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2020年11月18日(水)1時半、大原と云えばやはりここであろうと云う三千院に到着。三千院(三千院門跡)は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている浄土信仰の聖地。山号は魚山と云い、魏の曹植が陳の魚山に遊んだ際、空中より聞こえた梵天の讃を筆を執って写し梵唄と名付けたと云う声明(しょうみょう)発祥の故事にちなんだもの。御本尊は薬師如来。<br /><br />天台三門跡の中でも最も歴史が古く、最澄(伝教大師)が奈良時代から平安時代に掛けての延暦年間(782年~806年)に比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷に構えた円融房がその起源と云う。その後、比叡山東麓の坂本に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に廃仏毀釈により現在地に移った。<br /><br />円融房以降、円徳院、梨本門跡、梶井宮、梶井門跡などいろいろ呼ばれていたが、廃仏毀釈でその名を使うことを禁止され、新たに名付けたのが三千院(三千院門跡)。この名は梶井門跡の持仏堂に掲げられていた「一念三千院」の勅額から取ったもの。一念三千とは天台宗の観法であり、根本教理。<br /><br />桜の馬場から御殿門を抜けて境内に入る。この薬医門は、高い石垣に囲まれ、門跡寺院にふさわしい風格をそなえた政所としての城廓、城門を思わせる構えとなっている。御殿門を入って左手の階段を上がったところにある庫裏の受付で拝観料1人700円を払って建物の中に入る。この受付前の紅葉も鮮やか。<br /><br />靴をビニール袋に入れて勅使玄関を上がり、中書院から客殿に。客殿は平安時代には龍禅院と呼ばれた大原寺の政所だった、安土桃山から江戸時代の慶長年間(1596年~1615年)に、豊臣秀吉により禁裏修復として建て替えられた旧御所の旧材を用いたもので1912年(大正元年)に修復補修された。<br /><br />客殿の前に広がるのが聚碧園(しゅうへきえん)と呼ばれる池泉庭園。江戸時代の茶人・金森宗和による修築と伝えられている。東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成。聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ歌「見るたびに 袖こそ濡るれ 桜花 涙の種を 植えやおきけん」に由来する。<br /><br />聚碧園を回り込んで行くと宸殿。宮殿風寝殿造りで、かつての宮中行事だった儀式・御懺法講(おせんぼうこう)を執り行う為に京都御所の紫宸殿を模して1926年(大正15年)に建てられたもの(下の写真1)。ご本尊は中の間にある最澄(伝教大師)作と伝わる薬師瑠璃光如来だが、秘仏で非公開。<br /><br />宸殿前の前の庭は有清園。中国の六朝時代を代表する詩人、謝霊運の「山水清音有(山水に清音有り)」より命名された。山畔を利用して上部に三段式になった滝を配し、渓谷式に水を流して弁天池に注いでいるところを散策できる池泉回遊式庭園。瑠璃光庭とも呼ばれる。<br /><br />青苔に杉や檜などの立木が並び、紅葉と池、建物が素晴らしいコントラストを演出していたが、春には山桜と石楠花が庭園を淡く染め、夏には新緑、そして冬の雪景色と季節毎の見どころ十分。前に来たのがどの季節だったか、さっぱり思い出せない。<br /><br />有清園の中に立つのは国の重文の往生極楽院。三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、元々は藤原時代を代表する建築。平安末期の1148年に高松中納言藤原実衡の妻である真如房尼が、亡き夫の菩提のために極楽院として建立したもの(寺伝は異なる)。江戸初期の1616年に修理され、建立当時の外観はほとんど失われた。現在の建物はこけら葺の入母屋造で、向拝一間、桁行四間、梁間三間(下の写真2)。<br /><br />平安時代に梶井門跡の政所が隣接して建てられていたが、極楽院自体は天台の門跡とは無関係だった。しかし、1885年(明治18年)に廃仏毀釈で梶井門跡の本坊が洛中から移転して来、その境内に取り込まれてしまい、その際に往生極楽院と改称された。<br /><br />堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌しており、共に少し前かがみに跪く大和坐り。三体併せて阿弥陀如来及両脇侍像(阿弥陀三尊像)として国宝となっており、パンフレットにも載せられている。<br /><br />中尊の阿弥陀如来の高さが約2.3mと大きいので、舟底型天井にして堂内の空間一杯に安置している。その天井には肉眼では分かり難いが、天女や諸菩薩など極楽浄土を表す天井画が描かれている(後述する円融蔵に創建当時の状態が復元されている)。<br /><br />中に入らなかったのだが、後で調べて分かったのだが、ここでおっさん(関西ではお坊さんを意味する。おじさんの意味のおっさんとはアクセントが違い、「お」にアクセントが付く)の法話を聞けたんだ。昔来た時にすごく話が面白かったのを覚えてて、なくなったのかと思ってたら、ここだったんだ。しまった・・・<br /><br />朱雀門は往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門だが、現在は開扉されてない。元々の門の様式は藤原期様式と云われているが、現在の門は江戸時代に再建されたもの。国の重文である東福寺月下門を模した鎌倉様式の四脚門。朱雀は四神の中で南を守護する霊獣であり、この門は往生極楽院の南側に位置している。<br /><br />有清園の往生極楽院と朱雀門の間辺りには小さなお地蔵さまたちが苔庭に置かれている。わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家の杉村孝氏の手によるもの(下の写真3)。<br /><br />朱雀門の左手、黄色い葉っぱで覆われた石段を上がって行くと弁財天。「京の七福神巡り」の一尊として祀られている(下の写真4)。その上に金色不動堂。1989年建立の護摩祈祷などが行われる祈願道場。国の重文の智証大師円珍の作と伝えられる秘仏、金色不動明王立像を本尊とする。<br /><br />金色不動堂の前には小堀光詮前門主と親交のあった民謡研究家の竹内勉氏の民謡採集50周年記念として1999年に建立された「民謡に生きる」の碑などが建つ(下の写真5)。その横の「草木供養塔」は 建設会社社長の千歳栄氏が草や木の生命をいとおしんで草木塔を建立する活動をされており、その話に感銘を受けた小堀前門主が建立したもの(下の写真6)。<br /><br />側面に「一念三千」と刻された宝篋印塔(冩經(写経)塔)(下の写真7)の傍の石段を上ると境内の一番北側に位置する観音堂。観音堂内には身丈3メートルの金色の観音像が祀られており、御堂両側の小観音堂には三千院と縁を結ばれた方々の小観音像が安置されている。1998年の建立。観音堂の西側に広がる石庭は慈眼の庭と呼ばれ、補陀洛浄土を模して二十五菩薩を配している(下の写真8)。<br /><br />慈眼の庭を抜けて、境内の西側を流れる律川を渡るとおさな六地蔵と呼ばれる可愛らしいお地蔵さんが律川沿いに並ぶ。お花を抱えているようなものとか猫を抱いたものとか(下の写真9)。川沿いには山茶花の花も咲いており絵になる。<br /><br />川沿いに降りて行くともう1本の赤い橋のたもとには阿弥陀如来石仏。鎌倉時代に欣求(ごくぐ)浄土を願った念仏行者が造仏したと云われている。高さ約2.25mで、単弁の蓮華座上に結跏跌座した座像。この場所にはかつて腕の良い炭焼きの老翁が住んでいた古事から「売炭翁石仏」とも、単純に大原の石仏とも呼ばれる(下の写真10)。<br /><br />石仏の横の橋を渡って戻ると、金色不動堂の下には紫陽花苑が広がる。小アジサイ・星アジサイ・山アジサイ・額アジサイ・蔓アジサイなど数千株の紫陽花が植えられている。例年は6月中旬頃から見ごろを迎え、あじさい祭が行われるが、この時期(11月)なので特に見るものもない(下の写真11)。<br /><br />紫陽花苑を通り抜け、弁財天の下から朱雀門の横を下がって出口に向かう。有清園の南西角にある西方門を抜けると右手に写経場の円融房(下の写真12)。もちろん三千院の起源となる僧房の名前から命名されている。そして、そのはす向かいに円融蔵。2006年に完成した収蔵庫兼展示施設。三千院に伝わる仏像、仏画、障壁画、典籍文書類などを収蔵展示するほか、往生極楽院の天井画と壁画の復元画がある。売店も併設されておりお守りなど購入(下の写真13)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4995794597157191&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />2時半頃、拝観終了し、三千院道を戻るが続く

京都 大原 三千院(Sanzen-in Temple, Ohara, Kyoto, JP)

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2020/11/18 - 2020/11/18

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旅行記グループ 大原

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月18日(水)1時半、大原と云えばやはりここであろうと云う三千院に到着。三千院(三千院門跡)は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている浄土信仰の聖地。山号は魚山と云い、魏の曹植が陳の魚山に遊んだ際、空中より聞こえた梵天の讃を筆を執って写し梵唄と名付けたと云う声明(しょうみょう)発祥の故事にちなんだもの。御本尊は薬師如来。

天台三門跡の中でも最も歴史が古く、最澄(伝教大師)が奈良時代から平安時代に掛けての延暦年間(782年~806年)に比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷に構えた円融房がその起源と云う。その後、比叡山東麓の坂本に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に廃仏毀釈により現在地に移った。

円融房以降、円徳院、梨本門跡、梶井宮、梶井門跡などいろいろ呼ばれていたが、廃仏毀釈でその名を使うことを禁止され、新たに名付けたのが三千院(三千院門跡)。この名は梶井門跡の持仏堂に掲げられていた「一念三千院」の勅額から取ったもの。一念三千とは天台宗の観法であり、根本教理。

桜の馬場から御殿門を抜けて境内に入る。この薬医門は、高い石垣に囲まれ、門跡寺院にふさわしい風格をそなえた政所としての城廓、城門を思わせる構えとなっている。御殿門を入って左手の階段を上がったところにある庫裏の受付で拝観料1人700円を払って建物の中に入る。この受付前の紅葉も鮮やか。

靴をビニール袋に入れて勅使玄関を上がり、中書院から客殿に。客殿は平安時代には龍禅院と呼ばれた大原寺の政所だった、安土桃山から江戸時代の慶長年間(1596年~1615年)に、豊臣秀吉により禁裏修復として建て替えられた旧御所の旧材を用いたもので1912年(大正元年)に修復補修された。

客殿の前に広がるのが聚碧園(しゅうへきえん)と呼ばれる池泉庭園。江戸時代の茶人・金森宗和による修築と伝えられている。東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成。聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ歌「見るたびに 袖こそ濡るれ 桜花 涙の種を 植えやおきけん」に由来する。

聚碧園を回り込んで行くと宸殿。宮殿風寝殿造りで、かつての宮中行事だった儀式・御懺法講(おせんぼうこう)を執り行う為に京都御所の紫宸殿を模して1926年(大正15年)に建てられたもの(下の写真1)。ご本尊は中の間にある最澄(伝教大師)作と伝わる薬師瑠璃光如来だが、秘仏で非公開。

宸殿前の前の庭は有清園。中国の六朝時代を代表する詩人、謝霊運の「山水清音有(山水に清音有り)」より命名された。山畔を利用して上部に三段式になった滝を配し、渓谷式に水を流して弁天池に注いでいるところを散策できる池泉回遊式庭園。瑠璃光庭とも呼ばれる。

青苔に杉や檜などの立木が並び、紅葉と池、建物が素晴らしいコントラストを演出していたが、春には山桜と石楠花が庭園を淡く染め、夏には新緑、そして冬の雪景色と季節毎の見どころ十分。前に来たのがどの季節だったか、さっぱり思い出せない。

有清園の中に立つのは国の重文の往生極楽院。三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、元々は藤原時代を代表する建築。平安末期の1148年に高松中納言藤原実衡の妻である真如房尼が、亡き夫の菩提のために極楽院として建立したもの(寺伝は異なる)。江戸初期の1616年に修理され、建立当時の外観はほとんど失われた。現在の建物はこけら葺の入母屋造で、向拝一間、桁行四間、梁間三間(下の写真2)。

平安時代に梶井門跡の政所が隣接して建てられていたが、極楽院自体は天台の門跡とは無関係だった。しかし、1885年(明治18年)に廃仏毀釈で梶井門跡の本坊が洛中から移転して来、その境内に取り込まれてしまい、その際に往生極楽院と改称された。

堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌しており、共に少し前かがみに跪く大和坐り。三体併せて阿弥陀如来及両脇侍像(阿弥陀三尊像)として国宝となっており、パンフレットにも載せられている。

中尊の阿弥陀如来の高さが約2.3mと大きいので、舟底型天井にして堂内の空間一杯に安置している。その天井には肉眼では分かり難いが、天女や諸菩薩など極楽浄土を表す天井画が描かれている(後述する円融蔵に創建当時の状態が復元されている)。

中に入らなかったのだが、後で調べて分かったのだが、ここでおっさん(関西ではお坊さんを意味する。おじさんの意味のおっさんとはアクセントが違い、「お」にアクセントが付く)の法話を聞けたんだ。昔来た時にすごく話が面白かったのを覚えてて、なくなったのかと思ってたら、ここだったんだ。しまった・・・

朱雀門は往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門だが、現在は開扉されてない。元々の門の様式は藤原期様式と云われているが、現在の門は江戸時代に再建されたもの。国の重文である東福寺月下門を模した鎌倉様式の四脚門。朱雀は四神の中で南を守護する霊獣であり、この門は往生極楽院の南側に位置している。

有清園の往生極楽院と朱雀門の間辺りには小さなお地蔵さまたちが苔庭に置かれている。わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家の杉村孝氏の手によるもの(下の写真3)。

朱雀門の左手、黄色い葉っぱで覆われた石段を上がって行くと弁財天。「京の七福神巡り」の一尊として祀られている(下の写真4)。その上に金色不動堂。1989年建立の護摩祈祷などが行われる祈願道場。国の重文の智証大師円珍の作と伝えられる秘仏、金色不動明王立像を本尊とする。

金色不動堂の前には小堀光詮前門主と親交のあった民謡研究家の竹内勉氏の民謡採集50周年記念として1999年に建立された「民謡に生きる」の碑などが建つ(下の写真5)。その横の「草木供養塔」は 建設会社社長の千歳栄氏が草や木の生命をいとおしんで草木塔を建立する活動をされており、その話に感銘を受けた小堀前門主が建立したもの(下の写真6)。

側面に「一念三千」と刻された宝篋印塔(冩經(写経)塔)(下の写真7)の傍の石段を上ると境内の一番北側に位置する観音堂。観音堂内には身丈3メートルの金色の観音像が祀られており、御堂両側の小観音堂には三千院と縁を結ばれた方々の小観音像が安置されている。1998年の建立。観音堂の西側に広がる石庭は慈眼の庭と呼ばれ、補陀洛浄土を模して二十五菩薩を配している(下の写真8)。

慈眼の庭を抜けて、境内の西側を流れる律川を渡るとおさな六地蔵と呼ばれる可愛らしいお地蔵さんが律川沿いに並ぶ。お花を抱えているようなものとか猫を抱いたものとか(下の写真9)。川沿いには山茶花の花も咲いており絵になる。

川沿いに降りて行くともう1本の赤い橋のたもとには阿弥陀如来石仏。鎌倉時代に欣求(ごくぐ)浄土を願った念仏行者が造仏したと云われている。高さ約2.25mで、単弁の蓮華座上に結跏跌座した座像。この場所にはかつて腕の良い炭焼きの老翁が住んでいた古事から「売炭翁石仏」とも、単純に大原の石仏とも呼ばれる(下の写真10)。

石仏の横の橋を渡って戻ると、金色不動堂の下には紫陽花苑が広がる。小アジサイ・星アジサイ・山アジサイ・額アジサイ・蔓アジサイなど数千株の紫陽花が植えられている。例年は6月中旬頃から見ごろを迎え、あじさい祭が行われるが、この時期(11月)なので特に見るものもない(下の写真11)。

紫陽花苑を通り抜け、弁財天の下から朱雀門の横を下がって出口に向かう。有清園の南西角にある西方門を抜けると右手に写経場の円融房(下の写真12)。もちろん三千院の起源となる僧房の名前から命名されている。そして、そのはす向かいに円融蔵。2006年に完成した収蔵庫兼展示施設。三千院に伝わる仏像、仏画、障壁画、典籍文書類などを収蔵展示するほか、往生極楽院の天井画と壁画の復元画がある。売店も併設されておりお守りなど購入(下の写真13)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4995794597157191&type=1&l=223fe1adec


2時半頃、拝観終了し、三千院道を戻るが続く

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  • 写真1 宸殿

    写真1 宸殿

  • 写真2 往生極楽院

    写真2 往生極楽院

  • 写真3 わらべ地蔵

    写真3 わらべ地蔵

  • 写真4 妙音福寿大弁財天

    写真4 妙音福寿大弁財天

  • 写真5 「民謡に生きる」、「一日一生」、「生きてごらんなさい」の碑

    写真5 「民謡に生きる」、「一日一生」、「生きてごらんなさい」の碑

  • 写真6 草木供養塔

    写真6 草木供養塔

  • 写真7 宝篋印塔

    写真7 宝篋印塔

  • 写真8 慈眼の庭

    写真8 慈眼の庭

  • 写真9 子猫を抱いたおさな六地蔵

    写真9 子猫を抱いたおさな六地蔵

  • 写真10 阿弥陀如来石仏

    写真10 阿弥陀如来石仏

  • 写真11 紫陽花苑

    写真11 紫陽花苑

  • 写真12 円融房

    写真12 円融房

  • 写真13 円融蔵

    写真13 円融蔵

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