2021/02/17 - 2021/02/17
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旅人のくまさんさん
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弥生時代から始まる高蔵遺跡の紹介です。『高蔵遺跡』は、名古屋市熱田区の高蔵町付近で発見された貝塚や古墳などの遺跡群の総称です。高蔵貝塚、高蔵古墳群とも呼ばれます。1907年(明治40年)、現在の外土居町から高蔵町の付近での工事で土器が出土したのが、発見のきっかけとなりました。
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イチオシ
地元では、通称『高蔵神社(たかくらじんじゃ)』や『高蔵(たかくら)さん』と呼ばれている『高座結御子神社』の西側に位置する石の鳥居の光景です。歴史は古く、近くにある熱田神宮と縁が深い神社です。国史では、『続日本後紀』承和2年(836年)条に、『尾張国の日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の熱田大神御児神3神を名神に列する』という旨の記述があるようです。(ウィキペディア)
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名称:『彼岸桜』
分類;バラ科サクラ属
分布:本州の東北地方から四国、九州に分布。
その他:桜の品種名は推定です。 -
名称:『彼岸桜』
分類;バラ科サクラ属
分布:本州の東北地方から四国、九州に分布。
その他:見頃の花のズームアップ光景です。 -
名称:『彼岸桜』
分類;バラ科サクラ属
分布:本州の東北地方から四国、九州に分布。
その他:濃い赤色は落花した後の額です。最初は紅梅かと思いましたが、花弁に桜特有の切れ込みがありました。 -
『高座結御子(たかくらむすびみこ)神社』のタイトルがあった由緒書きの立札光景です。祭神が『高倉下命(たかくらじみこと)』です。天孫降臨の『饒速日命(にぎはやひのみこと)』の子と紹介されていました。境内には、鉾取社( 祭神:鉾取神)、新宮社(祭神:素盞嗚尊)、御井社(祭神:御井神)、稲荷社(祭神:宇迦之御魂神)の四末社が鎮座しています。
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『熱田神宮摂社・式内明神大社・高座結御子神社』の文字が刻まれた、西門脇の石標光景です。側面に、『明治45年6月1日』の建立年月日が記されていました。明治45年(1912年)は、明治から大正時代に代わった年で、『大正元年』にもなります。
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春日井瀇(こう)の歌碑と、その解説の石碑の紹介です。春日井瀇(こう)は、中部短歌会主幹でした。昭和19年に愛知国学院が改称し、中部神祇学校になった時の初代校長で、廃校となった昭和22年(1947年)まで務めた人です。中部短歌界の主幹の後を継いだのが、子の春日井建(けん:1938~2004年)のようです。この碑は、中部短歌界有志により、平成元年(1989年)8月に建立されました。
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境内から振り返って眺めた、鳥居の光景です。ずいぶん昔のことになりますが、この通りは、西高蔵駅で下車して、職場に向かう通勤路でしたから懐かしい場所です。通ったのは2年ほどでした。『高蔵神社』は、熱田神宮との縁が深い、格式の高い古社とお聞きしていた記憶はありました。
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左手に見えてきたのは、以前にも紹介したことがある、若かりし頃の秀吉所縁の『高座稲荷社』の赤い鳥居列の光景です。久し振りに訪れた時に、高蔵神社の社殿や、赤鳥居などを撮影しました。
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『末社・稲荷社(太閤出世稲荷)』のタイトルがあった説明看板の光景です。祭神は五穀、食べ物を司る『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』です。京都・伏見稲荷大社の主祭神で、一般に稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されています。秀吉がお参りしたのは、母に手を取られた幼少の頃です。尾張国愛知郡御器所村で1513年に生まれたとされる『仲(なか)』は、後年の『大政所(おおのまんどころ)』です。
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イチオシ
若かりし頃の秀吉所縁の『高座稲荷社』の赤い鳥居列のズームアップ光景です。久しぶりに訪れた前回の時には、赤い鳥居も一通り潜りましたが、今回は『高蔵貝塚』の撮影が目的ですから、本通りの参道を通りました。赤鳥居に懸かる『高座稲荷社』の扁額と、『高座稲荷大神』の幟の光景です。
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『高座稲荷社』の文字が刻まれた石標の光景です。後年の『大政所(おおのまんどころ)』の『仲(なか)』が誕生したとされる『御器所村(ごきそむら)』の紹介です。かつて愛知県愛知郡にあった村で、現在の名古屋市昭和区にほぼ該当します。村名の『御器所』は、熱田神宮が祭礼に使用する土器を製作していた地ととする説があります。現在は『御所屋敷跡(伝・大政所出生地)』の石標だけが残ります。
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名称:『ジンチョウゲ(沈丁花)』
分類:ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木。
分布:原産地は中国南部、日本では室町時代頃には栽培されていたようです。
その他:チンチョウゲとも呼ばれ、強い芳香を持ちます。蕾が少し色付き始めていました。 -
『高座結御子神社』の南側の門の近くに置かれている立派な石灯篭の光景です。台座に四段の石垣が積まれ、笠も四角でした。祭神は『高倉下命(たかくらじのみこと)』の1柱です。『延喜式』神名帳での祭神の記載は1座、社名には『御子神』と見えます。これについて『続日本後紀』では、日割御子神・孫若御子神(いずれも熱田神宮境内摂社)とともに高座結御子神が『熱田大神御児神』と明記されていて、古くから熱田神宮と深い関係にあった神とされます。(ウィキペディア)
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同じく、一対で置かれていた『高座結御子神社』の南側の門の近くの立派な石灯篭の光景です。現在の人格神に比定される『高倉下命(たかくらじのみこと)』は、尾張氏の祖神として知られる神とされます。文献によれば、そのほかに仲哀天皇説、成務天皇説、成務天皇・仲哀天皇両神説などがあるようです。(ウィキペディア)
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『高座結御子神社でみられる野鳥』のタイトルがあった案内看板の光景です。左上から時計回りに、カワラヒワ、シジュウカラ、ツグミ、メジロ、シロハラとアオバズクの6種が紹介されていました。アオバズクは、東南アジアに生息するフクロウで、大木の樹洞に巣を作るため社寺林に飛来し、日本では最も身近なフクロウとされます。近年は個体数を減らしているようです。(ウィキペディア)
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こちらが表参道になるのでしょうか、本殿の南側に建つ石の鳥居の光景です。西の出入口にある鳥居と同様に、扁額は懸かっていませんでした。表参道の先に社殿が見えていました。創建は不詳とされますが、伝承では天武天皇の御世(673~686年)ともされるようです。熱田神宮本宮と同時期の説もあるようです。
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西の出入口でも紹介した『熱田神宮摂社・式内明神大社・高座結御子神社』の文字が刻まれた石標の光景です。まったく同じような造りでした。高座結御子神社を含む熱田神宮の境外摂社に関しては、古墳時代の尾張諸勢力の分布との対応を指摘する説があります。この中で、熱田台地の主勢力(断夫山古墳・白鳥古墳や熱田神宮)がその他勢力を吸収した結果、各神社が熱田神宮の神統譜に組み込まれるに至ったと推測されています。『熱田台地の主勢力(断夫山古墳・白鳥古墳や熱田神宮)』は、この後もウィキペディアを引用して紹介を続けます。
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高座神社の手水舎の光景です。熱田台地の主勢力(断夫山古墳・白鳥古墳や熱田神宮)に関する紹介の続きです。特に高座結御子神社および高蔵公園の周辺では、高蔵貝塚・高蔵古墳群などの弥生時代から古墳時代に渡る遺跡(高蔵遺跡)の立地が知られています。
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『高座神社の「子預け」について』のタイトルがあった説明看板の光景です。高座神社の目玉行事、催事のようです。熱田台地の主勢力の話題に戻ります。この高蔵遺跡は、東西約500メートル、南北約700メートルに及ぶ大規模なものです。弥生時代の遺跡としては全国的にも知られる規模ほか、古墳時代としては断夫山古墳、白鳥古墳などの首長墓の造営に直接関与した集団の遺跡とされます。
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『高蔵貝塚』のタイトルが記された説明立札の光景です。『高蔵貝塚』発見時のいきさつは、前書きでも紹介しましたが、このことを知った名古屋陸軍地方幼年学校の教官・鍵谷徳三郎が翌日現地に赴き、ほぼ原型を留める土器や貝層などを確認し、以降、3月25日までの約80日間にわたって発掘調査を行いました。土器の詳細なスケッチなどを纏めて、後に考古学の研究誌に発表しました。(ウィキペディア)
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『信長攻路』のタイトルがあった標識の光景です。1560年の『桶狭間の戦い』の時、信長は、熱田神宮や日置神社の戦勝祈願をしたとされ、戦勝後には、そのお礼もしています、『信長攻路』は、出発地の清洲城から桶狭間に至る3つの道筋のことです。その道筋にこの表示が設けられました。笠寺観音の境内でも目にしました。
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大楠らしい、注連縄が張られた御神木の光景です。熱田台地の主勢力の話題に戻ります。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、尾張国愛智郡に『高座結御子神社 名神大』と記載され、名神大社に列しています。また『尾張国内神名帳』では『高蔵名神』または『高座明神』と記載されています、
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『熱田台地の主勢力』については、これでおしまいです。尾張氏は、日本古代史では特異な立場とされ、大和建国と壬申の乱では大きな役割を果たしたものの、『日本食』ではほとんど無視されています。
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『尾張浜主の歌碑』の光景です。『翁とて詫びやは居らむ 草も木もはゆる時に 出でて舞いてむ』の一首が刻まれていました。『尾張浜主(おわりのはまぬし)』は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族で楽人です。姓は連、位階は従五位下でした。笛を得意とした大戸清上らと、日本雅楽の形成に重要な役割を果たしました。
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『尾張浜主(はまぬし)の歌碑』のタイトルがあった説明立札の光景です。承和12年(845年)、既に113歳の高齢でしたが、大極殿で行われた最勝会に際して、舞(和風の長寿楽、別名「春鶯囀」)を製作し、自ら上表して演じることを請い、1000人を超える観覧者の前で舞ったとされます。人々は彼を『まさに伶人(楽舞の人)』と呼びました。
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『高座結御子神社』の境内光景です。元亀2年(1571年)の造営の際には、織田信長(1534~1582年)からの寄進があったほか、江戸時代の元和4年(1618年)には蜂須賀家政(1558~1639年)による修理があり、また貞享3年(1686年)の江戸幕府による熱田神宮造営の際には、高座結御子神社にも修理のことがあったとされます。
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『高座結御子神社』の社務所の光景です。拝殿に向かって左手に位置する場所です。錆びたように変色した箇所がありましたが、こちらも銅葺屋根のようでした。平安時代末期に作成された『尾張国内神名帳』では『高蔵名神』または『高座明神』と記載されています。
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イチオシ
『高座結御子神社』の本殿光景です。元々の社殿は尾張造の丹塗りでしたが、昭和20年(1945年)に戦災でほとんどを焼失し、昭和38年(1963年)に焼失以前に準じる形態で再建されました。
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『高座結御子神社』の本殿のズームアップ光景です。摂末社の『稲荷社』は、豊臣秀吉の母の『なか(のちの大政所)』が、幼少の秀吉を連れて立身出世を祈ったといわれ、『太閤出世稲荷』の別名を持ちます。
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