2014/10/12 - 2014/10/15
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新型コロナウイルスによる緊急事態宣言は解除されたものの、海外旅行はまだまだ先に
なりそう。そこで整理していない昔の旅行を纏めることを再開しています。当時を
思い出しながら楽しんで作成しています。(旅行記はその第12弾ーNo.2) 2021.04記
本編「カザフスタン共和国」は、バイコヌール宇宙基地(ロシアの租借地)が有名、
また首都「アスタナ」(2019年にヌルスルタンと改称)の都市計画は日本人の建築家、
黒川紀章(2007年没)が行った。
カザフスタンは、それほどの観光は有りませんでしたが、バスが2度もパンクしたことと、
添乗員さんが一押しのカザフスタンで一番綺麗な「公衆トイレ」に鍵がかかっていて
利用できなかったことが記憶に残っています。あとは長い長いバス移動のみ。
本篇の最終日は、ウズベキスタンの「ヒワ」観光で終わります。ウズベキスタンの
メイン観光は、トルクメニスタンを訪問した後になります。
【旅程】2014年10月12日(日)~10月15日(水)
【第5日目】ビシケク(キルギス)⇒⇒(国境)⇒⇒アルマトイ(カザフスタン)
市内観光 アルマトイ泊
【第6日目】アルマトイ⇒⇒(バス長距離移動)⇒⇒タラズ タラズ泊
【第7日目】タラズ観光
(カザフスタン)⇒⇒(国境)⇒⇒(ウズベキスタン) タシケント泊
【8日目】タシケント⇒(国内線)⇒ウルゲンチ 「ヒワ」観光 ヒワ泊
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
PR
-
【カザフスタン共和国】
面積は日本の7倍強あり、世界第9位(アジアでは、中国、インドに
次ぐ3位)の広さがあり、カザフ族が68%、ロシア人が19%、
その他ウズベク族、ウクライナ人が暮らす。
首都は南部のアルマトイにあったが1997年に北部のアスタナに遷都。
ヨーロッパに近く、ガス・石油資源地に近いという理由で遷都された。
現在「アスタナ」という名称は「ヌルスルタン」(初代大統領の名前)に
変わっている。 -
【5日目】11:01 ⇒⇒アルマトイ(アルマティ)
08:10、キルギス側の出国事務所に着き、徒歩で川を越えて
カザフスタン共和国のKordayという町に入り、バスで
「アルマトイ」へ約210㎞の移動。
アルマ:リンゴの意味
トイ :里 つまり、リンゴの里「アルマトイ」 -
【5日目】13:03 昼食レストラン(アルマトイ)
旧首都アルマトイ(アルマティ)は、カザフスタンで一番大きな都市。
今回のツアーでは、国土の南端をちょこっと観光するのみ、
広大な土地ながら、あまり見るべき所が無いようです。 -
【5日目】 昼食
-
【5日目】 昼食
-
【5日目】 市内最大のバザール(アルマトイ市内観光)
写真撮影は不可です。
旧共産圏には、バザールの写真撮影がダメな場合があります。 -
【5日目】国立中央博物館(アルマトイ市内観光)
博物館内の写真撮影は不可です。
黄金人間のみOKだったのですが、興味なし。 -
【5日目】パンフィロフ公園前の道路
幅の広い道路や整然とした街並みは、ソ連時代に造られたようです。 -
【5日目】15:42 パンフィロフ将軍かな?
-
【5日目】パンフィロフ公園: 広大な敷地のようです
-
【5日目】パンフィロフ公園
キルギス共和国でも同じでしたが、カザフスタンでも結婚式の
記念撮影をこのような公園でするようです。
新郎はどこだ??? -
【5日目】パンフィロフ公園
第二次世界大戦での対ドイツ戦の時、カザフ社会主義共和国から
出征しモスクワを防御し、戦死したパンフィロフ将軍率いる28人の
戦死を記念して造られた公園。 -
【5日目】パンフィロフ公園
今日は日曜日。こちらでも、結婚式の記念撮影です。
ここは、永遠に炎の途絶えることのない無名戦士の墓。
-
【5日目】ゼンコフ正教教会(パンフィロフ公園)
-
【5日目】パンフィロフ公園
今日は日曜日、観光用の馬車でしょう。 -
【5日目】パンフィロフ公園の日曜日
この子の先祖は、この地を馬で駆け巡っていたのでしょうか。
カザフスタンは、数々の遊牧民達が活躍した土地。 -
【5日目】 ホテル OTRAR(オトラル)
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【5日目】 ホテル OTRAR(オトラル)
懐かしい、ブラウン管テレビがありました。 -
【5日目】 ホテル OTRAR(オトラル)
-
【5日目】 夕食
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【6日目】10月13日(月)朝の旧首都「アルマトイ」
車は、トヨタ、ホンダ、三菱、富士重工などの日本車とベンツが
目立つ。 -
【6日目】09:05「アルマトイ」⇒(210km)⇒ Korday ⇒⇒Traz
今日は、国境の町コルデイ(Korday)まで道路「M33」を210㎞戻り、
更にカザフスタン側の国境沿いを西へ進み、タラズ(Traz)へ。 -
【6日目】09:24 カザフスタンの草原(⇒ Korday)
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【6日目】 サービスエリアで休憩
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【6日目】10:01 サービスエリアの売店
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【6日目】 このバスで、カザフスタンを移動
後に、2度もタイヤがパンクすることに、、、 -
【6日目】10:31 ⇒ コルダイ(Korday)
片側1車線のM33号線を西へ。 -
【6日目】10:37 車窓風景 ⇒コルダイ(Korday)
点々と見えるのは、ヒツジ。 -
【6日目】11:34 昼食レストラン
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【6日目】昼食レストラン
-
【6日目】昼食レストラン
メインの写真を撮りそこなったかな? -
【6日目】12:38
昼食後、「タラズ」へ畑の中を進みます。 -
【6日目】13:00 車窓風景 ⇒タラズ
-
【6日目】14:18 タラズ(TARAZ)まで 156㎞
大平原の片側1車線のハイウエイを走る。
左側にはキルギスとの国境緩衝地帯が続く。
-
【6日目】14:54 バスが・・・パンク!
片側2車線のハイウェイ E40に入り暫くして、タイヤがパンク。
走行中、「ドン」という音がして、少し先のバス停まで走り停車。
この道路は「アジア・ハイウェイ」の一部の様子。中国が建設か? -
【6日目】15:07
真ん中の2人は、ハチミツ屋さんのお姉さん、両端はパンク修理中に
暇を持て余すツアー参加者。 -
【6日目】15:24 右側後輪の内側タイヤがパンク。
-
【6日目】15:33
「キルギス」から同行の現地ガイド「テンチク」さんもお手伝い。 -
【6日目】15:38 タイヤ交換を見守るツアー参加者。
1時間10分のロスタイムでした。 -
【6日目】16:20 E40の車窓風景 ⇒タラズ
移動しているのは、カザフスタン共和国の南端、
このような平原が国全体に広がっているのでしょうか。 -
【6日目】16:41 鉄道が見えました。 ⇒タラズ
-
【6日目】18:26 ホテル ZHAMBYL(ジャンブール)(タラズ)
タラズは人口60万人、カザフスタンの都市。 -
【6日目】18:49 ホテル ZHAMBYL(ジャンブール)(タラズ)
地域暖房のため、まだ蒸気供給(多分)が始まっておらず、ホテルは
暖房が使えず、寒い夜を過ごす羽目に。(服を着込んで寝ました) -
【6日目】 ホテル ZHAMBYL の水回り
シャワーのみの質素なホテル。 -
【6日目】 ホテル正面の道路
-
【6日目】19:07 夕食「キューリとトマトのサラダ」
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【6日目】19:12 夕食「チキン・スープ」
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【6日目】19:27 夕食「サーモン・グリル」
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【7日目】2014年10月14日(火)
タラズの官庁街前を通り、タラズ川の古戦場へ向かいます。
外気温は+3℃。
今日は、「タラズ川の古戦場」と「アイシャ・ビビ廟」を見学後
国境を越えてウズベキスタンの首都タシケントへ向かいます。 -
【7日目】08:04 タラズ川
751年に、タラズ川河岸で「唐」とイスラム帝国「アッパース朝」
との戦いがあり、イスラム帝国が勝利。
東西文明の激突が有ったことで、製紙法が西方へ伝わったらしい。 -
【7日目】08:05 タラズ川を見下ろす丘の遺跡
-
【7日目】 丘より、タラズの町を見下ろす
2000年の歴史がある町で、シルクロードの要衝として栄え、
10~12世紀にカラ・ハン朝の首都として最盛期を迎えた町。
現在、人口60万人。
かすかに見えるのは、天山山脈の西端。 -
【7日目】09:17 「アイシャ・ビビ廟」(12世紀)
カラ・ハン朝の王と商人の娘アイシャの悲恋伝説に基づいている。
カラ・ハン朝の王が、サマルカンドで商人の娘アイシャと恋に落ち、
結婚を誓い合ったが、アイシャの父が反対したため王は一人で
タラズへ戻ってしまった。
娘に同情した母親は乳母を付けてアイシャをタラズへ旅立たせたが、
タラズ川で身を清め花嫁衣裳をつけたが、ベールに潜んでいたヘビに
噛まれてしまう。
王が駆け付け、司祭に瀕死のアイシャと結婚式を挙げてもらい、
彼女以外の妻を持たないことと、立派な廟を建てることを誓いました。
まもなく、アイシャはビビ(妃)となって息途絶えました。 -
【7日目】09:30
廟に近ずくと、繊細な模様が描かれたレンガの化粧壁。 -
【7日目】09:30
こちらは、サマルカンドから一緒にタラズへ来た、乳母の廟。 -
【7日目】09:35 2つの廟が並んで有ります。
この手前にお土産を売る小さな建物があり、その近くに
添乗員さんが力説していた、カザフスタン共和国で一番綺麗なトイレが
あるのですが、早朝の為か、鍵がかかっていて、利用できず!。
裏の草地で思い思いに、青空トイレと相成りました、、、 -
【7日目】
国境の町シンケント(カザフスタン共和国)を経由して、
ウズベキスタン共和国の首都、タシケントまで269㎞移動します。 -
【7日目】10:12 ⇒シンケント
M39を西南方向に走っています。(バスは写真の右方向へ)
山脈は、天山山脈の西方向延長線上と思う。
-
【7日目】11:02
小さな村を通過して30分後、昨日に続いて、2度目のパンク発生。
昨日と同じ部分です。タイヤの装着がまずかったのでしょうか? -
【7日目】
外側のタイヤを外したところ。 -
【7日目】12:34
パンクした場所はこんなところ、反対側は小高い山がありました。
思い思いに付近を散策したり、青空トイレしたりで時間をつぶす。 -
【7日目】15:44 タイヤ到着
5時間近く経ってやっと、交換するタイヤが届けられました。
ダブル設置のタイヤは両方とも交換して、16:15出発。
なんと5時間30分のロスタイム。タイヤを探すのに手間取った
のでしょう。
-
【7日目】17:07 ⇒⇒ シンケント 車窓風景
-
【7日目】17:38 ⇒⇒ シンケント 車窓風景
ちょっとした峠を越えました。 -
【7日目】18:43 道路脇の民家
シンケントに近づき、民家が増えてきました。 -
【7日目】18:50 シンケントの昼食レストラン
パンクで予定が遅れたので、トイレだけ借りて食事はバス車中での
お弁当に変更。 -
【7日目】19:08 今頃、昼食です(バスの中)
バスが動き出すとお弁当を頂きました。結構、美味しい。
-
【7日目】
カザフスタン共和国の「タラズ」から100㎞超を走り、国境を越えて
ウズベキスタン共和国の首都「タシケント」へ向かいました。 -
【7日目】23:28 遅い夕食(タシケントのホテル)
23時頃ホテルに到着。
遅い時間にもかかわらず、ホテルのレストランで夕食。
さすが、首都のホテル。 -
【7日目】23:32 遅い夕食
パンク事件で大幅なスケジュール遅れの為、添乗員さんからビール
差し入れ。 -
【7日目】23:47 遅い夕食
-
【7日目】00:15 タシケントのホテル
明日は、5時にホテルを出発するため、モーニングコールが
03:30となり、睡眠は3時間ほどに、、、。
というわけで、「カザフスタン」から「ウズベキスタン」へ到着。
明日は、国内線でウルゲンチヘ飛び、「ヒワ」の観光。
(ここタシケントは、経由のみ)
-
【8日目】2014年10月15日(水)08:12
タシケントの空港を午前7時過ぎに離陸。
土漠が続く土地を飛びます、中段の右側は町のようです。 -
【8日目】08:57 もうすぐ「ウルゲンチ」に着陸
機材は IL-114-100型 AB-CD4席x13列の52席(ソ連製かな?) -
【8日目】09:32
ウルゲンチ空港を後に、「ヒワ」のホテルに向かいます。 -
【8日目】10:45 ホテル着(城壁内)
城壁の中「イチャン・カラ(中の・壁)」にあるホテルに1泊します。
「ヒワ」=「ヒヴァ」=「KHIVA」
城壁内に3千人、旧市街に3万人が生活している。 -
【8日目】ドアの模様
ホテル入り口の木製ドアには繊細な模様が彫られています。 -
【8日目】ホテルの前で、地元の子供と
-
【8日目】ホテル客室
ヒワは、ユネスコの世界文化遺産に登録(1990年)されており、
新しい建物が建てることが出来ないのでしょう。 -
【8日目】城壁内を散策しながら昼食レストランへ
お昼少し前で、家屋の外の土窯で「ナン」を焼いていました。
小麦粉を練って、丸く伸ばして、窯の壁面に張付けて、待てば
出来上がり。 -
【8日目】焼きあがった「ナン」
-
【8日目】12:03 城壁内のレストランで昼食
-
【8日目】13:22 城壁内のレストランで昼食
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【8日目】12:30 城壁内のレストランで昼食
ウズベキスタンの家庭料理「プロフ」でした。 -
【8日目】13:24 カメラ代 7,000ソム(約3USD)
-
イチオシ
【8日目】午後12:57 「イスラーム・ホジャ・ミナレット」
イスラムの聖都となったヒワの町は、外敵の侵入を防ぐために
外壁と内壁の二重の城壁で守られた。
内側の城壁で囲まれた「イチャン・カラ」には、20のモスクと
6基のミナレットがあるそうな。 -
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
ヒワで 1 番高い(45m)、イスラーム・ホジャ・ミナレット。 -
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
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【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
-
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
-
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
-
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
「カルタ・ミナル」1852年に着工されたが、未完成のミナレット。
(高さ26mで中断)
完成していたら、70m~80m位の高さになったと考えられている。 -
【8日目】午後「クフナ・アルク(古い城塞)」の城壁(ヒワ城壁内)
ヒワ城壁内にある壁で囲われた古い城塞。 -
【8日目】午後「クフナ・アルク(古い城塞)」(ヒワ城壁内)
「モスク」 正面にはメッカの方向を示す壁の「くぼみ」と
右側に「メルバン」(階段状の説教壇)があるので、それと分かる。
6本の木製柱には、精緻な彫刻が施されている。
中央で立っている女性は、日本語ガイドのサイーダさん。
-
【8日目】午後「クフナ・アルク(古い城塞)」(ヒワ城壁内)
「謁見の間」 -
【8日目】午後「クフナ・アルク(古い城塞)」(ヒワ城壁内)
「謁見の間」2つの木製柱にも、精緻な彫刻が施されている。 -
【8日目】午後「クフナ・アルク(古い城塞)」(ヒワ城壁内)
「謁見の間」の王座 -
【8日目】午後 「見張り台」から(クフナ・アルク)
「クフナ・アルク(古い城塞)」のアク・シェイフ・ババの見張り台
からの眺め -
【8日目】午後 「見張り台」からの眺め(クフナ・アルク)
-
【8日目】午後 「見張り台」からの眺め(クフナ・アルク)
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【8日目】午後 「見張り台」からの眺め(クフナ・アルク)
-
【8日目】午後 「見張り台」からの眺め(クフナ・アルク)
-
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
「イスラーム・ホジャ・ミナレット」は、色んな場所から見えます。 -
【8日目】午後 「ヒワ城壁内」
「ジュマ・モスク」:
繊細な彫刻が施された212本の木製柱と、平坦な天井のモスク。
「金曜のモスク」とも呼ばれているので、この地で最初に建てられた
モスクと思われる。 -
【8日目】18:27
夕食は、ホテルから徒歩10分程のレストランへ。 -
【8日目】夕食
ビールは 7,000ソム、約3 USD. -
【8日目】夕食
-
【8日目】夕食
-
【8日目】夕食
-
【9日目】2014年10月16日(木)06:57 朝食
朝食後にバスで国境に向かい、「トルクメニスタン共和国」へ。
カザフスタン共和国とウズベキスタン共和国(ヒワ)の旅行記は
ここまでです。
次は、中央アジアの北朝鮮と呼ばれるトルクメニスタン共和国の
旅行記になります。
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