サマルカンド旅行記(ブログ) 一覧に戻る
新型コロナ禍の中、昔の旅行を纏めることを再開しています。当時を思い出し、楽しんで<br />作成しています。 (旅行記は中央アジア4か国周遊 その第12弾ーNo.6) 2021.05記<br /><br />本旅行記は中央アジア最大の観光地、ウズベキスタン共和国の後編です。<br />この一連の中央アジア旅行は、1980年に放映されたNHK特集「日中共同取材・シルク<br />ロード」と1984年放送のNHK特集「シルクロード第2部」を見て、何時か行ってみたいと<br />思った地域の1つで、リタイア後2年目に念願を果たすことが出来たました。<br /><br />2014年10月22日(水)~10月24日(金)<br /><br />【15日目】 サマルカンド観光                  サマルカンド(泊) <br />【16日目】サマルカンド⇒⇒タシケント 観光後、帰国の途<br />     21:05 タシケント発 ⇒⇒(HY527便)⇒⇒ 翌 24日 08:55 成田着

(6)ウズベキスタン共和国ー2  サマルカンド   (中央アジア4か国周遊)

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2014/10/22 - 2014/10/24

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tiger

tigerさん

新型コロナ禍の中、昔の旅行を纏めることを再開しています。当時を思い出し、楽しんで
作成しています。 (旅行記は中央アジア4か国周遊 その第12弾ーNo.6) 2021.05記

本旅行記は中央アジア最大の観光地、ウズベキスタン共和国の後編です。
この一連の中央アジア旅行は、1980年に放映されたNHK特集「日中共同取材・シルク
ロード」と1984年放送のNHK特集「シルクロード第2部」を見て、何時か行ってみたいと
思った地域の1つで、リタイア後2年目に念願を果たすことが出来たました。

2014年10月22日(水)~10月24日(金)

【15日目】 サマルカンド観光                  サマルカンド(泊) 
【16日目】サマルカンド⇒⇒タシケント 観光後、帰国の途
     21:05 タシケント発 ⇒⇒(HY527便)⇒⇒ 翌 24日 08:55 成田着

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
ユーラシア旅行社

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  • 【4か国周遊のルート】

    【4か国周遊のルート】

  • 【本旅行記のルート】<br /> サマルカンドの観光後、移動してタシケントへ向かい、<br /> タシケントを観光後、帰国の途に。

    【本旅行記のルート】
     サマルカンドの観光後、移動してタシケントへ向かい、
     タシケントを観光後、帰国の途に。

  • 【15日目】2014年10月22日(水)ホテル「ASIA SAMARKAND」

    【15日目】2014年10月22日(水)ホテル「ASIA SAMARKAND」

  • 【15日目】ホテル「ASIA SAMARKAND」<br /> ホテルのドアは精緻な彫刻が施された木製の扉。

    【15日目】ホテル「ASIA SAMARKAND」
     ホテルのドアは精緻な彫刻が施された木製の扉。

  • 【15日目】08:45「アフラシャブ考古学博物館」<br /> 入館してトイレを使った記憶しか残っていません。<br /> この建物の背後に、かつての「サマルカンド」の都があった。<br />

    【15日目】08:45「アフラシャブ考古学博物館」
     入館してトイレを使った記憶しか残っていません。
     この建物の背後に、かつての「サマルカンド」の都があった。

  • 【15日目】「アフラシャブの丘」(博物館の左側を少し登ると、)<br /> 荒涼とした風景が続く丘だが、モンゴル軍に徹底的に破壊される以前、<br /> 何世紀にも亘って「サマルカンド」の町があった。<br /> 出土品は、考古学博物館に展示。<br /> 

    【15日目】「アフラシャブの丘」(博物館の左側を少し登ると、)
     荒涼とした風景が続く丘だが、モンゴル軍に徹底的に破壊される以前、
     何世紀にも亘って「サマルカンド」の町があった。
     出土品は、考古学博物館に展示。
     

  • 【15日目】「ウルグベク天文台跡」<br /> ロシア人のアマチュア考古学者が1908年に発掘した。<br /> 写真代:3,000ソム(約 1.3 USD)<br /><br />

    【15日目】「ウルグベク天文台跡」
     ロシア人のアマチュア考古学者が1908年に発掘した。
     写真代:3,000ソム(約 1.3 USD)

  • 【15日目】ウルグベクさん。<br /> 1420年代、ウルグベクの指導で中央アジアで最大の天文台が<br /> 建設された。彼は、チムールの孫。

    【15日目】ウルグベクさん。
     1420年代、ウルグベクの指導で中央アジアで最大の天文台が
     建設された。彼は、チムールの孫。

  • 【15日目】六分儀の想像模型<br /> 地上部には大きな建物が有ったが、残っていない。

    【15日目】六分儀の想像模型
     地上部には大きな建物が有ったが、残っていない。

  • 【15日目】「六分儀で観測中の想像図」<br /> ここでの観測によって、ウルグベクは恒星時、1年間を365日<br /> 6時間 10分 8秒と推測した。15世紀当時に 1年で 約1分の誤差という<br /> 驚異的精度であった。(実際は、365日 6時間 9分 9.6秒)<br />

    【15日目】「六分儀で観測中の想像図」
     ここでの観測によって、ウルグベクは恒星時、1年間を365日
     6時間 10分 8秒と推測した。15世紀当時に 1年で 約1分の誤差という
     驚異的精度であった。(実際は、365日 6時間 9分 9.6秒)

  • 【15日目】「六分儀の遺構」(ウルグベク天文台跡)<br /> 六分儀は、高さが40mあり、弧長は63mというもので、<br /> 現在は地下部分のみ残っている。

    【15日目】「六分儀の遺構」(ウルグベク天文台跡)
     六分儀は、高さが40mあり、弧長は63mというもので、
     現在は地下部分のみ残っている。

  • 【15日目】10:21「六分儀の遺構」(ウルグベク天文台跡)<br /> 六分儀は外から見ると、筒状になっている。<br /> 地上には高さが 30mを超える建物があったらしい。

    【15日目】10:21「六分儀の遺構」(ウルグベク天文台跡)
     六分儀は外から見ると、筒状になっている。
     地上には高さが 30mを超える建物があったらしい。

  • 【15日目】10:26 ウルグベク像(1394-1449年)<br /> ウルグベクは、チムールの孫で聡明な学者肌の人物であった。<br /> 当地サマルカンドには、彼の指示によって多くの<br /> メドレセ(神学校)やモスクが建てられた。

    【15日目】10:26 ウルグベク像(1394-1449年)
     ウルグベクは、チムールの孫で聡明な学者肌の人物であった。
     当地サマルカンドには、彼の指示によって多くの
     メドレセ(神学校)やモスクが建てられた。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」入り口<br /> 丘の上にある、荘厳な「お墓の団地」入り口です。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」入り口
     丘の上にある、荘厳な「お墓の団地」入り口です。

  • 【15日目】10:48「シャーヒ・ジンダ廟群」入り口階段<br /> 門をくぐると、いきなり階段があり、丘の上に向かいます。<br /> 写真代:4,000ソム(約 1.7 USD)

    【15日目】10:48「シャーヒ・ジンダ廟群」入り口階段
     門をくぐると、いきなり階段があり、丘の上に向かいます。
     写真代:4,000ソム(約 1.7 USD)

  • 【15日目】10:55 丘へ登る階段<br /> 家族連れに声をかけられ、お互いに写真の撮りっこ。

    【15日目】10:55 丘へ登る階段
     家族連れに声をかけられ、お互いに写真の撮りっこ。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> チムールゆかりの人々の霊廟が一直線に並ぶ、霊廟の団地。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     チムールゆかりの人々の霊廟が一直線に並ぶ、霊廟の団地。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 奥へと進んでいます。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     奥へと進んでいます。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 奥へと進んでいます。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     奥へと進んでいます。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 奥へと進んでいます。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     奥へと進んでいます。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 奥へと進んでいます。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     奥へと進んでいます。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 奥へと進んでいます。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     奥へと進んでいます。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 奥へと進んでいます。<br /> なんと書いてあるのでしょうか。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     奥へと進んでいます。
     なんと書いてあるのでしょうか。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 来た道を振り返ってみます。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     来た道を振り返ってみます。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 一番奥にたどり着きました。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     一番奥にたどり着きました。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 戻っています。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     戻っています。

  • 【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 戻っています。

    【15日目】「シャーヒ・ジンダ廟群」
     戻っています。

  • 【15日目】11:38「シャーヒ・ジンダ廟群」<br /> 戻っています。(振り返ると)

    【15日目】11:38「シャーヒ・ジンダ廟群」
     戻っています。(振り返ると)

  • 【15日目】12:06「グリ・アミール廟」<br /> 「グリ・アミール」とは、タジク語で「支配者の墓」の意味。<br /> チムールをはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟。<br /><br /> チムールの孫、ムハンマド・スルタン(1376ー1403年)が1403年の<br /> トルコ遠征で戦死してしまい、チムールは彼を偲んで、彼がが建てた<br /> イスラム神学校の隣に廟を建設した。<br /><br /> 1年後、中国遠征で急死したチムール自身もここに葬られることに<br /> なった。(チムールは、故郷シャフリサブスに墓を造ってあったが。)<br /><br />

    【15日目】12:06「グリ・アミール廟」
    「グリ・アミール」とは、タジク語で「支配者の墓」の意味。
     チムールをはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟。

     チムールの孫、ムハンマド・スルタン(1376ー1403年)が1403年の
     トルコ遠征で戦死してしまい、チムールは彼を偲んで、彼がが建てた
     イスラム神学校の隣に廟を建設した。

     1年後、中国遠征で急死したチムール自身もここに葬られることに
     なった。(チムールは、故郷シャフリサブスに墓を造ってあったが。)

  • 【15日目】12:06「グリ・アミール廟」<br /> ここは、一般の人たちのお墓もある。

    【15日目】12:06「グリ・アミール廟」
     ここは、一般の人たちのお墓もある。

  • 【15日目】12:08「グリ・アミール廟」<br /> 写真代: 3,000ソム(約 1.3 USD)

    【15日目】12:08「グリ・アミール廟」
     写真代: 3,000ソム(約 1.3 USD)

  • 【15日目】「グリ・アミール廟」

    【15日目】「グリ・アミール廟」

  • 【15日目】「グリ・アミール廟」<br /> 少し中へ進むと、中庭があります。

    【15日目】「グリ・アミール廟」
     少し中へ進むと、中庭があります。

  • 【15日目】「グリ・アミール廟」<br /> アイヴァンの天井部分

    【15日目】「グリ・アミール廟」
     アイヴァンの天井部分

  • 【15日目】 Amir  Temur (1336ー1405年)<br />

    【15日目】 Amir Temur (1336ー1405年)

  • 【15日目】「グリ・アミール廟」<br /> チムール 一族の墓がある。

    【15日目】「グリ・アミール廟」
     チムール 一族の墓がある。

  • 【15日目】「グリ・アミール廟」<br /> チムール 一族の墓がある。<br /> 亡骸は、地下部分に埋葬されている。

    【15日目】「グリ・アミール廟」
     チムール 一族の墓がある。
     亡骸は、地下部分に埋葬されている。

  • 【15日目】12:33「グリ・アミール廟」

    【15日目】12:33「グリ・アミール廟」

  • 【15日目】12:34「グリ・アミール廟」<br /> 青色のドームの装飾が素晴らしい。

    【15日目】12:34「グリ・アミール廟」
     青色のドームの装飾が素晴らしい。

  • 【15日目】「グリ・アミール廟」<br /> ミナレットも、綺麗に装飾されている。

    【15日目】「グリ・アミール廟」
     ミナレットも、綺麗に装飾されている。

  • 【15日目】12:44「グリ・アミール廟」

    【15日目】12:44「グリ・アミール廟」

  • 【15日目】13:06 昼食

    【15日目】13:06 昼食

  • 【15日目】 昼食<br /> ホテル付属のレストランで昼食を頂きます。

    【15日目】 昼食
     ホテル付属のレストランで昼食を頂きます。

  • 【15日目】 昼食

    【15日目】 昼食

  • 【15日目】 昼食

    【15日目】 昼食

  • 【15日目】 昼食

    【15日目】 昼食

  • 【15日目】14:08 昼食 

    【15日目】14:08 昼食 

  • 【15日目】14:41「レギスタン広場」<br /> 昼食後、レギスタン広場へ来ました。<br /> 曇り空なのが残念です。<br /> 正面が「ティラカリ・メドレセ」 1660年完成<br /> 左側が「ウルグベク・メドレセ」 1420年完成<br /> 右側が「シェルドル・メドレセ」 1636年完成 <br /> 全て、イスラム神学校。

    【15日目】14:41「レギスタン広場」
     昼食後、レギスタン広場へ来ました。
     曇り空なのが残念です。
     正面が「ティラカリ・メドレセ」 1660年完成
     左側が「ウルグベク・メドレセ」 1420年完成
     右側が「シェルドル・メドレセ」 1636年完成 
     全て、イスラム神学校。

  • 【15日目】「レギスタン広場」<br /> 日本語ガイドの「サイーダ」さん。<br /> 彼女の日本語は、語尾が少し上がり気味で切れの良い江戸っ子言葉。<br /> 母国で日本語を3年間勉強後、浅草に4年間住んでいてお寿司屋さんで<br /> バイトしていた。寿司屋のバイトで、江戸のアクセントを習得したか。<br /> 2011年3月の東日本大震災を機にウズベキスタンに帰国した。

    【15日目】「レギスタン広場」
     日本語ガイドの「サイーダ」さん。
     彼女の日本語は、語尾が少し上がり気味で切れの良い江戸っ子言葉。
     母国で日本語を3年間勉強後、浅草に4年間住んでいてお寿司屋さんで
     バイトしていた。寿司屋のバイトで、江戸のアクセントを習得したか。
     2011年3月の東日本大震災を機にウズベキスタンに帰国した。

  • 【15日目】14:51「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)<br /> 1417-1420年に建設された、神学校。<br /> 当時、100名以上の学生が住んでいいた。<br /><br /> 天文台を作って色んな観測をした、ウルグベク(1394-1449年)の<br /> 名を冠している神学校。<br /> 彼はここで教鞭をとっていたのでしょう。

    【15日目】14:51「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)
     1417-1420年に建設された、神学校。
     当時、100名以上の学生が住んでいいた。

     天文台を作って色んな観測をした、ウルグベク(1394-1449年)の
     名を冠している神学校。
     彼はここで教鞭をとっていたのでしょう。

  • 【15日目】「ウルグベク・メドレセ」正面 (レギスタン広場)<br />

    【15日目】「ウルグベク・メドレセ」正面 (レギスタン広場)

  • 【15日目】「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)<br /> 正面をズーム

    【15日目】「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)
     正面をズーム

  • 【15日目】「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)<br /> ミナレットは、綺麗に装飾されている。

    【15日目】「ウルグベク・メドレセ」(レギスタン広場)
     ミナレットは、綺麗に装飾されている。

  • 【15日目】14:57「シェルドル・メドレセ」正面全景(レギスタン広場)<br /> 1619-1636年に建設された、神学校。

    【15日目】14:57「シェルドル・メドレセ」正面全景(レギスタン広場)
     1619-1636年に建設された、神学校。

  • 【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)

    【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)

  • 【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)<br /> 横から見ると、奥に建物が続いているのが分かる。<br /> イスラム神学校の教室や宿泊施設があると思われる。

    【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)
     横から見ると、奥に建物が続いているのが分かる。
     イスラム神学校の教室や宿泊施設があると思われる。

  • 【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)<br /> 「鹿を追うライオン」と「太陽(人の顔に日輪)」の絵が描かれている。<br /> シェルドルとは、「ライオンが入っている」という意味。<br /> 「トラ」に見えますが、「ライオン」です。<br /> イスラム教は本来、偶像崇拝は禁止なのに、どうしたことか???。<br />

    【15日目】「シェルドル・メドレセ」(レギスタン広場)
    「鹿を追うライオン」と「太陽(人の顔に日輪)」の絵が描かれている。
     シェルドルとは、「ライオンが入っている」という意味。
    「トラ」に見えますが、「ライオン」です。
     イスラム教は本来、偶像崇拝は禁止なのに、どうしたことか???。

  • 【15日目】15:00「ティラカリ・メドレセ」(レギスタン広場)<br /> 17世紀中頃、当地サマルカンドに新しい大聖堂モスクが必要となり、<br /> 当時の統治者がレギスタン広場に建設することに決めた。<br /> 同時に神学校として使えるようにと考え、1660年に完成した。<br /><br /> 左側の青のドームの下に、礼拝所がある。

    【15日目】15:00「ティラカリ・メドレセ」(レギスタン広場)
     17世紀中頃、当地サマルカンドに新しい大聖堂モスクが必要となり、
     当時の統治者がレギスタン広場に建設することに決めた。
     同時に神学校として使えるようにと考え、1660年に完成した。

     左側の青のドームの下に、礼拝所がある。

  • 【15日目】「ティラカリ・メドレセ」(レギスタン広場)

    【15日目】「ティラカリ・メドレセ」(レギスタン広場)

  • 【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)<br /> 「ティラカリ」とは、「金箔された」という意味、<br /> 礼拝堂の修復に3kgの金が使われた。

    【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)
    「ティラカリ」とは、「金箔された」という意味、
     礼拝堂の修復に3kgの金が使われた。

  • 【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)<br /> 正面のくぼみ壁(ミラーブ)は、メッカの方向を示しているはず。

    イチオシ

    【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)
     正面のくぼみ壁(ミラーブ)は、メッカの方向を示しているはず。

  • 【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)<br /> ドーム天井は、まばゆくて目がくらむ様です。

    イチオシ

    【15日目】「ティラカリ・メドレセ」礼拝堂 (レギスタン広場)
     ドーム天井は、まばゆくて目がくらむ様です。

  • 【15日目】「ティラカリ・メドレセ」中庭(レギスタン広場)

    【15日目】「ティラカリ・メドレセ」中庭(レギスタン広場)

  • 【15日目】「ティラカリ・メドレセ」中庭回廊 (レギスタン広場)<br /> 中庭に面した回廊は、お土産屋さんになっていました。

    【15日目】「ティラカリ・メドレセ」中庭回廊 (レギスタン広場)
     中庭に面した回廊は、お土産屋さんになっていました。

  • 【15日目】(レギスタン広場)<br /> プロらしい人達が撮影をやってました。

    【15日目】(レギスタン広場)
     プロらしい人達が撮影をやってました。

  • 【15日目】(レギスタン広場)<br /> こちらは、本物のカップル。

    【15日目】(レギスタン広場)
     こちらは、本物のカップル。

  • 【15日目】16:03 レギスタン広場 ⇒⇒「ビビハニム・モスク」<br /> 歩いて、「ビビハニム・モスク」ヘ、移動中。<br /> フレンドリーなご家族。

    【15日目】16:03 レギスタン広場 ⇒⇒「ビビハニム・モスク」
     歩いて、「ビビハニム・モスク」ヘ、移動中。
     フレンドリーなご家族。

  • 【15日目】16:12「ビビハニム・モスク」<br />  1つの 「大モスク」と2つの 「小モスク」からなる、イスラム世界で<br /> 最大の規模を誇ったモスク(15世紀初め)の跡。

    【15日目】16:12「ビビハニム・モスク」
    1つの 「大モスク」と2つの 「小モスク」からなる、イスラム世界で
     最大の規模を誇ったモスク(15世紀初め)の跡。

  • 【15日目】「ビビハニム・モスク」<br /> 1399年、インド遠征から戻ったチムール(1336-1405年)は、<br /> 世界一の壮大なモスクを造ることを命じ、彼が亡くなる1年前に完成。<br /><br /> しかし完成後間もない頃、礼拝中の信者の上にレンガが落ちてきて<br /> 以後も落下が続いたため、礼拝に訪れる者がいなくなった。<br /> そして廃墟が進むと共に、たび重なる地震で、姿を留めないほどに<br /> なった。<br /> 20世紀終わり頃から、崩壊防止や修復工事が行われた。<br /> 

    【15日目】「ビビハニム・モスク」
     1399年、インド遠征から戻ったチムール(1336-1405年)は、
     世界一の壮大なモスクを造ることを命じ、彼が亡くなる1年前に完成。

     しかし完成後間もない頃、礼拝中の信者の上にレンガが落ちてきて
     以後も落下が続いたため、礼拝に訪れる者がいなくなった。
     そして廃墟が進むと共に、たび重なる地震で、姿を留めないほどに
     なった。
     20世紀終わり頃から、崩壊防止や修復工事が行われた。
     

  • 【15日目】「ラウヒ(書見台)」(ビビハニム・モスクの中庭)<br /> 赤丸で囲ったのが「ラウヒ(書見台)」。<br /> 世界最古のコーランと言われる「オスマン・クラーン(7世紀)」を<br /> 置くための書見台が残っている。(ウルグベクが寄進)<br /><br />

    【15日目】「ラウヒ(書見台)」(ビビハニム・モスクの中庭)
     赤丸で囲ったのが「ラウヒ(書見台)」。
     世界最古のコーランと言われる「オスマン・クラーン(7世紀)」を
     置くための書見台が残っている。(ウルグベクが寄進)

  • 【15日目】「ビビハニム・モスク」

    【15日目】「ビビハニム・モスク」

  • 【15日目】「ビビハニム・モスク」<br /> ドームを拡大しましたが、青色のツルツルでした。

    【15日目】「ビビハニム・モスク」
     ドームを拡大しましたが、青色のツルツルでした。

  • 【15日目】16:26「ビビハニム・モスク」

    【15日目】16:26「ビビハニム・モスク」

  • 【15日目】「ビビハニム・モスク」<br /> こちらのドームは綺麗な仕上がりです。

    【15日目】「ビビハニム・モスク」
     こちらのドームは綺麗な仕上がりです。

  • 【15日目】16:35「シヨブ・バザール」<br /> 「ビビハニム・モスク」の隣にあるバザール。

    【15日目】16:35「シヨブ・バザール」
    「ビビハニム・モスク」の隣にあるバザール。

  • 【15日目】「シヨブ・バザール」<br /> 巨大な大屋根の下に、色々なお店が出ています。

    【15日目】「シヨブ・バザール」
     巨大な大屋根の下に、色々なお店が出ています。

  • 【15日目】「シヨブ・バザール」

    【15日目】「シヨブ・バザール」

  • 【15日目】「シヨブ・バザール」

    【15日目】「シヨブ・バザール」

  • 【15日目】「シヨブ・バザール」

    【15日目】「シヨブ・バザール」

  • 【15日目】「シヨブ・バザール」<br /> 大屋根のバザールが2つも並んでました。

    【15日目】「シヨブ・バザール」
     大屋根のバザールが2つも並んでました。

  • 【15日目】バザールから見た「ビビハニム・モスク」

    【15日目】バザールから見た「ビビハニム・モスク」

  • 【15日目】18:41 民家で夕食<br /> 民家にお邪魔してご家庭の食事を頂くことに、、、

    【15日目】18:41 民家で夕食
     民家にお邪魔してご家庭の食事を頂くことに、、、

  • 【15日目】 民家で夕食

    【15日目】 民家で夕食

  • 【15日目】 民家で夕食<br /> 料理の写真を撮りそこなったようです。

    【15日目】 民家で夕食
     料理の写真を撮りそこなったようです。

  • 【15日目】 民家で夕食<br /> 素晴らしい調度品があります。

    【15日目】 民家で夕食
     素晴らしい調度品があります。

  • 【15日目】20:16 民家で夕食<br /> お茶を頂いてホテルへ戻りました。

    【15日目】20:16 民家で夕食
     お茶を頂いてホテルへ戻りました。

  • 【16日目】2014年10月23日(木)<br />サマルカンド(朝、出発)<br />↓<br />タシケント (観光)<br />↓<br />成田 24日(金)早朝帰国

    【16日目】2014年10月23日(木)
    サマルカンド(朝、出発)

    タシケント (観光)

    成田 24日(金)早朝帰国

  • 【16日目】2014年10月23日(木)ホテルで朝食(サマルカンド)<br />

    【16日目】2014年10月23日(木)ホテルで朝食(サマルカンド)

  • 【16日目】07:08 ホテルで朝食

    【16日目】07:08 ホテルで朝食

  • 【16日目】08:31 「サマルカンド」⇒⇒「タシケント」<br /> 今日は、小雨の中をタシケントへ移動です。

    【16日目】08:31 「サマルカンド」⇒⇒「タシケント」
     今日は、小雨の中をタシケントへ移動です。

  • 【16日目】08:50 ⇒⇒「タシケント」<br /> 山の向こうは「タジキスタン共和国」

    【16日目】08:50 ⇒⇒「タシケント」
     山の向こうは「タジキスタン共和国」

  • 【16日目】09:20 ⇒⇒「タシケント」

    【16日目】09:20 ⇒⇒「タシケント」

  • 【16日目】09:30 ⇒⇒「タシケント」<br /> 首都「タシケント」と「サマルカンド」間を結ぶ「新幹線」<br /> 線路が古いので、スピードは出せないそうです。

    【16日目】09:30 ⇒⇒「タシケント」
     首都「タシケント」と「サマルカンド」間を結ぶ「新幹線」
     線路が古いので、スピードは出せないそうです。

  • 【16日目】10:20「ヒマワリ畑」

    【16日目】10:20「ヒマワリ畑」

  • 【16日目】10:59 ⇒⇒「タシケント」

    【16日目】10:59 ⇒⇒「タシケント」

  • 【16日目】11:30

    【16日目】11:30

  • 【16日目】11:53<br /> ガススタンドの横に有料トイレが有りました。<br /> 500ソム、 (約 0.2 USD)

    【16日目】11:53
     ガススタンドの横に有料トイレが有りました。
     500ソム、 (約 0.2 USD)

  • 【16日目】11:55<br /> とても綺麗なトイレだったので、つい写真を撮りました。<br /><br />

    【16日目】11:55
     とても綺麗なトイレだったので、つい写真を撮りました。

  • 【16日目】12:04「シルダリヤ川」

    【16日目】12:04「シルダリヤ川」

  • 【16日目】12:33<br /> 「タシケント」に近づき、<br /> 綿花畑以外に普通の畑や樹木が増えてきました。

    【16日目】12:33
    「タシケント」に近づき、
     綿花畑以外に普通の畑や樹木が増えてきました。

  • 【16日目】13:14「日本人墓地」(タシケント郊外)<br /> 第二次世界大戦後、ソ連の抑留され、タシケントで強制労働のため<br /> この地で亡くなった79名の日本人が眠る。<br /> <br />

    【16日目】13:14「日本人墓地」(タシケント郊外)
     第二次世界大戦後、ソ連の抑留され、タシケントで強制労働のため
     この地で亡くなった79名の日本人が眠る。
     

  • 【16日目】13:20「日本人墓地」<br /> ここは公営の大きなイスラム教徒墓地の一画。<br /> 地元の方が、綺麗に管理してくれています。

    【16日目】13:20「日本人墓地」
     ここは公営の大きなイスラム教徒墓地の一画。
     地元の方が、綺麗に管理してくれています。

  • 【16日目】13:57 昼食<br /> 昼食は、多分 HOTEL  UZBEKISTAN だったかな?

    【16日目】13:57 昼食
     昼食は、多分 HOTEL UZBEKISTAN だったかな?

  • 【16日目】 昼食

    【16日目】 昼食

  • 【16日目】 昼食

    【16日目】 昼食

  • 【16日目】 昼食

    【16日目】 昼食

  • 【16日目】14:36 昼食<br />

    【16日目】14:36 昼食

  • 【16日目】14:57 HOTEL  UZBEKISTAN

    【16日目】14:57 HOTEL  UZBEKISTAN

  • 【16日目】15:06 「チムール広場」<br /> 左が、HOTEL  UZBEKISTAN<br /> 右の白い建物は、国際会議場??

    【16日目】15:06 「チムール広場」
     左が、HOTEL  UZBEKISTAN
     右の白い建物は、国際会議場??

  • 【16日目】15:08「チムール広場」付近の」街並み

    【16日目】15:08「チムール広場」付近の」街並み

  • 【16日目】15:26「ウズベキスタン歴史博物館」<br /> 見学はしていません。

    【16日目】15:26「ウズベキスタン歴史博物館」
     見学はしていません。

  • 【16日目】16:56「ナヴォイ劇場」<br /> 第二次世界大戦後、タシケントに抑留されていた旧日本兵等により<br /> 建設された。 1,500人収容、1947年完成<br /><br /> 「日本人が建てた劇場は、大地震でもびくともしなかった」として、<br /> 地元では有名な建物。

    【16日目】16:56「ナヴォイ劇場」
     第二次世界大戦後、タシケントに抑留されていた旧日本兵等により
     建設された。 1,500人収容、1947年完成

    「日本人が建てた劇場は、大地震でもびくともしなかった」として、
     地元では有名な建物。

  • 【16日目】17:17 夕食の中華レストラン

    【16日目】17:17 夕食の中華レストラン

  • 【16日目】17:31夕食<br /> ウズベキスタン最後の食事は中華料理でした。

    【16日目】17:31夕食
     ウズベキスタン最後の食事は中華料理でした。

  • 【17日目】「タシケント」⇒⇒「成田」着<br /> タシケントからの飛行ルート。<br /><br /> タシケント 21:05発 HY527便  機材B767-300<br /> 成田 翌日 08:55着 (成田まで8時間くらいだったかかな?)<br /><br /> 本旅行記で、「中央アジア 4か国」の旅行は、終了。<br /> 最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

    【17日目】「タシケント」⇒⇒「成田」着
     タシケントからの飛行ルート。

     タシケント 21:05発 HY527便  機材B767-300
     成田 翌日 08:55着 (成田まで8時間くらいだったかかな?)

     本旅行記で、「中央アジア 4か国」の旅行は、終了。
     最後まで、ご覧いただきありがとうございました。

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