2021/02/17 - 2021/02/17
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旅人のくまさんさん
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弥生時代の大集落、古墳時代の古墳群として全国的にも知られた高蔵遺跡は、熱田区の高蔵公園を含む南北約800メートル、東西約500メートルの範囲に広がる大規模な遺跡です。名古屋市中心部から南に延びる熱田台地上に位置し、現在の標高は7~9メートル程です。長い年代による海岸線の変化の中でも、比較的安定した土地だったようです。
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太閤由縁の『高座稲荷社』の扁額と赤鳥居の光景です。右手奥に古墳らしい小山が見えていました。後ほど紹介する4号墳です。この後は『高蔵遺跡群』の紹介が主になりますので、『高座結御子神社』は地元での通称の『高蔵神社』と表記することにします。
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西南から眺めた、高蔵神社の本殿光景です。新春を迎えて行事が予定されているらしく、境内の各所のテントが張ってありました。2月から4月の間の行事は、2月・初午の日:高座稲荷社祭、3月・旧初午の日:高座稲荷講社春季大祭、4月・3日:幼児成育祈願祭が公式HPに載せられていました。
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高蔵神社の中で、あまり人が立ち入ることがなさそうな場所の散策です。一番の目的は、神社内に残る、二つの古墳の確認です。ネットで検索出来た範囲では、3号墳と4号墳が神社敷地内に残されているようでした。うず高く積まれた枯れ枝の光景は、普段の手入れがされていない場所のようでした。
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イチオシ
裾を川石で囲んだ、小高い場所の光景です。早速確認できた古墳のようです。最初の現認者の鍵谷徳三郎による明治41年(1908年)の記録では、神社を取り囲むように7基の円墳があったとされます。また、高蔵神社境内の稲荷社の裏手に高蔵4号墳、その北側の奥に高蔵3号墳があるとされますから、これは4号墳になるようです。
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同じく、高蔵神社境内にある、4号墳らしい古墳の光景です。草木が生い茂っていますが、数メートルの高さの墳丘が見えていました。高蔵4号墳は、直径17メートル、高さ3メートル、6世紀後半に造られたと想定されている円墳です。
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半巡りほどして確認した4号墳の光景です。太閤出世稲荷の赤い鳥居の傍までやってきました。4号墳の山裾は、赤い鳥居列まで迫っていました。4号墳が造られてから1400年ほど経っていますので、墳丘に生える木々は何度も更新されたようですが、今も大きな木が林立していました。
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高蔵遺跡は、弥生時代には、時期によって変動はありますが、集落が営まれ、住居や墓が多く造られました。周囲に防御を目的の一つとする濠が廻らされる『環濠集落』であり、この地域の中心的な集落でした。貝塚が形成され、中国製の鏡がもたらされるなど、海を基盤とした環境で、遠隔地との交流もあったようです。(名古屋市博物館HP)
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また、高座遺跡群がある区域では、弥生時代後期の赤く塗られた特徴ある土器のパレススタイル(宮廷式)が出土しています。明治時代に高蔵遺跡で発見された土器を当時の研究者浜田耕作が名付けたものです。高蔵遺跡は、赤彩土器とも呼ばれる『パレススタイル土器発祥の地』としても注目される遺跡です。(同)
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もう1個所の古墳を探しながらの散策ですが、うまく見つかりませんでした。古墳時代の高蔵遺跡では、5世紀から6世紀前半頃に方墳が多数築かれ、同じ頃、付近では前方後円墳の断夫山古墳や白鳥古墳など大型古墳も築かれました。また、6世紀後半から7世紀には、横穴式石室をもつ円墳が造られ、高蔵古墳群を形成しています。大豪族とそれに連なる人々が葬られたと推測されています。
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『御即位紀念池』の文字が刻まれた石碑の光景です。大正天皇か、昭和天皇の即位記念のようでした。表には世話人、発起人をはじめ、寄付者の名前が大勢記してありました。推測ですが、大正天皇の御即位記念碑のようでした。周りに池跡は見当たりませんでしたが、背後の低い場所が、池跡でしょうか。
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鬱蒼と木々が生い茂る、いわゆる鎮守の杜の光景です。中央に見えるのは、『高蔵神社』の社務所の建物です。この地域の『産土神(うぶすながみ)』であり『高座(蔵):たかくらさま』と呼ばれて篤い信仰を集めています。
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『高蔵神社』の拝殿光景です。現在の名古屋市史には、『祭神は仲哀天皇或いは成務天皇、或いは仲哀天皇、成務天皇相殿、或いは高倉下命、天香語山命』としていると書かれています。大正に書かれた名古屋市史には、祭神には様々な説があると書かれているようですから、『高倉下命』に絞って祭神としたのは、比較的新しいかも知れません。
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『カゴノキ(鹿子の木)』の説明立札と、右手の樹木がそのカゴノキです。説明立て札に記された解説を紹介しておきます。『はがれた幹の樹皮が、かわいい小鹿の斑点に様に見えることから、名付けられた。古墳の近くによく見られます』と紹介してありました。古墳と長い付き合いの樹木かも知れません。
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名前:『カゴノキ(鹿子の木)』
分類:クスノキ科ハマビワ属
分布:日本では本州の関東、福井以西、四国、九州に分布。
その他:大きくなると樹皮が鹿の子模様になることが名前の由来です。 -
『高座結御子神社』の境内の見学を終えて、次は隣接する『高蔵公園』の見学です。その南側の光景です。真新しいコンクリート擁壁に整備され、石段も整備されていました。高蔵公園の敷地は、「高座遺跡群の発掘調査の中心部になった場所です。
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にぎやかな表示があった、観光案内標識の光景です。奥向きに、これから見学に向かう『高蔵公園』が、左向きと下の道の表示が、『高蔵夜寒の里・史跡散策路』の表示でした。さらにその下には『あったかウォーキングコース・15キロ』が表示されていました。
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高蔵公園で、最初に紹介するのが、『高蔵5号墳と環濠』のタイトルがあった柵に付けられた説明パネルです。『5号墳』は、5世紀末から6世紀中頃に作られた、1編が20メートル以上の方墳であることが確認されました。また、『環濠』は、弥生時代の紀元前300年ほど前のものであることも確認されています。3枚の写真は、平成29年度の試掘調査に続いて行われた、平成30年度(2018年)の発掘調査状況です。
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次の説明看板にも『高蔵5号墳と環濠』のタイトルがありました。こちらは、公園内の立看板です。平成29年度(2017年)の試掘調査では、『5号墳』は、埴輪を巡らした、一辺が20メートル以上の方墳であることが確認され、年代特定は出土した埴輪や須恵器から、5世紀末から6世紀初めと判断されました。
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『高蔵公園』のタイトルがあった平面図の光景です。ステンレス板に記され、三本並んだ丈夫なの石柱が台座でした。一見して、戦後に建てられたものと判断されましたが、昭和55年(1980年)の町名変更の以降に建てられたものでした。
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『高蔵公園』のタイトルがあった平面図のズームアップ光景です。表示された範囲は、500メートル四方の2万5千平方メートルで、区画整理事業時の土地所有者の協力で、この公園が生まれたことが紹介されていました。推測ですが、高蔵神社の敷地から高蔵公園が生まれたようでした。
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高蔵公園側から眺めた、西側の高座神社の光景です。金網製の兵が、東側の高蔵公園と、西側の高蔵神社の新しい協会阿泉になったようです。高蔵神社側は、先ほど散策してきた場所です。
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『高蔵8号墳』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『高蔵8号墳』は、平成30年度(2018年)の発掘調査で、古墳であることが確認されました。河原石を積んだ横穴式石室を持つ、直径17~18メートルの円墳であることが確認され、墳丘の周りの溝から、須恵器や土師器が出土しています。その出土品の写真が右上、その下が発掘調査時の石室などの出土状況です。
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『高蔵8号墳』の発掘調査箇所付近の光景です。写真の手前に平らな意思が並んでいる部分が、周溝になるようです。出土した須恵器から、7世紀に造られた古墳と想定されています。今から約1400年ほど前のことです。
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『高蔵8号墳』の周溝の位置を表示した、同心円の二列の敷石の光景です。直径が17~18メートルの円墳ですから、その周りの周溝もかなりな大きさです。その敷石と、細い縁石が交差していましたが、細いほうの縁石は、現代の歩行者用の道路標示です。
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歩行者用の道路標示と、『高蔵8号墳』の周溝の位置を表示した敷石が交差した箇所のズームアップ光景です。推測ですが、石室全体や周溝の全周を調査するものではなく、本格調査へ向けての試掘を兼ねているようでしたから、歩道部分は発掘されていない可能性が高いようでした。
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イチオシ
『高蔵8号墳』の発掘で確認された周溝の位置を表示した、二本平行した敷石の光景です。左側の敷石が少しずれているのは、歩行者用の道路標示と重なった部分です。歩行者用の道路標示が優先されていました。部分的に周溝が狭くなっている訳ではないようです。
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枯草に覆い隠されそうですが、二本並んで円を描く、『高蔵8号墳』の発掘で確認された周溝の位置表示です。高蔵遺跡の出土品の一部は、名古屋市はkぅ物館などで確認できましたので、纏めとして、最後に紹介の予定です。
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『高蔵7号墳』のタイトルがあった説明看板の光景です。平成29年度の発掘調査で古墳であることが判明した『高蔵7号墳』は、河原石を積んだ、長さ8メートルの石室を持つ、直径16メートルの円墳と確認されました。現在は埋め戻されて、周溝の位置に石を置いて表示されています。写真は発掘された石室と、周溝の光景です。周溝は全体ではなく、一番深い部分だけの発掘のようです。
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『高蔵7号墳』の周溝の位置に石を並べて表示された光景です。置かれた2列の石の幅は、周溝の幅を表しているようでしたが、先ほどの説明文には、周溝の深さや幅など、詳しい記載はありませんでした。部分的な発掘調査のためかもしれません。周溝の中央に樹木が残っているのも、そのことを意味しているようです。
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イチオシ
同じく、中央の小高い部分を中心に、同心円状に置かれた表示石の光景です。2メートル前後の幅の溝の表示のようでした。現在でも、中央部分が少し高くなっているのは、数メートルの高さはあったと思われる墳丘の名残のようです。『高蔵7号墳』は7世紀頃に造られたもので、今から1400年ほど前のことになります。
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