2020/12/12 - 2020/12/12
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あおしさん
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1泊2日で大河ドラマ「麒麟がくる」の聖地めぐり。
初日は斎藤道三と織田信長の居城だった岐阜城と、桶狭間の合戦のころ織田信長の居城だった清州城に行ってきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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朝の新幹線で名古屋へ、名古屋からはJR線で岐阜駅へ到着。
岐阜駅前には金色の織田信長の銅像がありました。
このご時世なのでマスクをしていました。黄金の織田信長公像 名所・史跡
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岐阜駅からバスに乗って岐阜公園内の「大河ドラマ館」へ
岐阜市歴史博物館で開催されています。岐阜市歴史博物館 美術館・博物館
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「大河ドラマ」館では原則撮影禁止。
役者さんの肖像権の関係でしょうが、やや不満。
撮影OKの衣装です。
手前から明智光秀、斎藤義龍、斎藤道三の衣装です。麒麟がくる 岐阜 大河ドラマ館 名所・史跡
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ドラマの最初の方で使われていた岐阜城(斎藤道三時代は稲葉山城)と城下町のオープンセットのジオラマ。
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ドラマの中で使われた本木雅弘さん演じる斎藤道三の鎧。
史実はどうかわかりませんが、なかなかかっこいい鎧です。
一番の見応えがあったのは、明智光秀が「本能寺の変」の直前に徳川家康を接待したときの料理一式の模型。
とても豪華な料理でした。
写真撮影禁止は残念。 -
1時間ほど「大河ドラマ館」を見た後、岐阜公園へ。
まだ紅葉が残っていました。
岐阜場は山の上にあります。岐阜公園 公園・植物園
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明治時代、自由民権運動を指導していた板垣退助はここで刺客に襲われました。
その際、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだと伝えられます。
現在は板垣退助の銅像がありました。板垣退助遭難の地 名所・史跡
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織田信長居館跡。
斉藤道三時代は稲葉山城、信長時代は岐阜城は戦に有利なように山の上に城がある「山城」でしたが、普段戦がないときは山の麓の居館で生活していました。
岐阜公園はその信長の居館があった場所の公園です。織田信長居館跡(史跡 岐阜城跡) 名所・史跡
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居館跡は発掘調査されて、どのあたりにどんな建物があったかはおおむねわかっています。
整備されて建物にあった場所にはそれぞれの建物についての説明板がありました。 -
居館跡にあるロープウエイの駅からお城のある山の上に登ります。
片道5分ほどで山の上の駅へ到着します。ぎふ金華山ロープウェー 乗り物
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山の上のロープウエイの駅から岐阜城天守閣までは歩いて15分ほど。
お城お大手門(表門)。
まだ足軽で木下藤吉郎と行った頃の若き日の豊臣秀吉が深夜このあたりまで山をよじ登り、城に潜り込んで、稲葉山城を奪取したとされています。岐阜城資料館 名所・史跡
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岐阜城天守閣。
当時の天守閣ではなく、観光用に建てられたニセモノの天守閣です。岐阜城 名所・史跡
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天守閣は斎藤道三や織田信長の資料館になっています。
織田信長の木像。 -
山城なので、天守閣から見た岐阜城下はとても景色が良かったです。
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岐阜公園から徒歩数分のところにある常在寺に寄ります。
ここは斎藤家の菩提寺だったところです。常在寺(岐阜県岐阜市) 寺・神社・教会
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この寺には斎藤道三と斎藤義龍の画像が寺宝として保存されています。
原本は見ることはできず、レプリカが本堂にありました。
レプリカなのに撮影禁止。
常在寺からは5分おきくらいにバスが出ているので、JR岐阜駅へ戻りました。岐阜駅 駅
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岐阜駅からJRで清洲駅へ移動します。
この駅は小さな駅ですが、貨物の駅としては名古屋圏の中枢のようで、頻繁に貨物列車が行きかいます。
いわゆる「撮り鉄」も何人もいました。清洲駅 駅
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清洲駅から10分ほど歩くと清洲城跡。
織田信長は稲葉山城を奪取して岐阜城を居城とするまではこの清洲城を本拠としていました。
現在は城跡には祠と石碑があり、周辺は公園として整備されています。清洲古城跡公園 公園・植物園
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公園内にある織田信長の銅像。
当時の記録によれば、今川義元が3万の大軍を率いて尾張に攻め込んできたとき、ここ清洲城で「人間50年~」と舞い、2千人ほどの軍勢を率いて出陣していったとされています。 -
当時清洲城のあった場所の対岸に、天守閣が建てられました。
現在は資料館になっています。清洲城 名所・史跡
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清洲城天守閣から見た風景。
川の対岸にかつて清洲城がありました。
左手にはJRの電車が通過していきます。 -
清洲から今度は名鉄電車に乗って熱田神宮へ。
織田信長は桶狭間に向かう途中、熱田神宮に寄り戦勝祈願をしたとされています。
父・信秀の葬式にでさえ、位牌に抹香を投げつけたほど信仰心や宗教心のなかった織田信長もこのときばかりは「苦しいときの神頼み」だったようです。熱田神宮 寺・神社・教会
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「信長塀」。
戦勝祈願のおかげか、信長は桶狭間で今川義元にまさかの勝利。
その御礼として信長が寄贈した土塀が現在も残っています。熱田神宮 寺・神社・教会
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熱田神宮は江戸時代、東海道53次・宮宿という宿場町として栄えました。
東海道を旅する人々はここから桑名宿まで7里・28キロを船で移動しました。
歩きが基本の江戸時代の旅人にとっては、船旅は気分転換になったようです。
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