2021/02/14 - 2021/02/17
60位(同エリア141件中)
あおしさん
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コロナ禍の最中ですが、「絶海の孤島」と呼ばれる大東諸島・南大東島に行きました。
北大東島の旅館は「県外の観光客は宿泊不可」とのことでしたが、南大東島は「PCR検査陰性ならOK」とのことで、南大東島で3泊。
フェリーで北大東島へは日帰り往復することとしました。
2月13日に那覇に到着し、2月14日の朝、50人のりのコミューターで南大東島へ向かいました。
動画 南大東島
https://www.youtube.com/watch?v=dfSLvbhrC8Y&feature=youtu.be
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2月14日・日曜日。
那覇空港発7時50分の南大東島行のフライトで出発します。
コミューターなので28番搭乗口からバスでアクセスします。那覇空港 空港
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コミューターは50人乗り。
バスとほぼ同じ定員です。
機長さんとスチュワーデスも1人ずつでこれもバスと同じ。
乗客は20人くらい。
地元の方が多いようです。那覇空港 空港
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那覇空港からのフライトで約1時間、那覇から400キロ離れた大東諸島上空。
まず北大東島が見えてきました。
平らな島です。北大東島 自然・景勝地
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そのすぐ近くに南大東島。
北大東島と南大東島はまるで「双子」のように並んでいますが、その他の人の住む陸地は400キロも存在せず、「絶海の孤島」と言われるゆえんです。
天候がよくないとのことで、30分近く上空を旋回していました。南大東島 自然・景勝地
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30分遅れてようやく南大東島空港に到着しました。
南大東空港 空港
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外は土砂降りの雨。
今日は天気予報では晴れだったはずなのに。南大東空港 空港
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南大東島での宿泊先である月桃ムーンビーチ。
宿の人が迎えに来てくれました。
空港の真裏にあります。
最初見たときはプレハブの建物でちょっとびっくり。
でも、こういう宿で南の島で過ごすのは悪くない。月桃ムーンピーチ 宿・ホテル
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午前中は雨だったので、少し部屋でひと眠り。
午後から晴れてきたので、宿でレンタサイクルを借りて、まずは島めぐり。
南大東島はもともと明治時代無人島でしたが、八丈島から移住してきた人たちがサトウキビの栽培を始めました。
いまでも島のほとんどはサトウキビ畑です。
これはこれで結構美しい風景だったりします。 -
南大東島は在所と呼ばれる集落に大半の人が住んでいます。
在所にある南大東村役場。
南大東村の人口は約1300人ほど。 -
村役場の前、村の中心にそびえる大東糖業のサトウキビからの製糖工場。
南大東島は明治時代から戦前まで玉置商会~東洋製糖~大日本製糖が土地のすべてを所有し、島民はみなその小作人でした。
日用品購入の店も、家も、学校もすべて製糖会社の私有でいわば「独立国」のような島だったのでした。
今でもこの製糖工場がまるでお城のように君臨しています。 -
在所にある唯一の信号。
南大東小中学校の前にあります。
信号が必要なほど交通量はないのですが、島の子供たちが島を出たときに信号の使い方を知らないと困るため、いわば「教育用」に設置されたそうです。玉置半右衛門記念碑 名所・史跡
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在所の中心街。
ここにあるスーパーは朝6時半から夜10時半まで営業している、いわば村の「コンビニ」。
滞在中とてもお世話になりました。 -
村の繁華街。
人口わずか1300人の村ですが、遊び好き?なのか飲み屋さんが30軒もあるとか。
もっとも緊急事態宣言の関係で休業中のお店がほとんど。 -
町の中を一回りして、まずは明日は休館日の文化センターへ。
この村のいわば郷土資料館です。
村の歴史などについての展示があります。ふるさと文化センター 美術館・博物館
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ここには製糖会社発行の紙幣が展示されていました。
戦前は島の人は製糖会社の小作人であり、給料はこの会社発行の紙幣で払われていました。
島の人はこの紙幣で、会社所有の店で日用品を購入していました。
日本政府の紙幣は島内で使えなかったのです。 -
アメリカ統治時代のポールW・キャラウェイ中将の像。
もともと明治時代、玉置商会が30人余の八丈島民を連れてこの島の開拓に来たとき、開拓が終わったら、土地は島民のものとする、という約束がありました。
ところがその後の製糖会社はこの約束を反故にして、島民はずっと小作人のままでした。
戦後、アメリカ統治時代、キャラウェイ中将は製糖会社の行為は不当として、土地を島民に譲渡する措置を取りました。
その功績をたたえて銅像が建てられています。 -
この島出身のオペラ演出家・粟国安彦さんの銅像。
この絶海の孤島出身であることを誇りとし、世界的にも認められ始めた矢先に、1990年、49歳の若さで亡くなりました。
これから、という時にさぞかし無念だったでしょう。
文化センター内にも粟国安彦さんの資料が多く展示されていました。 -
南大東島ではサトウキビ運搬のため島中に軽便鉄道が昭和59年まで網羅されていました。
正式名称は大東糖業砂糖運搬専用軌道、通称「シュガートレイン」です。
平成の直前までこんな戦前のような鉄道が運行されていたのは驚きです。
鉄道紀行作家の第一人者である故宮脇俊三さんも、この鉄道に魅せられ、廃線跡を訪ね歩いた紀行文を書いています(「鉄道廃線跡を歩く」)
文化センターにはその鉄道のDVDや資料が多くあり、今回、私も廃線跡を訪ねました。南大東島 シュガートレイン 美術館・博物館
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文化センターのあとは大東神社へ。
ごく普通の神社ではありますが、夜にはこの島の「マスコット」でもあるダイトウオオコウモリがここに集まってくるそうです。
夜、再度ここに来てみましたが、鳴き声は聞けたものの、実物を見ることは暗すぎてできませんでした。大東神社 寺・神社・教会
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文化センターで展示されていたダイトウオオコウモリのはく製。
普通のコウモリと違って、ふさふさの毛でおおわれています。
また草食のコウモリで人なつっこいとか。
見たかったな。 -
やはり明日定休日のビジターセンターへ。
こちらは南大東島の独特の動物や植物についての展示がされていました。ビジターセンター島まるごと館 美術館・博物館
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文化センター前からシュガートレインの廃線跡は、フロンティアロードという遊歩道となっています。
線路はないものの鉄道の線路の雰囲気がよく残っていました。
工場から製糖を運ぶ貨物列車が港まで運行されていたそうです。
文化センターには当時の写真が展示されていましたフロンティアロード (松並木) 名所・史跡
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夕方になってきたので、夕日を見に行くことに。
フロンティアロード、つまり鉄道の終点である西港の先の夕日の広場というところへ。西港 (南大東港 西地区) 名所・史跡
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残念ながら雲が多くて、夕日はいまひとつ。
明日以降に期待です。南大東島西港 旧ボイラー小屋 名所・史跡
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