清洲城
名所・史跡
3.47
清洲城 クチコミ・アクセス・周辺情報
稲沢・清須 観光 満足度ランキング 1位
平成元年に再建。清洲城の歴史:築城者・創築年とも不明。一説に尾張守護斯波義重が応永年中(1394?1427)に築いたという。のち守護代織田氏の大和守家の居城となる。弘治元年(1555)那古野城主織田信長が大和守信友を討って入城、永禄10年(1567)岐阜城に移るまで本拠とした。天正10年(1582)本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直が城主となった。慶長15年(1610)名古屋築城によって廃城。現在、三層四階の天主閣や信長塀、日本庭園などが復元されている。◎斯波義重(1371-1418)足利義満の猶子となり、1405年に管領となる。浅倉氏、尾田氏、二宮氏、甲斐氏ら重臣を配し領国を固めようとしたが、足利義持の勘気に触れて、高野山に追放された。◎織田信長(1534-1582)尾張に生まれ、永禄10年(1567)美濃国を手に入れ井の口を岐阜と改称した。天正10年(1582)本能寺の変にて自害した。◎織田信雄(1558-1630)織田信長の二男。1582年本能寺の変後、清洲城主となる。茶・和歌・舞・音楽などに巧みな風流人として知られている。◎福島正則(1561-1624)尾張国海東郡に生まれ、豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いなどに活躍。関ヶ原の戦い後、広島城主となるが、のちに所領を没収され、不遇の晩年をすごした。◎松平忠吉(1580-1607)徳川家慶の四男、遠江国生まれ。関ヶ原の戦い後、清洲城主となる。尾張藩祖となるはずであったが、若死し、後嗣がなく断絶した。◎徳川義直(1601-1650)徳川家康の九男。兄義吉の死去により清洲藩主(後に尾張藩主へ)、家康の遺訓を守り藩政を固め、学問を奨励し、藩風の基礎を作った。わが国で初の聖堂を建て、その廟所も儒教式である。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
天下統一を目指した織田信長公の出発点であり、天下泰平を目指す武将の重要拠点。
5.0
- 旅行時期 2025/10
- by 団塊二世代1さん
天下統一を目指した織田信長の出発点であり、信長公麾下の武将達が暮らした清州城です。 長年臨んだ清須城にようやく来ることが... 続きを読むできました。 城内には色々な小刀から大刀、槍、鉄砲が沢山展示されていて、岩落としをする人形とは思えない程り出来栄えで、沢山城を見学した中では最初だと思います。 4回には清須城再建の歩みと両脇には金の鯱が展示されていました。 頂上の天守からの眺めは最高に綺麗で観光してよかったです。 閉じる
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満足度の低いクチコミ
天下統一の第一歩
2.5
- 旅行時期 2023/02
- by ishigantouさん
織田信長が那古野城からここ清須に移り、桶狭間の戦いで勝利。天下統一の第一歩となった城。平成元年に復元の天守閣だが、ここ清州... 続きを読むは尾張国の中心地として、政治、経済、司法を中心として多い時期で人口6万人の賑わいを見せていたという。 閉じる
クチコミ・評判
3.47
(101件のクチコミ)- アクセス:
- 3.20
- JRでも名鉄でもアクセスできますが、清洲駅・名鉄新清洲駅どちらからも徒歩15分ほどかかるようです by やっちまさん
- 人混みの少なさ:
- 3.60
- 賑わっていましたが、混雑はありませんでした。 by yoshiさん
- バリアフリー:
- 2.67
- 平成の復興天守とはいえ 城ですから… by やっちまさん
- 見ごたえ:
- 3.55
- 天主閣の最上段から景色は見ごたえあります。 by yoshiさん
1~20件(全101件中)
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模擬天守閣があります
- 4.0
- 旅行時期:2024/08(約1年前)
- 2
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織田信長のルールを調べに行きました
- 3.0
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
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カッコいいお城
- 4.5
- 旅行時期:2023/03(約3年前)
- 0
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清須市観光にて
- 3.0
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
- 0
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清須会議の舞台
- 4.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
- 1
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「清洲イルミ2022」プロジェクションマッピングを観覧
- 3.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
- 0
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カッコいいお城
- 4.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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清洲城
- 3.5
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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展覧・解説も充実
- 3.5
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
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清洲会議で有名な清洲城
- 3.5
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 1
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新幹線の車窓から見える城
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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信長天下取りの出発点
- 4.0
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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「清須会議」の舞台
- 2.5
- 旅行時期:2022/04(約4年前)
- 0
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満開の桜とお城
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 1
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桜越しの清須城
- 4.0
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 11
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信長の居城。再建された天守閣はこじんまりとしてますが、展示物は充実してます。
- 4.5
- 旅行時期:2022/03(約4年前)
- 19
織田信長の居城で、天下取りの出発点になった「清州城」。一度行ってみたかったので、今回訪問した。
JR線でも名鉄線でも... 続きを読む行けるようですが、私はJR線を利用して訪問しました。
JR名古屋駅からわずか2駅先なので、結構近くにあるので驚きました。
JR清州駅から少し離れており、約15分ほどテクテク歩かないといけません。なお、名城線の方が、ほんの少しだけ近いようですが、、、
少し離れたところからのお城の風景は素晴らしいです。
中に入ると、綺麗に整備されている庭園を迂回して天守閣に辿り着きます。
「清州城」は、徳川家康により清州から名古屋への遷府が指令され、「名古屋城」の完成と城下町の移転により廃城となり、現在の天守閣は、平成元年に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守になります。
天守閣の入場料は、大人300円也。3階までは展示室になっており、最上階の天守からは周囲の見晴らしがよく見えます。
天守閣の周りの塀は、いわゆる「信長塀」です。「熱田神宮」の中にある本物を見たことがりますが、上手く復元されていました。
駅からのロケーションが悪いですが、名古屋城とセットで見学すると良いと思います。 閉じる投稿日:2022/03/19
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お城
- 4.0
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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清洲城
- 3.5
- 旅行時期:2022/02(約4年前)
- 0
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織田信長ゆかりの出世城
- 3.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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信長さま縁の清洲城
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 1
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 清洲城
- 住所
-
- 愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
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- 大きな地図を見る
- 電話番号
- 052-409-7330
- アクセス
- 新清洲駅 徒歩 15分
清洲駅 徒歩 15分
名古屋第二環状自動車道清洲東IC 車 5分 清洲城駐車場 清洲公園大駐車場
名古屋高速6号線清須IC 車 5分 清洲城駐車場 清洲公園大駐車場
- 予算
- 【料金】 大人: 300円 子供: 150円 中学校生徒及び小学校児童 備考: 団体割引30名以上 大人250円・子供100円
- 公式ページ
- 詳細情報
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