2014/10/22 - 2014/10/24
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tigerさん
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新型コロナ禍の中、昔の旅行を纏めることを再開しています。当時を思い出し、楽しんで
作成しています。 (旅行記は中央アジア4か国周遊 その第12弾ーNo.6) 2021.05記
本旅行記は中央アジア最大の観光地、ウズベキスタン共和国の後編です。
この一連の中央アジア旅行は、1980年に放映されたNHK特集「日中共同取材・シルク
ロード」と1984年放送のNHK特集「シルクロード第2部」を見て、何時か行ってみたいと
思った地域の1つで、リタイア後2年目に念願を果たすことが出来たました。
2014年10月22日(水)~10月24日(金)
【15日目】 サマルカンド観光 サマルカンド(泊)
【16日目】サマルカンド⇒⇒タシケント 観光後、帰国の途
21:05 タシケント発 ⇒⇒(HY527便)⇒⇒ 翌 24日 08:55 成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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【4か国周遊のルート】
-
【本旅行記のルート】
サマルカンドの観光後、移動してタシケントへ向かい、
タシケントを観光後、帰国の途に。 -
【15日目】2014年10月22日(水)ホテル「ASIA SAMARKAND」
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【15日目】ホテル「ASIA SAMARKAND」
ホテルのドアは精緻な彫刻が施された木製の扉。 -
【15日目】08:45「アフラシャブ考古学博物館」
入館してトイレを使った記憶しか残っていません。
この建物の背後に、かつての「サマルカンド」の都があった。 -
【15日目】「アフラシャブの丘」(博物館の左側を少し登ると、)
荒涼とした風景が続く丘だが、モンゴル軍に徹底的に破壊される以前、
何世紀にも亘って「サマルカンド」の町があった。
出土品は、考古学博物館に展示。
-
【15日目】「ウルグベク天文台跡」
ロシア人のアマチュア考古学者が1908年に発掘した。
写真代:3,000ソム(約 1.3 USD) -
【15日目】ウルグベクさん。
1420年代、ウルグベクの指導で中央アジアで最大の天文台が
建設された。彼は、チムールの孫。 -
【15日目】六分儀の想像模型
地上部には大きな建物が有ったが、残っていない。 -
【15日目】「六分儀で観測中の想像図」
ここでの観測によって、ウルグベクは恒星時、1年間を365日
6時間 10分 8秒と推測した。15世紀当時に 1年で 約1分の誤差という
驚異的精度であった。(実際は、365日 6時間 9分 9.6秒) -
【15日目】「六分儀の遺構」(ウルグベク天文台跡)
六分儀は、高さが40mあり、弧長は63mというもので、
現在は地下部分のみ残っている。 -
【15日目】10:21「六分儀の遺構」(ウルグベク天文台跡)
六分儀は外から見ると、筒状になっている。
地上には高さが 30mを超える建物があったらしい。 -
【15日目】10:26 ウルグベク像(1394-1449年)
ウルグベクは、チムールの孫で聡明な学者肌の人物であった。
当地サマルカンドには、彼の指示によって多くの
メドレセ(神学校)やモスクが建てられた。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」入り口
丘の上にある、荘厳な「お墓の団地」入り口です。 -
【15日目】10:48「シャーヒ・ジンダ廟群」入り口階段
門をくぐると、いきなり階段があり、丘の上に向かいます。
写真代:4,000ソム(約 1.7 USD) -
【15日目】10:55 丘へ登る階段
家族連れに声をかけられ、お互いに写真の撮りっこ。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
チムールゆかりの人々の霊廟が一直線に並ぶ、霊廟の団地。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
奥へと進んでいます。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
奥へと進んでいます。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
奥へと進んでいます。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
奥へと進んでいます。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
奥へと進んでいます。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
奥へと進んでいます。
なんと書いてあるのでしょうか。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
来た道を振り返ってみます。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
一番奥にたどり着きました。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
戻っています。 -
【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
戻っています。 -
【15日目】11:38「シャーヒ・ジンダ廟群」
戻っています。(振り返ると) -
【15日目】12:06「グリ・アミール廟」
「グリ・アミール」とは、タジク語で「支配者の墓」の意味。
チムールをはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟。
チムールの孫、ムハンマド・スルタン(1376ー1403年)が1403年の
トルコ遠征で戦死してしまい、チムールは彼を偲んで、彼がが建てた
イスラム神学校の隣に廟を建設した。
1年後、中国遠征で急死したチムール自身もここに葬られることに
なった。(チムールは、故郷シャフリサブスに墓を造ってあったが。) -
【15日目】12:06「グリ・アミール廟」
ここは、一般の人たちのお墓もある。 -
【15日目】12:08「グリ・アミール廟」
写真代: 3,000ソム(約 1.3 USD) -
【15日目】「グリ・アミール廟」
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【15日目】「グリ・アミール廟」
少し中へ進むと、中庭があります。 -
【15日目】「グリ・アミール廟」
アイヴァンの天井部分 -
【15日目】 Amir Temur (1336ー1405年)
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【15日目】「グリ・アミール廟」
チムール 一族の墓がある。 -
【15日目】「グリ・アミール廟」
チムール 一族の墓がある。
亡骸は、地下部分に埋葬されている。 -
【15日目】12:33「グリ・アミール廟」
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【15日目】12:34「グリ・アミール廟」
青色のドームの装飾が素晴らしい。 -
【15日目】「グリ・アミール廟」
ミナレットも、綺麗に装飾されている。 -
【15日目】12:44「グリ・アミール廟」
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【15日目】13:06 昼食
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【15日目】 昼食
ホテル付属のレストランで昼食を頂きます。 -
【15日目】 昼食
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【15日目】 昼食
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【15日目】 昼食
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【15日目】14:08 昼食
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【15日目】14:41「レギスタン広場」
昼食後、レギスタン広場へ来ました。
曇り空なのが残念です。
正面が「ティラカリ・メドレセ」 1660年完成
左側が「ウルグベク・メドレセ」 1420年完成
右側が「シェルドル・メドレセ」 1636年完成
全て、イスラム神学校。 -
【15日目】「レギスタン広場」
日本語ガイドの「サイーダ」さん。
彼女の日本語は、語尾が少し上がり気味で切れの良い江戸っ子言葉。
母国で日本語を3年間勉強後、浅草に4年間住んでいてお寿司屋さんで
バイトしていた。寿司屋のバイトで、江戸のアクセントを習得したか。
2011年3月の東日本大震災を機にウズベキスタンに帰国した。 -
【15日目】14:51「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)
1417-1420年に建設された、神学校。
当時、100名以上の学生が住んでいいた。
天文台を作って色んな観測をした、ウルグベク(1394-1449年)の
名を冠している神学校。
彼はここで教鞭をとっていたのでしょう。 -
【15日目】「ウルグベク・メドレセ」正面 (レギスタン広場)
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【15日目】「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)
正面をズーム -
【15日目】「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)
ミナレットは、綺麗に装飾されている。 -
【15日目】14:57「シェルドル・メドレセ」正面全景(レギスタン広場)
1619-1636年に建設された、神学校。 -
【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)
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【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)
横から見ると、奥に建物が続いているのが分かる。
イスラム神学校の教室や宿泊施設があると思われる。 -
【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)
「鹿を追うライオン」と「太陽(人の顔に日輪)」の絵が描かれている。
シェルドルとは、「ライオンが入っている」という意味。
「トラ」に見えますが、「ライオン」です。
イスラム教は本来、偶像崇拝は禁止なのに、どうしたことか???。 -
【15日目】15:00「ティラカリ・メドレセ」(レギスタン広場)
17世紀中頃、当地サマルカンドに新しい大聖堂モスクが必要となり、
当時の統治者がレギスタン広場に建設することに決めた。
同時に神学校として使えるようにと考え、1660年に完成した。
左側の青のドームの下に、礼拝所がある。 -
【15日目】「ティラカリ・メドレセ」(レギスタン広場)
-
【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)
「ティラカリ」とは、「金箔された」という意味、
礼拝堂の修復に3kgの金が使われた。 -
イチオシ
【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)
正面のくぼみ壁(ミラーブ)は、メッカの方向を示しているはず。 -
イチオシ
【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)
ドーム天井は、まばゆくて目がくらむ様です。 -
【15日目】「ティラカリ・メドレセ」中庭(レギスタン広場)
-
【15日目】「ティラカリ・メドレセ」中庭回廊 (レギスタン広場)
中庭に面した回廊は、お土産屋さんになっていました。 -
【15日目】(レギスタン広場)
プロらしい人達が撮影をやってました。 -
【15日目】(レギスタン広場)
こちらは、本物のカップル。 -
【15日目】16:03 レギスタン広場 ⇒⇒「ビビハニム・モスク」
歩いて、「ビビハニム・モスク」ヘ、移動中。
フレンドリーなご家族。 -
【15日目】16:12「ビビハニム・モスク」
1つの 「大モスク」と2つの 「小モスク」からなる、イスラム世界で
最大の規模を誇ったモスク(15世紀初め)の跡。 -
【15日目】「ビビハニム・モスク」
1399年、インド遠征から戻ったチムール(1336-1405年)は、
世界一の壮大なモスクを造ることを命じ、彼が亡くなる1年前に完成。
しかし完成後間もない頃、礼拝中の信者の上にレンガが落ちてきて
以後も落下が続いたため、礼拝に訪れる者がいなくなった。
そして廃墟が進むと共に、たび重なる地震で、姿を留めないほどに
なった。
20世紀終わり頃から、崩壊防止や修復工事が行われた。
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【15日目】「ラウヒ(書見台)」(ビビハニム・モスクの中庭)
赤丸で囲ったのが「ラウヒ(書見台)」。
世界最古のコーランと言われる「オスマン・クラーン(7世紀)」を
置くための書見台が残っている。(ウルグベクが寄進) -
【15日目】「ビビハニム・モスク」
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【15日目】「ビビハニム・モスク」
ドームを拡大しましたが、青色のツルツルでした。 -
【15日目】16:26「ビビハニム・モスク」
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【15日目】「ビビハニム・モスク」
こちらのドームは綺麗な仕上がりです。 -
【15日目】16:35「シヨブ・バザール」
「ビビハニム・モスク」の隣にあるバザール。 -
【15日目】「シヨブ・バザール」
巨大な大屋根の下に、色々なお店が出ています。 -
【15日目】「シヨブ・バザール」
-
【15日目】「シヨブ・バザール」
-
【15日目】「シヨブ・バザール」
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【15日目】「シヨブ・バザール」
大屋根のバザールが2つも並んでました。 -
【15日目】バザールから見た「ビビハニム・モスク」
-
【15日目】18:41 民家で夕食
民家にお邪魔してご家庭の食事を頂くことに、、、 -
【15日目】 民家で夕食
-
【15日目】 民家で夕食
料理の写真を撮りそこなったようです。 -
【15日目】 民家で夕食
素晴らしい調度品があります。 -
【15日目】20:16 民家で夕食
お茶を頂いてホテルへ戻りました。 -
【16日目】2014年10月23日(木)
サマルカンド(朝、出発)
↓
タシケント (観光)
↓
成田 24日(金)早朝帰国 -
【16日目】2014年10月23日(木)ホテルで朝食(サマルカンド)
-
【16日目】07:08 ホテルで朝食
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【16日目】08:31 「サマルカンド」⇒⇒「タシケント」
今日は、小雨の中をタシケントへ移動です。 -
【16日目】08:50 ⇒⇒「タシケント」
山の向こうは「タジキスタン共和国」 -
【16日目】09:20 ⇒⇒「タシケント」
-
【16日目】09:30 ⇒⇒「タシケント」
首都「タシケント」と「サマルカンド」間を結ぶ「新幹線」
線路が古いので、スピードは出せないそうです。 -
【16日目】10:20「ヒマワリ畑」
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【16日目】10:59 ⇒⇒「タシケント」
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【16日目】11:30
-
【16日目】11:53
ガススタンドの横に有料トイレが有りました。
500ソム、 (約 0.2 USD) -
【16日目】11:55
とても綺麗なトイレだったので、つい写真を撮りました。 -
【16日目】12:04「シルダリヤ川」
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【16日目】12:33
「タシケント」に近づき、
綿花畑以外に普通の畑や樹木が増えてきました。 -
【16日目】13:14「日本人墓地」(タシケント郊外)
第二次世界大戦後、ソ連の抑留され、タシケントで強制労働のため
この地で亡くなった79名の日本人が眠る。
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【16日目】13:20「日本人墓地」
ここは公営の大きなイスラム教徒墓地の一画。
地元の方が、綺麗に管理してくれています。 -
【16日目】13:57 昼食
昼食は、多分 HOTEL UZBEKISTAN だったかな? -
【16日目】 昼食
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【16日目】 昼食
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【16日目】 昼食
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【16日目】14:36 昼食
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【16日目】14:57 HOTEL UZBEKISTAN
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【16日目】15:06 「チムール広場」
左が、HOTEL UZBEKISTAN
右の白い建物は、国際会議場?? -
【16日目】15:08「チムール広場」付近の」街並み
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【16日目】15:26「ウズベキスタン歴史博物館」
見学はしていません。 -
【16日目】16:56「ナヴォイ劇場」
第二次世界大戦後、タシケントに抑留されていた旧日本兵等により
建設された。 1,500人収容、1947年完成
「日本人が建てた劇場は、大地震でもびくともしなかった」として、
地元では有名な建物。 -
【16日目】17:17 夕食の中華レストラン
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【16日目】17:31夕食
ウズベキスタン最後の食事は中華料理でした。 -
【17日目】「タシケント」⇒⇒「成田」着
タシケントからの飛行ルート。
タシケント 21:05発 HY527便 機材B767-300
成田 翌日 08:55着 (成田まで8時間くらいだったかかな?)
本旅行記で、「中央アジア 4か国」の旅行は、終了。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
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