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あいち朝日遺跡ミュージアムの屋内と屋外の展示品紹介です。最後に紹介する、貝殻山貝塚は朝日遺跡の最も古い時代の弥生遺跡でした。朝日遺跡の100分の1ほどのエリアですが、見所は色々とありました。ところで、貝殻山貝塚以外の朝日遺跡は道路工事で、その姿を消してしましました。吉野ケ里遺跡に次ぐ規模の遺跡としては、実に残念なことでした。

2021早春、あいち朝日遺跡(6/6):史蹟貝殻山貝塚交流館、弥生人墳墓、土器、石器、装身具

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2021/02/06 - 2021/02/06

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旅人のくまさん

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あいち朝日遺跡ミュージアムの屋内と屋外の展示品紹介です。最後に紹介する、貝殻山貝塚は朝日遺跡の最も古い時代の弥生遺跡でした。朝日遺跡の100分の1ほどのエリアですが、見所は色々とありました。ところで、貝殻山貝塚以外の朝日遺跡は道路工事で、その姿を消してしましました。吉野ケ里遺跡に次ぐ規模の遺跡としては、実に残念なことでした。

  • 左側の展示が『石鏃・石錐(18点)』、右側の展示品が『加工円盤(5点)』と『大型石包丁(1点)』です。この後、写真拡大して紹介します。

    左側の展示が『石鏃・石錐(18点)』、右側の展示品が『加工円盤(5点)』と『大型石包丁(1点)』です。この後、写真拡大して紹介します。

  • 名称:『石鏃・石錐(18点)』<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:石製品です。<br />

    名称:『石鏃・石錐(18点)』
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:石製品です。

  • 名称:『加工円盤(5点)』と『大型石包丁(1点)』<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:石製品です。右下が『大型石包丁』です。

    名称:『加工円盤(5点)』と『大型石包丁(1点)』
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:石製品です。右下が『大型石包丁』です。

  • 左側の展示品が『縫針(5点)』、右側の展示品が『骨角器未製品・残材(8点)』です。この後、写真拡大して紹介します。

    左側の展示品が『縫針(5点)』、右側の展示品が『骨角器未製品・残材(8点)』です。この後、写真拡大して紹介します。

  • 名称:『縫針(5点)』<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:骨角製品です。<br />

    名称:『縫針(5点)』
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:骨角製品です。

  • 名称:『骨角器未製品・残材(8点)』<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:骨角製品です。

    名称:『骨角器未製品・残材(8点)』
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:骨角製品です。

  • 名称:『簪・垂飾・貝輪』<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:骨角貝製品です。

    名称:『簪・垂飾・貝輪』
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:骨角貝製品です。

  • 『簪・垂飾・貝輪』のタイトルの説明パネルです。<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:出土した装身具です。

    『簪・垂飾・貝輪』のタイトルの説明パネルです。
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:出土した装身具です。

  • 『鏃・やす』のタイトルの説明パネルです。<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:鏃が上の2個、『やす』が下の5本のようです。『骨角製品』です。

    『鏃・やす』のタイトルの説明パネルです。
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:鏃が上の2個、『やす』が下の5本のようです。『骨角製品』です。

  • 『鏃・やす』のタイトルの説明パネルです。<br />年代:弥生時代前期~中期<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:出土した『骨角製品』です。「やす」は、漁具の一種で、突刺す先端部と、竹や木などの柄からできています。その先端部です。

    『鏃・やす』のタイトルの説明パネルです。
    年代:弥生時代前期~中期
    出土:貝殻山貝塚
    その他:出土した『骨角製品』です。「やす」は、漁具の一種で、突刺す先端部と、竹や木などの柄からできています。その先端部です。

  • 名称:『貝塚出土の貝(自然遺物)』<br />年代:弥生時代前期~中期前葉<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:ハイガイ、シジミ(上段)、ハマグリ、カキ(下段)<br />

    名称:『貝塚出土の貝(自然遺物)』
    年代:弥生時代前期~中期前葉
    出土:貝殻山貝塚
    その他:ハイガイ、シジミ(上段)、ハマグリ、カキ(下段)

  • 名称:『削痕系土器』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:口の広い、灰色がかった広口の壷です。

    名称:『削痕系土器』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:口の広い、灰色がかった広口の壷です。

  • 名称:『削痕系土器』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:弥生時代前期の土器は、西日本の遠賀川式土器の影響を強く受けた土器が主ですが、共存した縄文式土器の系譜を引くのが、『削痕系土器』です。

    名称:『削痕系土器』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:弥生時代前期の土器は、西日本の遠賀川式土器の影響を強く受けた土器が主ですが、共存した縄文式土器の系譜を引くのが、『削痕系土器』です。

  • 名称:『削痕系土器』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:補助金具なしで、辛くも自立していた土器です。やや赤みを帯びた土質のようです。

    名称:『削痕系土器』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:補助金具なしで、辛くも自立していた土器です。やや赤みを帯びた土質のようです。

  • 名称:『削痕系土器』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:推測ですが、赤味がかった土質の亜流遠賀川系の土器のようです。

    名称:『削痕系土器』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:推測ですが、赤味がかった土質の亜流遠賀川系の土器のようです。

  • 名称:『削痕系土器』:推測<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀):推測<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:壷の上部半分の復元のようです。

    名称:『削痕系土器』:推測
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀):推測
    出土:貝殻山貝塚
    その他:壷の上部半分の復元のようです。

  • 名称:『弥生土器・遠賀川系土器』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:大型の碗のようです。

    名称:『弥生土器・遠賀川系土器』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:大型の碗のようです。

  • (左手前):S字状口縁台付甕:弥生時代終末期<br />(中奥):手炙型土器:年代読み取れず<br />(右手前):円窓付土器:弥生時代中期後葉<br />(右奥):赤彩土器:年代読み取れず(弥生時代中期?)

    (左手前):S字状口縁台付甕:弥生時代終末期
    (中奥):手炙型土器:年代読み取れず
    (右手前):円窓付土器:弥生時代中期後葉
    (右奥):赤彩土器:年代読み取れず(弥生時代中期?)

  • 名称:『弥生土器・遠賀川系土器(6点)』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:いくつかは、写真拡大して個別に紹介します。

    イチオシ

    名称:『弥生土器・遠賀川系土器(6点)』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:いくつかは、写真拡大して個別に紹介します。

  • 名称:『遠賀川系土器・蓋付瓶』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:落とし込み式の蓋が付属していました。

    イチオシ

    名称:『遠賀川系土器・蓋付瓶』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:落とし込み式の蓋が付属していました。

  • 名称:『遠賀川系土器・広口碗』<br />年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)<br />出土:貝殻山貝塚<br />その他:

    名称:『遠賀川系土器・広口碗』
    年代:弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)
    出土:貝殻山貝塚
    その他:

  • 『多様な系譜を持つ土器』のタイトルがあった説明パネルの光景です。朝日遺蹟における弥生土器を5種類に分類されていました。<br />◎正統遠賀川系:北部九州起源<br />◎亜流遠賀川:赤っぽく、在地色の強い遠賀川系<br />◎削痕系:突帯文系と遠賀川系の折衷土器<br />◎条痕文系:縄文晩期の突帯文系土器の系譜<br />◎沈線文系:縄文的な文様を持つ弥生土器

    イチオシ

    『多様な系譜を持つ土器』のタイトルがあった説明パネルの光景です。朝日遺蹟における弥生土器を5種類に分類されていました。
    ◎正統遠賀川系:北部九州起源
    ◎亜流遠賀川:赤っぽく、在地色の強い遠賀川系
    ◎削痕系:突帯文系と遠賀川系の折衷土器
    ◎条痕文系:縄文晩期の突帯文系土器の系譜
    ◎沈線文系:縄文的な文様を持つ弥生土器

  • (左手前):S字状口縁台付甕:弥生時代終末期<br />(中奥):手炙型土器:年代読み取れず<br />(中手前):円窓付土器:弥生時代中期後葉<br />(右奥):赤彩土器:年代読み取れず(弥生時代中期?)<br />(右手前):沈線文土器:弥生時代中期:別の場所で展示中のためパネルで代用

    (左手前):S字状口縁台付甕:弥生時代終末期
    (中奥):手炙型土器:年代読み取れず
    (中手前):円窓付土器:弥生時代中期後葉
    (右奥):赤彩土器:年代読み取れず(弥生時代中期?)
    (右手前):沈線文土器:弥生時代中期:別の場所で展示中のためパネルで代用

  • 名称:『土器破片(3点)』<br />年代:弥生時代前期<br />出土:貝殻山貝塚・第3貝塚<br />その他:壷か、甕当たりの土器片のようです。

    名称:『土器破片(3点)』
    年代:弥生時代前期
    出土:貝殻山貝塚・第3貝塚
    その他:壷か、甕当たりの土器片のようです。

  • 名称:『圧痕のある土器破片』<br />年代:弥生時代前期<br />出土:貝殻山貝塚・第3貝塚<br />その他:縄文人の指の痕らしい圧痕が残っていたようです。

    名称:『圧痕のある土器破片』
    年代:弥生時代前期
    出土:貝殻山貝塚・第3貝塚
    その他:縄文人の指の痕らしい圧痕が残っていたようです。

  • 『史跡・貝塚山貝塚』のタイトルがあった説明パネルの光景です。上の写真が、弥生文化が東海地区に定着していった過程を知るのに重要な史跡として、昭和46年(1971年)に国の史跡に登録されたエリアの図面です。下の写真は、左が昭和40年(1965年)頃、左が施設整備された令和2年(2020年)の写真です。

    『史跡・貝塚山貝塚』のタイトルがあった説明パネルの光景です。上の写真が、弥生文化が東海地区に定着していった過程を知るのに重要な史跡として、昭和46年(1971年)に国の史跡に登録されたエリアの図面です。下の写真は、左が昭和40年(1965年)頃、左が施設整備された令和2年(2020年)の写真です。

  • 名称:『弥生人の葬送人骨』<br />年代:弥生時代前期<br />出土:貝殻山貝塚・第3貝塚<br />その他:2体発掘された中の1体です。貝殻山貝塚が、国指定の史跡となる発見の一つだったようです。

    名称:『弥生人の葬送人骨』
    年代:弥生時代前期
    出土:貝殻山貝塚・第3貝塚
    その他:2体発掘された中の1体です。貝殻山貝塚が、国指定の史跡となる発見の一つだったようです。

  • 名称:『弥生人の葬送人骨』<br />年代:弥生時代前期<br />出土:貝殻山貝塚・第3貝塚<br />その他:2体発掘された中の1体です。二体とも屈葬のようです。

    名称:『弥生人の葬送人骨』
    年代:弥生時代前期
    出土:貝殻山貝塚・第3貝塚
    その他:2体発掘された中の1体です。二体とも屈葬のようです。

  • 床面に表示してあった、『出土した人骨』のタイトルの説明パネルの紹介です。1971年(昭和46年)の発掘調査で、第3貝塚から発見されました。貝殻山貝塚は、朝日遺跡の中で、最も早期に弥生人が暮らした場所と確認されています。弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)の出土品が集中しています。

    床面に表示してあった、『出土した人骨』のタイトルの説明パネルの紹介です。1971年(昭和46年)の発掘調査で、第3貝塚から発見されました。貝殻山貝塚は、朝日遺跡の中で、最も早期に弥生人が暮らした場所と確認されています。弥生時代前期(紀元前6世紀~紀元前4世紀)の出土品が集中しています。

  • 『第3貝塚貝層断面剥ぎ取り模型』<br />年代:弥生時代前期<br />出土:貝殻山貝塚・第3貝塚<br />その他:各所の歴史展示館で目にしましたが、貝塚のレプリカの製作技術は大したものです。

    『第3貝塚貝層断面剥ぎ取り模型』
    年代:弥生時代前期
    出土:貝殻山貝塚・第3貝塚
    その他:各所の歴史展示館で目にしましたが、貝塚のレプリカの製作技術は大したものです。

  • 『第3貝塚貝層断面剥ぎ取り』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。1971年(昭和46年)に発掘調査が行われた貝塚です。長さ22メートル、幅12メートルの規模と紹介されていました。弥生時代前期、中期から後期に亘っての貝層が確認されています。貝種は、カキ、ハマグリ、シジミ、アカニシ、サルボウなどです。

    『第3貝塚貝層断面剥ぎ取り』のタイトルがあった説明パネルの紹介です。1971年(昭和46年)に発掘調査が行われた貝塚です。長さ22メートル、幅12メートルの規模と紹介されていました。弥生時代前期、中期から後期に亘っての貝層が確認されています。貝種は、カキ、ハマグリ、シジミ、アカニシ、サルボウなどです。

  • 『史跡・貝塚山貝塚』を含む朝日遺跡の縮小立体模型の光景です。『なるほど貝塚の謎・朝日遺跡』のタイトルがありました。川を挟んだ北側には、西の方から西墓域、玉造工房、北住居域、多重環濠、北墓域などが、南側には、西の方から弥生前期環濠集落(貝殻山貝塚)、南住居域、東の墓域などが記されていました。

    『史跡・貝塚山貝塚』を含む朝日遺跡の縮小立体模型の光景です。『なるほど貝塚の謎・朝日遺跡』のタイトルがありました。川を挟んだ北側には、西の方から西墓域、玉造工房、北住居域、多重環濠、北墓域などが、南側には、西の方から弥生前期環濠集落(貝殻山貝塚)、南住居域、東の墓域などが記されていました。

  • 同じく、『史跡・貝塚山貝塚』の縮小立体展示の光景です。先程の写真の、左下方面のズームアップ光景です。赤い文字で記された現在位置が貝殻山貝塚、その左下には、当時の港が記されていました。貝殻山貝塚に周りには西の墓域、南の集落と南の墓域が記されていましたが、これは弥生時代中期前葉~中葉当たりの集落や墓域になるようです。

    同じく、『史跡・貝塚山貝塚』の縮小立体展示の光景です。先程の写真の、左下方面のズームアップ光景です。赤い文字で記された現在位置が貝殻山貝塚、その左下には、当時の港が記されていました。貝殻山貝塚に周りには西の墓域、南の集落と南の墓域が記されていましたが、これは弥生時代中期前葉~中葉当たりの集落や墓域になるようです。

  • 『史跡・貝殻山貝塚交流館』の展示光景です。左側のガラスケースに、弥生人の人骨が展示してありました。そのケースの壁面には『当人骨はレプリカではありません』『床面の解説もご覧ください』の表示がありました。

    『史跡・貝殻山貝塚交流館』の展示光景です。左側のガラスケースに、弥生人の人骨が展示してありました。そのケースの壁面には『当人骨はレプリカではありません』『床面の解説もご覧ください』の表示がありました。

  • 『史跡・貝殻山貝塚交流館』の展示光景です。写真右下の床に展示してある写真は、弥生人の人骨が2体発掘された時の『第3貝塚』の光景です。近くに、先に紹介した2体の人骨も展示してありました。

    イチオシ

    『史跡・貝殻山貝塚交流館』の展示光景です。写真右下の床に展示してある写真は、弥生人の人骨が2体発掘された時の『第3貝塚』の光景です。近くに、先に紹介した2体の人骨も展示してありました。

  • 旧館の玄関横に設置してあった、記念撮影場所です。竪穴住居内をイメージした撮影が出来るようでした。この後紹介する、岩倉市の大地遺跡で発掘された竪穴住居がモデルになっているようでした。そのモデルも続いて紹介します。

    旧館の玄関横に設置してあった、記念撮影場所です。竪穴住居内をイメージした撮影が出来るようでした。この後紹介する、岩倉市の大地遺跡で発掘された竪穴住居がモデルになっているようでした。そのモデルも続いて紹介します。

  • 『復元竪穴住居』のタイトルがあった説明パネルの光景です。<br />年代:弥生時代中期<br />モデル出土地:岩倉市大地遺蹟(長辺約7メートル、短辺約4メートルの長方形)<br />その他:昭和26年(1951年)の発掘調査で出土。当時の朝日遺跡では未発見のため、復元モデルに使われました。

    『復元竪穴住居』のタイトルがあった説明パネルの光景です。
    年代:弥生時代中期
    モデル出土地:岩倉市大地遺蹟(長辺約7メートル、短辺約4メートルの長方形)
    その他:昭和26年(1951年)の発掘調査で出土。当時の朝日遺跡では未発見のため、復元モデルに使われました。

  • 『あいち朝日遺跡ミュージアム』の敷地内には、2軒の『竪穴式住居』と、1軒の『高床倉庫』が復元されています。写真の建物は、岩倉市の大地遺跡で発掘された竪穴住居が復元されたものです。こちらの竪穴住居の平面は長方形ですが、もう一つの方は円形です。

    『あいち朝日遺跡ミュージアム』の敷地内には、2軒の『竪穴式住居』と、1軒の『高床倉庫』が復元されています。写真の建物は、岩倉市の大地遺跡で発掘された竪穴住居が復元されたものです。こちらの竪穴住居の平面は長方形ですが、もう一つの方は円形です。

  • 現地で入手した、『弥生・あいち朝日遺跡ミュージアム』の案内パンフレットです。三つ折りの表面です。『あいち朝日遺跡ミュージアム・常設展示案内』も受付に置いてありましたので、購入しておきました。公共交通機関のルートが4ルート提示してありましたが、往きはどれにも該当しない、地下鉄鶴舞線ルートにし、帰りは、清須城に立寄りましたので、JR清洲駅コースにしました。

    現地で入手した、『弥生・あいち朝日遺跡ミュージアム』の案内パンフレットです。三つ折りの表面です。『あいち朝日遺跡ミュージアム・常設展示案内』も受付に置いてありましたので、購入しておきました。公共交通機関のルートが4ルート提示してありましたが、往きはどれにも該当しない、地下鉄鶴舞線ルートにし、帰りは、清須城に立寄りましたので、JR清洲駅コースにしました。

  • 『弥生・あいち朝日遺跡ミュージアム』の案内パンフレットの三つ折りになった裏面です。こちらの面には、ミュージアムの施設案内などを主に記されていました。神官だけでなく、貝殻山貝塚時代からの旧館と主な弥生遺跡も紹介されていました。

    『弥生・あいち朝日遺跡ミュージアム』の案内パンフレットの三つ折りになった裏面です。こちらの面には、ミュージアムの施設案内などを主に記されていました。神官だけでなく、貝殻山貝塚時代からの旧館と主な弥生遺跡も紹介されていました。

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