土料理「いごねり」(乾燥した海藻のイゴ草を煮溶かして練ったものを冷やして固めて作る)もついていました。

    夕食同様、有機野菜とササニシキ。佐渡島の郷土料理「いごねり」(乾燥した海藻のイゴ草を煮溶かして練ったものを冷やして固めて作る)もついていました。

  • 隣に大きなホテルがありましたが、こちらを選んで良かったと思います。

    隣に大きなホテルがありましたが、こちらを選んで良かったと思います。

  • さぁ、チェックアウト後は相川地区の観光の続きです。まず向かったのは、北沢浮遊選鉱場跡などがある北沢エリア。

    さぁ、チェックアウト後は相川地区の観光の続きです。まず向かったのは、北沢浮遊選鉱場跡などがある北沢エリア。

  • この地区には、いくつかの見どころが集中しています。まず「相川技能伝承館」。

    この地区には、いくつかの見どころが集中しています。まず「相川技能伝承館」。

  • 相川に伝わる伝統工芸を学べる体験施設です。こちらに並んでいるのは、裂織(さきおり)という織物を織る機械で「ネマリバタ」というそうです。

    相川に伝わる伝統工芸を学べる体験施設です。こちらに並んでいるのは、裂織(さきおり)という織物を織る機械で「ネマリバタ」というそうです。

  • 「文弥人形」は、国重要無形民俗文化財となっている佐渡の伝統芸能だそうです。江戸時代の人形芝居と、明治時代に盲人の座語りとして語られていた文弥節が融合したものらしい。

    「文弥人形」は、国重要無形民俗文化財となっている佐渡の伝統芸能だそうです。江戸時代の人形芝居と、明治時代に盲人の座語りとして語られていた文弥節が融合したものらしい。

  • 相川技能伝承館の近くにある「相川郷土博物館」。

    相川技能伝承館の近くにある「相川郷土博物館」。

  • 昭和31年開館で、建物自体が国指定史跡になっており、御料局(明治憲法下で皇室財産を管理)佐渡支庁だったので屋根瓦には菊の御紋が入ってます。

    昭和31年開館で、建物自体が国指定史跡になっており、御料局(明治憲法下で皇室財産を管理)佐渡支庁だったので屋根瓦には菊の御紋が入ってます。

  • 相川のあゆみ、金山関連の歴史や美術品などを展示。

    相川のあゆみ、金山関連の歴史や美術品などを展示。

  • 北沢浮遊選鉱場の古い写真。

    北沢浮遊選鉱場の古い写真。

  • 相川遊女の再現まで。

    相川遊女の再現まで。

  • 続いては「北沢浮遊選鉱場」へ。日中戦争後の昭和12~15年(1937~40年)にかけて整備された選鉱施設です。右のレンガ造りの建物は明治期の火力発電所。

    続いては「北沢浮遊選鉱場」へ。日中戦争後の昭和12~15年(1937~40年)にかけて整備された選鉱施設です。右のレンガ造りの建物は明治期の火力発電所。

  • ”浮遊選鉱”とは、砕いた鉱石を水槽に入れ、溶液を加えて鉱物だけを浮かせる分離設備です。

    ”浮遊選鉱”とは、砕いた鉱石を水槽に入れ、溶液を加えて鉱物だけを浮かせる分離設備です。

  • 工場の跡地。奥にあるのが...

    工場の跡地。奥にあるのが...

  • ...沈降分離装置「シックナー」。昭和15年(1940年)に完成した比重差で分離する装置で、ここで泥鉱から水分を分離して向かいの北沢浮遊選鉱場へ送っていたそうです。

    ...沈降分離装置「シックナー」。昭和15年(1940年)に完成した比重差で分離する装置で、ここで泥鉱から水分を分離して向かいの北沢浮遊選鉱場へ送っていたそうです。

  • 続いて向かったのは「佐渡奉行所跡」。金脈の発見により、幕府は佐渡を直轄地=天領(幕府の直轄地)としました(ちゃっかりしてますね)。

    続いて向かったのは「佐渡奉行所跡」。金脈の発見により、幕府は佐渡を直轄地=天領(幕府の直轄地)としました(ちゃっかりしてますね)。

  • で、慶長8年(1603年)に相川に「佐渡奉行所」が置かれました。平成13年(2001年)に復元された建物。

    で、慶長8年(1603年)に相川に「佐渡奉行所」が置かれました。平成13年(2001年)に復元された建物。

  • 奉行所内には住居部分と行政部分がありました。

    奉行所内には住居部分と行政部分がありました。

  • 奉行所の建物は5回の焼失と再建を繰り返し、明治維新以降は役所や学校に使われ、昭和4年(1929年)に国史跡に指定されながらも昭和17年(1942年)に火災により称してしてしまったそうです。平成6年に再び国史跡に指定されたことで平成の再建に至ったそうです。

    奉行所の建物は5回の焼失と再建を繰り返し、明治維新以降は役所や学校に使われ、昭和4年(1929年)に国史跡に指定されながらも昭和17年(1942年)に火災により称してしてしまったそうです。平成6年に再び国史跡に指定されたことで平成の再建に至ったそうです。

  • 敷地内には直営工場(寄勝場=よせせりば)。

    敷地内には直営工場(寄勝場=よせせりば)。

  • ここで金銀を精製していました。

    ここで金銀を精製していました。

  • 奉行所にこういう施設があるというのは特異ですね。支配者のカネへの執着は半端ないですね。

    奉行所にこういう施設があるというのは特異ですね。支配者のカネへの執着は半端ないですね。

  • 奉行所跡をあとにします。堀と橋もいい雰囲気。

    奉行所跡をあとにします。堀と橋もいい雰囲気。

  • 奉行所の向かいに「佐渡版画村美術館」。入場はしませんでしたが建物は「旧相川簡易裁判所」、明治の面影を残す雰囲気ある建物でした。

    奉行所の向かいに「佐渡版画村美術館」。入場はしませんでしたが建物は「旧相川簡易裁判所」、明治の面影を残す雰囲気ある建物でした。

  • 旧相川簡易裁判所の赤レンガの外壁。その向かいには”味噌屋町”という町の長屋。

    旧相川簡易裁判所の赤レンガの外壁。その向かいには”味噌屋町”という町の長屋。

  • 「京町通り」に入ります。下京町の「時鐘楼」、正徳2年(1712年)に佐渡奉行だった荻原重秀の命により佐渡の出銅で鋳造され、1871年頃まで町内で時を知らせていたらしい。ずっと中断してたけど、近年になって再び朝夕撞かれているそうです。いい話。

    「京町通り」に入ります。下京町の「時鐘楼」、正徳2年(1712年)に佐渡奉行だった荻原重秀の命により佐渡の出銅で鋳造され、1871年頃まで町内で時を知らせていたらしい。ずっと中断してたけど、近年になって再び朝夕撞かれているそうです。いい話。

  • 古民家を活用した茶屋やギャラリー。

    古民家を活用した茶屋やギャラリー。

  • さらに京町通りを進みます。

    さらに京町通りを進みます。

  • 町の集会所。

    町の集会所。

  • 陶器屋さんと丸ポスト。

    陶器屋さんと丸ポスト。

  • 商店。

    商店。

  • 郵便局。鉱山が栄えていた頃はこの京町通りは繁華街で、京都出身の豪商だった山田吉左エ門が両替や廻し船で儲けけたそうです。3階建!の家もあったそうな。

    郵便局。鉱山が栄えていた頃はこの京町通りは繁華街で、京都出身の豪商だった山田吉左エ門が両替や廻し船で儲けけたそうです。3階建!の家もあったそうな。

  • 相川らしい町屋造りの家。普段は入れるようですがこの時は閉まってました。

    相川らしい町屋造りの家。普段は入れるようですがこの時は閉まってました。

  • この緑の門の中は昭和10年代に建てられたという元鉱山長の邸宅。現在は「Cafeガシマシネマ」としてカフェ併設の映画館になっています。(が、この日は開いてない)

    この緑の門の中は昭和10年代に建てられたという元鉱山長の邸宅。現在は「Cafeガシマシネマ」としてカフェ併設の映画館になっています。(が、この日は開いてない)

  • こちらにもカフェ。開いてればちょっと休憩...と思ったのですがClose。こういうご時世だからか、夏休みだからか...。

    こちらにもカフェ。開いてればちょっと休憩...と思ったのですがClose。こういうご時世だからか、夏休みだからか...。

  • 京町通りを結構山側へ上ってきました。この日は晴れて暑かったのでバテましたが...。京町通りの最後の目的地である「旧相川拘置支所」に着きました。

    京町通りを結構山側へ上ってきました。この日は晴れて暑かったのでバテましたが...。京町通りの最後の目的地である「旧相川拘置支所」に着きました。

  • 昭和29年(1954年)に、新潟刑務所相川拘置支所として開設されました。

    昭和29年(1954年)に、新潟刑務所相川拘置支所として開設されました。

  • 拘置所を他地区に移転する昭和47年(1972年)まで使われていたそうです。”受付”と”新入調査”...なんか生々しい。

    拘置所を他地区に移転する昭和47年(1972年)まで使われていたそうです。”受付”と”新入調査”...なんか生々しい。

  • 金銀を扱うだけに、それなりに犯罪も多かったのでしょうか?

    金銀を扱うだけに、それなりに犯罪も多かったのでしょうか?

  • 支所長室。

    支所長室。

  • 拘置エリア。

    拘置エリア。

  • 炊事場。

    炊事場。

  • 入浴場。

    入浴場。

  • 医務室。

    医務室。

  • 居房棟。独居房が6室、3名定員の雑居房が3室。

    居房棟。独居房が6室、3名定員の雑居房が3室。

  • こちらが雑居房。わりと広め。

    こちらが雑居房。わりと広め。

  • こちらは独居房。こんなとこに入れられちゃうような悪いことしちゃだめですね。<br />この拘置所跡は、現存する木造の拘置所として外観・内部ともほぼ当時のままというからこれは貴重ですね。

    こちらは独居房。こんなとこに入れられちゃうような悪いことしちゃだめですね。
    この拘置所跡は、現存する木造の拘置所として外観・内部ともほぼ当時のままというからこれは貴重ですね。

  • 京町通りは高台にありますので相川の湾が望めます。いい眺望。<br />佐渡の歴史に大きな影響を与えた金銀山とそこに関わった人々の営みと、尖閣湾や白雲台といった佐渡本来の自然...相川地区は実質的に佐渡のあゆみの中心にいた地区なのかもしれません。そんな相川の魅力を感じつつ、この後は国仲地区へ移動します。

    京町通りは高台にありますので相川の湾が望めます。いい眺望。
    佐渡の歴史に大きな影響を与えた金銀山とそこに関わった人々の営みと、尖閣湾や白雲台といった佐渡本来の自然...相川地区は実質的に佐渡のあゆみの中心にいた地区なのかもしれません。そんな相川の魅力を感じつつ、この後は国仲地区へ移動します。

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